生々しくも色気のあるダメ男のロマンス──河内宙夢&イマジナリーフレンズ
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河内宙夢と岩出拓十郎(本日休演)、映像作家でもある小池茅の3人による“河内宙夢&イマジナリーフレンズ”が、〈ミロクレコーズ〉よりバンド名を冠したファースト・アルバム『河内宙夢&イマジナリーフレンズ』をリリース。フォークの匂いも、パンクの感性も感じさせるちょっとエッチでチャーミング、なんだか生々しく、ロマンティックなロック・アルバムを完成させた。今回は河内宙夢と、バンド・メンバーであり今作のプロデュースも担った岩出拓十郎のふたりにインタヴューを行った。河内宙夢という男、ダメダメかもしれないけど、やっぱりめちゃめちゃおもしろい!
堂々のデビュー・アルバム配信中!
INTERVIEW : 河内宙夢&イマジナリーフレンズ
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河内宙夢(こうちひろむ)という男が京都にやってきたのはちょうど1年ほど前のことだ。その半年ほど前に、本日休演の岩出拓十郎くんから「コーチという面白いヤツがいるんで観にきませんか?」と誘われてライヴに行ったのが最初の出会いだ。メガネがズリ落ちそうになりながら激唱しギターを遮二無二かきむしる姿はどこか滑稽で、でも、どういうわけかとてもチャーミングに見えた。豊田道倫を最初に観た時のこともちょっと思い出した。恋愛に不器用な男が歌う女の子への誠実な愛…… と言えば聞こえがいいが、要は気持ちをストレートに伝えられず、ついつい横道に逸れちゃって、そのうちに好きな女の子も離れていってしまった、そして自暴自棄になって夜の町に吸い寄せられていく…… みたいな。ある意味、それはそれでステレオタイプなダメ男のデカダンスが歌われているわけで、でも、どうにも、見捨てることができず、それどころかずぶずぶと引き込まれていってしまう。河内宙夢の歌にはそんな奇妙な中毒性があると言っていい。そして、そんな自分の歌にぬるっと勃起してしまうような。とんだロマンティック野郎だ。
横浜生まれ横浜育ち京都在住のそんな河内宙夢が、本日休演の岩出拓十郎(ベース)、映像作家でもある小池茅(ドラム)とともに京都で結成したのが河内宙夢&イマジナリーフレンズだ。最近はラブワンダーランドというバンドでも活動、ラッキーオールドサンのサポートもつとめる岩出拓十郎はここではプロデューサーとしても尽力。同じくラブワンダーランドのメンバーであり、本日休演、ラッキーオールドサン、佐藤優介など数多くのアーティストのPVも監督する小池はブラック・ミュージック仕込みとも思える後ろノリのビートでユルいグルーヴを創出する。そして、ダルそうに、つまんなそうに、でも何かに執着したままどうにもならなくて暴発したように歌ってはギターを鳴らす河内。日本のフォークmeetsロウファイmeetsブラック・ミュージック。そんな異種格闘状態が繰り広られる奇妙な居心地の良さと言ったら!
そこで、デビュー・アルバム『河内宙夢&イマジナリーフレンズ』発売を記念して、河内宙夢と岩出拓十郎に京都でインタヴュー。河内のバックグラウンド、岩出との出会い、レコーディングの裏話などたっぷり話をしてもらったのでぜひご一読あれ!
インタヴュー&文 : 岡村詩野
メロディにのせて言葉が違う意味に
──河内くんはいまは京都にいますけど、そもそも何年どこの生まれなんですか?
河内宙夢(以下、河内) : 1993年横浜生まれです。生まれも育ちも横浜…… 具体的に言うと大倉山です。いまも実家はそこにあります。高校は、10クラスくらいあるマンモス校でした。
──音楽は高校の頃にはじめたのですか?
