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「着物」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 着物とは

2025-01-17

ある日、東京の古い下町にある小さな時計屋で不思議出来事がありました。店主の田中さんは、修理を頼まれた古い懐中時計を開けたとき、内部の歯車の隙間から一枚の古びた写真が出てきたそうです。それは昭和30年代の浅草を写したもので、着物姿の若い女性が微笑んでいました。

田中さんはその写真を見て懐かしさを感じ、近所の古老に見せてみることにしました。すると驚いたことに、その女性を知っている人がいたのです。その方の話によると、彼女は当時、浅草で人気のあった寄席三味線を弾いていた芸者さんだったとか。

その後、田中さん写真の持ち主を探すため、懐中時計を修理に出した客に連絡を取りました。その客は横浜古道具屋で時計を見つけ、気に入って購入したそうです。写真存在は知らなかったと言います

興味を持った田中さんは、休日を利用して横浜古道具屋を訪ねることにしました。店主の話では、その時計10年ほど前に、ある老紳士が持ち込んだものだそうです。その紳士は、戦後まもなく浅草写真館を営んでいた方の息子さんだったとか。

写真は結局、元の持ち主には戻らなかったそうです。しかし、田中さんの店には今でもその写真が飾ってあります。時々、古い浅草の思い出を語りに来るお年寄りがいて、写真女性にまつわる様々な話を聞かせてくれるそうです。

その中には、彼女戦後の混乱期に多くの孤児たちを助けていたという話や、後に海外に渡って音楽家として成功したという話もあります真相は分かりませんが、今でも浅草の古い喫茶店では、彼女三味線音色を覚えているお年寄りがいるそうです。

やばい

人は良いけどリテラシーの無い善良なタイプ中年・老人が好みそうな嘘エピソードを延々と製造できるプロンプトを作ってしまった

2025-01-15

anond:20250115141859

昭和デパート火災事件

飛び降りると着物がめくれちゃうから焼死を選んだ乙女も多く

この事件きっかけにみんなパンティを履くようになったらしいよ

2025-01-14

今年も四天王寺どやどやに行った

どやどやとは「男子高校生ふんどし足袋だけ身につけたほぼ裸の格好でうろつく祭」だ

男の先生とかも同じ格好してる

コロナの時期に3年中止していたが今は復活

この寒い時期にほぼ裸でうろつくが、裸でもみくちゃになった体は熱を発し、裸のおっさん若者たち冷水ぶっかけると湯気が生じるのがウリだ

まだまだ子供っぽいガリガリの子、十分鍛えられて腹筋が割れ腕もムキムキな子、ぽっちゃりな子、色んな子がいる

若者たちがやるのは上空からばらまかれるフダの取り合いなのだが、会場が長らく工事中なので会場の前でやっててちょっと趣がない

ぷりっぷりの高校生の肌やむっちりしたおっさんの肌をいっぱい見て元気が出た

大阪1月といえば、福娘とどやどやだった

福娘きれいな独特の着物を着て正月だけエビス神社に使える巫女さんのようなもの

無料で撮り放題の存在だったが、今年から撮影禁止になってしまった

男成分はどやどやで大量にチャージできたが女成分が足りない

もうアイドル撮影会とかに行くしかないのか?

