これの便乗と、「SCP-JPきらい」ってブクマカが結構いたので、逆に自分は好きなSCP-JPをネタバレこみで挙げていく
ちなみにSCPっていうのは、
・不思議な物体や現象(オブジェクト)を、一般人が巻き込まれないように隔離しておく財団がいる
・その財団の報告書……という体で、その不思議なオブジェクトを説明するネット創作
・SCPというのは、オブジェクトを隔離する為の「Special Containment Procedures(特別収容プロトコル=特別な収容方法)」の略だったり、財団の信念である「Secure. Contain. Protect.(確保、収容、保護)」の略だったりする
http://ja.scp-wiki.net/scp-161-jp
このオブジェクトに感染すると、伊る動作や、「伊る」という単語の意味や読み方を忘れてしまう
……という設定。現実には「伊る」なんてないけど、報告書では「当然在る」という前提で進んでいくので、
読んでいる自分こそが「伊れない病」に罹っているような錯覚に陥る、そんな不思議な読後感のあるオブジェクト
http://ja.scp-wiki.net/scp-488-jp
とても恐ろしい人狼
財団の報告書に、自分の恐ろしさを過大評価させるように追記するだけではなく、人間を殲滅できるほどの能力を持っている
ちなみに狼は黒と赤を識別できないので、赤い部分だけを見るのではなく、全体を見ると真実が見える
http://ja.scp-wiki.net/scp-587-jp
とある日本の有人島に、年一で、誰のものでもない死体が漂着するだけのオブジェクト
だが当初、島民は本土に連絡せずに、面倒事に巻き込まれないように、死体を沖へと流していた
それでも流れ着く死体。ついにある一人が奮起して本土に連絡しようとするも、他の島民が口封じに殺してしまう
その殺人を発端として、島民たちは疑心暗鬼を引き起こし、最終的に17人もの島民が殺される
オブジェクトの性質は、「死体が物体として生成されて、島に漂着する」だけなのだけれど、
http://ja.scp-wiki.net/scp-910-jp
変形する交通標識。「落石注意」に変形すれば石が落ちるし、「動物注意」に変形すれば動物が横切る
http://ja.scp-wiki.net/scp-938-jp
これを収容する為に、専用の施設を造ったり、鍵や罠が何個もかかっていたり、収容できなくなったら核弾頭を飛ばしたりする、すごく厳重に収容されているオブジェクト
http://ja.scp-wiki.net/scp-009-jp
みんなそこそこ知っている、プログラマーなら特に知っている「閏秒」
何故か世界中の時計が、ある瞬間にほんの少しだけ狂ってしまうというオブジェクト
その為、オブジェクトも何も知らない世間一般には、狂った時計を正常に戻す言い訳として「閏秒」という存在をでっち挙げたのだ!
……という話で済むかと思えば、実はその閏秒を引き起こしているのは、一瞬だけ地球の傍に出現しては消滅する、超巨大な質量の謎物体
その謎物体による重力で時間が狂ってしまったのであり、その謎物体がもし一瞬ではなく長時間出現していたとすれば、重力によって地球が割れる
閏秒という小さな狂いそのものがオブジェクトかと思えば、実は地球滅亡に関わる壮大なオブジェクトだったというのが面白い
http://ja.scp-wiki.net/scp-454-jp
手を突っ込めば、その人が人生で一番美味しかったと思った食べ物を取り出せる桶
実験したらなんと、未知の生きた蟲が出てきたという、
ユダヤ人ほど抑圧や差別の対象になってる民族もいないと思うんだが
実際、同化してる中国人よりも世界中に中国人街を作って自分たちのアイデンティティーを医事しつつ生活してる
本来でかい国ってのは分裂と崩壊を繰り返すのが必然で中国は昔も今もそうだってだけの話
例えば俺が、作詞作曲して演奏して歌った曲を一つ世に出すとする。
って言っても売れるわけない。
需要と供給のバランスで、1円なら買うよって人が100人くらい居たとしよう。
そうすると、リリースと同時に、俺は1円×100枚で100円をゲット。
残り999万9900枚が在庫として抱えることになる。
で、曲を聞いた人たちに、意外にも大うけ、評判が評判を呼ぶと、
「1000円払ってでも聴きたい!」
って人が出てきたとする。
俺は残りの999万9900枚から、再度市場にリリース出来る。
あるいは、最初に1円で買った人も、1000円で売ることが出来る。
しばらく前に世をにぎわせたVALUと要領は一緒。
