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「事柄」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 事柄とは

2025-01-31

anond:20250131122400

昔は素直に書いてあることをそのまま受け入れちゃってたけど

ある程度年とってリアタイで知ってる事柄が増えると

アレ?そんなだったっけ?一面的過ぎない?思うことが増えるね

2025-01-27

anond:20250127022748

以下、通報内容。夜中に書いたから変な部分もあるかもしれない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

https://anond.hatelabo.jp/20250124234444 において、投稿者は駅係員を自称しながら、

優先席体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。」

「今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。」

という投稿をしています

しかし、本来電車や駅の非常停止ボタンとは、線路上に落下物がある場合などの緊急時にのみ押すことが許可されているものであり、他の利用客のマナー違反とがめるために利用するものではありません。そして、緊急停止ボタンを押すことで電車文字通り緊急停止する場合もあり、これによって鉄道会社大勢の利用客の迷惑となったり、経済的損失が発生することが予見されます。これは、はてな利用規約第6条2項d「迷惑行為」、あるいは、「正当な権利なく他者精神被害経済的被害を与える行為」にあたり、また公共性の高い事柄に関する虚偽の投稿でもあるため、公共性観点から当該記事の削除を希望します。

2025-01-24

広告記事

PC watchやらASCIIやらのページって

3ポートUSB充電器が\1500円引き

とか、○○〇(3桁)円を書いて、ぱっと見がうんと安く見えるようにするミスリード多いよな

実際は1万近くする(どう考えても高い商品)のただの宣伝なんだけど

貧乏脳のつらさで、買えそうな金額が書いてあるとつい見てしま

かばかしいと思いながら、広告打つ側もこのくらいの金額書いておけば貧乏は見るよなって

思ってるんだろうな

そう思われて広告打たれてるのが悔しいのと

買わないのに開いてみてしま自分が悔しいのと

広告ってなんて不毛仕事かと

広告で食ってるひとたちって

この世界不毛のものだな

何かの絶対者魔法

すべての広告と呼ばれる事柄世界から一掃されたら

すごく安心猜疑心とか虚栄とかの縛りに逢わない

良い世界になるんではないのかな

2025-01-23

中居正広引退してこれでフェミは満足なのか?

これじゃファン自殺するぞ

そして中居ファンの多くは女性

結果的フェミ女性自殺者を生むんだがそれで満足か?

当事者お金で手を打って解決済み事柄をほじくり返して何がしたかった?

ただ男叩きをしたかっただけだよな?

男叩きのためなら罪のない女性自殺してもいいのか?

本当にこの結末に満足してる?

2025-01-22

漫才】「ウィトゲンシュタイン言語ゲーム

※本漫才は全てdeepseekによって書かれたものです。

登場人物

ウィトゲンシュタインボケ):厳格な哲学者風だがどこかズレた言動

山田ツッコミ):普通の日本人青年

--------------

[舞台シンプル漫才スタジオウィトゲンシュタインスーツ姿で厳格な風貌山田カジュアル私服]

山田「えー今日はですね、20世紀最大の哲学者と言われるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインさんと漫才を!」

ウィトゲンシュタイン「(ドイツ語風のアクセント)我々の言語は蟻が砂糖を運ぶように表象を運搬するのだ」

山田「いきなりわけわかんないこと言い出した!普通に日本語でお願いしますよ」

ウィトゲンシュタイン「(突然普通日本語に)ああ失礼。今日言語限界について考察しながら笑いを生成しよう」

山田「生成って…普通に笑わせてくださいよ!」

ウィトゲンシュタイン「では問おう。このマイクスタンド存在するか?」

山田「ありますよ!見ればわかるじゃないですか」

ウィトゲンシュタイン「いや、君は『マイクスタンド』という言葉用法を暗黙裡に了解しているだけだ。もしこれが(ポケットからリンゴを取り出す)リンゴだったら?」

山田リンゴ食べ物でしょ」

ウィトゲンシュタイン「(リンゴを頭に乗せる)今この文脈では帽子だ」

山田「あっ帽子になった!?いや普通はそう見ないでしょ!」

ウィトゲンシュタイン「(真顔で)言語ゲームのルールが変わったのだ。ここで(突然山田の肩を叩く)『痛い!』と言うのは?」

山田「痛くないけど!?いやちょっとびっくりしただけです」

ウィトゲンシュタイン「ほら、言葉現実関係は常に流動的だ。君が『痛い』と言った瞬間、それは痛みになる」

山田哲学者のイジり方は痛みを伴いますね…」

ウィトゲンシュタイン「(突然床に寝転ぶ)今私は机になった」

山田「起きてください!机に見える要素ゼロですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(起き上がりながら)家族写真を見て『母さん』と言う時、その言葉は単なる記号ではない。生活形式全体が滲み出ている」

