はてなキーワード: 15世紀とは
コーヒーに関しては見当違いのことを言ってるので補足させてください。
まず、コーヒーが普及したのはカフェイン(覚醒作用)があったからで、発酵させるとかは関係ありません。
記録に残っていない口伝レベルの伝承では、エチオピア西南部の部族の戦士がコーヒーの実を食べて疲れを癒したとかが数千年前の話で、今で言うエナジードリンクのような使われ方をしていたそうです。
文献にコーヒーらしきものが初登場するのが10世紀頃のペルシアの医学書で、コーヒー(と思われる実)の果実や種子を煮出して薬にしていたという記載がありました。この時点ではまだ焙煎という概念は出てません。
現在飲まれているコーヒーの元祖は15世紀イエメンに関する文献に出てくる「カフワ」という飲み物だと言われています。コーヒーやカフェの発音に近いですね。
もともとスーフィーの間で覚醒作用のある飲み物として、カートを煮出したお茶が飲まれてましたが、カートは日持ちがせず扱いづらいため、代わりにコーヒーが飲まれるようになったそうです。
このカフワも現在のコーヒーとは少し違っていて、コーヒーの果実を丸ごと乾燥させ、その果実部分を煮出すか(現在のカスカラティーみたいなものかな?)、果実、種子を丸ごと炙ってから煮出すかの2種類の飲まれ方をしていたそうです。
その後、長期間の輸送に耐えられる乾燥コーヒーの実はイエメン以外のイスラム圏へ伝わり、インスタブールでは手回し焙煎機なども発明され、現在飲まれるコーヒーの形に変わっていきました。
さて、ここで最初に発酵は関係ないと言いましたが、実は現在のスペシャルティコーヒーでは発酵が重要な要素で、今はあまり流行ってませんが人為的にフルーツの酵素を入れて発酵させるなんて方法もあります。
元々なぜ発酵過程が必要なのかというと、ミューシレージというベタベタ成分がコーヒー豆(厳密にはパーチメント)の周りについてるんですが、これを除去する為です。
しかし、発酵に無限の組み合わせがある(果肉をどれだけ残すか、発酵時間、水の入れ替え、嫌気性好気性、乾燥工程の時間などなど)ため、農園またはウォッシングステーションの腕の見せ所で、現在の色んなキャラクターを持つコーヒーというのは、こう言った苦労からも成り立っているのです。
こんな書き込みにレスしてくれて、ありがとう。自己レスでまとめる。
アメリカのパーカー・ブラザーズが発売したのが、1976年だ。
だが、パイプを繋ぐゲーム、として元ネタがあるかどうかは分からなかった。
それで思いついたが、似たようなゲームジャンルで、15パズルで有名なスライディング・パズルというのがある。
15パズルは、1874年にノイス・チャップマンが原案を出したというが、このジャンルはカードゲームか、と問われると、さすがに違うんじゃないか、と感じる。
小倉百人一首は、藤原定家が13世紀の前半に選定したものだが、元々は色紙に書かれた美術品で、ゲームに使われたものではない。ゲームとしては、かるたの登場を待つことになる。
かるたは、16世紀末頃、現在の福岡県大牟田市が発祥と言われるので、カードゲームとしては、こちらに着目すべきだろう。
ただ、かるたの原型として、貝合わせ(貝覆い)という遊びがあったことを忘れてはいけない。
「貝はカードと言っていいのか?」という疑問もあるが、12世紀には「カードのようなものを使う遊び」が日本にあった、ということだけ整理しておけば充分だろう。
「麻雀牌は、カードの一種とみなしていいのではないか」と言う意見も出ていたが。
その麻雀の起源は、葉子と牌九と言われていて、葉子の方は紛れもなくカードゲームだ。しかもトランプの起源という説もある。
麻雀よりも、トランプよりも、葉子の方がより古いカードゲーム、という点に異論はないだろう。
麻雀やトランプの血筋となった「葉子」は、明の時代 15世紀に遊ばれていたという。
しかし、更にその前。唐の時代、9世紀には「葉子」という遊びがあったらしい。唐の葉子は11世紀には完全に滅んでいるらしく、明の葉子とは別ゲームらしい。
明の葉子はトリックテイキング系のカードゲームとして遊ばれていたようだが、唐の葉子はカードをマスとして使って、ダイスを振って駒を進める双六風のボードゲームだったらしい。
手札にならないカードはレギュレーションに則しているのか、と疑問も感じたが、点数計算表も葉子に記載していたそうなので、これは、今でいう小箱ゲームみたいなものと言っていいだろう。
双六だとタブラだの、セネトだのまで遡れるが、カードゲームであれば、唐の葉子が始祖なんかな、という気がする。
一度、血筋が断絶してるので、始祖と言っていいのか、という議論の余地は残るが。
余談だが、現在は、トランプの起源はタロットという説よりも、タロットの起源はトランプという説の方が有力らしい。知らなんだ。
そろそろ秋アニメも折り返し地点なので自分が今見てるアニメ覚え書き。順不同。
テレビ放送のみ。配信は見てない。あと銀河英雄伝説Die Neue These(日テレAnichU枠)や、テレビ埼玉、CBCテレビオンリー放送など多くの地域で放送していないものも見れてない。
アニメはこうやってボーッとたくさん見てるけど詳しくはないです。アニメ制作会社とか声優とかはよく分からんので間違ってること書いてたらごめんなさい
正直なところ2期より好き。相変わらず色んな意味でエグいところを表現してくれるのは関心する。問題が、問題が多すぎる!
