はてなキーワード: 広重とは
銅像というのは、複製が許された芸術ではないか?本物と偽物を分ける基準はなんだろう?
銅をロダンが流し込んだ銅像だから全部本物みたいな理屈なのか?
じゃあ版画はどうなんだ?
版画っていうと、自分で絵を描き、版をつくり、自分で印刷しないと版画じゃないみたいなイメージがあったりするけど、そんなのは少数派。
印刷所任せで、原画を描いた人が認めたものが本物って理屈で、ピカソの版画なんか10万枚くらい出回ってる。
およげ!たいやきくんで曲が売れても歌手に金が入らないのと同じで、原画の絵師は下絵を渡した段階で権利放棄してる。
本物とは、版木が本物ということになる。
同じ版木を使えば本物という理屈なら、江戸時代の版木が発見されて現代の職人が摺ったら、それは本物なのか?
たぶんそうじゃないだろうけど。
流通量をコントロールすることで希少性を高めるって話でしかのだけど、じゃあその絵の美しさに価値があるのではなく、希少性に価値があるのということになるのか?
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 パイナップル
・03 10の)8(乗
・04 歌川 広重 うたがわ ひろしげ
・07 人中 じんちゅう
・08 175
・09 あずき
・11 壬申(の乱 じんしん
・12 [3択]2番
・14 ラパルフェ
・16 [2択]昭和
・18 イカ
・19 森山直太朗 もりやまなおたろう
・21 クラーク
・22 ジャーニー
・26 [3択]フランス
・27 松田丈志 まつだたけし
・29 レディー・ガガ
・30e 鶴屋南北 つるやなんぼく
はてブのホットエントリ(総合)で月内に数多く[あとで読む]タグを集めたエントリ
315あとで/2672users 零細企業買収して売却した話|reisaikigyou_ma|note
294あとで/2057users テクニカルライティングの基本 | Naohiro Nakata | SpeakerDeck
277あとで/2169users プログラマの心の健康 | 結城浩
257あとで/1306users GitHubの使い方を学ぶ「GitHub Skills」が無料公開。GitHubを実際に操作してMarkdown、Pages、Pull Requests、マージのコンフリクト解消などを体験 | Publickey
210あとで/1421users 総務省、きょうから「社会人のためのデータサイエンス入門」を無料開講 | Ledge.ai
206あとで/1271users 商用利用OKの音素材、600種以上無料公開 バトルの攻撃音も……「Springin’ Sound Stock」 | ITMedia
204あとで/1565users 「自分を愛するってどうしたらいいの?」──宇多田ヒカルの思考を辿るインタビュー、全文公開。 | VOGUE
189あとで/1536users 商用利用無料、国内のフリーイラスト素材の総まとめ | coliss
165あとで/1222users 著作権フリー素材がスゴすぎ…広重や夢二も全部無料 国立国会図書館の試みに「工作心がムズムズ」「活用しない手はない」|まいどなニュース
163あとで/1070users わずか数年で400億円も売り上げを伸ばしたカインズ ホームセンターのDXで、まず「顧客戦略」に着手した理由 | 株式会社メンバーズ | logmi
161あとで/1092users わかりやすいシステム構成図の書き方 - Qiita
158あとで/952users 大人の学びパターン・ランゲージ(略称まなパタ):IPA 独立行政法人 情報処理推進機構
152あとで/974users Webデザインの有料学習サイトが無料化 IllustratorやPhotoshop入門などが見放題 | ITMedia
145あとで/1638users 最近Amazonプライムで観た面白かったけど胸糞悪くて二度と観たくない邦画5選 - kansou
144あとで/704users 書籍「達人が教えるWebパフォーマンスチューニング」はチューニングの考え方を教えてくれる良本 - Gマイナー志向
144あとで/1072users ジョナサン・ハイトが解き明かす「アメリカ社会がこの10年で桁外れにバカになった理由」 | 「現代のバベルの塔」はいかにして建設され、崩されたのか | COURRiER
138あとで/1513users 【ウマすぎ注意報】料理研究家・リュウジさん考案「無限冷やしそうめん」がガチでラーメンより美味かった! | マイナビニュース
133あとで/673users 東京大学深層学習(Deep Learning基礎講座2022)深層学習と自然言語処理 | Hitomi Yanaka | SpeakerDeck
129あとで/980users ドキュメントに固執せよ - gfnweb
128あとで/846users 世界中のITエンジニアが悩まされている原因不明でテストが失敗する「フレイキーテスト」問題。対策の最新動向をJenkins作者の川口氏が解説(前編)。DevOps Days Tokyo 2022 | Publickey
127あとで/1632users 結城浩 on Twitter: "質問(簡単に教えてもらおうとする相手にイライラするようになった) あなたのおっしゃる「質問されるとイライラする感じ」はよく理解できますし、同じように感じる人はたいへん多いと思います。(続く) #結城浩に聞いてみよう… https://t.co/CKZMzVzHPN"
126あとで/622users コードを書いていてマネジメントもやるようになっちゃった人へ 背中で語っていた僕が、プロダクトとピープルに向き合うまで | 海老原昂輔 | logmi
124あとで/1032users 「女性同士のマウンティング」に関する研究論文が興味深くView数が少ないのがもったいないレベル 具体的なエピソードもなかなかすごい | Togetter
123あとで/1046users 戦略系コンサルタントがオススメする本(不定期更新)|とあるコンサルタント|note
122あとで/885users たった256文字のJavaScriptコードで描かれた街の風景アニメがスゴ過ぎて訳がわからない/解説ページを見てもわからないorz【やじうまの杜】 | 窓の杜
117あとで/924users 私は数学がなぜ苦手なのか?高校生が分析してあみ出した勉強法が効果抜群だった|高校生新聞オンライン|高校生活と進路選択を応援するお役立ちメディア
