はてなキーワード: スポーツとは
八村塁のような身長2m・体重100キロ超のアフリカ系日本人選手と身長170cm台のアジア系日本人選手が試合で接触して、不幸にもアジア系日本人選手が半身不随になったとしても、
「スポーツにこういう事故は付き物だね。障害を負った選手が十分なサポートを受けられることをお祈りいたします」
と同情するのと同じ程度に、トランス女性選手とシス女性選手の接触で半身不随の事故が起きても同情するよ。逆に言うと、それ以上の感情は何も無い。
「だからアフリカ系選手がアジア系日本人選手と接触のあるスポーツをやるのは危険なんだ。アフリカ系選手は日本国籍があったとしてもアジア系日本人選手と一緒に試合をするのを禁止しろ!」
などと言い出す者がいたら、人間のクズの差別主義者として軽蔑して徹底的に批判する。トランス女性の女子スポーツからの排除を言い出す差別主義者に対するのと同じようにね。
え?普通にラーメン焼肉スイーツ食うしスポーツ経験ないしデスクワークだけど、それでもMAX46kgまでしか太った事ないんだけど。逆にどれだけドカ食いしてたら50kg超え続けるぐらい太れんの?
努力しないブスや怠惰デブが私も女性なんですけど〜ってツラしてくる方が気持ち悪いから「女性」名乗るの辞めてくれるならむしろありがたいわ。
お前らの勧めるカルトのせいで純粋に女子スポーツやってきただけの選手の人生ぶっ壊されてるんだけど、それでも女が半身不随になるくらいなんだートランス女性に女子スポーツさせないのは差別ー!!!ってなるの何なの?
我が国もアフリカ系がルーツの日本人がじわじわ増えているけど、彼らが国内スポーツで大活躍するようになっても、
そうなんや…?って思って調べてみたけど、マラソンはそれ以外に持久力とか色々必要だからなのか、男女差はあんまりないって言う人もいるぽい。
いろんな人がいろんなこと言ってるからよくわかんないけど。
さっきも書いたけど、乗馬とかはオリンピックでもあんま男女で成績変わんないんだってね。
スポーツってひとくちに言っても明らかに格差が出るやつと出ないやつがあるぽい。
そんで普通の人の日常生活ではみんなそんなアスリートみたいな生活をしてるわけじゃないじゃん?
そこで男女差ってどういう意味があるのかな?って考えた時に、ああいう考えもあるかな?って思ったんだけどいまいち伝わる気がしてない…
私は運動経験が少ない文科系や帰宅部の男性が、男女の筋力差を軽視しがちであると感じています。
彼らは学校の体育の授業程度の経験しかないため、男女の筋力差がどれほど大きいかを実感していないのではないでしょうか。
一方で、野球、サッカー、バスケットボールなどのハードなスポーツや格闘技をやってきた男性は、その差を実際に体験しているため、性別による筋力差を重視する傾向があると思います。
例えば、野球では投球の速度や打球の飛距離、サッカーではキックの威力や走力、バスケットボールではジャンプ力やディフェンスの強さなど、どれも筋力が直接的に影響する要素が多いです。
これらのスポーツを通じて、男性選手と女性選手の間には明らかな筋力差が存在することを実感しているのです。圧倒的な違いが数値としてもあらわれます。
一方、アニメやゲームなどのフィクションの世界では、若くて細身の女性キャラクターが重要な戦力として描かれることが多いです。
これらの作品では単純な筋力よりも魔法や異能のほうが効果的で、現実世界での筋力差とは関係ないところで勝敗が決まる理想的な世界が描かれています。
運動経験が少ない人ほど、こうしたフィクションの影響を受けやすく、現実の筋力差を無自覚のうちに軽視した世界観を持つ傾向があるのではないでしょうか。
朝の副都心線に乗ってきた足元もおぼつかないよたよたしたおじいちゃん、靴が目に痛いほどのネオンイエローのホカオネオネだった。
運動するわけでもない、むしろどうにか体が動いてるのが精一杯のじいさんが全身をスポーツブランドで固めてる現象、アスレジャーならぬアスジジイとでもいうべきある種のファッションジャンルだよね