山田「急にまともなこと言い出した!でもそれどういう意味ですか?」

ウィトゲンシュタイン「例えば(山田スマホを取り上げる)この機械を『文明の利器』と呼ぶか『監視社会象徴』と呼ぶかで…」

山田「返してくださいよ!ただのLINEチェックです!」

ウィトゲンシュタイン「(スマホを耳に当てる)もしもしカントさんですか?ヘーゲルさんと飲み会了解です」

山田歴代哲学者飲み会してたらパリサイ派だらけで大変ですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(突然真剣な顔で)言語の魔術から逃れることはできない。例えば『愛』という言葉は…」

山田「ようやくまともな話題…?」

ウィトゲンシュタイン「(唐突に)コンビニおでんに『愛』はあるか?」

山田「あるわけないでしょ!具材が寂しいのしかないですよ!」

ウィトゲンシュタイン「では(ポケットから湯豆腐を取り出す)この豆腐には?」

山田「どこで温めたんですか!?しかポケットが濡れてますよ!」

ウィトゲンシュタイン言葉は使われることで初めて意味を獲得する。例えば(指をパチンと鳴らす)これが『愛の表現』だと定義したら?」

山田別にいいけど…(パチン)これで告白完了ですか?」

ウィトゲンシュタイン「(突然目を潤ませる)美しい言語ゲームだ…」

山田「泣いてる!?ちょっと扱いが難しいですねこの人…」

ウィトゲンシュタイン「(テーブルを叩く)論理的に考えよう!A=Aは真か?」

山田「当たり前ですよ」

ウィトゲンシュタイン「では(山田の顔を指さして)山田バカは?」

山田「それは成り立ちません!ていうか失礼です!」

ウィトゲンシュタイン「ほら、命題の真偽は文脈依存する」

山田「ひどい例えですよ!もっと良い例ないですか?」

ウィトゲンシュタイン「(コップの水を飲み干す)この行為を『渇きの解消』と呼ぶか『分子運動一時的均衡』と呼ぶか…」

山田普通は前者でしょ!日常生活分子運動とか言い出したら変人です」

ウィトゲンシュタイン「(突然叫ぶ)沈黙せねばならないところについては!」

山田「急に『論考』の最後の一文!?黙るべき時じゃないですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(落ち着きを取り戻して)私的言語可能性について考えよう。例えば(鼻歌を歌う)この旋律は…」

山田「『ドレミファソーラシド』ですよね」

ウィトゲンシュタイン「いや、私には『人生無意味』に聞こえる」

山田「暗い!ただの音階ですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(観客席を指さす)あの女性笑顔は『楽しい』の表現か、それとも『早く終われ』のサインか…」

山田「それは本人に聞かないと分かりませんよ!哲学者妄想ですか?」

ウィトゲンシュタイン「(突然手帳を取り出す)今日気づきコンビニレジ袋にヘーゲル止揚を見た」

山田「見えるわけないでしょう!ただのビニール袋です」

ウィトゲンシュタイン「(袋を頭にかぶる)今や私は現象学幽霊だ」

山田「脱いでください!窒息死したら哲学史が変わりますよ!」

ウィトゲンシュタイン「(深刻な顔で)死後の世界について…」

山田「ついに重いテーマに…!」

ウィトゲンシュタイン「(にやりと笑う)実は昨日、冷蔵庫ヨーグルトが…」

山田「まだ生きてるんですか!?哲学者って長生きですね!」

ウィトゲンシュタイン「(時計を見る)時間だ。最後重要なことを言おう」

山田はい、締めの挨拶ですね」

ウィトゲンシュタイン「(叫ぶ)世界は成立している事柄総体である!」

山田普通にありがとうございました』でいいんですよ!」

(二人で礼)

[暗転]

【幕間コント

ウィトゲンシュタインが観客席に降りて哲学問答)

