はてなキーワード: グラフィックデザインとは
仕事内容で「デザイン」をやっていると主張する作業所にろくな場所ないからやめたほうがいい。
1. デザインの大枠を職員が考える。利用者は文章を入力したり、画像を加工したり、文字や画像を指定した位置に置くだけ。
2. グラフィックデザインの技術がある一人の作品だけ目立っていて、実際に作業所では技術指導も何もしない。
3. 技術指導はするが、Wordを使って町内会だよりレベルのチラシを作れるようになるのが限界。
特に一般企業のデザインと遜色ない作品が「利用者の実績」としてサイトに載っている場合は2番めのタイプを疑ったほうがいい。
どのタイプも技術力がある職員がほとんどいない。堂々と「デザイン勉強中」を公言している職員もいるくらい。
こういう作業所のサイトに載っている作品ほど、変に色が濃すぎる・薄すぎる作品や、Wordで作った背景の白色ばっかり目立つチラシが多い。
というか職員が利用者に対して、作ったものの色合いの修正は求めない。誤字の修正は求めても色合いは「障害特性の個性だから」という理由で尊重というか放置。
これでは一般受けするデザインができるわけないと思う。だから依頼主が現れない。あっても行政とか福祉団体の依頼しか来ない。
本当に人集めで目立つためにしか見えない。
【2025-03-08 14:40頃追記】
「デザイン」をやっている作業所を数件転々とした元利用者です。
思った以上に反響があった一方、専門用語(というか障害者福祉の用語)ばっかりでわかりにくいとのコメントも散見されたので書いておきます。
作業所→障害者が通う福祉作業所のこと。この記事に登場するのは雇用契約を結ばずに最低賃金以下で働く「B型作業所」。
利用者→そこで働く障害者。作業所は「福祉サービス」なので、そこで働くことは「福祉サービスの利用」になる。だから「利用者」。
(B型作業所の場合、利用者が働くための採用試験はまずない。「定員」に空きがあれば「申込み」だけで「利用開始(=入社)」できる)
「上司と部下」ではなく「職員と利用者」という呼び方もよく考えたらかなり独特に感じる。
最後の行の「本当に人集めで目立つためにしか見えない」は「新規の利用者を集めるために目立つために「デザイン」をやっているようにしか見えない」の意味。
作業所は1ヶ月の利用者の延べ人数で行政からの補助金がもらえ、それが作業所の主な収益源になる。
「デザイン」という言葉の魅力で利用者を集めるために、「デザイン」を用意する。でも「デザイン」の質は気にしない。「デザイン」が売れなくても補助金で経営が成立しているから。
一方で技術力がなくても依頼主からの「デザイン」を請け負うことにやりがいを感じている人がいるのも確か。
依頼主という相手ありきでデザインが成立するということを理解できていればマシなほうで、それを全く理解していない人がいるのもまた確か。
「デザイン」の言葉のカモになりまくっていた過去の自分が間違いなくそうだった。「デザイン」を「好き勝手に絵を描いたり文字を書いたりしている」くらいにしか思っていなかった。
だいぶ前に新聞の記事で、障害者向けに就職指導を行っている施設の職員が「デザインの仕事を希望する人は多いけど求人がない」というようなことを嘆いていた。
果たしてその「デザイン」をやりたい人たちは、本当にデザインを理解しているのか?ただなんとなく見た目だけで好き勝手カラフルに絵を描いたり文字を書いたりしているイメージしかできていないまま「デザインをやりたい」と言ってるだけの人も多いのではないか?(過去の自分もそうだった)
だから障害のある人でデザインをやりたいと思っている人は、障害者福祉の場所ではなく、高い学費をかけてでもデザインを教えている学校に行ったほうがいい。それができなければ独学自習。ひたすらいろいろなデザインを真似する。趣味でも同人活動でもボランティアでもいいので、学んだデザインの技術を使って他人に見せるものを作る。
そこまで行けば、デザインが「好き勝手カラフルに絵を描いたり文字を書いたりしている」だけで成立しないものだと理解できるはず。
まあ、色々な考えがあるだろう。
