はてなキーワード: ヤンママとは
うちの方はヤンママが多いやで
ちょっと前に読んだ女性向けの心理ホラーマンガ、駄作だったなと思い返す
自分の幼い娘の友達の女の子が子供を狙った犯罪で殺されてしまう
主人公は「一つ間違えば自分の娘だったかもしれない」「私はこの子さえ無事に育ってくれればそれで」と繰り返す
その町では母親達の見回り活動などが盛んで、子供たちにとって良い町にと積極的に声かけ見守り活動を行なっている
自分の子も他人の子も皆町の子として守っていこう そんなスローガンを掲げている
主人公も賛同し活動に加わるが、その母親たちのボランティアグループは度を超えた監視活動と犯罪スレスレの防犯対策を行っていた
最後に主人公は、見守り会に対して否定的なヤンママの娘を餌にしてロリコン男を逮捕させる…
でエンド
娘の友人が殺されたことで、自分の娘ももしかしたら、と考えた主人公
見守り活動に参画した初期の頃に、ヤンママの娘が一人でいることを危険だと声かけした主人公
そんな主人公が他人の娘が傷つくのを平気で囮にするのに違和感がモヤモヤ
町の子供として守っていこうという見守り会のスローガンと、それらしく振る舞ってた人たちが、
実際に起こった犯罪事件にあんなヤンママの子だから、とヒソヒソ
そんな組織体制に疑問も持たずに活動を続けるのも、なにか辻褄が合わない感じがする
身勝手で恐ろしい母親達の集団心理、みたいな怖さを狙ったストーリーなんだろうけど
いまいち繋がりが悪く読後感も悪かった
男同士でも下ネタって相手を選ぶがその中でも趣味性の高いものはなかなか切り出しにくいところがある。
妊婦の膨らんだお腹や黒ずんでくる乳首、がっしりとしてくる腰周りなどに興奮する。
どこかの知らない男とセックスして中出しされて妊娠しだんだって事実や生活感が出てくる服装なんかに興奮してるんだと思う。
特にNTRが好きなわけではないし母乳プレイや赤ちゃんプレイに興味もないし
顔が可愛いとか美人とかおっぱいが大きいとかそういう諸要素も性的な目で見るけれど、妊婦や母親に興奮してしまう。
芸能人がたまにマタニティフォトを公開してるけどあれも興奮しない。承認欲求と妊婦な私に酔っているようで嫌悪がたつ(もちろん妊娠が嬉しいことで記念に残したい気持ちはわかる)。
残念ながら実際にことに及んだことはない。当然といえば当然か。
機会があれば妊婦とやってみたいと思うがそんな機会は永遠に来ない方が妊婦にとっても幸せだろう。
結婚して妻が妊娠したら大きくなるお腹に興奮しながらセックスできるのだろうか。
つわりやらで大変だろうし性欲も減ると聞いたことがあるので、もしかしたら死ぬまでこの性欲は満たしてあげることはできないのかもしれない。
まずは第1位!『クチャ食い』
あー、分かった分かった!かみ合わせがーとか、慢性鼻炎のせいとか、口の筋肉とかあーあー、いいからそういうの!!
今は2020年だから!歯医者いって、耳鼻科いって、ガムでも噛んで筋肉鍛えてくれ!
そこまでするの?そこまでするほど不快なんです!退場!!もう用はないでーす!
いい加減にしろよ手前。
公共施設で「カタカタカタカタ」鳴らすゴミ・・・ヒト・・・クズのことでーす!!
お前が産まれてくるのは現世ではなくゴミ山なのでゴミに帰ってくださーい!
ただただ煩いでーす!!注意しても逆に切れる率、高・確・率!?(死んでね♪)
反省する気全くない猿は家から出てこないでくださーい!(自力で死んでね♪)
マジでお前の服は腐ってまーす!頼むから毎日洗ってしっかり乾燥させてくださーい!!
とにかく臭いとしか言いようがないでーす!足臭いやつは足のあいだを洗うのサボんな56すぞー!!
近距離で仁王ならともかく50センチ半径でも臭いのはガチで公害なので電車に乗らないでくださーい!
4位!回数は少ないがイラっと来る率隆『どっすん座り』
はーい疲れてるのは分かりまーす!でも物を書いてるのが分かるのにテーブルが振動するような勢いで座んなずれただろうが56すぞー!
もう1回いうけど56すぞー!はっはっは!!舐めとんのかー!
