はてなキーワード: 野糞とは
絶対的に自分より劣ってる人間の世話を焼いていると自分が相対的に立派に見えてくる。
世間一般では「人権を擁する猛獣の相手をさせられて薄給なんて最悪の仕事だ」と思われているが、給料が低い所以外は実に楽しいぞ。
結局の所、障害者なんてのは本当に動物と紙一重なんだけど、そこを割り切れるのが本当にいいんだ。
俺は昔とある企業で事務方をやっていたんだが、事務方ってのはつまる所は健常者の障害者じみた部分について尻拭いをしてやる仕事だ。
ご立派に健常者してるはずの連中相手に「伝票が揃ってませんよ」「書式が間違えてます」「これテンプレが古いバージョンですね」とかいちいち言うのはこっちも疲れる。
相手だって「おいおい俺様は健常者なのにそんな障害者に接するような態度を取りおって(#^ω^)」とイライラしているのが伝わってくる。
それもこれもお互いが一人前の人間同士だから起きるストレスだ。
だが片一方が四半人前の障害者だったらどうだろう?
向こうがイラついても「やれやれ障害者は脳が小さいことも多いからな」と諦めがつくし、話を聞いてなくても「おっと、障害者には難しかったかな?」と自省する余裕さえあるってもんだ。
たまに人並みのことをしてるのを見たら日光の猿が算数の問題を解いてみせたような驚きと喜びが得られる。
実に楽しい。
なにせ獣というのは所構わずウンコをする奴らしかいないが、障害者の9割はちゃんとトイレまで行ってウンチをする。
躾けられた飼い犬だって散歩のときは平気で野糞をするのを思えば、人間という種族の偉大さを感じるというもの。
時折トイレにクソを塗りたくるモンスターもいると聞くが、そういう連中はいよいよそっち方面が怪しい人向けの病院へと消えてくれるので、そういう職場を選ばない限りは相手をしなくていい。
障害者はリミッターが壊れているから凄い怪力とも言うけど、ちゃんとした筋トレもせず甘やかされて育っただけのホモ・サピエンスなんぞ猛禽類やヒョウ属と比べればどうでもなる相手ではないか。
動物を対等の存在として見ているような似非動物好きと違い、人間様に敗北した霊長レースの二番手以下として好いている。
ロクに爪も牙も生えていない毛無しの猿に負けるような知能の低さを愛しているのだ。
サバンナでは向かうところ敵なしと君臨していた連中が大学生ぐらいのバイトからバケツで餌を貰って大人しく食っているのを見ると「ああ、コイツらは地球の覇者にはなれなかった負け犬なのだなあ」と感動してしまう。
俺は自分より弱い相手に優しさを振る舞うというのが楽しくて仕方がない。
弱い奴らの何が素晴らしいって、俺がちょっと優しくするとみるみる依存することだ。
生殺与奪権の欠片を毎日少しずつこっちへと譲っていくその姿を見ると、「ああ、コイツらは本当にどうしようもない」と感じて、大事にしてやりたくなる。
駄目な奴というのは、こっちに依存してくれる。
でも健常者同士でそれをやるほどの根性はない。
だが執着は消えない。
その隙間を埋めるように、この人間社会で他人の助けを借りなければ生きられない連中を日々愛でているわけだ。
楽しい。
ちゃんと思想を実行に移す中国人とネットで暴れるしかしない普通の日本人との差は何なのか。
日本人の根底にあるのは「諦め」である。何をやっても変えられない不況の現実を30年生きてきた日本人の属性は以下のように見える。
これはもっともよくみられる「普通の日本人」のケースではないだろうか。彼らは政治を笑い(冷笑)、政治を批判する左翼を攻撃し(ネトウヨ)、消費の場で政治的発言をする者を排除する。
結果として、彼らの怒りの沸点は「消費できなくなった(あるいは気持ちよく金や時間を使えないお気持ち)」時(エロ表現規制、Vtuberやらのやらかし、米騒動)などに散見される。「消費の場で政治の発言をするものを排除する」もこれに該当するだろう。