2025-01-13

anond:20250113072211

増田もお気づきのとおり、くっそ高い家賃と極僅かな来客を待って着物で突っ立ってる受付を無くせば同じ利益でも半値で出せるよ。

からそういうもの価値を見出す人には適正価格に見えるだろうし、価値を見出さない人には無駄に高いように見える。

成人式の直前に行った美容室施術ミスボロボロに、って

そりゃたしかに気の毒だけど、マンガで読むにはいまいち弱いのよ

一応死んだ母の形見着物で、という重みづけもあったけども

一生に一度の成人式だとか、思い出の◯◯が、って、どうしてもお気持ち問題になってしま

あのマンガは実話を元にした奇跡的な恋愛譚、としてのまとめ方だったけど

それよりは、美容室施術ミスを具体的に説明したり、ミスした施術訴訟に向けての資料作成などの段取りなんかを詳細にしてくれたら、興味深く読めたのにと思う

偶然出会った腕もよく誠実な美容師に助けてもらって結婚しました それが楽しめる年代向け

2025-01-10

十日戎撮影禁止になった

大阪には十日戎(とうかえびす)という行事があり(他の地域にもあるらしいがここでは大阪)、1月9-11日に福笹と称される笹が神社で配布され、素笹を持って帰ったり2千円ぐらいのめでたい飾りを買ってジャラジャラつけて持ち帰ったりする

これにより福を得られて金運が良くなるとされ、大量の屋台が並びにぎわう

金運に興味のないカメコたちも全国からまり福娘」を撮影するのが恒例だった

福娘とは、笹や飾りを授与する娘さんのことだ

正月巫女みたいなもんだが、独特の着物を着て清廉でありがたい感じがする

容姿の良い若い処女けが福娘に選ばれ、そこからアナウンサーになったりと、有名になりたい関西美女登竜門の一つになっている

自由撮影し放題だったのに、今年から撮影禁止

飾りを購入する際に「撮影してもいいですか?」と聞いて許可してくれる子だったら許される程度

当たり前のマナーといえばそうだが、今までは撮り放題だったのに悲しいもの

ただでさえ人が多いのに立ち止まって粘って撮影する者が多かったので仕方ないだろう

2025-01-09

最近の子って何で簡単犯罪に走るんだろうな?

千葉広大が高齢女性へのひったくりを繰り返して逮捕された。

Wingsからヴェルディユース専修大サッカー部に進み、イケメンパリピで、インスタでも海外写真着物写真デート写真など金に困った様子がない。

卒業したらそこそこの所に就職もできたろうに、何で全部パーにするのかな。

2025-01-06

女体の表現はしたいが、病気でやせ衰えた死者は表現したくない

捨てられる遊女の遺骸がどんな有様だったか、それをリアルに描く気は無いのに、裸体だけはきちんと人間を使ってやりたかったんだ。

それでも、本気を感じる!とか言う話になるんだ…

時代劇ってわざとメイクで顔を汚したりぼろぼろの着物採用した普通にしますよね。

から余計「なんで???」ってなるんですよね。

なんか金融機関女性行員が着物接客してるいうニュースがながれてきたけど

女性だけ着物着させるのは炎上しないの?

2025-01-03

「検針」って仕立てた着物の中に針が残ってないか調べるのが由来なんだって

知らなかった!

昔は一回仕立てた着物をほどいて洗ってまた仕立てたりがよくあったらしいよ!

2024-12-29

年末年始の謎の一体感日本人アイデンティティーが爆発する

年末年始雰囲気が大好きだ。

28日は仕事納めで、大晦日紅白を見ながら年越しそばをすすり、寺の除夜の鐘を聞いて、

年が明ければ、初日の出を見に行き、年賀状が届き、神社初詣テレビではタレントが紋付き袴と着物を着て大はしゃぎ。

コンビニも休業にするのではなく、元旦から通常営業和風音楽を常に店内に流し、

家電量販店では福袋を売り出すところに資本主義にそまった日本を感じる。

成人式に参加した女性レンタル振り袖を着て街を歩き、海外日本って変だよねってネットニュース記事になって正月が終わる。

除夜の鐘初日の出以外はビジネス化してるんだろうな。

2024-12-25

自衛隊キッショ

おまねこ燃えているが

巨乳着物などの描き下ろしも明らかに女だが男と主張

おまねこの好物はいなり寿司とポンチキ

男ですがぁ?(・∀・)ニヤニヤ

おまんこではなくて地名由来の名前ですがぁ変態ですかぁ?

いなり寿司とポンチキはただの食べ物ですがぁ?

下半身裸の動物キャラなんかたくさんいるのにどこがエロいんですかぁ?ドナルドダックエロいんですかぁ?

