はてなキーワード: 迫真とは
死にたくなかった頃を思い出せないくらい長いこと死にたいと思っている。
まだ俺は20代で親もピンピンしているし、同世代の平均と比べてもかなり多めに教育費を使ってもらったし、病気やいじめがあるわけでもない今、急に自殺するのは親不孝にもほどがあると思うからとりあえず生きている。
あんまりにずっと死にたいと思っているものだから、自殺はずるい気がしてきているし。そういう理性的な判断でギリギリ死なないでいるのが俺の現状だ。
決定的な理由があるわけではない。ただ生活していると辛いことや苦しいことが多すぎるから早く開放されたい。死後の世界だって妄想にすぎないだろうとたかをくくっている。もしあったとして、それが現世よりも辛かったとしても、そんな不確定なことは今目の前にこびりついている辛さと天秤にかける次元にない。
昨晩、死にたい気持ちが束になって襲いかかってきた。これは月に2,3回の頻度で起こることで、ベッドの上で飛び跳ねるとか、部屋の中ででんぐり返しするとか、枕に顔をうずめて叫ぶとかしないではいられない衝動的なパニックだ。
俺はいつか自分の気が狂うと確信している。そもそも完璧主義者でプライドが恐ろしいほどに高いのに能力は低く怠惰で、しかも性格まで悪く、3秒前に見下した属性を自分が持ち合わせていることに気づいて発狂しかける。いつか必ず、ちょっと調子が悪いときに訪れた死にたさの衝動によって完全に気が狂うだろうと確信している。
気が狂うか、その前に死ぬかというところに立っている。
きっとこの文章もすでにある程度気が狂った空気を孕んでいて、人が読んだら読みにくさやキチガイの波動によって眉をひそめることもあると思う。俺はもともと文章には自信があった。賞をもらったこともあるし、周りから褒められることも多かった。だのに最近、気が狂うまでのスパンと程度が徐々に甚だしくなってきてから、まったく文章が書けなくなってしまった。どう書けば筋道立てて伝わるのかがもやがかっていてわからない。そんなふうに少しずつ死と狂気が近づいてきているのを感じるのだ。
昨晩の衝動はヤバくて、カッターで首を少しだけ切った。使いこんだ刃でもう鈍っていたし、本気で死ぬ覚悟があったわけでもないから、薄皮がぴぴぴと切れて血がちょっと滲んだだけだったが。そこに爪を立ててがりがりやった。死にたさに支配されながら、今もし死んだら部屋も整理されていない一人暮らしの人間が部屋で喉をかっきって死んでいて遺書も無いということになるから、警察も家族も何か面倒なことになりそうだと思いあたった。
こんなに衝動が年々強くなってきているのにも関わらず遺書すら無いのは由々しき問題だなと思って、とりあえず突発的に死んだときのために書いておくことにした。衝動が少し落ち着いてから書き始めたら、ろくな遺書が書けないことに気づいた。
なんの決定的な理由もないから、どう読んでみても俺の死んだ理由がわからない。「皆には些細なことが俺にはひどく辛いみたいで、ただ軟弱者なだけなんだけど、生きてみても改善も望めず、ずっとひたすらに苦しかった」という迫真の名文まで生み出された。俺の死にたい理由はこう書く以外に思いつかないのだが、家族としてはさすがに納得いかないだろう。満足いかないな、と思いながらとりあえず名前と日付を書いて、釈然としない気持ちになりながら寝落ちした。
俺は死にたい衝動と常に付き合っているが、理性の部分は必ず生きようとしている。本気で死にたいわけではないのに、本能で死にたがっている。だからせめてまともな遺書を残すというのは新しく見いだせた革新的な目標になる。こうやってギリギリのところで何か理由をつけて怖がって踏みとどまって、そうしているうちになんだかんだで長生きできたらたいへんめでたいことだ。自殺以外で死んだら、葬式というよりも皆勤賞の授賞式という形で儀式を行ってほしいものだ。
そうそうwwだいたいショック受けてる顔のアップか、やってやんよ的な気合入ってオーラ出てる顔のアップねw
単行本で一気読みするとそうでもないんだけど、連載で毎週おっかけてるとマジで展開の遅さにイライラするわ
週刊連載だから毎週無理にでも引きを作らないといけないのがマイナスに働いてる気がする
ブリーチに似てるんだよなあ
新技出す→なん・・・だと・・・→ピンチから実はこっちも用意してました的なのの繰り返しって感じ
胸を揉みしだいてる証拠写真でも撮られてる想定なの?胸を舐めてるのを何人かに目撃されて証言されてる想定なの?
