はてなキーワード: 仲間意識とは
不倫を正当化していないと口では言っているけど、完全に正当化していると思うよ。
体の関係を持っただけで、信頼関係は薄い人間のことを大事な友達みたいに語っているのが完全にそれだよね。
大事な友達だから、不倫というよりも交友関係に近いって文面は正当化じゃなければなんなのだろうか。
共犯の仲間と一線を越えた後に深まる仲間意識みたいなやつを大事な友達とか言い始めるのは、認知が歪みまくっている証拠だと思う。
不倫が問題ってよりも、目的が一致しただけの仲間を大事な友達というほうが圧倒的に問題。
分かったうえで罪を背負うのならば、その罪で裁かれても言い訳しない人間であるべき。許しを請うことはしなくとも、その関係に期待するのは浅はかが過ぎる。
この関係性を男は通常どうおもっているの?とかじゃない、その質問がおかしいのに気づいて、性別故と考えるな。本間に認知を正すために病院行ったほうがいいと思うくらいだ。
その言葉を初めて見たとき、思わず目を疑った。「チー牛に人権はない」――ネットの掲示板に大きく貼りついたスレッドタイトル。挑発的で攻撃的な文言に、私は激しく嫌悪感を覚えた。投稿者は何を求めてこんな言葉を並べるのか。誹謗中傷なのか、ただの炎上商法なのか。それとも誰かに対する歪んだ復讐心があるのか。
そのスレッドには、いわゆる「チー牛」と揶揄される人々の画像が貼りつけられ、「こういうオタクっぽい奴らには人権なんていらないんだよ」といった書き込みが連なっていた。特定のファッション、髪型、メガネや細い体型――そんなステレオタイプを指差して笑い、それだけで「価値がない」と切り捨てる。誰かを非難することでしか自分を肯定できない人間が、ここにはたくさん集まっているように見えた。
私はそのスレッドを開く前から、少し胸騒ぎを覚えていた。なぜなら、私自身も昔から「チー牛」と言われるようなタイプだったからだ。部屋に引きこもりがちでゲームや漫画が大好き。容姿に気を配るのもあまり得意ではなく、クラスの派手なグループとはほとんど接点がなかった。だからこそ、この掲示板に書き込まれているような心ない言葉に心がえぐられるような思いがした。
しかも、投稿者たちは一様に「単なるジョーク」だと言い張る。言葉の暴力を軽々しく扱っているのだ。「チー牛は努力しないから悪い」「自分でカッコよくなろうとしないのがいけない」――そんな論調で一方的に断罪する。確かに、どんな見た目や趣味を持とうと、当人が幸せであれば他人が口を挟む筋合いはないはずなのに、それを叩くことで優越感を得る人たちがいるという事実に、私は言いようのない虚しさを感じた。
あるとき、同じ講義を受けている知人が、このスレッドについて面白そうに話していた。「チー牛って要はオタクっぽい見た目の奴らだろ? そんなやつらに人権なんかないって、ある意味真理じゃね?」と、半ば冗談交じりに言う。私が「それ、本気で言ってるわけじゃないよね?」と問い返しても、彼は本心を隠すかのように笑い、話をそらしてしまった。
私はあらためて思い知った。人は、自分とは異なるタイプの人間を見下し、コミュニティの外側に追いやることで仲間意識を高めることがある。そこに“いじり”や“からかい”の形で差別が忍び寄っても、当人たちは悪気を感じにくい。だからこそ、こんな言葉がネットで無邪気に飛び交ってしまうのだろう。
だが、「チー牛に人権はない」という言葉は、単に“冗談”で済ませられる問題ではない。誰かの存在や生き方そのものを否定する言葉は、確実に深い傷を与える。日頃から自分の外見や性格にコンプレックスを抱えている人ほど、その言葉に大きく心を痛める。ジョークやネタだと笑われても、言われた側は笑えない。ましてや、その揶揄を心のどこかで真に受けてしまい、自分に価値などないのではと追い詰められてしまうかもしれないのだ。
私にとっての救いは、同じ思いをした友人たちと出会えたことだった。大学のオタク系サークルで仲良くなったメンバーは、みんな漫画やアニメ、ゲームを愛し、自身の“チー牛っぽさ”をむしろ誇っていた。メガネ、地味な服装、インドアな趣味……それらを理由に誰かから嘲笑されるときもあったが、私たちは互いに励まし合って「そんなの気にしなくていい」と言い合っていた。そこで初めて、私は「自分が好きなものを大事にしたっていいんだ」と心から思えたのだ。
