Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

「拝殿」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 拝殿とは

2024-03-20

数年前、私は東京とある神社に行った。

桜の綺麗な時期だった。

神社やお寺が好きなので旅行に行くと必ずと言っていいくらい一つは神社仏閣を参拝している。

初めて行く神社だった。小さな神社だったが結構人も多かった。

列に並んで賽銭を入れて鈴を鳴らして手を鳴らしてお参りをして、神社を出ようとして、そういえば御朱印はどこで貰えるのだろうと思った。

当時、私は御朱印を集めていた。周囲を見回すと拝殿のすぐ横辺りに列ができているのを見つけた。小さな社務所のような場所。なんだあんなすぐ横にあったのかと、引き返して列に並んだ。

私の番になって、さあ御朱印をと思ったその時、神社の人が開口一番、

「お参りはしまたか

と睨むように言ってきた。かなり不機嫌そうだった。

私はお参りした。間違いなく、やった。やったので「しました」と答えた。神社の人は全然信用していないようだった。

何故そんなことを聞かれるのか分からない。それでも「御朱印書いてほしいんですけど」と言ったら、

「書いてません。ハンコ押すだけです」

と言われた。

なんだそりゃと思った。どこでも大体ハンコ推して日付書くぐらいだろ。あらかじめ用意してある紙を貼るだけのところもある。

その時点でかなり嫌な気分になっていたが、じゃあ要らないですと引き下がることもできずに「それでもいいです」とお願いした。

神社の人はずっと不機嫌そうだった。

なんであん対応されなきゃいけないのか分から呆然としたまま隣の神社に行った。すぐ隣にも神社があった。

御朱印を貰うかどうか迷った。さっきの人が頭に残っていたからだ。

でもせっかく来たのだから御朱印を貰うことにした。

とても感じの良いにこやかな巫女さんが対応してくれた。ものすごくホッとした。

それから段々に怒りが込み上げてきた。

さっきの人のあの態度はなんだろう。

しかしたら、と考えたのは、私がお参りした後、一度神社を出かけたことだ。小さな神社で、入り口から敷地の外に出るまでかなり距離が短い。出るか出ないかのところで引き返したせいで、お参りもしないで御朱印だけを貰いにきた不届き者と思われたのではないか

だが私は間違いなくお参りした。

列に並んで賽銭を入れて鈴を鳴らして手を鳴らして、ちゃんとやった。誓っていい。やった。やり方が間違ってたとかなら仕方ないがそれならあんな言い方にはならないだろう。

誤解を与える行動をとったのは申し訳ない。だが、もし神社の人が参拝者を一人一人チェックしていたのだとしたら、私がお参りしたのも見ていたはずだ。しかし、あんなことを言ってきたということは見てないのだ。見てもいないのに私がお参りしていないと決めつけてきた。とにかくそれが腹立たしかった。

それとも神社を出かけた時点でもう一度お参りをやりなおさなければいけなかったのだろうか。賽銭を二回払わなければいけなかったのだろうか。

どうするのが正しかったのだろう。

今でも分からない。

なにより、あの時言い返せなかった自分にも腹が立っている。

ちゃんとお参りしたのにその言い草はなんだ!ふざけんな!」と怒れば良かった。そうしていれば、もう少し、このもやもやした気持ちは小さくて済んだのではないかと思う。

あれ以来、なんとく御朱印を集めるのが嫌になって止めてしまった。

別の神社へ行ったとき神社へ続く道の途中の店で見つけた、とても可愛い表紙の御朱印帳。とても気に入っていて、色んな神社御朱印で全ページが埋まる日を楽しみにしていた。

捨ててしまおうかと思ったが、そのままゴミ袋に捨てるのもダメな気がして押し入れに突っ込んだままになっている。

処分の仕方を知っている方がいたら、是非、教えてほしい。

2024-01-15

世界遺産シルクロード展に行き、疲れた

福岡アジア美術館世界遺産シルクロード展に行ってきた

月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた

入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作言葉が飾ってあった

最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロード仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した

また最近亡くなった宗教家コネマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロード神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした

展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう

展示内容としてはもともとのシルクロード地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した

ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った

序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラデザインを楽しむ方向で見ることにした

老齢の御夫婦トルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した

デザインとして気になったものとしては後漢時代の『車馬儀仗隊』

青銅製の杖持った人と馬と荷車のフィギュアセットみたいな感じ

三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた

向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた

そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った

ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう

あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った

こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた

なんか最後日中友好の証として送られてきたらしいラクダはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった

わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った

お参りをした後、振り返るといつの間にか拝殿への列に中国人韓国人らしき観光客20人くらい並んでいた

もう頭が疲れていて、アジア―!くらいしか思わんかった

2023-08-01

神仏ジャンケンの話

 暮らしているアパートの裏に神社がある。

 神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。

 境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。

 夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。

 蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化ポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。

 しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所しかない。

 神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。

 俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。

 俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下南側北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。

 この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。

 虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。

 蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。

 お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲ホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。

 「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。

 庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである

 美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。

 風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要ものから、火には注意しているのだろう(法律的必須なのかは知らない)。

 同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。

 俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。

 主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである

 皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。

 人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。

 それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。

 どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。

 そういう意味では、自然界の営みによってシンボル物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教システムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。

 で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念言葉ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。

 心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。

 仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツ必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである

 ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈破綻してしま宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。

 いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである

 正しいかは知らない。

 何年か前に泊まった旅館山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。

 要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。

 道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。

 当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。

 厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。

 俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。

 ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界からしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和しか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑

2022-07-05

anond:20220705220847

アナル嵌杉之命を祀る神社

三重県伊勢市には、アナル嵌杉之命を主祭神とする結穴神社(けつあなじんじゃ)がある。

結穴神社境内にある祠にはアナル嵌杉之命が祀られており、御神体として翡翠アナルプラグが安置されている。

境内では肛門性交許可されており、アナルセックスを行うカップルの姿も多く見られる。

また、参拝客たちが奉納した大量のアナルプラグアナルビーズは結穴神社名物となっている。これらは、拝殿の前に並べられ、自由に手に取って使うことができるようになっている。

2022-04-02

おっちゃんは今日2回も良い事したんだから大吉引いたのも当然だよね

と、今年の正月、2人で行った初詣の帰り道に小5の甥っ子が言った。


甥の言う「良い事」とは、初詣中に車椅子の手助けをしたことだ。

親娘のように見える80代くらいの車椅子に座ったおばあさんと、60台くらいのおばさんが自分達の前にいた。

神社敷地に入る所に段差があり、中々上がらないようで、「良かったら押しましょうか?」と声をかけ、

手伝って押し上げた事。もう一度、今度は拝殿前にある階段、あがるのは娘さんに支えられ自分の足で上がりはったが、

車椅子階段の下のままだったので、今度も声をかけてから車椅子を上に運んだ。

参拝の後に引いたおみくじ、甥っ子は小吉で俺は大吉だった。


甥の言葉公正世界仮説とか、因果応報とかそういうものの表れなんだろう。

俺は因果応報公正世界仮説も信じないし、おみくじも信じない。

から大吉引こうが大凶引こうがふーんて感じだし、一人ならおみくじ引かない。

そもそも初詣だって行かない。


俺は甥に嘘付いた酷い人間なのかな?と逆にそんな事を考えてしまう。

そもそも、今のご時世だから、参拝も1組ずつってことで、神社入り口の外までずらーっと並んでた。

車道邪魔にならない様に道なりに折れて並んでたのに、車椅子の親娘は俺と甥が目に入らなかったのか、

俺達の前に並びやがったんだよね。「ワレなに横入りさらしてくれとんねん、どこに目ェつけとんのや!」って

心の中で一瞬沸騰したけど、直ぐに「まぁ急いでないし別にええか」となって上記のお手伝いしたんだけど。

まぁ普通それくらいはするよね。



心の中で悪態付いた因果はどういう応報として帰ってきたのだろうか……まぁ応報なんて無いんだけどね。

甥っ子はいつどうやって因果応報的な考えを身に着けたのかなぁ?と正月から暫く考えてたんだけど、

基本そういうお話おおいし、子どもが触れるコンテンツ特にそうだから、そう考えるのは自然なのかなぁという結論に至った。

甥っ子は喋り始めるのが結構遅くて、ちょっと鈍くさい所も多いのだが、親の教育がいいのか心根はまっすぐでいい子に育ってると思う。

2021-11-10

[]赤山禅院

京都北東部比叡山の近くにあり延暦寺の一部。お寺だが赤山大名神という神様を祀っており神仏分離されていない。赤山大明神泰山府君と同一視されており陰陽道神様を祀っていることになる。泰山府君寿命管理していると考えられており長寿祈祷などが行われる。御所から見て北東、すなわち鬼門の方角にあり鬼門を守っていると考えられている。そのため拝殿屋根には鬼門避けの猿の像がある。猿は敵が来たら雷で神様に知らせる見張りである。まわりの鎮守の森が非常に良い。

anond:20211108081047

2021-03-02

日本建築空間』における建築百選

anond:20210301191826

 

