はてなキーワード: 訓話とは
なんだかねぇ……。
小学館の報告書読めば芦原先生の様子が危ない状態になったタイミングはハッキリこう書いてあるわけよ。
ドラマ制作中のやりとりで引用される芦原先生の言葉の語気が強いからがそこが死の原因のような印象を与えるけど、
その時点では脚本読んで連絡を取って修正して指示を出してという複雑な仕事が出来ていたし、
苦しい戦いを終えて無事自分の脚本で放映できたあとは+の感情を見せてすらいた。
以上の経過を経て、放映も順調に進み、評判も良く、芦原氏も喜んでいた。
そこから精神状態が一気に落ち込んで「仕事が出来ない」という明確な異常、SOSサインを発し始めたきっかけが、件の脚本家の投稿。
古今東西で発生する望まれない原作改変の中でも希に見る人命が失われたという本件において、
自殺に与えた影響が大きい出来事であると考えるのは自然なことだ。
さらに言えば死の直前にやりとりをしていたのは小学館の担当者達。
芦原氏の投稿は反響を呼んだ。芦原氏の苦労に同情が集まり、反面、本件脚本家への非難が集中した。
翌 27 日 16 時頃、社員 A、社員 B、社員 C は芦原氏とオンライン会議を開き、大きな反響が起きているが大丈夫か、今後どうしたいかなど、芦原氏のケアに努めた。
18 時頃、社員 A から、社員 F に対して、芦原氏が思いは果たしたので、予期していなかった個人攻撃となったことを詫びるコメントを出して、
投稿を取り下げることになったとの連絡があった。社員 F は、削除はかえって炎上が進むこともあり得るとして制止するように言うとともに、
すでに全社マターになっているとして、担当者だけで判断しないように強く指示した。
社員F は、週明けの会議に備えて社員 A の協力を得て、「経緯説明書」を用意した。
ところが 28 日 16 時過ぎ芦原氏は、謝罪コメントを出 して、X の投稿を削除、ブログを閉鎖し、以後連絡が取れなくなった。
この27日のオンライン会議から急速に事態が自殺という結果へ向かって進んだわけだが、
社員が漫画家を囲んでSNSの書き込みを取り下げさせる……というのはしろくまカフェ作者のヒガアロハ先生の件を思い出してしまう。
そういった連想もあり、自殺の真相解明のために最も検証されるべきフローはこの部分になるはずなんだけど……。
まあ、一人の漫画家の心情を真面目に考えるより“原作レイプ”という社会問題の象徴となってもらう方が今生きている色んな人にとって幸せなんだろうけどねぇ…
山岳信仰とか巨岩・巨木信仰なんかの自然崇拝はあっても、別にすべての石ころを崇めてるわけじゃないし。
自然現象を擬人化した神とか、自然現象を司っている神みたいなのはいても、人間が作ったもの一つ一つに神が宿るなんて聞かんでしょ。
付喪神?
あれは「長年使った道具に宿る妖怪」じゃん。
祟られないようにちゃんと供養しようという話であって、道具を大事にしろということではない。
しかも付喪神って近世以降はかなりのマイナー概念になってたらしいし。
日本人の心にずっと根ざしてきた大切な教え…みたいなものでは全然ないよな。
他にはなんだ、お米に七人の神様が宿ってるとか?
あれってめちゃくちゃ新しい概念でしょ。
何の神なのかも曖昧だし、少なくとも明確に出典があるような話じゃないよ。
をなにか良い話として語る奴らがいるけど、実際にはそんな教訓話に出てくるような人間ばかりじゃないよな?
「ああああ死ぬかと思ったああああ!!!!けどなんか生きてるわー」くらいで大した身体的精神的変化も訪れずにのうのうとポテチ食べてコーラ食べているような奴もいるよな????
死にかけたくらいでみんながみんな命の大切さに気付いたり人生に真面目に向き合い始めるなんてことはないよな?
生死を彷徨ったって金にルーズなやつは金にルーズなままだったり女にだらしないやつは女にだらしないままだったりしてこれを見ている奴らは明日自分の命に危機が迫ったところでその脅威が喉元過ぎればだらだらと益体もない匿名の日記を読む毎日に戻るんだよな?