デジタルコンテンツなのに、ダウンロード販売だけでなく、中古販売も出来るようになり、なおかつ著作権者の権利も守られる。
したくなくなる年齢が個人的差があるのが致命的。
夫婦の繋がりってセックスだけじゃないって建て前で、枯れる時期が違うからどちらかが我慢することになる。
セックスできないなら浮気させるべきってのは軽く脅迫だし、したくなくなった側が誰かに相談したくても叩かれるから1人で耐えるしかない。
https://anond.hatelabo.jp/20180113233355
嬉しくて嬉しくて、一通り読んでからツイッターで感想を送った。
何度か推敲をし、長文になりすぎないように。
反応はなく、いいねも付かなかった。
数日後に他の作家さんとやり取りしているのを見て、スルーされたんだなと自覚した。
相互フォローではあったが単純に気付かなかった可能性はいくらでもあるし、作家さんには仲良くする相手を選ぶ権利は勿論あるし、『感想の感想を求める』なんていうことも本末転倒だ。
正論ではそうだと思う。そう頭では理解していても、そこそこ勇気を出して感想を送った私の心は結構傷ついてしまった。
感想を送って喜んでもらえる、というのをかなり期待していた。さもしいことに。
恐らく今後、私はあらゆる感想を知らない作家さんに送るのをやめてしまうだろう。
こういった感情を抱くのは私だけではないと思う。多分。
感想がほしい、感想がなくてモチベが続かない、という作家さんのツイートをRTでよく見るので『感想を受け取る側と送る側の心理』というようなものを考えてみようと思いこのブログを立ち上げた。
※便宜上プロアマ問わず創作する側を『作家さん』で統一しています。
まず、作家さん側と消費者側とで感想に対する考えに違いがあるように思う。
「簡単に作家さんに感想が送れるテンプレート」のような画像をたまに見かけるが、あれがその大きな例だと思う。
消費者は一般的に画像に自分で文字入れするなんて発想は少ない。
そして作家さんは苦労して創作したものに感想が貰える喜びを知っているので、知り合いの作家さんに気軽にバンバン感想を送る。創作することに比べれば感想の数十文字を打つことなんか容易い。
そして、やはり創作する人間からの感想、というものは嬉しいものだと思う。すべての人からもらう感想が同価値だと思える作家さんは少ないのではなかろうか。
それに対して消費するのみの人間からの感想、それも全く知らない他人となると、返事に困るものが増える。
真摯な感想も勿論あると思うが、的の外れた指摘、唐突な自分語り、様々なものが混じる。
それらをスルーするのは作家の当然の権利であり自由だ。いちいち構うものではない。
ただ、消費者側からすると、そんな感想の一つ自体が自身の創作物なのだ。
それを無視されると傷つく。なにか気に食わないことを言ってしまったのではないかと悩む。
求められていないかもしれないものを送りつけるというのには相当なパワーがいる。送って良かった、と思えるなにかが欲しいと思うのは間違っているのだろうか。
ツイッターは良くも悪くも作家と消費者の距離が近いように錯覚してしまうツールだ。
漫画家にファンレターを送って必ず返事がくると思っていた人はあまりいないだろう。送れば送ったきりで当然、でもその後きっと読んでもらえた、喜んでもらえたという想像をして満足することが出来た。
ツイッターは感想をリアルタイムで送れて送ったその後が視認出来てしまう。喜んでもらえたかどうかを判断しようとしてしまう。
返事をしない作家が悪いのではない。
ここでプロフェッショナル中のプロフェッショナルの例を出すのもどうかと思うのだが、感想を送る側のモチベを上手く引き出しているな、と思う声優さんがいる。
ツイッターで毎回「●●のイベントで頂いたお手紙は全て読ませていただきました」と報告している方だ。
容易なことではない。が、送った側の嬉しさは大きい。また送ろう、という気持ちにさせてもらえる。
感想がほしい、感想が来なくてモチベが下がってしまい創るのを辞めた。
辞めてから「あなたの作品が好きだったのに」と言ってもらえた、でももう遅い。何故それを現役中に言ってくれなかったのか。
こういうものがよくRTされてくる。さも消費者側が感想を送らなかった怠慢が原因だと。でもこれは完全に作家側の言い分だ。
感想を送って良かったと思える何か、感想を送りやすい環境、そういうものが必要なのではないか。
匿名で短文が簡単に送れ、お礼イラストが見れたような、ああいうものが今の時代また必要になってきているのではないかと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171216235148