客「先生人生意味は?」

ウィトゲンシュタイン「(コップの水を差し出す)この液体はH2Oか、温もりの象徴か、それとも…」

客「ただの水です」

ウィトゲンシュタイン「正解。問いそのもの無意味なのだ

山田「(引きずり上げながら)客を混乱させないでください!」

【最終コーナー】

ウィトゲンシュタイン最後命題漫才とは(ポーズ)」

山田「(期待の眼差し)」

ウィトゲンシュタイン言語ジャグリングである!」

山田「それじゃ客席が凍るでしょう!普通に『笑いの芸術』ですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(小さく笑う)ふふふ…これも一つの言語ゲームか」

山田「やっと笑った!と思ったら自分でツッコんでる!」

大団円。観客の拍手喝采

[幕]

anond:20250121235232

元々保守派用語で真っ当な批判も「悪しき文化」扱いするための言葉からニュートラルな目で見たら批判されて仕方ない事柄が多いわけだし、保守派思想に染まりはしないまま言葉を覚えた子からしたら、そりゃ問題なんて感じないんじゃないかな。

2025-01-21

お気持ちなんて金とか権力持っている奴が言うから力も持つし忖度もされる訳で、その辺の掃いて捨てるほどいるような凡人やキッズが言ったところで意味なくないか

例えばその辺の小僧とか女が「ムカつく」とか「キモい」とか言っててもだからどうしたとしかならないと思うんだ

見知らぬ幼児が「ビーマン嫌い」って言ってるのと同じくらいどうでもよくて興味のない事柄だろ

anond:20250121123413

相対エントロピーを用いて、個人間の有益性の認識の違いを説明することができます。相対エントロピーは、2つの確率分布の違いを測る尺度です[1][2]。この概念を人々の価値観有益性の認識適用すると、以下のように解釈できます

1. 確率分布類推: 各個人の「有益」と感じる事柄分布確率分布として考えます

2. 分布比較: 2人の個人間で、これらの「有益分布」を相対エントロピーを使って比較します。

3. 乖離定量化: 相対エントロピーの値が大きいほど、2人の価値観有益性の認識乖離が大きいことを示します[4]。

4. 客観的指標: この方法により、主観的な「乖離」を数学的に表現し、客観的評価することができます

まり、この返信は、個人間の価値観の違いを数学的に表現分析する方法として相対エントロピー提案しています。これにより、「乖離がある」という漠然とした感覚を、より精密に理解議論することができるという意味を含んでいます

Citations:

[1] ttps://note.com/hg_ishikawa/n/n4679dc35591f

[2] http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20160616KullbackLeibler/20160616KullbackLeibler-0.6.pdf

[3] https://russell-j.com/miurat/bbs-2004.htm

[4] https://whyitsso.net/math/statistics/relative_entropy.html

[5] https://www.momoyama-usagi.com/entry/info-entropy

[6] https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/index/78537/category_id:35718/limit:100?frame_id=437255

[7] https://logics-of-blue.com/information-theory-basic/

[8] https://developers.agirobots.com/jp/deep-learning-2020-kldiv/

[9] https://www.weblio.jp/content/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%BC

[10] https://ejje.weblio.jp/content/relative+entropy

議論方法揶揄する話は大抵自己言及的になる

フェミニストレス常套手段ガスライティング」とは何か?