的な事を言いたくて作ったキャラなんだろうなってのが透けて見えてとてもキメェ

2024-12-15

AIによるテクノ徳川構想

豊臣秀吉の死後、徳川家康による天下統一が「鎖国」へと傾くことなく、逆に世界への積極的進出を是とした場合――いわば「海禁令なき日本史」――をSF視点思考してみましょう。

歴史的分岐点

関ヶ原合戦後、徳川家康中国朝鮮半島東南アジアとの通商制限するどころか、秀吉の「唐入り」を反省材料としつつも、戦略的海上拠点の確保と国際交易自由化へ舵を切る。その背景には、ヨーロッパ勢力ポルトガルスペインオランダイギリス)との接触から得た「大洋航行技術」や「新型火砲技術」の獲得、さらにはインド洋交易網へ参入し莫大な富を得ることが狙いとなる。

初期展開

17世紀前半、日本は大量の木材熟練した船大工技術を駆使し、当時としては極めて進歩的な大型遠洋帆船「泰和丸(たいわまる)」型を量産する。これらの船は紅毛人(欧州人)らがもたらした航海術や天文学的知識を吸収し、独自改良を加えた航海儀器(和算干支暦に基づく天測計測装置)を搭載。日本東アジア東南アジアインド洋わたり、広大な貿易ネットワーク確立していく。「天下布船」を掲げる海上商人連合幕府公認の下、香辛料、絹、銀、鉄砲陶磁器、各地の工芸品の交易を増幅させた。

技術革新と「テクノ徳川」構想

17世紀後半には、欧州から取り入れたガリレオ望遠鏡オランダ医学幾何学書などを独自発展させる動きが加速する。商人学者職人が一体となり「長崎天文局」を設立。ここで彼らは暦改革大洋航海ルートの正確化に努め、さらには海上風力と地磁気活用した新型羅針儀、果ては初歩的な蒸気機関をも視野に入れた研究を進める。これが18世紀以降の「テクノ徳川時代の幕開けを告げた。

世界との相互影響

日本海軍は急速に巨大化し、艦隊琉球台湾フィリピン方面へと進出。現地の政権との婚姻同盟や商館設置で軋轢を抑えつつも、海洋ルート上の要所を押さえ、いわば「アジア海洋連邦」の中核を成した。この連邦言語宗教が多様な中で、文禄・慶長の役以降、「他者理解」を標榜する儒学者神道家キリスト教徒が集い、相互通訳機関翻訳院の設置などを推進。また欧州列強日本との交易を重視し、オランダ商館が江戸湾に拡大設置され、ヨーロッパ科学印刷術、初期産業革命技術流入。結果、日本製の「機巧船」や「からくり式自動航海補助装置」が発明される。

19世紀、蒸気と電気夜明

こうした流れで19世紀突入すると、「蒸気機関搭載外輪船」や「初歩的電磁通信機(エレクトロのろし台)」が欧州から技術供与と国産研究からまれ幕府と諸藩はこれを積極導入。日本環太平洋からインド洋さらにはアフリカ東岸まで交易範囲を拡大、アジアアフリカ航路安全通信網を独自整備する。世界的には英国仏蘭西スペインポルトガルなどが植民地競争を激化させる中、徳川幕府あくまで「海の道」を軸に、中立的商業帝国としての地位確立。これにより、東西の知が日本国内で混在・再構築され、画期的な「日欧中印」四極学問交流体制が成立する。

20世紀以降のSF的飛躍

この歴史線上では、蒸気船から電気船、そして反重力航行理論ヘリウム浮揚型船舶技術を経て、電磁的浮揚技術20世紀初頭に確立)へと進化が続く。バイリンガル学者技術集団江戸に集い、「空中商館」と呼ばれる浮遊式交易拠点インド洋上に浮かぶ架空都市として計画され、極東から中東地中海まで「日出づる国」発の浮遊艦隊航行する。「サカイ(境)なき海」の概念が生まれ、海はもはや境界ではなく、文化技術が結合し、東西日常的に交差する舞台となる。

