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「揶揄」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 揶揄とは

2024-12-19

人付き合いをしながらの登山が向いていない

趣味登山を数年続けている。基本的に1人で登っていて、技術相談は親や親戚に聞いたり、山岳雑誌や本を読んで学んでいる。彼らは子供の時からあちこちの山を登っており、私と同じく単独登山を好んでいるからだ。

最近とあるサークルに加入することになった。といっても、100人規模のサークルの中で仲のいい人同士がつるんでいる同好会みたいなもの。1人で登山を楽しんでいたらとある山頂で同好会メンバーと知り合って、このレベルの山に登るなら一緒にやりませんか?と誘われて加入した。加入といってもライングループに混ぜてもらって、不定期に開催されるイベントに参加できたらする、というゆるいもの

同好会メンバーとは休みが合わないのでいつもは不参加だが珍しく休み希望を出せる日があったのでイベントに参加することにして、そのイベント専用のLINEに招待された。

疲れる。

まず行程が遅い。

一人のときは日帰りなら基本的に早朝出発して昼過ぎ、もしくは日暮れまでには絶対下山している。イベントは昼に集合、16:30下山。冬なので日没は早い。ヘッドランプは最悪のために持っているが積極的には使いたくないのでこの時点で合わないな、と思う。しか距離もそんなに長くないので一安心していたら、登り足りないので出発時間そのままでもっと距離を伸ばしました!と言われた。賛同に次ぐ賛同。待て待て、いまのままだと下山17:00を回る。低山とはいえ夏山ならまだしも冬、そしてナイトハイクがメインじゃないだろう。同好会メンバー地元なので勝手知ってる道かもしれないが、さすがに今の行程のままでは色々なリスク高まるので、せめて出発を30分早めれないか?と提案した。

反論されたがなんとか受け入れられ一安心、と思ったら1人が「せっかく集合時間が早くなったので、皆でお昼ご飯を食べ歩きしてから登りましょう」と言い始めた。

一度自分意見を受け入れてもらっているので「いや、ご飯を食べてから集合しましょう。もしくはご飯を食べたいならせめてあと1時間は早く集合しましょう」と提案するのも面倒くさくなり静観を決め込んでいる。が、正直彼らと合わないなと思っている。

私は別の趣味で人付き合いや他人自分を比べてしまって勝手疲れた経験があるので、登山では群れずにストイックに山に登る行為のみを楽しんでいる。一方彼らは休日に仲間達と集う理由が欲しいだけなのだ

もともと仲良しグループで作った同好会なだけあってまるで高校生学園祭の準備を楽しむようなグループだと思っていたが、ようやく自分との温度差に気がついた。彼らを生ぬるい奴らだ、と揶揄するつもりはなくて、登山に対してそういうスタンスを持つ人たちもいるし、私だって今まで独りで登ってきたけれどサークル的なところに籍を置いてみたいと憧れている部分もあったから、やっぱり自分は人付き合いをしながら登山をするのは向いていないな、と分かってよかった。

今回の山行は最後まで付き合うつもりだけれど、次回はどうかな……。どうやってラインを抜けようかなと考え始めている。

ただ、初回の山行も直前まで面倒くさいな…とネガティブ感情だったけれど終わってみればなかなか楽しめた記憶があるので、行ったら案外面白いかもと期待している部分もある。

気持ちの大部分は日が高いうちに下山できるのに、天体観測するわけでもなく、わざわざナイトハイク(笑)したくない〜〜〜!!!!いやだ〜〜〜〜!!!

なんで楽しいはずの登山素人みたいな山行につきあって高校生みたいなノリで会話しないといけないんだ!!!だけれど。

自分で選んだ道だから文句を言っても仕方がないけれど自分の愚かさにイライラする。

あと、話の流れで前回管理人にこんな時間に山を登るのは辞めなさいと注意されたけれど強行突破したよね、と武勇伝のように話しているメンバーがいて、うわわわ!!!!ヤンキー思考!!!!彼らといると同類だと思われる!!!!と自分危機管理センサーが反応しているってのもあります

