2人きりのときに「神宿にコミットしてほしいです」と提案されました
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──そもそもの話なんですけど、柳瀬さんが神宿に関わるようになったのは何がきっかけだったんですか?
柳瀬:以前、僕はバンドをやっていたんですよ。年間150本ほどライブをやったり、いつかはグラミー賞を獲るという夢を持ってアメリカへレコーディングしに行ったり、積極的に音楽活動をしていて。ところが2014年にバンドのボーカルが失踪してしまった。
──めっちゃ大ピンチですね。
柳瀬:ボーカルがいなくなって、一時はダフト・パンクみたいな活動をしていこうと話していたんですけど……とはいえじゃないですか。それだけだと音楽で食べていけなかったので、企業のパーティに参加して、いわゆる生演奏カラオケみたいなバックバンドをやっていたんですよ。それで色んな金融関係の方と出会って、そのうちの1人が「これからのアーティストはビジネスが出来ないと、やっていけないと思うよ」とアドバイスをもらいました。「ライブハウスって飲食業だから、色々とビジネスのいろはを学べると思うし、チャレンジしてみたら?」と言っていただけて。ありがたいことにお金まで融資してもらい、2015年に駒沢STRAWBERRY FIELDSというライブハウスの経営に参画するようになったんです。のちに株式会社楽響というアーティストのプロモーションを支援するエージェンシーを起業しました。
──そのライブハウスって、規模はどのくらいなんですか。
柳瀬:キャパ100人のかなり小さいハコでした。しかも100人キャパを間引いて、座りで40人キャパにしたんです。なぜ、その規模にしたのかと言うと、100人キャパのライブハウスで、まるまる100人のお客さんが入るのって月1回か2回ある程度なんですよ。それなら内装を綺麗にして、シンガーソングライターの方とか、これからのアーティストを応援するためにノルマもナシでやろうと。そんなある日、とあるアイドルユニットがライブをやってまして。その場にいたスタッフが「すごい面白かった!」と興奮していたんです。僕も観に行ったら、当時はお客さんが10人くらいしか集まっていなかったですけど「これはすごい!」と。
──そんなに良いライブをしていたんですか。
柳瀬:「これは早々に武道館規模まで行っちゃうだろうな」と思って、すぐ彼女たちの親御さんにアポイントメントをとって。ユニットの状況を聞いたら「まだマネジメントやレーベルなど、どこからも声がかかってないです」と言われたので、「じゃあ僕がお手伝いします」と言いました。それが初めてアイドルと仕事をするきっかけです。まずは1000人のハコでやることを目標にしたんですけど、後ろ盾がないから借りられないということで、赤坂BLITZを押さえてワンマンを開催しました。イベントの準備もそうですし、取材を組んだり、そんなことをやらせてもらって。
──話を聞いてると、かなり順調だったように思いますけど。
柳瀬:……それからが色々とありまして。衣装代とか会場費とか数百万単位でお金を立て替えていたんですけど、メンバーの親御さんから「すべて柳瀬さんの奢りだよね?」と言われたんです。その時、これは続けていくのは難しいなと(笑)。
──親が間に入ってお金で揉めるパターンは、よくありますよね。
柳瀬:「だって好きなんでしょ?だったらお金はそっちでしょ?」みたいな感じだったんです。しかも全ての関係者にそういう態度をとってて。実は、大手レコード会社からCD発売をする話まで決めていたんですけど、ことごとくポシャってしまい。歌唱印税って通常1%じゃないですか?その歌唱印税に対しても「1%は詐欺だ」と言うことで大騒ぎになり、最終的にはプロレスかの如く燃え上がるみたいな(笑)。
──トラブルがどんどん大きくなって。
柳瀬:直接会話するのはキツいと思ったので「弁護士同士で話しましょう」となって。なんとか和解をして、そのアイドルユニットのマネジメントから離れたんですよ。
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──神宿はどのタイミングで出会うんですか?
柳瀬:そのトラブルが起きる少し前、僕がまだアイドルユニットのマネジメントをしている時に対バンで神宿と出会ったんです。北川さんと僕は同じ大学(慶應義塾大学)だったのもあり、「話が合うと思うよ」と舞台監督の方が紹介してくださって。次の日には2人で食事へ行くようになってました。北川さんはアイドルグループに関して言えば、僕よりも知識がある。逆に、僕は楽響でエージェントもやっていたのでプロモーションやマネジメントに関しては知識があった。「チケットの売り方」「ツアースケジュールの組み方」「プロモーションの方法」など色んなことを情報交換したり、要所要所でお手伝いをしてました。それはお仕事というより、プライベートの関係で応援していたんです。そして2016年12月、僕にとって大きな転機が訪れまして……沖縄に移住したんですよね。
──沖縄に住んでたんですか。
柳瀬:当時、自分のやっている会社の仕事量があまりにも多すぎて、寝る時間もないくらい働きまくってました。ふとした時に「自分の人生はこのままで良いのか」と思っちゃったんですよね。そんなタイミングでたまたま沖縄へ旅行に行く機会があって、なんの気なしに内見をしたんです。気付いたら誰にも相談せずに、その場で申し込みをして移住を決めてました。
──えー!旅行に行って、そのまま引っ越しを決めるって聞いたことないですよ(笑)。
柳瀬:沖縄から東京までの飛行機代ってそんなに高くないですし、家賃も同じ金額で倍ちかく広い家に住めますし、かかるお金はトントンじゃないかと。それにアーティストとの仕事自体、どこが拠点でもあんまり関係ないですし、全然やっていけると思って移住しました。で、移住して間もなく日本財団さんと海洋連盟さんが運営している「うみぽす」の撮影で神宿が沖縄に来たんですよ。その時に北川さんが「ちょっとお話しできますか」と声をかけてくださって、2人きりのときに「神宿にコミットしてほしいです」と提案されました。
──その時、柳瀬さんは沖縄に住んでいるんですよね。
柳瀬:「それは大丈夫です」と言われましたね。それ以上に不安だったのが、先ほどお話しした通り、前にトラブルがあったので「未成年の女性アイドルのマネジメントは自信がないです」と伝えたんです。彼も一連の出来事は知ってるので「それも全然大丈夫です。コミュニケーションは僕に任せていただいて、プロモーションや戦略的なところでコミットしてほしいです」と言っていただきました。それで2017年から神宿のプロモーションやライブ周りでコミットをすることになって。
──ご自身が代表を務める楽響はどうされたんですか?
柳瀬:一緒にやってくれている方に業務を引き継いだり、徐々に僕が受ける仕事を減らしていきました。関われば関わるほど神宿の可能性を感じていたので「いつか国民的なアイドルグループになって活躍する姿を見たい」と思うようになって、ほかの仕事はかなり絞るようになりましたね。
──今はどうなっているんですか。
柳瀬:神宿とは徐々に関わる領域が広がっていって、去年の春ぐらいから会社の経営体制の話を進めていました。10月頭から正式に株式会社神宿の代表取締役に就任することになりました。北川さんは新規事業を進めたい意志もあったので。僕が神宿の事業にリーダーシップをとって進めていくことになりましたね。