だが元PMとしてシステム開発を進める上で大切な事を書かせてほしい。
俺の場合、ゲーム開発が多かったからゲーム開発の場合で書くが、
→まず受託開発の場合、クライアントの言いなりになりすぎるな。
https://agilemanifesto.org/iso/ja/manifesto.html
→プロデューサーや営業の言ってくる事をそのまま仕様にしてはならない。
その際、出来ればプロデューサーや営業に投げるのではなく、同席させてもらうように交渉した方がいい。
ちゃんと発注元の「意図」「成し遂げたいこと」「ゴール」「納期や予算」について理解した上で確認や提案を行う必要がある。
もしプロデューサーや営業がその辺を理解していなかったらその時点でそのプロジェクトは確実に「炎上への道」へ突入するという覚悟を持つ事。
→仮に3Dのゲームを作る場合、2Dアーティスト、3Dアーティスト、アニメーター、エフェクトデザイナー、サウンドデザイナーなど担当は多岐に渡る。
2Dが遅れれば3Dが遅れ、3Dが遅れればアニメータが遅れる…という感じだ。
だからアセット制作一つ取り出してみてもデータの受け渡し期限は死守しなければならないし、
「このデザインはモデル化すると破綻する」とか「このモデルだと稼働部に問題がある」など修正依頼が頻繁に発生する。
その際も先のエンジニアの性格どうたら問題と似たような事が発生しかねない。
なので、アセット制作セクションの担当者間は如何にスムーズに連携と修正が行えるかを事前に話し合っておいた方が良いと思っている。
アートディレクターがその辺の管理まで出来ると理想だが、そうでない場合はアート関連に特化したPM的な存在がいた方が良いだろう。
→基本プランナーが作成した仕様書をもとにUI設計やグラフィックデザインを行うが、
画面に表示される内容が確定していないままデザインを進めてしまうと、後々「やっぱりこの表示追加したいです」
なので、仕様担当者とUIデザイナーは密に連携を取り進めていく必要がある。
あと、プランナーが「こういうデザインにしたい」とか「こういうレイアウトにしてください」とかはあまり指示しない方が良い、
と俺は思っている。
何故なら、UI設計は綿密に計算されていて、またUIデザインの基本メソッドのようなものが確立されている部分もあるので、
それに反する提案を素人はやらない方がいい。UIデザイナーの余計な仕事を増やすだけだ。
⚫︎エンジニアセクション
→さて、いよいよ本題っぽくなってきたな。
エンジニアセクションはこれまで書いてきたセクションの制作物を実際に実装する立場にある。
いざアセットやUI素材が来たところで「これは実装できないよ!!」っていう事は発生しやすい。
なので、仮アセットやモックの時点で「この仕様で問題ないか?」「このポリゴン数で同時にX体表示させて問題ないか?」など、
数値的なものもそうだ。
この画面にはアイテムを最大XX個表示させます、とか、パラメータの上限値はXXX,XXX,XXXです、それを超えたらこういう挙動になります、とか。
あとは「必殺技発動にはxっていう値を1000溜めると発動可能になります」みたいな仕様があった場合、後から
「やっぱり1000溜まる前にバトル終了しちゃうので500にしたいです」っていう事はよくある。あるある。
なので、仕様担当者とエンジニアは「どの値が可変で、どの値が不変で、どの値をプランナーで調整出来るようにするか」
みたいな事を綿密に練っておく必要がある。
UEのブループリントをプランナーがいじるケースも多いが、マスターデータ(エクセルなど)で管理出来た方が良いと俺は思う。
上記に挙げた各セクションのリーダーは随時エンジニアチームと協働していればどちらかがどちらかを憎んだりすることは減らせると思っている。
困るのは、そういった相談無しで「仕様これです、アセットこれです、あとは実装よろ!」みたいなのが開発後半になっていきなりやって来る事だ。
まあ、そんな極端な現場はないはず、、、と信じたいところだがどうだろう。
⚫︎QA(品質管理)セクション
→実は最終フェーズを担っているのはQAセクションである事を忘れてはならない。