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 80 | 14448 | 180.6 | 46.5 |
01 | 63 | 11341 | 180.0 | 75 |
02 | 29 | 3169 | 109.3 | 56 |
03 | 31 | 3276 | 105.7 | 53 |
04 | 20 | 4271 | 213.6 | 86 |
05 | 51 | 12078 | 236.8 | 46 |
06 | 28 | 5106 | 182.4 | 68 |
07 | 50 | 5681 | 113.6 | 62 |
08 | 74 | 6396 | 86.4 | 53.5 |
09 | 89 | 7518 | 84.5 | 48 |
10 | 134 | 13450 | 100.4 | 44.5 |
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12 | 122 | 17175 | 140.8 | 53 |
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14 | 114 | 16493 | 144.7 | 45.5 |
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23 | 115 | 17745 | 154.3 | 43 |
1日 | 2324 | 292153 | 125.7 | 47 |
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でも報いを受けるのは息子
三匹の子豚を見るたびに思うんだけどさ
母親から突然追い出されて家を作ることになって、上の兄二人は自分たちがさっさと家を作り終えたから、のろまな一番下の弟を馬鹿にするけど、実は弟が一番丈夫な家を作ってて上の兄二人はオオカミに食べられる。三男は偉いっていうの
別に三男は深謀遠慮でレンガの家作ったわけでなく、たまたま手元にそれしかなかったから仕方なく作ったんだけど、狼が襲撃してくるという異常な状況下でたまたまベストプラクティスになっただけ、つまり運
家を作るっていうのに関して言えば別に一番下の弟の知恵もそこまで特別なことをしてるわけじゃないっていうところが
豚にしては賢いなってくらいで
なんで教訓話になってるかわかんないんだけど
ハプスブルク家の暴政に怒って得意の射撃術で悪徳役人射殺したウィリアムテルの方がよほど根性据わってるし
魔女の婆さんを策略で倒して金銀財宝かっぱらったヘンゼルとグレーテルの方が頭も度胸もあるし
鬼の本拠地にカチコミかけてバッタバッタと薙ぎ倒して金銀財宝ぶんどった桃太郎の方がよほどこれからの日本社会において教育と教訓になるよね
なんでそういう教育しないんだろうか
推理小説を子供に読ませることで思考力の育成が期待できます~だとか
そんな言説を見聞きするたびに「エンタメコンテンツから面白い以外の見返りを求めるな!」と今まで思ってきたのだが
「エンタメコンテンツに対し面白い以外の実益を求める人々」に対して、私は今まで見下しの態度をとってきたのではないだろうか
「実益を求め打算的に読むと面白さが損なわれてもったいない」となんとなく思っているわけだが
それは私が勝手にそう思っているだけであって
なにかのブログ記事で読書術みたいなタイトルに釣られてクリックすると、ビジネス本をいかに速読し要約するかみたいな内容で
「はーーー!私が知りたいのはいかに小説の読書体験をより充実させるかなんですけど?」
と思った経験がその見下し態度の原因かもしれない
ここまで書いて自分の中で二つの思いが混ざっていることに気付いた
・「エンタメコンテンツから訓話を得ようとするのはエンタメ性を損なう」と私は思っている
・読書と一口に言っても小説やらビジネス書やらのどれの話かわからなくて面倒なんで言い分けられるといいのになあ
その話をするなら、まず、オオカミ少年の労働問題についても触れなくてはならないでしょう。
なぜ、オオカミ少年は少年なのに、羊の番をさせられていたのか。
少年なのに働かされていた理由は、ただ彼が奴隷の子だったからです。
当時の奴隷制度では、奴隷であっても結婚も子育ても可能でした。
それだけなのに、本当にそれだけなのに、なぜ狼少年は最終的に死ななくてはいけなかったんですか?