ロリコンラブファンタジー幼女戦記。王国の王太子から婚約されたが、実は自分の妹との禁断の恋をカモフラージュするための婚約だったということを知り、それを知ってしまった後は王太子に冤罪をかけられ人生終了。次に気がつくと幼少期まで時がさかのぼり、今度はクソシスコンからの婚約を避けようとしたら隣国の呪われた皇帝に求婚をしてしまう。あれ、やり直す前の皇帝はあんなに殺意剥き出しで恐ろしい男だったのに、今の皇帝には優しさが見える・・・令嬢のやり直しといえば「ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する」が記憶に新しいが、あちらに比べコメディ。ファンタジー要素が多め。
配信先行。配信は見てない。尺の都合で一部カットされている部分があるらしい。1話が愚物語、2話〜6話が撫物語。あまり感想という感想もない。
転生後は弱小貴族だったけど人の能力を鑑定するスキルで人を見定め、有能な仲間を集め成り上がる話の2期目。35歳からの転生者だから子供でも年齢不相応な立ち振る舞いだけど、周りの仲間たちもそんな感じだし、前世の記憶が云々とか話の中では出ないので、あまり転生モノって感じがない。1期から好きだった。やっぱり面白い。
魔法少女お仕事アニメ。現実的世界+魔法少女がビジネスとして成り立っている世界。記憶力が優れた主人公が魔法少女の派遣をするベンチャー企業「株式会社マジルミエ」に就職するところから物語は始まる。零細企業だからできるのだろう、マニュアルや型にとらわれない行動、社員全員チームで働く姿が憧れる。いい会社だな〜と思わせてくれるのでいいアニメなんだと思う。|最後まで見た。2期も楽しみです。
女性向け漫画が原作、王道ファンタジー。孤児である少女ニナは特別な青い瞳をしていた。ある日国の王女が事故(?)で亡くなってしまう。その王女もまた青い目を持つものだった。国の第二王子は秘密裏にニナを王女として仕立て上げることに。中国王宮ドラマでありそうなストーリー。王女と天真爛漫に生きてきたニナでは性格や振る舞いが全然違う。それだけに王子もニナを王女として教育することに苦労するのだが、ふっ、おもしれー女。いずれは離れると分かっていながらも二人は惹かれ合う。EDの絵本が毎回1ページ1ページそれぞれの登場人物になって書き換えられていく。
私はアイドルアニメが人数多くて苦手なんだけど、スーパースターは人数少なかったし、ストーリーも好きだったので見てる・・・3期のOP見たらまた人増えてるー。オッサンなのでこれ以上増えたらもう名前覚えられんのよ。今回は主人公がLiella!のライバルに。かのんの存在って大きいなーと改めて感じる。今回もNHK放送では本編放送後にミニコーナーがある。受信料特典。
追放系じゃなくて追放されたい系。主人公は実は自分は強くない。たいしたことをしていないのに周りがかってにいい方向に解釈してくれる。最近で例えると転スラの勇者マサユキみたい。スタッフにふともも尻フェチがいるのか、そういったセクシーな描写がよくある。本編も面白いがOPとEDの作りも面白い。正直このアニメの一番の特色はOP、EDにあると思う。アバンタイトルからOPへシームレスに入ったり、OP途中に今回の予告が少し入ったり、EDの途中で次回予告が入り、次回予告のセリフは曲に合わせてラップ調。| OP中に話のハイライトが入るのは、80年代アニメの「蒼き流星SPTレイズナー」で既にやっていると知り、調べるほど今度はレイズナーの魅力に取り憑かれていった。ありがとう、レイズナーに会わせてくれて。