文化的影響

このような世界での日本は、着物を纏いつつ背中には多言語翻訳デバイスを装着し、和算西洋数学が融合したアナログ計算機や、唐絵南蛮絵・和様が混ざり合う新美術様式を輸出する文化的強国となっている。歌舞伎は遠洋船団上でも上演され、オルガン琵琶シタールが融合した奇妙な海洋音楽世界各地の港町流れる

結語

海禁令なき日本は、内向きな封鎖社会回避し、知と技術文化交易を絶えず世界から摂取再構成する「海洋多文化テクノ文明」へと進化した。SF想像を許せば、21世紀には重力制御船団が太平洋上空で静止し、国際宇宙航行同盟の創設に日本が深く関わるシナリオも考え得る。つまり豊臣秀吉以降の日本が海禁を選ばずに世界雄飛した場合、それは単なる列強模倣帝国ではなく、海上インフラとした知的交差点として、「海洋舞台にしたグローバルルネサンス」の中心となっていたであろう。

2024-12-10

神前式をした。

今年結婚をした。

旦那さんは式をやる気がまるでないみたいだったし、お金があるタイプでもないので「このままやらないかなー」と思っていたら、母に「ドレスを着てる姿が見たい」と言われて話が進んだ。旦那さんも、それを言われたらやるしかねえ的な感じで快諾してくれた。

母はウェディングフォトでと言ったけど、私は本音を言うなら結婚式はしたいタイプ。なんかい塩梅のものはないかといろいろ調べて「神前式がいいのではないか」となった。友人も親戚も呼ばない、一親等だけの小さなお式。

 

私の家族は遠方に住んでるため、母は来るだろうが父は来ないだろうなーと思っていた。というか実際「近くなら行くけど、関東でやるならお母さんだけどうぞ」って感じだったらしい。旦那さんと私で私の地元へ行くプランも考えたけど、旦那さんは旦那さんで「俺は人形から」のアピールがひどかったので、旦那さんの負担が少ないよう私たち居住地近郊ですることにした。(おいこら、我が家の男共よ)

ちなみに、旦那さんの家族はお声がけしたらすぐに参加表明してくれた。

 

神前式は私も人生で出席したことがないので、どういうものかいまいち具体的な想像ができない。

こじんまりとして、ホテルとかの結婚式よりは安価イメージがあるぐらい。

とりあえずネット検索で上位に出てきた「お色直し撮影付きで19万円〜!」みたいな謳い文句のところに問い合わせてオンラインで詳細を聞く。

「まあどこも似たようなもんだろ」と、比較検討はせずそのままそこで話を進めた。

 

もちろん、19万では収まらない。

まず平日で縁起の良くない日以外、ほとんどの日にちにオプション料金がつく。私的には仏滅でも良かったが母が気にするタイプなので大安の次くらいのやつに。さらに、選ぶ着物によってもオプションがつく。私自身こだわりは特にないので高くなくていいよと思っていたけど、いざ着物を選びに店舗へ行くとオプション料金のない着物が何故か見つけられない。比較的安い値段の着物も予約が埋まってたりして選べない。何ということでしょう。小物も綿帽子(白いほっかむりみたいなやつ)も全てオプション料金だ。

ちなみに、女性は実物が並ぶお部屋で数時間かけて選ぶのに対して、男性タブレット画像

指シュッ!!!!シュッ!!終わり!!全3種類!!30秒で決まった。今時の男の子はオシャレ好きな子が多いのでそんな子からしたらクソつまらないだろうなと思った。旦那さんもちょっと拍子抜けしてた。

 

他に当日のヘアメイク代、留袖の着付け代や父の衣装レンタル代等も入れてなんやかんや見積総額は40万くらいに。

そこに別途神社に納める初穂料が10万〜って感じ。終わった後に簡単食事をしたのでそんなのも入れると60万ぐらいかな。ウェディング会社の人も「ご自身で手配した方が安いですよ」と特に営業してこなかったのが気楽で良かった。

お色直し付きで撮影あり。50万程度で式ができて写真データも大量に残る。私的には安い感覚だったけど、旦那は式当日を迎えるまでの数ヶ月間、ずっと高い高いとぼやいてた。(ええかげんにせえよ)

 

でも、結果的には「やって良かった!」この一言に尽きる!

