はてなキーワード: インパール作戦とは
「食物をめぐって上官殺人」
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001100526_00000
https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf
あと驚くべきことに公的資料として日本陸軍内では戦争が末期になるほど上官への抗命・侮辱・暴行・殺人が目に見えて増加している
アベノミクスの大失敗による止まらないスタグフ状態でそのアベノミクスを推奨してた永濱利廣がトンデモな奴って事が世間にじわじわ広まってて嬉しい限りだ
昔からこいつはヤバイ奴だと思ってたがこのアベノミクスによる経済大打撃の顕在化によりとうとう隠しきれなくなりつつあるらしい
アベノミクスなんて失敗する事が目に見えてる自民党のインパール作戦を礼賛してた馬鹿エコノミスト共なんてのは当時後ろで大和魂の精神論を唱えれば戦争に勝てると思い込んでた連中と同じで全員戦犯でしかない
アベノミクスで日本が好景気になった妄想の世界に生きている自民党信者のクソニートやバカウヨやボケ老害ではなく
アベノミクスタグフの痛みを受けている現実世界に生きている人々の耳には虚しく響くだけだ
こいつらの名前は過去の戦犯と同じ様に永遠に日本の負の歴史として刻まれるべき
人の噂も七十五日というが現代社会で自らの罪が忘れられるなんてことは無いと知れ
負けてるから終わってるんじゃなくて、勝負してるから終わってるんだよ
意味わかる?
冷蔵庫やテレビや洗濯機(ようするに家電)で勝負しているから終わってるんだという事がわかってない
日本のインターネットって、冷蔵庫で中国に勝て!洗濯機で中国に勝て!テレビで中国に勝て!みたいな思想をもってるバカが多いよね
負けてるから終わってるんじゃなくて、勝負してるから終わってるんだよ
日本はGAFAMと戦うべきだったし生み出すべきだった
AdobeやAutodeskやoracleやSalesforceやnvidiaやAMDやqualcomやbroadcomと戦うべきだったし生み出すべきだった
なのに日本はコモディティー化する家電()なんかを日本の力の源泉だとかいって
日本のエリートをモノづくりに従事させ、無駄に突撃させて価値が上がらず無駄死にさせてたわけ
(まぁそれに疑問を持たない日本のエリートってまじ無能だなって思うけど)
2005年ごろのネットでは、モノづくりこそ日本の自慢であり、保険や銀行なんかやってるソニーはオワコンの象徴だった
でも結局そんなソニーがほかの家電メーカーにくらべて一番マシなんだよなw
映画とかゲームとか音楽とかのIPビジネスと保険や銀行なんかも手掛けて
モノづくりに執着しない体制を作ったソニーが結局一番マシだった
ーーーーーここ追記ーーーーー
https://enterprise.watch.impress.co.jp/docs/news/168397.html
↓
2021年 日立金属を売却 トルコの家電メーカーアルチェリクと共同会社設立して家電海外部門を移管
↓
https://jp.reuters.com/article/hitachi-outlook-idJPKBN2UB2OO
ーーーーー追記終わりーーーーー
驚くのははてブなんだよね
IT職が多そうなはてブがモノづくりに固執していることが不思議でたまらない
トランプ大統領がそうだけどホテル業のトランプはなぜか自動車産業にこだわってるよね
モノづくりがおっさん世代の良き時代の象徴であり思い出になってるというか
工場で男たちが汗水たらしてモノ作りする光景になんかマチズモめいた魅力があるのかもしれん
モノづくりこそ誇れる産業なんだと
ITにしてもやたらでかいスーパーコンピュータはニュースになるし話題になるけど
それで何が行われてるかは話題にならない
日本より先に地下鉄が通り、イタリア人が出稼ぎに行っていたほどのアルゼンチンだが
そんなアルゼンチンは運よく第一次世界大戦に巻き込まれなかったので
戦争で疲弊するヨーロッパ向けの農牧産品の輸出がとくによかったという
戦後、戦争を経験した国は工業が国力につながると嫌というほどわからせられたため、工業化にまい進したが
アルゼンチンは農牧産品こそ力の源泉だとして工業化を進めなかったため、世界の潮流から外れていくことになる
俺のおじいちゃんは昭和20年8月10日に亡くなった。戦争で。この前押入れから出てきた、国から送られてきた通知書?に書いてあった。
ビルマで戦死だって。ビルマだったんだ。インパール作戦なのかな。てか戦争終わるまであと数日じゃん。あともう少し生き延びてたら、生きて帰ってこれたんじゃないの?