原則としてはそうなんだけど、裁判官はバイアスに左右されやすい。
被害者側の証拠は被害者側の迫真の主張もしくは何人かの目撃証言があるので証拠として採用しやすく、加害者側はうそをついてるという前提で事実認定を行うので、証拠として採用されにくい。
司法書士って登記の専門家であって訴訟の専門家ではないやん、弁護士代理の原則があるでしょ
訴訟追行には、法律についての専門的知識が必要であるので、代理人となる者を専門的知識を有する弁護士に限定することが適正・迅速な審理に役立つんですよね?司法書士にはそこまでの専門性が予定されてないです
なんでVマジック
加害者が出廷しなければ9割9分勝てるで
そんな特殊ケースを勝てると表現するような法無知のカスがしゃしゃり出てくんな
出廷したら擬制されないけど?
原則としてはそうなんだけど、裁判官はバイアスに左右されやすい。
被害者側の証拠は被害者側の迫真の主張もしくは何人かの目撃証言があるので証拠として採用しやすく、加害者側はうそをついてるという前提で事実認定を行うので、証拠として採用されにくい。
という現実がある。
弁護士に依頼をしたときは「勝っても負けても払います」と調子のいいことを言ってるけど、負けた途端払わなくなる加害者が非常に多いからね。
ちなみにVマジックは司法書士試験向けのテキストで、リークエよりは頭に残りやすい。
ネットで民事訴訟法で検索しても民事訴訟法の内容1割もわかんないと思うけど何を想定してんの?大学の民事訴訟法講義を無料で見れる動画サイトとかあんの?
岡口基一先生がつべで説明してるし、司法試験・予備試験合格講座というチャンネルである程度は説明してる。
ぐぐれば講義丸々出してるところもあるにはある。
https://www.youtube.com/@user-qe6oi9gg6k
https://www.youtube.com/@user-ds6hm3rr9p
http://civilpro.sx3.jp/kurita/procedure/lecture/index.html
https://www.kobengoshi.com/minsohou/
加害者が出廷しなければ9割9分勝てるで
私には姉がいる。先に言っておくと、私は自他共に認めるシスコンだし、なんやかんやで姉も私のことが大好きだ。でないと私の頭皮の匂いを嗅ぐのが好きだと言って、バイト終わりの煙草臭にまみれた頭皮の臭いを嗅ぎ「うっ……でもこれもいい!」と再度嗅ぎ直すようなことはしないはずだ。(※私が知らないだけで重度の臭いもの好きだった場合を除く)
高校生くらいまでは実はそんなに仲が良くなかった。奇声を発して廊下や外を走り回る私と、真面目で優等生な姉。しかし私は歳をとるにつれて少しずつ常識を学び、姉はオモロい友人に囲まれてユーモアが身についた。それに伴い話が弾むようになり、今ではすっかり心を許し合い、ちょっかいを掛け合っている。
さて、姉は結婚と出産をきっかけに実家から離れたところに住んでいる。対する私も実家を出て一人暮らしだ。姉と過ごす時間はかなり減った。
私は結婚も出産もまだだから、もし話を合わせられなくなって、たまに会えた時も全然話さなくなったら辛いな、と心配していた。
が、お盆休みに姉・姪、そして私が実家に帰ると、そんなことは杞憂だったことがすぐに分かった。姪の面倒を見る合間にくだらない話をいっぱいした。ちょっかいをいっぱいかけた。私の心は完全に緩み、ついにかつてのような「思ったことをなんでも言い、したいことをすぐにする」モードを取り戻した。
ソファで二人で並んで座っている時、私は頭を綺羅星のように駆けていったワードを、そのまま口から飛び出させた。
「私、ウーパールーパーの"ルーパー"の方ね。お姉ちゃんは"ウーパー"」
言い忘れていたが、私は常にこのようなくだらないことを考えている。署名料って言葉トゥメイトゥに激似だなとか、大便ってBigBenっていうとすごく偉大に見えるなとか、そういうことを。
姉は目を合わせたきり無言だったが、ぽつりとしゃべった。「…ウーパー」
「ルーパー」私は返した。姉は大変順応が早い。もう一度姉が言う。「ウーパー」「ルーパー♪」今度はちょっと声を高くして返した。「ウーパー」まさかの3度目である。「ルゥペァア…」いやにいい発音で返してみた。
