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「慣用表現」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 慣用表現とは

2024-10-03

「どんなに苦しくてもやり遂げる」という意味で「Gガンダム」を使っている人いるじゃん

こういった意味不明な「プチ慣用表現」みたいなのってどういう経緯で生まれてくるの?

造語症の一種なのかな?

2024-09-19

慣用句かいう「お前、シェイクスピアぐらいは読んだことあるだろ?」みたいな前提に基づいた表現はどうかと思う

ぼっち・ざ・ろっく!というアニメがある。

俺はこれを娘と見ていたのだが、娘が「猫背のまま虎になりたい?どういうこと?」と聞いてきた。

いきなり娘に山月記の話を始める自意識歪めママにはなりたくなかったので「虎みたいに強くなりたいってことだよ」と説明した。

ああ、なんてことだ、本来意味の3割ぐらいしか伝わっていない。

猫背のままで?」と娘は返してくれなかったので、ただ「強くなりたい」という歌だと思ってしまたかも知れない。

でもそこで掘り進めるのは感想押し付け狭量ママみたいだから辞めた。

ぼっちちゃんが強くなりたいのは事実だ。

でもそれは弱いままの自分に対して否定と肯定を織り交ぜた強さだ。

李徴のように自意識過剰な自分存在に対して「心が弱いままでも、物理的には強くなれるなら、そんな不健康な強さを自分ロックとして貫きたい」と宣言している、はずだ。

ギターヒーローとしての強さと、後藤一人としての弱さ、その二つを合わせた自分を「ぼっち・ざ・ろっく」として肯定してくれたことで、走り出した思いを載せた歌詞、のはずだ。

から「虎」意味しているのは「強くなりたい」では不正解なのだ

「弱い自分を抱えたままで、強くなりたい」なのだ

猫背のままで」と合わせて2回分の弱さと1回分の強さで、2:1で弱いに偏ったままの歪な強さ、それしか出来ないならそれを目指すという決意なのだ

たとえば世の中によくあるのは「健全精神健全な肉体の両立。つまり強くなることで両方手に入れる!」という完全に前のめりな精神、最終的に0:1で強さが圧勝する強さ、それを目指すことが肯定されがちだ。

そんな世界に押しつぶされ、自分を偽りながら手に入れた見た目だけは0:1だけど実際には1:1の強さなギターヒーロー、そして結局残った1:0で切り捨てた弱さばかりの自分の心、それらを混ぜ合わせて生まれる2:1の弱さ多めの強さ。

ぼっちちゃんロックを」と背中を押されたことで、弱さ成分多めなままの自分を光の下に曝け出すことを選らんだから手にした1:0じゃない自分、それが「猫背のままで虎になりたい」なんだって、俺は思ってるから

でもこんなこといきなり言われても相手は困るだろうな。

まずは山月記を読まないと始まらない。

一生始まらないんだ。

なんてことだ。

生山月記を読まなかったら、一生分からないんだ。

慣用表現って確かに便利ではあるんだけど、こういうどうしようもない不親切さを抱えてるよなあ。

2024-09-06

anond:20240906180553

とするとこれは隠喩か?実際は少し暗く変わった程度だけど誇張してるのか?

アスペ的にはこういうの正確に表現してほしく思う

定型発達者の会話は基本的に「鳴き声」なんだよ。

感情としてポジネガか(あとその度合い)を表現することが目的であって、それ以上の意味はない。

猫が「にゃ〜ん」と鳴くか「シャー」と鳴くかってことと同じ。

「一瞬目の前が真っ暗になった」は「超ネガ」を表す慣用表現

なぜそういう表現をするのかと言えば、慣用的によく使われているからという理由しかない。

2024-08-20

ヤバいブクマカを見分けるフレーズ

ブコメ誹謗中傷罵詈雑言を書くブクマカヤバいヤツであることは当然わかるのだが、言葉自体普通なのに何故かヤバいヤツしか使わないフレーズってのもあるよね。なんだろうねこれ。

