はてなキーワード: 伝統食とは
塩だのうま味調味料だのより、実は何倍も価値を過小評価されてるのが「酢」。
砂糖が精製できるようになって、砂糖中毒の人類は酢の素晴らしさを忘れてしまった。
実は人間の味覚として、「酸味」って「甘味」とだいぶ互換性があるんだ。糖分を減らしてすっぱい味つけにしてみると案外それで成立しちゃう。
さらに、酸味を取り入れた料理をしてみるとわかるけど、酸味の効いた味は、現代の精製米、精製小麦パンよりも、玄米や雑穀、黒パンなんかにはとってもとっても合うんだな。
現代食は、おかずが甘くなって、それに合わせて主食も甘くなっちゃってるわけ。
昔の言葉では「塩梅(梅酢と塩)」とも言うように、塩と並ぶ調味料と言えばお酢(酸味)だった。
これは和食だけではない。
フランス料理だって、伝統的なソースは「レモン」「ビネガー」などの酸味と油を混ぜ合わせたもの(マヨネーズもフレンチドレッシングもそうでしょ?)。
そして言うまでもなく、酢はとても身体に良い。最近は常識だよね。
甘いもののかわりにすっぱいものの代替食っていうのは、ダイエットにもかなり効く。
肝臓を助け、血糖値の安定や胃酸の助け、アルコールの分解にも役立ちます。良いこと尽くめ。
甘えだよね。いや、すっぱいのも普通に増田は好きだけどね。そんなにみんな甘い方が良いか?
「学校パン給食推進協議会」設立、週2回のパン給食目指す「子供達により美味しいパンを」
https://www.ssnp.co.jp/news/rice/2018/10/2018-1022-1004-14.html
社会的な食育推進により学校給食ではパン食が激減しておりパン業者にとっては厳しい状況となっている。
それを受けてパン業者が集まり学校パン給食推進協議会を設立しパン食推進に向けて活動を始めたのだが。
主張がこじつけな印象が否めない。記事を何度読んでも謎である。
この学校パン給食推進協議会は「米飯2回、パン2回、麺1回」を目指しているという。【記事ではバランスの取れた給食と報じられている。】
現状の調査や対策は必要でも、あくまでも食育なのだから現状の実態に合わせるのは話が逆だと感じる。
伝統食振興の意味もあっての食育であり、米飯2回、パン2回では却ってバランスが悪いのではないか。
まして和食はユネスコに登録されているので同じレベルの話では無いと思う。
麺はともかくパンが多すぎる。
もしかして機械的に数だけを合わせたのかと思ったが、それだと麺が1回で良い理由が分からなくなる。
週一の主食が、一週目米、二週目パン、三週目麺と交代ならば、機械的に数だけを合わせたと言えるのだが。
ここは上記の項目に近くなるのだが。
政府による第3次食育推進基本計画では米飯給食や伝統食保護が触れられているが、その中でパン食を強調するのはやはり苦しいと感じる。
このため、「和食;日本人の伝統的な食文化」が、「自然の尊重」という日本人の精
神を体現した食に関する社会的慣習としてユネスコ無形文化遺産に登録(平成 25 年
12 月)されたことも踏まえ、食育活動を通じて、郷土料理、伝統食材、食事の作法等、
伝統的な食文化に関する国民の関心と理解を深めるなどにより伝統的な食文化の保
護・継承を推進する。
(伝統的な食文化、環境と調和した生産等への配意及び農山漁村の活性化と食料自給率の向上への貢献)
第七条 食育は、我が国の伝統のある優れた食文化、地域の特性を生かした食生活、環境と調和のとれた食料の生産とその消費等に配意し、我が国の食料の需要及び供給の状況についての国民の理解を深めるとともに、食料の生産者と消費者との交流等を図ることにより、農山漁村の活性化と我が国の食料自給率の向上に資するよう、推進されなければならない。
この辺りを読んでもご飯給食とパン給食の回数が同じというのは却ってバランスが悪いという懸念を抱かせる。パンが週に2回では多すぎるのである。
ここが解決できない限りは学校パン給食推進協議会の主張は通らないだろうし、通すべきではないだろうし、市民の賛成を得る事も厳しいのではないだろうか?実際市民がどうみるかはアンケートを取らないと厳密には分からないが。
しかし、あちこちのコミュニティでコメントを見ていると、市民のうち多数はご飯推進に賛成であり、パン激減を良しとしているように感じる。
仮に上記法律文が無かったとしても現状パンを増やす根拠にはならないのではないか。
まして和食はユネスコ文化遺産に登録されているので事情が違うのではないか。
国際化が進んだこともあり自国文化の振興は大事である。(繰り返しになるが)
学校パン給食推進協議会の主張に理屈が通っているとは考えにくく賛成しがたい。
