はてなキーワード: bewaadとは
政策シンクタンクを事実上失った国|shinshinoharaという記事がちょっとだけ注目を集めているが、20年ちょっとの官僚経験からするとどう見てもおかしく感じるのでいくつかコメントをつけておこうと思います。
もちろん私及び私の周辺のみでの感想なので偏りがある可能性は認めます。
第二次安倍政権が生まれるまでの官僚は、良くも悪くも「国のこの部分を自分が改善することができた」という充実感を持てたんですよ。その充実感があったから、民間に勤めた同級生と比べて給料が低くても、徹夜連日でも、面白くて頑張れていたんですよね。ところが。
第二次安倍政権から政治主導の仕組みがスタートしまして。まあ、これは民主党政権時代にできた法律が動き出したんですけど、「官僚は政治家の思いつきに従え、従えないやつは左遷だ」という忖度政治が始まったんですよね。しかし所詮は思いつき政策。問題点を指摘しようと気骨ある官僚は諫言しました。
これは明白に誤りです。
当時のエピソード
〇民主党議員から「俺に文句言うなら当選してから言え」と怒鳴られる
〇大臣が書類を放り投げ「これを拾うのが君たちの仕事だ」と言い放つ
等々枚挙にかぎりがありません。
政治主導の中での無力感は当時の官僚ブロガーの記事を読めば良く分かります。(bewaadさんなど(https://web.archive.org/web/20120302172708/http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100721/p1)。branchさんとかも似たようなこと書いてた気が。ほとんどの方がブログを辞めてしまっていて記事が追えないのが残念)
安倍政権で政治主導が進んだという御指摘かと思いますが、安倍政権以前から高級官僚(慣例として局長級以上)の人事は政治次第です(その権力を積極的に行使するか否かは政治家のキャラクターによる)。政治の側で権力が族議員から官邸に移ったというのはあるかもしれませんが、それも民主党政権下からですね。
もちろん、現在の学生さんにそういったことが伝わっておらず、志望度に影響を与えている可能性があることは認めますが。
次々に官僚をやめていきました。若手官僚も、尊敬する気骨ある官僚が辞めたり左遷させられたりするのを見て「こんな仕事を続けても何のやりがいもない」と絶望して、外資系企業などにどんどん転職していきました。
前掲bewaadさんの記事が消えているので記憶だよりですが、当時の時点で、「待遇の悪化から、官僚の質的低下は受け入れるべき。霞が関ではマニュアル仕事は嫌われるが、質的低下に備えてマニュアルを整備すべき」という趣旨の記事を書かれていました。慧眼ですね。
単純に待遇面なんですよ。給与面だけじゃなく、転勤や勤務時間など、民間側の待遇改善に追いついていないのに加え、とても正当とは思えない批判を浴びせられていたのが実情です。
当時の記憶でいうと、官僚がなすことはすべて悪化のように報道され、また議員レクなどでもそのように罵倒される日々で、その取り組みが実を結んだだけに思えます。
この作者の方は第2次安倍政権の責任としていますが、現場の経験からすると全く違うのでは?と感じます。待遇は変わらないにしても民主党政権下に比べて罵倒されたり差別されたりすることは明らかに減りました。
官僚の待遇改善の議論をしたいのならそれをすれば良い(適切な給与水準、労働環境など)のですが、その議論と安倍政権への批判をごっちゃにしている感がありますね。
木走正水さんがお亡くなりになった。
今はもう廃刊となったJANJANでデビューしたのは2002年か03年頃でしたでしょうか。
はてなに活動の場を移されてからも、ご縁があって、いくつかご意見を交わさせていただきました。
時にはちょっと熱がこもってしまったこともありました。時に本当に失礼なことも言いました。申し訳ありません。
懐かしく思い出されます。
僕のほうは、Bewaadさんがブログをおやめになった2010年頃から
自分のブログにも実名を詮索する動きが活発になってきたこともあり、うんざりして
自分自身もはてなダイアリでの発言を控えるようになっていました。
2000年代初頭、JANJANは、創成期のネット言論空間を多少なりとも担っていました。