増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。

同種の百選としては2005年新建築臨時増刊『日本建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。

https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/

2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。

 

古代 592-1180

法隆寺西院伽藍飛鳥時代奈良
新薬寺本奈良時代末期 奈良
山寺八角763年奈良
平等院鳳凰堂 1053年 京都
浄瑠璃寺本堂 1107年 京都
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) 平安時代後期 鳥取
高蔵寺阿弥陀堂 1177年 宮城

中世 1180-1543

浄土寺浄土 1194年 兵庫
東大寺南大門 1199年 奈良
長寿寺本鎌倉時代初期 滋賀
西明寺本堂 鎌倉時代初期 滋賀
熊野神社長床 鎌倉時代初期 福島
法界寺阿弥陀堂鎌倉時代初期 京都
厳島神社社殿 1241年 広島
永保寺開山堂 1352年 岐阜
東福寺龍吟庵方丈 1387年 京都
正福寺地蔵堂 1407年 東京
吉備津神社本殿拝殿 1425年 岡山
慈照寺東求堂 1485年 京都

近世 1543-1853

妙喜庵待庵 1581年 京都
園城寺勧学院客殿 1600年 滋賀
園城寺光浄院客殿 1601年 滋賀
妙法院庫裏 1604年 京都
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 1607年 宮城
三渓園聴秋閣 1623年 神奈川
二条城二の丸御殿 1626年 京都
西本願寺飛雲閣 1628年 京都
西本願寺書院 1633年 京都
延暦寺根本中堂 1640年(再建) 滋賀
三渓園臨春閣 1649年 神奈川
曼殊院書院 1656年 京都
桂離宮 1663年 京都
慈光院書院 1672年奈良
江川住宅江戸時代前期 静岡
閑谷学校講堂 1701年岡山
東大寺大仏殿(東大寺金堂) 1705年(再建) 奈良
大峰山寺本 1706年奈良
大国住宅 1760年岡山
岡山後楽園流店 江戸時代後期 岡山
栗林公園掬月亭 江戸時代後期 香川
角屋 1787年京都
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) 1796年福島
大徳寺孤篷庵忘筌 1799年京都
渡邉住宅 1817年 新潟
羽黒山三神合祭殿 1818年 山形
高野住宅江戸時代後期 山梨
金比羅大芝居(金丸座) 1835年 香川
岩根沢山神社本殿庫裏 1841年 山形

近代 1853-1945 ※は現存しないもの

柏倉家住宅座敷蔵 1866年山形
旧大明寺聖パウロ教会堂1879年愛知 ブレル、大渡伊勢吉(棟梁)
宝山寺獅子1882年奈良吉村太郎(棟梁)
風間住宅1896年山形
武徳殿 1899年京都 松室重光
花田家番屋 1905年北海道
吉島住宅1907年岐阜西田伊三郎ほか(棟梁)
古谿荘 1909年静岡
高松城披雲閣 1917年香川清水
住友ビルディング1926年大阪住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造)
聴竹居1927年京都藤井厚二
大倉精神文化研究所本館 1932年神奈川長野宇平治
軽井沢 夏の家 1933年長野 アントニン・レーモンド
※両関第二工場酒蔵 1933年秋田
日向別邸 1936年静岡ブルーノ・タウト
近江神宮1940年滋賀 角南隆、谷重雄
前川國男1941年東京前川國男
吉田五十八1944年神奈川吉田五十八