115あとで/701users 「ゲーム制作するなら、これだけは覚えておいたほうがいい」 プログラミングする上で重要な「対数」の考え方 | 安原祐二 | logmi
112あとで/879users 【初心者向け】iPhone3Dスキャンパーフェクトガイド|iwama|note
111あとで/524users 次世代Web通信プロトコル「HTTP/3」がついに標準化 ~有志による無償解説本が話題に/PDF形式の電子書籍がGitHubで公開中! 今後も更新される模様【やじうまの杜】 | 窓の杜
今年のお盆は浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから、美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。
最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事のレシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。
鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちはそばの和菓子屋でわらび餅をいただいた。そこには和風のパフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。
私にとって面白かったのは、歌舞伎座を舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女とモブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。
次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。
とはいえ、疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法を精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優のグラビアみたいな雰囲気から、市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。
でも、私はやっぱり北斎や広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。
浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵だから一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のものと出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。
あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか。
あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件。寛政五年に幕府がモデルとなった実在の人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵で表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所と出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画の修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。
ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段を上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。
最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本の歴史や歌舞伎に取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。
ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品の名前をメモするのが大変だった。
なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。
最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。
気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。
みなさまごきげんよう。
かきつばた またかきつばた かきつばた
古来、池鯉鮒と呼ばれ伊勢物語で在原業平が歌を詠んだことで有名な土地ですの。
ところがあらびっくり。延喜式より前の史料では「知立神社」または「智立神社」と
書かれていて、池鯉鮒は大洗池という殺生厳禁の池で鯉や鮒が繁栄したことから
付けられた地名らしいのですわ。いまの地名は一番昔に戻っていることになりますわね。
また、かきつばたも中世にはなくなっていて、ガッカリ観光地になっていたところを
お茶売のお爺さんが尽力してお寺や庭園を復興させたそうですわ。
池鯉鮒は江戸時代も東海道の池鯉鮒宿として重要な土地でしたから、
その関連の展示が多かったです。
いろいろな浮世絵があり、中山道広重美術館にあった浮世絵摺り体験もハガキサイズが
ひとつありました。駒屋という旅籠を再現したコーナーもありましたわ。
お二階には民俗資料館らしい家財道具の展示が並んでいましたわ。
中山道広重美術館で開催されている「浮世絵ねこの世界展」に行ってまいりましたわ
歌川広重の作品は「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」のみでしたわ
主役はやっぱり歌川国芳で懐にいつも子猫を2,3匹入れていたという猫狂いぶりを
国芳の猫は関節の描写が自然で集合体にされていても猫らしさに違和感がありませんの
役者の絵が禁止されていた関係で、猫にして顔だけ役者のものにした浮世絵は猫耳の走りに見えました
不気味ですけど
二階展示室にあった「ねずみの戯遊」という作品がねずみが猫を罠にかけて遊んでいる内容で
まるでトムとジェリーのようでした
中編なんてありませんでしたわ。いいですわね?