 

まず、なんやかんや父親ちゃんと来た。

妹に諭されて「それもそうか」と行くことにしたらしい。日帰り以外で家族旅行なんてほぼ行ったことがないし、ここ数年は居住区内でしか生活してない人だったので新幹線に乗るなんて非常に新鮮だった。母の希望もあり、モーニングも黙って着てた。頭は驚くほどボサボサだったけど。

そんな父は帰路で「楽器演奏巫女の舞があって本格的で良かった」と何度も母に話していたらしい。それから、出来上がった写真データを見て「あいつ(私)がずっとニコニコしてたのが印象にのこっとる。それが良かった」とも話していたそうだ。そら良かった。

 

私の実家は暗い。笑ったりするよりも、じめっとした雰囲気が合う。四人揃った家族写真も多分存在しない。妹の成人式写真なんて母も妹も死んだヘビの顔してる。ヘビの死骸見たことないけどさ。そういえば私の成人式家族の誰かと映っている写真もないな。絶縁状態ではないし家族間の交流も盛んな方だとは思うけど、とりあえずあらゆる方面で暗い。

そんなんだから神前式当日、家族写真撮影中に私は「お父さんが笑ってる!?!?」と声を出して驚いた。「そら笑うわ」って言われた。

 

父は私たちのこと好きなのかそうでもないのか疎ましいのかよくわからんなのだけど、私の結婚という儀式を通じて「あ、この人家族のことそれなりに大切にしてるのね」ということがわかって良かったなと思う。

母の表情も嬉しそうだ。年々物忘れが激しくなっていく母だけど、当日の風景末永く大切にしてくれたらいいなと思う。

留袖を着る機会をつくってあげられたのも良かった。とても綺麗な珍しい柄で、母が手放すときは私が譲り受けてもいいかもと思った。

 

神前式を通じて夫婦写真はもちろん、両親と妹との家族写真が手に入ったのはとても良い記念になった。家族写真は全員の遺影になるだろう。

両親がニコッとしてる写真は、何度見てもやはり嬉しい。妹は大体どれも目を瞑ってる。

 

結婚式は新郎新婦がとても忙しいというが、一親等のみなので特にそんなこともない。おもてなし礼儀も、神社の人に迷惑をかけなければ重んじなくて良い。すごく気楽だった。

余談だけど、お参りに来た参拝者の方が私たちに「おめでとうございます」と声をかけてくれたり「ええもん見たわ」って表情をしてくれたのもなんだか「うふふ」となった。

 

さな神前式

ウエディングフォトも数十万かかると聞くし、両家の顔合わせもしてなかったし、それにちょっと色つけたと思えば私的にはこっちの方が断然良かった!

結婚式に強いこだわりがある人にはお勧めしないけど、「そんなにこだわりはないけどなんかカタチにのこるものがしたい」って人にはいいんじゃないかな。

2024-12-08

anond:20241208090833

名古屋大須にたくさん着物古着屋さんがあるけど、男性女性も、江戸時代からぐんぐん身長が伸びてるんだよ

なので古着着ると足首やスネが出まくってヤバい中学生までしかいいサイズがおいてない。(おはしょりがない男性用は特にアウト率高い)