実は俺の父親は、おじいちゃん(自身の父親)と会ってないんだ。俺のおばあちゃんは父親を身ごもってたんだけど、生まれる前におじいちゃんが招集されてしまい、ビルマに行ったんだ。辛すぎるよ。
通知書と一緒におじいちゃんからのハガキも出てきた。絵葉書だ。達筆過ぎてちゃんと読めないけど、子供は無事生まれたかとか、元気で帰るとか、帰ったらみんなで遊ぼうなとか、そんなことを書いてあった。戦場で書いたのかな。まじで辛いわ。
戦争が終わって、元気で帰ってくるのかと思ったら、その通知書だけ送られてきたって聞いた。遺体を回収することもできず、遺骨もなし。悲しすぎる。
その後おばあちゃんは一人で父親を育てた。女手一つで大変だったろうな。再婚もしなかったし。
そして、父親は元気に成長し、一般企業に勤めた。そして職場結婚し、俺が生まれた。おばあちゃんは俺が生まれてそりゃ嬉しかっただろうな。
ただ俺は、おばあちゃんのことほとんど覚えてない。俺が生まれてすぐ亡くなったから。俺を抱っこするおばあちゃんの写真だけが残っている。
それで、俺の父親もさ、去年亡くなったんだよ。
正直言ってあまり父親と遊んだことがないし、話もあまりしてないんだ。
きっとさ、父親はおじいちゃんが戦死したから、父としてどう振る舞ったいいのか分からなかったんだろうな。
今ならそういう気持ちがわかる。戦争で父親亡くして、寂しい思いをして、いざ自分が父になったら、どう振る舞っていいかわからないよな。そんな中、よく育ててもらったと思うよ。
それでさ、俺にも息子がいるんだよ。3歳の。
親になってやっと分かったんだよ。俺だって、父親にそこまで遊んでもらったわけじゃないからさ、子供とどう関わっていいか分かんないんだよ。
これって、言ってみれば、戦争でおじいちゃんが亡くなったのが原因のひとつなんじゃないかなって思うんだよ。誰のせいっていうのではなく、父親を亡くした負の連鎖が続いてるんじゃないかって。戦争なんて関係ないと思ってたけど、こうやって連鎖してんだなって思った。
でもこうやって、日本が生き残って、命が繋がれて、俺が生きている。そして息子が生きている。奇跡としか言いようがないよ。
戦争の招集前におばあちゃんが俺の父親を身ごもってなかったら。おばあちゃんが懸命に俺の父親を育てなかったら。俺は存在しないし、息子も存在しない。本当にすごいよな。
息子が大きくなったら、この絵葉書を見せて、色んな話をしてやりたい。お前の命はどんなに大切な命かってこと、伝えたいんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20211026193844
で、「iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか」を書いた増田です。ブクマが1600もついていてびっくりしました。いままでどんな気合い入れてブログを書いてもブクマ100もいったことがないのに、勢いに任せて書いた増田が1600とは…こういうのみんな知らなかったんですかね。
いろいろ言及してくれた人がいるんで、答えられる限り答えていきたいと思います。
まあ、隠す必要ないよね。そうです。ハイ。名古屋の工業系の大学を出て入りました。あの頃の三洋はすごかったんだ。二次電池、太陽電池、デジカメ、無線通信など、地味に覇権取ってた技術分野がいくつもあった。新潟で半導体も作っていたし、有機ELだって開発してたんだ。パナからは下に見られていたけど、社風はちょっと緩くて、でも活気があっていい会社だった。守口に本社ビルが建ったときは誇らしかったんだ。なんでこの大企業がこうも容易く瓦解して消滅してしまったのか、今となってもよくわからない。新幹線の窓から見えるソーラーアークに「SANYO」とあったのが、「Panasonic」に変わっているのを見たときの衝撃は、今も忘れることができない。
あ、これはまあ、そうですね。事実上の消滅、といったらいいかな…
>日本メーカーのAndroid端末開発の悲喜こもごもを教えて
