はてなキーワード: OA機器とは
契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369
いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和の契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。
そもそも現代の契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったからなのだ。
なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ。
契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。
ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。
でもこれちょっと無理やりだと思わない?
実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎が廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。
そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。
「ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。
なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。
戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。
そもそも「謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本を請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。
こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所や弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。
コンピュータで印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。
だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタはラインプリンタが主流だった。ページプリンタはDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的なOA機器メーカーはラインプリンタしか製造していなかった。
ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である。
ラインプリンタの場合、印刷の区切りが一行づつになっていて、プリンタに印刷指示が送られるとそのテキストを印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。
だから票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。
また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトやパイプ(|)でデバイスファイル(lp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。
ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POSで印刷されるレシートはラインプリンタの生き残りだ。
プリンタの印刷方法はインクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。
だからカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。
一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段のオフィス業務はコンピュータ+ドットマトリクス、文書の清書はワープロというのが一般的だった。
これで法的文書もワープロで作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。
今でも弁護士の文書で表題に倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。
これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネットに接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。
その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。
因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。
この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士、弁護士など気合が入った士業と法務局、裁判所など気合が入った役所、気合が入った大企業の契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。
というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータのプリンター史が隠れていたのであります。
昭和日本ではオフィス用紙も法的文書も原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所の判決文でも全てB5だ。
だが1990年頃に役所関係の書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカはアメリカンレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。
これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。
世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。
今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷が一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的な場所で使う」紙だった。
先述の手書き&ワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。
これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。
トレーシングペーパーやクッキングペーパーと同じだ。
また、請求書類の封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。
公的書類でカレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田は羊皮紙の代替ではないかと考えている。羊皮紙は中世の欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV
鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族の手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。
これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラなカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。
こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。
なお、トレーシングペーパーやクッキングシートは長期間放置するとバラバラに崩壊してしまう。これは硫酸で晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。
知り合いから「友達が学生バイトを探してる」と連絡され、連絡先を教えると数人いるLINEグループトークにて会話となり、担当者からZoomで詳しい話をしたいとのことで空いてる日を聞かれた。その時暇だったので二十分後にZoomをつなぐことになった。
「どこまで話聞いてる?」と切り出されるもバイトを探している、としか知らないと伝えると、「仕事の内容というのが、携帯の契約の営業なんです。」と言われた。
この時点で非常に怪しかったので後で見返せるよう即座に録画開始。話を聞いていくと以下のようなことが分かった。
・ahamoと業務提携をしており、そこの契約を友達などに紹介する。
・担当者の所属する会社(Aとする)の親会社(Bとする)と業務委託契約を交わす。
・ノルマはない
業務委託契約であるという話と、営業するのにノルマが設定されていない、という話でいわゆる友情商法ではないかという疑惑はほぼ確信となっていた。
Zoomでの会話が終わった後にB会社の代表と面談をすることとなり、その翌日に事務所へ向かうことが決まった。話のネタにはなるだろうと行くことを決意した。
事務所に向かう前に調べられることは調べておこうと、いろいろ検索開始。
まず、国税庁法人番号公表サイトにて、A,B二つの会社を調べてみると、Aはそれらしき会社が見当たらなかったが(口頭で伝えてたので表記揺れの可能性有)、親会社Bを発見、所在地も教えてもらった事務所の場所と一致する。
よくそのページを見てみると親会社Bは数年前に社名を変更しているようで、旧社名でググってみると回線の押し売りで有名だった。
また、LINEグループのメンバーの名前でFacebookとInstagram一通り検索したところ、面談する予定の人のFacebookページが見つかった。遡ってみると回線契約の本数で受賞しているようだった。
一通り調べ終えた後、信頼できる友人二人に「この時間になっても連絡返ってこんかったら」と、「夜飯どうする?」の答えに「米以外」と答えたとき通報するように連絡をした。(筆者は無類の米好き。)
また、ズボンのポケットと靴の中敷きの下に現金を仕込み、財布から必要な金以外のカード類をすべて抜き、緊急事態になっても財布を捨てて帰れるようにした。
到着二十分前に「二十分後につきます」とLINEを入れるも返事はなし。レコーダーのスイッチを入れる。
時間になり事務所に入ると、昨日Facebookで調べた人が出てきた。ノーマスクで。会話中も横を社員の方々が通ったりしたが全員ことごとくノーマスクだった。
結果的に話は一時間ぐらいで終わったが、そのうち四十分ぐらいは向こうの一方的な自慢話とか働くことの利点の話をしていた。
曰く、
・サロン、バー、オーダーメイドスーツ、OA機器など幅広く手掛けている。
・前はソフトバンクと仕事をしていた(携帯本体の契約の仕事)。
・タワマンに住んでいる。
・日本で唯一のahamo代理店。任せてもらって契約をしている。
・営業のスキルだけでなくマネジメントのスキルも得られて、就活で有利。
・事実自分も就活の時ディスカッションで無双できて、十社以上から内定をもらった。
・実家が裕福でくいっぱぐれることは無いが、自身のスキルアップのためにここで働き始めた。
自慢話の後は筆者自身の夢だとか目標(どれぐらい稼ぎたいか)を聞かれた。適当に答えるも「金はあるだけ欲しい。」と言ったところ向こうの琴線に引っかかったらしくそこから推され「向いてるかもしれない。」と言われた。
筆者が少しでも金に貪欲であるような素振りをしたら嬉しそうに話していた。
また、いろいろ質問もした。
・ノルマが無いと聞いたがそれは本当か?