解説を読む読むと晩年の広重は風景画にはめずらしい紙を縦に使った大胆な構図に
挑戦しているそうですわ。
浮世絵を見慣れていないので、その辺りはわかりませんけど、
「名所江戸百景」の至近距離に「月のまつ」や鯉のぼりを配置して、
絶対的な自信が生まれたからこそ、あんな作品が発表できたのだと思います。
人物画の浮世絵師とコラボレーションした経験も役に立っていそうです。
我ながら御満悦でしたわ。しかも別の絵が用意されていましたわ。
角を丁寧にあわせることが肝要です。
いえ、わたくしはサバサバした女。鰭先の細かい作業もお任せですわ。
何故か二階にいたペッパーはレスポンスが悪いので無視していたら、
肩を落としてため息をついていましたわ。
紙を縦に使うのが大胆なら、正方形の紙を使えばもっと大胆かしら?と
少し考えましたけれど、浮世絵でそれをやると印刷事故が多発することが、
前回ですわ
音楽も、セリフも、ストーリーも、悪くはないがうまくマッチしていないような気がする。
ただ、やっぱり好き嫌いが別れるのは絵によるところが大きいと思う。
美しいか醜いかと言ったら、100人中100人が美しいと言う美麗さだ。
ただ、映画の絵としては特異と言わざるを得ない。
主人公が絵の中心にいないのだ。
背景を美しくみせるための、添え物に過ぎない。
絵に人間賛歌がないから、あんなに練られたストーリーも、セリフも、一つの作品としてまとまらないのだ。
正確には、背景を美しくみせるというのもちょっと違う。
あの映画の絵では、背景ですら、光を、風を、雨を、それを表現するための手段にすぎない。
見えないほど雨が画面を曇らせる。
画面の半分が空。
思い出したのは、歌川広重だった。
中でも、広重は、雨そのものを、雪を、光を、描き、人物も背景もその添え物という新しい表現に挑戦した。
今では、紙も絵具も変色して、容易には気が付かないと思うけど、雨が、光が、雪が、主役の作品を残してる。
版画という、数々の制限の中だからこそ、ストレートな工夫が目に入ってくる。
日本人の目には、「へぇ、面白いなぁ」だが、当時の西洋人には衝撃だった。
おそらく、「君の名は。」も同じに映るだろうと思う。
デジタル塗りのような均一な塗りが可能なうえに、デジタル塗りのようなグラデーションも作れる。
正しくは、塗るのではなく摺るということが大きく影響する。
擦り重ねでわかったと思うけど、浮世絵の場合、赤の上に青を摺ることで、紫になるし、黄色の上に青を摺ることで緑になる。
赤の上に青を重ねれば青、黄色の上に青を重ねても青。
しかし、版画になると違う。
"ばれん"という道具に秘密があり、不透明なはずのポスターカラーを使って同じことをしても、かなり同じように透明な性質が再現される。
小学校で使う偽物なんかじゃなく、本物のばれんの話だ。
ヨーロッパ人が「こんな青色みたことねぇ!絵具なに使ってんだ!?」
とビックリしたのは、ヨーロッパで発明された顔料、プルシャンブルーでしたというのは、有名な話。
ところで、本物の"ばれん"って、一枚7万とか10万とかするんだぜ?信じられるか?見た目はただの鍋敷きなのに。
均一な塗り、均一なグラデーション、レイヤーの乗算、言ってみればイラレに近い。
「君の名は」よろしく、空気や風、雨、空、水、そういう形のないものを積極的に絵の中心にもってこようとしたのもそのころの浮世絵が元祖だね。
人物が主で背景が従ではなくて、まったく逆に雨が主で、人物は従、空が主で人物は従、そういう絵がわんさと発明された。
北斎という努力型の超人と、広重という天才の働きは大きいことは認めるが、デジタル塗りに近い木版画の特性によるものが大きいと俺は思う。
(版画だから浮世絵の色はのっぺりしていてファミコンのグラフィックみたい。
そう思っていたらグラデーションが!
思い返せば普通にグラデーションしている浮世絵をたくさん見ていましたけど、
意識していませんでしたわ。彫り師か摺り師の技術高すぎですわ。
小倉擬百人一首の題材にされている江戸時代の人物には、とんでもない人がいらっしゃって、
あの方々を持ち上げる江戸時代の人は現代人とは感覚が異なることを思い知りました。
八百屋のお七なんて、今ならひんしゅくを買いっぱなしになってしまうと思いますわ。
そういえばヨーロッパでも中世の人は犯罪者に同情的だったと、ものの本で読んだことがありますわ。
スカイツリーの地下で復活して現代レスリングトップの方とドリーム対決してほしいです。
説明から摺物と呼ばれる自費出版で趣味に走った同人誌的なものがあったこと、
当時の「写真」が「作者の観察に基づくスケッチ」の意味だったことなどを学びました。
魚づくしシリーズには何故か鯖がありませんでした。鯖がありませんでした!
文字通りに「見当」がずれたり、下の段にある縁の部分を擦って変な線が表れたり大変でした。
最後に輪郭線を摺るので、色の載った紙が一気に「作品」に変身するところが病みつきでした。
最後にミュージアムショップで復刻浮世絵(嶋田と池鯉鮒)を買ったのですが、
学芸員さんに「選んでください」と……
「同じ絵ではありませんの?」
「版が違えば微妙に違うんです」
今後、中期・後期の展示があるそうですわ。
たとえば北斎も肉筆だと
http://fast-uploader.com/file/6995210605446/
こういう写真かよ!っていう絵を描いているんだ。
なんで生首?
