はてなキーワード: 監禁王子とは
さっきニュース見てたら前科有りの小学校教師が児童に猥褻とかやってたけど実際の性犯罪で逮捕される犯罪者ってやっぱ教師、会社役員、映画監督、意識高い系、早慶、ってイメージだよなあ。
ジェンダー平等主義者的には、「性犯罪を連想させる漫画広告を掲載するのは性犯罪を容認する社会を作る」ということらしいがこいつらが漫画やらアニメやらに影響されてるようには全く見えない訳だが、人は分かりやすいモノを叩くという哀しい習性があることを鑑みればそう不思議でもないね。まあ広告を幾ら叩いたところで教師は教え子に猥褻行為をするし、会社役員は満員電車で痴漢するし、映画監督は枕を強要するし、意識高い系や早慶は金で引っ叩くんだろうから世の中は何も変わらないのが実に哀しい。
いや皮肉ではなくて。
一昔前は壊れたラジオのように、犯罪者予備軍!宮崎!監禁王子!が二言目に来てたのに科学的根拠が皆無であることと強力効果説が否定され続けてようやく言わないようになった(未だに言ってる奴は相当ヤバい)。
代わりに持ち出してきたのが便利ワードであるところのゾーニング、TPO、公共の空間でエロ絵見せるな!である。ゾーニングは規制の一種に含まれている認識が無いとか(*1)、失礼クリエイターの如く自分に都合の良いTPOを作り出すとか(*2)、公共の定義がガバガバとか(*3)、アラは多いがTwitter de 真実症候群にはクリティカルヒットしているので今後10年は使われていくのだろう。
(*1) 言うまでもないが規制
(*2) 明文化されていないことを都合よく利用しているが、明文化されていないからこそ互いに理解し尊重し妥協点を模索する姿勢が重要
(*3) 少なくとも本屋のラノベ表紙やジャンプの内容は公共空間ではない
逆にオタクの方がアップデートできずに、まだ犯罪者予備軍呼ばわりするのかと反発していることも散見されるので注意して欲しい(恐らくゲーム障害辺りの主張が混同されている)。
A.誰も変態と呼ぶべきではないよ
良くわからないのが「世の中そうなってはいない」という事実が存在したとして、それが一体何を物語るというのだろう。
世間がそうだからといって「あなた」がそれに即した思想信条を持たなければならない理由は?
進め一億火の玉だ、お国の為に戦うぞ、というのが「世間」の風潮だったら竹槍でB29に立ち向かう訓練をするタイプだよね。
そして「それ」は現実にちょっと前の日本という国で起きた話なんだ。
戦争で日本が勝てるとか本気で思っていた国民が何割いたのか私は寡聞にして知らないのだけれども「お国」が怖くて多くの人達は従うしかなかった人もいるんじゃないのかな?赤紙、という召集令状が来るのを誰もが恐れていたのに送り出す時は涙を隠しながら万歳三唱をしていたという話はいろんな文献に載っている。
「世間」というのは、だから恐ろしい、というよりは「世間」を理由にしてはならない、と思う。ましてや「思想」を行政に委ねるなどという行為は余程慎重にしなければ危険極まりない行為だと思う。
とてもではないのだけれども「感情」によって思想を委ねるような大事なことを決定するような事は避けるべきだと思う。
勿論、「未成年者が性的な陵辱を受ける行為を肯定的に描く行為」を気持ち悪いとか怖いとか言う気持ちは十分に理解するし、そうした事を言いたかったり法の整備を願う気持ちを否定はしないよ。
個人的には他人に肉体的・精神的危害を与えない事なら何をやっても良いと思ってる。
SMだって怪我したり死んだりしなければ良いんじゃねえのと思う。八王子の監禁王子の裁判がこないだ開かれて話題になっていたけれど、ドアを部屋の中から出られないようにしてるとかは流石にどうなんだろうねえ、と思う。檻に閉じ込めるプレイはあるけど何日も監禁するのは流石にどうよ、と思うからね。余程当事者同士の了解がなければやったら裁判になる事だってあるでしょ。
小学生の女の子が30歳の年齢差がある男の人と恋愛沙汰になっていいかについては法律云々を除外して考えるなら精神的に未発達な部分があるからもう少し待ちましょう、としか言いようがない。日本国籍を所有しているなら16歳になれば婚姻出来る。
逆に言うなら16歳で婚姻出来るのに18歳未満の「未成年者」が性行為をする事は法律で認められているにも関わらず、その表現を抑止しようとする合理的理由が説明されていないのは謎といえば謎だよね。