このフラストレーションは円安物価高により今後ますます過激なものになっていくと予想される。
これは与党や論破系や大谷翔平など、目に見えて勝者となったことが分かるものを支持、同一化することで己のフラストレーションのはけ口を彼らから見た敗者側にぶつける獣、すなわちネトウヨ化ルートである。
人間は所詮動物でしかない。変えられない現実に自分のエネルギーを使うよりも、変えられない現実の勝者に同一化することで心の均衡を保とうとするコスパ(笑)が良い立ち振る舞いである。
しかし「日本スゲー、俺スゲー」な彼らの自意識ゆえ、日本サゲの情報が入るとすぐさま韓国や野党サゲの記事をリツイートしているような症例が枚挙に暇がない。彼らは自分の内にフラストレーションを貯めておくことが出ない、貯める器が小さすぎるのだ。
結果として彼らはろくに情報を精査せずすぐさま汚物を排泄して心のコスパをよくするしかない。それゆえデマ情報に踊らされる馬鹿が多い。
これは社会に対する不満を貯め過ぎている嫌儲化ルートである。厭世の度が過ぎている上にケチである。
基本的に反体制だが左翼の旗印となるインフルエンサーがもはやいないので語録をつかって安倍晋三に同一化するという、半ば野糞タイプに片足が漬かっている者も多い。
腑抜けた日本人への怒りと憎しみに満ちているが自分も日本人であるということを棚に上げている。中国やロシアを持ち上げることが多々あるが、中国やロシアが彼らを慮ることはまず無い。
彼らの本質もまた他力本願で諦観に満ち、自ら行動を起こすこともなく誰かが何かしてくれることを期待しているだけの典型的消費マインド日本人である。
日本人はこれら3タイプの複合の度合いで構成されているように思う。基本的に食べて排泄する生物的構造からこうなるのは必然と言えよう。
いかに共産党における思想統制があるとはいえ、著しい経済発展を遂げている国であるならば1の食い尽くしも当然可能であるし、「反食品浪費法」が制定されるように文字通り食い尽くすほどである。
うんこもらした、というか
公園のトイレまであと5mくらいで肛門が不意に緩み実が出たことを感知し、何を考えたか即座にズボン下ろし、その場で便失禁した。最悪死にたくなる。
朝の人のいない公園(住宅街、道路に面している)で10秒下半身露出野糞マンは軽犯罪法違反ですか?ですよね。
誰かに見られていないか、動画取られていないか、写真撮られていないか考えただけでも、社会からドロップアウトしたくなる。
※出したものは流せるティシューに包んで、トイレに持っていきました。涙が出た情けない
朝に、腹が動いてして、気がついたあっという間に肛門直前に便溜まって、そこから括約筋が緩むと出てしまう症状が、おおい。poop。糞だけに糞
全国の便失禁マン助けてくれ。。。。
スメハラという言葉のおこり、香水へのアンチ活動がそもそもをして「今までなんとなく許されてきた香水の臭いが気になるやつが増えた」という所に端を発しているわけだが、それって単に臭いに敏感な人間が増えただけなのでは?
原因はいくつか考えらえる。
・在宅勤務などにより人と関わる頻度が減った
・衣食住推し活と様々なものが満たされどうでもいいことに文句をつける余裕が出てきた
・自分は敏感だからこんなことを気にしていると過敏症ごっこするのがブームになった
これらの複合的な要因により「前はそこまで指摘されなかった臭いが指摘されることが増えた」というわけだな。
在宅で運動不足になって臭くなった奴は実際いるんだろうけど、そこから急に出勤するようになったことで「気になるし香水や強い石鹸でごまかすか」と考えた奴らが、結果として強烈な臭いを出すようになったという流れはありそう。
でもさ、そもそもオッサンがポマードと加齢臭の混ざった臭いを出し、ババァからは線香と麝香が混ざった臭いが、オバチャンは香水と脂肪酸のブレンドをかましてきて、ジジイは死臭に小便の漏れをトッピングして街を出歩いていたわけじゃんずっと?