私はとっても満足していた。周りの友達ならこうはいくまい。ハ?と半笑いで言われるか、よくても1回このくだりをやって「なに〜?これ」と笑われて終わるだけである。それを我が姉は即座に3回繰り返した。やっぱ姉妹ってこういうことなんだよナ… ほんのりニヤけていると、姉が、突然苦しそうに顔を歪めた。
「ウッ………!」
胸を抑える姉。その瞳が私を捉えると、絞り出したようにこう続けた──「……パァ……」
私は打ち震えた。3度だ。姉はすでに、ウーパールーパーのくだりを3度繰り返しているのである。常人であれば、「なんかしらんがこれだけやれば満足だろ」と思う回数である。
だか、姉は私の姉であった。私の突拍子もない言葉についてくるどころか上を行った。3度の天丼の末、ボケを投げかけてきた。
姉はなんと素晴らしいのだ。こんなにも私に楽しいことを提供してくれる。私は喜びを噛み締めながら、そのボケに答えるべく息を吸った。「──ルパァァーーーー!!!」
イメージとしては、撃たれてしまったウーパーに対し事実を受け止めきれずに叫んでしまうルーパーである。姉の渾身のボケに応えるべく、迫真の演技で叫んだ。
叫び終わると二人してゲラゲラ笑い、大声にびっくりした姪が「なにしてるの〜?」と寄ってきた。くだらないし伝えたとしても「だから何?」としか思わないような話なので、なんでもないよと誤魔化した。
だが、私はこれがとても楽しかった。同時に、意味のわからないルールに鋭くボケを打ち込んでくる姉に深い敬意を抱いた。どうか姉の素晴らしさを、他の人に少しでも知ってほしい……。そんな想いを込めて、本記事を書かせていただいた。うちのお姉ちゃん、おもれ〜ぞ!
面白かった。
温泉シャークは令和の『シン・ゴジラ』であると言っても過言でないくらいに面白かった。個人的には『シン・ゴジラ』よりも好きだ。怪物の襲来による人類社会の危機とその脅威の打破という点では『シン・ゴジラ』と同様だが、『温泉シャーク』はそれに加えてギャグ要素を併せ持つし、ストーリー展開も負けてはいない。『温泉シャーク』のストーリーは、往年のジャンプ漫画のインフレバトルを彷彿させる展開となっており、心地よい高揚感をもたらしてくれた。
この『温泉シャーク』の面白さは、「温泉」と「サメ」の組み合わせの妙だろう。
作中の舞台は熱海をモデルとした暑海市という架空の観光地であり、それゆえにサメの被害が深刻化しても観光を優先して配信者を集めてしまうのだ。YouTuber的なあるいはインスタグラマー的な配信者は配信画面や演出などにリアリティがあり、彼ら彼女らの振る舞いの傍若無人さが表現されている。それゆえに配信者がサメの被害になっても悲壮感は一切なく、ギャグとして存分に楽しむことができるのだ。そうした配信者たちが迫真の演技で命を落としていくのとサメのチープなCGの対比が「シリアスな笑い」を産むさまは、まさしくサメ映画の醍醐味だろう。
サメの被害は増す一方で人類側もサメに対抗すべく武力を集結していくことになるが、戦闘機やら兵器やらの特撮のチープっぷりも味があってよい。そして、サメとの間でなにやら因縁がありそうな謎のマッチョが活躍していくが、このマッチョの存在がいい。マッチョがサメとの対決におけるキーパーソンとなって、ストーリー展開のインフレ感を加速していくことになる。しかしながら、その具体的な戦い方をここで述べるのはネタバレになるのでやめておこう。それでも、とにかく面白かったとだけは伝えておく。その面白さのままにストーリーはエンディングへと向かっていくのだ。
同時に上映していた『もしも徳川家康が総理大臣になったら』とどちらを観ようか迷ったが、『温泉シャーク』を選んだことに後悔はない。
もう10年になるので垂れ流し。
サークラ寸前まで持ってった問題児の対応やってたら〇されかけて警察駆け込んだら退学ちらつかされて病んだ
裁判で勝ったけど逆恨みに嫌がらせされまくってメンヘラ街道まっしぐらになった
大学2年の時創作サークルにいたけど、同期でよくサークル除名にならんなってぐらいヤバい奴がいた(Aとする)
Aの悪行は正直ぶっ飛んでて書ききれないが
・寮の器物破損
最早退学でもいいレベルなのに謎の力で学生課がナイト君ばりにちょっかい出してきて辞めさせられない呪いの装備化してた。
次何かやったら退部させるからなって言ってた矢先に暴言ぶっ放してスリーアウトに。
