はてなキーワード: 国語とは
最近、SNSを見ていると“ず”と“づ”がごちゃごちゃになっている人が多いような気がしていた。
イラストのセリフでもその類の間違いがあって、モヤモヤを抱えている。
先日、片付けを入力する時に間違えて「かたずけ」と打ってしまったのだが、変換が問題なくできてしまった。
なるほど、こういうことかと腑に落ちる感じだった。
つまり、
のネタがもう通じなくなってきている。
雰囲気(ふんいき)と括弧つきで変換候補が表示はされるものの、タップすると雰囲気のみ入力される。
そのため、流れ作業で変換していれば読み飛ばすこともできてしまう。
国語の授業で訂正されないのかとも思うが、
そうか今どきはタブレットで授業を受けているもんな。
そりゃ、間違いに気付かないのも仕方ない…か?
淫夢動画だろうが現代アートだろうが楽しんでる人がいて、知れば楽しめる可能性が大いにある作品に対して「情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力はない」って感想がクソなのはわかるか?
に対して
って批判に対して
「近現代の芸術を楽しめることは通常ではありえなくて権威主義や盲従の賜物だ」という主張や、書いてあることが読み取れない読解力の欠如は通常ではありえないレベルでの社会関係資本と文化資本の欠如だろ。
音楽や図工、国語や英語なんかの義務教育レベルで最低限の文化資本や作品の楽しみ方を教えてもらえるのに、それが理解できてないなんてのは本物の貧民だろ。
しゃんしゃんとは? 意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書
しゃん‐しゃん の解説
[副](スル)
1 鈴などが続けて鳴る音を表す語。「—(と)鈴を鳴らして馬車が通る」
2 大ぜいの人がそろって手を打つ音や、そのさまを表す語。多く、物事が円満に収まったことを祝ってする。「では、めでたく—と手を締めましょう」
3 (比喩的に)物事が円満に収まること。多く、問題を棚上げにしたまま、見た目には円満に収めることを揶揄 (やゆ) していう。「—総会」
便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子『香君』(2022年)と飛浩隆『鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。
今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオが実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体つきもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレット』しかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオの名前の元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからのハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメのテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭(エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは『十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。
ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベがシェイクスピアのパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃあからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベス』オマージュで、さらに二・二六事件や三島由紀夫の割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風のファンタジィ(e.g. 沢村凜『黄金の王 白銀の王』)とか、近代日本モチーフのミリタリもの(e.g. 佐藤大輔『皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスのバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピアの記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。
自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃんと原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っからの自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来の意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかにも井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカに留学してたときに「なんで日本人がリベラリズムの研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義を人類普遍の原理ではなく西洋の文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍の原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋の自由主義者としては不愉快。
もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会に統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。
「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」
「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」
「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」
島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものでしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害の社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話が共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源を近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージ・ダウニング(ダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス(日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話の楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程は寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ。
まだ読んでませんでしたテヘペロ。最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。
そうそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパを舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件』から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信『インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井が読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!
英語への解像度が上がった1冊。英語のスペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないから英語は要らない!」と高校時代に放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。
アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ『放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人と出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程を説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌の引用のタイミングが完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲だからみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前に漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志のリリカルなアニメを『永遠の森』『そばかすのフィギュア』の菅浩江がノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。
数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺらい論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断を要するものだ」という金言を政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。
こっちはJ. S. ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルがねじ伏せていく、めっちゃ骨太の将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱な将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。
ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)
〈小市民〉シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去の事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。
「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」
これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民〉シリーズの過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民〉シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語をもっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!
オモコロで話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚なものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差し込まれてくるのです。
本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか。
本書はみくのしんの読書の追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由なものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう。
あのさあ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2480038
単にやくざは入れ墨をすることが多く、暴力団排除の一環として、入れ墨を入れている人の入浴を断るようになっただけで、罪人がどうこうとか関係ないのに。
→ まとも(だけどちょっと間違ってる、別に暴力団排除の一環ではない)
現状、日本でタトゥーを入れる人は他人を威嚇する目的で入れている人が多い。喧嘩や揉め事でタトゥーを服の袖からチラチラ見せたりする。他人を威嚇しておいて風呂で差別するなと言われても同情はあまりできない。
→ 温泉NGの理由になってない、じゃあ素行悪い人と犯罪者は温泉出禁なのか?
タトゥー入れたら公衆浴場入れなくなること覚悟して墨入れしてるはずなのに、謎ルールとか言って公衆浴場入りたいな〜(チラッ)するの本当にめちゃくちゃダサいよな〜〜って普段から思ってる
→ 回答になってない、ただの悪口
→ 温泉NGの理由になってない、温泉って一流企業や公務員しか入れない特権領域なんですね笑
昔から入れ墨入った職人が大勢来るような下町の銭湯だと牽制と均衡が保たれてるんだけど、特定のプールや温泉が解禁するとそこだけに反社半グレが集まってしまい…的なことはあるかもしれない
私はしないし私はそれをしている人に近づきたくない、それだけ
→ お前は温泉界のなんなん?