父君 海外の大学を卒業して何度も長期の海外出張をしている優秀な人間。兄弟もラ・サール高校に通うなど優秀な家系だがコロナを期に論理的な反ワク陰謀論者になる(医者嫌いなので素質はあった)。
ワイ 両親の悪いところを絞って残ったカスレベルの無能ガイジ。最近ユビーという症状検索エンジンで直ぐに受診しろって出てきたから心療内科予約したレベルの2浪中の社会的弱者。
背景
ワイが2浪しているのに危機感がなく努力していないように見えているのがとても不愉快らしく日頃のストレスとアルコール依存症と相まって怒りが爆発した。っぽい。
このまえ、酔っ払った父君が浪人してるワイに「お前に何ができるんだ? 日本語まともに使えない。英語出来ない。特技もないだろ。歌えない。踊れないスポーツは出来ない。なのに勉強も出来ない。」と言ってきた。
こういう時、父君に対して正論はもちろん、頓知の効いたセリフの一つでも言えばありえないくらい怒るので当然黙っている。「沈黙は金、有弁は銀」というが、それでも怒りは収まらないのでどんどん否定の言葉を投げつけてくる。
役立たず、無能、バカ、様々な罵詈雑言を浴びせてくる。でもそれは全部、家族の期待に応えられずうんこ製造機と化したワイが悪く、日夜働いて稼いだお金で養っている父君は何も悪くないのだ。
そう思っていた。いくら親だからとは言え、人格否定したりするのは世間が許してくれなくても、烏滸がましくもうんこ製造機のワイは許すのだと。
どんなにビール腹で通風で中途半端な白髪で醜くなっても、家族というどうしようもない枠組みに嵌まっているから反ワク陰謀論者になろうが極右になろうが原理主義者になろうがいくらでも目を瞑るつもりでいた。
ワイに対して「お前は無能で役立たずのクズの中国人や韓国人と一緒だ。お前の最終学歴は高卒になるんだぞ。中国人や韓国人といっしょにバイトする羽目になるんだぞ」と。
別にワイは聖人君子でもなんでもないし、他人なんてどうでもいいと思っているから、子供が銃を片手に戦争参加させられたり、レイプされる女性に対して何も思わないし感じない。何なら、技能実習生なんかもっと制度悪用して奴隷レベルで搾取してもええやろって思うくらいのゴミ人間である(そういう意味では父君の人格否定は間違っていない)。
ワイが「こいつもうダメだ」と判断したのは、父君がある種の選民思想や優生思想を持っていて平気でそれを口にすることである。
ワイはいじめや差別が無くならないということはすでに知っているので、個人の心の中に留めておく分には自分に対してでも、自分以外に対してでも問題ないと思っている(実際世の中も口に出さなきゃ問題ないやろ)。
親戚の法事で墓参りしたときも、「クルド人は土葬するからクズだ」と間違いではなくとも憚られること声高々に言うのだ。
もし自分の家族や親戚がそういうことを言ったらどうだろうか。こういうことを平気でいう人間が親だと子供が可愛そうではないだろうか。
考えてほしい。ワイはそれがとても恐ろしくなったのだ。
まあワイはアスペだし初めて出来た恋人も半年で別れたから恋愛とか子育て向いてないと思う。
読んでくれてありがとう。こんな親や親戚が居たらストレス半端ないよな。ワイと似てるかワイよりも酷い環境で自殺するって決めてても心療内科か精神科は行ったほうがいいと思うから行こうぜ。いつでも開いてるし聞いた話だと自治体とかがやってる無料のカウンセリングで紹介文書いてもらうと安くなったり支払い待ってもらえるらしいから行くだけ行ってみよう。
(前回)
https://anond.hatelabo.jp/20241127205544
それでは、昔は問題職員をどうしていたか? 無理やり追い出していたのだ。
わかりやすいのが、今でいうパワハラである。昔はパワハラという言葉はなかった。すべて指導だ。
問題行動のレベルにもよるが、大声で怒鳴ったり、皆の前でつるし上げたり、罰として廊下や屋外に立たせたり、あえて仕事を与えなかったりしていた。
少なくとも、約20年前までは普通に実施されていた。私が入庁した頃だと、出張先の東京都庁の庁舎内でも廊下に立たされている職員がいた。