で。同性愛。まー、釣りで書いてるのかなって思うけど、これは趣味とか嗜好とかじゃなくて生まれついてのものだから。中には思想的理由から同性愛に走る人もいるんだけれど、同性愛というのは左ききとかと一緒で「なおす」とか「かくす」ものではないし「いけない」ものでもない。個人的にはスカトロだろうがSMだろうが隠さなくたって良いと思ってるし、私も散々はてなダイアリで書いて来たように女装をして外出とかしてた人間なんだけど、恥というのは「世間」という構造が産み出したものであり、その世間というのは何処に存在するかというと「人からどう見られているのか」という眼差しそのものであり、結局は「私を眼差す私」なんだって事に気づいたりする。それを「世間」という存在するかしないマジョリティに肩代わりさせて言ってるに過ぎないって思ってる。世間という曖昧もこもこな、それこそ非実在世間とでも言えば良いんだろうか、「みんながそう言ってるから」っていう「みんな」って誰と誰と誰なんですかって話なわけで、そもそも数的に多かったら正解なのかとか従わなければならない具体的根拠は何よって話なわけですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100324111235に「感情論で人を裁くのか」という話が書かれているのだけれども感情で人を裁く事があるという事実をもってして、気持ち悪い、怖いという「感情」で思想を法の下にひざまずかせて良い根拠にはならないと思うよ。
気持ち悪いとか怖いというのは個人の価値基準でしかなくて、それを言い出したら「怖いというあなたが怖いので、怖いというのをやめてください。そうしないと私の恐怖を取り除く事はできません。どうしてもやめないのなら法にするべきです」と言ってしまう事だって出来るでしょ。
先ず、いろんな「人」と逢い、話を聞くこと。趣味や嗜好以外の「人」の部分で話し合えない人というのは殆どいない。
少なくとも私は出逢った事はない。
大抵の意見の相違は「ぼたんの掛け違え」を超えるものではない。人はそれをエゴと呼ぶ。
例えば私はうんこは食わないし、食いたいとも思わない。目の前でうんこを食うプレイを見たいとも思わない。
同じように「未成年者が性的な陵辱を受ける行為を肯定的に描く行為」を見たいとも思わないし、極端な話そんな描写満載の漫画とはこの世の中から抹殺されてしまっても構わないとすら思っているよ。
だけれど東京都((ではなくてもどの行政でも良いけれど))が「法律で」表現に対して「あれは駄目、これはオッケー」と決めるのってどうなんだろうね、本当にそんな事をして良いの、という疑問がある。だからちゃんと話しあおうぜ、というのが私の考え。
個人的には子供にロリエロを見せる事はないでしょう、と思うんだけど、じゃあビニール袋に封入したらロリエロ野郎が減るわけじゃないよね、とも思う。ロリエロ読めないと犯罪しちゃうぞゲヘヘヘヘって言うわけじゃなくて、増える事はないかもしれないけれど減る事もないんじゃね、と思う。規制されたら減りましたとか増えましたって数字は知る限り存在しなくて、じゃあ規制しても良いだろって事を言い出す人もいそうなんだけど規制しても「隠される」だけで、まあそれで安心っていうのはなんか変な話っていうか、臭い物に蓋をしたらもう安心みたいな何も解決になってないじゃんっていう。まあ解決しようもないんだろうけれど解決しようもない事にわざわざ法律という網を被せなければならない理由が「怖いキモい」はどうなのかなあ、と思うし、エロロリにビニール袋被せても状況は変わらないと思うよ。ハレンチ学園は禁止にならないって話もあるように絶対「漏れ」る表現が出て来て、じゃあそうした「漏れたもの」を見て不快に思ったらどうするの?規制強化を訴えるの?その先にあるのは何?って思わないのかな、思わないか。
で。ちょっとだけ寄り道的に自分語り。
私はローマンカトリックをあつく信仰している両親の元に生まれた。
従って幼児洗礼を受け、物心ついた頃には「日曜には教会にいくもの」と決まっていた。
キリスト教の事について知らない人もいると思うけれど、当たり前のように東京都の青少年うんたらなんかよりずっと厳しい戒律がある。知ってる人もいると思うけど「汝、姦淫をするな」というアレね。