投稿正義

投稿は、正義である。その理由は、再投稿という行為投稿者の声を埋もれさせず、広く伝播させるための正当な手段からだ。匿名ダイアリーは日々膨大な数の投稿が行われる場であり、一つの投稿が一瞬で流れ去ることは珍しくない。その結果、価値ある意見重要体験が埋もれ、多くの人の目に触れないまま消え去る可能性がある。再投稿はそのような不公平是正し、投稿者が自らの声を再び上げることを許容する手段である

投稿を甘えとする批判は、再投稿の意義を過小評価するものだ。投稿者が自身意見価値見出し、それを伝え続ける姿勢はむしろ誇るべき行為である。それは、自らの信念を守り、社会に対して一貫したメッセージを発信しようとする責任感の現れだ。さらに、再投稿は新たな読者との出会いを生み出し、同じ内容であっても異なるタイミング文脈で新たな議論を引き起こす力を持つ。情報の伝播と議論喚起社会活性化させるのであれば、再投稿は単なる個人的な行動を超え、公共利益資する行為であるとさえ言える。

投稿は執念ではない。再投稿怠惰ではない。再投稿は、自らの言葉価値があると信じる者が取るべき正当な行動である。どのような批判があろうとも、再投稿は声を届けたいという投稿者の熱意と信念を体現する行為であり、それを甘えと揶揄する声こそが浅薄である。再投稿正義であり、これを否定することは自由意見表明の場を狭める行為に他ならない。

anond:20241219224628

知人を揶揄しても、お前が困窮してるのは変わらん

ほんと、氷河期弱男ってダサイ

人権派」の家に育って

私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。

もっと正確に言うと、人権派陰謀論者の中間、あるいは地域名物おじさんみたいなものだった。

父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。

この家に育って何が起きたか

物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。

それは認めるし、親としては感謝している。

だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的コミュ障のような人間になった。

少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。

また、統一協会エホバの証人二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。

自分世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。

私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者英雄みたいに私に話すのだった。

大きな例を挙げると、神戸連続殺傷事件酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年A犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。

池田小の事件も、父親死刑廃止について盛んに唱えていた。

私の父は予備校会報講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。

食卓悲惨ニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール死刑廃止活動やあらゆる有名な事件まとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。

母は、左翼地方議員勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロン香りを漂わせていた。

別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子お土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教座談会人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。

こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。

極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察政府は悪。端的にそう言う世界だった。

ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。

しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない。

私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。

それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。

しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場居合わせた。

母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長面談を申し入れた。

私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。

なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。

そして自分世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。

両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌友達漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。

そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。

両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろピエロの様な、少数者だった。

だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかからなかった。

「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。

だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。

大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。

そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。

私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。

場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。

SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。

人権は、そしてそれを擁護する存在重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか

anond:20241219173933

キモ男がヤンキー容姿揶揄され蹴り転がされてたところを一度も見たことがない感じ?

anond:20241219171828

アウトというのかは分からないけど、インターネットコミュニティ発の独特な単語現実で聞くとギョッとする。

そういう言葉は、対象揶揄する目的で、「事情を知っているものだけの合言葉」的に広まったものであることが多い気がする。

anond:20241219093856

MRJもそこまで笑いものにはなってないぞ

三菱重工も、お前ら世代ダメだっただけ

衰退ポルノ愛好家、揶揄されるからって逆ギレしててヤバ

2024-12-18

初音ミク結婚した人、今年くらいかツイッターオタクの間で「こいつはイジメて良い」みたいな存在になった?

他のオタクがこの人の言動をいちいち揶揄するのが何回もバズってるっぽいんだが

なんかやらかして憎まれたのか?

X女、陰謀論反論されると反論者の顔を晒し嘲笑する

例の靴下屋の件だが、これについて陰謀論擁護靴下屋罵声を浴びせていた人々は、その担当者の顔を晒し嘲笑するというフェーズに入っている。

https://x.com/BimBlassa/status/1868149280005095762

「金儲けのためにわざと破けるようにしてる」やらの陰謀論反論されたら顔を晒し性別や年齢、顔付を集団揶揄

ちゃんと記録として残しておこうな

引用元ポストhttps://x.com/mainichi_zutsu/status/1868014467969413509)の引用リプには、本当に見るに堪えないような言葉があるのを確認できる。

これで会社側が法的措置をほのめかすのは逆ギレ脅迫だとか言っていたやつもいたが、そういう奴はこの有り様を見て何か言うことはないのだろうか?