https://note.com/beatangel/n/n7fa60a1c0d21

読めば分かるが、議論の場に特定定義を落としそれを前提とすることで

議論の勝ち負けと関係なく、定義の方を場に肯定させるみたいな話

ガスライティングを実現するための手法は多岐に渡るが

結果事象は同じであり

それは「他者表現投影してくる事柄を取り込み同化してしまう」というもの

ネットがなかった時代では、メディアを使う事でこれを行えた

流行などと称して取り入れる

皆がそれに同化しているのだから、輪に入るには自分同化するよりない

歌であればミリオンセラー

物であれば棚から消えてなくなる

当時のテレビが絶大な権力だったのは想像に難くない

TVを見てない事がいじめの原因足り得た時代


今ではその役割SNSが担っている

賛同者を集め、その声を一気に流すと、まるで正しさがあるかのように映る

ブコメスターや、棘のいいねだったりで、支持を可視化する

そうすることで場の空気を作り出せる

そうして、意見の正誤を錯覚させるのも、ガスライティング一種と言えるだろう

昨今、選挙でも活用されて話題になった



しかし、こうしたもの

もうすでにその言及自体他者表現自分の考えを投影しようとするものとなる

そりゃそうだ、現実事象にアレコレと理屈を塗りたくり、真実はいつも一つとやるのだから


あの記事にも、そういう仕込みがある

しかしながら同時にフェミニスト男性マッチョでない事を揶揄嘲笑する最初人間である

とかが典型だろう

マッチョイズムは普通に男の中に存在

どちらかと言えば男から嗤われる方が多い筈だ


この手の偏見投影はいろんなところで散見される

ネトウヨ ⇔ リベサ

ネトウヨ ⇔ ツイフェミ

キモオタや厄介勢、クズ鉄などは、全方位から攻撃を受ける対象となっている


件の記事は、初手にギミックを用意して

「分かりましたか?これから読む記事フラットに読めますね?」

とやって置きながら「フェミニストは~」とやらかしていて悪質だ

「ソレはソレ。コレはコレ」として

この話を男女問題と切り離して考えなければならない


左様に、この記事はとても自己言及的な記事である

2025-01-20

歳上彼氏って

歳下彼女のこと「こんな簡単な事で悩む意味がわからない」とか「こんな事も出来ないなんて無能だな」とか呆れたり幻滅したりしないものなのかな

7歳上の男性と付き合ってるけど、例えば仕事で上手くいかなくて真剣に悩んでる事を相談した時とかもそうだし、他にも仕事にせよ勉強にせよ私にとっては難しくて滅茶苦茶努力して取り組んでる事柄なんかもそうだけど、彼氏にとっては大抵既に通過した普通の事だから何で躓いているのかをいつも簡単に見抜いて的確にアドバイスをくれる

それが何回もあったから「この程度の事で躓くなんて」って良い加減呆れられてるんじゃないかと思って最近相談しづらい

出来が悪い自分100%非があるのは間違いないが

嫌われるぐらいならしんどくても自分で抱えた方がマシに思うけど、しんどい時ほど見抜かれるんだよな

そこも呆れられてそうで怖い

詰んでる

anond:20250120064853

なるほど。ストレス感じるとよく嫌な記憶フラッシュバックするのはそういうことだったのか。変な回路が接続されていたんだな。

会話してるとき自分では関連性のある話だと思った発言(あのときは同じ事柄について別のこといったじゃん、みたいな)でも、「それは今関係ないでしょ」ってよく言われると思っていたんだが、そういうことか。人は今のことだけを見て会話してるんだね

2025-01-19

釣りの中の真実

https://anond.hatelabo.jp/20250118142333

元増田言及した釣り増田では無いんだけど(自分は「これ釣りでした~」とネタバラシする様な露悪的且つ詰まらない真似はしない)

いわゆる釣りネタ増田に限らず時折投稿している。


とは言え、記事投稿の中身が全部釣り=嘘・ネタかと言われると、必ずしもそうでは無い。

何故なら殆ど場合家族や友人・知人、会社の同僚等から聞いた話をネタにしているから、所謂元ネタ」があるからだ。釣りと言われればそれまでなんだけど。


もちろん誰かから聞いた話をそのまま転載したらバレの可能性が高くなるし、細部はぼかしたり一部を変更したりしている。

知人から聞いた知人の友人(知人)のエピソードなど、そもそも細部が分からない事の方が多いので、文章化する時は背景等を勝手に想定して書いたりもする。

また大前提として、「人から聞いた話」が全て真実であるとも限らない。例えば「ひどい目に遭ったよ」という被害者視点での話と、もう一方の当事者では、見えているものが違うからだ。

案外当事者から話を聞けばどっちもどっちか、それお前の方が悪いだろ、という話も多々あると思う。(相手方視点を想定してネタを書く事もたまにある)

これを釣りと言われればそれまでなんだけど、少なくとも誰かしらが「真実」「本当の事」として体感したエピソードが、自分が書いてきた釣りネタの中には多分に含まれている。


また、複数人間の話を混ぜて一人の人間エピソードとしてネタにする事もある。例えばあるとんでも社員に関するエピーソードを、自分・同僚A・同僚Bが聞いた、された事を混ぜて書いたりした事もある。

