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「国旗」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 国旗とは

2024-12-25

なんかおもしろいことがないか

大日本帝国ってひねっても、おもしろくない

小日本帝国日本が小さいことは自明の理

べつにってかんじ

おそらく

大韓民国デカくない。これは大日本帝国と同じノリじゃないか

国旗もすこし似ている

いろいろ書いてきたが全然おもしろくない

ヒトラー映画にゼンゼンブリンクって人出てきたけど

それくらいおもしろくない

2024-12-24

国旗日の丸は左にズレていたらしい

1999年に制定された国旗国歌法中央に配置すると定められるまでは、左に1%ズレていたらしい。

そのズレによって、旗がたなびく際により見栄えが良くなるのが理由らしい。

この理由の出どころを調べたが、見つからない。あくまで「通説」のようだ。

しかそもそも1%ズレていた事すらまともなソース確認できなかった。

比較解説してるサイトを見ても、お絵かきソフト適当に描いただけだろと思うものばかりだ。

正直この話は簡単には信じられない。だって旗なんて色んなメーカーが作ってるじゃないか

公的機関に限ったとしても、その全てが1%ズレていただろうか。

調べたが、東京製旗、アテナ服部、などの旗メーカーが有名のようだ。

いや、アスクルを見るともっといっぱいある。

まりニッチ過ぎるので、それぞれのメーカー全てが1%ズレた国旗製造していたとは思えない。

特定用途に使われている旗は1%ズレていたのかも知れない。

どこかのメーカーの目ざとい人が1%ズラしたのかも知れない。

でもそれを示す当事者証言や、実際の旗との比較などが皆無なのに、皆そう信じてるのが怖い。

しかするとSelection for Societal Sanityは現実に始まっているのか。

2024-12-20

ドイツ皇帝カール5世の息子は、カロリナ法典でオランダ人迫害し、アメリカ新大陸への植民者にして、ドイツから追い出そうとした

オランダ人暴動を起こし、ダッチ連邦共和国を作った

ついでオランダ人は、アムス証券取引所をたてて、日本との貿易ポルトガル人から奪った

このあたりの強いオランダは、なんで???と思ってたが、実はフランス支援してたかぁ…

から幕府軍フランス軍が指導してた

でもオランダはあるときイングランドスウェーデン同盟し、フランスから嫌われたので

フランスは、イングランドを取り込んで、英蘭戦争明治維新とき

敵に回すと怖い国なんだろううな(五輪汚職摘発にせよ)

  

フランスオランダロシア国旗が赤青白の国(アメリカもそう)

2024-12-08

シリアアサド政権崩壊に対する日本人の無関心ぶりが不思議でならない

特に左派パレスチナ応援アピールパレスチナ国旗マークスイカアイコンを掲げながらどうして無関心でいられるのだろうか

アサド政権はこの10年でサリンなどの化学兵器を用いた大量虐殺や、多くの対立者を刑務所に送り片っ端から死刑にするなど、数十万人のシリア人を死に至らしめており、冷戦後で見ても最悪の指導者だったが日本では岩波アサド政権プロパガンダを垂れ流したりしていた影響なのか、状況がよく理解できていないようだ

今回のシャーム解放機構による宗教民族外国依存しない政権打倒はそれこそ韓国デモなんかよりもよっぽどすごいことで、ロシアイランヒズボラの弱体化が生んだ奇跡とも言うべき出来事なのだが…

[追記]

そもそもシリアの事を知らない人が多いようなので、端的にわかやすく識者のアカウントをいくつか紹介しておきます。信頼できる人、留保がいる人、プロパガンダな人と色々いるので見比べるといいと思う