元増田の方は単に難しいとおっしゃっている様ですが、ブコメでは批判的な方が多い様です
確かに路線バスは初見殺しになっている場合が多いと個人的にも感じています
長崎市内を走っている路線バスは民営の長崎バス(長崎自動車株式会社)と長崎県交通局が運営してる長崎県営バス(県営バス)があります
県営バスは長崎市内だけでなく長崎県内各所を走っています(人口密集地がメインではあります)
地元の人間は赤を基調として塗装されているのが県営バス、青を基調としたトリコロールカラーで塗装されているのが長崎バスと分かるのですが、予備知識無しではよく分からないのも仕方がないと思います
また一応、長崎は観光地であり最近は中国からの大型客船が来ることもあって、長崎市内は他県から来たバスや観光客向けの貸し切りバスも多いです
そのせいで余計に分かりにくくなっているそうなのです
住んでいる人間にとっては気づきにくいのですが、他県から引っ越してきた方に時々指摘されます
当然ながら県営バスと長崎バスでバス停も異なるので、同じ名称のバス停でも県営バスと長崎バスで離れた場所にあるケースもあります(大抵は隣接していますが)
長崎バスを例に挙げてみましょう
またそれぞれのバスに経由番号が振られており、それらが車体の標示されています
しかし、これがまた分かりにくいのです
番号が同じでも赤字で書かれているものと、黒字で書かれているもので終点が異なる場合があります
途中までは同じ道を通るので、例えば長崎駅などに向かう場合は問題ないのですが、山間部のホテルなどに向かう場合は注意しなくてはなりません
また番号が同じで、色も同じにも関わらず数本に一本くらいの割合で特定の施設(中核病院や大型の老人介護施設など)が終点になっているケースもあります
終点まで乗っていればいいと油断してしまい、うっかり寝過ごし運転手さんに起こされ目を開けると、そこは老人ホームだった……という事もありえます
これらの点から長崎市民は概ね観光客に対しては、路面電車の利用を勧める事が多いです
長崎市中心部の平地しか走っていないのですが、それだけに分かりやすいのがメリットです
終点まで乗っても一律料金(120円、昔は100円でした)なので、その点でも分かりやすいです
主要な観光名所は路面電車での移動で事足りますし、1日乗車券もあるので(これはバスでも利用できますが)個人的にも勧めています
どうしても山間部へ行きたい場合は、バスよりも高く付きますがタクシーの利用を勧めています
バス利用の場合はバス停から歩く距離も長くなりがちで、狭い道の多い長崎では道に迷う可能性も高いからです
長崎はタクシーは多過ぎると言われるほど走っていますので、道端で手を上げれば余程辺鄙な場所でなければすぐに捕まえられます
ここまで長崎の場合を例として、路線バスの不備と言えそうな面を挙げてみました
ではバス会社は不親切なのでしょうか?
例えばブコメでは料金体系のわかりにくさ、バス停での情報提示の少なさを指摘するものがありました
お気持ちはよく分かるのですが、これらの改善はかなり難しいと思います
例えばバスの路線は鉄道などと比べて複雑であること、バス停のスペースが限られていること、乗客の乗り降りや運転手への負担を考えるとおつりを出す仕組みは難しいこと、などです
しかし最も大きな理由は路線バスは、観光客など初見の利用者を対象にしたサービスではないという事だと思います
基本的に地元に住んでいる人の足となるべく運行されているサービスなのです
仮に利用者が観光客しか居ないのであれば、路線を絞る、先払い式にする、バス停の施設を充実させる、それらを維持する為に料金を高めに設定する、といった事も可能でしょう
しかしながら路線バスは地元の人間が通勤通学や買い物に利用する場合がほとんどです
日々の足である以上、路線バスの利用者は、多少の不便や分かりにくさは我慢してでも料金が安い方を選びます
便利になる代わりに路線が減ったり料金が値上げされたりするよりも、不便でも路線が維持され料金が据え置かれる方を選ぶのです
その不便さを我慢できない人は、すでに自家用車なり自転車なりを利用している場合がほとんどで、多少便利にしたからといって、そのコストに見合うほどバス利用者は増えないのではないでしょうか
私は路線バスの不便さは、利用者である地元の人々の声に応えた結果だと思っています
私は長崎バスはその点でも比較的力を入れている方だと評価しています
ネットを利用した料金と時刻の検索機能やICカードの導入など、地方の路線バスとしてはかなり早い部類だと思います(その分、SUICAへの対応が遅れてしまったのは皮肉ですが)