河内 : いや、その頃は部活ではなく、社会人の方もいるような地域のサッカー・クラブのようなところに入っていて。学校では一応1年の頃に軽音部に入ってバンドもやってサザンとかアジカンのコピーをやったりしてたんですけどやっぱりあんまりおもしろくなくて。その時はサッカーの方が楽しかったからそっちを本気でやりたくてギターの方は一旦諦めたんですね。でも、高校2年くらいになるとサッカー・クラブもだんだんとおもしろくなくなってきて行きたくなくなってしまった。それでサッカーもやめてとりあえず受験勉強をはじめたんです。
岩出拓十郎(以下、岩出) : おもしろくなくてやめてばっかりじゃん。
河内 : いやほんとに。それの繰り返しなんですよ。大学に入って、今度こそなにかやりたいなとはずっと思っていたんですけど、なかなかなにをやりたいかもわからない。とりあえず、映画が好きだったので映画サークルに入ったんです。でも、ひとりで絵コンテなんかも書いてみたんですけどその頃ぜんぜん人望もなかったから全部ひとりでやらなきゃいけないのがだんだんとまた難しくなってきて……(笑)。
岩出 : またやめた。やめてばっかり。
河内 : うん。
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──なにをやっても続かない。
河内 : 続かないんですよ。なんでも割とちょっとやってすぐ嫌になって放り投げちゃうから。でも、その頃に出会った友達がいまにつながっている。いまのバンド・メンバーの(小池)茅、彼はその頃からの友達なんです。大学が一緒で同じ映画サークルに入っていて。でも、僕は結局映画も続かなくてサークルの合宿だけぬるっと参加するみたいな適当な感じだったんです。それでまたひとりになって。
そんなある日…… 20歳くらいの時ですけど、授業もあんまり行かなかったしなにもしない毎日を送っているときに、家にギターがあるのを見つけて、なんとなくまた弾きはじめたんです。兄が弾いていたアコギだったんですけど、暇だったからそれをポロポロ弾きながらなんとなく歌を作ってみて。で、そこに詩を書いてつけてみたら意外とうまくいったんですね。最初に形になった曲は「夏が来ている」という曲で、今回のアルバムにも入っている曲です。ちょうどそのとき失恋もしていて彼女と別れたところだったというのもあって。そういうきっかけも音楽に改めて向かわせたのかな……。ひとつなにか達成したというのがうれしかったので、それがきっかけでこれはもっと曲を作って歌ってみようという気になったんですね。
──何をやっても続かなくておもしろくなくなっていたけど、曲を作ったら意外にうまくいったと。
河内 : そうなんです。自分として手応えのあることをはじめてやれたわけですね。割とそこからポンポンとつくって行きました。
岩出 : その時の曲ってどんな感じ?
河内 : 書きはじめた頃の曲は、なんというか、俺の心は硝子の心だ、街をさまよってる…… みたいな感じのものが多くて。なんかバラードっぽいというか、尾崎豊みたいというか(笑)。でも僕のヒーローは豊田道倫さんだった。割とよくライヴを見に行ったりしていました。あとはフォーク系…… URC周辺の作品にはまっていました。友部正人さんとか三上寛さんとか高田渡さんとか。世代は違うけど、田辺マモルさんも好きで聴いていました。
──そういうフォーク系のスタイルのどういうところがいいなと思ったのですか?
河内 : メロディにのせて言葉が違う意味になっていくのがおもしろいなと思ったんですね。言葉本来の意味を超えていくというか。文学も好きだったので……。織田作之助とか太宰治とかブコウスキーとか…… まあわかりやすいですよね。
──自己破滅型の作家ですね。
河内 : そうなんです。なんでそういう世界が好きになったのかってことを考えたときに、生まれも育ちも大倉山というすごくのどかないい街だったことが影響しているのかなって思って。大倉山っていわばニュータウンだから周辺環境はいいし、両親は優しいし(笑)。でも、モノはすごい溢れているのになんか虚しい、みたいなのはずっと感じていて。その空虚感みたいなものが発端にあるなと思うんですね。いい街なのにみんな地元に目を向けてないというか…… もちろんそうじゃない人も多いんだけろうけど、渋谷まで20分程度で行けちゃうから……。そういう中にいてこれでいいのかなってずっと思っていて、それでブコウスキーとかを読むようになったんです。そんな感じでデカダンの世界に憧れて大学の頃は過ごしていたんですけど、どうにもそれも自分には合わない気もしてきた(笑)。町に出て朝まで遊んだり風俗に行ったりして、そういう生活の中で歌を作ったりして…… でも、どうもそういう生活は向いてないなと。虚しいなと。まあ、いまもたまに風俗は行ってますが。
東京から京都への上洛
──東京にいた頃はライヴハウスで歌ったりもしていたんですか?
河内 : ライヴハウス、出ていましたよ。でもなかなかうまくいかず。呼ばれたと思ったら変な宗教がらみのブッキングだったり……。その時は僕以外、出演者全員、ネズミ講系の人たちでした(笑)。そうやって曲を作って歌いはじめたはいいけど、なんかうまくいかないな、いまいちパッとしないな…… って思っていた頃に、岩出くんに会ったんですよ。
──ふたりはいつ頃知り合ったんですか?