そのたびに、村人たちは大勢で駆けつけてきました。
しかし、村人たちは少年をだんだんと信用しなくなり、誰もその嘘に騙されなくなりました。
しかし、この話は道徳話としては不完全であり、そもそも合理性に欠けています。
つまり、嘘を諌めるこの話自体がひそかに「嘘」をついているわけです。
この増田では、狼少年の話の不完全な点と「嘘」を指摘し、より正しい「狼少年の話」の構成を試みます。
あと、見かけ上の問題ですが、狼少年の話が持つ嘘はカギ括弧付き(「嘘」)、本増田で構成する正しい狼少年の話もカギ括弧付き(「狼少年の話」)で標記します。
まず、指摘事項は以下の3点です。
狼少年には叫ぶ余裕があり、不意をつかれたわけではないので、木に登るなり池に飛び込むなりの逃げ方があったはずです。
一方で、その「災害情報」を無視した村人が助かっているのは合理的に欠け、その点が嘘つきを悪者にするための苦しい「嘘」だと言えます。
その時間、外に出ていた村人も居るはずで、村人が誰一人として被害を受けていないということはあり得ないはずです。
先にも書きましたが、無邪気な嘘の代償が本人の死というのは現実の比喩として正しいのでしょうか?
詐欺罪を考えてみれば、それは罪状的にも「嘘」であり、死という重すぎる罪状は合理性に欠けてますよね。
そして、狼少年はそれを機に改心できたとしても、死んでしまってはその気持ちを行動として表現することができません。
ヒーロー物の悪人が死ぬのを見て視聴者自身が反省を抱かないように、狼少年が死んでしまっては聞く側の反省は促されません。
村人は嘘が悪いことだと忠告し、狼少年の嘘を辞めさせなかったという過失を犯しています。
教訓話としては、これに対しても反省を促すために、村人にも狼少年同様の罪を背負わせるのが正しいはずです。
ならば、なぜ村人の罪が描かれないのか?
それは、この話を作り、語るであろう大人の罪を描かないための「嘘」なのです。
つまり、反省するのは狼少年に表象される子供たちだけでよいという「嘘」が含まれているわけです。
(狼少年の話には、少年でなく羊が殺されるバージョンの話もあるわけですが、どちらにしろ、大人の罪を描かない点において「嘘」であるわけです。)
こんなに不完全で「嘘」つきのストーリーが、嘘に対する正しい教訓話になるはずがありません。
よって、正しい「狼少年の話」は例えば、以下のように表現することができます。
そのたびに、村人たちは大勢で駆けつけてきました。
しかし、村人たちは少年をだんだんと信用しなくなり、誰もその嘘に騙されなくなりました。
それを知った少年は一人だけ逃げることもできましたが、今までの嘘を反省する思いから「狼が来たぞ~」と必死に叫びます。
仕方なく、少年は村人たちを見捨て、狼が来たのと反対方向の高台へと命からがら逃げだしました。
いかがでしょうか。
そして、この改良版のストーリーを見ると、既存の狼少年の話に含まれる最大の欠陥が見えてきます。
改良版では話の構成を変えたので理解してもらえると思いますが、狼少年が狼をみつけて叫ぶ最後の「狼が来たぞ~」は、自分が助かるためでなく、村人を助けるための叫びだったのです。
だって、狼少年は村人を無視すれば、一人だけ助かることができたわけでしょう?
それでなお、村人に向かって叫んでいるのは、自分の命を危険にさらしてでも、村人を助けようとした意志があった以外に理由が考えられません。
そして、この真実は私が改良した「狼少年の話」だけに限った話ではありません。前提は全く同じですから、既存の狼少年の話でも狼少年は同じ感情で「狼が来たぞ~」と叫んだはずです。
ただ、既存の狼少年の話ではその感情をはっきりと描いていない。そのことこそ、教訓話としての最大の欠陥です。一番大事な狼少年自身の改心をわざと無視させる構造になっているのです。
もっと強めに言うなら、最後の「狼が来たぞ~」という必死な叫びは、一人だけなら安全に助かることができた狼少年の、自分の命を危険にさらした改心のための叫びだったんです。
狼少年は既に改心を示していたんですよ!
村人に助けを求めていたわけではなく、村人を必死に助けようとしていたんですよ!
なのになんで村人はその改心を無視するんですか!
こう考えれば、無邪気なだけの狼少年を死という釣り合わない運命から救ってあげたくなる私の気持ちもわかるでしょう?