〈信頼できる人々〉

黒井太郎

アサドプーチンを追ってきたジャーナリストシリアについてフラットに一番詳しいと個人的には思っている

https://x.com/BUNKUROI

石田昌隆

リベラル写真家中東には以前から詳しく、特定イデオロギーに偏っていない貴重なリベラル

https://x.com/masataka_ishida

・直立演人

ユダヤ学徒。イスラエル事情に詳しい

https://x.com/royterek

露探【円谷猪四郎】

ロシアを中心としたジャーナリスト

https://x.com/karategin

留保必要な人々〉

内藤正典

トルコをメインとするイスラム学者トルコについては信頼がおけるがシリアに対してもトルコ寄りの視点なのは留意しないといけない

https://x.com/masanorinaito

・異常者

イスラエルを中心とした中東事情に詳しい現地人物視点としては基本的イスラエル寄りだがイスラエル全支持とまではいかない

https://x.com/onigari_ijousya

〈信頼出来ない人々〉

青山弘之

アサドべったりのプロパガンディスタ。アサド政権と深い関係を築いていた

https://news.yahoo.co.jp/expert/authors/aoyamahiroyuki

青木健

中東調査会研究主幹青山のお仲間の親アサド

https://x.com/kenta_aoki

篠田英朗

国際関係学者。中立的視点標榜しながら親露、親アサド発言を繰り返すロシア寄りの人物

https://x.com/ShinodaHideaki

2024-12-02

サッカーの実況でライジング サンていっていたけど、外国から見たらやっぱ国旗太陽見たいってこと?

2024-11-23

国旗クイズ

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2024-11-12

オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べものメモを書きましょうね。

1862年文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。

Orange, s. 橙柑橘ノ類

Orange, adj. 橙ノ

Orange-peel, s. 橙ノ皮

Orangery, s. 橙ヲ育テル園

Orange-tree, s. 橙樹

Orange-woman, s. 橙ヲ賣ル女

オレンジ以外の柑橘系の見出し語で見つけたものは以下となる。

Citrine, adj. 佛手柑又橙色

Citron, s. 佛手柑ノ類

Lemon, s. 橙ノ類

Lime, s. 黐石灰

Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル

Lime-tree, s.菩提樹.柑樹ノ類

Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類

Shaddock, s. 橙ノ類

なお余談だが、

Bergamot, s. 梨子一種

という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。

さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。

時代は後になるが1900年に書かれた『果樹蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。

皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。

オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。

現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?

少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色表現していたかもしれない。

一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。

二つ目根拠1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。

これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeGreenyellowなどの他の色と並べられて書かれている。

この参考書単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。

単なるorangepeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。

このことから、当時のorange colour橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。

では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?

いったんここまで。

メモ

しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料1887年通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。

明治とかの輸入オレンジしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。

橙色概念が生まれ最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。

・↑ありえなくはない。学術文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物茶色灰色ばっかりだし

・↑これを裏付け調査がまだ出来ていないんだよな~

明治時代理科教育で分光を取り扱う際にorange橙色と訳したのが定着したようだ。

・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど

明治後期には小学校の図工の時間カラーサークル概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。

明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事

英和辞書見出し語のorange橙色と訳されるが、和英辞書見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代

・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代感覚だと茶色味が強いものが多い

・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)

大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる

・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?

・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃん「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?

・↑日本における果物類、柑橘類の歴史ちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない

・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん

児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い

図書館に行って『日本の色彩百科 明治大正昭和平成』と『色の名前はどこからたか―その意味文化』を読むこと。

・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い

・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色イメージがあるが色名、和名はついていたんだったか

・未調査サフランイエローインド国旗オレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら

・未調査:当時のにんじんかぼちゃの色をなんと表現していたか京野菜にんじん赤色かぼちゃ黄色な気がするけれど)

Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記アップロードしてよい。自由だ。

ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……

実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない

「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏サイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる

『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe訳語問題を中心に ─』という論文を見つけた

これを参考にして英和辞書をひたすら調べるのも面白そうだ

狭義のorangeスイートオレンジアマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す

広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)