以下、箇条書きにするとこんなところか。いずれも「職場はあなたを必要としていない。早く辞めるように」という組織からのメッセージである。
・失敗した時、足で蹴ったり、殴ったりする
・同僚全員の前で、はっきりと「信頼されてない」「無能力」「家に帰れ」と宣言する
・大量の肉体労働をさせる。倉庫整理、イベント準備の物品運びなど
例えば、業務上必要がなくなった支所・出張所を廃止せずに残しておき、定年を迎えるまで其処の勤務にする。
ほかのパターンも当然ある。問題職員の種類によって対応は異なる。
以下は、参考までに民間企業の例だ。
「追い出し部屋」で1人勤務、飛び込み営業ノルマ1日100件 証券マンの悲哀…「退職強いる目的」大阪地裁が賠償命令 ※産経新聞。大和証券の例
https://www.sankei.com/article/20150514-E4XGZ7MV7NPGLDATXXBGE2GFPM/
ほかには、
「パワハラはダメ」というのが現代社会のルールなのは理解している。管理職研修でしっかと習った。今の社会の考え方はわかっているつもりだ。
しかし……昔のジョジョの漫画に出てくる、ジョージ・ジョースターⅠ世のように「逆に考えるんだ」という視点もある。
そう、逆に考えるのだ。パワハラが社会のために必要であるなら、「やっちゃってもいいさ」と考える。具体的には、状況に合わせて現代的な法令・常識・慣習と、そうでないもの(パワハラ)を使い分けるということだ。
少なくとも、上位下達タイプの公務員組織においては、パワハラを根絶すべきではない。問題のある人間を片付けるための手段として残しておくべきだ。事前の見せしめ、威圧という意味もある。
パワハラ根絶というのは、創造性を発揮するタイプの職場、民間企業やNPOなどで行うべきだと思われる。公務組織を巻き込まないでほしい。迷惑行為である。職場の秩序を乱す人間は、どんな手段を使っても徹底的に追い出す。税金で運営されている公務組織においては、必要な考え方だと信じている。
厳しいことを言ったが、視点を変えれば理解できる。あなたが住んでいる市区町村で、税金で給料をもらっている職員が、私の故郷の方言で悪いが「てれんこぱれんこやっている」のを目撃した場合、「辞めたらいいのに……」と思うはず。私が主張したいのはそういうことだ。
現実はこうはいかない。私は現在、農政部局で管理職を務めている。この部局は長い。もう約20年になる。私は問題職員に対して、パワハラを疑われるレベルの指導は滅多に行わない。非常時に限ってのことだ。
パワハラは、周りがどう考えても正しいと感じるとか、黙認せざるを得ないとか、そういう時に限って行う。社会常識には反するけれど、正義を行わないといけない時にそうしている。
以下、【後述】の内容に入る。それでも大変よろしくない職員に対しては、人事部局も毅然とした対応を採る。
男性の場合だと、反社や粗暴な言動をする市民・業者を相手にするタイプの職場に十年単位で配置する。例としては、道路関係や農業、福祉・スポーツの分野である。能力自体が有能である場合は、特にそうだ。
ほかには、総務省や厚生労働省などから「労働力提供の出向」を依頼された場合、何年でも其処に出向してもらう。その中央省庁が嫌と言うまでの期間である。最大で四年とされている。途中で転職してもらえるとありがたいし、むしろそういうタイプの職員を選んで出向させる。
女性の場合は、上記に加えてだが、土木整備・下水道といった現場系の部署で、自分以外がすべて男性の部署に異動させる。やはり、本人が辞めるまでずっと其処だ。
ただし、問題職員になったことに理由がある場合に限り、僻地にある閑散とした支所に配置して社会人としての余生を過ごさせる。病気やケガで仕事ができなくなったとか、人事部局の都合で職種転換をさせた場合など。
冒頭に述べたとおり、かくいう自分も将来の危機を感じている。ここまでお読みのあなたは、この私自身も問題のある職員として扱われていることに気が付いたのでは?