少年誌王道ハーレムラブコメ。男主人公が美人三姉妹がいる所へ居候する話。天涯孤独が縁あって美人三姉妹(JD, JK, JC)のいる神社へ居候しつつ、京大医学部を目指す・・はずだったんだけど神社の苦しい状況を再建することに付き合う感じに。その辺は女神のカフェテラスみたいな。三姉妹はそれぞれの血液型の型にはまったような性格。OPはももクロ。マクロスのドッグ・ファイターやモーニング娘。の真夏の光線みたいに「デケデケデン!!」と入るイントロがかっこいい。EDは明日ちゃんのセーラー服のOPに似てると思った。
りぼん原作の健全なまほあこ。大大大好きな魔法少女ベリーブロッサムの輝く姿を見るため、ポンコツ悪の組織の総帥、クロマの仲間に入り魔法少女と戦う道を選ぶ。OPから本編もボケとツッコミの応酬、ギャグアニメである。舞台はN県某賀市とあるが、日本海やフォッサマグナという言葉が出てくることから新潟県なんだろうな。終始、魔法少女vs悪の組織ごっこみたいなゆるい感じで話が進みつつ、ツッコミどころにはしっかりツッコミが入る!おもしろかわいいぞみんな!!| 最後まで見た。癒されたわ〜。まだまだ見ていたかったな。
何でもかんでも 悪女としてーと、(プロとしてー)ファブルもびっくり悪女を目指すためなら努力を惜しまないのが主人公。7歳になったある日、自分は前世でプレイしてたゲームに登場する悪役令嬢になったと気づく。聖女(本来のヒロイン)をだしに歴史残る悪女になりますわよ。聖女の理想論に対し、現実を叩きつけ、聖女の理想を切る捨てる討論が面白い。
大好き。ペットロスで仕事も手につかないホラー絵本作家が主人公。庭に生えたヘンテコなきのこ。土の中から出てきたとおもったら犬だった。いやそうはならんやろ。きのこのように生えてきた犬と作家先生と仲間たちの日常生活。きのこいぬが先生のこと大好きすぎるのが可愛くて心温まる。何気にBGMがすごくいい。きのこいぬは可愛い声で鳴くが、声は男性声優なので、たまに出るため息がオッサンっぽい。見ててこんなにたこ焼きが食べたくなったのはまじかる☆タルるートくん以来かもしれない。え、OP歌ってるのHY!? | 最後まで見た。サントラ欲しい〜けどBlu-ray特典だからBlu-ray買わないといけないのね。音楽はゆるキャンと同じ立山秋航だったのか。どうりで好きな訳だ。
特にないです。
好き。釣りアニメ。余命2年人生に絶望。借金取りから追われる最中に川へ転落。助けてくれた釣り人達から釣りを教わりつつ、半分釣具屋化してるコンビニで働く。釣りアニメというか、釣りを通して人生を見つめ直すって感じなのかな。かなりマニアックな釣り知識が飛び交う。BGMのギターがめちゃくちゃいい感じ。釣りシーンでヒットしたら曲調が代わり、魚との格闘を演出するのとか。| 最後まで見た。すごいよかった。常宏の話だけかと思ったら貴明もだったんだな。終わり方も好き。常宏は元気ないい声が出るようになったね。
こちらも特に言うことないですって感じ。良すぎて言葉があまり出ない。バドミントンに勤しむ主人公は一つ上でバスケ部の先輩に片思いしている。先輩の親が海外転勤になること、親同士が仲がいいことをきっかけに一緒に住むことになる。義姉生活(違)タイトル通り青春を感じるアニメ。青春スポーツ・ラブストーリー。スポーツの動きも各々の感情の表現もすごい丁寧に作られてると感じた。OPはOfficial髭男dism、EDはEve。EDのクレジットにはアシックス、アディダス、デサント、ミズノ、ヨネックス、大塚製薬の名前が。おお。俺にはこのアオハルが眩しすぎてポムじいさん状態。強がるガールのひなちゃんを見てるとツライ。