結局、ネット上で飛び交う「チー牛に人権はない」などという言葉を完全に消し去ることは難しい。世の中には、誰かを嘲笑うことでしか自分を保てない人がいるのも事実だ。けれど、それに屈してしまう必要はない。たとえどんな趣味や外見をしていても、誰もが自分なりの人生を生きる権利がある。自分の好きなものを語り合える仲間がいれば、その言葉こそが小さな灯火になって、どんな攻撃的な言葉にも打ち勝てるはずなのだ。
タイトルにあるような言葉を目にすると、胸が痛む。悲しみや怒りを感じる。でも、その気持ちを正面から認めつつ、自分が大切にしてきたものを、さらに誇りをもって抱きしめられる自分でありたい。何者であっても、何を好きであっても、私たちは自分の人生の主役なのだから。
だからこそ、私は声を大にして言いたい。「チー牛に人権はない」なんて言葉は、ただの差別であり、歪んだ思い込みでしかない。実際には、どんな人もそれぞれの人権を持つし、それぞれが生きる価値を持っている。ネット上で罵られても、それがすべてではない。誰かに“いらない存在”扱いされても、私たちは自分の居場所を見つけ、好きなものを共有し、共に笑い合って生きていくことができるのだ。
Googleのフィードのせいか、最近やたらと女性の性格や生き様についての記事を見かけるようになった
男よりも嘘つきだとか、男を嘘をついて書き込んでいるだとか、マッチングアプリがどうだとか。
女性というのは仲間意識が強く、また所属するグループを守るためなら嘘を嘘とも思わないらしい
真偽は知らんが、仲間意識が強いというのは体感上そうだと思うし、実際女性に聞いてみてもどうやらそうらしい
だからワークマン女子とか古いのだと森ガールとか、そうやって女性グループを括って評価することはビジネスとして正解だったんだなと思ったよ
んんwwww増田氏、Node.js界隈が孤独に感じるとは、拙者には理解しがたいことですぞ。確かに、Ruby/Railsのコミュニティは非常に結束しているイメージがありますが、Node.jsの開発者たちもまた、独自の活力と熱量を持っていると拙者は認識していますぞ。
Node.jsはJavaScriptの流れを受けており、そのため、よりダイナミックで多様なコミュニティがあります。それは自由であり、むしろオープンな環境です。Rubyと比べてNode.jsは常に進化し続け、多くの新しいアイデアやプロジェクトが生まれていますぞ。
もちろん、増田氏が「仲間意識」を求めるのであればチャンスがあるかどうか参加してみるのも手です。しかし拙者は、その「個」としての自由がNode.jsの魅力だと感じているのですぞ。集団幻想に囚われず、Node.jsの可能性を追求するのも一興かと思いますな。是非とも、多くのNode.jsコミュニティに参加し、多様な人々と触れ合ってみることをお勧めしますぞ!
Ruby/Rails界隈ってさ、俺たち仲間だよな助け合っていこうぜ!みたいな感じがあるよね
新人が勉強するにしてもRailsチュートリアルみたいなところあるし
あと基本的に腐る部分が少なくて、Railsはずっとこれみたいな老舗の安心感みたいなものがある
開発者に当事者意識あるのか、盛り上げていかなきゃみたいな自負があってコントリビューターになる人もいる
でもNode.js界隈は仲間みたいな意識はなくて、殺伐としている
トレンド追いかけて周りを出し抜いて、相手に「まだそれ使ってんだ、いまはこれだけど?」みたいなこと言いがち
Node.jsに愛があるわけでもなく文句を言い続けてDenoやBunとか、もっといいのねーかなって探し回ってる
フロントエンドもバックエンドも出入り自由で流行り廃りが続いて結局なにが正解?みたいな感じが続いてる
フロント部分ならRails使ってても同じ問題があったんだけど、Hotwire登場でDHHかっけーなぁってなった
DHH凄すぎる!