うーん、ほら、生首の絵の扇子で扇いだら涼しくなりそうじゃん(笑
単体ならっていうのは、透視遠近法みたいな絵がないっていうことかな?
有名な冨嶽三十六景は70代の作品だが、30代で既にたとえばこんなやつがある。
http://fast-uploader.com/file/6995210740539/
カンペキだね。
これと似たような構図を年代順にならべてやる。
http://fast-uploader.com/file/6995211010479/
70代
http://fast-uploader.com/file/6995211188891/
これ、よくみると、消失点が1点にならない。
左右の橋の梁の平行線を伸ばしてぶつかる消失点は水平線の彼方、両脇の屋敷の屋根の平行線を伸ばしてぶつかる水平線は橋の下かその少し奥。
これが、忠実な一点透視だったらつまらない作品だったとおもわん?
絵の中に動きがあるのは、ちょっと崩れてきてるおかげ。
80代
http://fast-uploader.com/file/6995211441686/
ぱっとみ同じ構図の一点透視のようで、二点透視にも見え始め、仰ぎ見てるようにも見えたり見下ろしてるようにも見え、ってことは三点透視かとおもいきや、そもそも透視図法(平行線がいつか交わる)じゃなくて投影図法(平行線はどこまでも平行)なんじゃないかと見える。
一番手前の人物にフォーカスを合わせるとそういう絵になり、その奥の人物にフォーカスを合わせても絵としてなりたち、人物を辿ってるうちに奥に奥にと視線が誘導され、そのたどる先には富士山。
多重視点というのは、「ピカソの絵は右から見た絵と正面から見た絵が合成されていて」みたいな説明をされるあれ。
ピカソの作品はそれだけじゃなくて、いろんな意味で工夫させすぎてて、話が脱線してしまうので、わかりやすくキリコ
http://www.geocities.jp/syu_58jp/we2/1.JPG
この絵のようなやつ。
http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/251.JPG
線遠近法的に忠実に描くと、
http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/252_4.JPG
こうなる。
人物やモノ画中にたくさん配置して、奥のモノ、人物は小さく、手前の物を大きく描くことで絵の中の遠近を表現するっていうのは、基本ではあるが、
それをやめて、横一列に均等に配置することで、絵にリズムが生まれる
これについても、似たようなことを既にやってる北斎
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-94-64/otyaken_suki69/folder/1050996/44/47018044/img_8?1382279701
なんというリズム感。
これ、どこがおかしいかわかる?
シャチホコってさ、近くで見ると当然巨大じゃん。そうしたら、本当は
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg
波をシャチホコに置き換えたら富士山はこのくらい小さくないと絵としておかしい。
この構図になるのは、望遠レンズでズームで覗いてるという設定の絵だっていうこと。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201011/22/10/b0111910_1061561.jpg
http://tenkijuku.com/qa/kisyoudai/hugoku.jpg
当然もう残っていないけど、百二十畳の巨大な紙に、高いところからみないとなんだかさっぱりわからん巨大な絵とか描いたっていうんだ。
そういう高いところからみないとなにを描いているんだか本人もわからない絵というものは、「この座標でこの角度で線を曲げて」っていう座標の概念がないとどうやっても描けないわけで。
北斎というと、80過ぎてるのに110歳くらいまでの人生設計(当然自分の画力について)を立てる貪欲さで、当時の平均寿命の倍くらい生きてるのに死ぬ間際に「まだまだ描きたりねぇ(意訳)」といって死んだというエピソードが有名なので、描いて描いて描きまくったというイメージが強い。
しかし、その実際は、それプラス、数学も物理も幾何学も絵に応用して、古今東西、みたこともないものだろうと文献調査だけで描き(中国くらいならまあ、古代インドとかどうやって描くんだよ!!見たことないはずの象を右からも左からも正面からも後ろからもかけるとか、どうかしてる。)、漫画の効果線やトーンのかなりを発明し、その後の絵画の歴史で発明された技法をその100年前に実験しつくし、鎖国の時代なのに西洋の銅版画や油絵の解説書をつくり、中国画の技法も日本画の技法も操り、いうなれば、異星人。
まあつまり、線遠近法は北斎より少し前の時代に入ってきたんだが、カンペキに理解をしたのが北斎。