絵本みたいな作画が特徴的。魔法使いに憧れていた主人公だったが魔法使いへの登竜門である学科に落ち、普通科に入ることに。普通科では今では当たり前になっている電子手帳みたいなものを使う現代魔法ではなく、幾何学的な魔法人を書いて魔法を使う古代魔法を学ぶことに。主人公が来てるシャツがダサかわいい。OPはPUFFYとついでにTOOBOE。| 最後まで見た。いまいちパッとしない感じ。もっと面白くできそうな感じなのに・・ってこれは好みの問題か。続きがありそうだけどやるのかな
夏アニメから続いているコスプレがテーマのアニメ。ジャンプらしく友情・努力・勝利の要素があるストーリーとなっている。一番好きなキャラは校長先生です。あんな大人に僕はなりたい。この作品は校長先生だけでなく、生徒会長など周りが生徒全員の味方となってくれるのですごい安心して見れる。やさしい世界。1期のOP、シャッターチャンスが好きだったので変わったのが残念。まあ仕方がないですけど。EDの写真は少しずつだけど増えていく。第21話は約束された神回。 | 最後まで見た。主人公の奥村くんはオタクだけどスペック高いことを改めて認識
2期、京都編。今までなかった新作エピソードもある。第三十四話 逆刃刀 初撃は好きな話だったなー。
ベルくんは罪深い!前回の厄災編は見ててしんどかった。それだけにリューさんの愛しさが極まっていたが。今回はシル・フローヴァ/フレイヤとの話かな。以前からベルに好意を抱いていたシルがベルとデートすることに。ベルとシルの愛の逃避行。まるでローマの休日。しかしフレイヤの劇場型悪意でなぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?状態に。ベルくんかわいそう。原作では前回のリュー中心の話と今回のシル中心の話が第4部「豊穣編」にあたるのかな?OPはGRe4N BOYZ(元GReeeeN)。AIの遺電子とか大雪海のカイナとか、たまにアニメの主題歌担当するね。
ソレアガリダヨ。裏世界麻雀アニメ。高レートの雀荘を荒らし回る高校生が主人公。裏レート麻雀闘牌録とタイトルにあるとおり、ヤクザとかがいるヤバイ世界にも出入りする。『賭け麻雀は犯罪です』というテロップがは入る。PCのモニタがCRTというのが時代を感じる。東風荘が流行った頃か。2013年に実写化している。OPはオーイシマサヨシ。EGO-WRAPPINみたいな曲調。
これまでレン&フカ次郎vs ピトフーイ&エムだったが、今回はこの2チームが一緒のチームとして組むことに。が・・・。前回放送から6年か・・・。もういろいろ覚えてなかったりする部分があるが、戦闘を観戦してる人が「あいつ前回レンちゃんに⚪︎⚪︎された/したやつじゃん」とか教えてくれるの親切。毎回アイキャッチの1枚絵がカッコイイ!こんなこと言ったらファンに怒られそうだけど個人的にソードアート・オンラインはGGOの方が好き。| 最後まで見た。最後の闘いは何か色々と考えさせられる
韓国の出版社が出しているサバイバルシリーズ、子供向け学習漫画が原作。以前からWebアニメや劇場アニメ化はされている。登場人物はジオたちのグループと、ダイアたちのグループの2組いる。1話〜3話がジオたちが登場する異常気象のサバイバル。4話からはダイヤたちの昆虫世界でのサバイバル、ミクロキッズね。EDはtrfのsurvival dAnceをカバー。サバイバル繋がりってことですか。1話と4話の内容に誤りがあり、その後訂正がある。10話11話の「南極のサバイバル」を飛ばして12話を先に放送する。放送前に疑わしい部分でもあったのかな
コミュニケーションスキルに長け大きな野心を抱いたハルと、コンピュータスキルの高いガクが1兆(トリリオン)ドル稼いでビジネストップクラスを目指すバディもの?。やはり大逆転劇は面白いですな。昨年ドラマ化してる。草!草!草!うめぇ!