しかもみんなが同じことやるからノウハウたまりやすいしうらやましい
Node.js界隈はNode.jsをベースにはしてるけどみんなが別々のライブラリ使ってるから、「この解説は俺のケースには合わないなぁ」ってなりやすい
ひとりの開発者のためだっけ?なんかコンセプトがそうらしいじゃん
https://pr.forkwell.com/career_navi/dhh-rails-large-scale-development/
この人のすごいところは口だけじゃないんだよ
じっさいやるからすごいよな
omakubだっけそういうところもすごい
大学時代にバイト先の先輩から告白されて、それを断ったら毎日LINEを送ってくるようになって、終いには定期的に家まで来るようになった。バイト先の人たちはみんな優しくて好きな仕事だったから半年後にお店を閉めることが決まってたのもあってただ耐えた。
でも家がバレてていつ来るか分からないって結構精神的にしんどくて、どこにも安心できる場所がない。大学生でお金もなかったから簡単に引越しなんてできなかったし。毎日送られてくるLINEも「今家の前にいる」とか「どこで(私)を見た」とか来るから動向確認のためにもブロックできなかった。
そんなことがあって、まぁその前にもいろいろあったんだけどそれをきっかけにより男性が怖くなってしまって、大学を卒業して社会人になっても数年はできる限り男性と関わらないように生きた。けど、ある日ひょんなことから男性の友達ができた。
取引先ではないけど同業者で、ある会社関係の集まりで出会った。お互いあまり大人数が得意じゃないのもあって、テキトーに2.3人で集まって挨拶して、話して、解散しての繰り返しに疲れて隅で休んでいる時に、「こういうの、疲れちゃいますよね」なんて言ったのが最初の会話だったと思う。
その時は仕事の話がメインだったけど、少しだけ趣味の話もして、それで連絡先を交換した。
LINEでやりとりをはじめたら映画の話ですごく盛り上がって、今公開されている映画を後日2人で観に行くことになった。お互い1人で観に行くタイプで、感想はフィルマークスに吐き出すしかなかったから映画を観た後にその話ができるのが楽しくて、映画館のあとに行った飲食店ではひたすら話をした。
それからはお互いが好きなものを勧め合ったり、日常的に連絡を取り合いながらたまに会うような関係になって、お互いの趣味以外の個人的なことも話すようになって、真面目な話もバカみたいな話もできる友達になった。お互い今までの友達に話せないようなことでも話せて「1番の友達だわ笑」とか言って笑いあってた。
2.3年その関係が続いて、ある日その人の家でとあるシリーズ作品の一気観をすることになった。もしかしたら俳優か監督の縛りだったかもしれない。どちらにせよそういうことは前にも何度かしていたし、別にいつも通りのことだった。
何本か映画を観終わって、休憩を挟んでいたときに急に告白された。
タイミングが意味が分からなかったし、そもそも向こうにそんな意識があるなんて思いもしてなかったから驚いた。私にはそういう気持ちがなかったからすごく申し訳ないと思いつつ、この後どうすればいいんだろうと考えながら、このまま友達でいようと返事をした。
そこからは最悪だった。
とにかく目が怖かったし、力は強いし、知らない人に見えて、でもこれもこの人の一部なんだというのが受け入れられなかった。今ならまだ冗談で済ませられるって何故か私もへらへらしてしまったり、本当に気持ち悪い空間だったと思う。
終わった後に、私にこんなことをしておいてそれでも尚好きだと言ってくる心理が分からなくてただただ怖かった。
その日その後どうやって家を出たのかは覚えてないけど、後から懺悔のようなLINEが来て、もうこのまま会わない方がお互いのためだと思ったし連絡を返すことはなかった。それで終わり。
自分に非はあると思う。
これまで異性の友達を作ったことはなかったし、男性を避けていた期間があったせいで余計に適切な距離感が分かってなかった。これまでに好意を寄せてくれた人とも付き合ったことはなかったから交際経験もゼロだし。でもこの経験をこうやって出会いから書き出してみると、最後に付き合っていればよくあるハッピーエンド。私がフラグを折ったから脚本がバグった。
そんなことがあって、昔語り合った映画や勧められた映画、その当時自分が好きだった映画は色々思い出してしまうから観れなくなって、映画を観ることは趣味じゃなくなった。