1. 〜した方が良い。

求められてもないのに急にアドバイス口調になる系ブコメ。そのアドバイスの内容も珍奇な事が多い

2. 〜しましょうね。

急に幼児を諭す口調になる系ブコメ。書いた本人は揶揄のつもりなのだと思うが、99%スベっている

3. だんまり

「何も言わない」でも「黙ってる」でもなく「だんまり」、これは特定感性をお持ちの方に特有のチョイス

4. したり顔

何故かもはやヤバい系のブコメ三面記事しか目にしないフレーズ

5. 馬脚を現す&尻尾を出す

普通慣用表現ではあるのだけど、普段から陰謀的な世界観に浸かってない限りブコメでこのフレーズは出てこない

なお、よく槍玉にあがる「何度も言うけど」「いつも言ってるけど」あたりは単にちょっと自意識過剰なだけで人格的には特にアレではないかと思う。

2024-08-05

ポジティブ意味で「上澄み」を使うのは誤用なのか

「上澄み」とはもともと、液体中の不純物が下層に沈んだあとの、上層に近い綺麗な部分のことを言う。そこから比喩的に「全体における良い部分」のことを指すようになった。

ところが、そうした用法は近年広まった誤用である、という主張がある。「上澄み」はネガティブ意味で使われるべきだ、というのである


しかし、たとえば酒造や製油などにおいて「上澄みをすくう」のは、多くは底に沈む不純物を除くためであって、不純物を得るほうが目的だということは少ないだろう。その語源を考えれば、「上澄み」をポジティブ意味で捉えるほうが自然だと思うのだが。

実際にどういう使われ方をしてきたのか気になったので、比喩的意味で「上澄み」を使っている古い用例を探してみた。

明治26年 饗庭篁村霜柱

古人の名作 皆な下習いが有る 紫式部源氏物語も 家筋だけに一体能文のうえ 日記も作り 歌の詞書もし 其外文や雑文に筆を練り 学は元より日本記の局と呼るる程までなり 其の上澄が彼の大作となッたのだ

調べたかぎりでは最も古い用例。上澄みが「良い部分」を指している用法だが、文章全体では上澄みを生むための「下習い」の重要性を説く。

明治32年『團團珍聞

アア世間は泥なるかな泥なるかな、吾独り澄めりと云う者も、矢張り泥の中の上澄を吸うの人なるのみ

上澄み自体は「良い部分」を指すが、文意としては「綺麗な上澄みも所詮は泥の一部にすぎない」といったところ。

明治39年 虚心窟主人『酔醒禅』

偽善は泥水の上澄の如し酌むべからず、移すべからず、忽ち濁ればなり。

同じく泥と上澄みに喩えた用法

明治39年 エレンケイ二十世紀児童世界

然るに学期を分ち、試験を行い、小刀細工に類する形式的堀割を通して、之を流し込もうとすれば、肝腎な熱流の熱が失せ、有益なる含有物は途中に沈殿してしまって、児童の頭に這入るものは、ただ水のような上澄ばかりとなる。

翻訳書。上澄みよりも沈殿物のほうが有益だというので、明確に上澄みを「悪い部分」としている用法である

明治39年『新仏教

常時百余名という寄宿制も、実は変らぬところは六七十人の堕落書生で、濁った水の上澄を酌むように、余の三四十人は、毎日新陳代謝、だまされて入社し、裸になって退社する者等を総称して見た話して、頭数は百でも二百でも其中に書籍を読む者は、只の一人もないので、只稼いで喰って寝て居るのと、只喰うや喰わずに寝起して居るのと、人の物を盗って喰って居るのと、夫等が下方の沈殿物で、入社即退社が上水の澄んだ所なのだ

沈殿物が酷すぎるが、上澄みが優れているという書き方でもない。どちらかというと「上層は流動的・下層は停滞的」というイメージか。

明治41年 田岡嶺雲『有声無声』

快楽上澄をのみ飽まで飲んで、渣滓の苦きには吸い至らず、花婿の其当夜に死んだ彼は永久に花婿である、彼を人生の最も幸福な者というも、強ち不当でない。

「美味しいところだけ味わって死んだ」という話で、やや皮肉めいた書きぶりだが、上澄みを「良い部分」とした用法ではある。

大正2年 小泉要智『叟骨集』

前者の唯理想にも附かず、後者の唯現実にもなづまず、底までかきまぜずに措いて、上澄みの処で一致を立てん

極端な理想主義と極端な現実主義の上澄みを取る、という話で、ちょっと独特の用法な感じがする。「良い部分」ではあるか。

大正5年 中条百合子『貧しき人々の群』

苗字もなく、生きて居るのさえうんざりした者達の集って居る、暗い罪悪にまみれて居る世界では、そのような事は何でもない。三面記事にさえ、載せきれない「彼らのいがみ合い」の一つとして、世の中の上澄みは、相変らず、手綺麗に上品に、僅かの動揺さえも感じずに、総てが、しっくり落付いて居たのである