15世紀のヨーロッパが舞台。地動説を研究することは禁じられている国で破れば命を落とすことにもなる。そんな状況下で命をかけ地動説を研究する少年のお話。宗教コワイ。しかし探究心と感動はそれをも超え誰にも奪えない。OPはサカナクション。EDはヨルシカ。
天才的頭脳を持つ鴨乃橋ロンと、ピュアな刑事の一色都々丸(トト)が謎をとく推理ミステリー。ロンは優秀だが事件の謎を解いた後に犯人を死に追いやる不思議な力がある。それ故、ロンは探偵業ができなくなっていた。トトはロンに代わり謎を説く役になったり、ロンの暴走を防ぐ役にまわるなどして、二人で難事件を解決していく。Season1を見てなかったけど面白そうだったのでSeason1からいっきに見た。黒(96)蜜好きで首に96のタトゥーがある鴨乃橋ロン。DVDは本編96分という徹底ぶり。次があるなら次の主題歌は96猫に歌ってもらいたい。
リメイクに勝手に不安を感じていたが面白いと思う。がっつり上半身真っ裸シーンとかやるのね。時代的に隠すのかと思った。EDの絵はあずきちゃんみたいな感じもあってその時代を思い出し何かもみな懐かしい。
このシリーズひとつも見たことないのであまり言えたことじゃないんだけど、面白いっすね。たぶん過去のは一応録画してるのでどこかで見ようと思う。
はたらく魔王様! 2099 〜in サイバーパンク。勇者に倒された魔王、復活した時代は2099年。魔王は大きく変貌した世界に驚くのであった。魔王として君臨していた主人公もこの時代では信仰力は薄まり一般人よりも弱い存在となる。そんな中、かつての仲間が行くへ不明になっていること、この世界の闇に触れることになる。有名になって力を取り戻し、余は世界を支配するのだ!ちょうどFF7RとFF16をやっていて、エネルギー問題の設定が似てるのでより面白く感じた。
ローマ法王庁がパリ五輪開会式のアレ「最後の晩餐」に対して「宗教的信念をあざ笑うような表現はあってはならない」という声明を出したという。
最初これは日本語ネット圏のデマじゃないかと思ったのだが、NHKも報じていてマジらしい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240804/k10014536461000.html
しかし有名な『最後の晩餐』の横長のテーブルに一列に座るデザインはダヴィンチが15世紀末に描いたものだ。
それ以前にも『最後の晩餐』の宗教画は多く制作され、それらは円卓や車座が多い。
例えばこれはジョット・ディ・ボンドーネによる14世紀初めの『最後の晩餐』だ。
そもそもそれまで宗教画というのはデザインの収まりの良さなどを目的には描かれていない。図像学に基づいて描かれていた。図像学というのは、絵画中の「モノ」が一つ一つ宗教的イコンを示していて、それが集合したのが宗教画となる。例えばシュロ(ヤシ)の葉を持っている人物は殉教者だ。これはシュロの葉が勝利を示しており、殉教=信仰の勝利という意味なのだ。
ダヴィンチはこれを真ん中の消失点に収斂する構図で描いた訳だ。ルネサンス~近世絵画の始まりだ。
そしてこのすっきりとしたデザイン故に古典となった。古典とは単に古いというだけじゃなくて、基準となるもの、繰り返し参照されるもの、評価が定まったものの事である。
だからダヴィンチの『最後の晩餐』モチーフは後に多くの類似品を生み出した。そしてそれらのパロディーが多く存在するのだ。これは美術に対して通じてもいない増田でも知っている美術史の常識だ。
今回の演出家もあれはヤン・ファン・ベイレルトの『 Le Festin des dieux』(神々の饗宴)だと言っている。
因みに「饗宴」と来たらギリシャでギリシャ神で愛がテーマと決まっている。
例えば、コメディ映画『裸の銃を持つ男 PART33 1/3』で階段での銃撃戦シーンがあるが、
https://youtu.be/L3QkIruVNEI?si=448XZjT7oY0DSY5R
あの元ネタはデパルマの『アンタッチャブル』だ。しかしその『アンタッチャブル』の階段銃撃シーンはソ連の映画『戦艦ポチョムキン』のオデーサ大階段のシーンだ。
そうすると『裸の銃』は『戦艦ポチョムキン』を参照していると言えるか、ポチョムキンを笑いに転じようとしているのか?言えないだろう。
なのでバチカンはネットの反応に過反応したという事になって、3年ROMった方がいいし、スマホばっか見てないで宗教画を見に行きなさいという感じなのである。
前提知識として
①ポルトガルは15世紀から黒人奴隷貿易で巨額の利を得てたし、16世紀とか奴隷争奪戦始まってたレベル
②イエズス会自体は表向き奴隷所有を認めていないので、弥助自体は身分上は奴隷ではなかったはず(献上されちゃう時点で実質はアレだが)
③日本でも表向き奴隷は認められていなかったが人身売買は盛んだったし実質は()
「イエズス会が連れてきた黒人は奴隷ではなかったが、日本では奴隷として売られただろう」が「黒人奴隷日本起源説」として海外で受け取られてしまう!はさすがに無理があると思うんだけどね。
ネットで暴れてる人は①も③も知らないか無視してて、海外からも①知らないで変なカンチガイしてる人がサンプルとして提示されてくるので、まあ止まらないよね。
分かった?