でも数年経って、最近ふと映画が観たくなってそのままの勢いで映画館に足を運んだら本当に面白くて、それから時間を取り戻すようにサブスクに登録したりしてまた映画を観漁ってる。
映画を観るたびに当時のことを思い出してしまったりするんだけど、自分の中で消化できている部分とできていない部分がある。
あの日彼が私の気持ちを考えずにあんなことをしたことに対しては怒っているし悲しいけど、それまでは人として尊敬していたし、なにより一緒にいた時間は楽しかったし、でも私の中でどうしても人と付き合うっていうことに抵抗があって、もしそんな私じゃなければ相手もあの選択をしなかったかもしれないと思うと申し訳ない気持ちになったり。
自分が友だちだと思って信頼してきた人が、あんなことをした時点であの人は所詮そういう人だったんだと思いたくないのかもしれない。
趣味がきっかけで親友ができて、親友じゃなくなって、もしかしたら向こうは最初から友達だと思ってなかったのかもしれないけど、でもあの時本当に楽しかったことだけは事実だった。
◾️追記
自分がはっきり書かなかったせいで解釈の違いとかで変に対立させてしまったのが申し訳ないです。
告白を断った後に、向こうから一回だけさせてほしいって言われて断ったけどそのままされただけ。相手の力強さとかこうなってしまった悲しさとかで正直途中から諦めてたところもあるし、避妊具を付けずにされるのが1番怖かったから自分から伝えたし、"無理やり"っていう言い方は適さないかも。
コメントの方で書いたんだけど、相手も私と同じく恋愛が苦手って言ってたことを真に受けて勝手に仲間意識持ってたから裏切られた思いが強かったのと過去に色々あったせいで男性が苦手だって話をしてて経験もないって言ってたのにそこに踏み切ってきた失望があって少し被害者意識も強くなったんだと思う。
とにかく怖かったし悔しくて涙が止まらなかったんだけど向こうは私がはじめてだから痛いのかもしれないってやけに身体を気遣ってて、そんなこと思えるなら今すぐやめろよって思うのにやめる気はないし、その状況で勃つのが信じられなかったし軽蔑した。当時はそんな怒りでいっぱいだったんだけど、その怒りの熱も冷めて、時間を置いて今思い出したら楽しかった思い出もたくさん出てきてしまって心情がぐちゃぐちゃだったから書いた。
この出来事自体は2.3年前のことで、直後はまた男性不信になったりしたけど皆が皆性欲をぶつけてくるような人じゃないって少しずつ進んだり戻ったりしながら今は割と普通に接することができてると思う。割り切れたとも言えるかも。今でも付き合うとかは抵抗感があって相変わらず恋愛経験はゼロだし今後もないと思うけど。
男女間の友情なんて成立しないんだって怒って、でもそれって捻くれた考え方なのかもしれないなって思って。でもそれを確かめるためにまた異性の友人を作るほどの勇気はもうない。次に同じようなことがあったら私は今度こそ男性を信じられなくなってしまいそうだから。友人になったところで私相手だとその先で付き合えないし、セフレにもなれないから向こうとしても良くないと思うしね。
でも今後異性と関わる際はちゃんと距離感を意識します。私と相手のために。
※こういう話現実で話せないし、ただ書き散らした文章にせっかく意見貰ったので返信とかしながら改めて考えたりしてたんですが、勢いで書いて後悔してるのでもう返信はしません。ありがとうございました。
ターフの中のターフがうざい。
私はターフ呼ばわりされる立場(実際の思想は別)だが、GID(性同一性障害)の存在は認める立場。
脳が生まれつき女性で性別適合手術をしてるなら女性扱いでいいでしょう。
ターフの中のターフは脳に性別はないと騒いだりするし、ああうざい。
千田先生や滝本弁護士にも迷惑をかけ無礼を働くしで、うんざりである。
実際のところ、脳が女性で女らしいタイプなら下手に女らしさを否定する女性より仲間意識があるくらい。
私は女らしさを大切にする女性ですので。
詳しいことはこれを見てね。→ https://www.jschild.med-all.net/Contents/private/cx3child/2018/007704/002/0310-0318.pdf
はあ、疲れる、ただの愚痴です。
救いない増田を見て気になったので。