これだけだと判断が出来ないのだが、戦後のパン食ばかり学校給食の状況を「あの時も食生活の実態から言えば献立が悪かったのは事実だが」と考えて【いない】のならば(これは仮定の話。このニュースだけで断定する事は出来ない)、ダブルスタンダードに感じる。
主張が矛盾していると感じる。
パン食の普及に大きな寄与というが、食育は食生活の実態を考慮すべきという話ではなかったのだろうか。
外部での食生活の実態にあっていないパン食殆どなし給食(現代)は悪くて、外部での食生活の実態にあっていなかったパン食ばかり給食(昔)は良いのか?給食が「パン食の普及にも大きな寄与をし」たというのは、当時のパン食給食が外部での食生活の実態に合っていなかったから影響力を持ったわけだ。
当時、家庭での食生活の実態に給食の方を合わせていたら(国内の食糧事情やアメリカの事などもあって、現実ではそうはいかなかったのだろうが)、給食でパンは出なかったはずだし、給食がパン食普及に大きな寄与なんて歴史は無かったはずである。
これが学校給食が学校外の食事に寄与という話ならば、「現在の和食中心給食も和食の振興に大きな寄与をするのでオーケー。学校給食でパンを増やす必要は一切無し」で良いはずである。しかしこの団体はそのようには主張していない。ここに矛盾を感じる。
結局食生活の実態論は建前であってパン業者の仕事が増えたら教育現場のことはどうでも良いの?、良い悪いの評価はパン業者だけの都合次第なのか?と思う。
学校パン給食推進協議会の方から「当時のパン給食も食育や食生活の実態の観点から言えば悪かったのは事実だ」というセリフは出ていないのだろうか?
当時パンばかりだったからという割合の話では無い、この団体が使用する生活の実態論で行けばそもそも当時はパンが給食で日常的に(例え週1回程度の割合であっても)出ていた事自体が【おかしかった】のではないだろうか?
それをパン食の普及にも大きな寄与と良い事のように言っているのには矛盾を感じるし、結果論としてはその部分に限定して良かったと評価できても、学校パンの歴史は時代の変遷とともに終わったと言って良いのではないだろうか。
こちらについてどのように思われるのだろうか。
肌感覚でパンが国民食として根付いていることを感じる、パンは日本人にとってなじみ深い食品になったと主張している。
確かに家庭のパンへの支出金は増えているのは事実。ならば何故そこまでしてパンを増やさなければいけないのかが不明だ。
単にパン会社救済という側面が強いのではないか。パン会社以外になにかメリットがあるのだろうか??
学校の教育現場の事よりもパン製造企業の金銭的事情を優先する事は出来ないと感じる。
私などはいじわるなので、どうせパン会社を救済するならば学校パン給食推進協議会に加盟していない方のパン会社を救済したくなる。行政、政府関係者じゃないから何もできないけど。
これはパン食の推進とは別の話であり、もちろん、パンだからとかご飯だからとかそういう話抜きにして、子どもたちにどうせ食べてもらうならば美味しいものが良いに決まっている。
学校パン給食推進協議会にとってここの優先順位がどうであれ、目的であれ手段であれ、良い面ではあると思う。
国産小麦で美味しいパンができるという事と、米粉パンという方法もあると、食料自給率の問題について触れられている。
これは良い部分である。
実際、会員企業が製造するパンはおいしいのだろうとは思うが、それはご飯勢も同じだし、大体それとこれは別問題。
記事を読めば読むほど、食育はどうあるべきかという立派な問いはここには無く、教育の食育現場 対 営利企業の営業活動という単純な図式にしか見えなくなってくる。ここに私は強い危機感を感じる。
団体としてはポジショントークをせざるを得ない問題もあるんだろう。そこも考慮すべきであり、単純に悪くだけ言うべき話でも無い。ただそのような仕方のない事情があるのも理解できるがやはりパン給食の回数を元に戻す(増やす)のは食育の後退にしかならず反対せざるを得ない。
https://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000205592
回答
つまり、外国の食文化に触れる機会が大切だとは見なされていない、あくまで和食文化の継承のため一つの手法であるレベルの話。
ただしパンは国民食として根付いているという団体の主張だったので、実際にはこの団体に関わる議論としては関係してこない。あくまでも参考として紹介する。
外国の食文化に触れる機会が大切という論であれば、日本人の口にあったパンの数は減るが、学校給食パン業者に日本人が普段食べないような外国の本場の味を作る事が出来るのだろうか。