その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い

色名のorange訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている

その歴史の流れを追うのが楽しい

2024-10-22

娘がハーフになってた 追記

中学の頃から整形をしたいと言い出した娘

大人になって自分で稼げるようになってからやりなさいと教えた

高校卒業してから、どうやって稼いだかそのお金で整形をしている

息子(娘の弟)から見せてもらったのだが彼女インターネット自己紹介欄には日本国旗の隣にユニオンジャックが並んでいた🇯🇵🇬🇧

何を意味しているのかは分からないけど、ハーフということを言いたいのかな…

君は千葉新潟ハーフだよ。

男で一つで育ててできる限りのことはしてやったつもりだが、どこで間違ったか。息子が狂うよりかはマシだが、実の娘がこうなるのはなかなかしんどい

追記

『息子が狂うよりマシだが』というのは娘より息子を大事にしているとかそういったことではなくて、女子供上記のような事で悩むのはまだいいが、大人の男にこんなことで狂われたらかなわんという意味で使った。誤解を招く表現だったね。

2024-10-15

カードゲームは大きさを国旗くらいにしなさい

一つ一つ額縁に入れてバイトで雇ったスーツの男女に手袋をつけさせて丁寧に特設試合会場で動かすよう扱わせなさい

2024-10-01

与次郎用事というのはこうである。――今夜の会自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎与次郎に口を添えて極力先生賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎広田食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩い広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいから大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来性質のいい運動から三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町神社鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久かいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわあいにおちついて静かである煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎熊本赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である熊本学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しか与次郎相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎ますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生ハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったもの自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である演説いたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合ビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通会合であるしかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間普通人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己運命の膨脹を自覚しえた。  政治自由を説いたのは昔の事である言論の自由を説いたのも過去の事である自由とは単にこれらの表面にあらわれやす事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋文芸研究する者であるしか研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通人間とは異なっている。文芸技術でもない、事務でもない。より多く人生根本義に触れた社会原動力である。我々はこの意味において文芸研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通ビールコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールコーヒーである。  演説意味ざっとこんなものである演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎もっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないか大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっと三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまりわずに出た。ゆうべから急に新時代青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆ価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口運動場の南のすみにある。大きな日の丸イギリス国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリス国旗はなんのためだかからない。三四郎日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟大学陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しか外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎失望したのは婦人席が別になっていて、普通人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離から顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しか婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎自分無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはい婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。

 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会めいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。

 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。

 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちからまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。

あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐ものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいもの出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。

 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。

「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。

「今まで見ていたんですが、つまらいからやめて来たのです」

 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、

「それより、あなたたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。

「もう宅へ帰るんですか」

 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。

「どこかへ行くんですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。

高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」

 美禰子は軽く笑ったばかりである三四郎も黙っている。三四郎高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。

「この上には何かおもしろものがあって?」

 この上には石があって、崖があるばかりであるおもしろものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いを残したように言った。

「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。

あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。

「いいからいらっしゃいよ」

 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、

「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」

 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。

 やがて女二人のあいだに用談が始まった。

あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」

「そうね」

 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院看護婦のところへ、ついでだからちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。

 よし子は、すなおに気の軽い女だからしまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院あんまり暑いものから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

だってまさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

あなた原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎自分いかにも愚物のような気がした。

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやす下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄いさんは下宿なすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通学生同様な下宿はいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである

 三四郎赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分田舎から出て大学はいったばかりである学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらいから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

anond:20241001201601

2024-09-02

イオンって国作ったらいいのにね

そしたらそこに住みたい

スーパーもあるし、映画館もあるし、スタバもあるし、最高じゃない?

国旗WAONの犬のやつ

イオン国、1000万人くらいは移住しそうだけどな

2024-08-13

anond:20240813142734

2023/07/06 ウクライナ軍に本格反攻の兆し? ドニプロ川の渡河に成功すれば、戦況はロシアにとって悪夢に変わる(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

2023/10/31 ウクライナ軍がドニエプル渡河作戦成功すればアゾフ海到達へ クリミア半島奪還も時間問題に、カギ握るF-16の航空支援 | JBpress (ジェイビープレス)