上層は綺麗で上品で落ち着いているが、それは下層の濁りが上層まで伝わらないからだ、という用法

大正7年 有島武郎『生れ出る悩み』

心の上澄みは妙におどおどとあわてている割合に、心の底は不思議に気味悪く落ち着いていた。

単なる表層・深層の言い換えだが、「上層は流動的・下層は停滞的」のイメージが入っているかも。

とりあえずこのあたりで。

以上から考えるに、「上澄み」の用法さらに4つに分類できる。

1. 上澄みは全体のなかの「良い部分」である

1-a. 上澄みは「悪い全体」のなかの「良い部分」である

2. 上澄みは全体のなかの「悪い部分」である

3. 上澄みは全体のなかの「流動的な部分」である

「上澄み」という語のイメージは「良い部分と悪い部分が上下に分離している」といったものであり、単純には1の用法なのだが、1-aの用法だと「実は悪い部分が底に隠れている」「実は沈んだ部分のほうが本質である」という逆張り的な文意になることが多いため、次第に「上澄み」自体に「うわべだけで本質的でない」ような印象がついていった、ということだろう。それが極まったのが2の用法。3の用法だけは独自な感じ。

最初の話に戻ると、

強さの評価で上澄み、と言われると表層に位置する浅い存在、すなわち弱い存在のように感じた

液体の上澄みは、底に沈澱したものがあり、それを本質と捉えて「上澄み=表層的な浅い理解」と喩えた慣用表現だったはず

というのは2の用法であるが、これが「本来用法」「正しい用法であるとは言い難いと思われる。少なくとも、さらに古くから「上澄み=良い部分」とした用法存在してきたわけで、今となってはどちらの用法も定着していると考えるべきだろう。

というわけで、ポジティブ意味の「上澄み」も気軽に使っていこうな。

2024-07-26

anond:20240726102243

皮肉で言ってるのでないのなら、慣用表現しかないのにそれは誤謬だろ。「すごい表現だよな」ならまだわかるが。

2024-02-18

漏れに詳しい人来て。尿漏れが始まった

序論

「小便臭い」という言葉がある。

相手の年齢の低さ又は年齢の低さを感じさせるような言動や外観に対して使われる慣用表現であり、要するに「ガキ」という言葉同義だ。

これはおねしょをした子供がその匂いの染み付いた着物ふんどしを着ていた時代に使われた言葉で、今はもうすっかり馴染みがなくなっている。

しろ現代において小便臭さを感じる人物は、得てして老人や中年だろう。

介護オムツを履いて電車に向かう最中の老人だったり、ブリーフ黄色いシミをポツポツとつけた中年だったりだ。

自分がその仲間入りをするのはもっと先だと思っていた。

ジョロン

半年ほど前からスーツスラックスにふと湿り気を感じるようになった。

最初私は痔瘻を疑っていた。

痔瘻とは、肛門の横に第二の肛門誕生するタイプの痔である

だが調べてみると痔瘻には痛みがあるらしい。

ならば何が漏れているのか。

便でないなら、尿か、汗である

汗の可能性を考えた私は汗対策クリームを使うようにした。

汗をサラサラにすれば問題解決すると思っていたのだ。

だがこれも効果がない。

そして私は、下着ボクサーパンツから純白のブリーフへと履き替えた。

もしもここにシミが出来れば、尿が漏れているのだ。

ある日の排尿後、チンチンを大目に振り回し、蟻の塔渡りから金玉の裏を押し上げ、完璧に尿を切ってからパンツに戻したはずのチンコから

ジョロン

と液体が飛び出るのを感じたのだ。

完璧ルーティーンによる完全な尿切り。

そのはずなのに

ジョロン

尿道を何か通り抜けた感触があった。

俺は

あーやっぱウンチもしちゃおっかなー。次の会議は長いから念のためにー」

みたいな雰囲気を出しつつ個室へと入った。

ブリーフを下ろすと、そこには黄色くはなかったが、たしか

シミがあった。

(中略)

とにかく助けてくれ

どうしたらいい?