まあ今後女性容姿が晒されてブサイクだのなんだの言われたときに、少なくともこいつらが文句を言える資格はなくなったということは覚えておこう。

anond:20241217074253

似たような展開を巡った蔑称として広島カープファン揶揄する「原爆」 「ケロイド」」がある

2013年カープ開幕戦の成績が顔文字に見えるということからなんJ広島ファンを現す顔文字として(●▲●)が流行。「ネガケロ君」(ケロ=ケロイド意味)と名付けられて一躍流行する。

ところが野球まとめサイトがこの顔文字を「ネガシマ君」と呼称したことにより反アフィ系なんJ民が激怒元増田にある通り「過激なことを言えば転載されない」という風潮から原爆・ケロイド呼ばわりを拡散させる結果となってしまった。

最終的にはリアルで原爆呼びする野球ファンが現れ、社会問題になってしまった。なおなんJ民は己の所業も忘れて当該野球ファンを叩きまくった模様。

2024-12-17

anond:20241217162111

しゃんしゃんとは? 意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

しゃん‐しゃん の解説

[副](スル)

1 鈴などが続けて鳴る音を表す語。「—(と)鈴を鳴らして馬車が通る」

2 大ぜいの人がそろって手を打つ音や、そのさまを表す語。多く、物事円満に収まったことを祝ってする。「では、めでたく—と手を締めましょう」

3 (比喩的に)物事円満に収まること。多く、問題を棚上げにしたまま、見た目には円満に収めることを揶揄 (やゆ) していう。「—総会」

anond:20241217115336

スイーツ」は流行に敏感な若い女性を揶揄したもの

地味で不細工女性オタク趣味を持つ女性インターネットをやってる女性、既婚者子持ち女性高齢者とかはそこから除外されていたけど

「女さん」はもう女全部

80代のおばあさんがブレーキアクセルを間違えて店に突っ込んだみたいなニュースでも「これだから女さんは」って言う

しろスイーツから外れるような女性の方を揶揄するニュアンスがある気がする

anond:20241217115336

恋空とかのいわゆるケータイ小説代表される安易な人死に展開を揶揄したコピペ

ガッシ、ボカッ、アタシは死んだ、スイーツ(笑)

みたいなやつじゃね

anond:20241217070521

その通り、おっさんはおじさんの略

若い人には使わない

男さんは、ネットで女たたきに性器よびのまんさんと呼ぶのが流行ったけれど、ホームである掲示板以外で使うと当たり前に非難されるから、女さんて揶揄に変化して使われだして、その歴史を知ってる女側の一部が男さんてカウンター的に使い始めた最近言葉だね

2024-12-16

えっ?

『光る君へ』って、放射能で全身が光るようになった天皇揶揄する反日不敬ドラマじゃなかったの?

anond:20241216143159

それはキャバクラに例えてるやつに聞いてくれ。

揶揄に対する論点が違うだろ、って話だよ。

スパチャをネットキャバクラ揶揄するなら

小銭稼いでるストリートミュージシャンとかはどういう扱いなのかな

 

ワイは彼女らのトークスキルは金を出す価値のあるものだとけっこう真面目に思ってるけどなぁ

2024-12-15

女優」をやめて性別わず俳優統一するとかそういう事よりも

ガイジ」「メンヘラ」「あたおか」といった、障害精神疾患揶揄する差別用語の方こそ禁止すべきだと思うんだが。

anond:20241215151009

ネトウヨって2000年ごろに2chハングル板極東ニュースから出てきたイメージ。それまでの右翼ウヨクって言うと、いわゆる街宣右翼だったから。

 

1990年代なんてオールドメディアによる左翼全盛期で、そのあたりの有識者ネットというしょぼいメディア発を揶揄したこときっかけな気がする。

 