JANJANは、実名匿名のはざまで安定した言論空間を確立できず、数年で消滅してしまいましたが、代わりにはてなが登場し、
しかし、僕の中で、市井の人がネット空間で発信していこうという熱い思いは少しずつ変質していき、
はてなとの付き合いも、はてブでガス抜きするだけになり果て、そのことに気が付いたときに、
ついにはそれもやめてしまいました。
ブログからもフェイドアウトし、平穏な日々を送りながら、木走さんがアゴラでご活躍になっているのを時折、拝見していました。
ある日、木走さんの記事のなかのふとしたヒントから、木走さんの素性に気が付いてしまいました。
意外なことに、実世界の人間関係・仕事につながりがある人だったので驚きました。詳しくは書けませんがニアミスどころの話ではありませんでした。。
木走さんのほうは、多分ぼくの存在には全く気が付かなかったと思いますが。。
なので、その後は、木走さんの実社会での環境の厳しい変化も風の噂程度に耳に入るなか、
記事を拝見させていただいていました。
訃報を受けたときに、思い出したのは、JANJANの頃のフレッシュで熱い木走さんです。
そのことを懐かしく思い出すのが、ぼくにとっての木走さんへの追悼です。
2000年代後半から2010年代初めにかけて、経済学クラスタの声がネット上で人気があったけど、安倍政権中期以降、とくにコロナ以降さっぱりダメになったね。
ネット経済論壇の中心だった高橋洋一や田中秀臣は完全にリベラル左派叩きの自民応援団でネット右翼化しまったし、もはや政商としての地金が明白になっている竹中平蔵を批判するよりも、竹中を批判する左派を嘲笑的に批判している。学術会議問題では政府の擁護に走っている。仲間内から激しく攻撃されながら、高橋・田中を執拗に批判し続けていたbewaad氏の正しさが完全に証明された形だ。
良識派の飯田泰之や松尾匡なども、「民主党政権のもたらした不況でリベラル左派は支持を失った。アベノミクスは消費増税さえなければ成功した」という、明確な事実誤認を含む、身内以外に説得力のない理屈にしがみついている点で、高橋・田中と変わらない。また、社会保障など個別の問題に対する知識の浅さやいい加減さが目につくようになり、正直もうあまり読む気はしない。だいたい白饅頭の本に帯なんか書いちゃダメだろう。
一時期は飯田とべったりだった荻上チキも、自民党政権への甘すぎる姿勢に業を煮やしたのか、最近は距離をとっているようだ。彼のラジオにも「リフレ派」の面々は登場しなくなり、最近は驚くべきことに反リフレ派の中田大悟などが出演している。田中秀臣を最後まで擁護し続けた稲葉振一郎は、周りの社会学者を散々巻き込んだくせに今は知らん顔をしている。
コロナ禍で経済学者は役立たずぶりを遺憾無く発揮している。トイレットペーパーやマスクが深刻に不足している時に、安田という経済学者が、配給制よりも値段を2倍にすればいいという提言を真面目にしていて(別に経済学者に言われる前に値段は5倍10倍になっていたわけだが)、さすがに失笑を買っていた。政府に招聘された経済学者たちちも、ニュースでその提言が取り上げられないほど存在感がない。
とうとうリフレ派の代表格が日銀副総裁になるということが現実的な話となるところまで来ました。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324838304578324871862202496.html
b:id:bewaadさんは、経済学者がほぼリフレで一枚岩になるほど一致して政府にリフレ政策を助言できるようにならないと、
あるいは(同時に)世間にリフレ政策がひろく受け入れられるようにならないとリフレ政策は現実問題として相手されない
と何度も述べられていました。
しかし、経済学者はいまでもアベノミクス、あるいはその中の金融政策部分に限っても反対な人は多く昔と勢力図は変わりません。
しかし、上述したようにリフレ政策が現実にとられる寸前のところまで来ています。
bewaadさんが言うほどまでには、経済学者が一枚岩でリフレを推薦することや、リフレ派が世間から好かれるようになることは
重要ではなかったということだと思います。なぜ、bewaadさんの読みは間違ったのでしょうか?
