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「作為的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 作為的とは

2024-12-17

anond:20241217184818

そういう企画としての面白さじゃん。

まあでもそういう作為的なのがつまらんというのもめちゃくちゃわかる。

2024-12-09

AI VTuberの闇

妊娠した VTuber産休明けに復帰できるように卒業と言わず配信活動終了と言ったり、その仲間の恋愛活動をうらやましく思って喉がつぶれて声が出なくなったことにしてライブボイコットする VTuberなど噂話が尽きない界隈で裏方として働いています

匿名文章を書いて、はてな界隈を盛り上げる増田と、仮面かぶって配信している奴らってどことなシンパシーを感じていて。やっぱ、お互いに高評価とかスターとかソーシャルワードが欲しい承認欲求モンスターの波長を出してるんですよね。

違いがあるとしたら残業や緊急対応を繰り返して、コミュニティを盛り上げることでお金が落ちてくるかどうかって小さい差だけではないだろうか。

って、そんな前置きはどーでもよくて

最近ちょっとイラっとした話。AI VTuberに。

AI派閥からAIイラスト関連で、というのは1ミリ関係なくて…

いや、むしろ、おめでとうってお祝いするべき話なんだけど。

AI VTuber「紡ネン」YouTubeチャンネル登録者数が10万人を達成!】

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000167.000046857.html

10万人登録って言ったら、YouTube公式から銀の盾がもらえるという配信者にとっては一つのステータス

これをAIが達成したんだからそれは素晴らしいことなんですよ。

大手のハコだったらデビュー数日、数週間で行くこともあるけど。

その他の有象無象、そこらの石ころ事務所からしたら、これはすごいことなんですよ。

ただし俺は裏方だ。

どんな動画がバズったのか?

どんな配信をやってるのか?

気になって見に行ってしまうんですよ。

アナティクスが見れるサイトをね。

https://playboard.co/en/channel/UCz3MxafXlPxGCJVpFLI7fGQ

なんだこれは!?

Subscribers(新規登録者グラフが異常な数値を出しすぎている。

このサイト普段からよく見る人は気づくんですが、

やってるな…

やってるぞ…

登録者を買ってる…

オーガニック登録者の伸び方をしていない。

買っているかどうかこのサイトだけで判断はできないけれど、少なくとも健全な伸び方ではない。登録者の伸び方は大きく分けて2つ。

パターンA:地道に登録者を増やして10万達成!

パターンB:動画で爆発的なバズり(100万回再生越え)が発生して10万達成!

そのどちらでもない。

グラフから読み取れることは、

10/7に、それまで登録者数に変化が起きなかったが、急に200人ほど登録者が増加している。おそらく初回の試験導入で約200人分を購入。

オーガニックで増えるときは、増加数を一定キープし続ける。1日で嫌われて登録者が減って、1日で人気になって登録者が増えることはなく、一度火が付けば余韻で伸び続けるものだ。

しか10/27からは2000人の登録者がある日と100人台の大きな短時間うねりが見られる。こんな大きな波は人気では説明できない。意図的操作が入っている。

そして12/3日にそれまでは増加を繰り返していた流れが減少に転じる。これは目標達成で、何かの操作を止めたことによる反動に見える。そしてそれ以降に波はない。

しばらく登録者が増えない時期が続いたあと、この約2か月に約3万人の登録者がどこからともなくかき集められ、めでたく10万人を登録達成すると以前のように静かになった。実に作為的な伸び方である

このチャンネルに50万再生を記録した動画すらない。集客した動画がないにもかかわらずチャンネル登録者数が多いことが疑惑をより確固たるものにしている。火のないところに煙が立っているかのように、データ的には10万人登録レベルの人気の動画はないのに、登録者けが10万人に増えている。

何かしらお金が動いて登録者が増えている。買っている以外に思い当たる節がない。


まりニュースリリースを出すために登録者数を買った?