まとめると、狼少年の話における最大の欠陥は、既に「叫び」として現れている狼少年の改心をはっきりと読み取らせることができない構成の悪さにあります。
そしてそれは、僕のような嘘つきが改心を目指す上では耐えられないことなんです。
狼少年の改心への悲しみを、村人も語り手も聞き手も無視して踏みにじっているという点で、「既存の狼少年の話は絶対に間違っている!」と、狼少年の気持ちがわかる僕も呼応して「叫ば」ざるを得ないのです。
そうです。これこそが、この話を書きたい本当のモチベーションでした。
ひそかな「嘘」に覆われた既存の狼少年の話の落ち方では、この話を身近に感じる僕にとって「改心しても死ぬんなら、死ぬまで『村人』に嘘をつき続けてやる!」と、全く救いがないのです。
僕のような嘘つきに改心の余地を与えるには、どうしても狼少年の話の「嘘」を暴き、真実を「叫ぶ」必要があったのです。
では、「狼少年の話」が示す本当の教訓は何かを書いて、話を締めましょう。
それはよく知られたように、嘘をついてはダメ…ということではないのです。
むしろそれは逆に、嘘をつく責任を自覚するといったことになるでしょう。
なぜなら、狼少年が責めを受けるべきなのは、嘘をついたこと自体ではなく、正しい嘘をつけなかったことだからです。
もし「狼が来たぞ~」の嘘が村人から信用されていないと知っていれば、もっと大きな嘘をついて気を引くという手段があったはずです。
例えば、「王さまが来たぞ~」という嘘をついたのなら、それを無視することによるリスクに耐えられず、村人の誰かが顔を出してくれたはずです。
そうしたら、今度こそ狼の存在を目の前に提示することができ、村人の被害は防げたはずでしょう?
いささかロマンチックな話ですが。
だから、狼少年が本当に反省するべき点は、いち早く危険を知ったのに、肝心なときに正しい嘘がつけず、犠牲者を出してしまったことなんです。
それはさらに言うなら、無邪気な嘘(狼が来たぞ~)で満足して、人を納得させる嘘をつくための練習を怠ってきたことこそ反省するべきなんです。
世の中においても、それこそ嘘を交えてでも、とっさに説明する能力はとても大事なものなんですから。
その証拠が、既存の狼少年の話というよく知られた「嘘」だというのは本当に皮肉な話ですけどね。
このように、上の3つの縛りから考えていけば、既存の狼少年の話とは全く正反対の教訓が「嘘」なしに得られるはずなんです。
いや、既存の狼少年の話が、嘘を責めるようなストーリーを持ちながらも自身が隠れた「嘘」で覆われているという矛盾を責めてるわけじゃありません。
そんなことは、狼少年らしく嘘つきである僕に許されたことではありませんし、もう一度繰り返しますが、嘘をつくこと自体は決して悪いことではないんです。
ただ、既存の狼少年の話が、狼少年自身と同じく「無邪気に」嘘をついていることがいけないと気づいたわけです。
つまり、嘘は悪だと認識させてしまう無邪気な「嘘」で、その聞き手に嘘をつく責任(生産者責任)を自覚させないことこそ本当に悪いことなんです。
それは、むしろ村人を助けるような正しい嘘を妨げる行為なのです。
そして、嘘をつく責任を自覚させないと、世の中の人に「無邪気に」しか嘘をつけず、肝心なときに嘘をつけない狼少年の僕がまた一人育ってしまうんです。
そう、以上のように合理的に考えれば、村人を犠牲にして助かってしまった狼少年の僕にも、正しい嘘のつき方を予め教えておけば、村人はみんな助かったわけです。
そして、生きて正しい嘘をついてこそ、かつて狼少年であった僕にも、責任のない「無邪気な」嘘から反省し、改心するチャンスは必ず巡って来るはずなんです。僕は無邪気であったことを反省するのです。
「こんな役に立つことがあるから小説を読むといいよ!」と言われると「純粋に楽しみたいから小説を読んでいるのであって、役に立たせるつもりで小説を読むのは純粋な楽しい読書体験を得られなくなる!」とプンスカしてしまう。
自分が読むときはそのスタンスでよかった。しかし妻が懐妊し、いつの日か子どもに本を読んでもらいたいと思った途端に信念がぐらついてしまった。
せっかく本を読むなら教育にいい本を読んでほしい!
しかしこれは邪念だとわかっている。親が子どもの読む本を自由にしようなんておこがましいとは思わんかね……(本間先生はそんなこと言わない)
そもそも子が読書を好むようになるかもわからないのだ。しかし願わくば、いつの日か私の本棚に興味を示してもらいたい。それだけで嬉しくなってしまうだろう。