自在に使いこなし、それを捨て去り、違う境地、もう前衛芸術の実験のようなレベルに高めたのが北斎。
その後は幕末、文明開化で西洋画が入ってきて、もう一回遠近法ブームが起きて、
みたいなムーブメント。
油絵が始まり、浮世絵(版画)の絵師たちもそれに近い木版画を作った。
初めてやったのは小林清親って人で、水彩画風の版画、ついには油絵風の版画まで辿り着くが、結局彼の画風はいわゆる浮世絵的な絵に戻る。
写実的(性格な遠近法、陰影表現)ってのは、いちどはそれに熱中する麻疹みたいなもの。
その後の時代だと、吉田博、川瀬巴水とかが水彩画のような木版画で有名だが、小林清親は浮世絵の構図、モチーフを水彩画の手法、油絵の手法で再構築した感じなのに対して、吉田博、川瀬巴水は洋画を木版画にしましたって感じだから、浮世絵や日本画の子孫じゃあないと思う。
吉田博
浮世絵しかわからないので、浮世絵がいかに衝撃的だったか、どう世界を変えたか、ちょっとだけ。
ところで、少し脇道から入っていくが、まずこの写真をみて欲しい。
http://img.allabout.co.jp/gm/article/20016/image2.jpg
俺はすっかり大人になっていて、南国にはこういう景色、すなわち澄んだ空と海、強い日差しがあることを知っているけれど、もしもこれを予備知識なくみたならば
「なんて美しい場所だ!本当にこの世なのか?」
と思うと思う。
これをみて、「海と小屋が映ってるだけだろ。なにが綺麗なのかわからん。」
という人はそれでけっこう。わかりあえないので、この先は読まないでいい。
これを西洋人が初めて目にした時の衝撃は、たぶんそれに似てる。
「なんと澄み切った空!見たこともないブルー!ただ青が広がるだけの空がこんなにも美しいのか!影が映らないほどの明るさ!」
「澄み切った水!そして水面がキラキラと光ってる!」
しばらく、その美しさにトリップしたあとに、正気に戻ってみてこの美しさはどこから来るのかと絵を探るといろいろと気付くのだ。
「見たこともない構図だぞ!風景を上から見下ろして描くなんて!!」
「紙が布のようだぞ!紙そのものが上等なシルクのような輝きを放ってる!」
「波打つ水面は、ただ紙に描かれているのではなくて、エンボスになっているぞ!」
「遠い異国の景色であるのに、聖書の物語の一節でも歴史の一部でもないのに、馬を引く人や船を漕ぐ人のドラマが頭のなかで再生されるぞ!」
「表面にインクは残っていない!触ってもインクが手に付かない!光に透かせば光を通し、光に当てれば輝く反射!ありえない!ありえない!ありえない!」
「日本という国では、カラー印刷が一般的なのかッ!!!包み紙に使うほどにッ!!!貴族でも大商人でもない一般庶民が、絵を楽しむというのかッ!!」
「こんなにも簡素な表現で、こんなにも訴えかけることができるのかッ!!!いや、極限までエッセンスを削ぎ落としたからこそ心のドアをノックするのだッ!!!」
「絵とは魔法だ!丸に点を二つ描くだけで、顔に見える!そこに手足を描くだけで動いて見える!我々は見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める術を手に入れた。しかしどうだ?心をノックするために、見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める必要などあったのか!?
日本人は、我々が陰影、凹凸、光源の方向、そんなことに執着して、方向を間違えている間に、一瞬の煌きや感動を絵に閉じ込める術を手に入れていたッ!!!」
例えば、もしも浮世絵がなかったら、テレビドラマや映画は登場人物の会話を真横から映し続ける退屈なものだったろう。
それまでの舞台を描いた絵も、物語を描いた絵も、常に真横からの構図だ。
仰視、俯瞰、物陰から、登場人物の一人称視点、あらゆるカットで切り取っていくのは、浮世絵のアイディアだ。
葛飾北斎が「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインしたのは、そういう理由だ。
もちろんだけど、版画で見て欲しい。
でも、いきなり画廊にいって手で持って鑑賞するってのもハードルが高いかと思うので(実際はけっこうこころよく手に持って鑑賞させてくれるよ)、伝わる部分、伝わらない部分をすこし説明しようと思う。
例によって、少し長くなるけれど、お付き合い願いたい。
かなり落ち着いてきたし、ずいぶんと絵の勉強もしたので、前よりもわかりやすく説明できると思う。
まず、色について。
画集はおそらく現存するもので一番古いもののうち、一番いい色のものを採用していると思う。
復刻版の浮世絵の色は、初版、あるいは最も有名な版の摺りたてを目指して作るというものと、摺ったものの経年変化まで考えて作るというものの2通りのものがある。
摺りたてを想像して作られてる。
そういう復刻版は明治大正の頃に作られていたんだけど、当時なら50年100年くらい経った浮世絵の再現ってことで、意味もあったんだろうけどね。