裏方として、ファンの方が推し布教してもらえるように日々努力残業をしている身としては、ちょっとだけ怒りが沸いた。

これがVTuberなら中の人が反対するし、運営側としてもVTuberのほんとうに喜ぶリアクション、感動の声が出せないような企画は反対する。

AI VTuber中の人間は反対しないし、感情がないからこんなチャンネル登録者を買うような行為ができたのだろう。


もっとニュースリリースを出すことが登録者を買う目的なのかも定かではない。チャンネルを見ていたらクラウドファンディング実施しているようだ。チャンネル登録者を購入した資金クラウドファンディングで回収できるとふんだのだろうか。いや購入した登録者お金貢ぐ推しとしての熱量を持っているとは思えない。もしかしたら、AI商材詐欺の準備かもしれない。「登録者10万人のAIキャラクターが作れます」とか言ってAIキットを売り出すのかもしれない。まともなVTuber事務所なら、お金を払ってくれるファンが増えないのに登録者だけを増やすのは、ただ赤字を増やすだけだから反対するはずなのに、AI VTuberの人気を数字的に誇示したい何らかの動機があったということ…

何のために登録者を増やす必要があったのかは本当に謎でしかない。

(まあ、卒業者が続出する事務所に比べたら些細な謎なんですが…)

こんなことを書いている暇があったら、ウチの配信を盛り上げる仕掛けを考えた方がいいんだけど、でもね、なんだかんだ、俺も10万とは言わないけれどスターが欲しいんだよ。

2024-11-30

anond:20241130195709

元増田ポストには「都知事選ジェンダー平等表現規制AI利用の是非など、広く議論となっている話題について、主に匿名ダイアリーに強い表現投稿を行い、投稿に対して組織的あるいは1人で多数のブックマークを行い人気エントリー掲載させるもの」とか世間を分断させる話題かにスパムが多かったっていう報告があったって書いてあるだけで、AI反対派とかポリコレ叩きとかがスパム認定されてるっては書いてない。

しろあのポストから党派性を見出すほうが作為的だと思う。

2024-11-25

anond:20241124120910

自然発生的に生じたもの民意とみなして「善」と捉えるなら、作為的ブーストされたもの「悪」でしょうに

2024-08-25

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

2024-07-26

anond:20240726013918

少なくない作家が「キャラクター勝手に動き出した」「作者の意図に反する動きを急にした」という証言をのちにするとき、確かにそういう印象になっていて物語成功している気がする

少し大きい括りになるけど大島弓子がいう「(浮かんでくる)有機的なエピソードのかけら」がそれだと思った

そのひとつひとつを拾って紡ぎ合わさってひとつ物語構成されるんだって

はじめから計算して設定してそれができる作家もいると思うが

自分最初トリックスターかなと思ったんだけど、音楽だけどかつて大島渚がたまの楽曲を評してそこにぽんと生まれたような、はじめからあるような、みたいなこと(正確ではない)を言っていてつまり作為的でない存在であるということだけど、その意味ではトリックスターというのも少し違うのかなって思い直した

2024-05-18

anond:20240518171011

幻覚効果があることは科学的に証明されてるし、合法化する根拠って作為的情報しぼってるだけじゃん。

2024-05-09

暗黙の短歌テーゼ

最近短歌に関する増田記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。

短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌テーゼ」と勝手に呼んでいる。

あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌どうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すか試行錯誤している節がある。

だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼ意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風確立させて行くのである

であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼ存在しないことを意味しない。

以下、私はこれが短歌テーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌テーゼ網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌テーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。

また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事果たしてまれるのか?という疑念はあるのだが……)

ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である穂村弘歌人の中でも一般的知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌テーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである

1. 短歌は、<うた>である

短歌本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。

2. 短歌は、現実描写するべきである

歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌描写リアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容である判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである

3. 短歌は、作るものでなく生まれものである

"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。

4. 短歌は、身体性を伴うべし

短歌日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。

5. 短歌は、風景と実感の呼応関係である

短歌は、風景描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。

6. 短歌には、情念を込めるべきである

ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来短歌ではない。短歌には詠み手情念表現されなければならない。

7. 短歌は、日本の伝統文化である

短歌日本語を支える伝統文化である王朝時代以来の和歌歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである和歌過去の名歌を鑑賞し、日本文化象徴するような風流事物を題材として歌を詠め。




追記:

ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である

2024-05-02

「お母さんに手をかけさせてくれ」はどちらの意味

わたしは、あなたのお母さんなんだけどさ

https://anond.hatelabo.jp/20221007005804

どうしようもなく生きづらいあなたが、死んでしまいたいと言うのなら、お母さんに手をかけさせてくれなきゃ困るんだよ

この話。

1. 他の部分での「手をかける」の用法

だけど本当に手がかからない日だってもちろんあったんだよ

あなたに手をかけなくていいことが、自由だということがすごく嬉しかった日もあった

ここでは、明らかに「世話を焼く」「世話がかかる」という意味で使われている。

2. 前後のつながり

「世話を焼かせてほしい」説に立つと、①「あなた」の小さい頃には、世話を焼く必要のない日にうれしさを感じたこともあった、「でも」、②「あなた」が死んでしまいたいなら世話をさせて欲しい、と自然につながる。