そして、「経済学者が一枚岩になるまでボクたちは動けません」という態度は、経済学者が一枚岩になることがリフレ政策が行われる
必要条件ではなかったという現実に照らし合わすと、単なる現状維持バイアス、宿題やりたくない子供の言い訳のようなものだったのでは
ないでしょうか。『「そのうちなんとかなるさ」という気分にはなれず、じゃあなんとかなるまでに何ができるのか』という精神から
ずれてしまっていたのではないかと思えてなりません。
id:bewaadよりid:haltanやid:jura03、id:hahnela03のような
「リフレが仮に理論的に正しくてもリフレ派が世間一般に嫌われている(胡散臭がられている)からリフレ政策は採用されない」
という感じの主張をしていた連中に聞いた方がよくね?リフレ派は本当は別に世間一般に嫌われていなかったか
あるいは別にリフレ派が世間一般に嫌われていたとしてもリフレ政策が採用されるのは十分に可能だったか
どちらにせよ彼らの言説は現実とは適合していなかったわけだから
hamachan先生も入れていいけど、hamachan先生はすでにペラペラしゃべってるか
名前を挙げた本人からブコメがあったけど、これ別にリフレ政策が目指すものは何かとか
その効果はどんなものかといった話ではなくてリフレ政策が採用されるかどうかの話だから
どんな政策でも「XX政策を唱えている人が嫌われているからXX政策は採用されない」
というような単純な話の組み立てなんて成り立たないという(ある意味で当たり前の)ことを無視して
がなりたててた人たちに、「今どんな気持ち?」って聞いてみたいだけ
XXが構造改革であっても再分配重視であっても変わらないこと
P.S.2
名前を挙げた別の人もブログで反応して変なこと言ってるみたいなので何か書こうと思ったら
すでにブコメで反論の材料(のごく一部)が出ていたんでまあいいや
それよりそこで
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/jura03/20130225/p1
どれだけ被害妄想が強いんだろって、ちょっとかわいそうになってくる
id:bewaadよりid:haltanやid:jura03、id:hahnela03のような
「リフレが仮に理論的に正しくてもリフレ派が世間一般に嫌われている(胡散臭がられている)からリフレ政策は採用されない」
という感じの主張をしていた連中に聞いた方がよくね?リフレ派は本当は別に世間一般に嫌われていなかったか
あるいは別にリフレ派が世間一般に嫌われていたとしてもリフレ政策が採用されるのは十分に可能だったか
どちらにせよ彼らの言説は現実とは適合していなかったわけだから
hamachan先生も入れていいけど、hamachan先生はすでにペラペラしゃべってるか
名前を挙げた本人からブコメがあったけど、これ別にリフレ政策が目指すものは何かとか
その効果はどんなものかといった話ではなくてリフレ政策が採用されるかどうかの話だから
どんな政策でも「XX政策を唱えている人が嫌われているからXX政策は採用されない」
というような単純な話の組み立てなんて成り立たないという(ある意味で当たり前の)ことを無視して
がなりたててた人たちに、「今どんな気持ち?」って聞いてみたいだけ
XXが構造改革であっても再分配重視であっても変わらないこと
P.S.2
名前を挙げた別の人もブログで反応して変なこと言ってるみたいなので何か書こうと思ったら
すでにブコメで反論の材料(のごく一部)が出ていたんでまあいいや
それよりそこで
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/jura03/20130225/p1
どれだけ被害妄想が強いんだろって、ちょっとかわいそうになってくる
とうとうリフレ派の代表格が日銀副総裁になるということが現実的な話となるところまで来ました。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324838304578324871862202496.html
bewaadさんは、経済学者がほぼリフレで一枚岩になるほど一致して政府にリフレ政策を助言できるようにならないと、
あるいは(同時に)世間にリフレ政策がひろく受け入れられるようにならないとリフレ政策は現実問題として相手されない
と何度も述べられていました。
しかし、経済学者はいまでもアベノミクス、あるいはその中の金融政策部分に限っても反対な人は多く昔と勢力図は変わりません。
しかし、上述したようにリフレ政策が現実にとられる寸前のところまで来ています。
bewaadさんが言うほどまでには、経済学者が一枚岩でリフレを推薦することや、リフレ派が世間から好かれるようになることは
重要ではなかったということだと思います。なぜ、bewaadさんの読みは間違ったのでしょうか?