2023/11/08 装甲車が渡河成功か ドニエプル川東岸で攻防―ウクライナ時事ドットコム

2023/11/15 ウクライナの渡河作戦、高官「東岸に足場築いた」「クリミア非武装化に進んでいる」

2023/11/15 ウクライナ軍ドニエプル川東岸拠点 ロシア側高官、初めて認める

2023/12/03 ウクライナ軍ドニエプル川渡河、なお突破口にならず 専門家

2023/12/17 ドニエプル川左岸で戦うウクライナ兵士、これは自殺行為無意味だと訴える

2024/01/21 ウクライナ軍兵士、とっくの昔にドニエプル川左岸での主導権を失っている

2024/02/20 ウクライナ軍は圧倒的戦力差に苦境…ドニプロ川の渡河作戦兵力100倍のロシア軍と後方の川、少しも引き下がれない自殺任務

2024/02/21 ウクライナ軍ドニエプル川左岸から撤退ロシア軍がクリンキー国旗 旗を掲げる

2024/02/21 ロシア国防相はクリンキー掃討が完了したと発表、ウクライナ軍は即否定

2024/07/18 渡河作戦拠点から撤退 ウクライナ軍南部で苦戦(共同通信) - Yahoo!ニュース

2024/07/18 ウクライナ軍兵士788人がクリンキー行方不明、埋葬できた戦死者は262人

負け戦はみんな見たくないか

2024-08-10

anond:20240808192723

色々主張もあるかもしれんけど、日本国旗を敬えない人に公務員は無理だろうなって思った。

ワイはきつい訓練とか嫌なので合格したもののそっちの道は選ばなかったんだけれど、防衛大学校試験を受けに行ったときにそういう話を聞いたなーと思って。

増田みたいに人権侵害についてあらさがしをしたら掲揚できる国旗なんてどこの国も持ってないんじゃない?

自分日本から受けてきた恩恵ことなんてすっかり忘れて、誰かから吹き込まれ反日感情を見せびらかしたいだけなら、少なくとも公務員は辞めるべきだったね。

個人的には「太平洋戦争引き起こし被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。」にかなり違和感を覚えるね。

1925年からはすべての男子選挙権を持ってたわけで、太平洋戦争 (と言うなら真珠湾攻撃+米国への宣戦布告が開始点) を引き起こしたのは当時の日本男子でしょ。

成人した後に日本政府が誤った決定をした場合にも自分選挙権を持っていたという事実にはほっかむりをして、政府のせいにするの?

自分が選んだ人が当選しないなら、それは自分の考えが他の人と大きく違うのかもしれないって思わないの?

被差別部落問題は同和政策として政府は長年取り組んできていると思うんだけれど、福山市では実施してなかったの?

公務員なんだから同和政策に携わろうと思えば市中の人よりもしやす立場だと思うんだけれど、あなたは何してたの?

私がというか、我々世代がこういう左翼の人たちを嫌いで、半ば馬鹿にしているのは口ばっかりで行動が伴わない所だぞ。

うそう、デモに行くとか主義を唱えるとかは行動じゃなくて口ばっかりにカウントされるからね。

例えば、TPNWの批准国を増やすために元増田は何かしたの?

同和政策についても、増田は何してきたの?

2024-08-08

再任用を拒否された

はてなブックマーカー三巨頭のダイダラボッチさんと、ブクマカ良心であるミヤウチさんからコメントいただきました。

望外のしあわせです。あの世に行ったら自慢しようと思いますありがとうございました😊

(以下本文です)

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私は62才であるとある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。

地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。

それから民間で三年ほど働いて、地元市役所採用試験を受けて入庁した。

いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である時間が過ぎるのはあっという間だった。

ずっと土木建築仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市計画に、施工監理に……少しの間だが、まちづくり仕事もした。思い出が蘇ってくる。もっと写真を撮っておけばよかった。