QAは単にバグや不具合を発見するだけでなく、UXやゲームプレイ体験の改善案も提案してくる。
例えば「この仕様だとプレイヤーはこの理由で離脱するのでこう変えた方が良い」といった提案も出てくる。
それらを考えると、開発期間の1/6はQA期間に充てるのをお勧めする。
開発期間3年なら半年、1.5年なら3ヶ月は確保したい。
ここを疎かにすると全ての開発コストが無駄になる、と言っても過言ではない。
よくオンラインゲームで「緊急メンテです、資源回収します」的な事が発生するのはみんなも経験済みだと思うが、
そういうのは大体QAが甘い。
QAが甘いのは計画に問題があり、QA期間の大幅な短縮とかが絡んでいるとしか思えない。
QA期間が短縮されるのは、もうお分かりの通り、ここまでの開発が遅延したからだ。
さて、偉そうに書いてしまったが、正解は一つではない。
プロジェクトの数だけやり方はあるし、人の数だけやり方がある。
PMとしては計画の立て方とか進捗管理とかについて書くべきなのだろうが、その辺は要望があったら書くよ。
それに俺は、前職で無能無能散々言われてクビになった”元”PMなのであまり信用しない方が良い。
今は細々と個人開発やってる。上に書いたような事を1人で全部やってる感じかな。
・他セクションに最大限のリスペクトを忘れないこと
・同じセクションメンバーも一人一人違う人間だから、実力云々ではなくリスペクトし合うこと
・相手の言い分が気に入らなかったらそれは個人の「性格」や「人格」ではなく、双方の「アウトプットの内容」に問題があった、と考えること
つまりそのグラフィックデザインは失敗作になってしまったということだね
それを失敗と捉えるなら失敗であってる。
テナントのど真ん中に邪魔な柱が存在してしまったりすることが往々にあるようにグラフィックデザインでも同じようなことは起こるのよ
在宅でってなるとグラフィックデザインみたいな割と高めのスキルが求められる仕事しか思いつかないな
【ご報告】
2023年3月3日公開の『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』ポスターなどを制作させていただきました!
ドラえもんは子供の頃から大ファンだったのでお手伝いできて光栄でした!
今作も素晴らしい作品になっていますので、ぜひ劇場でご覧ください。#映画ドラえもん #のび太と空の理想郷 pic.twitter.com/ThkCDhU4hO— よー清水🐧画集発売中 (@you629) March 10, 2023
僕は福島県出身で、山形県の東北芸術工科大学のグラフィックデザイン学科を卒業後、ゲーム会社に就職し、フリーランスのイラストレーター、コンセプトアーティストとして活動しています。
代表作
・映画ドラえもん のび太と空の理想郷 キービジュアル、広告イラスト
・FinalFantasy7 Remake 設定画 背景デザイン
Q: 真実の情報の希少性が高まっている。数学を理解することが重要だという意見もありますが、なぜでしょうか?
数学は、情報の評価と伝達に厳密かつ客観的な方法を提供することができるため、しばしば真実を理解するための鍵と見なされる。数学では、厳密な論理法則と定義に基づいて、文が真か偽かが証明されるため、曖昧さや混乱、誤解の可能性が低くなる。また、数学の証明は独立に検証することができるため、複数の人が結果の妥当性を確認し、同じ結論に到達することができる。
情報が簡単に手に入るようになった現代では、真実と誤った情報を切り分けることがますます難しくなってきている。数理的手法を用いることで、何が真実で何が真実でないかという共通認識を確立し、情報の正確さを評価する根拠とすることができる。
しかし、注意しなければならないのは、数学は誤報の問題を解決する魔法のようなものではないということだ。他の分野と同様に、数学も人為的な誤りや偏見、操作の影響を受ける可能性があり、他のタイプの情報と同様に、数学的情報の評価には警戒心と危機感を持ち続けることが肝要である。
Q: では、数学的な情報のヒューマンエラー、バイアス、操作にはどのようなものがあるのですか?