泌尿器科

尿漏れパッド?

防臭パンツ

漢方薬

括約筋トレーニング?

まずなに?

助けて。

助けて、くれるよな?

お前ら、漏らしのプロだろ!

今やらなくて何が出来るんだよ!

漏らしてるやつを助けられないなら、はてなに何の勝ちがあるんだよ!

2023-12-04

嫌いな慣用表現

「腐るほど◯◯」って言い回しがすごく嫌い

腐ってねーだろ。と思ってしま

大勢が使ってるけど自分は嫌いな言い回し」、あるよね?

2023-11-13

anond:20231113232220

他人の死を望んだことなんかないから分からない むしろ憎しみの対象として、いつまでも生き残っていてほしい

死刑を望む」と言うのは家族を失った悲しみの慣用表現を用いているように見える そして悲しみから逃れるための自己暗示として死刑を望むようになっていく流れではなかろうか

ぶっちゃけ遺族は本心死刑を望めるほど精神的余裕がないのではないか想像する

被害者本人が生き残ってしまった場合なんかは、加害者処遇なんかより将来に対する絶望の方がとんでもなくデカいだろ

2023-09-30

「1年間何不自由なく暮らせる金額

こういう慣用表現があった時代には「不自由」の共通認識がなんとなくはあったのだろうけど、現代ではどうなんだろう。

自分場合、金さえあれば低開発国に投資して先進国を目指してみたいんだけど、そういうのができないのを「不自由」とは言わんのだろうなあ。

2023-09-07

anond:20230907001815

社会とは人が生まれから死ぬまで置かれる環境の事であり、「社会に出る」とは慣用表現に過ぎない。

また、姿の見えない相手経済的活動を行っていないというのは著しい偏見である

連日定まった睡眠を取らずに凡ミスを繰り返し昇給すらままならない、そんな底辺生活を色濃く匂わせている。

2023-07-28

anond:20230728121807

「泣く泣く」という慣用表現は実際に泣いたことを表しているんじゃないよ

2023-06-26

「死にかけた」「土下座した」は文字通りの意味だと考えるべきなのか

特に嘘松が「死にかけた」「土下座した」をカジュアルに使いすぎるので、

その点だけでも嘘松認定して良いのか、嘘松クラスタが使う慣用表現だと考えるべきなのか、悩ましくなってきた。

2023-03-29

3大 誤解に基づいた慣用表現

「一本足〇〇」

流通してる意味:重心が一点に集中しており、変化に対応できない。

本来意味ボールタイミングを合わせやす打法

焼畑農業

流通してる意味リソースを食い潰す自分勝手なやり方。

本来意味:一度焼き払うことで土を回復させるサステナブルな農法。

「N段活用

流通してる意味:N種類の状態に変化。

本来意味:五段活用でも上一段活用でも、活用形は6種。

あと一つは?

2023-03-18

英文法比較級がすげえ苦手で苦戦してるんだけど

比較級に関する慣用表現に関してはどうしても思考が迂回する

no less than ←(えーと……noは凄く強い否定で……lessの真逆くらいの勢いの、しかも心情がこもったような意味になるから……~もの、だ)

not less than←(えーと……notはnoほど否定の度合いが強くないから……lessを否定してるから……少なくとも、だ!)

みたいな感じで

クジラ構文なんて理解するまでめちゃくちゃ苦労した




で、文章ベース意味取るのにこんな苦労してる表現から、当然リスニングですぐ意味を把握するなんて到底できない



比較特有表現意味リスニングときも一瞬で把握できるノンネイティブに聞きたいんだけどコツとかある?


追記

ブコメ

鹿のモアさん、藻のレスさん

感謝

勉強で語呂合わせをなるべく避けて通ってきたけど、1発で覚えられたししかリスニングで登場した時の効用もある。すごい

2023-01-07

anond:20230107222022

慣用表現ってどれ?

●●文学のこと?