河内 : まだ2年も経ってないです。去年のお正月、さっき名前を出した茅と僕で会おうってことになって。茅は大学は同じでしたけど、仕事の都合でいま大阪にいる。でも、離れていても、僕が曲を作って茅に送り、忘れた頃にその感想を送り返してくれるみたいな関係が続いていたんです。で、茅が東京に帰るから会おうかってタイミングで彼が岩出くんも呼んだんです。
──ええ、小池(茅)くんは本日休演のPVも撮影しているし、〈ミロクレコーズ〉のスタッフでもありますからね。
河内 : そう、要は僕と岩出くんの共通の友達が茅だったんです。僕はずっと本日休演が好きで。埜口(敏博)くんが生きていた頃のライヴも東京で観てるんです。でも、ライヴが終わったらパッと帰ってたから、その頃はまだ岩出くんとは話したこともなかった。ちゃんと話したのは、去年の正月に茅を通じて会ったときがはじめてだったんです。
岩出 : こっちは、小池からひとりで東京で歌ってる奴がいるんだけど気が合うんじゃないかって言われてて。だから存在は知っていました。それで、実際に会ってみたらダルそうで似たものを感じました。ふたりとも留年してたし。もちろん音楽の趣味も近かったけど。
河内 : そう、岩出くんはその正月に高円寺で待ち合わせたのに2時間も遅れて茅も2時間遅れてきた。それが最初の出会いです。
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岩出 : ちょうど僕も本日休演以外に他のことをやってみたかったときだった。それで、河内くんが京都に遊びにくるっていうから、そのときに何かやってみようってことになって。で、《ネガポジ》(京都のライヴハウス)ではじめて一緒にやったんです。
河内 : あれ、あのとき、岡村さんもいましたよね?
──ああ、岩出くんに河内くんを紹介された…… あのときが最初のセッション・ライヴだったんですか? あれ、たしか岩出くんに誘われて行ったんですよ。そしたら、本日休演のメンバーをバックに河内宙夢というよく知らない人が歌ってる。新たな登場人物が出てきたな、みたいなおもしろさを感じました。
河内 : あの時は、曲こそ僕のオリジナルでしたけど、バックはみんな本日休演のメンバーだったんです。で、そのときに京都でちょっとだけレコーディングもして。そのときの音源が最初にファーストEPとしてCDRで販売したものです。でも、そういう経験がすごく楽しかったんですね。そもそも僕はちゃんとしたオリジナルのバンドをやったのがそれがはじめてだった。ずっとバンドを組みたかったからすごくうれしかったんです。
岩出 : 正直言って、河内くんの曲は、最初「へ~」って感じの印象だったんですよ。でも、実際に一緒に演奏したらいい曲だなって思えたんですね。エモいと言うかなにか物語があるような感じがして、それがキュンときたんです。まあ、タイプは僕とはちょっと違うんですけど、僕も曲のなかに物語があると思っているし、共通してフォークがルーツにあるというところも気が合った。話せば話すほど、作るならラフなパンクな感じがいいとか、みんな綺麗にやりすぎだよな、とか、そんな話でも共鳴できて。それで、どうせやるならもっと簡単にやろう、余白のある音楽をやろうって話になったんです。
河内 : 岩出くんがこういうのをやりたいんだって作品を持ってきたら、ああ、いいなって思えるものがたくさんあった。で、気持ちもどんどん盛り上がってきたし、本日休演周辺のみんなも「もう京都に越してきちゃえばいいじゃん」ってって言うからだんだんとその気になって。その頃東京で宅録とかもしていたんですけど、それももうひとつパッとしないし、結構行き詰まっていたこともあって。このままやり続けてもなあ、MT(豊田道倫)の亜流になるだけだしなあ…… これじゃだめだなあ、じゃあこれも運命だな、思い切って環境を変えて京都でイチから音楽やろう! って。それで引っ越したんです。ちょうど1年前のことです。
──最初は「河内宙夢&ザ・スペースドリーマーズ」って名義でしたし、バレーボウイズをやめた矢野裕之くんもメンバーにいました。やはり最初はそうしたディレクションも岩出くんがとっていたのですか?