本題である。定年延長により、公務員定年退職はしばらくの間、2年に1回になっている。

私が定年になったのは61才になる年度である民間企業誕生月に退職になるのが一般的だが、公務員場合は年度末まで在籍できる。

今年の3月末をもって分限退職辞令を受け取り、退職日には労働組合行事退職者一同での職場巡りを行い(※有給である有給が残ってない人は人事がわかってて見逃してくれる)、最後市長ポケットマネー退職者のための小宴会が催され、皆それぞれに挨拶をして――私を含めた有志は、翌年度からも再任用(あるいは再雇用)されて働き続ける――はずだった。

タイトルにあるとおり、私は再任用の対象にならなかった。再雇用NGだった。

2023年の秋頃だったか、再任用の希望票を人事に提出した。その後、返送されてきたのは「再任用は不承認」なる文言の書かれた通知が1枚だけだった。

理由によると、総合的な事情により再任用できないらしい。同じ階にある労働組合職場委員会を通じて確認したところ、この階の職員だけでも数名が再任用されなかったということだ。

はてなユーザーであればご存じかと思うが、一応説明しておく。

民間企業では、「雇用年金接続」という観点から年金支給となる65才まで退職者を継続雇用する義務がある。例えば、60歳定年制採用する企業場合、65歳までの再雇用法律上義務であり、再雇用拒否原則として違法である

では、公務員場合はどうかというと、こちらも原則として再任用をすべき~という旨の総務省通知が平成25年3月に出ている。

内容を要約すると……

公的年金報酬比例部分の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引上げられることに伴い、無収入期間が発生しないよう国家公務員雇用年金接続を図るとともに、人事の新陳代謝を図り組織活力を維持しつつ職員能力を十分活用していくため、当面、定年退職する職員公的年金支給開始年齢に達するまでの間、再任用を希望する職員については再任用するものとすること等を内容とする閣議決定をした」

ということだ。

【参考URL

平成 25 年3月 29 日総務省通知)

https://www.soumu.go.jp/main_content/000216510.pdf

停職6月の懲戒処分を受けた者の再任用)

http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2015/43_winter02.html

 

ただし、この通知はあくまで国から地方自治体への技術的助言であり、法的効力があるわけではない。

組織からその価値がないと判断された職員だと、再任用はされないことになる。

私は、36年間ずっと、このまちで働いてきた。

そこまで目立たない中国地方地方都市ではあるが、このまちが気に入っている。

できれば、ずっと働きたい、もっと働きたいと思っている。

労働組合上記の再任用拒否相談したところ、今後の団体交渉前の当局とのやり取りにおいて、本件に言及いただけるとの回答が執行からあった。だが、望みは薄いようである。こういった当局対応は、何年も前から続いているからだ。

市役所にとって不要人材は、再任用(再雇用)しない。それが人事当局方針である



実際のところだが、私は確かに不良な職員であった。

私は怒りやす人間であり、周囲に迷惑をかけたこともある。若い頃は上司と反りが合わず、反発して死のイベント無断欠勤したことがある。なんてことをしてしまったんだろう。あのイベントに出ていればよかった。

日常仕事においても、市民業者と言い争いになることがよくあった。

感情の振れ幅が大きく、職場の人に迷惑をかけた。用地買収仕事の時にも、地権者との交渉がうまくいかなかったのは私のせいである。

査定が低かったのは間違いない。でも、私は私で、このまちが好きで市役所職員仕事を続けていた。もうちょっと働いていたい想いがある。

仕事とは別の方面になるが、二十代の頃からずっと組合活動をしていた。

土木建築職場委員会はずっと仕切っていたし、反核平和の火リレーメーデー自治労の定期大会その他の行事などは、40代になって体にガタが出るまで前線に出ていた。

平和の火リレーの時は、市立総合体育館の前にある大きい道路をまっすぐに進んでいったっけ。本当に懐かしい。

一番、血気盛んな時期だと……国と県が合同で実施する泊まり込みの研修があった時、私が朝のラジオ体操時の国旗掲揚係になった時だった。私は、つい大声で主張したのだ。自分平和にかける想いを。