現代 1945-2005 ※は現存しないもの

神奈川県立近代美術館 1951年神奈川坂倉準三
斎藤助教授の家 1952年東京清家清
コアのあるH氏のすまい 1953年東京 増沢洵
南台の家(吉村順三邸) 1957年東京吉村順三
八幡浜市立日土小学校1956年愛媛松村正恒
香川県庁舎 1958年香川丹下健三
スカイハウス(菊竹清訓邸) 1958年東京菊竹清訓
ホテルオークラのメインロビー1962年東京谷口吉郎
日本生命日比谷ビル(日生劇場) 1963年東京村野藤吾
国立屋内総合競技1964年東京丹下健三
大学セミナーハウス1965年東京 吉阪隆正
千代田生命本社ビル1966年東京村野藤吾
白の家 1966年東京篠原一男
塔の家(東孝光邸) 1966年東京東孝光
※虚白庵(白井晟一邸) 1970年東京白井晟一
KIH7004 1970年東京鈴木
中銀カプセルタワービル1972年東京黒川紀章
大分県医師会新館 1972年大分磯崎新
プロジェクトマグネット1973年店舗模型倉俣史朗
阿部勤邸 1974年埼玉阿部
北九州市中央図書館1974年福岡磯崎新
幻庵 1975年愛知石山修武
上原通りの住宅1976年東京篠原一男
中野本町の家 1976年東京伊東豊雄
小篠邸 1981年兵庫安藤忠雄
弘前市斎場1984年青森前川國男
SPIRAL 1985年東京槇文彦
バーオブローモフ1989年福岡倉俣史朗
海の博物館1992年三重内藤廣
豊田市美術館1995年愛知谷口吉生
ウィークエンドハウス1998年群馬西沢立衛
せんだいメディアテーク2000年宮城伊東豊雄
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル2002年神奈川アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ
金沢21世紀美術館2004年石川妹島和世西沢立衛

2020-10-19

anond:20201019150915

「排便したい」⇒「拝殿したい」

「大便したい」⇒「代弁したい」

「排尿したい」⇒「採尿したい」

みたいに聞き間違えられてるんちゃう

2020-09-02

瀬田文学

 二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。

 和食さとでは刺身天ぷらいくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。

 店を出て先の地図記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれセメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。

 次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。

 その区画境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪つきのわ)だという。

 この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。

 その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的怪談舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。

 やがて参道が果て、二つ目鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方からかにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったか幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。

 正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。

 東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。

 ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々ホテルへと向かう。

 しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かにトイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。

 風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。

 翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。

 日の光の下では龍王神社はありふれた田舎神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。

(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)

2017-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20170427122845

わかる。

俺が大洗に行ったのはガルパン以後だったが、ガルパンなんかなくても十分魅力的な街じゃんと思った。

原初大洗が賞味したくても、今は「ガルパン大洗」でしかないんだよな。神社拝殿の横のガルパン看板とかゲェっと思った。痛絵馬とかならともかく…。

本来ありのままを賞味すべきだろう。ゲートウェイとしてアニメ萌えキャラがあるのはいいが、そのもの侵食するのは違うだろう。

ガルパン大洗」としてはアピールできても「大洗」そのものアピールできたかどうか、そこが本来問われる。まあ大洗場合ガルパンから独り立ちしつつあると思うが。もともと魅力のある街なんだし。

今は萌えキャラを通してしか価値発見できない時代なのかもしれない。

お前らもっと能動的に価値発見しろよとか思うが。今になって動物園殺到するアニオタなんかを見るとね。

2014-08-01

残業代ゼロにするたった一つの方法

どう考えてもこれしかないので増田投稿してみる。

それは残業代をなくすかわりに過労死した労働者靖国神社奉納するのである

靖国神社が難しければ新たにそのための神社建設する)