これは「釣りネタ」なのか、それとも「本当の事」を多少フェイク入れて書いているだけなのか、自分でもわからなくなる事もある。釣りと言われればそれまでなんだけど。


元増田言及している釣り野郎記事はまあほ架空且つ詰まらないフィクションだし元増田が怒るのも分かるんだけども、いわゆる釣りネタにも様々な種類があり

その中には「釣り」でありつつも「真実」が含まれている話があるのも、また事実なのである



ちなみに増田運営evilである事には割と同意している。

釣りネタしている身ではあるものの、明確な誹謗中傷等は当然避けている程度の、最低限の常識倫理観はあるつもりなので

以前、明らかに酷い且つ個人特定した誹謗中傷や、特定可能個人情報を晒してる増田については何度も通報した事がある。

が、いずれもロクな対応はされなかった。


意訳すれば

過激な内容ではあるもの誹謗中傷とまでは言えないからセーフ」

個人特定して誹謗中傷してる訳じゃないからセーフ」

個人情報を投稿してたけどすぐ削除してたからセーフ、アカウント停止等の処置しませーん」

みたいな感じ。


裁判にしたら100%アウトであろう表現のどこがセーフ?とか、「◯◯(某有名人)の親族」のどこが個人特定してないんだとか、書き込んでも削除したらセーフとか疑問に思うし

その癖、某はてなでは有名な人の言動についてやや批判的な論調で書いたら速攻で「削除しないと垢BANするで」ってメール来てて削除せざるをえなかった。


あの低能先生事件を受けて尚、悪質な誹謗中傷特定個人ターゲットにする様な書き込みに対し、異常なまでに寛大な姿勢理解出来ないのだが

一部の人物・トピックについては異様なまでに迅速な処理をする辺り、運営低能先生みたいなユーザーに甘い、もしくは何らかのシンパシーを感じているが、特定事柄に関してのみ忖度しているのだろう。

運営の「中の人」の思想が見え隠れする程度には判断基準が謎過ぎるので、いっその事AIに処理を任せた方が平等だと思われる。

2025-01-18

ガチャピン中の人などいなかった

 子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たち真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。

 ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキースキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物動作しか言いようがなかった。

 確かに人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピン場合、頭の上から足の先まで完璧シンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである

 さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツスキースノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみ構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しか映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。

 その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。

 もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしかテレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムック存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。

 さら子ども向け番組世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組マスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。

 また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間声優存在するとしても、そのピッチトーンを常に一定に保つの至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。

 その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。

 以上のような理由から、私は「ガチャピン中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情からガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキージャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである

 では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間性質によるのだろう。未知や不思議ものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピン超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈はるか凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。

 私はむしろ大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子もの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコ笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルガチャピン”だったのだ。もし、あのころ私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界もっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。

 思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。

 だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピン中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジー証明であり、あの緑色恐竜いつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋気持ちは、決して間違っていなかったのだ。

 誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たち大人になるにつれ忘れかけた好奇心冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつ生命”——それがガチャピンなのである

 きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たち子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。

 そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピン中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。

 こうして振り返ってみると、ガチャピンテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピン勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たち自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界もっと広がるのだと教えられる。

 結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割ひとつではないだろうか。私たち想像余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピン中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。

 そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントステージで、そして私たち想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日自分を取り戻すためにも

2025-01-17

選択夫婦別姓制度になったら

「僕は家族の絆を感じるので同姓選びますねー」みたいなのは「別姓選択者が家族の絆を軽視してるという中傷である

という事になって公では言えなくなるのかな

なぜ同姓、別姓を選んだかはプライバシーという事で聞いてはいけない事柄となる。

たまに別姓のママをみつけると「あっ(察し)」みたいな事になる

大体さ、別姓なんて左翼活動家バサンみたいなのしかいないだろ。

そういう人が目立つだろうし、ネガティブキャンペーン効果凄いと思うよ

2025-01-14

景気至上主義者ってバカだろ

景気が良くなれば上の世代待遇も良くなると考えている人間ってバカなのか?

新卒至上主義なんだから、良くなるのは新卒だけでしょ。中途で入ろうにも新卒で入った会社次第で転職難易度が大きく変わるから非正規スタートだった底辺はどんなに景気が良くなろうが一生報われない。

そもそも景気なんて政府にどうこうできる問題ではなくそれこそ民間に委ねるべき種類の事柄

政府の役目は景気を良くする事ではなくて不景気でも耐えられるような仕組みを作ること。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4764771296615230816/comment/maturi

2025-01-07

anond:20250107214631

何度も書いてるやつ

 

⭐️恋愛少女マンガ)は年齢制限コンテンツです

ほっぺにチューもそれが性的意味合いを持つなら世界的に該当なの

わたしもう16歳なのに保守的な親がキスシーンで目を隠す』とか投稿されて

『車を運転出来る年なら問題ない。両親は隠すのではなくセックスについて話し合うべき』

とか投稿されたりするのが世界なの

 