定年まであと十年以内だが、逃げ切れるかわからない。早期退職制度を使える年齢ではあるし、実家の農業を継げば何とか生きていけるだろうが、そういう問題ではない。社会人としての「死」は、やはり怖い。
私は過去に問題行動を起こした。元がやんちゃをしていただけあって、入庁後数年間は粗暴な行為をすることがあった。しかし、上司の指示には従っていた。粗暴な行為というのも、指示どおりに仕事を進めるためにやったことだ。
上司からはむしろ、温情をかけて可愛がってもらっていた。その上司のためなら多少の汚いことはやった。食事や飲みは、月に一度はおごってもらったし、ソープに連れて行ってもらったこともある。
……あれは、私が中年に差し掛かった頃だ。当時、下水道の部署にいた私や同僚は、とある市民に悩んでいた。(※すでに故人である。個人情報保護法に違反しない。念のため)
その人は下水道使用料が未納だったのだが、オフィスに来庁する度に罵詈雑言を吐いて帰っていく。そして、1期分だけの下水道使用料を払うのだ。
これ以上の滞納を発生させないためとはいえ、あれだけの迷惑行為をする爺を放っておくことは、当時の私にはできなかった。本当に口汚い爺だった。さりとて、水道とは違い、強制的に下水道をサービス停止させることはできない。
やろうとすればできるが、行政法上はほぼ無理である。いわゆる直接強制に該当する。水道事業者が給水停止をする場合、あれは民間企業扱いなのでセーフになる。
ある時だった。その爺がいつものように口汚い言葉を吐いてオフィスを出ていく時、ついに堪忍袋の尾が切れた。
その爺が、廊下でエレベーターに乗る直前だった。その爺を思い切り、殴り倒したのだ。
「あんた、言っていいことと悪いことがあるんじゃないのか、おいっ!!」と、この言葉だけは覚えている。それ以外も言ったと思うが、この最初の言葉だけしか覚えてない。それくらい頭にきていた。
さらにひと悶着があって、同僚の女性が警察に通報した。その場でわかったが、その女性個人の判断だった。上司の許可は得ていない。
あっという間に警察が来て、別室で事情を聴かれて、私はそのまま警察署に連れて行かれることになった。私の上司は警察官に、「こいつは反省してますから。ここだけにしてください。お願いします」と頼み込んだが、ダメだった。
「あんたは、どうして市に協力しないのか。警察もうちも、お互いに無理を聞き合ってきただろ……堪忍してくれえ」という上司の涙ながらの声が記憶に残っている。あの顔は今でも覚えている。
警察署で、私は事情聴取を受けた。詰問ではなく淡々とした聞き方だった。最後に、年配の警察官から説諭があった。「どんな時でも、人を傷つけたらいけないよ」という内容だった。
その後は、もう思い出したくもないが……結局は、その爺とどういう話・取引になったのか知らないけれども、不起訴になった。反省文も書いた。私の上司、さらに上の上司も、警察署に取り合ってくれた。人事部局にも。
月日が経って、最終的に人事部局から発せられた私への処分は、相当に重いものだった。
処分の通知文は今も持っている。公務組織の中でも相当に重い処分である。私は反省して結果を受け入れ、それからは市民に暴力を振るったことは一度もない。
あの爺が下水道の部署に来ることはもうなかった。支払いは家族の人がするようになった。警察に通報した女性職員は、上司の許可なく動いたためか、私に比べると軽めの処分を受けていた。
上司はその後も変わらずだった。たまに食事や飲みに連れて行ってくれたり、風俗店をおごってくれた。
次の年になると、私は今の農業の部署に異動になって、そこで難しいタイプの農業従事者や、土木業者や、市議会議員、その他多くの対応困難なタイプの人間とやり合うことになった。
そして、その部署で主査になり、係長になり、課長補佐になり、今では管理職だ。定年まで、ずっと此処に居続けるのだろう。正直辛い。
あの頃は若かったから、ブラックだとされる農業部局でも辛苦に耐えることができた。今では何度か手術をしている。病気もケガもある。日によっては体調が思わしくない。
仕事は毎年辛くなっていく。これ以上の昇進は望めない。不可能に近い。
ここまでストレスを抱えても早期退職に踏み切れないのは、この仕事が好きだからかもしれない。何十年とやってきた。適性はあるのだろう。
これからどうするか、まだ決めていない。ひとまずは肉体の限界がくるまでは働き続けようと思う。私が最後までやり切れるように、どうか祈っていただけるとありがたいのだが。
弱者男性だが、これは逆に気合が入ってて口先だけリベラルの鼻持ちならない男差別連中と違い好感が持てる
これから社会に出てコイツラとやってくんだぞって事を早めに認識出来るのって大事
ただ授業でやるスポーツの割に安全性に欠けるよねサッカーとかバスケって