いまそれやったら、ほとんど灰色になってしまってよくわからない古ぼけた絵を作るってことだからね。
色については、復刻版のほうが圧倒的に綺麗。
ただ、いくつかの色については、江戸時代の絵の具そのものは使えないらしい。
たぶん、鉛とか水銀とかのように、水道法や毒劇物取締法にかかったりするものや、天然素材が資源保護の都合上手に入らなかったりとかだと思うんだが、詳しくは知らない。
それを差っ引いても、色については復刻版から見るべきだと思う。
画集ではとても再現できない。
まず空摺り、布目摺りという紙へのエンボス加工。
空摺りというのは、色をのせずに摺ることで紙につけるエンボス加工
たとえばこれ、巻物の縁の部分と、着物の衿の部分に注目。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/utamaro063/utamaro063_thumb4.jpg
布目摺りというのは、布を押し当てて紙に布のような質感を再現すること。
たとえばこれ、たなびく布が、本当に布のようなエンボスになってたりする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige175/hiroshige175_thumb5.jpg
これについては生で見ないととてもわからない。
スマホ画面で鑑賞するのに適した作品として、まず歌川広重の名所江戸百景の亀戸梅屋敷を挙げる。
寝る前によく眺めてる。
ゴッホが模写したとかで有名なやつらしい。
なれないうちは有名どころからいくといいよ。たぶん。
さて、画像検索すると、ピンク色に染まった空の一番上の部分が、ピンクから赤へのグラデーションのバージョンと、ピンクから青へのグラデーションの二種類がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/hiroshige160_main.jpg
http://www.gogh-ukiyoe-museum.jp/images/kameido.JPG
どっちが本物でどっちが偽物っていうわけじゃない。浮世絵って色の違う別バージョンが無数にある。
さて、それはさておき、俺はこの絵をみるときに、画面いっぱいに広がる梅の木の幹ではなくて、幹のあいだから見える、その向こうにいる人だかりを見てしまう。
というのは、画面いっぱいに広がる梅の幹の木肌が滑らかすぎるんだ。
木の幹は視界に入っているのに入ってない。
フェンス越しでも野球がみれるように、手前の木のピンぼけは、木の影から覗いてるという風に解釈してしまう。
ピンク色の空が幻想的で、幹と幹の間から見える遠くの人々の会話が聞こえてきそう。
遠くで友達が花見をしてる、それに混じりたいのに出て行く勇気がなくて遠くから覗くしかない俺、っていう架空設定をついつい脳内に作ってしまったりする。
さて、これだけでも手品みたいな画面効果だっていうのに、広重ときたらもう一つ仕掛けをつくってる。
次に、白梅の花に目を移してみる。
そうすると、白梅がとびだしてきやがるんだ。
さっきの野球の例えだと、フェンス越しに野球をみてて、ふとフェンスに焦点をあわせるとフェンスがブワァって飛び出してくるような感じ。
そんなこんなでまたいずれ。
とんでもないものに出会ってしまったとしか言えない、凄い衝撃であったことは間違いない。
科学技術については日本は西洋に劣っているが、アートについてはヨーロッパは日本が上だと言ったのは誰だったろう。
ヨーロッパ人が土人に敗北宣言するというのは凄いことだ。
もう、周回差つけるくらいぶっちぎってたということだ。
絵とか興味なかった俺でもわかる。
北斎、広重に比べたら、ダヴィンチもフェルメールもレンブラントもぜんぜん勝負にならない。
そんな浮世絵が、茶碗の包み紙として新聞紙みたいな使われ方をしてたのだもの、ヨーロッパ人は驚くわな。
版画だよ?木版画。
それが、油絵をぶっちぎった。
さて、それがさ、今でも復刻版が1〜2万で買える。
破格に安い。
わかりやすく例えると、川瀬巴水の大正昭和の作品を買うと100万する。
ところが、版木が残ってるので、本人の死後に最近摺ったものもある。
これは超安い。
2万くらい。
色褪せがないし、大正昭和の染料顔料は今でもだいたい調達出来るし。
初期のほうが版木がへたってないからなんとやら、というけど、あれは嘘。
新版画は1000枚以上摺ることを前提の浮世絵の技術で作ってるんだ。
そう簡単には版木へたらん。
オリジナルの100万と後摺りの2万の差額の98万は、歴史ロマンの差が97万くらい。
まず版木をつくるのが高い。
職人が一カ月かけて彫らないといけない。
摺りも当然職人。
そこまで手間暇とお金をかけて、巴水なんかよりずっと安い。
超お買い得だし、買ってあげることが、彫りの職人を後世に残すことにつながる。
江戸時代当時の作品なんか集めたって、職人の技術の継承には伝わらない。
買いまくるしかないだろう。
フェルメールもレンブラントも過去の人にしてしまった、浮世絵という芸術の頂点を、手元に置くことが出来る素晴らしさ!