ソファでも電車の座席でもお前が勢いよく座った時の運動エネルギーは熱に変わって隣の席は揺れずに済むんですか?
違いまーす!揺れまーす!!揺れまーす!揺れまーす!最後に1つ、揺れまーーーす!!
馬鹿なお前は想像力が足りないので横の人たちがどう振動を受けるのか分かりませーん!
物理苦手なんですかー!可哀想でーす!想像力ないの可哀想でーす!!
激。不。愉。快。でーす!20代ならクソガキ卒業しましょうねー!
10代のクソガキ時代にピョン!って尻から勢い付けて座る夏休みの間隔のまま歳だけ食ったんですねー!
親のしつけレベルが低スぺだったんですねー!ヤンマママンコから産まれたんですねー!
ガキの可愛さ無くなって憎たらしいだけなのでキモいからガキプレイするのやめて大人になってくださーい!
邪・魔。
ただ、ただ、邪魔。
法律に違反しないギリギリで集団による物理的に他人に損害を与えられる最も有力な方法の1つ。
道はみんなのものって知らないの?60年生きてまだ分かんないなら産まれ直して小学校入り直せ。
横に広がるな。横に広がるな。横に広がらなくていい。横に広がるな。横に広がらなくていいっつってんだろ。
1列になれっつってるんじゃない。なぜ2列になれないか聞いてるんだ。
馬鹿は横陣しか教わらなかったのか、覚えられなかったのか。この戦、負けたな。
7位!『肘つき・犬食い・スマホ食い』
あのな。
例え牛丼屋でもさあ。
犬食い、すんなよ。
肘ついて食うなよ。
まさか肘ついて食うのが悪っぽい、とか思ってんの?
シャツを外にはみ出してるのを着こなし()で粋がってる高校生かお前は。まさか高校時代同じ事してました?アーイタタタ・・・
姿勢よく食う方が美しく男らしいに決まってんだろ。
頼むから男じゃなくて猿に改名してくださーい!猿は吉野家に入らないでくださーい!すきやは使わないんですきや行ってくださーい!!
スマホ見るのは百歩譲って、口の中の物のみ込み終わってるのにスマホ操作して一向に食べようとしない。
うっぜええええええ!1万円やるからどっか別の松屋にいけ!邪魔なんだよ存在が!!
飯屋は飯食って腹満たして出るところだろうが。お前スマホ見る分の席代はら円の?総額でたぶん10億円超えてるぞ。早く破産しろ。
まず何といっても、上皇陛下。あなたのおかげで、20余年間僕の誕生日は毎年休日でした。
再度祝日になるのは陛下がお隠れになってからというのが、なんとも複雑だ。どうか長生きしていただきたい。
次に、山崎まさよし兄貴。子どもの音楽的嗜好は、親が車内で流す曲によって決まる。
母はさして音楽に興味がなかったのに、なぜか兄貴のアルバム『ドミノ』が置いてあって、惰性のようにかけていた。
「僕はここにいる」なんかを聴くと、今でも胸がキュッと締まる。好きな子にCD貸したりしたなあ。
残念ながらまだライブに行けていない。いつまでもその甘く鋭い声を聴かせてください。
さらに、倉科カナさん。可愛い女優の尻を追っかけている僕にとって、最初のミューズになった人だ。
深夜に何となくテレビを点けたら、あるドラマが流れていた。甲斐性なしの片桐仁が営む喫茶店で、チャキチャキ働く女の子。
まぶしい笑顔と、はち切れんばかりにたわわなお胸。極太の眉毛もチャーミングだ。メロメロになった。ほぼ毎日ブログをチェックしていたっけ。
(「根津サンセットカフェ」という超短編ドラマ。熊本から上京したての頃の初々しい姿が収められている。蒲田のTSUTAYAでレンタル落ちのDVDが投げ売りされていたので確保した)
その後の演技派女優としての活躍ぶりはご存じの通り。特に「名前をなくした女神」での性悪ヤンママ役には目を瞠った。
最近は舞台に重心を置いているのか、映像作品が少なくなっているのでさみしい。お元気でしょうか。
本人はちょっと嫌かもしれないけど、深キョンみたいにグラビア復活してくれないかなあ。
そして、小島瑠璃子ちゃん。これは最近知った。ウィキペディアの「12月23日」のページで見つけた。
通常なら、ほーんと悦に浸る対象が増えて満足するところだが、今回は事情が異なる。
小島瑠璃子、1993年12月23日生まれ、26歳。僕と同じ生年月日だ。
この事実を知った僕は、ひどく落胆した。
片や、抜群のトーク力でバラエティ番組に引っ張りだこで、小麦色のムチムチボディで日本中の男子を虜にする26歳。
片や、東京で夢破れ都落ちし、地方都市の湿気た会社でのブルシットなジョブに消耗する浅黒い26歳。
僕たちは同じ日に生を受け、よーいドン‼でスタートした。それなのに、どうしてこうも差がついてしまったのだろうか。
それ以来、テレビや雑誌で彼女を見かけると、脊髄反射で溜息をつくようになってしまった。
こんな似ても似つかぬ二人だが、一つだけ共通点がある。中国語を勉強していることだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsFApxMqYWM&vl=ja
彼女は努力の人なのだと思う。多忙だろうに、1年間の勉強でこんな綺麗に発音できるのはすごいよ。(特に"湯"がちゃんと"-ang"になっているのが很好)
しかも始めた動機が「西安の料理がめちゃ旨かったから」で、将来の夢は「湖南省のテレビに出ること」っていうガチぶりがまたいいよね。
(営業目的で雨後のタケノコのように微信を開設するAV女優とは大違いだ。蛇足失礼)
もう勝手に落ち込むのはやめた!
小学校の頃に、時々デブで頭も悪く馬鹿にされていた同級生が椅子振り回してた事を思い出す。
デブの家はちょっと貧乏臭く、親は金髪でピアスのある人たちだった。デブに粘着して虐めていたのもまた、馬鹿なヤンママの息子みたいな奴らだった。
田舎の公立校は親の仕事でぼんやりとグループが分かれていて、医者教授公務員の子供の層と、地元出身の親の層は、住むところも交友も何となく違っていた。
だから下層の方の争いは、下層で起きることで、大抵皆無関心だったのだけど、デブが椅子を振り回す時だけは、我々にも被害が及んだ。
日時 平成30年○月○日
1時間目 ○年○組
2時間目 ○年○組
3時間目 ○年○組
4時間目 ○年○組
5時間目 ○年○組
授業者 (2行黒塗り)
(1)単元名 「自分の性行動を考える」
(2)単元の目標
男女参画社会基本法に示されているように、男女平等、男女の人権が尊重されることを目標とし、いろいろな生き方を理解し、視野を広げる。将来、特定のパートナーと付き合う際、互いに尊重し合い、対等な関係を築けるための科学的な知識を得、態度を養う。
(3)単元設定の理由
近年、若年層の性行動に伴う妊娠、人工妊娠中絶、性感染症の拡大などが社会問題となっている。全体の人工妊娠中絶の件数は減っているものの、10代の割合は高く、特に中学校を卒業すると急激に増えているのが現状である。10代のクラミジア感染率も極めて深刻な状況だといわれている。その背景には、若者の性行動を煽るような情報が氾濫する一方で、性に関する学習の不足から性交に伴う妊娠や性感染症に関する知識も自覚もないというのが大きな要因である。