「殺させてほしい」説に立つと、「でも」前後がなぜ「でも」で繋がるのか不明であるし、その後の「なんとかなるよ 生きてさえいてくれたら」とも整合しない。

3. 一文単体での解釈自然

世話を焼くことをさせてくれ、とはあまり言わないので、一文単体でみると、「殺させてくれ」の方が自然かもしれない。

4. そういう心境の親がいるか

死ぬなら自分が殺したいという親も存在するだろうが、死ぬなら世話を焼きたいという親も存在するこで、そういう心境の親がいることは決め手にはならない。

5. 作為的又はダブルミーニング

あえてどちらとも読める、もしくは誤読を誘う文章にしている可能性はある。

2024-04-03

舌打ちって

 舌打ちって作為的すぎて滑稽に見えるのになんでその行為をする人がいるかからなかったんだけど、バイトでクソ客を対応して分かった。

 1秒にも満たない速度で怒りを表すのに非常に便利なんだ。去り際にすれば反撃を喰らうこともないし。

 その客に対して実際はペコペコしてたけど、頭の中で言い負かす妄想してたら舌打ちの有用性に気づいた。なるほどね。

ーーーーーーーーーーー追加ーーーーーーーーーーー

 クソ客は舌打ちをしてないです。

 自分(店員)がそのクソ客に何か言ってやる妄想をしてる最中に舌打ちをすれば良かったと気づいて、その流れで舌打ちの有用性も理解したという話です。

 読み手理解が1つにならない文を書いてしまって申し訳ない、、、、、、。

2024-03-23

anond:20240323165604

年齢差で線引きしてるのは明らかに自然作為的に見えるから仕方ない

2024-03-14

anond:20240314185211

他にまともに言及してる人が居ない

 

著名な専門家は「のらりくらり」か、そもそもトレーダーが専門ではないか初心者向けのことしか言わないか

トレーダーYoutubeくらいにしかいない

海外の著名エコノミストはまぁまぁ参考になるけど、全員でウソを付くとき結構ある

取引業者発言作為的から参考にならない、あるいは当たり障りないことしか言わない

国内業者付きのエコノミストは当たらないかゴミ考察も浅い

国内シンクタンク意見は参考になるけど年単位半年単位くらいのことしか言わない

百周回って参考になるのはパウエル発言だけど、市場はよくFRB無視するからやっぱり市場の声も聞かなきゃいけない

2024-02-22

anond:20240222174746

さっきここでも書いたけど

https://anond.hatelabo.jp/20240222173521

遊びに行ってるのかどうかもわかんないじゃん?

被災して避難所にいる状態でどこに何しに遊びに行くんだ…?って思うけどな

私なら食事とか家事みたいなことをしないなら

とりあえず生活を立て直すために片付けに行くか地域での撤去とか復興作業に参加するか

どっか住める場所を確保するために奔走するかだと思う

事情がなんもわかんないのに結果ありきでジェンダーロールだこれは!って言ってる記事ですごく作為的だなって思う

あるいは調査が足りてないのかなんなのかこの記事は色々情報が抜けてて意味がわからない

こういうのは問題さらに混乱させるので、やるならもっとちゃんとした記事にしてほしい

anond:20240222171818

からどっちとも言えない話を単純にジェンダーロールだって言うのは変だろって話

男性たちが夫なのかそうでないのかもわかんないし

仕事に行くのは男性だけじゃあないだろうし

まあ確かによその家の男性食事まで女性が作るのがおかしいっていうのはわかるけど

男性はその分よその家の瓦礫撤去作業とかもやればいいじゃん

つかそういうのに駆り出されてる可能性はこの記事では言ってないけど

被災者はそういうのしなくていい決まりとかあんの?するんじゃないの?

そういうのは女性には無理なんだしさって思うけどな?