岩出 : そうですね。録音する場所とかメンバーも、まあ、本日休演周辺ですけど、僕が声をかけたりして。で、いまは小池がドラムで僕がベース…… という3人に落ち着きました。今回のアルバムの7曲は、そうやって落ち着いてから新たに録音したものです。
河内 : 実際、「さよならしたら少し死ぬ」「子ども」「街に訊く」「おっぱい目当て」は京都に越してきてから作った曲で、その他は東京時代に作った曲ですね。
──京都に移ってから、曲を書く感覚は変わりましたか?
河内 : 変わりましたね。グッとペースが落ちました(笑)。この前東京に帰ったときに思ったのは、僕、東京で電車に乗っているときに人を眺めているのが結構好きで、そういうときにパッと歌詞が浮かんだりするんです。でも、京都はそういうわけにいかない。まず電車に乗らないし、ほとんど自転車で動くじゃないですか。東京にいると電車に乗って目の前に座っているOLが楽しそうにしていたりして、そういうのが歌詞のモチーフになったりするんですけれど、京都にはそういう場面がなかなかないからモチーフも変わる。人の営みを見て想像しながら歌詞を書くことから変化してきたわけです。
岩出 : わかる。俺も京都に来て曲を作るペースがグッと落ちた。東京の方が人の生活の流れが早いからね。
河内 : 東京は逆に言えばネタが多いから音楽に真剣に向き合えなかったというのもあるのかもしれない。京都にいたら音楽に向き合うしかやることがないと言うのもある。だから東京では言葉に集中していたところもあるけど、京都ではもっと体に響かせるような音楽作りになったかな。結果的に、京都に来て友達も仲間も増えて…… それを探してきたわけじゃないけれども、そういう意味では東京で活動していたときとはぜんぜん違う環境で音楽を作れるようになった感じですね。
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──しかも、東京と京都という環境も違うし、ひとりとバンドという編成自体も違う。ひとりでやっていた頃と比べて、音楽に向き合う姿勢として何か大きな違いというのは出てきていますか?
河内 : バンドは楽しいです。いま一緒にやってる岩出くんたちもおもしろいし。もちろんひとりになりたいなという時もあります。窮屈だなと思う時もある。でも、東京にいるときは自分らしさとか自分の個性を固めてしまってたところがあるんですね。それを思うといまは柔軟になったと思います。
岩出 : ダメ感もなくなった?
河内 : いや、いまでもうだつは上がってない(笑)。敗北者の美学みたいなものを肯定したい自分はまだいるんです。でも、それだけじゃやっぱり良くないとも思っていて。ガンガンやっていきたいんですけどね。それでもうちょい曲作りも歌も冷静にやりたいなと思ったりもするんです。自分のつくった歌に入り込んでしまうところがあるから、そこからちょっと距離を置いてみたいというのがある。自分をコントロールできるようになればいいなと思いますね。
やっぱりポップでありたいですしね
──河内くんの曲やライヴは、歌の世界に没入し切っているところがおもしろいと思うんです。それを冷静に距離をとりながら…… というのはどういう感じをイメージしているのですか?
岩出 : いや、レコーディングのときは割と冷静だと思うんですよ。でも、ライヴになると弦を切っても気付かないし、タイミングがずれてても気付かないぐらいな没入をしているんです。少しぐらいならいいんですけど、ズレすぎるとこっちが合わせられなくなってどうしようもなくなっちゃう。で、またそういうときに限ってMCでなにを言ってるかわからなかったりするという。そういうのをどうしたもんかな? と思うことは多いです。でも、レコーディングはちゃんとコントロールしてやれてましたよ。ただ、歌は何回も撮り直しました。丁寧に冷静にやるだけではやっぱりダメで、曲に乗って行かないといい歌は引き出せないから。
──録音では岩出くんは河内くんにどのように指示を送ったのですか?