俺は携帯絡みの仕事で最初にやったのがPHSのCS(基地局)だったんだ。今や三洋が基地局を作っていたなんて知る人も少ないんじゃないか。DDIPocket(その後WILLCOM、そしてSoftbank…)でその仕事していて、CDMAを手伝ったあと、KCP+というクソみたいなプラットフォームでみんなが死んでいるのを横目で見つつ、横須賀で次世代通信の基礎研究みたいなことをやっていた。なので端末の開発はあんまりやってないんだ。でも、三洋の携帯は良かったんだよ。そりゃパナやNECに比べたらブランドや知名度で劣ったけど、中身は全然負けてないつもりだった。ワンセグをつけたのも有機ELディスプレイを付けたのも三洋が最初だし、何より俺らはあのアメリカでしこたま売ってた。
だがいつの間にか三洋の携帯事業はだんだん先行きが怪しくなっていて、ノキアと合併するという話をずっと聞いてたんだけど、なんかしらんけど結局京セラに売られることになった。京セラは厳しいけど温情あるところだったらしく、残ってパナに身売りされた部門よりかはずっと良かったんじゃないかな。俺は京セラには行かず別の会社に移籍してLTEとかしてたんだけど、そこでiPhoneの発売でいろんなもんがすっちゃかめっちゃかになるのをやや離れた場所から見ることになった。その後は凋落する日本の携帯業界とともに生きてきますた。
>iPhoneが出たときにガラケーにかなわないと思ったのはお前の見る目がないからだ
(笑)まあ、そうだよね。それは本当にそうだと思う。ただ、当時出たばかりのiPhoneは、ちょっと重たいサイトを見るとすぐにブラウザが落ちたし、孫さんはこれで仕事が捗るぞみたいなこと言ってたけど、こんな不安定なもの仕事に使えっかよと思ったのも確か。ガラケーのほうがずっと安定していたんだ。その後iPhoneが急激に改良されていったのはご承知の通り。当時はiPhoneの未来性を語るギークも多かったけど、女子高生がNECの二つ折りにじゃらじゃらとストラップをつけて、あらゆる機能を使いこなし超高速でケータイ打ちしてたような時代で、別にメニュー階層なんかもそう複雑でもなく、これがiPhoneより使いにくいなんて思わなかったんだ。先見の明がなかったことはそのとおりだと思う。
>Androidの出始め、海外メーカーのはそんなにダメ端末ではなかったよね
はい、これもそうですね。HTCやサムスンは当初からしっかり作り込んだいいのを出していた。日本メーカーが安定した端末を出せるようになったときには、すでにiPhoneの覇権が確定していたのは前に書いたとおり。ただ、ソニーだけは例外で最初からそこそこ安定したものを出していたし、途中まではグローバルマーケットでガチで戦っていた。とはいえ、確かソニー・エリクソン(後にソニーモバイル)って当時英国の会社だったような。
>iPhoneが普及したのは端末や操作性がAndroidに対して洗練されていたからで、キャリアの戦略や日本メーカーの不手際だけで語るのはおかしい
これも、そうだとは思う。ただ日本だけが突出してiPhoneのシェアが高い(2位以下に10ポイント以上の差をつけている)理由は、キャリアの戦略や日本メーカーの不手際が原因と言っても差し支えはないと思う。
でも、iPhoneが洗練されているってのはどうもやっぱり納得できないんだよな…確かにiPhone5くらいまではそうだったかも知れない。ただその後はUIなんかもひたすらAndroidで先行しているものを取り込んでいったでしょう。通知エリア、戻る機能、大画面化、アイコンのグループ化、ウィジット、カーソル移動…iPhoneがAndroidと比較してそんなに洗練されたものなら、どうしてAndroidのマネをする必要があったのか。また端末はどんどん重くメタボリックになっているし、ノッチはデカく指紋認証も不可で、充電端子の統一もできず未だにデジタルコンテンツのアプリ内購入もできない。それで最高のユーザー体験とか聞くと、寝言は寝てから言えよと思ったりするよな、正直。俺はよく画面分割してYoutubeを再生しながらLINEとかするけど、それすらまだiPhoneはできないんでしょ?