自分が久しぶりに外に出たからそういう日常的な他人の臭いを改めて感じたのを「みんな臭い!俺以外みんな臭い!」と騒いだ所で、お前だってどうせその基準なら他人からは変なニオイってなるのを臭気麻痺で気付かんだけやと思うわけ。
あと、敏感な人間はエライ!違いのわかる俺は凄い!の究極形である「私は過敏症なので大切に扱われる権利があるはずだ」という障害者ごっこがブームになっているのがトドメになった感じかな。
なんか最近お多いじゃん「電磁波がヤバイので駅はスイカを取っ払ってくれ私はアルミホイルをまかないと外出できないんだ!」みたいな人が。
「特別に敏感なワテクシ」っていう所で特別感を演出していこうとするコッスイ自己顕示欲に「言いたいことも言ってやったこんなワテクシはPOISON」っていう日本の因習を打破する俺TUEEEEEのコラボレーションとでも言うんですかね。
つまる所、「人権意識が発展したことで臭いと言ったら怒られるようになった」ということなんてなくて、むしろ全くの真逆で「自分が臭いに対しての耐性を失った所に、人権意識の希薄さが組み合わさって他責的になっている奴らが増えた」なんじゃないかと思うわけよ。
つうか今の街って本当に変な臭いしないんだよな。
立ち小便してるのは酔っ払ったジジイだけになってきたし、バキュームカー見かけたら超珍しいって感じるし、クリーンなゴミ捨て場が増えたことでたまに出会う昔ながらのゴミ捨て場の臭いに驚いたり、清潔なのは良いことだけどあまりの清潔さにより不潔耐性が下がっちゃう人は続出してそうに思う。
結局地球ってどこもかしこも雑菌だらけだし、人間以外の動物はそこらじゅうで野糞するのが当たり前だし、人間の生活圏以外は変わらずクッセーままだと思うんだよね。
でも今の人って本当に臭いに敏感で、水族館のペンギンコーナーや動物園のふれあいコーナーみたいな臭くて当たり前の空間に来たときでさえ「うわーショックー臭すぎるーもう無理だ帰るー」とか言い出すやん?
そんなに臭いに弱かったら人生に支障が出るんじゃないかってレベルの潔癖さがあるよ。
観光地の屋外公衆トイレの掃除が仕事の一環なんだけど、明確に女性の方が汚れてる。洗面所周りは、台周りを拭く用のぞうきんとかも置いてるのにビシャビシャ、ティッシュだの化粧品入ってた容器だのも置き去り。便座周りは、まじでひどい。ウンコが飛び散って壁についてたりする。
男性用のはそんなにないんだよね。男性のも、ウンコもりもりのパンツが脱ぎ捨ててあったりすることもあるけど、女性用の方の頻度とは比較にならない。
仮説としては
・男性はそこらで立ちション野糞という手段があり得るが女性は我慢せざるを得ないため、男性に比べて目一杯溜めて余裕のない人が多い
みたいなことを考えてみたりもするんだけど、いやそれにしても、便座うんこまみれにして、ちょっとくらい自分で拭き取ろうという努力とかしないもんなのか。
数年前のある夏の朝方4時頃。
ランニングしてたらちょっと腹痛くなって、でも少し先にコンビニあるしそこでするかと思って余裕かましてたら便意10%から急に98%まで急上昇して限界が来た。数十メートル先にコンビニあるのにそれも我慢できないレベル。
開けた大通りで草むらとか無い。
若干草むらになってたからそこでやるしかないと思った。幸い朝4時か5時で人は全然いない。
たまに犬の散歩してるおばさんが通るだけ。
俺が糞しても犬の糞だと思われるだろう。
そして隙間に入ってズボンを下ろした瞬間ドバーッ!っと全てを出してすぐに脱出。
糞を見ると犬の糞とは思えない半固形でたっぷり出てしまった。しかもメチャクチャ臭い。