中学生の段階では、性交経験率はさほど高くなく、多くの中学生にとって、避妊や中絶の問題が自分たちの問題であると実感することは難しい。しかし、本校の地域はヤンママといわれる10代の妊娠、出産の率が他区に比べ、非常に高く、まさに貧困と隣り合わせである。高校へ行ってもやめてしまう生徒が多い。「避妊・中絶」についてのアンケートを見ると、知識の乏しさが歴然としている。最後の砦となる中学校で卒業をひかえ、確実に大人に近づいていく生徒に性の安全を保障するための授業を行うことは大人として当然の義務である。
性的接触をした際、妊娠する可能性があるのは女性である。望まない妊娠をしないために、どのような行動が必要か、女性のからだを守るためには女性自身だけではなく、パートナーのからだと心を大切にできる行動が求められる。知識を得ることの大切さとともに、互いに助け合い、尊重し合う姿勢を育てる。
(6)本授業の具体的なねらい
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
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モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
.
という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
.
といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
.
というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
.
と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
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もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
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■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
.
俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
.
∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
.
∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
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なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
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うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
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ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
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ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
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うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
.
ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
.
うむ。ノーコメントなり。
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というわけで。
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■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
.
■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
.
神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
.
ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
.
ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
.
■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
.
■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
.
■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
.
石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
.
子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
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■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
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鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
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んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
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