数学的な情報には、ヒューマンエラー、バイアス、操作など、いくつか挙げられる。
数学的情報を評価する際には、このような誤り、偏り、操作の潜在的な原因を認識することが重要である。これは、数学的モデルの仮定、方法、結果を批判的に検討し、複数のソースから独立した検証を求めることによって行うことができる。さらに、基礎となるデータや方法を透明化し、オープンにすることで、より正確で信頼できる数学的情報の表現が促進される。
Q: AMSからよく本を買いますが、AMSは信頼できるのでしょうか?他に信頼できる出版社はありますか?
AMS(アメリカ数学会)は、数学および関連分野の質の高い研究を出版していることで知られる、評判の高い数学出版社である。その書籍やジャーナルは、数学者やその他の研究者に広く利用・引用されており、品質と厳密性の面で高い水準を維持しているという評判を得ている。
しかし、最終的には個々の著者の仕事に依存するため、どの出版社も、作成するすべての出版物の正確さと信頼性を保証することはできないことは知っておく必要がある。しかし、AMSのような出版社は、査読や編集の監視など、出版物の品質と妥当性を保証するための手順やプロセスを確立している。
その他、評判の高い数学出版社には、シュプリンガー、エルゼビア、ケンブリッジ大学出版などがある。これらの出版社も、出版する資料の品質と信頼性を確保するための手続きを確立しており、その書籍やジャーナルは数学界で広く利用され、尊敬を集めている。
特定の出版物を評価する際には、著者、出版社、ジャーナルや書籍のシリーズの評判、作品自体の性質や制作に使われた方法などの要素を見ることが有効である。さらに、査読済みの論文や専門家の意見など、独立した情報源を探すことで、提示された情報の信頼性と妥当性をより包括的かつ正確に理解することができる。
Q: 私は個人的に、人間の意思決定、すなわち、人間がいかに合理的に行動するかに興味があります。そのようなことを分析するために必要な数学の分野にはどのようなものがあるのでしょうか?
数学は人間の意思決定の研究に重要な役割を果たし、この現象を分析するために数学のいくつかの分野が使われている。重要な分野としては、以下のようなものがある。
これらは、人間の意思決定の研究に関連する数学の分野のほんの一部に過ぎない。使用する数学的ツールは、研究対象の特定の問題や分析対象の意思決定状況の種類によって異なる。
因果推論もまた、人間の意思決定の研究に一役買う数学の重要な分野なのである。因果関係の推論は、変数間の因果関係を決定するプロセスであり、介入や政策変更が特定の結果に及ぼす影響を研究するためによく使用される。
人間の意思決定という文脈では、経済成長、健康上の成果、政治的成果などの結果に対するさまざまな意思決定や行動の因果関係を理解するために、因果推論を用いることができる。これにより、研究者は、異なる意思決定の潜在的な結果を理解し、証拠に基づいてより多くの情報を得た上で意思決定を行うことができる。
観察研究、ランダム化比較試験、道具変数法などの手法がある。各手法にはそれぞれ長所と短所があり、どの方法を選択するかは、質問される特定の事柄と利用可能なデータの種類によって決まる。
線形回帰モデル、構造方程式モデル、ベイジアンネットワークなどの数理モデルは、変数間の関係を表し、データに基づいて予測を行うために、因果推論でよく使用されるものである。これらのモデルにより、研究者は因果関係の強さと方向を定量化し、介入や政策変更の効果について推論を行うことができる。
Q: 想像力を高めるために、量子力学を勉強した方がいいという話もあります。一方で、いろいろなことをやろうとすると時間が足りません。効率よく数学を勉強するコツはありますか?