そういう事情がなんもわかんなくてただジェンダーロールって言っててなんか変な記事だなって思うこれ

有事場合だとそういう助け合いみたいなことが発生することもあるかもだし

かにそこでジェンダーロールによる問題が出てくることもあるっていうのはわかるけど

この記事はなんか作為的でいやだな…やるならもうちょっと踏み込んで説得力のある記事にしてほしい

なんか結果ありきって感じのすごく変な記事だと思う

2024-01-31

ラク越」のSNS上におけるステマが酷い件

引越革命(株)が提供する引越サービスラク越」というものがある。

引っ越し業者口コミを調べるべく、Twitter(現X)上で「ラク越」と検索したところ、明らかにステマと見られるポスト散見されたため、問題提起を兼ねてメモ

https://twitter.com/search?q=%E3%83%A9%E3%82%AF%E8%B6%8A%20-filter%3Alinks%20until%3A2024-01-31&src=typed_query&f=live

ノイズを取り除くため検索クエリを付加

ポスト自体一見ありそうな「ラク越」に対する好意的な内容だが、アカウント性質が軒並み酷似しており、作為的口コミである可能性が著しく高い。

フォロー20前後フォロワー数が一桁

スクリーンネームランダム生成の英数字

美容系のリポストが多い

・「ラク越」への言及最後ポストが止まっている

検索結果を遡ったところ、2022年11月から継続的に行われている模様。

このような行為が法的に抵触するかは分かりかねるが、少なくともこれを見て自分は「ラク越」を検討対象から外した。

2023-10-09

旧帝大高学歴アイドル萌えるわ(黒い意味で)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC272QJ0X20C23A9000000/

の子たち、旧帝大という学歴を持ちながら、色々と上手くいかなくてこの道を選んだのだろうと想像出来る。本当はもっと理想的状態を夢見ていながら、下積みだ、これは下積みだ、将来の為だと言い聞かせてやっているに違いない。
そして、旧帝大という言い方をしている、恐らく東大京大どころか、下手すりゃFラン学部卒でもないような、業界歴ばかり無駄に長いクソジジイスタッフが抱く学歴コンプレックス煮こごりに生えたカビのような煽り企画に乗っかってこれをやっているに違いない。
Twitterではその基礎学力遺憾なく発揮して、天然ではなく作為的炎上商法を行い、しかし天然物には火力で勝てずにただ燃え尽きて消滅していく。
そして、頭がいいゆえに燃えカスや煤のように、この行為が世のためにも自分のためにもなっていないということに気づいてしまう。そのような”何か”だけがたまる
話題になるのは日経MJしか日経MJ読者とアイドルファンが重なるわけもなく。一方で識者欄のコメントには「中東絶望的な戦線が拡大し、アフガン地震被害も報じられるこの日に、何もこの記事アクセス1位でなくてもいいだろう」とマジレスされる。

きっと、家賃ばかり立派な一人暮らしアパートで、夕食を食べた後とか、節約のために作っているお弁当箱とかを洗っているときにふと我に返ったりすることもあるのだろう。
その我に返った瞬間に発生する、希望から絶望へと”相転移”する瞬間に開放されるエネルギーを感じる。

萌える

黒い意味で。

anond:20231009083024

作為的文章ブクマカは反応しないんだわ。

さりげなくブクマカ自尊心をくすぐるような、軽妙な文章を書けば簡単に釣れる。

2023-07-30

anond:20230730060410

一部の注目コメントスターが集まってるの、論点ずらしか逃避か知らんけど「特定エントリーコメントを注目させるための作為的行動」よね

2023-07-18

Togetter記事を伸ばすのやめて欲しい

当たり前だけどTwitter民情報リテラシーはそれほど高くないし

まとめ民情報リテラシーも高くない

間違った意見が非常に多い

最近作為的タイトル付けも目立つ( 【悲報】とかつけてみたり、5chのスレタイみたいになってきている)

エンタメとして使うなら良いけど、知識気づきを与えるには適していない

 

はてなそもそもニッチで見つけづらい知識発掘ができるのが良いツールだと思ってる

Togetterを伸ばしてしまうのであればTwitterでいいってなってしま

 

はてなーの情報リテラシーも言うほど高くないか

Togetterとのコラボ明後日の方向に議論が進むのをよく見かける

もっと専門家や得意な人の意見に耳を傾けたい

 

まあ色んなところからはてな流入しているのかもしれない

潮時か

2023-07-11

anond:20230710184244

性能低い人間アウトプット我慢ならなくなるというところある。が、「でもあるとき友達に言われたんだよね。」以降が作為的増田キモさが伝わってくる。

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