はてなキーワード: 財政健全化とは
この手のコメント来ると思った。以下、有料で提供してた記事からのコピペ
日本政府の債務はほぼ円建てで国内消化可能であり、他国の通貨危機と異なり、即座に外貨流出による破綻リスクが比較的低い点は認める。
しかし、それは財政的余裕が無限にあるということにはならない。
高齢化や医療需要の増大は、将来にわたり社会保障支出を押し上げ、潜在的な増税圧力や資産の取り崩しを引き起こす。
長期的に見れば、国債残高が積み上がることで金利上昇リスクが高まり、いずれは財政運営に制約をもたらす懸念は拭えない。
「財政健全化」とは必ずしも財務省のプロパガンダではなく、長期的な財政の安定性や世代間負担の公平性を考えるうえで、広く検討すべき政策課題なのが何故分からない。
外債依存がないからといって、未来永劫財政規律を軽視してよい根拠にはならないのに。
「アメリカの医療保険が失敗している」点を指摘しているが、原案でも「民間に任せる際の詐欺的行為や価格高騰」を懸念し、是正策を考慮している。
アメリカモデルが抱える問題点は過度な市場任せ、医薬品価格や治療費の高騰、保険未加入者の存在などが挙げられる。
ここで提案しているのは「半分民営化」に近い形で、国の関与や規制も依然として重要なファクターにする戦略。
アメリカの「規制が緩い民間主導」に対し、「徹底した監視、詐欺的行為の排除、必要な公費介入を残す」などのセーフガードを設けるといった提案は、アメリカの失敗を踏まえた修正案。
そもそもマスコミの既存政治家に関する報道ってなんか定性的な批判や賛同ばっかじゃね?
何ならこんなん出してたら普通に財政レベルではいい政治家なんじゃないかって思っちゃうんだけど
https://news.kobekeizai.jp/blog-entry-17456.html
普通に考えて財政健全化を成し遂げてるってだけならいい政治家よな? 本人だけの問題かどうかは置いといても
こうして見ると選挙前って財政レベルで「この分野に使ってる(増やしてる)からいい政治家」とか「こういう将来計画でこういう財政を行っているのは論理的に矛盾がないからいい政治家」みたいな評価あんま聞かなくない?
お話を伺う限り、これはまさに陰謀論の典型的な特徴を持っています。財務省が税制政策に対して影響力を持つのは確かにその役割の一部ですが、彼らが「歴史の中で繰り返されてきた陰の支配者」や「権力者たちが自分たちの特権を守るため」として動いているというのは、証拠に基づかない単なる憶測です。
まず、減税には経済全体に対する多様な影響があり、これを慎重に検討することは政府の重要な責務です。単なる「口先の財政健全化」などという表現は、財政支出の管理や国家の負債削減の必要性を軽視しています。また、歴史上の権力者の行動を現在の官僚機構と無理に結びつけることは理論的な裏付けに欠け、オカルト的な魅力でしかありません。
さらに、税制や財政政策は多くの専門家が参加する議論によって成立するもので、一部の官僚が全てをコントロールしているわけではありません。「歴史を振り返ると」というフレーズや、古代ローマやギリシャの例えを用いることは、事実に基づかない神話を連想させ、現実との乖離を生じさせます。
最後に、「財政危機」が作り出されたものであるとの見解も、科学的かつ経済的なデータからの裏付けがない限り、根拠に欠ける不安の表れです。そのような見方は、人々を恐怖や懐疑に駆り立て、かえって理性的な議論を遠ざけてしまいます。
これって、まるで歴史の中で繰り返されてきた、権力者たちが自分たちの特権を守るために、
なんでこんな話をするかっていうと、実際に減税って言葉には希望が宿ってるんだよな。
税金が減ったら、私たちの生活が少しでも楽になる、なんて思っちゃうわけよ。
でも、それを実現しようとすると、必ず現れるのが財務省。
日本の財政政策を取り仕切るあの官僚機構、まさに歴史を彩る陰の支配者って感じだよ。
明治時代の富国強兵政策を引き継いだ、この官僚組織が、何十年も経ってもその力を失わず、税金の使い道を握り続けている。
例えば、税制改革をしようとすると、必ず「財政健全化」が口にされるんだよな。
あの口先だけの「財政健全化」ってのも、実は「税収を減らすな、予算を減らすな」っていう
権力側の保身の一環なんだろうな。
これって、例えば、江戸時代の幕府が財政危機に直面したとき、税を軽減しようとする大名たちを抑え込んで、
支配を維持しようとしたのと似てるよね。上司や権力者が「民衆のためにやってるんだ」って言うけど、
その裏にはいつだって「自分の首が危なくならないように」という本音がある。