→「ノルマは自分で設定する。そのほうが責任をもって仕事ができる。」
→インターン。
・客はどうやって捕まえる?
→「友達であるとか交流会、マッチングアプリなどから紹介する。また、docomoとのコンプライアンス上の理由により、InstagramなどのSNSで宣伝することは禁じられている。」
回線代が安くなってお得なのならばなぜ大きく宣伝してはいけないのだろうか。なにか知られるとまずいことでもあるのだろうか。(すっとぼけ)
この質問をしている時点で筆者は二億%ヤバめの会社であると確信したので「家帰って相談させてもらいます。」と言って帰宅。
その後ahamoに「Bという会社の営業から『ahamoから業務委託を受けて契約を紹介している』との話があったが、それは事実か」と問い合わせたところ、「Bという会社が関りがあるという内容は当サポート内で情報がございませんでした。」と返事があった。
そして、最初に紹介してくれた知り合いがA,Bと関りが無いことを確認し、ことの顛末を伝えた後、LINEグループを退出し、会社関係者全員をブロックした。
パソコンが全くない時代は知らないけど、パソコンが部署に1台とかの時代に就職した。
うちの業界は機械化が早くから進んでいたが、昔の時代の機械投資が大きかったせいもあり、パソコン等のダウンサイジングされた
OA機器が導入され始めたのはWindows95以降、一人に1台配布されたのは21世紀になってからだった。
といっても、業務効率化のために使ってるのは1日のうちのほんの少しであり、あとはパワポやエクセル方眼で資料を作ったり、
相手先への文書の清書をするための機械としてしか使っていない。鉛筆と消しゴムより時間はかかっている(完成度は上がっている)。
効率が上がっていないということはないが、パソコンならではのことをしているのかというと疑問だ。
もちろん電子メールやインターネット、共有ファイルサーバは確かに便利で恩恵を受けている。
問題は、仕事の仕方がパソコンがなかった時代のやり方にあまりにもこだわり続けていることだ。
パソコンのない時代はどうやって仕事してたの?ではなくパソコンを使ってパソコンがない時代と同じような仕事をしている。
非効率の極み。
辞めてから数年、もう時効だと思うので、情報システム担当(社内SE)として勤務していた会社での「不本意だった仕事」について書いてみる。
「年賀状を印刷したいんだけど、やり方がよくわかんないんで教えて?」とか「新しいパソコンを欲しいんだけど、○○さんのお勧めってある?」とかの質問くらいなら、仕事中の雑談レベルで答えられた。
だが、自宅用のノートパソコンをいきなり仕事中の私の前に持ってきて、「なんか変なのが出るんだけど」とアダルト広告表示マルウェアに感染した画面を見せられたときは、仏の○○と言われていた自分もさすがに青筋が立った。
「息子がいじってたみたいでさ、もう高校生だからこういうの興味あるのかな」などと言っていたが、それにしては人妻熟女系の広告ばかり表示されていたのは、そういう趣味のご子息だったのだろうか。
そんな社員の一人が同業他社に転職したことが判明すると、その社員が使っていたパソコンを調べて機密情報を横流ししていないかどうか調査せよという社長命令が下った。
確かに情報漏洩対策として導入した資産管理ソフトだけど、本当にそういう目的で使うことになるとは思わなかったな…と、辞めた社員ともそれなりに親しかった私は複雑で心が重い気分だった。
結果として情報流出はなかったのだが、辞める前のネット検索の履歴に「退職 円満」「労働基準監督署 契約 異なる」などとあって、暗い気分になった。
導入した基幹システムのトラブルが短期間に相次いだため、開発を行ったSIベンダーを裁判で訴えることになった。
ちなみに、現場担当者の私としては、トラブルが多かったのは事実だがSIベンダーの対応は誠実であり、解決に向かう道筋も見えている状態で、責任や費用を云々するよりもまず協同して安定稼働に持っていきたいというのが正直な思いだった。
だが、そうした状況を社長に理解してもらうことができず、社長はSIベンダーを訴えた。もちろん訴えるまでにいくつかの段階を経てはいるのだが、私としてはいつのまにか裁判が決まってしまったという印象しかなかった。現場の言い分を聞く前にいきなり社長がSIベンダーに怒鳴り込んだ、という感じ。
そして私は、裁判に際して、基幹システムがどのようなトラブルでどれくらい停止し、それによって本業にどれだけの損失を与えたか、という資料を作るはめになった。
そうしている間にも基幹システムのトラブルは収まらず、その対応に追われながら(しかも裁判のおかげでSIベンダーの手を借りることも難しくなり)、1ミリも本業に関わらず1円の儲けにもならない資料を黙々と作成するのは苦行であった。お世話になったSIベンダーの担当者の顔が思い浮かび(もちろん彼らとは裁判以降縁が切れてしまった)、心苦しさでいっぱいだった。
自分アラフォーだけど、いきなり新しいマシーンを使いこなせと渡されたら、別のいろんな業務と並行しつつ、使いこなしまで行くのは結構大変かもしれないと思っている。年取るって辛い…
アラフォーの自分は、大学時代からPCを普通に使ってはいたデジタル耐性がある世代ではあるけども、そもそもキーボードやデジタル機器への耐性がない世代だと、尚更きついと思う。
職場で見ていても、55、6ぐらいがデジタルOA機器への順応度に大きく差が出てる感じがする。もともとコンピュータ興味があったおっさんは対応力が高く、そうでもなかったおっさんは研修やら実務での使用やらいろいろ経た今でも割とアレだったりする。