https://www.ssnp.co.jp/news/rice/2018/05/2018-0528-1821-14.html
、「自民党で食育の話になると、10人集まっても米一色になってしまう。『とにかくお米にしよう』と、それでは間違っている部分もある。キチンとした理屈で理解を求めていきたい」とした。
とにかくお米というのが具体的にどこがどう間違っているのか、キチンとした理屈というのが何なのかどの記事を読んでも分からない。
レントシーキング(英: rent seeking)とは、民間企業などが政府や官僚組織へ働きかけを行い、法制度や政治政策の変更を行うことで、自らに都合よく規制を設定したり、または都合よく規制の緩和をさせるなどして、超過利潤(レント)を得るための活動を指す[1][要ページ番号]。またこれらの活動を行う人をレントシーカーやロビイストなどと呼ぶ。
民間企業などが政府へ働きかけて自らに都合よく・・・というところはこの件では当てはまっている可能性が高いと思う。
ところが超過利潤ではないな?その面では当てはまっていない。
社会的な利益に結び付いていない点については、その通りの可能性が高いと思う。
高評価点も探しながら、バランスを欠いた視点にならないように学校パン給食推進協議会について書きたかったし、そう書いていたつもりだったが、
ここまで否定的な記事になるとは自分でも思っていなかった。この団体の発言を見る程、パン給食に否定的な想いが強くなっていった。
パン企業の営業活動以外にパン給食のメリットがどこにあるのか、そこをこの団体がはっきりさせてくれないと、高評価するのは難しい。
まず企業活動があってこその学校給食なのではなく、教育現場で学校給食が必要だからこその企業への発注である。企業優先という前例になってしまっては困る。
とにかく、米飯給食を守ったうえで、パン業者の仕事も守る、win-win的なアイデアが登場する事を願っている。
北欧はモンゴロイドの血が入っていることが多いことをご存知ないのは非常にアレだなと思いました
寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
陸続きなんで当たり前っちゃ当たり前なんですがそう思い至らない人たちもいらっしゃるようで
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして食べますし、なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね
小島秀夫も絶賛していたらしい、スウェーデンの映画『ボーダー (Gräns)』
取り替え子 (Changeling)・・・トロールなどの子どもと人間の子どもが交換されるヨーロッパの伝承をモチーフにした話で
森で暮らすヒロインがすごーーく醜いって設定
たぶん増田もはてなもミニシアター映画は観ないと思うので以下完全にネタバレ
ヒロインのティーナは不美人だが、人間の感情を嗅ぎ取り読み取ることが出来る特殊な能力を持つ
彼女は税関職員としてその力を遺憾なく発揮し、日々密輸やその他の悪事を完璧に摘発する
醜い容姿から、幼少期は虐められ、大人になり職を得た現在も不躾な視線は一向に無くならず、
疲れ果て、森の自宅へ戻っても、いるのは働かない上に浮気を隠す気がない同居人と襲いかかってくる犬
父親を見舞いに行けば「あの家はお前のものなんだぞ」とは言われるものの、
「彼は優しい。わたしは一緒にいてくれる人が欲しいだけ」と彼女は答えるしかない
そんなある日、税関で自分と似たような外見と不可解な匂いのする大男を見つける
それどころか、どうみても大男なのに女性器を持ち更には手術痕すらないという
なんやかんやあったのち彼女は自分と似たような男(?)ヴォーレを森の自宅の離れに住まわす
働かない上に浮気を隠す気がない同居人は『シリアルキラーかあいつは?なぜ僕に無断で決めたんだ』とおこだったがティーナはシカトした
そしてなんやかんやあったのち、自分は人間ではなくトロールであったことを知る
醜かったわけではなく単純に種族が違っただけだったのだ。彼女は生まれながらに完璧で出来損ないなんかではなかったのだ
人間の世界では疎外感を感じるのでヴォーレと一緒にトロールの同族を探し、同族と共に暮らすと申し出るも、
「キミは人間の世界に適応出来ている。辞めとけ」と言われてしまう
税関で児童ポルノビデオを摘発した能力を買われ、児童ポルノビデオを制作している住所を探し出して欲しいと依頼される
ヴォーレは人間の赤ちゃんを攫っては自分の生み落とした赤ちゃん(無精で出産出来る)と交換し、