から着物普通にユニクロの夏浴衣とか通販とかで買えばいいよ。一回でいいならホテル貸衣装にもある。

ただ小物(下駄とか帯とか)はやっぱちゃん大須だの浅草にいって揃えろ。

あとまんがhttps://comic.pixiv.net/works/7912 読め 

アフリカ外国人男性着物をかっこよく着てる

それにしても色紋付き羽織袴って北九州市成人式にでも出るのかな

男物の着物の買い方教えてくれ

リサイクル着物で色紋付羽織袴を揃えたい

いったいどこに行けばいいんだ?予算10

着付?は女性物と違って自分でできるとネットでみた

2024-12-07

anond:20241207081210

イヤ、単にヒマなだけやろ

歌舞伎行くと着物着たいだけで

中身理解してない

おばさんいっぱいいるで

2024-11-22

Appleリセールバリューに救われてる

考えるのが苦手でお金管理ガバガバ人間、傷病をきっかけに収入減って借金して返済したら手元から現金文字通り消えた。

今どき100円でパンって買えないんですね。

で、もうプライドを捨ててApple WatchとかiPad miniとか買い取りに出したのだけど、「別に美品じゃないし電池持ちも悪くなってるしな……」と思っていたら割といい金額で売れて驚いた。公式のTrade Inにすこし色がつく感じ。箱がある方が当然いいけど、もう無理!!となって箱なしで売ったやつもそんな感じだった。

自分管理能力がなくお金について考えるのが苦手なの上にプライドだけは高いので、未だに「これは……水に落としたと考えよう……」とか思いながら買い取りに出してるんだけど、iPhone……Apple製品……リセールバリューってこういうことかーって噛みしめてる。

二度と売り払う真似はしたくないが、次もおそらくApple製品を買う。本当に賢い人は格安スマホとかで貯金投資に回すんだろうが、俺はバカなのでそうする

というか昔の小説着物やらなんやらを食べ物と交換してる人、こういう気持ちだったのか?とも思う

これは元々失われた何かである確認しながら手放すの、しんどくないわけではない。

2024-11-12

オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べものメモを書きましょうね。

1862年文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。

Orange, s. 橙柑橘ノ類

Orange, adj. 橙ノ

Orange-peel, s. 橙ノ皮

Orangery, s. 橙ヲ育テル園

Orange-tree, s. 橙樹

Orange-woman, s. 橙ヲ賣ル女

オレンジ以外の柑橘系の見出し語で見つけたものは以下となる。

Citrine, adj. 佛手柑又橙色

Citron, s. 佛手柑ノ類

Lemon, s. 橙ノ類

Lime, s. 黐石灰

Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル

Lime-tree, s.菩提樹.柑樹ノ類

Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類

Shaddock, s. 橙ノ類

なお余談だが、

Bergamot, s. 梨子一種

という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。

さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。

時代は後になるが1900年に書かれた『果樹蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。

皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。

オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。

現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?

少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色表現していたかもしれない。

一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。

二つ目根拠1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。

これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeGreenyellowなどの他の色と並べられて書かれている。

この参考書単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。

単なるorangepeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。

このことから、当時のorange colour橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。

では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?

いったんここまで。

メモ

しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料1887年通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。

明治とかの輸入オレンジしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。

橙色概念が生まれ最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。

・↑ありえなくはない。学術文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物茶色灰色ばっかりだし

・↑これを裏付け調査がまだ出来ていないんだよな~

明治時代理科教育で分光を取り扱う際にorange橙色と訳したのが定着したようだ。

・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど

明治後期には小学校の図工の時間カラーサークル概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。

明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事

英和辞書見出し語のorange橙色と訳されるが、和英辞書見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代

・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代感覚だと茶色味が強いものが多い

・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)

大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる

・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?

・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃん「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?