あの時は、江田島にあった国立青少年自然の家だった。集会室での私の言葉は、十数年前の日記に確かに記録してある。

「皆さん。申し訳ありません。これは研修中の職務ではありますが、私は日本国旗を掲揚する係にはなれません。太平洋戦争引き起こし被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。人権侵害象徴である、その政府が作った国旗を掲げることは、平和を愛する者として到底できないのであります!」

と、研修参加者50人以上の前ではっきり告げたのだ。これは、当時の労働組合における一般方針ひとつであった。

今では思う。広島県全体の研修の時なのだから、この時ばかりは組合方針に反してもよかったのではないかと。

実際、研修が終わった後で人事当局に呼び出された私は、総務部から増田さん。悪いけど辞めてくれるか?」と言われた。国か県かはわからないが、クレームがあったらしい。

だが、やはり血気盛んだった頃の私は、組合にも相談したうえで、基本は一人っきりで人事当局と戦った。少しばかりは助けを求めたこともあったが。

最終的に、処分ではなく厳重注意に留まった。組合が助けてくれなかった場合、本当に辞めされられていた可能性がある。



愚痴ばかりで申し訳ないのだが、これでも反省している。

私が悪いのだ。私は仕事に対して真摯に向き合ってきた。本気でやってきた。それでも成績が悪かったのは事実であり、その時期の上司の方々の温情に賜れたことに感謝している。

仕事は本気でやっていたけれども、周囲への配慮が足りなかった。令和になっても、今でいうパワハラみたいなことをしていた。

あの時、いつだったか。令和元年のことだ。

税務の子が当時、私が働いていた施工監理(兼庶務管理)の部署に来ることがあった。土地課税評価のことで、私が依頼していた文書を届けにきたのだ。

その文書には誤りがあった。その時、私は怒鳴ってしまった。今でも反省している。後悔の念を込めて、できうる限り思い出してみる。

確か、私はこんなことを言った。

「お前、まちごうとるぞ。小字(こあざ)がなかろうが、字がっ!! なしてないんならあ、おい」

「え……どういうことですか」

「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字名前がなかろうが」

「すいません、つけ忘れました。打ってません」

「なんでそんな大事なもん、付けわすれるんならあ、おい」

「すいません」

「お前、法務局にこれ出してみろやあ~、恥ずかしいどお!!」

「ごめんなさい……」

恥ずかしいのは私の方である若い子に対して、こんなに失礼なことを言ってしまった。

その次の週に同僚から聞いたのだが、その女の子うつ病になり、職場に来ることができなくなったという。

元々、抑うつ気味で元気がなかったらしい。私が怒鳴った金曜日だけでなく、土日にあったイベントでも動員があり、その子仕事ができず辛い思いをしたという。

ただ、私にも原因があるのは明らかである。本当に申し訳ないと思っている。

の子は、労働組合を通して聞いたところだと――翌年に単純事務労働として税務の仕事に復帰したが、なかなか調子が戻らず、結局は新卒2年目で退職したとのことだ。



後悔先に立たず、という言葉がある。私の場合がまさにそれだ。

仕事でヘマをしてるだけだったら、まだ再任用されたのかもしれない。

しかし、それだけではない。私が他者の信頼を損ねる行為を繰り返したからこそ、こうなったのだ。

できれば、今からでもまた市役所で働きたいよ。でも、その資格がないことも重々承知している。

たとえば今、私は市役所で働いていた頃の思い出を書いてるけれども、守秘義務に反している可能性がある。それでもいい。罪があれば償おう。これも責任の取り方というものだ。