Aを守る聖騎士学生課くんが無罪を言い張ったが器物破損以外の証拠全部出して無期限謹慎に。残念でもないし当然。
しかし1週間もしないうちに「辛いです…創作が好きだから」とか抜かしてきたんで流石に審査してから判断する流れに。
そこで何を思ったか自分は立候補してしまい火中の栗を拾う係に無事任命される。
まず被害の洗い出しをしたら余罪がメントスコーラレベルで出てきて肝が冷えた。
この時点で嫌な予感がしてたので助っ人を召喚。直接の交渉を担当してもらった。
並行して再発防止案を提出するようにAに伝えてかなり真っ当なものが出てきたが受け取り翌日に比較的交流があった部員にメール。
「自分は綺麗な子とお話がしたかっただけ、気を引くようなカッコしてる方が悪い」
助っ人からも反省の色なしという返答をもらい、会議の結果退部勧告を出すことに。
密室は危ないということで人の多い場所に逃げ込めるオープンエリアで伝えることに。が、助っ人は急用でいけなくなってしまい、急遽1対1に。
メールのコピーと退部勧告の書類をお渡ししたところ突然Aが自分はお前より年上だ、尊敬が足りないとか言われて「?」となる
もう早く離れたかったので「異議申し立てがあるなら助っ人さんに伝えてくれ」と退席しようとしたらAが発狂。
どこから持ち出した刃物で「〇してやる!!」って追いかけられ命の危険を感じ、事情を知った人たちの協力で近くの施設に逃げ込む。
ところが空いてた勝手口からAが侵入、あわや数センチというところで近くの人数名がAを拘束。
職員さんが保護してくれて父に連絡。あと数秒遅れていたらという恐怖と混乱で涙ちぴちぴちゃぱちゃぱ
父到着。改めて加害者の話が聞きたいと言ったらAはもう帰らせたと聞かされる。絶句。
理由を聞くとAが大泣きしながら「退部なんてああああんまりだあああああ」とか言ってて本人は悪くない!と判断したから。は?(激怒)
父ゆき「なんだろう、カッとなったからって刃物持って追いかけて回す理由にはならないですよね?」
出るとこ出ようということで110番押そうとしたら学生課くんが2週間謹慎させるから!と迫真のナイトっぷりを披露。仕方ないので破ったらサツで。で解散
なんと3日で破った。サークル行こうとしたらしい。こんな三日坊主ある?
約束の地、警察署へ。6時間ぐらい拘束される。疲れてへとへとなところに学生課からサツに垂れ込んだな!じゃあホラホラ来いよオラァ!TELされる。
行くとAは要配慮の学生だったのに!未来をつぶすようなこと容認できない、ほかの所にでもいけと実質退学ちらつかされ連日の疲れで自分が悪いんだと自責スパイラルに。
警察の聞き取り、実況見分、供述・・・に就活が重なり完全に精神崩壊。無事ゴミカスチー牛デブメンヘラが出来上がってしまう。
Aは警察にすらすっとぼけを繰り返し裁判へ。今度は検察からのラブコールで時計仕掛けのオレンジ状態に。判決は有罪だったのだけが救い。(←フェイク入れる原因)
当然Aのやったことは許されないが、自分も相当にやらかしてる。
ハイリスクな人物なのを事前に知っていた上に助っ人が来れないという状況だったにも関わらず自分はその場でリスケジューリングしなかったんだと強く反省している。
少なくとも、これができていたなら後に続く全てを多少なりとも回避できただろう。
日程をずらせなかったのなら、信頼できる人間を数名、同席させるだけでも状況は変わっただろう。
命の危険が差し迫っていた、事前に想定していたとはいえAが怒りから別のものに矛先を向ける可能性も十分にあった。そうなればこれ以上の惨劇を引き起こしていただろう。
人間は、わかっていても刃物を目の前にしてとっさに動けない。恐怖で足がすくむ。数センチまで差し迫った時も誰かの「右に!」という叫びがなければ無事では済まされなかった。そういう勇気ある人たちの命を危険に晒した、その点において自分の行動は何ら擁護できない。
Aが取り押さえられた時点で110番でよかったのだ。Aのやったことは十分犯罪だったことは後の裁判で証明されている。
明らかに大学側の対応はAに肩入れしていたのだから、大学主体での問題解決ははなから期待できなかった。
どんな場所であれ、刃物をもって暴れること自体がすでに危険なのだ。毅然とした対応をとれなかった時点で付け入る隙を与えてしまった。