まー、アレはモーゼの十戒って奴でキリスト以前に存在した言葉なんだけど、って話をしはじめたら長いんで省略するんだけど、「汝、姦淫をするなかれ」の「姦淫」をどう定義付けるかというのかって言う話なんだけど「結婚したら貞操を守れ」とか「レイプすんじゃねーぞ」って思われてるかもしんないんだけどそうじゃなくて結婚する迄貞操を守りましょう、一度相手を決めたなら、他の異性を性的な眼差しで見たり、あるいは心の中で「良いな」と思ってはならない、というのが「姦淫するな」という事です。
結婚する迄貞操を守れとかって、某掲示板の人達が手を叩いて喜びそうだけど、じゃあ「あのコかわいいな」ってちょっとでも思ったら姦淫の罪っていうのも大変だよね。でもまあそれが当たり前だと思っていた私にとっては助平な話をするクラスメイトとかその手の本を持ってくるクラスメイドが大嫌いだったし憎んでもいたし反発もした結果、いじめを受けた。
で。18歳になるくらいまでこうした事の意味がわからなかったりしてロクに友達も出来ない儘、図書館にある本だけが自分にとっての情報源だったんだけど((私が子供の頃はインターネットなんて存在しなかったからね))、いろいろと読んでいるうちに「自分の考えは間違っているのではないか」と思うようになった。
その理由の一つに「自分は左ききである」というのが起因している。キリスト教は特段に左利きに対して定めているわけではないのだけれど「神の偉大な右の手」みたいなフレーズが出てきたり十字を切るとか聖体拝領とかを左手でやると物凄く怒られたのね。自分はだから、自然に左手を使ってしまう自分を「悪い子」だと思っていた。
そんな体験を持つ私が敢えていう。思想信条は国家が抑制してはならない。どんな神を信じるのかが自由であるのは、神を信じない自由が保障されてこそなのだ。あなたはキリスト教を信じる事が法律で決まったら、それに従うのだろうか。こういう書き方をするとキリスト教を馬鹿にしていると思う人がいると思うのだけれど、決してそうではない。私の父はキリスト教と共に生き、教会とともにあり、キリスト教に多くの貢献をし、多くの人に愛されながら逝った一人だからである。私の父は父なりの人生を歩み、幸福であったと確信している。
しかし、父は父、私は私なのである。
それぞれの人生が異なるように、何を信じ、何を信じないのかを決めるのは、その人に委ねられるべきであり、決して行政の手に委ねられてはならない。
さて。私は自称売れない絵描きとプロフィールに示している、利害関係者の一人だからポジショントークだと言いたい人もいるらしいんで、可能な限り利害関係にないと思われるところから発せられている反対表明のリンクを書いてこのエントリを締めたいと思います。勿論、下記のリンクを示す事が私の言説の正しさを示すものでも、未成年者児童に対しての表現抑制を主張する人の意見が間違っている事を証明するものでもありません。単純に「こういう人達が、このような立場から意見を表明している」という事実を示したうえで「どう考えるのか」を皆さんが考える一助となれば、と思い、示しています。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/100318_3.pdf
日本弁護士連合会による反対表明。
http://www.jla.or.jp/kenkai/20100317.html
http://miau.jp/1268478000.phtml
miauによる反対表明。
http://nbi.sfc.keio.ac.jp/files/statement_20100312.pdf
ネットビジネスコンソーシアムによる反対表明。
プレイしたことないんだったら、一度プレイしてみることをオススメする(『姫騎士アンジェリカ』あたりがオススメ)。
多分、あまりの非現実性に笑うと思うんで(レイプという言葉を聴いただけで卒倒するような人はやめておいた方が賢明だけど)。
いやマジで、エロゲのレイプシーンより、2時間サスペンスドラマのレイプシーンとかのがよっぽど強烈でトラウマ刺激すると思う(アレも物語上の必然を装ってはいるけど、結局は視聴者のポルノ的欲求を満たすために入れてるわけだし)。
だからあれを現実にトレース可能だと思うのは監禁王子みたいな極めつけのバカだけで、その手のバカは結局のところ何を規制しようが発生してしまうんだから、規制しても意味ないんと思うんだよね。
だから監禁王子はSとして失格っていう話なんだと思うんだが、さっきから監禁王子をSの代表みたく語られるのは、多分誰にとっても得の無い主張だと思って聞いている。