それに、財務省の連中ってさ、まるで古代ローマの政治家みたいだよ。表向きは国のためだって言ってるけど、
例えば、聖書にも「富を守る者は、失われることを恐れる」って教えがあるけど、
財務省にとってその「富」ってのは金だけじゃなく、権力も含まれてるんだよね。
で、さらにタチが悪いのは、財務省がいくら言っても、減税が実現すると、
減税で少しでも生活が楽になるってのに、それすらも奪われる。
それなのに、財務省が言う「財政健全化」を盾にして、どうしても「減税=国の危機」って言い続ける。
トップダウンで「これが正しい」って押し付けて、実際に現場で何が起きてるかを無視する。
かつての古代ギリシャやローマでも、民衆の声を聞くことなく支配していた支配者たちの末路がどうなったか、歴史を見ればわかるだろう。
結局、政治家たちもその声に迎合しちゃうんだよね。支持率が下がったら恐いから、財務省に逆らえない。
どれだけ有能な政治家が出てきたとしても、その背後に控えているのが、あの恐ろしい「官僚制度」ってわけ。
民間の声や、国民の意見よりも、どれだけ長年温存された既得権益の方が強いのかってこと。
だから、最終的に減税は遠のいて、また一歩政治の泥沼に足を取られるんだよ。
なんかさ、時折ふと思うんだよね。減税の話って、本当に民衆のための話なのか?
それとも、あくまで権力者たちが「安定した社会」とか「財政健全化」って名目で、
自分たちを守ろうとしてるだけなんじゃないのか?
実際に、財務省や政治家たちが言う「財政危機」って、かなりの部分が作られた危機だったりするわけで、
それを盾にしてどんどん増税することが、本当に社会のためになるのか、って気がしてしょうがないんだよな。
正直言って、こういう状況がずっと続く限り、私たちの未来に希望があるなんて信じられないよ。
いつかは、この腐敗したシステムを変える力が現れることを願ってる。
確かに日本の財政状況は小学校・中学校で習った通り、膨大な借金があるし、借金返済には金利も絡んでくる。低金利で回してるけど、金利が上がれば返済負担はさらに増すという指摘もその通り。お母さんが家計を守ろうとするように、財政健全化を目指すのも一理あるんだ。
ただ、政府の財政は家庭の家計と少し違って、国全体の経済や成長を支えるための投資も含んでる。例えば公共投資や教育、社会保障などにお金を使って、将来の成長を狙う意図がある。国債も一種の「みんなへの投資」だと言えるかもしれない。
財政均衡主義が問題視される理由の一つは、無理な緊縮が経済の成長を妨げてしまう可能性があるから。景気が低迷している時に無理に借金返済を優先すると、経済活動が縮小して収入も減り、かえって借金が増える可能性もある。結局、健全な財政も大事だが、経済成長を支えるバランスが大切だってことだね。
アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領は、2023年12月に就任して以来、急進的な経済・財政・金融改革を進めています。彼の主要な政策の一つは「ショック療法」と呼ばれるもので、これは急速な財政健全化を目指すものです。具体的には、中央銀行の廃止と通貨ドル化、財政赤字の削減、政府機構の大幅な縮小、そして規制緩和を推進しています。
金融面では、ハイパーインフレの抑制を最優先課題としており、2023年末にはインフレ率が25.5%に達していましたが、その後は物価上昇率を低下させ、政策金利も大幅に引き下げられました。また、通貨ドル化を実現するため、アルゼンチン経済のドル依存度を高める政策も推進していますが、この過程には多くの課題があります。外貨不足や国際収支の不安定さが懸念され、ドル化の維持が困難であることが指摘されています。
財政面では、緊縮政策を強化しており、政府支出の削減や省庁の再編を通じて財政の立て直しを図っています。特に、公共部門の縮小や補助金の削減が実施され、早期に財政黒字を達成しています。これらの急進的な政策は国民生活に痛みを伴うものであり、失業率の上昇や経済成長の減速も問題となっています。
ミレイ大統領の改革は、アルゼンチンの過去の失敗から学んだ急進的なアプローチで、アルゼンチン経済を再生するための大きな賭けとなっていますが、その効果は長期的に評価される必要があります。
https://toyokeizai.net/articles/-/169713
――財源に社会保険を活用するとしていますが、どのような議論があったのですか。