数学の勉強は、確かに視野を広げ、想像力を高めることができ、効率的にアプローチする方法もたくさんある。ここでは、役に立つかもしれないいくつかのヒントを紹介する。
これらのヒントを参考にすることで、数学を勉強している間の時間と労力を最大限に活用し、より深く理解することができる。
Q: 数学の知識を使いたいのですが、一部の人は大学を卒業していないので、自分の能力を証明する形で数学を使うことはできません。社会的弱者が数学を武器に生き抜くとしたら、どのような方向性を提案しますか?
数学は、伝統的な大学の学位を持っていない人にとっても、個人的・職業的な成長のための貴重なツールとなりえる。
学歴に関係なく、人生やキャリアを向上させるために数学の知識を活用する方法はたくさんある。重要なのは、自分の数学的スキルを実用的かつ有意義な方法で応用する方法を見つけることである。また、データ分析やファイナンシャルプランニングなど、興味のある分野のオンラインコースを受講したり、資格を取得したりして、スキルをさらに伸ばし、雇用の可能性を高めることも検討できる。
Q: ギャンブルで勝つ、Youtuberになる、など、変わったキャリアを目指す人たちがいます。この人たちはどうやって数学を活かせるでしょうか?
数学の強い理解が役立つ型破りなキャリアはたくさんある。以下はその例。
この本読んだことないけど、ちょっとさすがに幅広過ぎて、これ読んだからグラフィックデザインのお約束が分かるタイプの本ではないと思う
ただ読んで損はなさそうなくらい面白そうだけどね
欧文書体―その背景と使い方
この小林章の三冊が入門編としてかなり読みやすくて勉強になる。
座学じゃない部分については課題を出されてデザインして講評されてって形で学んだから、独学での基礎構築をどうすればいいのかわからんすまん
ただゆるパクするときに、そのデザインがどうしてこうなってるのか考えながらやるのが大事だと思う。
あと普段街中の広告とか雑誌とか商品デザインを見ながら、それを分析するのめっちゃ大事。
色はどうだろう、ネットでカラーパレットとか調べてみたら使えそうな配色がいっぱい見つかるんじゃないかな
色彩構成は感覚もあるけど数学的なところもあるから、色を選ぶときにちゃんとCMYKの%を確認して、その色にどんな要素が含まれてるのかを脳に学習させた方がいい
何となく、東京五輪の開会式の、あのやり場のない恥ずかしさは、きっと実際の試合の感動で薄れると思っていた。
でも、それは希望だけであって、そう単純ではなかった。
むしろ、あの恥ずかしすぎる開会式の事が頭から離れなくなってしまっている。
今更だけど、あの語る事と言うか、批評さえも不毛で、虚しくなる、あの脱力感の正体って、一体何なんだろう。
心の中で、日本は世界の裏側だから、海外では見ている人が少なくありますように!とか、願っていたwww
あの虚無というか、ほとんどの誰もが感じていただろう「なかった事にしたい!」という感情は、●●●●を代表とする、現在の若手の東京のグラフィックデザインの現状とそっくりだ。
作っている本人や周辺のお仲間ちゃんだけが、絶好調に喜んでいる感じがする事や、仕事を依頼するスポンサーの意識の低さや、アホさ加減もそっくりだ。
恥を知らない自家中毒。
情けない。
さらにまるやその周辺の人間は、『あの開会式と自分が行っている事が、相似形である』ことを分かっちゃいないだろう。
羞恥心というものを持っていないのだろうし、自分達がキワモノであるとかも自覚していないのだ。
あぁ、嫌だ嫌だ。
本当に無かった事にしたいけど、グラフィックは、まだ現在進行形だから、本当に恥ずかしい。
(フランスの友人から耳にすると、やはりあの開会式は、最悪だったとの事。現在のアホな日本のグラフィック・デザインが目に触れないように、願う。)
いやぁ〜笑えない。。。
その汚い手で、俺の神聖なデザインに触れるな!って、正直に思う。
批判で終わればいいものを、実名出して「僕だったら、自殺しちゃうけどな。。。」だって。
「権力のある立場から死ねと言っている」自覚がないんだろうなあ。
いま、私たちは情報の多くを文字から受け取っています。メディアの中心が印刷物からスクリーンに変わってもなお、文字がコミュニケーションのひとつの要であることは変わりません。
「My MORISAWA PASSPORT わたしの“推し”フォント」では、さまざまなジャンルのデザイン、その第一線で活躍するデザイナーに、文字・フォントをデザインワークのなかでどのように位置づけ、どのような意図・考えで書体を選択しているのかをインタビュー。あわせて、「MORISAWA PASSPORT」“推し”フォントを紹介いただきます。
第1回は、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開する色部義昭さんにお話を伺いました。
画像1
色部義昭
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了後、株式会社日本デザインセンターに入社。2011年より色部デザイン研究所を主宰。