これにフィクションというニュアンスはないんじゃないか

というか慣用表現って一般論と切っても切れない似た者同士だと思うけど

あかんまた論破してしまった

言い負かされた人間最後っ屁は見苦しいのが常だから返信トラバは見ないよ

anond:20230107221525

慣用表現の是非に一般論持ち出されても君のお気持ちですとしか言えないんだが

2022-12-15

anond:20221215083944

まずこの歌詞社会革命うんぬんは関係ないと考えてよいでしょう。

松任谷由実社会革命がほぼ結びつかないし、バブル時代の幕開けといっていい1980年発売の曲ですから社会情勢とも合致しません。

では、日本語としてどうなのか。

「つむじ風を追い越す」という慣用表現はありません。

「旋風を巻き起こす」には社会話題になるという意味がありますが、「つむじ風を追い越す」にはそのままの意味しかありません。

そのままの意味の「つむじ風を追い越す」は、決して不可能なことではありません。ですから日本語として間違っているというようなことはありません。

2022-10-28

anond:20221028133218

本題の話題からは逸れるけど興味深い

一般的、一応、は数字っぽいニュアンスあんまりいか自分は間違わない気がする

逐一とか一切合切とか一日千秋とか一朝一夕とか、数字の1の意味を感じでも慣用句になってたら漢字使うと思う

から十まで、みたいな慣用表現はうっかり数字にしちゃうかも

2022-06-15

anond:20220614210122

沼は

「泥沼にはまる」「泥沼」

からきて、(良くない状況から)抜け出せないの意

ワンチャン普通に麻雀用語ワンチャンス)でいいでしょ

麻雀用語とは意味が違うけど、インターネット以前から膾炙してたんじゃね

意味が違うから語源ではないというなら将棋囲碁から来てる慣用表現をずたずたにすることになる

2022-05-24

増田のヌシによる増田脱出

相当ハマっとるようじゃな、若いの。増田古老じゃ。

このままじゃ増田はてブを行き来して一日が終わってしま

作業しなきゃなのに

助けて

増田10年 やっとるワシも、幾度となく沼を経験してきた。

その度に増田存在を憎んだものじゃが、あるとき脱出方法を思いついて以来、悩みから解放されたのじゃ。増田は、人の時間を喰らうバケモノから、やりたいときにやればええ、気楽な娯楽に戻った。

その方法とは——… 気合を入れて増田を書くことじゃ。

ありったけの技巧を込めて、増田で積んだすべての経験を活かすべく、本気で増田を書く。

まずはテーマの選定に気合を入れる。皆が興味のある話題を選んでいるか。その分野で高い解像度を発揮できるか。

読者に伝えたい内容が目に留まるようバランスに注意を払って、構成を練るのじゃ。

草稿が出来上がったら、編集プロセスに入る。

タイトルは頭に入りやすいかタイトルだけ読む連中も祭りに加われるような軽さがあるか。冒頭に引き込むようなフックはあるか。

説得力を持たせるための権威づけはあるか。自分の強みを明かしているか。逆に無意味マウンティングはないか

言わんでええことまで言ってないか、すなわち、ブックマーカーの「まとめ作業」をおのれが代行するような愚を犯してないか

聞き慣れないフレーズ慣用表現に置き換えて。読み飛ばしてもいいパートはそうだと判りやすくするんじゃ。

同じ単語の繰り返しはないか、指示語は最小限か、「だが」などの否定語は極力削られているか、語尾は多彩になっておるか。文章リズム感は十分か。

末尾にスルーされないための、何かひとこと言いたくなるような煽りはあるか。

すべてのチェックを終えたら、再び最初に戻って検討し直す。何度も何度も繰り返す。

最高傑作を生み出すべく、情熱を注ぎ込むのじゃ。ひとつ増田を書くのに 12時間 かけてええ。

そして、投稿しない。寝かせておく。

これが増田を止めるコツじゃよ。

anond:20220524144450

2022-05-03

「最も××なものの一つ」

この言い方が腑に落ちない。

「最も」は「一番」「なによりも」という意味であって、論理必然的対象はただ一つに限られる。

したがって、「最も××なものの一つ」という言い方はそれ自体自家撞着に陥っている。

しかし、この表現を色々な場面で見かけることがある。ネット上は言うに及ばず、一般書籍でも普通に使われている。

この表現を使う人の脳内で、上記矛盾はどのように解消されているのか?

それとも解消されていないが慣用表現として許容しているのか?

そもそも矛盾に気づいていないのか?

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