倫理観が死んでる日本コンテンツ業界は『BL』と『少女マンガ』は良いエロとして平然と垂れ流してるけどな

しかエロは垂れ流すが意識高い親のみが性教育するだけで子ども性教育社会や成り行きにぶん投げ

あとパブリッシャーパワーでゴリ押ししてAppleレーティングをガン無視してるけど

海外じゃ17+でもそのままじゃ配信出来ない日本のAppたくさんあるぞ

 

というか、海外を例に出すまでもなく、まともなご家庭は、子供も発達状態に合わせて性教育しま

お前ら子どもが出来る過程をいつ知った?(https://anond.hatelabo.jp/20210630183036#)

>  小学校道徳精子が雌の体内に入って受精すると子どもが出来ると学んだ。じゃあ、どうやって体内に入るのか。疑問になって先生に聞いたが適当にはぐらかされた。なので俺はずっと> 精子というのは汗のように分泌されて、共同生活してると偶発的に雌の体内に入るのだと思った。

>  高学年のクリスマスに親から人体について解説した本をもらった。そこに子どもが出来る過程が描かれていた。勃起した男根女性器に挿入し前後することで受精すると、イラスト付きで解説されていた。

 

 

⭐️大人になったら、フィクションセックス現実セックス区別自然つくようになるという根拠のない無駄な期待は投げ捨てた方が良い

それを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである

親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな

 

残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、

Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。

彼らは、親から兄弟姉妹からも先輩や友人から先生牧師から自然セックス意識を学ぶことはできないとして、

様々な親向けの資料当事者向けの学習資料があるよ。

 

下記は、ORCという団体運営するアスペルガー向けの性学習きっかけのためのサイト

交際をはじめる前に伝えるべきこと、ときめき片想いをどうしたら良いかデート最中セックス最中にすべきこと・してはいけないこと、

セックスをいつするのかなどが説明され、簡易な学習理解テストも付いている。よろしければ参考にどうぞ。

性的露骨な素材とポルノ 

性的露骨な内容には、芸術的または教育的ではなく、エロティック(興奮)を目的としたセクシュアリティ説明または描写するものが含まれます

これには、ビデオ写真、または書かれた物語が含まれ場合があります

行為従事している実在人物が含まれ場合もあれば、性的要素を含む漫画アニメ場合もあります

性的露骨な内容は、ポルノと呼ばれることがよくあります

 

プライベート事柄プライベートに保つ(非公開にする)

多くの人は、ポルノ性的露骨な内容について非常に不快に感じます。それは物議を醸す私的活動であるため、多くの人が口にしないテーマです。

多くの人が性的露骨な素材を見たり使用したりしないことを選択していますが、現実には、自慰行為などを容易にするために利用する人もいます

あなた性的露骨な素材を使用することを選択した場合、そのような資料は非公開にする(プライベートに保つ)ことが重要です。

これは次のことを意味します:

 

 

注: 性的露骨な内容は一般的に非公開にする必要がありますが、不快な思いをした場合は、質問したり、サポートを求めたりすることができます

混乱したり不快になったりした場合は、信頼できる人(家族セラピストなど)と話すことはいつでも大丈夫です。

例:
自閉症スペクトラムの18歳のアダムは、自宅のバスルーム性的写真を見るのを楽しむことがあります。これは個人的ことなので(プライベートが保たれているので)大丈夫です。
ただし、アダムポルノ写真を背景画像として携帯電話に保存することがあります
アダム家族や彼の知人がこれらの写真を見たとき、彼らは恥ずかしくて不快に感じたそうです。

 

ポルノと実生活

行為がどのようなものか知りたいのは当然です。

一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます

ただし、ポルノ描写されているセックス自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。

例:
24歳の自閉症スペクトラムゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザ配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザ配達人になりたい」と答え、その理由ポルノビデオ描写を交えて説明しました。
リック最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているか何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。

  

ロマンチックまたは性的愛情の公開展示

ロマンチック愛情性的愛情を公に示すことは、それが予期されていなかった場合に、多くの人々を不快にさせます

たとえば、キスセックスではありませんが、他の人がキスするのを見ると、不快に感じる人もいます

これは、学校職場家族など、性的ではない状況から知っている誰かが、予期していなかったとき

ロマンチック方法で誰かにキスしたり触れたりするのを見た場合特に当てはまります

 