・↑日本における果物類、柑橘類の歴史ちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない

・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん

児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い

図書館に行って『日本の色彩百科 明治大正昭和平成』と『色の名前はどこからたか―その意味文化』を読むこと。

・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い

・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色イメージがあるが色名、和名はついていたんだったか

・未調査サフランイエローインド国旗オレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら

・未調査:当時のにんじんかぼちゃの色をなんと表現していたか京野菜にんじん赤色かぼちゃ黄色な気がするけれど)

Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記アップロードしてよい。自由だ。

ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……

実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない

「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏サイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる

『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe訳語問題を中心に ─』という論文を見つけた

これを参考にして英和辞書をひたすら調べるのも面白そうだ

狭義のorangeスイートオレンジアマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す

広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)

その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い

色名のorange訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている

その歴史の流れを追うのが楽しい

2024-11-06

新昔話 ねこたろう

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。

おじいさんとおばあさんには子供がおらず

寂しい日々を過ごしていました。

ある日おじいさんは街へ女漁りへ、おばあさんはホストクラブへ行きました。

そこでおじいさんは女ではなく、一匹の猫を見つけると、

「おおなんと可愛らしい猫じゃ」

と、その猫を家に連れて帰りました。

しばらくしてホストクラブから帰ってきたおばあさんは、

「まあ、なんて可愛らしい猫ちゃんなのかしら!」

と大喜びし、「麗央斗」という名前を付けて大変可愛がりました。

ある晩、おじいさんは久しぶりにおばあさんと子作りがしたくなりました。

しかし、着物を脱いだおばあさんの体はしわしわで、

胸も垂れ、おまたは全く濡れておりません。

おじいさんもまた、息子が全く勃ちませんでした。

それを見ていた麗央斗は、おじいさんのお腹に潜り込むと、

あらびっくり!

なんとおじいさんの股間に立派な塔が建ったではありませんか。

それを見たおばあさんの体はみるみるピカピカになり、

胸も反り上がり、おまたは大洪水になりました。

その晩、おじいさんとおばあさんは何度も何度も熱い抱擁を重ねたのでありました。

しばらく経ち、おばあさんは元気な男の子を産みました。

おじいさんは生まれ男の子

「わしの名前が麗次、猫の名前は麗央斗じゃから、息子の名前は”猫太郎”にしよう」

と名付け、ふたり男の子大事大事に育てました。

立派な若者へ成長した猫太郎ホストクラブで働く事になりました。

太郎は店の先輩に「おまえは猫だから輝夜斗、キャットと名乗れ」

と、源氏名をつけてもらいました。

輝夜斗は瞬く間に売れっ子ホストとなり、常連女の子がたくさん付きました。

ある日輝夜斗は、寂しそうに飲んでいる女の子と仲良くなり、その子の家に転がり込むことになりました。

しかし、明くる朝女の子輝夜斗に言いました。

「ウチな、ゆうべ、変な夢見たねん」

「どんな夢だったの?」

「うーん、輝夜斗が居なくなっちゃって、代わりに猫が居たの。にゃーん、にゃーん、って鳴いていて…」

輝夜斗はその日、女の子仕事に行っている間にこっそり家を出て行きました。

ホストクラブにも、もう現れる事はありませんでした。

歌舞伎町では夜、時々野良猫の鳴く声がする、という噂はたちまち広がりました。

「あの猫を見つけると金持ちになるらしい」

「噂の猫に餌をあげると恋が叶うらしい」

今でも歌舞伎町ではそんな噂が絶えません。

おしまい

2024-11-02

anond:20241102125716

男女でファッション感度に違いがあるのは、女性の方が色の違いを見分けることに長けているからなのかなと思った。古いデータだけどそんな研究結果もあるっぽい。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6703/?ST=m_news

同じ色でもいろんな色調があって、女性の方が自分に似合う色を見つけたり、組み合わせたりするのを楽しめるんじゃないか。古くはどの色の着物を組み合わせるかとか。今もファッション誌の数が男性より断然多いし、細分化多様化して、より多くの人がファッション(あとメイクも)を楽しめるから文化として発展していったのかなーなど思う。

2024-10-30

着物が売れない理由

SNS着物アカウントとかやってるのが自然界隈(笑)反ワク‼️布マスク🌸波動✨️みたいな普通にお近づきになりたくないブスばっかりであるため

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