そして、「経済学者が一枚岩になるまでボクたちは動けません」という態度は、経済学者が一枚岩になることがリフレ政策が行われる
必要条件ではなかったという現実に照らし合わすと、単なる現状維持バイアス、宿題やりたくない子供の言い訳のようなものだったのでは
ないでしょうか。『「そのうちなんとかなるさ」という気分にはなれず、じゃあなんとかなるまでに何ができるのか』という精神から
bewaadさんと同じ結論。そこをすっ飛ばしてるのがリフレ派。リフレ支持の経済学者が多数だという記事を書いてるリフレ派がいたけど、ならそういう経済学界隈の声をまとめて日銀なり財務省にぶつけりゃいいんだ。。。たぶん、リフレ「も」やればいいと思っている人は結構いるんだと思うが、リフレ「派」となると引かれてるんじゃないの。知らんけどさ。
当たり前。経済学は金融だけじゃないし、政策となるといろんな分野との兼ね合いを考えなきゃならない。「トレードオフ」てやつだ。だから学会は金融政策を否定はしないが「インタゲ最優先しろ」なんて単純バカな主張を採用したりしない。何年やろうと無駄。
多分割り出せない、っていうか、ほとんどのリフレ派は反対しないよ。
もともと、小泉政権の「改革なくして成長なし」というイデオロギーに対して、それは間違いだと言ってたのがリフレ派。すんげえ乱暴に言えば、需要と供給のどちらが問題なのかといえば、需要だ、というのがリフレ派だったわけ。It's the demand, stupid! 小泉構造改革は、これに対して敵は供給にあり、と。
ところが、ここにキメラがいたわけだ。竹中、中川(秀)、高橋の3氏が代表的だけど、小泉構造改革のエヴァンジェリストであり、かつ、リフレ派。最初のうちは整合性がないことが明らかで、だから例えば高橋氏は「暗黒卿」と呼ばれてたわけだけど(もちろん褒め言葉じゃなかったよ、念のため)、亀の甲より年の功、時間が経つうちに、うまいこと整合的な理屈をひねり出した。
「反官僚」
というやつ。日銀という官僚組織をぶち壊さないとリフレは実現できない、と。「反官僚」が膠となって、リフレ+構造改革というキメラには、血が通い始めた。
このキメラに染まって、「改革なくして成長なし」に反対してたというオリジンから「進化」しちゃったリフレ派がまずいる。たとえば田中氏。もともと岩田(規)氏みたいに、ミクロ的には政府介入大反対という素地があって、この「進化」はハードルが低かった。
「進化」してない人でも、「敵の敵は味方」理論によって、日銀から見て「敵」のリフレ派にとって「敵の敵」である「リフレ派」批判者は、それがリフレそのものには反対していなくても日銀の「味方」になってしまうということで、みんなの党の批判はしないとか、田中氏あたりに噛み付かれるから黙ってようとか、そういう人が多い。昨年の「はてサ」との絡みとか、bewaad氏関連の騒動とか、ああいうのを見れば明らか。
ともかく僕がネットの意見に悲観的トーンを強めたのは、あの bewaadのあからさまな扇動に実名匿名を含めて中途半端な態度や批判さえもしだした連中がいわゆるリフレ支持者でも多くいたこと。本当に、こりゃ、ダメだ、と思った。それから基本的にネットには期待してない。申し訳ないけど
@shinichiroinaba 甘い。高橋さんの馬淵批判が前提なのを見逃してるね。こっちは賛成反対以前の段階を批判してるのに、妄想はどちらかといいたい。これでは日銀批判してるほど委員になれば賛成に転じるというのと同じ
posted at 19:22:39
しかし稲葉振一郎はただの物見遊山でネット政治だけ配慮し、高橋洋一はつまらないことで妄想全開であげ足とり。これじゃあ、デフレ脱却なんかできない。あまりにも信用できない人が多すぎる
やはり長年官僚の世界にいると浮世離れするということがよくわかりました。要するに審議会では黙ってるのがベストということを高橋さん流に言い直し、さらに批判できるのは俺様だけというわけですね、わかりました。笑。正直、つまらねえ、足のひっぱりして楽しい?@YoichiTakahashi
信用できない人が多いなんて、当初からいわれてたことだわな
http://anond.hatelabo.jp/20110127223112
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100514/p1
BewaadさんのエントリーがTwitterとかで盛り上がっていた。こういう良いエントリーを読むと自分も何か書いてみたくなる。とは言え、氏の議論への反応ではなく、氏の議論への反応を見ての感想なのだが。