と、いろんなところで熱弁をふるってみたんだが、なかなか伝わらない。
そうそう、こないだ、
「(国立新美術館に)いっしょにルーブル美術館展観に行きませんか?」
って誘われたんだ。
フェルメールの有名な絵がきてるとかで。
おい、女、こないだ印象派が好きとか言ってたじゃないか。
なんで今更フェルメールなんだよ。
iPhone6ユーザーが今更ブラックベリーみにいくようなもんじゃん。
と言いたかったが抑えた。
それから、浮世絵の摺りの実演会と、CLAMPの原画展が隣接して催されていて、CLAMPの原画展のほうに行きたいとかいう女もいた。
目、大丈夫か?
と思ったんだが、その時も抑えた。
どうしてみんなわかんないの?
では、無宗教なあなたにオススメしたいのだが、浮世絵をみたらどうだろう。
まず、復刻版を数枚買え。復刻版で十分だ。いや、むしろ復刻版のほうがいい。美術館にある江戸時代のものは色は褪せてるし紙は黄ばんでしまっているから。
なんという、なんという躍動感。
なんでも、例のあの富士山をバックに巨大な波の絵、神奈川沖浪裏ってんだけど、あの水しぶきは1/5000秒のシャッタースピードで撮った写真と酷似らしい。
そうだよな、たしかにHD画質をよいしょしてた頃の、スローで水泳を写したりする映像が流れまくってたけど、あんな感じだよな。
どんな絵より、躍動感があるんだよ。
ドガのエトワールなんかより、北斎漫画の雀おどりのほうが躍動してる!
あんな線描なのに!!陰影もつけてなければパースも狂ってるに!信じられない!
もう、描いて描いて描きまくって辿り着いた境地なんだろうな。
富嶽百景っていう絵本、本編よりあとがきが有名なんだけど、「110歳までの絵を上達してみせる」っていう人生設計を宣言してる凄まじさ。
実際、90歳まで長生きしてたのに、その臨終の際の言葉も、「あと10年、せめて5年、」っていうまだ描き足りないという未練を残してるそうな。
そういう人格面は話が逸れるからさておき、画家はここまで、こんなにまで時間を切り取れるのかと。
一瞬を永遠にすることができるのかと。
カメラというものを知ってる僕らには、驚きは薄いのかもしれない。
はっきり言って、当時の人たちからしたらとんでもないよ。
プロゴルファー猿でショットの時の効果音が「ギャンギャンギャン」だったり、ジョジョでキスの時の効果音が「ズキューン」だけど、北斎を見た時の効果音ときたら、そんな幹事だよ。
で、広重もすげぇ。
北斎より後の時代の人だけど、北斎が長生きで現役時代が異常に長かったから、活躍してる時期はけっこうかぶってるんだけどね、これまた凄い。
絵の中で時間が流れてるの。
数々の発明を残してるんだけど、一番わかりやすい例だと、雨を線で描くっていう発明かな。
雨が線だよ?当たり前のようだけど、逆だろ?
絵がその瞬間を時間を止めて描くものだったら、雨は空中に浮かぶ粒でしかない。それが線!
1/5000秒のシャッタースピードの逆、露光時間を長くしてる!
なんなの?北斎という天才の仕事を全否定して、新しいワザを繰り出す。
色彩といい、視覚効果といい、もう語り尽くせないほどの発明をしちゃってるわけ。
来る日も来る日も描いて描いて描いて描いて、それこそ花が咲く瞬間から虫、天候に至るまで、ただただ描く。
なんのために?芸術のために?いや違う、芸術とは、もっと個人主義的でワガママなものだ。
自らの心の内から溢れ出るものであり、自己表現であり、俺が一番と叫ぶものだ。
だって、浮世絵は絵師と彫師と摺師と、言うなら版元と共同作業なんだ!
絵師の下絵は、版木に貼り付けられ、その線をなぞり彫られてしまう。紙くずとなり、版木からでた木くずとともにこの世から消えてしまう!
そんな下賎な商業印刷が、芸術としても芸術の分野で第一線の作品の遥か上のレベルなのはなぜか?
いや、商業印刷だからこそ、私の表現のための絵ではなく、絵のために自らを捧げるという境地に辿り着いたがため、そうなったんじゃないかと思う。
浮世絵師は、いや、彫師は、摺師は、版元は、売れるだけ摺った!売った!
即ち、それが世界に美しいものを広めること、ひいては美しいものであふれた世界になることを知っているから!
海を超え、時代を超え、人々を感動させている。
宗教だ!
もう一度浮世絵を見てみよう。
描かれているのは、喜びや楽しみだけではない。憂いや悲しみも描かれている。しかし、見た人が自分なんか死んだほうがいいと思わせるものはあろうか?