手順はこうだ。

はじめに過労死名誉なこと、と国が認定する。憲法に付け加えられたらなお良い。

労働に身を捧げて死ぬとはなんと立派なことか」「滅私奉公美徳」「日本人のあるべき姿」

次にこういった言説を国民に徹底的に植え付ける。

最後に国が責任をもって死者を表彰する。

靖国神社に新たな拝殿(あるいは靖国神社的なもの)でも作ってそこへ奉納するのがいいだろう。

もちろん死者は英霊として扱われる。

戦争に行かずとも英霊になれる機会を国が与えるというわけだ。

ただしそれには条件がある。

公務員会社員派遣社員契約社員フリーターパート関係なく死んだら奉納する。

ただ過労死や業務中に事故事件に巻き込まれたあるいは発作が出て死んだ場合などに限られる。自殺や休業中に死亡した場合は含まれない。

奉納されるのはあくまでも働ける人間だけだ。

仕事が辛くてうつ病になっても休職退職もせず、踏ん張って働いて最後過労死して英霊になる。

これを目標にして労働者は生きればいい。。

例え死んだとしても魂を靖国奉納できるのならこんなに幸せなことはない。

きっと残された遺族も死者を誇りに思うだろう。

残業代を用意できないのならせめて死に場所くらいは国に用意してもらいたい。

そう願いながらこの文章を書いた。

労働者たちが安心して過労死できる、そういう社会を目指してほしいものだ。

2014-07-17

まだ在日放火福岡糸島市の志登神社本殿拝殿が全焼

http://www.nishinippon.co.jp/flash/f_kyushu/article/101609


まずこれまでの歴史で焼けた神社の数調べろよ、マスコミ

で、今が異常なのかどうなのか分かるだろ、マスコミ


で、最近焼けたやつは治せるのか、いくら必要になるか、治そうとしてるやつはいるのか報道しろ

寄付必要らする



韓国人神社の木にマッチをあてる遊びだの流行ってるし、靖国放火未遂いくらでもあるし、なんとかしないと神社全て焼かれるぞ。


昨年の火事でこんだけある

1月13日 富山県魚津市 火の宮神社社殿が全焼

1月26日 福島県白川市 天神神社本殿などが全焼

2月11日 東京都八王子市 千代田稲荷大明神拝殿が全焼

3月7日 神奈川県座間市 栗原神社神楽殿・民家2棟が全焼

4月1日 福島県飯舘村 山津見神社が全焼、一人の遺体発見

4月10日 熊本県玉名郡 片峯菅原神社本殿・物置が全焼

4月10日 東京都高尾市 千代田稲荷大明神拝殿全焼 賽銭箱が空で逆上し放火された

5月1日 東京都三鷹市 井の頭公園内の親之井稲荷神社から出火 

5月15日 長野市 八幡神社 拝殿神殿が全焼

6月8日 新潟県魚沼市 四日町諏訪神社本殿 全焼 

9月11日 茨城県ひたちなか市 湫尾神社本殿拝殿 全焼

9月14日 茨城県ひたちなか市 金砂神社本殿拝殿 全焼

9月22日 愛媛県松山市 厳嶋神社 拝殿神輿が全焼

10月12日 神奈川県川崎市 「天照大神本殿神輿など全焼 

10月30日 静岡県沼津市 咳気神社が全焼

10月31日 静岡県三島市 滝川神社が全焼

2014-05-01

毎週のように神社が燃やされて、文化財中国オークションに流れる

日本の文化財の盗難状況、氷山の一角

こんな短期間に日本の寺社が焼かれている。そして本堂から仏像などが消えている。消失した形で


2013年01月04日 京都市 愛染院敷地住宅から出火、住職が死亡

2013年01月06日 福井県美浜町 西誓寺本堂が全焼、仏像を抱きながら住職が焼死

2013年01月13日 富山県魚津市 火の宮神社社殿が全焼

2013年01月23日 和歌山市 普門寺の本堂全焼

2013年01月26日 福島県白川市 天神神社本殿などが全焼

2013年02月11日 東京都八王子市 千代田稲荷大明神拝殿が全焼

2013年03月07日 神奈川県座間市 栗原神社神楽殿・民家2棟が全焼 米国籍15歳少年放火