twitterをつらつらと眺めていて、ある種いわゆるリフレ派の最大公約数的な意見だなと思ったのが以下のコメントだ。
個人的にリフレ派諸氏に言いたいのだけれど、開き直ってもいいと思うんだよ俺。「gdgd言わないで全部ボタン押せ、学術的な決着はその後だ」と。俺は少なくともこの立ち位置に立脚してるし、この立ち位置が「ただの素人のリフレ派」にとって最も強いと少なくとも俺個人は思っている。
http://twitter.com/kumakiti2ch/status/13936833688
感情論としては、正直同意せざるを得ない。不況長すぎ。いらだつ気持ちは自分にもある。そもそも、経済政策が理論に先行したことは今まで何度もあった。むしろその方が多いんじゃないだろうか。ならば、限られた情報と能力と選択肢の範囲内で、最良のものを選んでいく、そういう割り切りは必要なはずだ。
ただ、この割り切りは我々外野の人間がするものじゃない。それは為政者の仕事であり、責務であって、我々が出来る事じゃない。残念ながら。もちろん、全部ボタン押せと言ってはいけない、とは言わない。それをやりたい人は政治活動・宣伝活動として大いにやればいい。でも、外野の我々にとってもっとも意義深い仕事はそれではないと思う。
本当に大切な外野の仕事は、ボタンを用意すること。そしてそれを磨くこと。政策の選択肢を提案し、そのコストも、ベネフィットも、考え得る全てのリスクも、全てが出尽くすまで叩いて叩いて叩きまくる。もう鼻血も出ないほどに叩き合ったその末に出来たコンセンサスを為政者の前に積み上げること。それこそが外野の仕事ではないだろうか。
もちろん、いくら完璧に鍛え上げた最良のボタンを用意しても、それが採用されるとは限らない。ユーロの通貨統合の直前に、どれだけの学者が議論を積み上げ、賛否両論のボタンを用意してきたか。30代以上の人なら覚えているはずだ。そして、過半数の経済学者(と記憶している)が提出した反対意見は結局為政者達に却下されて、今の惨状に至ることになる。それでも、例え捨てられるとしても、政策オプションというボタンを磨き上げる行為が無駄だと思っている経済学者などいないはずだ。今は捨てられても、一度磨き上げられたボタンはいつか必ず何かの役に立つ。
翻って、過去5年間、いや10年間、リフレ派の論者の人たちは自分たちのボタンを磨き上げてきたのだろうか。自分にはそうは思えない。「インフレターゲットでデフレ脱出」、という意見に「いや、コミットメントの問題が解決されてないでしょ」とツッコミが入った。それに対してリフレ派の人たちはどれだけ真っ向からの反論をしてきたのか。財政政策だってあるじゃん、みたいな議論に逃げてはいなかったか。それは「このボタンじゃ機能が足りないんじゃない?」という客の質問に、「その機能は別のボタンについてるから大丈夫です」というようなものだ。それじゃぁ意味がないんだよ。一つのボタンじゃ機能が足りないなら、その半端なボタンはさっさと捨てて、二つの機能を統合したボタンを客に見せるべきだ。客のツッコミに耐えられるようなボタンが出来るまで、スクラップアンドビルドを繰り返すべきだ。
それを怠り、自分のボタンにケチが付けば「いつまで文句ばかり付けるんだ」「ぐだぐだ言ってないでボタンを全部押せ」と叫んでみても、それが為政者に届くわけがない。未完成品のボタンを山ほど差し出して、時間がないからとにかく全部押せと。国に大してそんな押し売りが出来るほど我々は強くもなければ偉くもない。我々に出来るのは、地道にボタンを改良していくことだけだ。いつか、どこかでそのボタンが役に立つことを信じて。
本来は、そのボタンは役に立つはずだった。リーマンやベアスターンズが破綻したときに。でも我々はその議論には殆ど貢献できず、結局似たような議論がアメリカのブログで繰り返されて、あっという間に向こうの議論が先に進んでしまった。これは本当に恥ずかしく、悔しいことだった。少なくとも、自分にとっては。
最後に、ひとつだけリフレ派に提案したい。リフレ派は今すぐ内部抗争をするべきだ。インタゲインタゲと繰り返す人と、財政政策が重要だという人が、同じ意見のはずがない。例えアイデアの95%が同じでも、残りの5%が違うなら、そこを徹底して叩き合うべきだ。そうしないと、お互いの前提条件に違いがあることに気づけない。自分が(多くの場合は無意識に)仮定している前提条件を明らかにして、再検討して、その上で始めて政策オプションというボタンを改良することが出来るのだと自分は思う。そこを怠るから、インフレターゲットの時間的不整合性を問う意見に「財政政策があるからいいじゃないか」というような議論のすり替えを行って、そのおかしさに気付けないのではないかと思う。