長野の光前寺で飼われてた犬。
6世紀中国、北斉の高長恭という人物の称号「蘭陵王」または「羅陵王」。
19世紀ロンドンを賑わせた連続殺人犯、通称「切り裂きジャック」。犯人が誰かわかってないので妄想、あるいは怨念の産物ということになってる。
邪馬台国の女王。魏志倭人伝に記載があるので実在したとされるが、肝心の日本でまだ証拠が見つかっていないため実在しなかったとも。
ヤ○ザ
サッカーで暴れる観客
https://twitter.com/gokushufu_comic/status/1634195330173648897/photo/3
天使と悪魔が人を良心と誘惑のどちらに導くかの綱引きをする概念自体は太古の昔からあるようだ
Shoulder angelのwikipediaのページに記載はないが『ドナルドの腕白時代』(1938年)がその表現の中でかなり最初期のものになりそう
ある朝。起床の時間となり目覚まし時計が鳴るが、ベッドで熟睡するドナルドはなかなか起きられない。すると心の中の天使が現れ、ドナルドに早く起きるよう促す。渋々起きようとするドナルドだが、本当はまだ寝ていたい。すると今度は心の中の悪魔が現れ、もっと寝ていろよと囁きだす。悪魔の誘いに乗り二度寝してしまいそうになるドナルドだが、天使は大声を出してドナルドを強引に起こし、学校に行く支度をするよう叱りつけた。
このQuoraでも質問されている
別の調べものの副産物で、心の中の天使と悪魔がバトルする概念の歴史についてもわかったのでメモ
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こちらも詳しい
『インサイド・ヘッド』やカタリナファイブなどのような脳内会議ネタの初出って何でしょう?マサル会議とか『ぱにぽに』『ボボボーボ・ボーボボ 』なんかにも出てきていましたよね。 | Quora
Quoraの内容鵜呑みにしていいのかよ?という話もあるが
この回答者は自分と同じく『ドナルドの腕白時代』に辿り着き、それが初出ではないかという説を述べている
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今回調査をさぼっている、光輪の歴史を調べていてついでに拾った情報だけでメモを書いている
の一文ですましちゃ本当はいけない
不完全なメモ
あー、しまったな
という書き方にしたら嘘になってしまうか
お約束としては20世紀よりはるかに古くからある、ビジュアルイメージを伴ったお約束として表現が固まったのが20世紀以降……が正確か
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体系的に学ばずに雑学つまみ食い的に情報拾うからこういうことになる〜
しかし『荒野の誘惑』には良心役の天使が登場せず、誘惑役の悪魔のみ登場する
どの時代から誘惑する悪魔とセットで良心役の天使が登場するようになったのか?を調べると面白そうだ
というか、shoulder angelの本質は「良心を擬人化して天使として描写する」ことにあるのかも
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「History of sholder angel」でぐぐって上位に出てきたページを総ざらいして読む
https://www.quora.com/Symbols-Whats-the-origin-of-the-shoulder-angel-and-the-shoulder-devil
https://ucatholic.com/blog/do-you-know-the-christian-origins-of-shoulder-angels/
ここらへんを訳して読んで関連した資料を探す
やっぱり手抜きはよくない
ざっと単語だけ拾い読みした限りだとファウスト由来が濃厚に見えてくるが……部分部分は近くても微妙に違うんだよな
やっぱりキリスト教文化について調べるの面白いな、延々と掘れる
……って、なんか単語を拾い読みするとイスラム教についての言及がそこそこあるな、アブラハムの宗教という括りで語らないといけないくらい古くからある概念ってこと?