人間の赤ちゃんは児童ポルノなど闇組織に売り払い、人間たちへの復讐とフィンランドにいるらしいトロールの同族探しの資金としていたのだ
ティーナはトロールが人間にどんな目にあわされたかはヴォーレから聞いている
トロールは人体実験をされ刻まれ精神病院へ閉じ込められ、その殆どは生き残ることは出来なかった
運良く生き延びられたティーナも尻尾を切られ、人間から酷い虐めを受け、今もなお不躾な視線を向けられ続けているし、
森の家を残してくれた父親にしたって、本当の両親(トロール)のことについて尋ねれば、人間の犯した罪と向き合わず、怒鳴り散らすだけだ
先日摘発した児童ポルノ制作の犯人たちにしたって普通の人間の夫婦で一見はまともなご家庭風だった
ティーナはトロールの同族探しの旅への同行は断り、ヴォーレに警察を差し向ける
ヴォーレは武装した警察官に囲まれるとフェリーから飛び降り夜の海へ消えた
浮気を隠すつもりも働くつもりも襲う犬を躾ける気も無いがとりあえずティーナと一緒にはいてくれた同居人は追い出したし、
トロールの同族だったヴォーレは外道だった上に海に消えたしで、
森の自宅でひとりで過ごすティーナの元に老人ホームから父親がやってくる
トロールの人体実験を行なっていた精神病院に警備員として勤めていた父親は子宝に恵まれず子を欲していた
もちろん、トロールの夫婦は多くのトロールと同様に人体実験の末、病院の裏に人知れず埋められたが、
しかし父親はティーナの本当の名を伝えてもなおトロールの名で彼女を呼ばず、人間がしてきたこと自分が傍観してきたことに向き合わない
完全にひとりになったティーナの元に小包みが届く。その中にはトロールの赤ちゃんとフィンランドの絵葉書が
あるぞ
ヒロインはトロール故に人間の美的価値観からしたら醜いって設定なんだけど
あと、人間との違い(不気味さ)を出す演出に『虫』を食べるがあったが、
北欧って怖いところだなって思いました、まる
陸続きなんで血が混ざり合うのは当たり前っちゃ当たり前の話なんですが
ブクマカ見てるとそう思い至らない人たちもいらっしゃるようなので追記するよ
(なお、差別は国や特定の人種では無く、個人のパーソナリティだと予め書いておきます。
奴隷解放宣言前の19世紀に教会の宗派まで変えてジョン万次郎を受け入れてくれたホイットフィールド船長然り、
同じく、奴隷解放前に、白人でないばかりか結合双生児のチャン&エン・ブンカー兄弟(シャムの双子)を受け入れた人たち然り、
厳しい時代においても差別しない人は差別しません。その逆にダイバーシティを謳う時代でも差別する人は残念ながらいます)
人間も寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして虫を食べますし、
なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/index.html
5.日本は経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるはずではないか
奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。
今なお、鯨やイルカの肉が伝統食の重要な一部となっている地域が全国に散在し、
また、その地域の出身者や小学校の給食で食べた思い出のある人々はその味を楽しみ、買い求めています。
このようなことを、他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。
大量に流通、販売されているものではありませんが、現に今でも需要はあります。
6.イルカ漁は、日本のイメージを下げ、国益を損なうのではないか
各国の食文化や食習慣は、その地域の気候、地理的条件、歴史や宗教など、数々の要因により形成されるものであり、
相互尊重の精神が必要とされています。例えば、宗教の中には、厳しい戒律により禁止されている食べものがあります。
7.イルカは知的で親しみある動物なのに、どうして日本では食べるのか
人は皆、生きるために生き物の命を奪っています。
西洋の国々では牧畜が盛んであり、大切にかわいがって育てた家畜をと殺して、食料としています。
日本では、食事をするときに、自分たちが生きるために捧げられた命に対して、
感謝の心を表すために『いただきます』と言って手を合わせます。イルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、
しかし、肉を食べるために、我々はこれらの動物を殺さなければなりません。
この5,6,7が一番ひっかかる。