朝4時だったけどこれから陽が昇って暑くなると異臭騒ぎになるんじゃないかと恐怖心が芽生えて安堵と同時に焦りが入り混じり汗がダラダラ出た。
パンツにクソ付いてるだろうから拭こうと思ったが、なんと一切パンツにも肛門にもクソが付いてない。オードリー春日が海外ロケで「野糞を思いっきり出したらクソが付いてなかった」って話をラジオでしてたのを思い出した。クソは思いっきり出すと付かないんだな。
それは良いとして、あの野糞をどうしようか。
駐車場に面してるし絶対臭くて大騒ぎになるだろう。水をかけて浄化しに行くか?その姿を見られたら犯人だと思われるかもしれん。うーん…
と、考えた結果どうにでもなれと思い無視。
後日現場に行くと俺のクソは大量の草が覆い被せられてた。
というわけで雲一つない空に誘われて20km離れた父方の実家ちなド田舎に自転車で行って
実家の近くのスーパーで後輪がパンクして20km自転車押して帰ってきたぜ
実家の近辺はスーパーや服屋やホームセンターが集合したショッピング地帯が一つある以外は畑ばかりという田舎で、実家に行くまでに峠を越えなければならない
その道中の風景が実に素敵だ
風に靡き黄緑と濃緑の縞模様を作る休耕地、ブロッコリーが並んだような新緑たち
道中にある家屋も瓦屋根の純日本風の屋敷に茅葺き屋根風のもの、時に取り残されたローコストの真逆を行く家屋の数々
見ていて実に愉快である
いいなァ田舎は…こっちに住みてえなァ…でも車必須だしそんな金ねえや…
と思いながら実家近くのスーパー前で後輪が周期的にぐよんぐよんと不可思議な反応をしていることに気づく
自転車ピクニックには双璧を為す忌まわしき最悪のトラブルが2つある
1つはパンク、タイヤの空気が抜けるアレ、気づくとテンションが爆下がりするアレである
マジかよ、と思いながら後輪を指で挟み押すと、出る前に空気を十分に入れたはずのタイヤが柔らかくなっていて思わず半笑いになる
俺はこの田舎に自転車および徒歩で一度ずつは帰ってみようと思っていた
そう言うことですか神様、粋な計らいですねェ!
ちなみに実家は海の近くにあるんだが、寄せては返す波に水面に反射する陽のきらめき、これも実に美しい
全てにおいて心が洗われる
海を横目に見ながら実家まで自転車を押し、叔母が守っている実家に辿り着くが事前に確認していたように留守だった、想定内ということで8年ぶり?の墓参りを速攻で済ませる
墓に手を合わせ「すまんな爺さん、これから20km歩かなきゃいけねンだわ」と詫びる
割とすいすい歩け、自転車押しながらでも割と余裕でイケるやん!と思う
道中にある、開店10分で客で埋まるようなラーメン+定食屋で10年ぶりに外食
醤油ラーメンおにぎりセット、醤油ラーメン自体は塩っぽく麺はボソボソしてて微妙だが、おにぎりとスープを合わせると絶品で、おにぎりについてくる漬物もこれまた美味い!
でもラーメンを標榜してるのにラーメンが微妙ってどういうことやねんと思いつつ店を後にする、また定食を食いに来よう
そして忌まわしき最悪のトラブル2つ目に襲われる
新たなカロリー源に腸も元気に糞を押す
田舎の道中には何もなく、郵便局も学校も閉まっていて何もない、あるのは山と畑だけ
というわけで躊躇なく野糞を決断、手ごろな雑木林を見つけ突入する
プリッとひり出し榊を入れていた新聞で尻を拭くとちょっと手に付いてしまい思わずshitと口走る
糞をひり出した後に見た緑の数々は生まれ変わった私を祝福してくれているようだった
その後は特に何も起こらず、パンクした自転車を地元のホームセンターに預け帰宅し現在に至る
往復40kmを20㎞を自転車、20㎞を徒歩で6時間ぐらい、割とあっという間だったな
けっこう体力付いたなって思った