主な仕事にOsaka MetroのCI、国立公園ブランディング、市原湖畔美術館・須賀川市民交流センターtetteなどのVIとサイン計画から、パッケージ、展覧会デザインまで、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開。
目次
ブランディングやサイン計画を中心にデザインを手がける色部さん。
個性も違えば役割も異なる、多種多様な仕事のなかで、文字、書体はどういった働きをするものと捉えて取り組んでいるのでしょうか。 web
いま、私たちは情報の多くを文字から受け取っています。メディアの中心が印刷物からスクリーンに変わってもなお、文字がコミュニケーションのひとつの要であることは変わりません。
「My MORISAWA PASSPORT わたしの“推し”フォント」では、さまざまなジャンルのデザイン、その第一線で活躍するデザイナーに、文字・フォントをデザインワークのなかでどのように位置づけ、どのような意図・考えで書体を選択しているのかをインタビュー。あわせて、「MORISAWA PASSPORT」“推し”フォントを紹介いただきます。
第1回は、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開する色部義昭さんにお話を伺いました。
画像1
色部義昭
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了後、株式会社日本デザインセンターに入社。2011年より色部デザイン研究所を主宰。
主な仕事にOsaka MetroのCI、国立公園ブランディング、市原湖畔美術館・須賀川市民交流センターtetteなどのVIとサイン計画から、パッケージ、展覧会デザインまで、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開。
目次
ブランディングやサイン計画を中心にデザインを手がける色部さん。
個性も違えば役割も異なる、多種多様な仕事のなかで、文字、書体はどういった働きをするものと捉えて取り組んでいるのでしょうか。
「私は文字を素材と捉えて使っています。文字情報というのはあらゆるコミュニケーションに使われるものなので、あるブランドのための書体をひとつ選んだら、目に見える部分以外の情報も発信していくことができます。
たとえば、ブランドが人の身体だとしたら、書体は血液のようなもので、ブランドの隅々にまで意思やフィロソフィーといったものを循環させていくことができる。書体はそういった要素を担っている重要な素材だと思っています」
目に見える部分以外の情報も担う書体。それはつまり、ブランドやメッセージをより正確に、ふさわしいトーンで伝えるための役割を書体に持たせているということになります。
こうしたとき、色部さんはどのような視点、プロセスで書体を選んでいくのでしょうか。
「書体を選ぶときは、ロゴなどが決まっていればそれと同調する書体にするかコントラストのつく書体にするかで考えます。先に書体から考えていくような場合は、施設や部屋の名前といった大事なワードを候補になる書体で打って、イメージに近いトーンのものを比較していきます。
書体を選ぶ基準というのはプロジェクトごとに異なりますが、書体を選ぶことは自分のデザインのなかで楽しみな部分ではあります。クライアントやブランドにはそれぞれの個性がありますから、それを見極めて書体を選び抜くことが大切です。理想的にはプロジェクトごとに、毎回、違う書体を使いたいと思っています。
書体が決まった後は、それをターゲットのイメージに合わせて、どう組むか、レイアウトするか、アレンジするかを考えていきます。ただ、このときはタイプデザイナーによって作られた書体を自分なりにどう活かして使っていこうか、楽しんでいる部分もありますね」
“ブランドの血液”としての書体。多くのメディアにそのフィロソフィーを浸透させるためにはいま、フォントとしての文字は欠かせないものになっています。
「ロゴは点として存在するものですが、書体は線になり面を構成するものとなるものです。
MORISAWA PASSPORTとTypeSquareのように、デスクトップ用のフォントからWebフォントまで、共通のフォントが使えることで、サインからWebまで同じトーンで展開できるということは大事な要素だと思っています。
使いやすい書体をあらかじめ決めておくとか、いい書体、悪い書体という判断は自分のなかには持ってはいません。ブランディングではクライアントの個性やプロジェクトの性格に最適な素材であるかどうかが最も重要だと考えています」
本当に現在のパーソナルカラー診断が正しいならアートだろうがグラフィックデザインだろうがインダストリアルデザインだろうが「すべての色はブルーベースとイエローベースに大別できて…」ってところから始まっとるわな。
グラフィックデザインは100点満点中4点を目指して, 明後日を目処に完成しよう.