以前はAndroidが高機能高性能で推してiPhoneはユーザー体験がすごいんだと言われてきたけど、今はどちらかと言うとiPhoneのほうがAチップの高性能を売りにして、ユーザー体験は変な所にこだわっておおよそ実用的ではない。その点もAndroidが優れていると言い切っちゃうと荒れそうだからこのへんでやめとくけど、ぶっちゃけ大して変わらんと思うよ。
まああとは、AppleWatchやiPadやMacとの連携が優れてるみたいな話になるんだろうけど、そのへんは使ってないのでよくわからない。個人的な思いで言えば、個人情報から決済から操作性から何から何まで一社に依存するってのは怖くないんかなって思う。Appleは個人情報保護が優れてるって人もいるけど、実際のところは彼ら中国政府にベッタリで、その要請に従って中国企業に個人情報の管理とか任せたりしてるぞ。
俺が本当にこいつらすごいなと思ったのは、Appleではなくサムスンやファーウェイだった。サムスンはGSMとかから今のスマホの時代に至るまで、グローバルに君臨しつづけているほぼ唯一のメーカーだ。そりゃ過去には日本の技術を盗むとかもあったかも知れないが、日本を追い抜いたあともずっと成長を続けているし、しかも端末のコア部品の大半を内製できて、それらがみな競争力を保っている。こんなオバケみたいな連中は他にいない。
ファーウェイは基地局でとてつもない技術力と競争力を持っていたのもあるが、端末だって短期間にすごいのを出してきた。SoCも内製していたし(製造はtsmcだったけど)、その設計思想や性能はAppleに劣らないくらいだった。そして安かった。安く作れるってのはそれ自体がすごい技術力なんだ。実は俺はファーウェイが躍進して、高慢ちきなAppleを奈落に落とすことを密かに期待していたんだけど、そうはならなかったね。でも彼らはきっといつか這い上がると思う。それが日本にとっていいことかどうかわからんけど。
思うに、日本でiPhoneのシェアが高止まりなのは、中韓に対する根強い差別意識もあるような気がする。日本人はアメリカの作るものは大好きだが、中韓については未だに彼らの技術や製品を認めたくない思いがあるんじゃないかな。欧州なんか行くとサムスンやらXiaomiやらのスマホの機能やデザインを褒める声を聞くけど、日本でそういう人はあまり見ないよね。
>老害め
このコメントが結構あったね…iPhoneが出たときに俺は40歳前後。若くはないけど老害じゃないだろうとは思う。ただ今の若い人は、僕らみたいな年代の人間が日本の産業を焼け野原にしたと思っているのかも知れない。まあそれはそれで確かにそういう一面もある。でもまあ、なんというか、この20年、日本はやるべきことは必死にやってきたと思う。
いま話題の半導体だって、パナとルネサスは共同で微細化の研究に取り組んで世界の先端を行っていたし、富士通は最新の工場を三重に建ててファウンドリビジネスにも取り組もうとしていた。ASMLの独壇場であるEUVリソグラフィだって、実は日本が先行して産学共同で先駆的開発をしていた、なんてもう言っても誰も信じないんだろうな。プラズマや液晶だって有機ELだって、実際のところ日本企業は果敢に攻めていた。世界で求められるキーデバイスは何かはちゃんと把握していたし、それでなんとか世界の一角に残ろうと必死だった。後からならなんとでも言えるが、その時々での判断が遅かったとか合理性を欠いていたとは思えない。でも、なぜかその大半が裏目に出てしまった。技術はあった、人もいた、行動もした。でもダメだった。