ヤクザを排除したくて、それを見分けるための基準として刺青を採用しているだけの話でしょ。神戸の銭湯ではほぼ確実に刺青の人に出会うよ。特に灘温泉水道筋店は山口組総本部がすぐ近くなので、集団で来てるww
→ うん
タトゥーと無縁の人々に対して威圧感を与えるから、だよね。イメージと言えばイメージなので、それがなくなるのなら問題ない。なくならないうちは議論の余地がある。
→ まあ
本件って「何で入場NGなのか」という疑問に対して「アウトローや犯罪者が多いから」みたいな回答してる人居るんだけど
これめちゃくちゃ頭悪くて、じゃあアウトローや犯罪者は入場NGなのか?と言えばそんなことないんだよね
わかるかなあこの頭の悪さ、国語できなそう
普通に調べると「反社会的イメージにより、周りの人に威圧感を与えてしまうから」って出てくるんだけど
重要なのは「周りの人」なわけよ、嫌ってるのは店じゃなくて他の客ってこと
実際にアウトローや犯罪者が多いかどうかすら関係ない、「周りの客が嫌がるから」以上でも以下でもない
ちなみに、店によってはタトゥーの大きさでNGかどうかを決めてるところもある(全身はNGとか)
隠せばOKのところもあるし、変な話だけど外国人のタトゥーはOKのとろこもある
これはわかるよね、「周りの客が嫌がるかどうか」でしかないから
(周りの客にも何種類か居て、本当に怖がってる人と、子供が怖がるって人と、「ルール違反だ、けしからん!」みたいな輩がいるらしい)
タトゥーNGが広まったのは80年代半ばかららしく、思ったより新しい傾向なんだよね
2015年時点でNGな割合は56%、完全許可が31%、隠せばOKが13%で、今はもう少し許可寄りになっているとのこと
一応言うと俺はタトゥー嫌いだけどな
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これも見ろバカども
いやいやいやそれは俺が書いたんじゃないけど
「ソープ嬢は労働者ではなく個人事業主ですはいロンパッパ」って返ってくるのは仕方ねえと思うよ。
他人が補正しまくって「真意」を推理して読んであげなきゃならんのよ。
甘えすぎ。
んで俺はその「補正」ができるけどそもそも大半の普通の人にそれは出来ない。
だからブクマカの連中は意地悪なんかしてなくて、真面目に「書いてあること」に対して反論してるだけ。
ブクマカは大概国語が苦手だけどさすがに元増田よりは国語力が高い。
これでなんで元増田が「真意をくみ取ってくれなかった!」みたいに逆切れしてるのよ。
「怒るなら正しく言葉使って間違いのない文を書けばか」って言われるだろそりゃ。
読解力がないーとかむやみにプライドが高いーとか
唐突かつ君にしては変に具体的な語彙のなそれは君が日頃リアルで言われがちなやつじゃないのか?
後付けでなんか言ってるんだなと理解する。
全部社会的に定まってるからある程度のまともな社会人は知ってるべきで
これを「後付け」とか言ってる時点でかなりやべーんだよ。
だからこれは国語だけの話じゃなくてなんかいろいろ常識も欠落している。アホのブクマカにボコられるレベルで。
それは俺じゃなくねーか?
「気持ちは俺はわかるけど伝わらないのはしょうがないし相手を責めるの無理だろ」ってことを俺は書いてるんだが。
そして元増田は「厳密に使えない」どころのさわぎじゃなくて
もうどれとごっちゃにしてるのかわからないけど
俺は同じことしか言ってないし元増田のことをからかったりしてないよ。
いったらなんだけど20点の人なんてからかっても面白くねーから。
40点のブクマカ達に対してだってからかってんじゃなくて善意であれこれ言ってるだけ。
20点が「俺のことをからかって楽しんだな!」っていうなら
既に算数ができない新入社員は指導したことはあった。彼は売上は100円、諸経費含む原価は80円でした。利益率は?をエクセルで計算できない(何度教えても忘れる)というおよそ大学を出たとは思えない人材だったが、会話は可能であった。報告が冗長だとか、必要なポイントの欠損があったりはしたが、すくなくとも日本語を介しコミュニケーションが可能な人材であった。
ところが今回の新入社員は、算数が出来ないのは当然として国語が出来なかった。報告は冗長であることに加え途切れ途切れで喋るので5秒で済む話に1分かかるし、挙句に全部間違えていることもあれば、それは別の先輩社員が30分前に彼の横で俺に報告していた内容だったりもする。
議事録を書かせれば会議の内容が理解できないことは当然として、まったく合意していないことが合意したことになってるし、時には社外の人が発した言葉と社内の人が発した言葉が混ざり全て社外の人の発言になっていたりするので、彼の議事録を書き直すということは毎回新しい議事録を作り直すことに等しい。