しか1990年代はすごい時代だったよなぁ。社会党総理大臣を筆頭に(地滑り的な就任だった点もあるが)、朝日新聞日本憎しで強制連行デマに飛びついたり、日中友好日韓友好、日朝友好の名の下に日本sageな識者の主張が飛び交ってた。

事実言われて腹立ったからってさ、増田ときあんブクマカ暴言吐いたり、揶揄するような事書いてると

規約違反でいずれアカウント削除されますよ。

2024-12-13

anond:20241212220250

ピアーズ・モーガンという親イスラエルジャーナリストがいる。

そいつが先日似たような事を、パレスチナ担当する国連特別報告者のフランチェスカアルバネーゼに言った。

まるで自分は何も知りませんみたいな顔して。

でもこのピアーズ・モーガンって奴は何回も何回も同じことを色んな所であえて言ってる確信犯なのよ。

確認の為に聞いてるわけではなく、そこをメイントピックとして持ってくる。

エコーチェンバーではそれが通じるが、専門家がいる場では毎回返り討ち

それでもその後いつものように同じことを毎回言ってる。

アルバネーゼとの対談でもまたそうなったからこれを揶揄して、ピアーズ・モーガン脳みそパレスチナの話になると毎回工場出荷状態リセットされると言われている。

お前の脳みそリセットされてるのか?

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(前期)

 最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。

 フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれ作曲家リストハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリ成功を収めた関係フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノ表現可能性を著しく拡張たからだ。膨大なリストピアノ作品から7選ではきついので、リスト活動時期に区切って7選ずつということにした。

 クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的内向的音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。

 リストピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパン場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンアシュケナージ横山幸雄も作ってますね)、レコード会社企画モノで複数ピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。

 しかリスト場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数ピアニストを起用しているNAXOSリストピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独リストピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリーハワードCDHyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワード全集を推薦するわけにもいかない。とはいえハワードのおかげで取り敢えずリストピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードCDを一巻ずつ紹介している古くからサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。

 リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リスト場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマール宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着け作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌ出会いヴァイマール宮廷楽長に就任するまでだ。

 作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲区別にとって大事になる。しかし、リスト作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリス音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)であるWikipediaにもサール番号順のリスト作品一覧があるので参照されたい。

1. 48の練習曲 S.136(1827年出版

 彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品リストハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラムNAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版24練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。

2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版

 タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体こちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔サバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リスト熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響可能な限りピアノ再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニベルッチ(CD未所持)は公式YouTube演奏動画アップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスやすいだろう(録音は一番良い気がする)。

3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版

 1828~34年に欧州コンサートツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂ファンを獲得した。リストパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品から編曲だ。ヴァイオリン技法ピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニ原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。

 かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympia再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフ演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベル演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。

 困ったことにペトロフ映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。

4. 旅人アルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺ヴェネツィアナポリ」(1859年改訂版

 ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リスト1834年からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダル芸能人特権

 特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的パリ帰国も挟みつつ)スイスイタリアへの旅行順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。

 旅人アルバムは、スイス旅行で見聞きした風景民謡モチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景芸術作品から受けた霊感表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。

 旅人アルバムほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹小説中に登場したせいでクラシック音楽CDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドスSONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リスト最高傑作の一つであるダンテを読んで:ソナタ幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマわず色々いる。

5. ベッリーニオペラノルマ」の回想 S.394(1844年)

 幻想交響曲もそうだが、リスト作品の多くを他作品編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。

 今ならフィリペツの映像https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾマルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスベンジャミングロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。

6. 三つの演奏会用練習曲1849年出版

 40年代作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサート披露して喝采さらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風特に「ため息」は有名でよく弾かれる。

 第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。

7. ノンネンヴェルトの僧房ピアノ初版1843年出版

 スイスイタリアマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリスト演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。

 41~43年の夏にリストマリーはライン川中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたものシャルルマーニュ武将ローラ戦死誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数ヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年バージョンアンスネスEMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。

 華麗なオペラものシューベルト歌曲編曲魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。

anond:20241211212522

こういう自体になってそうやって揶揄しだすやつがほんとに主張してた例なんかゼロに近く

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