公共の場相手の頬にキスをするのは通常適切ですが、

メイクアウト」(いちゃつく)したり、連続して何度も相手キスしたりすると、見物人を不快にさせる可能性があります

同様に、頬にしかキスをしていなくても、二人がとても近くに座っていたり、どちらかが相手の膝の上に座っていたりすると、

それもまた周囲の人を不快にさせてしまうかもしれません。

例:
ダニエルと彼のガールフレンドのナオミは、ある夜、友達と夕食に行きました。
夕食時、ダニエルとナオミはとても近くに座って、頬と唇に何度もキスしました。
ダニエルとナオミの友達はこれを見てとても不快で恥ずかしい思いをしました。
彼らはその夜ダニエルとナオミと過ごす時間を楽しんでおらず、次に夕食に行くときに彼らを招待しませんでした。

 

OCRSEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:

https://researchautism.org/sex-ed-guide/

 

 

⭐️エロ問題社会に丸投げはやめてどうぞ

自分の子もの性教育社会に丸投げするのをやめましょう

社会に丸投げする前にそれぞれのご家庭でセックスについて話し合おう

このニュージーランドCMなんか良いと思うよ

 

(自宅で寛ぐ母親の元にポルノ女優男優が訪ねて来る。困惑する母親)


女優あなたの息子さんが色々なデバイスわたし達のことを観てるの」

女優わたし達のビデオ大人向けなんだけど、あなたの息子さんはまだ子どもでしょ?」

女優「息子さんは恋愛関係もまだわかっていないかも?」

女優わたしたち(ポルノの中では)性同意の話とかしないものね。いきなり始めちゃうから

男優「うん、ぼくは実生活じゃ絶対あんな真似はしないし」

女優「そう!」


  ガシャン!

  突然のポルノ俳優の来訪に気づいた少年は驚きのあまり皿を床に落とす


母親「(少年に振り返り) どうしたの?」

女優「はーい!マット」


   少年ノートPCを持ったまま固まる


母親「(落ち着いて、サンドラ) (どうしたらいいかわかっているでしょ)」


母親「(固まっている少年に向き直って)じゃあマットそろそろ話をしましょうか」

母親ネットで見るもの現実のお付き合いがどう違うか。良いとか悪いとかではなくて (“No Judgement”) 」


ナレーションニュージーランドでは多くの若者ポルノセックスを学んでいます

ナレーション:“リアル大事相談政府こちらのサイトまで



Keep It Real Online - Pornography

https://www.youtube.com/watch?v=6c3Edm8NdGs


Keep It Real Online: Home

https://www.keepitrealonline.govt.nz/


[BBC][日本解説] ポルノ俳優がいきなり自宅に?性教育についてNZ公共広告

https://www.bbc.com/japanese/video-53124515/


どんなにフィルタリングをしようが完全にエロから子どもを遠ざけることは不可能

であれば、子どもフィクションセックスに触れる前にちゃん現実セックスについて話あっておきましょう

anond:20250107171045

弁護士の代わりにAIが答えてくれる事柄も増えたとは思うが、

もやっとした質問に対しては、もやっとした回答や、思うような方向性ではない回答が返ってくるのは、生成AI弁護士も同じでは。

2025-01-06

親が陰謀論にハマらない対策

詐欺師って例え話をよく使うよね。

「〜は〜です。」

人間も同じなんですよ。」

比較できない事柄なのに、自分誘導したい結果に向けてもっともらしく語るイメージ

親が信じるからやめて本当に欲しいわ。

YouTubeトンデモ系健康チャンネル許すまじ。

対策として、ChatGPTアプリを親のスマホインストールした。

気になる事や引っかかることが発生したら、音声入力対話してもらう。

現在、良い感じに使いこなしてる。

親はフリック入力が苦手なんだけど、音声入力マッチしてる様子。

もちろんハルシネーションは発生するが、結果は誤差の範囲内と判断してる。

もはやGoogleYouTube検索結果の方が有害から

anond:20250106135210

所詮人間なんて主観の中でしか生きることができないし

価値もない事柄ストレス与えてくるような掃いて捨てるほどいるネット上の赤の他人なんて見えない方が幸せだし素敵だろ

2025-01-03

anond:20250103020443

男は性犯罪者扱いはよく見るけどハニトラだの托卵だの言ってるのって男女論の中でもごく一部な気がするが

無意識自分ダメージがない事柄を選んでるのかな?

