はてなキーワード: 芸能界とは
あのさあ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44981880Y9A510C1000000/
>平均活動期間は約3年9カ月だった
な?全然そんなもんでしょ
会社がどうとかグループがどうとか、さも特殊なことのように話してる人居るけど
そんなもんだよ
一応、女性の平均勤続年数も出すと、6年だ
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0213_01.html
そんなもんだろ?
あと、移籍したり個人になったりしたとて、それも別に特別なことじゃない
嫌になったとか、やりたいこと変わったとか、芸能界でも色々あるじゃん
一方で、長く残る人も居る(リアルアイドルはさすがに10年あたりに壁があるけど)
そんなもんだって
_____
わからんかな
「会社に問題があるという噂」は別にあったらそうかもしれないんだけど
「誰かが辞めるということは会社に問題がある」は、統計上言えないってことだよ
「あの人が辞めるらしいよ、やっぱりこの会社は酷いんだ」
みたいな噂立つんだけど、ちゃんと調べないと統計的に分からないんだって
俺が前いた同期全部辞める会社みたいなのは問題があるんだと思うけど
40になってから年の差婚を望む男が張り合う相手は若い女を上回る出生数の若い男、既婚不倫おじさん、バツありヤリチンおじさんであり、女ではない
現実の年の差婚は他人の旦那様でありパパである既婚男性との不倫や有名人といったステータスといった、頼れるお父さんを求めるファザコン女をくすぐる要素がない無理
ヤリチンが女相手の商売で独身貫いてた芸能界みたいな特殊な世界と違い、一般社会の高齢未婚男性は男からもバカにされたりいじめられてきたチー牛がそのまま経年劣化したポジションしかいない
年齢や収入のハンデを上回る人間的魅力があれば30女が若手扱いな上に男はスペックでふるい落とされる婚活にわざわざいかずとも自由恋愛で女を捕まえてるからね
10年くらい前だけどモーターショーその他イベントでコンパニオンとかキャンガルみたいなのやってた立場としていうと、タレントとかモデルとか芸能界で身を立てていきたい人としてはそのチャンスがあるなら掴みたいし、そうでなくてもチヤホヤされたいからそういう仕事を選んでいる。
で、モーターショーってド派手なイベント型広告みたいなもんで、そこは結局どういう意図でどういうメッセージを客に伝えるか?になる。
それに当たって布の少ない服を着た女性を立たせてアピールする・客寄せするというのはどういう意味なの?と言われるのは当然(というか消費者がそういう意見言うのは批判されるべきことではないのでは?)で、
そのイベントにコンパニオンとして出ている女性がどういう気持ちで仕事しているか、なぜその職業を選択しているかの話はしていない。
企業がどういう意図で購買対象でもない布の少ない服着た女性を使っているのか。という話。
となると、この車を買ってもらいたいメイン対象は男の人で(これはもう明らかだと思う)、男の人は布面積が少ない女の人に鼻の下を伸ばして引っ張られてくるし、それに都合よく利用できる性的なアイコンとして利用しよう!ということになるだろう(ここ否定する人いる…?)
なので、
男性に対しては「どうせ若い女のグラビアに鼻の下伸ばしてんやろ」という嘲笑
女性に対しては「ただの性的アイコン・道具」という扱い、見下し
それぞれがあると思っている。
私が当時どの会社のどういうブースに立ってたかは言わないけど、
当時からコンパニオンを使わず、クルマそのものをアピールするみたいなところはあった。
しかし、一昔前、一般女性の逆はプロ女性=水商売の人という感じだったのではないだろうか。
しかし、いまは芸能界のひともプロ女性に入り、アナウンサーやキャビンアテンダントもプロになっているのかもしれない。
要は有名人と接する機会が多いとサラリーで働いているひとでも”プロ”になるのか?
というのはさておいて、マスコミが報道するのはまだしも、自ら相手を一般女性というのはちょっと抵抗感がある。
一般じゃなくて君が選んで相手も選んだ末の結婚ではないのだろうか?
ちなみに入籍という言い方もなんだかなと思います。要は自分が選んで俺の席に入れてやったということでしょうか、、、
今は法律上おそらく独立した戸籍を作っているとすると、そういうわけではないだろう。
ということでちょっとがっかりな話だった。まあ23歳の若者にそんなことをいうのはお門違いで幸せになっていただきたいとは思いますが
やっぱり演技がいいのか?
キャラが好かれてるのか?
歳を取ってても綺麗だからか?