あくまでもn=1の女としての考えだけど、出会うために趣味コミュニティにいる男と、それが好きで趣味コミュニティにいる男は話したら分かるから、本当に好きだったり興味のあることがあるなら、それきっかけのイベント行くなりオンラインで繋がったりするのは全然いいと思う。同じ趣味の人と知り合うのは嬉しい。趣味の話よりも相手の事ばっかり聞いたり、SNSで同じ趣味コミュニティの女ばっかりフォローしてたりしたら警戒する。
例えば音楽が好きで音楽を聴きにと踊りにクラブに行ってたけど、人が気持ちよく踊ってるのに「どこから来たの」「誰と来たの」とか話しかけてくる男は邪魔だったけど、同じように楽しそうに踊ってて自然に「この曲すごくいいねー」と話しかけてくる人は仲間意識を感じるので話せる。
ナンパが絶対悪という話ではない。でもワンナイトを求めていない限りは、興味のあるコミュニティで自然に仲良くなるのがいいとは思う。
出会うために趣味を増やすという考えではなく、何歳でも新しいことに興味を持つのはいいことだと思うし、ちょっとでも気になる事があれば足を踏み入れてみてハマれば自分も楽しいし、結果的に人と出会う可能性も広がると思う。
自分も二次創作してる時は仲良い二次創作者いたけど、結局みんな縁が切れてしまったな
同じものが好きな人でも話題や価値観が合うとは限らないよね……
最近は二次創作の方は友達を作らずに孤独にやって、友達づくりは友達づくりアプリでアウトドア系の趣味を主軸にオタク趣味はROM専の顔してやってる。
二次創作で出会った人に性癖を開示すると閉鎖的な仲間意識が芽生えてどっぷりな関係性になるけど、どっぷりすぎて相手の嫌なところばかり目に付いてこちらが疲れてしまうから友情を長続きさせたいならライトな付き合いに留めたほうが持続可能性高いし、そうなると必然的に二次創作者であることをメインに押し出して友達を作る難易度は高いなって思う。まぁうまくやる人はそれでも上手に友達付き合いできるのかもしれないけども
トゲのまとめが日韓百合の絵や漫画を中心に押し出していた上に、「韓国女子×日本女子の百合漫画を所望するツイートによって流れが変わる」とか書いてるけど、ツイート時間見ればわかるようにきっかけはこれじゃなくて、日本女子が「韓国女子に好き会いたいって言われて恋した」って書いてるやつで、そこから引リツで次々に日本女子による「韓国女子はこんなに紳士的で優しくて可愛いって言ってくれる」エピソードが披露され、韓国女子が「そんなの当然、可愛い女の子は褒めるし守るもの」って反応する流れができた。
一番バズってよく引用されてたのは 「韓国の女の子とデートした時、私がミニスカ履いて行ったら自分のジャケット脱いで膝にかけてくれた、恋」というツイート。
バズった要因は韓国女子の日本女子への気障な甘さと、敵と見なしたもの(女の子に不細工という奴やナンパ野郎)へのキレッキレの悪口のギャップがおもしろかったのと、単純に女性陣みんなが「女の子って女の子にこんなに気を遣ってくれるんだ! やっぱり女の子が最高!」って感動したから。
絵や漫画はおまけみたいなもので、確かに素敵な絵を見て萌えはしたけどそれが本質ではないというか、下心なく大事にされるのって嬉しいよね、ストレートな愛情表現ときめくよね、褒めてくれる人を好きになるよね、という当たり前のことを噛みしめて、は~こんな人とつきあいたい……メロ……ってなってたんだよ。
だから外野が「可愛い女の子のいちゃつき絵いいよね」ってなるのはなんか違う気がする。
いや個々で萌えるのはいいんだけど、一連の流れをそう捉えてほしくないというか……あそこで発生したものは「女の子のいちゃつき」じゃなくてシスターフッドに近いものだった。
ていうかそもそもこの流れの源流に近いツイが「もう日韓の女同士で付き合うしかないよ普通に」→「これでいいと思う 女同士だから力の差もあんまなくてDVや妊娠出産関係の被害の可能性も低いし」なんだよ。根本にあるのが男性への警戒と失望で、そこに「韓国女子がほどけた靴紐を結んでくれて、結び終わったら『ok、お姫様』』って言われた」とかいうツイートが流れてくるんだよ。そりゃときめくわ。
男性って「性欲がなければ女に優しくする意味なんてない」みたいなこと言う人が一定数いて、こういう人たちはその理屈で「奢ったんだから」「優しくしたんだから」見返りを寄越すのが当然、って主張するんだけど、女は性欲なんかなくても女に優しくするし、奢るし、可愛いって言うし、楽しく過ごしてほしいと思うんだよね。
もちろん男性の中にも良識的な人はいて、女性の中にも陰険な人はいるけど、女性として生きてると危険度が高いのは圧倒的に男性なので、男性アイドルは好きでも生身の男性からは距離を取りたいし、素敵な女の子の隣で安心したいんだよ。