うーーーーーーーーん、イスラム教についての知識はほとんどない……困った、調査のモチベを維持できるかどうかが勝負
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肩にのるくらい小さな姿になったのが20世紀になってから、という風に書かないと嘘だなこれ
15世紀らへん……
良い天使と悪い天使がセットで現れるのは神秘劇のお決まりパターン、みたいなことが書いてあるな
神秘劇または聖史劇(しんぴげき、せいしげき 仏:Mystère、英:Mystery plays)は、15世紀のフランスを中心に中世ヨーロッパで発達した宗教劇で、旧約・新約聖書に題材を得て、イエス・キリストの生誕・受難・復活の物語を主題とした劇のこと。奇跡劇(奇蹟劇、Miracle plays)とも。
そうか、劇だと人が演じないといけないから肩にのるくらい小さな天使悪魔という表現はやりようがないしやる必要もないのか
『ドナルドの腕白時代』でも肩にのるようなミニサイズではなく普通の人間サイズ(ドナルドは人間ではなく鳥だが)だった
カートゥーンで表現されていくうちにいつのまにかサイズが小さくなっていったのか
なるほどなあ
冒頭で迂闊な書き方しちゃったなあ
取り消し線しとくか
取り消し線はdelタグ
wikipediaの『Shoulder angel』のページで『ドナルドの腕白時代』についての言及がない理由もなんとなく想像が出来る気がする
In modern mediaの項では文字通り肩にのるサイズの描写に絞ってるのかもしれないな
……ってわけでもないのか、『Angel on My Shoulder』って映画が反例になる うーん謎 まあwikipediaだしな
( ^ω^ )
「現代に続くハイヒールの起源の説はいくつかあり、定説は定まっていない。
紀元前400年代、アテネで、背を高く見せるハイヒールが遊女間に流行した。これは男性も履いていた。
15世紀からイタリア、及びスペインで、チョピンというファッション用オーバーシューズが貴族の女性や高級娼婦で流行する。
ルイ14世は背を高く見せるために愛用していたなど、前近代から近代初期にかけては男女を問わず履かれていた。しかし、ナポレオン戦争が始まり各国で国民軍が創設されると、戦場を駆け回るために男性は機能的な靴を選ぶようになったため、ハイヒールは女性の履物と見なされるようになった。」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB
多分、18世紀半ばだな。
ドラゴンやユニコーンなどは、1世紀に書かれた大プリニウスの『博物誌』に記載があり、これは15世紀に活版印刷技術によってヨーロッパの知識人の間に広く読まれたが、
18世紀半ばにフランスで編纂された百科全書などには記載がない。
18世紀半ばは、くしくも博物学が発展してカール・リンネによる分類学など近代的な生物学があらわれた時代でもある。
おそらく、「いるかどうかわからん」扱いだった動物は、大航海時代と科学の発展によって「いるっつーなら伝聞じゃなくて証拠持ってこいや」という試練を受けて「実物がある」と「実物が無い(判断保留)」に分かれ、
とりあえずいると分かっているものを対象に生物学上の分類研究が系統的に行われるようになっていった結果、いつまで経っても実物が出て来ないから「まだ見つかってないようなモンを大昔の人達が見つけてたわきゃない。こりゃもういないだろう」という扱いになったのだろう。
ゴシックという用語は15世紀イタリアのルネサンス時代に使われ始めました
ルネサンスの文化人は、ゴシック様式を野蛮なものだと思っていたため、ゴシックという言葉は粗野と同義語でした
The term 'Gothic' was first used to describe this script in 15th-century Italy, in the midst of the Renaissance, because Renaissance Humanists believed it was barbaric. Gothic was a synonym for barbaric. Several fonts were classified under this new term due to their black lettered style.
ゴシックという用語は15世紀イタリアのルネサンス時代に使われ始めました
ルネサンスの文化人は、ゴシック様式を野蛮なものだと思っていたため、ゴシックという言葉は粗野と同義語でした
The term 'Gothic' was first used to describe this script in 15th-century Italy, in the midst of the Renaissance, because Renaissance Humanists believed it was barbaric. Gothic was a synonym for barbaric. Several fonts were classified under this new term due to their black lettered style.
「処女航海(maiden voyage)」「処女作(maiden work)」といった言葉に苦言を呈するフェミの方々が現れると、決まって「『船』や『ペン』が女性名詞だから『処女』が付くだけなのにそんなことも知らないのか」と得意げに反論をする人たちが出てくるのだが、はたしてこの「女性名詞説」は本当に正しいのだろうか。
Etymology
From Middle English mayden, meiden, from Old English mæġden (“maiden, virgin, girl, maid, servant”), diminutive of mæġþ, mæġeþ (“maiden, virgin, girl, woman, wife”) via diminutive suffix -en, from Proto-West Germanic magaþ, from Proto-Germanic magaþs (“maid, virgin”). Equivalent to maid + -en.