2013年04月01日 福島県飯舘村 山津見神社が全焼、一人の遺体発見

2013年04月10日 熊本県玉名郡 片峯菅原神社本殿・物置が全焼

2013年04月10日 東京都高尾市 千代田稲荷大明神拝殿全焼 賽銭箱が空で逆上し放火逮捕

2013年05月01日 東京都三鷹市 井の頭公園内の親之井稲荷神社から出火 放火の疑い

2013年05月15日 長野市 八幡神社 拝殿神殿が全焼

2013年06月08日 新潟県魚沼市 四日町諏訪神社本殿 全焼 雷が原因か

2013年06月08日 大阪府富田林市 正受寺と前住職住宅が全焼

2013年07月07日 愛知県安城市 法蔵寺の一部が燃える

2013年07月22日 岩手県盛岡市 瀧源寺の本堂全焼、しだれカツラの葉が熱で変色

2013年08月02日  〃      〃  2度目の出火

2013年08月10日 愛媛県松山市 宝厳寺が全焼、国指定重要文化財木造一遍上人立像」が不明

2013年09月11日 茨城県ひたちなか市 湫尾神社本殿拝殿 全焼

2013年09月14日 茨城県ひたちなか市 金砂神社本殿拝殿 全焼


社会重要文化財が100点以上不明 いつの間にか中国オークションにかけられていたケースも 文化庁緊急調査

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131102/edc13110207580000-n1.htm


韓国人観光客の間で神社に火を当てながら撮る記念写真が大流行日本旅行者の3人に2人は ”経験ある”

http://livedoor.4.blogimg.jp/amosaic/imgs/5/8/58282b1e-s.jpg

2013-12-17

イオンができて撤退して

ごく正直なことを言うとね、田舎イオンってのは別に娯楽施設じゃないのよ。

無印だのUNIQLOだのがあって、服屋や飯屋があって映画館もあって、

結構な娯楽じゃない、とか言うでしょう?

んで、返す刀でファスト風土だの画一化だの言うじゃない。

あのね、田舎ってのはなんにもないのよ。

街道沿いに蕎麦屋はある。別に蕎麦特産品じゃないけど。

道の駅物産は売ってる。野菜はどこでも取れるものばっかりだけど。

そりゃ、味噌だの干物だのは土地に根ざしてるからココだけかもしれんが、それがウチを代表する食品か?

なんにもないってのは、ゼロって意味じゃない。

そりゃ、電気もある、ガスもある、車社会だ村じゃ無え

でもね、吉幾三のあの頃だって村にゃ新聞ラジオもあった。

問題はだ、ここはどこにでもある何の変哲もないところで、よそと置換できる程度の土地柄ってところなんだ。

そんなところでよ、下手にテレビでも見てみなさいな。

映画館は大きな街に行かなきゃねえって生活が、街に洋菓子店が1件って生活がよ、耐えられるかってことだよ。

生きていくって意味で言えばよ、ど田舎、ほんとに村とか山ん中みたいなトコに比べりゃ都会だよ。

DASH村みたいなな、娯楽つーと犬と遊ぶことでテレビ観るより星観たほうが良いって土地柄じゃ無え。

そんな半端なところにはな、もう特色なんてのは無いんだよ。


まあ、あるよ?郷土資料館にゃ土地歴史ってのは沢山あることになってる。

寺社仏閣の由来だとか、変な石碑だとか、まー、観光客が来なくもない場所ってのも無くはない。

ただよ、例えば国の重要文化財に指定されている豪商のお屋敷と、神社本殿拝殿があったとしてよ、

それが何なのよ。

神社参道にある土産物屋とか、アメだのウドンだのを江戸の頃から売ってたみたいな店が潰れました。

近所にファミレスマクドナルド牛丼屋が出来てそっちに人が流れて。

それはファスト風土なのか?

そもそもの土産物屋だのうどん屋だの、もっといやどこぞから勧請してきた神社は、ファスト風土じゃねえのか?