人権擁護法案がほぼ葬り去られた状態にあり、国籍法改正案も阻止できないまでも
審議時間の延長と、採決の先送りなどといったある程度の成果を出している。
だから、児ポ法(この略称を使った方がレスが付きやすそうなので、そうする)も
人権擁護法案などと同じように「この法案が通ったら日本が乗っ取られる!!!」という論調を作り、
一部の保守系の有識者や国会議員を動員することができれば、阻止できる可能性があるのではないかと思う。
半年ちょっと前話題になった http://anond.hatelabo.jp/20080410222602 のエントリーの前半部と同様の考えです。
しかし、その増田さんがbewaadさんの記事に残した「多数派を取りに行く」ということは不可能だと思っています。
だからこそ、保守派をヒステリックに反応させて阻止できないものかと考えてしまうのです。好ましくないのは承知の上。
規制推進派にどんなに正論で反論したって、彼ら彼女らの意見を変えさせることなど不可能ですから、
いっそのこと、イデオロギー的立場を利用することによって、ヒステリックな反応を起こさせることができる
人間を利用した方がいいのかもしれません。
この間の墨東病院の件で、病院側の批判あるいは産科医療崩壊を論ずるブログに関して。
はてなブックマーク - ぷにっと囲碁!なブログ | 東京の医療は既に崩壊してるのに…。(現在は、消されているので、魚拓→
http://punigo.jugem.jp/?eid=486 - 2008年10月24日 11:05 - ウェブ魚拓)で、各ブログの反応がたくさん引用されていた。はっきりいって気の滅入るものだった。いろいろな点で。
ひとつには、ブックマークの数からもわかるように、たくさんの人が押し寄せたように、ここで挙げられていたブログのほとんどがエントリーを削除あるいはブログごと閉鎖している。これは、bewaad氏が以前に指摘した「無防備な個人によるマスコミュニケーション - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com」という問題といえるのではないだろうか。
また、もうひとつには、ここで挙げられているブログを「バカだなあ」と批判している人たちについても、今回の場合には当てはまらないとしても、一般にブログでの議論のようなものにおいては、自分は正しい知識を有しているぜとばかりに、他の人の議論における些細な点の誤りをあげつらい、その誤りが議論の本筋にどれくらい致命的かは測定することなく、論旨全体にダメ出ししてそれ以上の議論の展開を阻むような、ディベートの方法の悪い形での現れという危険性が少しだけ感じられる。
こう書いたときに念頭にあるのは、たとえば、こないだの内田樹さんの「学校選択制 (内田樹の研究室)」というエントリでのキーボードの配列についての事実誤認について、「良いこと言ってるのに「QWERT配列」の話でだいなし。」と言うコメントがあったけれども、ほんとうに「だいなし」になったのか? それから、「マックス・ウェーバーの犯罪」の件も似たようなものかと思う。右にも左にも末人の跳梁。
話を一段落前に戻すと、もちろん、
「いまのこの時期に「たらい回しは殺人罪相当」ということを軽く書けるのは、情報摂取能力が高くないことは明らかであって、このような人をブログで説得することが難しいこと(説得して考えを改めるくらいに賢い可能性の低さ)は想像に難くないので、これを批判する場合には、とにかく罵倒・皮肉・当てこすりによって、お前バカなんだから反省しろ、とSPAMのようにコメントをたたきつけるのを戦略として選んでいるのかもしれない」
という可能性は低くありませんが。
もうすこしディーセントにいきたいのだけど、難しいですね。
法案の是非を議論するときには、検閲という語を無造作に使うのは止めておいたほうがいいです。むしろ表現の自由の制約についての問題としたほうがいいです。
検閲というのは、憲法に書いてあるように、してはならないものです。
だから自民党の高市私案においても、この憲法に書いてあるような「検閲」にはならないような規定ぶりになっていたと聞いております(池田信夫氏のブログより)。