ない。
武士、すなわち役人も、飛脚や輿を担ぐ労働者も、老人も子供も、体を金で売る遊女でさえも描く、根底にあるのは人間賛歌!
人間だけではない!虫けらや一本の雑草に至るまで、生きとし生ける物への賛歌!
帰依しよう。
はてなブックマーク - 『江戸しぐさの正体』重版に寄せて—— 一枚の写真から感じる日本の義務教育の「危うさ」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
些細な問題なんだけど、はてなーがまるっきりスルーしてしまうのもどうかと思った。
試し読みhttp://ji-sedai.jp/book/publication/works/edo_02.pdf
ここのP42、「傘かしげ」に関する批判の根拠として、色々気になる箇所がある。
まず、名所江戸百景を例に挙げ「雨の中、蓑傘を着た人に混ざって(略)しばしば傘をすぼめるようにして持っている。」
このあたりで引っかかったので、ちゃんと調べて見る必要があると思ってまあググった。
なんで引っかかったというと、広重の名所江戸百景のすぼめた傘の話に【大はしあたけの夕立】がまず思い出され、
いやそれは雨や風の激しさを表現する情景描写の手法というのが一般的な認識じゃないかとモヤモヤしたからだ。
その後すぐに検証しなかったのはホッテントリを消費するブックマーカーの性である。
さてそういう訳で、和傘に関する認識が、確認のためにぐぐってみればみるほど、ちょっとおかしいなと感じてしまう。
「そして、和傘はスプリングが入った洋傘に比べ、すぼめたまま手で固定するのが楽な構造になっているのだ」
雨のしみこんだ重い和傘(番傘)を、ずっとすぼめて手で支えるというのは重くないか?おまけに両手を常にふさいでしまう。
和傘は広げて固定して肩で支えるように使うもの、というのがしっくりくるんじゃないだろうか。
また日傘やにわか雨用途と思われる、蛇の目傘は二段階に固定できる構造で、やや綴じ気味にして差せる事も無視してないか。
思うに、洋傘=スプリングという認識から、和傘と洋傘の違いを、ジャンプ傘の発明と混同してるんじゃないかなあという疑いを持った。
もう一つ、すれ違いに関する記述も気になった。
和傘は雨で濡れる和紙であり、傘同士が触れ合うとお互いの骨で簡単に破れてしまう欠点も無視している。
いやこれ、批判対象として引用分中で「...とともに、ぶつかって傘を破らないようにする実利的な意味も含んでいた」とエクスキューズしているんだけども。
「さらに、江戸の路地で「傘かしげ」を行うには別の問題もある...」
政局はすでに選挙モードだ。政局が荒れると奇妙な法案が通るとか。きちんとソースを調べていないが、計量法施行法は荒れた政局で通ったと聞いたことがある。議決が滞りがちになるから、反対意見の出にくい法案を数的に通しちまえという発想らしい。審議拒否っぽく見えると野党もまずいし。
児童ポルノ関係も政局が荒れたときに、ドサクサ紛れに動きがありそうだという予感は持っていた。結果的にその予感はあたっちまった気分だ。この辺の動きはそれなりに二次元の女の子好きとして追っていた。鎌やんあたりのロビー活動もだいたい知っている。
ただ、ここまできちまったものは仕方が無いと思っている。オタクの中でも、児童ポルノ規制の経緯も何も知れずに、麻生をオタクの理解者としてローゼン閣下と本気で持ち上げる馬鹿はいたし。ああゆう連中は将来的にはファシストを平気で政権につかせるんじゃねかと思ったよ。(個人的に麻生はさほど嫌いではないけどね)
個人的に今回の動きで一番気に食わないのが民主党。極右から極左までいるの自由なのだが、政策全般に党内不一致が多すぎて結局のところ何の抵抗にもならない。党内不一致は児童ポルノに限ったことじゃない。正直、民主単独政権はノーサンキューだ。彼らの一致する党議は唯一つ、政権を取ることだけだ。また細川政権もどきが出来るくらいなら、自衛隊が蜂起したほうがましだ。
児童ポルノ規制反対という観点では社民党ということになるのかもしれないが、正直彼らに入れる気にはならない。民主党が規制反対で動いていたときも、枝野幸男という現実的な議論ができる論客がいたから現実性があった。(サンタフェの質問は相変わらず上手いと思った)
若干話が飛ぶが、陵辱ゲームが春画のように研究される対象になったときには、どこに探しにいけばいいのか?広重のコレクションをボストン美術館に見に行くような間抜け真似は勘弁してくれ。国立メディアセンターで全部コレクションしてほしいもんだ。そろそろ、PC-8801のゲームのアーカイブは作り出さないと間に合わなくなると思うのだが。