あれか、全国にある小京都だの落ち武者の村だのは、ファスト京都とか言うつもりか。

どんだけ貴人が腰掛けた石が世の中にあると思ってんだよ。


あいいよ、三丁目の夕日みたいな自分がちっちぇえころに既に懐かしかったモノを懐かしむって感覚判らんでも無い。

ただな、イオンってのは、いわばインフラなのよ。

近所のダダらなスーパーにゃ、例えばビールが三種類しかねえ。

これが、まあイオンについてるスーパーってのはデカイわな。

品揃えが豊富ってほど豊富かは判らんが、スーパーより断然イイ。

UNIQLOなら都会だろうが田舎だろうが多少量が少ないだけでラインナップがまるで違うって事はなかろう。

参考書ドリル女性向け雑誌しかねえような街の本屋に比べりゃ、多少微妙でもチェーン書店は魅力だわ。

映画だって、都会でかかってるのと同じだろ。


そういうな、いわば村に電気が来た、って状況なのよ。

人が多いってことはイヤイヤ行ってるわけじゃ無えってことぐらいは判るだろ。

それでも撤退するってことはよ、そもそもやってけねえってイオン側が音を上げたわけだろ。

儲かってるコンビニの近所に直営店を出店させるのとはわけが違ってよ、

イオン地元商店街を潰そうと思って出店して、んで潰して、仕事終えて撤退するわけじゃねえだろ。

まりだよ、その程度の客数商圏しか無えところで、イオンに人が吸い上げられて潰れる商店ってのは、

そもそもが潰れる運命にあったんだよ。


つうかよ、分り易くこういう言い方してもいいな。

オレらは、不満を持って仕方がなくその店を使ってた。そこしか無かったから。

商店街魚屋とか肉屋とか文房具屋が潰れました。

それはつまり、画一化されたスーパーのほうがマシだったってことだ。

んで、その延長でイオンが来て、時期的に爺婆も弱ったり死んだりして閉店ラッシュになってよ、

まそりゃ直接の原因は違っても、イオンがって共通の仮想敵作って愚痴れば平和だわな。

商売してる店主だって人間だよ。

商店街寄り合いに顔出す駅前のチェーン書店が、

商店街の端っこにあった文房具屋と共通の街の本屋を潰したとは考えたくないわな。

Amazonが悪い、うちも厳しい、ネットは無情だねってので微妙感情を潰して飲んだり見まわり当番するのが大人だよ。


から結局何が言いたいかって言うとだ、

イオンってのは、そりゃもう室町だの江戸だのの頃から日本地方が連綿とやってきた

環境底上げの一環なんだよ。歓迎してんだよ。

んで、一極集中して、ソコが無くなったとする。

不便にはなるけどな、それだけよ。オレラは離島に住んでるわけじゃ無え。

そこそこの近所には大きな街もある。そこまで足をのばせば良いのよ。

雇用は減るな。工場の撤退も同じだけどよ。

つうか、そもそもからしてお母ちゃんのバイトだしな。新規に生まれた雇用が、元に戻るだけだあな。

商店街がすげえ人雇っててよ、イオンがその雇用を奪って売上も奪って、それでいなくなられたら困る。

でも、そうじゃねえんだって

イオンが居なくなっても、別に前と変わりゃしねえ。

スーパーは無くなったから、自転車で行ける距離から車で行かなきゃならなくなった。そりゃ不便さ。

でも、それだけだよ。


ああ、いっこ思いついた。

マダム向けの洋服店ってあるだろ。何だあの服1500円って、みたいな店。

その近所にUNIQLOが出来て、洋服店が潰れました。

んで、UNIQLOが撤退しました。

雇用だの洋服店が無くなって困るだのって人は、どんだけ居るかってのに似てるな。

金物屋の近所にホームセンターが出来て、金物屋が潰れた。で、ホームセンターが撤退した。

それですげえ困るし、地方の問題だって血圧上げるほどのことかよ、っていう。

車で行ける距離にいっこもホームセンターが無えってこた無えよ。

そんなところからはそもそもホームセンターは撤退しねえ。

からよ、生活インフライオン一社によりかかるのが問題だ、イオンには責任が、とか言うんであればよ、

そもそも洋品店だの金物屋だの、肉屋電気屋氷屋みたいなのが高齢化して店畳んでるのも同じ問題だろうがよ。

でも、金物屋の爺さんが歳だから店閉めたいって言った時に、地域社会に対して無責任だって言わねえだろ。


繰り返すけどな、田舎にゃなんにもねえ。でも、ホントになんにも無えわけじゃ無え。

イオンが集中させた程度で潰れる店ってのには、しっかりしたスーパーは入って無え。

中学校に納品してたとこがアスクルに取られた、みたいなのの方がよっぽどヤベエよ。

からイオンが来て、そのしわ寄せを食って辺り一帯焦土になって、それでイオンが居なくなった。

じゃあ、となり町まで行くべか、って程度の話だよ。

どっちかっていうとな、デケえ廃墟郊外にできるとかよ、

なんか誘致するのに税金投入してなかったっけ?とかのが問題だと思うんだよ。

廃墟モールゾンビは沸かねえけど、やっぱガキは溜まるし変に治安悪化の要因になるだろうしな。

頭良い人はよ、ソッチのほうの問題考えてくれねえかな。ファストファスト言ってねえで。最近はあんま言わんか。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん