○調子
むきゅー。
お休みむきゅーなので、むっきゅりしながら、むきゅむきゅしてた。
ノー課金。
○ポケとる
とりあえず、メガストーンが貰えるボーダーには乗せたので、経緯を見守ろうと思う。
昨日「ノルマ」とか書いたせいで「やらないといけない感」が出て、逆に酷く嫌になってきたので、未プレイ。
寝る前に一勝ぐらいはしときたいけど、多分やらない。
○スマブラfor3DS
をクリア。
・「フィールドスマッシュ」の最終戦ですべてのファイターで1位をとる
・「フィールドスマッシュ」の最終戦で20回以上1位をとる
・「フィールドスマッシュ」の持ち込みアイテムをすべてそろえる
・カスタマイズパーツの”ぼうし””からだ””必殺ワザ”をすべてそろえる
の、10項目。
・「フィールドスマッシュ」の持ち込みアイテムをすべてそろえる
・カスタマイズパーツの”ぼうし””からだ””必殺ワザ”をすべてそろえる
この三つはハンマーを使う予定。
http://anond.hatelabo.jp/20160904033715
選定基準は
・読みやすい
・有名で、他の本や映画に出てきがち
ド名作。読んでおくと伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』がもっと楽しい。
早く来てくれオーバーロード。
③永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編カント(訳:中山元)
「本邦初訳」作品。古典新訳文庫ならでは。イタリアっぽいユーモア。
エログロ。
『藤野先生』も『狂人日記』も入っていてお得。訳者の村上春樹と中国の関係についての研究も面白い。
誤訳が多いらしいが、すごく読みやすかった。他の訳では通読できなかったと思う。
訳者は元国際プラトン学会会長(2007~2010年)で、解説の量がすごい。
読んでおくと、あの映画とかあのミステリーとかのネタ元なので捗るはず。
⑩闇の奥 コンラッド(訳:黒原敏行)
『地獄の黙示録』の原作。個人的には「叡山の僧兵の大将」中野好夫の訳より好き。
―――
①グレート・ギャッツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)フィッツジェラルド
村上春樹の訳が好き。
『英文の読み方(岩波新書)』など、英語の読み方の著作に定評のある行方昭夫の訳で。
野村萬斎が自ら演ずるために、河合祥一郎に新訳を依頼しただけあってとても読みやすい。
『月下の一群』の堀口大學の訳で。
⑨カフカ-ポケットマスターピース-01-集英社文庫ヘリテージシリーズ
小説家の多和田葉子の訳で。『変身』は先に別の訳を読んでおいた方が新鮮かも。
⑩マーク・トウェイン-ポケットマスターピース-06-集英社文庫ヘリテージシリーズ
はてな民ならハックルベリーは読んでおきたい。柴田元幸の訳で。
―――
一年前、忙しくなってしまったこともあってゲームを殆どやらなくなってしまっていた。
そして最近になってようやっと余裕が出来たので、ずっと胸につかえていたクリア寸前のゲームを再開した。
起動してみて、まず思ったのは、予想より1年前のことを覚えてなかったことである。主人公とその相棒が離れ離れになってしまった、それは覚えていた。ストーリーの大筋も覚えている。しかしラスボスの設定とかサブキャラクターの立ち位置とか完全に忘れてしまった。クリア寸前なのに最初からやり直すのも嫌だったので感想ブログなどをググってようやく思い出す。
そして驚いたことは、クリア寸前なんだろうなとは薄々感づいていたのだが本当にあと少しだったということだ。具体的に言うと半日プレイしたらクリアした。あの時、忙しいからと途中でやめてしまったのが本当に悔やまれる。あのストーリーに没入していた時にクリアしたかった。
そんなこんなで一年経ってようやくゲーム内主人公と相棒は再会でき、世界にも真の平和が訪れた。
君の名は。観てきた。広島の小規模イオンでも客席は7割以上埋まっていた。
鑑賞後感は「すげえ」。泣きはしなかったが鳥肌が立った。シン・ゴジラも「すげえ」って感じだったがこちらも負けず劣らず。
しかし冷静に考えてみると内容は深夜アニメでよくあるセカイ系とかループものものとかいわれるものである。まあ実際は3年間の行き来しかしないのでループものというかは微妙だが(タイムリープもの?)、その系統ということで。ループものは観客に手軽に「なんとなく壮大な印象」を与えるには抜群の素材であるが、ちょっと映画やらアニメやら齧ってる層にとっては「またこれかよ…」と食傷気味の反応をされ兼ねない諸刃の剣でもある。
にも関わらず僕は「すげえもん観た…」と思った。既視感もシラけもなく新鮮な気持ちで熱中できた。僕がなぜそう感じたかをちょっと書く。
まずこの作品の構成要素をざっくりいうと次の3つになると思う。
・恋愛
・入れ替わり
・ループ
僕が「すげえ」と感じるのは「内容が予想を超えてきたとき」だ。だからこの作品をループものだと先入観があった上で観ていたらきっとマイチキンスキンはスタンドしなかっただろう。予想の範疇なんだから。
この点、「君の名は。」は予告の段階では「恋愛」と「入れ替わり」のとこだけをプッシュしていた。実際、僕はこの作品を入れ替わりものだと思って観たし、大多数の観客がそうだったと思う。そして途中で初めて気づく。これはループものだと。ここで僕の中で「内容が予想を超えてくる」わけである。「知ってた」と「気づいた」とでは受ける心理的効果が大違いで、「気づき」は観客に鳥肌を与えるし、急に目の前にループものを持ってこられたことでこっちは先入観なしでノーガードなわけなので「またこれかよ…」とならない。結果、ループものの効果が最大限素直に入ってくるので「俺今ものすごく壮大な物語を観ちゃってる…!」となる。
要するにこの作品はループものだが観客にループものという先入観を抱かせなかったのが上手いと思う。
この点、シンゴジラも予想を超えてきたのがよかった。最初に出てくるどう見てもゴジラじゃない生物によって観客は劇中の公務員と同じ視点になれるのだ。「一体このでっかい魚はなんなんや…!」と。
観客に悟られないように先入観を忍ばせて、それをドガーンと破る。これむちゃくちゃ効果的だなあと。僕もこの手法で小説でも書いてみようか。
先に言っておくがタイトルほど内容は無い
周りの誰にも話せない事で、ずっと一人で抱えているのもつらいかったから
ここで吐き出させてもらうことにした。
主義主張のある内容でもないしまとまりもないからさらっと流してほしい。
いわゆる性嫌悪なのかと思っていたけれど、性欲自体はあるからそれも多分違う
彼氏はいらないけどセックスはしてみたい、という気持ちが年々強くなった
”いらない”というよりも”できない”といったほうが身の丈に合っているのは自分でも分っている
そこらへんが苦手なあたり、私は”正常”な人間からずれてるんだろうな
それに、「セックスしたい女は風俗で働けばいい」なんて簡単に言うけど
正直なところ相手は選ばせてくれ
誰でもいいわけじゃない。清潔感とか距離感とか、そういうのあるじゃん
プラス、顔が良いに越したことはないけど
風俗だったら金をもらって奉仕する以上、どんな客が来ても相手を喜ばせるために
だから、”セックスしたい=風俗で働く”という方程式には無理があると思う
一方、売るんじゃなくて買えばいいじゃんとも思ったけど
「若い女性は無料でお相手します」なんていう女性向け風俗も気味が悪い
結局はお前の快楽のためだろ?と思って利用する気になれなかった
そういうHPや他の女性のレポ等を読んでるとこれは無理だと思った
前述したが、友達の猥談が無理という時点で身近な人と関係を持つことも不可能
結果、私はハプニングバーに行った(どういうところかわからない人は検索してみてください)
プライバシーはそこそこ守られる
化粧もそこそこにそれなりの身なりをした女なら基本的に無碍な扱いは受けないし
なんて素敵な場所なんだろうと思った
しかし一回行ってみるだけじゃ飽き足らず、同じ店にもう一度行ってある事を学んだ
一度でも顔見知った相手を私は受け付けないんだという事
話した内容が猥談な分、拒否反応は日常で出会う人との比じゃなかった
もう、これって何かの障害なんじゃない?と悩んだ。ぶっちゃけ今も悩んでいる
不特定な相手だから病気も怖いしハプニングバーに通い続けるのも正直どうなのかしらとは思っている
ついでに言いたい事としては、”あそこにいる女は風俗嬢とかのサクラばっかりだ”って言う人を目にするけど
こういう女だって紛れ込んでるんだぜ、って事かな
女の性欲、セックスは相手への愛情だとかなんとか良く目にするけど
イコールで結びつかない自分が確かにここにいて、もやもやが続いている
結局、私は他人に自分の事を深く知られるのが恐くて気持ちが悪いんだろう
人と心の距離を詰めるのは無理、なんて言っている以上
このままなら恋人なんてものも出来ないだろうし、作るための行動をする気もないし。
いつの日か、いわゆる”心がつながるセックス”なんてものを経験出来たらいいですねって
とりあえず一人で生きていける、一人で迷惑をかけないように死んでいけるように頑張ろうと思う
人を好きになる、人を愛するって何なんだろうな…
特定の特徴的なキーワードを含ませたり、似たような内容の長文を何度も投稿したりすることで、読者に「あ、いつものあいつだ」と思われてる人、増田に何人かいるけど、あいつらって何考えてるんだろうな
1. コーカサス山脈の南麓、黒海の東岸に位置するグルジア(ジョージア)国のアブハジア自治共和国のグダウタ地区にある
1965年(昭和40年)1月1日の朝日新聞に、長寿村としてこのドリプシ村が紹介された。100歳を超える人が数多く暮らし、
しかも子宝に恵まれているその秘密は、はっ酵乳をたくさん飲んでいることだと書かれていた。
2. 同村にあやかって命名された日本酪農協同株式会社(毎日牛乳)が販売する乳酸菌飲料。1966年発売。
最初に言っておくと、流行っている物を否定する自分カッコいいと思って書いてませんし、
『君の名は。』が良いという人の何が、どこが良かったのかを、真剣に聞きたいだけです。
・主人公2人はどうして惹かれ合ったのか?
…仮に自分が女子高生だとして、無意識のうちに他人(男)と入れ替わってて、胸を揉まれていると分かったら、
逆に自分が男になっている間になんとかして社会的に殺そうとしないだろうか?
・入れ替わっている時、年号が違うことになぜ気づかないのか?
…多少なり新聞やTVなどのメディアを見ていれば、3年前or後にタイムスリップしている事くらいすぐ気づきそうなのに。
そもそもカレンダーとか曜日が違うから、違和感ありまくりじゃないのか?
・3年前に既に会っていることをなぜ忘れているのか?
…受験期間というナーバスな時期に、あんなキチガイじみた女子高生に遭遇していたら、
間違いなく覚えていると思うんだけど、記憶喪失にしては都合良すぎないだろうか…。
・三葉はどうやって父親を説得したのか?
…あえて描かないことで、観る人間に解釈させる余白を持たせたのだ、という考え方も有ると思いますが、
他にも色々言いたい事はあるんですけど、総じて、設定もキャラクターも、
すべてが作る側の「ほら、こうすれば感動するんだろ?泣くんだろ?」っていう思惑に振り回されすぎてて、気味が悪い。
グラフィックについての話。
他のメディア、漫画も絵画もアニメも「本物そっくり。現実の世界と瓜二つを目指す」なんて地点はとっくに過ぎ去って
各々独自の個性的な表現を模索していってるっていうのに、ゲームはいかに本物っぽいかを目指している傾向が見られる。
作り手もユーザーも。確かに子供の頃、バーチャ2、FF7、FF8なんかには心躍った。
ゲームの面白さってそういうところから一番遠い存在だと思ってたけど。
余談だが映画は例外で、本物の人間がメインで演じている以上、背景や色彩、乗り物、異生物などが嘘くさいハリボテだと画面全体が浮いてしまう。
・ナムジ -大國主-
・神武
・蚤の王
・安東 -ANTON-
・三河物語
・麗島夢譚
・王道の狗
・天の血脈
西洋史
・イエス
・ジャンヌ
http://anond.hatelabo.jp/20160828032029
勘違いしている人がメチャクチャ多いけど、「リアルである」ということと「リアリティがある」ということは全く違う話だから。
たとえばジャングル大帝を読んで「動物が喋るなんて有り得ない」と思うひとはいないわけで、作品内でちゃんと統一が取れていれば信じられるものが「リアリティ」だから。
現実に即した、あるいは現実に極めて近いと思われる(ように描写されている)作品で、現実と齟齬があるから「リアリティがない」と感じられることがあるという話でしょう。
高校の部活ではいじられキャラだった。(クラスでは目立たないように普通の人を演じてました)まあこれは中学校くらいからなんだけど。でも中学の頃は一言で言うと「愛のあるイジり」だった。部活の子も、クラスの子も、これを言ったりやったりしたらダメだなっていう裁量がちゃんと分かってた様な気がする。しょっちゅういじられてたわけじゃないから私も嫌な気分はしなかった。
でも高校は、そういうのをきちんと理解してくれない人がいた。いきなり距離感を詰めすぎたり、行きすぎたイジり方をしたり。私はいじられキャラだから、こいつならいつでもどうイジっても良いと思ってた人いたんじゃねって思う。
具体的に言うと、同じ部活の可愛い女の子と喋ってると「〇〇に近づくなーっ!」て跳び蹴りしてきたり。同じ部活のちょっと変わった男子と話をしているだけで「〇〇のこと好きなの?」ってしつこく言われたり、私とその男子のことをCP名みたいな言い方したり。
私が精神的に参ったのは部活紹介でパンフレットを作る時に、部活で〇〇な人みたいなコーナーを作ろう!となった。パンフ作る係の人がが、その中で「部活内でMな人」といういかにも私な項目を作った。当然結果はダントツで私が一位だった。流石に私は「本当に嫌だからパンフレットに載せるのは辞めてくれないか」とお願いした。ところがその係の人は全然理解してくれなかった。中には私が嫌がってるんだから載せるの辞めたらと言う人もいたけど、結局は多数決で「いじられキャラ」みたいな優しい表現に変えて私の名前が載ることになってしまったのだ。
あれだけ嫌だと言ったのに、意見が通らなかったこと。そして、同じ部活の友人Bに「どんな項目でもランクインしない影の薄い私より良いじゃん。いじられキャラって皆に愛されてるってことだよ」っていう訳のわからん慰め方をされたりしたことで私は限界が来てその日の帰り道マンションの駐輪場で人知れず泣いた。
なんで?なんであんないじられ方が愛されてるってなるの?あんたも私が蹴られたりしたの知ってるくせに。行きすぎたいじりは嫌だってこと話したはずなのに。他の子は練習熱心な人、とか憧れの人、とかでランクインしているのに私だけこんなことで、しかも後輩からも票を集めててとても情けなくなった。だってこれ、親に見られたり、クラスの人に見られたりすることもあるのに。こんな恥ずかしい思いしたくないのに。ていうか私だって人並みに羞恥心だってあるし年頃の女の子なんですけど。なんでこんな汚れ役みたいなのみんなの分まで買ってやらないといけないの?
(今考えれば「言えば面倒くさい奴だと思われる」と思い普段からちょっといじられすぎてても嫌だと皆の前ではっきり言えなかったから、皆に自分がどれだけ嫌な思いしてるか伝わってなかったんだろうなと思う。)
たぶん私はBが普通の女の子として周りを気にせずに恋愛を出来ていることに心のどこかで羨ましさがあったと思う。だってさー、ブスで、しかも部活で酷くいじられてる女子と話ししても一緒に帰ってもなんの得にもならんじゃん。あとは、さっきあんな風に慰めてたけど心の中では女としての立場は上と思ってるんだろうなと勝手に想像したりした。心がとても荒んでいた。
あ、ちなみにこの事未だに根に持ってます。土下座して謝られても絶対に許さない自信あります。おそらく一生許すことはないでしょうね。