30~40年前の話題で各人の環境で全然話していることが違ってて面白いなと思ったので、90年代~2000年頃の当時のことを覚えている範囲で書くよ。
その時期に小学生だった世代。電車が30分に1本、県庁所在地まで電車で1時間の田舎具合。
・自動販売機のジュースの値段が100円→110円→120円と変わっていった記憶がある。
・町内にコンビニは1~2件。私の家の徒歩3km圏内にはなかった。
・酒屋を兼ねている個人商店があったが90年代終わりには消えた。2割がコンビニのFCになって、8割は店を閉めた。
・代わりに大型のショッピングモールが90年代終わりに台頭してきた。映画をそこで見るようになった。
・2000年代に入るまで全国規模のチェーン店が全然こなかった。ショッピングモールが出来始めてからその規模のチェーン店を見るようになった。
・ちなみに徒歩1km圏内にコンビニができたのは2000年代後半。
・両親は共働きだった。同級生でお母さんが専業主婦なのは10%、パートタイマーが50%、正社員が40%。正社員職業は公務員、保育士、看護士のみ。
・専業主婦のお母さんのみ車の免許を持っていなかった。その他のお母さんは車を運転できた。
・携帯電話よりPHSの方が実物の認知が早かった。90年代後半にPHS本体を0円でプレゼントのようなことが行われてた記憶がある。電話料金で稼ぐつもりだったのかな。
・PHS以前はポケベルが流行っていたようだが、現物を見ることはなかった。都会の高校生がポケベルを使っていることをテレビ報道で知った。PHSといえばブッチホンの記憶がある。
・携帯電話は2000年代に入って高校生になったら持つ風潮になったが、携帯電話所持禁止の高校が多かった。iモードの印象が強い。
・PCは90年代半ばに情報機器として小学校に何台か配備がされていた。2000年代初めには高校生になったらPCを購入するような風潮があった。
・男子中学生は坊主という校則&風潮があった。自分の在学した90年代終わりには無くなっていたが、隣県の中学を卒業した子は坊主の校則があった。2000年頃。
・プロスポーツはテレビも野球一択感があったが、90年代前半のJリーグ発足によるサッカフィーバーで野球以外の選択肢が出てきた。
・ちなみに友達とサッカーはしたが野球をしたことがない。野球をやるには道具と人数が足りなかった為。
・スポーツの国際大会の熱狂は、サッカーのW杯とオリンピック以外の記憶はあまりない。
・2000年代後半のAmazonやECサイトの台頭。今まで都市部に出なければ選択肢にさえ出なかったものを選んで買えるようになったのは大きい。
・同時期のYoutubeや各ブログ、SNS。マスメディアを介さない情報に田舎からでもアクセスできるようになった影響は大きかった。
夜中に抱えるような悶々とした気持ちはスポーツなり自己表現なりで発散・昇華出来るのかもしれないけど、200km/hのスピードを感じたい気持ちは200km/hの風をこの身で受けなきゃ満たされない。淫語絶叫したい気持ちも淫語絶叫でしか発散し得ない。
原因不明の苛立ちや漠然とした焦燥を吐き出すワンノブゼムの銃口でなく、極めて明確な形で欲求が存在する。
でもやはりどんな衝動的な欲求も同じ燃料で燃えていて、同じ何かに向かって燃え上っている感じもする。
サッカーに打ち込むにせよ、キャンバスにぶち撒けるにせよ、ギターの音に乗せるにせよ、そういうのはいずれにしてもある程度の鍛錬をしなきゃ中々満足に出来もしない。
ある種のセオリーに則った細かな身体操作をある程度無意識に行えるレベルにまで持っていくまで鍛錬しなければ、頭の中を漂うモヤつきを満足に燃焼させられない。それが上手く行かないと、逆にフラストレーションすら溜まる。
そんなまどろっこしい真似よりも、叫んだり走ったりした方が手近に違いない。最もフィジカルで最もプリミティブというやつだ。
能力的には今すぐにでも出来るからこそ、それをしたいと思った時には、同時に確固たる欲求になっているのかもしれない。替えが効かない、効かせる必要もないのだから。
絶叫してえと思った時にはもう絶叫しねえと気が済まなくなってる。しかし集合住宅に住んでいて、そこを出ても逃げ場のない住宅街が延々と続くときたら、社会性がそれを躊躇させる。内発的には「恥」として、外発的にはまあ近所迷惑か何かとして。
実にもどかしい。
叫ばせてくれよマジで。絶叫してえだけなんだよこっちは。
どうにもままならないんで、絶叫は諦めて走り始めた。
青春アニメみたく衝動に身を任せて走ったら一瞬で心肺が限界になった。爽快感もない。
Youtubeで適切なフォームを調べて、スマートウォッチで適度なペースもキープする。衝動の湧かない日もコツコツ走る。少しずつ速さも距離も伸びていく。まだ心の荒ぶりに身を任せて走るには程遠いが。