謎だよ
CMも色々出てるし
SK-IIも出てるし
何者なんだ綾瀬はるか
綾瀬はるかは、日本のエンターテインメント業界において長年にわたり高い人気を誇る女優の一人である。彼女は1985年生まれであり、間もなく40歳を迎えるが、その人気は衰えるどころかますます確固たるものとなっている。この現象は、単にルックスの美しさや演技力だけでは説明しきれない。彼女の持つ独特の魅力や業界内での立ち位置、そして時代の流れとの関係性を考察することで、その理由を明らかにしていく。
まず、綾瀬はるかの最大の魅力の一つは「親しみやすさ」と「透明感」である。彼女はデビュー当初から清純派女優としてのイメージを確立しつつも、バラエティ番組などで見せる天然でユーモラスなキャラクターが視聴者に強く支持されてきた。一般的に、美しすぎる女優はどこか近寄りがたい雰囲気を持ちやすいが、綾瀬はるかの場合はその逆である。美しさと親しみやすさを両立させる稀有な存在であり、幅広い層からの支持を得ている。
次に、彼女の演技力と役柄の幅広さも人気の要因である。デビュー当初はラブコメのヒロイン役が多かったが、その後、時代劇やシリアスなドラマ、アクション作品にも果敢に挑戦し、確実にキャリアの幅を広げてきた。特に、映画『ICHI』やドラマ『JIN-仁-』などではシリアスな役を演じ、演技派女優としての評価を確立した。単なる「美人女優」にとどまらず、確かな演技力を持つことで長期的な人気を維持できているのである。
また、広告業界においても彼女の価値は非常に高い。綾瀬はるかは多くの企業のCMに起用されており、特に食品・飲料・化粧品などの分野で圧倒的な存在感を放っている。彼女がCMに出演することで、その商品に「信頼感」や「安心感」が生まれ、消費者の購買意欲を刺激する。そのため、企業側も彼女を積極的に起用し、結果として彼女の露出が増え、人気の維持につながっている。
さらに、時代の変化も綾瀬はるかの人気を支える要因の一つである。現在の日本の芸能界では、SNSの発展によりスキャンダルが即座に拡散されやすくなっている。しかし、彼女は長年にわたり大きなスキャンダルがほとんどなく、清廉なイメージを保ち続けている。そのため、視聴者や企業からの信頼も厚く、安心して応援できる存在となっている。
最後に、40歳を迎えようとしている現在でも、その美貌と健康的なライフスタイルが維持されている点も人気の理由として挙げられる。年齢を重ねても若々しく、かつ自然体でいることが、特に女性層からの支持につながっている。また、ドラマや映画での活躍も続いており、単なる「若さ」ではなく「実力」で評価される女優へと進化していることも、彼女の人気が衰えない理由の一つである。
以上の点から、綾瀬はるかの人気の秘密は単なるルックスや年齢にあるのではなく、親しみやすさ、演技力、広告価値、スキャンダルの少なさ、時代の変化への適応力など、複数の要因が複雑に絡み合っていることがわかる。彼女の人気は偶然ではなく、長年の努力とブランディングの結果であり、今後もその地位を保ち続ける可能性が高いと考えられる。
歌舞伎役者とぼんちおさむは、日本の芸能界において異なる分野で活躍する存在であり、見た目や表現の面で共通する要素があるものの、その歴史的背景や芸のスタイル、活動の場には明確な違いがある。これらの違いを明らかにするために、それぞれの特徴を比較しながら考察する。
まず、歌舞伎役者とは、日本の伝統芸能である歌舞伎において役を演じる者を指す。歌舞伎は江戸時代初期に成立し、400年以上の歴史を持つ芸能である。歌舞伎役者は、代々の家系を継承する形で育成されることが多いが、近年では門下生として修行を積み、外部からも参入できるようになっている。彼らは特有の発声法や所作、立ち回りを習得し、舞台上で洗練された演技を披露する。また、女形と呼ばれる女性役専門の役者が存在し、優雅で美しい動きが求められる点も特徴の一つである。
一方で、ぼんちおさむは、日本のお笑い芸人であり、歌舞伎役者とは異なるジャンルの芸能活動を行っている。本名は長瀬修一で、吉本興業に所属し、漫才コンビ「ザ・ぼんち」のメンバーとして活躍した。特に1980年代の漫才ブームにおいて、「おさむちゃんで~す!」の決め台詞とともに人気を博し、テレビや劇場を中心に活躍した。ぼんちおさむの芸風は、テンポの良い掛け合いとユーモラスな動きが特徴であり、庶民に親しまれる笑いを提供することを目的としている。
このように、歌舞伎役者とぼんちおさむは、それぞれの分野で観客を楽しませるという共通点があるものの、その成り立ちや演技のスタイル、活動の場において大きな違いが見られる。歌舞伎役者は長い伝統の中で技を磨き、格式ある舞台芸術を継承する役割を担っているのに対し、ぼんちおさむは現代の大衆芸能としての漫才を通じて笑いを提供している。こうした違いを踏まえることで、それぞれの芸能文化が持つ独自の魅力を理解することができる。
芸能界のトップ層として、この組み合わせの運命はなんとも象徴的に明暗を分けたなと感じる。
昔、松本がさんまのまんまに出た時はどこかピリつく空気があって、さんまは隙があれば松本を落とすような流れを作ろうとしてるなと感じた。
一方で松本からすればさんまはまあ大先輩だしなにか思う所はそれほどなかったんじゃないかと思う。
元々さんまは人気のある芸人に対してはやたら対抗心を燃やすタイプなので、まあライバルとして認めていたともいえるかもしれない。
たださんまからすると松本はあるべき芸人像とは相反するとこがある。世間の皆様あっての我々やで、みたいな信条に大してダウンタウンは上から笑かそうとうするようなところがあった。
なのでさんまの哲学としては松本は相性が悪かった部分も大きかったんじゃないかと思う。
さんまと中居の関係については、仲が悪くなったということでもないだろう。
さんまとキムタクは毎年正月特番をしてる。その中での発言だったと記憶してるが、
触れないわけにもいかないという前置きで、「まあ色々あって、キミらも・・もう仲直りせえや、あかんのか?」と木村に言っている。
キムタクはすっとぼけていたがさんまは27時間の中居とのコーナーでも「俺を木村派やと思ってるやろ、俺はSMAP派や!」とか「俺はメリーさん派やからなあ」とか言っていたと思う。
その後、いくつかの番組で「俺は木村派やからな」とか「俺はメリーさん派やから、家族ぐるみで世話になってるし」みたいなことを時折言っていた。
なのでどこかのタイミングで(メリー氏に言われたのか知らないが)どっちにつくかみたいな事をある程度明言することに決めたんだと思う。
ただ、別にさんまと中居が揉めたとかそういうことはないと思うので、まあ仕方なくそうなってしまったってのが実情なんじゃないだろうか。
そしてそういった一連の流れと、中居が松本を慕うようになったことが合わさって、まるで芸人トップとアイドルトップの二組のコンビみたいな状態になっていった。
松本は中居と番組をやるようになって、木村とさんまは今も毎年仲良く特番をやっている。
キムタクは一連の出来事について特になんのコメントも残していない。と思う。インスタに犬の散歩写真を上げたくらいか。
さんまは松本については「復帰して頑張ってくれることを俺等は祈るだけやからな」と、中居に対しても引退について「戦友やから、お疲れ様やな」とそれぞれコメントを残している。
個人的には世間に叩かれることを覚悟の上でこういったコメントを残すのはさんまは義理堅いなと感じた。
自分はSMAPもダウンタウンもほぼ直撃世代であり、彼らとともにテレビバラエティを築き上げていたフジテレビが凄惨な状況になった今
ひとつの時代の終わりを感じる。普通ならもっと緩やかに消えていきそうなものを、こんなに劇的に変化するというのは衝撃でしかない。
ここまで衝撃を受けたのは安室ちゃんの家族の事件以来かもしれない。
たかがテレビだが、自分ら世代にとってテレビはすごく大きなものだった。
SMAPもダウンタウンも大好きだったのに、こんなことになってしまうなんてもう世代として情けない気持ちになってしまう。
なにが切ないって、これらの全てのことが、女絡みってことだ。そして起こった事に対してのムーブ全てがまたなんともカッコ悪いものだった。
おそらくクロちゃんも該当すると思うんだけど
笑わせる芸ではなく笑われる芸は
権力者への媚びでしかなく蔑みの対象というスタンスを出したのがダウンタウンだった。
それで昔は坂田利夫を蔑んでたけど坂田師匠尊敬すると言うようになった。
理由はたぶん
イジってもらうしかなく、苛立ちを買うその姿に視聴者含む関係者は攻撃的になってくるのだけど
それでも必死で食い下がってくる姿には野生動物のような一種の尊さが滲み出てくるから。
ダウンタウンや北野武や島田紳助などのような、福祉的に養う立場になった人をイジメ芸としてキャンセルすると
知的生産できない人を困った状況にするという事例だと思う。
男は脳をセックスに支配されてるから、穴があるというだけの相手に血迷ってとっ捕まったり自滅する
芸能界やその周辺をうろついてる女はどんなアホでもきっちりや芸能人やセレブや高身長を選別して選ぶ
チンポだけは皆平等についてるにも関わらず
性加害にだけ注目すると分かりにくくなると思う。
まず芸能人ってどういう気質の人が残りやすいかがポイントでしょ?
成り上がりたい人の数が多いのが芸能界。出たがり目立ちたがりで我が強い人が多いとも言える。
自分で売り込んでいかなきゃ行けない世界で厳しい一方、芸があれば他ではやってけない人間性の人も許されやすい世界でもある。
成り上がりたい人が成り上がって何したいかと言えば、子分を従えて好き放題王様女王様やりたいとか、好みの若い子侍らせたいとか、まあ欲望全開な事も多いでしょう。