私は罪を犯した。犯し続けた。それで再任用されなくなった。仕事人生の責任を、こんな最悪なかたちで取ることになった。

あれは今年の1月だったか。後輩と一緒に現場に出るため、廊下を歩いていると、部長級の職員が前からやってきた。

その人は、正面にいた私に向かってこう言ったのだ。

なんや増田。お前、まだ辞めとらんかったんか。はよお、辞めろや!!」

後輩が見ている前で、こんなことを言われてしまった。恥ずかしかった。

でも、しょうがないのだ。私はずっと、禄でもない職員だった。

から、こんなことになっている。



最終勤務日のことだ。

労働組合主催する職場巡りの会が終わり、最後職場に帰って、デスクに座ってしばらく待ち、定時を迎えた時のことだ。

定時のチャイムが鳴って、2~3分くらい後だったか。私は、カバンを抱えてまっすぐに職場を出た。

事務所にいた同僚連中には、「じゃあの~」と軽快な口調でさよならを言った。みな、私に「お疲れ様でした」と返してくれた。

しかし、ひとつだけやっていないことがあった。最終勤務日の前日、職場の親睦会の若い幹事職員に言われたのだ。

増田さん。最後に僕が花束を渡すので、退職スピーチをお願いします。その後記念撮影しまから、残っておいてくださいね!」

と、しっかり伝えられ、私はOKの返事をしている。

にもかかわらず、こんなことをしてしまった。チャイムが鳴ったら逃げるように、すぐに家に帰ってしまった。

スピーチなどしたくなかった。再任用されなかったこんな私がスピーチをしても、恥ずかしいだけだと思っていた。

自分に負けたのだ。彼の思いに応えられなかった。



最後になるが、もし増田利用者の方で思い当たるフシがある方は、どうか職場では自重してほしい。

他者の信頼を損ねる行為ばかりしていると、私のように情けない老後を過ごすことになる。この日記ひとつ警句になってくれたら望外の幸せである

明日からは、またはてな匿名ダイアリーのイチ利用者である。また面白い日記楽しい日記をたくさん読んでみたい。

ありがとうございました。

2024-08-05

XTCというバンドの「Living Through Another Cuba」という曲を聴いてからというものCuba字面国旗を見るたびにこの曲のイントロ脳内を駆け巡って愉快な気分になる。

anond:20240804130900

アニメキモイ

自分の顔→キモイ不細工、汚い、不潔感、不快感

友人とのプリクラ自分に自信がない

似顔絵アバター自己主張したいのに自分に自信がない

動物愛されたいの自分に自信がない

風景自分に自信がない

アイドルドルオタ

デフォルト→閉鎖的

食い物→デブ

国旗キチガイ

じゃあ何のアイコンならいいんだよ

anond:20240805094541

オリンピックは、国同士がスポーツで競い合う国際的スポーツイベントだし、そのために日本代表選手は、日本国旗を持って日本国歌を歌って、日本国民の期待を背負って競技に挑むわけじゃん

代表になるためには同じく日本代表になるために競いあったライバルを打ち負かす必要があるし

なんなら、国から税金で補助されてるスポーツも沢山あるだろ

オリンピック選手は国の代表だろw

国家を背負って欲しくない」は本当にそう。せいぜいがそのスポーツ選手達の代表。だから協会代表決めるんだし。国の代表勘違いするから素人でもオリンピック選手に口出す権利があると勘違いするのでは 

これがトップブコメ

本当に意味からないんだけど、どういうこと?

オリンピックは、国同士がスポーツで競い合う国際的スポーツイベントだし、そのために日本代表選手は、日本国旗を持って日本国歌を歌って、日本国民の期待を背負って競技に挑むわけじゃん

代表になるためには同じく日本代表になるために競いあったライバルを打ち負かす必要があるし

なんなら、国から税金で補助されてるスポーツも沢山あるだろ

いや、左翼が昔からオリンピック嫌いなのは知ってるけど、国を背負ってほしくないみたいな戯言抜かすなよ

オリンピック選手は国を背負って戦うし、誹謗中傷する権利スポーツに限らず何に対してもないが、応援したり選手と一緒に悔しがっていいんだよ

馬鹿かと

2024-08-01

ポーランド国旗では上、モナコ国旗では下にあるのは赤と白のどちらでしょう

そもそも皇室否定する政党勢力逮捕されずに活動してることが不思議なんだよな

日本の象徴であり、国旗国章国歌と同じ扱いなんだぞ

伝統的に日本人天皇陛下臣民なんだからそれを否定する勢力日本にいていいわけないだろ

左翼思想とか反天皇思想を掲げて活動するのはテロだぞ

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