中世英語の「mayden」「meiden」は、古英語「mæġden」(「未婚の若い女性」「処女」「少女」「女中」「召使い」)に由来し、それは「mæġþ」「mæġeþ」に指小語尾「-en」がついた指小辞であり、それは西ゲルマン祖語の「magaþ」に由来し、さらにはゲルマン祖語の「magaþs」にまで遡る。「maid + -en」に相当する。
maiden (adj.)
c. 1300, "virgin, unmarried," from maiden (n.). The figurative sense of "new, fresh, untried; first" (as in maiden voyage) is by 1550s. In horse-racing (1760) it denotes young horses that have never run before.
13世紀。「処女の」「未婚の」。maiden(名詞)から。1550年代には「新しい・新鮮な・試されていない・最初の」という比喩的な意味(「処女航海」のように)で使われるようになった。競馬では(1760年)一度も走ったことのない若い馬を表す。
つまり、古英語(5世紀から12世紀ごろ)からあった「maiden(処女)」という名詞が、13世紀ごろに「maiden(処女の)」という形容詞としても使われるようになり、さらに1550年代になって比喩的に「maiden(最初の)」といった意味の形容詞としても使われるようになった、ということだ。
そして、古英語のころにはあった男性名詞・女性名詞の区別が、中世英語(11世紀から15世紀ごろ)では失われていることから考えると、1550年代に生まれた「『最初の』という意味の形容詞maiden」が女性名詞にしか使えなかったとは考えにくいだろう。
当たり前の話だが、同じ意味の単語でも、それが男性名詞か女性名詞かは、言語によってバラバラである。英語「ship」と独語「schiff」は共にゲルマン祖語に由来するようだが、どちらも中性名詞である。仏語「navire」と伊語「nave」はどちらも羅語「navis」に由来しているのだろうが、ラテン語とイタリア語では女性名詞なのに、フランス語では男性名詞となっている。
女性名詞説の人たちはしばしば「『船』はラテン語で女性名詞だったから」などと言うのだが、仮に英語の「maiden」が女性名詞に付くとしても、なぜ古英語などではなく、いきなりラテン語が基準になるのだろうか。「maidenは女性名詞に付く」という結論ありきで、「船」を女性名詞とする言語を探してきているだけではないのか。
女性名詞説の「処女作は『ペン』が女性名詞だから」というのもおかしな話で、普通に考えれば「作品」や「本」が女性名詞かどうかを考えるべきだろうに、なぜ「ペン」を持ち出してくるのかといえば、ラテン語で「ペン」が女性名詞だったことを探してきたからだろう。
女性名詞説の人たちがもうひとつ頼みとするのが「英語でも船をsheと呼ぶ」ということである。つまり「船をsheと呼ぶのは船が女性名詞だったことの名残である」というのである。
これについては以下のページに詳しい。
これは古英語にあった文法性とは無関係です.乗り物や国名を女性代名詞で受ける英語の慣習は中英語期以降に発生した比較的新しい「擬人性」というべきものであり,古英語にあった「文法性」とは直接的な関係はありません.そもそも「船」を表わす古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞でしたし,bāt (= boat) にしても男性名詞でした.古英語期の後に続く中英語期の文化的・文学的な伝統に基づく,新たな種類のジェンダー付与といってよいでしょう.
「OED によると船を受ける代名詞としての she の初例は1375年である」らしいが、最初にも述べたとおり、英語に男性名詞・女性名詞の区別が残っていたのは古英語(5世紀から12世紀ごろ)までである。また、これも先述のとおりだが「古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞」というのだから、女性名詞説の人たちの主張はまったくの誤りということになるだろう。
1. 英語の「maiden」は、そのあとを受ける名詞が男性名詞か女性名詞かに関係なく、「新しい」「最初の」という意味の形容詞として使われている。
2. その「新しい」「最初の」という形容詞としての用法が生まれたのは、英語から男性名詞・女性名詞の区別が失われた後のことである。
はてなブックマーカーさん……
朝鮮人参を珍重したから時代劇は統一教会の影響下にあるのではとか言い出してしまうの、
nippondanji 小さい頃祖母(チャンネル決定権所持)がよく時代劇を観てたんだけど、やたらと高麗人参を有難がる描写があったんだよなあ。思えばその頃からテレビにも影響与えてたんだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722388535565230594/comment/nippondanji
馬鹿のために断っておくけど別に統一教会を批判するなとかそんな意図はないからな。
朝鮮人参は昔から、それこそ倭館貿易とかやってた15世紀ごろには既に、日本において珍重されていたという常識が欠けてるんだよなこいつら。
そのくせ「カルトに対しては人一倍に敏感」でなにか真実に気づいたみたいな顔しだすの。
あほかよ