岩出 : 歌に関しては役を与えていくような感じで指示を送りました。このテイクはロックっぽくとか次はまた別の感じで…… とか。ただ、没入しすぎるのはどうだって河内くんは言ってましたけど、僕から見たら歌に没入したほうがおもしろいところはあるんです。もちろんライヴで演奏がついていけなくなっちゃったりすると良くないわけですけれど、でもノリが大事なのは間違ないんですよね。だから、ヴォーカルは部分的につないだりしたんですけど、最初のコンセプト…… 「ラフにやろう」というものは大切にしました。
──アレンジは誰が考えたのですか? たとえば「街に訊く」はドゥー・ワップ風のアレンジでおもしろい。「裸の夏の夜」はスウィングだったりサーフロックっぽくもある。1曲ごとにアレンジのコンセプトが明確ですよね。
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河内 : アレンジは大体岩出くんですね。
岩出 : ドゥー・ワップのアイデアも僕が出しました。ただそういう断片的なアイデアより、グルーヴという部分で僕は「黒人音楽の解体」みたいなのをひとつ自分の中で指針にしていてます。本日休演でも実践していることなんですが、それを今回、河内くんの作品にも落とし込むことができたと思います。小池のドラムはブラックなノリだし、河内くんは音頭的なタイム感で歌の輪郭もはっきりしているから、どっちみち解体しないとうまく合わない。そこがやっていておもしろかったですね。
河内 : そうだね。歌に関しては、ただそのまま歌っちゃうと普通になっちゃうっていうの、僕もわかってて。そこにブラック・ミュージックの素養があって、それをパンク精神で解体しようとする人の感覚が入ってくると、ぜんぜん違うものになるし破壊されていく。それが岩出くんだったり茅だったりするんです。演奏しててもそれはわかるんですけど、今回録音でもうまくいったと思いますね。こういう発想はひとりでやってる時にはぜんぜん分からなかったことだから。
──岩出くん、アレンジの参考にした作品などはありましたか?
岩出 : 豊田道倫&mtvBANDの『Fuckin' Great View』ですね。何をやっても曲の核が残るものにはしたかったので。あとはダムドのファースト(『Damned Damned Damned』)、ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズの『Buy』も参考にしました。ぜんぜん黒人は関係ないですが。
──ある種、すごくデッドな音ですね。
岩出 : そうです。別に僕らは黒人音楽がやりたいわけではないし、ラフな音作りをしたいというのは最初のアイデアだった。たとえば、J・ディラみたいな音は好きですけど、あれをそのままやってもしょうがないし、できない。そもそもリズムを生む身体が違う。だったらどうしようか? って考えて、自分の体内のタイム感に落とし込んでやるべきじゃないかなと思ったんです。河内くんはザ・日本人的なアクセントが頭に着くようなノリだし、生まれ持って身についているタイム感を活かしたい。それにちゃんと従って黒人音楽の影響をいかに形にできるか。そういう意味だとポストパンクの人たちの感覚に近いと思います。身体や重力に任せることを踏まえてラフにやったり粗雑にしてみることで、J・ディラのビートにはならないけれど、また違ったヨレやグルーヴが出る。僕の中ではそれが「パンク」だと思ってやってます。本日休演もそうですけど、河内くんの今回の作品ではそこが大きなテーマでもあったし実際そこがうまく行ったんじゃないかなと思っています。
河内 : たしかに僕の歌い方って結構クセがあって…… でもちゃんと歌の輪郭とか骨格がはっきりするような形にしておきたいんです。やっぱりポップでありたいですしね。そのために岩出くんがメンバーでいながらプロデュースしてもらえたのはとてもいい結果になったなと思いますね。理想的な形で最初のアルバムを作れたと思っています。
編集 : 鈴木雄希
『河内宙夢&イマジナリーフレンズ』のご購入はこちらから
LIVE SCHEDULE
2019年8月17日(土)@東京 渋谷7th FLOOR
出演 : 河内宙夢&イマジナリーフレンズ / 倉内太 / SaToA
2019年9月14日(土)@京都 西院ネガポジ
出演 : 河内宙夢&イマジナリーフレンズ / 横沢俊一郎&レーザービームス / and more……
9月16日(月・祝) 〈鴨川練り歩き企画〜アルバム・リリース記念 イン&アウトストア イベント〉 時間 : START 18:00
2019年10月13日(土)@名古屋 金山ブラジルコーヒー
出演 : 河内宙夢&イマジナリーフレンズ / テトペッテンソン / and more……
詳細は河内宙夢 ツイッターにて
PROFILE
河内宙夢(コウチヒロム)&イマジナリーフレンズ
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河内宙夢が2018年に上洛、本日休演の岩出拓十郎らとともに結成。
街の人々や個人の焦燥を歌う河内の詩情ある世界観を、ズレやヨレから生まれる軋んだパンク・グルーヴで演奏する。
豊田道倫率いるmtvBANDや山本精一、A Hawk and A Haksawとも共演する。
2019年夏、〈ミロクレコーズ〉から1stアルバムが発売。
【河内宙夢 ツイッター】
https://twitter.com/romlele21
【河内宙夢 サウンドクラウド】
https://soundcloud.com/5yz345t7xnrq