出たらおれが遊ぶ. 200円なら払う. 感想も400字くらいなら書く. がんばって.
逆もまたしかり。
「デザイン」とひとくくりにされがちだけど、
畑が全く違うのである。
佐藤ナオキ氏のサイトで作品を見てもらうと分かるように、プロダクト作品が10ページに渡っているのに対して、グラフィックは2ページだ。
その道のプロではないのだ。
パッケージデザインの作品もあるけれど、今回の件と同じく分かりにくいものが目につく。
佐藤ナオキ氏(というかnendo自体)はプロダクトデザインの人、という印象だったので、今回の件はちょっとびっくりした。
例が1つしか示せないのが申し訳ないけど(しかも何年も前のことを未だに言ってて二重にごめん)、セブンイレブンのクソ分かりにくいコーヒーのやつのデザインは、佐藤可士和氏。グラフィックデザイナーです。
あとなんかのブコメで「最終決定はクライアントなので氏を責めるべきではない」というのがあった。
これは一概にそうとは言えなくて、クライアントは言うてもデザインの素人なので、ようわからんが有名な人が良いというんだから良いんだろう、という判断をしてしまうことはある。
クライアントが船頭になって道を誤ってしまうことはよくあるが、今回のは違うと思う。
なんせ素晴らしいプロダクトをたくさん作ってる人なので、本来の土俵じゃないとこでこんな結果になってしまったのはなんとなく悲しい。
街中で度々、偶然に出会う青年がいる。彼とは行動する時間と場所がたまたま近いらしい。彼は僕がその昔飲食チェーン店で社員をやっていた頃アルバイトで来ていて、当時高校生だった。彼は性格の良い人物で笑顔も爽やかで人気があった。
僕は現在飲食チェーンは辞め、しがない中小の広告代理店でグラフィックデザインをしている。もともと接客は得意では無かったので現在の職は性に合っていると思うが、給料はかつての3分の2程になり、昇給も見込めないまま10年が過ぎた。
彼とは年に数度偶然出会う。僕はいつも気がつかないのだが、彼が声をかけてくれる。連絡先も一応交換したが連絡を交わしたことはない。また会うだろうと言う事で。
彼は会うたびに変化している。最初は就職したてだった。次には独立していた。次には彼女がいて、さらにその次には彼女と結婚して子供がいた。
昨日会った時には白髪が混じっていた。まだ30代なのだが、おそらくもう禿げないというサインだろうから羨ましいよ、と僕は薄くなり始めた頭を触りながら言った。
僕は婚活をしているが上手くいかない。カップルになって連絡先を交換するところまでは何度か行ったが、その後がどうしても続かないのだ。
色々人に言えない問題も抱えているだろうが、僕には彼は幸せそうに見える。自分には何もない。しかし、彼の事が羨ましいというよりは、自分がこんなに何も変化がなくて恥ずかしいという思いの方が強い。