それなのに法案を「検閲」だから反対と言ってしまうのは、法律的な意味合いでの「検閲」の語を知らない者だと読み手に思わせる不利があります。そう思われてしまうと、主張の信頼性が低下します。法律を知らない者が法律の問題点を指摘しているようだけど、その指摘は正しいの?と。
反対者の足並みを乱してしまうんですね。
その点で、MiAUの発起人の崎山氏が、自ブログでbewaad氏に噛み付いていたのは、MiAUの足を引っ張ったと個人的には思いました。その崎山氏のエントリーでは、プレスリリースごときの粒度で「検閲」の語を使っても問題はなかった、そもそも国語辞典で「検閲」の語は云々であり、ユーザー団体のMiAUが憲法上の「検閲」に従って解釈する必要はない、みたいなことが書いてあったんです(崎山氏のブログは独自ドメインでアクセスログ取られているので、職場で見るのは遠慮しましょう。)。
けれど、MiAUは、プレスリリースを主要な活動の一つとしているのであり、しかも、法案の問題を指摘するのに、法律上ではない解釈で「検閲」の語を解釈して「検閲」になると思われると言われても、私には説得力がありませんでした。かえって、「検閲」の語を振り回して他人を不必要に煽っているのではないのかと疑問を持ちました。
話がずれました。
じゃあ、18歳未満が見ちゃいけないコンテンツを絶対に18歳未満の目に触れさせないにはどうするか。
それは高市氏が言ったことではない、あなたの想像でしょう。
※ここで書く18歳未満が見ちゃいけないコンテンツとは、アダルトや出会い系だけではない。政治・宗教はもちろん、SNSやコミュニティサイト(mixiやGREE)も含まれる可能性もある。
可能性とは、どれくらいの可能性なのか、「ある」とおっしゃるからには50%以上でしょうか。
私は、仮に法案が立法化されても、SNSやコミュニティサイトが法律上禁止される可能性は、ほとんどないと思います。数値的には、1パーセントもないぐらい。
一種のヒステリーを引き起こさせる何かでしょう。
おおやにきとか
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000515.html
bewaadさんの所とか
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080410/p1
で、今回の法案の技術的な正しさが指摘されていて、なんかそれでも「もっと穴のない反対意見を形成しないと」みたいなながれになっているような気がするのですが、本当にこの法案を潰したいのならこういう「正しい意見」に引っ張られる必要はないんじゃないかな?
人権擁護法案は今まで反対運動で二度も潰されてきたけど、それは反対派の意見の正しさによって潰されたわけじゃないでしょ。
「人権擁護委員が秘密警察になる!」とか「在日が日本を支配する!」とか決して「正しい」とは言い難いヒステリックな意見で潰されましたよね。確か、法律的にそんな問題はないと主張した小倉弁護士のブログは炎上しまくってたはずです。
例えばこのエントリー → http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/e310fc410c67d99096096756d883fbaf
そしてこのヒステリー的な反対意見は結局最後まで力を持ち、一部の自民党議員もこうした意見に動かされて人権擁護法案が葬り去られましたよね。
だから、反対派の人々は何かヒステリー的な反応を起こさせるような意見を探すべきなのかも。
と、ここまでは少し煽り気味に書きましたが、もしこの通常国会で法案が提出されることが確実なら、今必要なのは意見の表明よりも署名集めとかの具体的な行動なんじゃないですかね?
僕は、輸入盤CDの運動のときかなりがんばって700人分くらい署名を集めて(ライブ会場の前で署名集めたりもした)、それでも法案が成立しちゃって当時はすごい落ち込んだものでした。あと、一歩で法案修正まで行けた感じだったし、付帯決議とかってあんまり意味がないと思ったからです。
でも、いまだに輸入盤がほぼ普通に買えている状況を考えるとあの署名は無意味じゃなかったのかもしれないし、実際、 33,057名の署名が国会に行ったんですよね。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_seigan.nsf/html/seigan/1592940.htm
参議院で野党が多数ということを考えると、10万くらいの署名があれば民主党の態度を変えて廃案に持ち込める可能性もあるような気がするのですが。