太平洋戦争の歴史を読んだりするのが好きなんだけど、あれも途中からやることなす事の大半が裏目に出るようになるんだよね。インパール作戦や特攻のような不条理な作戦もあったけど、全部が全部そうでもなくて、その時はこういう道しかなかったのだろうと思えるものもたくさんある。でも、どうしてかその大半は裏目に出てしまう。そんなときは人生にもあるし、国にもあるんだろう。
俺は、あの三洋電機があっというまに崩壊していったのを見ているから、いま世界を席巻しているAppleやらサムスンやらtsmcだって、いつどうなるかわかったもんじゃないよなって思うよ。富士通やNECみたいに卓越した技術を持っていても、長い時間をかけて凋落していった企業だってある。逆に言えば、ほんの20年くらい前までAppleなんてニッチで時代遅れのPCメーカーだったんだ。日本だっていつまでもダメな国じゃない。社会が変わるときは一瞬で変わる。老害って言われるのは悲しいけど、でも君らと一緒にまた上がっていける日は来ると思うな。
追記:iPodのことを何度か書いている人がいるけど、俺の周囲の人たちでiPodを使っている人は殆どいなくて(ちなみに言うとWalkmanだっていなかった)、大体が中韓の作ったmp3プレーヤーを使っていた。格段に安かったし、iTuneとかいうできの悪いソフトを使わないでも、フォルダごと音楽ファイルを放り込めば再生してくれたからだ。俺も名前忘れたけど韓国メーカーのやつを使ってたと思う。これって自分の周囲があらかた理系でメーカーだったから、割と特殊なのかも知れない。ただ全く無関心なのではなく、飲食店で注文を取るお姉さんがiPod touchを端末に使っていたのを見て、ああイノベーションってこういう形も取るのかと感慨深く思ったのを覚えている。ちなみに当時auはガラケー向けに音楽配信サービスをしていて、もちろん三洋の端末も対応していたんだけど、実際それで音楽聞いてる人を見たことなかったな…(ぶっちゃけ、ビットレートが低く、音もそんなに良くなかった)
なので、iPodを使ってた人がiPhoneを受け入れたという説は、そうかも知れないけど自分にはわからん、となるのであった。ごめんね。否定しているわけじゃないんですわ。こうやって現場の人に周りが見えてなかったってのも、我々の敗因のひとつなんだろう。
伊勢神宮とナガシマスパーランド以外なにもない三重でもマトモな判断ができるのに、全国から人材吸いまくった末に五輪インパール作戦決行する東京ってなんだったんスかね、、、
人員や財源の確保難しく
9/21 21:03 (JST)updated
三重県は21日、今秋の開催が中止となった国民体育大会と全国障害者スポーツ大会を巡り、日本スポーツ協会が定めたルールに基づく6年後の延期開催を要望しない方針を固めた。県関係者が明らかにした。
三重県での今秋開催は8月25日に中止が決まった。延期する場合は、中止の判断から1カ月以内に申請する必要がある。既に2026年の青森大会まで決まっており、三重県が延期を要望すれば27年開催となる予定だった。
関係者によると、6年後の延期開催に難色を示す市町があり、県に財政支援を求める要望もあったという。人員や財源の確保が難しいことから、断念することとした。