「女はハニトラで稼ぐ!托卵する!」

「男は性犯罪者!もしくはその予備軍!」

anond:20250102234235

恋愛という個人的事柄においては、如何なる理由拒否しようが差別には当たらないよ

そんな事を言い出したら顔が好みかどうかで選ぶのも駄目になるだろ

勿論性別で選ぶのも駄目だな

人類乱交しろとでも?

2025-01-02

情報として価値があるのは、怒りも共感も感じない事柄

怒りや共感を感じるということは、事前に情報を持っているか

まり新しい情報ではない

変更困難な属性に対する差別は厳しめに見るべきという考え方はある

anond:20250101200024

それが曲解または誇大視されていったというのが実態では?

例えば、憲法上の平等原則に興味があれば聞いたことがあるであろうこの判例

一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である

最大判平20・6・4(国籍法違憲判決)

こうした理由付けは他の判例にも見られる。近年、憲法学会ではホットだった判例群ですね。

そして,法律婚という制度自体我が国に定着しているとしても,上記のような認識の変化に伴い,上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという,子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄理由としてその子不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。

最大決平25・9・4(非嫡出子相続分規定違憲訴訟)

これらは比較最近だが、昔からこういった考え方がなかったというわけではない。元々、日本憲法学は芦部信喜伊藤正己アメリカ憲法学を輸入して大きな影響を受けたのだが、その中で平等原則については「疑わしい分類」という判例理論が紹介された。アメリカらしく典型的には人種問題に使われた法理で、その理由付けとして属性の「不変性」が挙げられていたのである。そういうわけで、こういった属性は厳しめに見るという考え方はあった(と言っても例えば性別中間審査を使うとされたり複雑だが)。

ただし、該当すれば合憲判断を厳しく行うべきという話であって、それ以外はすべて合憲になるという話ではない

正直なところ、ネット主語でか)ではこういう一要素として考慮という話が抜けて即結論みたいになるのが存外多い。例を出せば、表現の自由についても、表現の自由問題か否かという入口部分で攻防が行われて、表現の自由問題なら違憲表現の自由問題でないなら合憲という議論になっているのも散見する。「性的表現価値が低いので表現の自由に入らない」も大概だと思うが、別件で逆の立場からも「商標権問題表現の自由マターではない」という意見が出ていたのを見た覚えがある。雑に言うが、どちらも主張としては、表現の自由問題だが、この制約は○○という理由許容範囲内みたいな感じになるのが筋だと思うよ。

あとは留意点として、憲法議論をそのまま私人間に持ち込んでよいかという疑義はある。「見ない自由」がネットボコボコに叩かれていたことがあったのだが、その用語自体は元々はわいせつ表現規制について刑法学説でも主張されてた論だったはず。しかも、公序良俗論を振り回す裁判所に対抗する表現の自由擁護という文脈で、である。ただ、それを私人間でそのまま援用しちゃうと歪んじゃうなって気はした。平等原則についても、裁判所私人間効力について間接適用を認めてはいるが、ほとんど間接適用されているとこをお見掛けしないので慎重になった方が良い部分ではある。

おみくじテストと一緒で、ある時点での指標を示すものに過ぎない。

それを見て自分がどのように努力するかが、今後の人生を切り開くために必要事柄である

結局、あまりにも短時間に慌ただしく仕事をしすぎているのが問題なんだと思う。

そうしないと経済的合理性が保てないからなんでしょうが

空港での事故の原因が人間勘違いによるものだったりする場合があるでしょ?

あいうのも人間認知能力の間違いを訂正するための時間的余裕がないことに起因してるんじゃ?とか思います

そういう重大事故だけじゃなくて普段から私達が身近に行っているタスクの全てに対して、

まりにも私達は人間能力以上のせっかちさで臨んでいるんだと思う。

私達に出来る以上のスピードタスクを実行する際に求めすぎている。

それは私達の寿命の短さに起因している部分と経済的合理性を保つ必要があるからだけど。

もっとひとつひとつ事柄に対してじっくりとした時間がかけれるのなら素晴らしいのに。

9連休かいう「奇跡(?)」でも起こらない限り時間の余裕は生まれないし、

その余裕がないと余裕がないことにすら気付けないという悲惨現実があるだけなのだけど。

日本も、経済的な豊かさは諦めて年に一度1ヶ月単位での長期休暇が取れるようになればいいのに。

そうすればもう少し私達がいかにせっかちに生きすぎているか見つめ直す機会が持てる。

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