小泉進次郎(以下、小泉):社会保険、消費税などの税、国債と議論したが、まず国債は除外した。教育は未来への投資だから国債で資金調達してもよいと一部の方は言っている。教育が未来への投資であるのは同感だが、その理屈を言い出すと、何だって未来への投資になる。
こんなことが通ってしまったら、すべてが(国債で資金調達しろと)くるだろう。そして未来への投資と言いながら、そのツケは未来の世代に回すことになる。
OK,「日本が景気低迷している」と「日本の生産性は低い」というのが共通認識として話してみよう。
ここから生産性を上げれば経済成長できると考えるのは、あまりに短絡的としか言えない。
まず考えるべきなのは、なぜ「日本の生産性は低い」のか、という点。
生産量というのは消費量と一致する。言い換えると供給と需要の総量は同じになる。これはおおよその考えとして理解してもらえると思う。需要以上に生産しても消費されないままの無駄になるだけだし、供給が少なければ価格が高騰したり奪い合いになったりして生産量だけ消費されることとなる。
ミクロ経済で言えば、シャウエッセンの価格を上げ過ぎたために需要が減ってしまったり、マスクが品薄でドラッグストアに行列ができたり転売価格が高騰したりと言った感じかな。
まず家計はおおよそ貧しくなっている。給料が上がった世帯もないわけではないだろうけど、景気が悪くて給料据え置きもしくは下がったという世帯の方が多いだろう。ニュースなんかでも物価が上がって生活が大変というのはよく言われるけど、給料上がったという話は全然聞かない。家計の需要は抑えられていると考えるのが妥当だろう。
企業会計はどうだろう。「日本が景気低迷している」のだから、消費が見込めない。従って生産量は抑えられる。ということは資材の消費も同様に抑えられることになる。また、「日本が景気低迷している」のだから、収益の伸びは見込めない。だから設備投資も控える。企業会計の需要も抑えられていると見られる。
最後に財政を考えてみよう。「財政健全化」をうたって歳出は抑える一方で歳入を増やそうとしている。財政歳出を減らすということは、政府による消費を減らすということなので需要を減らすことにつながる。また、増やそうとする歳入は、税金や社会保障費として国民から徴収することになるので、それは家計や企業会計の負担を増やし、ますます需要を減らすことにつながっている。結局、財政も需要を減らす方向に働きかけていることになる。
あと残るのは外需だけだけど、日本に資源はないし、日本経済は腐っても世界第三位の規模なので、これを満たせる外需は存在しない。仮に外需で需要を満たそうとすると、当然、外国の需要を奪うことになるので摩擦は避けられない。もちろんインバウンド需要みたいな内在化させた外需なんて、規模が小さすぎて国民全員の需要を満たせるわけがない。
結果として、日本の需要は縮小する一方で拡大する見込みはない、ということになる。
人によっては「需要はある」という人もいるけど、需要自体には偏りがあるからモノによっては大きな需要があるものもある。
「失業率が低いから需要自体は低くない」と言っている人もいるけど、それは逆。需要が低くて消費量が少なくても、雇用を維持して生産量を落としているため、結果として生産性が下がっていることになっている。
つまり、需要が拡大しない限り生産量が制限されるので、景気は回復しない。
仮に労働力の流動化をしても、生産量を増やせないので、失業率を上げることにしかならない。
生産性を上げる施策をしても、生産量を増やせないので、効率が上がった分だけ人手があまって失業率を上げることになる。
失業率が上がると、また家計の需要は下がるため、さらに景気は悪化する。
では、何を変えるべきか。
現実に起きている出来事を変えることは不可能で、変えることができるのは人々の意識や考え方だけ。
家計については変えられる要素はない。企業会計についても現実に対して受け身で変えることしかできない。外需については期待できない。
そもそも「財政健全化」自体は財政の持続可能性を目指して行われているはず。しかし、現状見てきたようにその方針自体が日本経済の持続可能性を損なっている。日本経済の持続可能性を損なっているということは、財政の持続可能性も当然損なわれていることになる。とすると、方針の立て方そのものが間違っていることになる。
緊縮財政がさらに悪いのは、財政自体の需要を減らすだけでなくて、増税や社会保障費を値上げすることで家計や企業会計の負担も増やして需要を下げていること。
つまり、家計や企業会計を食いつぶすことで財政を維持しようとしている。日本経済を食いつぶすことで財政を維持するなんて、本末転倒としか言えないけど。