だから、『女の子がいちゃつく百合コンテンツ』というオタクが見知った簡単に消費できる形にされると、そうじゃないんだよな~って思っちゃうというか……なんにも文脈わかってないなコイツ……ってなる。
ていうか韓国女子の切れ味が凄すぎてちょっと笑っちゃう発言をほとんどまとめに入れてない時点で別物なんだよな。
「やはり男たちを海に落として韓国の女と日本の女が会える橋を作らなければならない」「〇ちゃんはダイエットなくてもいい!!!!あなたに不細工と言う人は全部私が殺す」「(悪質なナンパに対して)お前の将来は科学的去勢だ」」「ごみたちから私の女を守らなければならない」「日本はまだ暑いですよね? 私は私のかわいい子供が暑さで苦しむのを我慢できない。太陽を殺すぞ」
日本女子側は王子様を待ってるだけじゃねーかよというツッコミはごもっともで、日本女子側からも「でもうちら何もあげられるものがないな……」とか「親切にしてもらったらこっちもお返ししようね!」みたいなツイートは普通に出てたしバズってたよ。
それはそうとしてかっこいいお姉さんが甘やかしてくれる夢小説みたいなシチュ最高じゃない!?ってなる気持ちもある。
・かっこいいお姉さん×天然女子の百合に萌える(コンテンツエンジョイ勢)
・つきあいたいとか言うけど結局ノンケのごっこ遊びなんでしょ(レズビアン勢)
・コンテンツ化されると違うんだよな~日韓女子のやりとりだけでいい(交流勢)
・なんでも恋愛に結び付けないで欲しい、友情の愛が大きくてもいいじゃん(友情最高勢)
などなど、さまざまな層が入り乱れている。
人それぞれどんな感想を持つのかは自由なんだけど、まとめるときにコンテンツエンジョイ勢が自分たちが消費できる形に押し込めたのが嫌だったんだよね。
日本鬼子ちゃんとかVIPPERが801板に突撃したら掛け算されるみたいなノリがあんまり好きじゃなくて。
相手をコンテンツ化することによって「消費できる自分の方が上だぞ」ってマウントとろうとする人いるじゃん。
今回の流れのコンテンツ化は内から出てきたものだから最初は気にならなかったんだけど、そこを主眼としてまとめられて「女の子のいちゃつき萌えるよね」にされると、女子の連帯が無効化されるようで抵抗感がある。あれは「女の子といちゃつきたい」で始まった流れではない。
日韓女子バズとちょうど同じ時期に、日本のフェスで痴漢されたDJSODAさんが自分を題材にAV作られて嫌だったって表明してて、有名なフェミニストの人とかも明らかにモデルにしたAV作られてて、ちょっと近いものを感じてしまった。
まず、増田の主張には矛盾が多い。映画を見る前に「ポリコレへの反動で受けている」と聞いていたのに、最初はそれが十分ポリコレだと感じたと書いている。一貫性がない。
次に、物語の解釈に偏見がある。ライリーがコーチのノートを見た行為を「白人が有色人種のものを盗む」という視点でのみ見るのは偏りすぎている。映画全体のテーマや他のキャラクターの行動をもっとバランスよく評価すべきだ。
さらに、増田が強調する「白人至上主義的なメッセージ」を裏付ける具体的な証拠が不足している。あくまで主観的な解釈に頼っており、客観的なデータや裏付けがない。
登場人物の行動やキャラクター設定を単に「白人の特権」と決めつけるのは浅はかだ。キャラクターの発展や物語の文脈を無視し、自分の見たい部分だけを切り取っている。
加えて、他のキャラクターがライリーを「無条件に受け入れる」という点についても、友情や仲間意識を描いていると解釈することもできる。増田はその可能性を無視している。
最後に、映画全体の評価を単に「有色人種の扱い」で決めつけるのは視野が狭い。物語の全体像やテーマ、メッセージをもっと多角的に捉える必要がある。
「タフ」が絡むものへのコメントがタフ語録で埋まるのとか。中身がない、つまらない、本人達が楽しいとしても、楽しみとして下らなすぎると感じてしまう。ノイズでしかない。
淫夢とか、恒真教とか、モラルの問題も勿論のこと感情論としてああいう楽しみ方がしょうもなさすぎる。
「部分ツイート」とか。
RRRやマッドマックスの盛り上がり方とか。
同じ用語を放ち会うことで、仲間意識というのか、友好的なシグナルを送り合っているのだろう。鳥の囀り(tweet)や虫の鳴き声みたいなもので、なるほどツイ廃をやっていれば頻繁に見かけるわけである。サルが互いにノミ取りをしあうように、言語を持つ我々はああいう形でグルーミングをしているのだろう。