Aは裁判の後も何も知らない後輩たちに自分のせいで退学にされそうになったとあちらこちらで吹き込んでいた。結局、最後まで罪を認めることはなかった。
正直Aのことはもうどうでもいいと思っているし、今後関わらないならそれでいい。
自分はいまでも立ち直れてない。しばらく喋ること自体が怖くなって声を失ったこともある。
それでもあの時取り押さえるために奮闘してくれた人たちや退学の話を聞いてすぐに撤回するように掛け合ってくれた教授のおかげで何とか学位はもらうことができた。
(言っとくとオープンレターはうさんくせーと思ったから署名してないんでオープンレター勢の責任を擦り付けないでね。「オープンレターで◯◯って言ってたろ!」とか言われても困るからね)
こういう事案に関しては,2つの矛盾する立ち位置があるように思う。
こんなん,別に大学関係者じゃなくたってちょっと考えれば矛盾してるってわかるんだけど,草津の件が起きるまでみんな本気で冤罪の可能性を考えてこなかったんだね……とビビってる。
阿部幸大さんの「クロだった場合でも現時点でのリンチが遡及的に正当化されるわけではない」という発言は,文脈抜きでそこだけ読めばめちゃくちゃ正論なんだけど,そうすると「告発をみんなで支援しよう」みたいな運動は基本的に慎むべきという話になるし,私はそれでいいと思ってたし思ってるんでまあ別にいいんだけど,皆さんはそういう立ち位置でいいんでしたっけ? って言いたくなる人が一定数いるんだよな。
で,まあ,積極的義務と消極的義務とを照らし合わせて考えたときに,「告発を見捨てる」は積極的義務の不履行(他人を助けない)に過ぎないけど,「無実の者をネットリンチする」は消極的義務に背いている(他人を害する)わけだから,まあ個人としては現行犯とか自分も見たことありますとか告発者が教え子なので立場上味方をしてあげないととかそういう場合じゃない限りは見捨てる側に全振りしといたほうがいいんじゃないのと思ってます。他人を助けないことより無実の他人を害する方が悪いでしょJK。
でも皆さんってこれまでそういうご主張でしたっけ? それはそう。さすがにオープンレターに署名とか草津町長をバッシングとかしてきた人たちに関しては,今回の小山(狂)の告発に乗っからないのは首尾一貫性が取れてなさすぎるから「恥を知れ」という感じ(もちろん,「草津の件で反省したので今後はああいう告発に乗っからないようにします」と反省している場合は,草津の件で反省した結果として今回の告発に乗っかっていないということなので,まったく問題ない。無法なネットリンチの過去を反省できてえらい!)。
逆に,草津の件で事実確定前のバッシングに反対してた人たちは,今回の告発も事実が明らかになるまで静観すべきだと思う。これだけバッシングしておいて,実は神山翼さんは無実でした,みたいな話になったらどうすんの? 草津と同じパターンよ。そういうネットリンチは良くないっていうのが草津の教訓じゃなかったの?
(草津は胡散臭い告発だったが,今回の告発には迫真性があって真実っぽそうだから支持,というのは危ういと思うよ。町長をレイプ犯呼ばわりしたメディアは草津の嘘つき町議の主張にリアリティを感じて報道したわけだし,自己判断で真実だろう運転をするのは良くない。インターネッツ教習所で免許取り直そう。沈黙は金だよ)
被告発者のリアル友人が,「あいつはそんなやつじゃない!」って弁護すること自体はいいんじゃないかなーって思うけど,どうだろう。仲の良い友達が悪いことしたって訴えられてたら,「あいつはいいやつなんだ」」って言いたくなるのは人情じゃない? もちろん,告発者を嘘つき呼ばわりしたらそれは積極的な加害になっちゃうけど,「私は彼/彼女の無実を信じる」と発信すること自体は,直接的な加害にはなってないわけだから別にいいのでは。
え? フェミニストの皆様はそういう弁護をセカンドレイプと呼んで非難してきた? ああ,そういう過去の発言があると大変っすよねえ。
そういった過去の発言との齟齬が,多くの人の憤激を買っている面があるというのを,いい加減一部のアカデミアの人は認識すべきだと思うんだよな。一部のアカデミアっていうか,フェミニズム研究者だよ。「女性は悪事を告発する側」っていう前提で色んなものごとへの対応基準を設定していってまわった結果,悪女の存在とか嘘つき女性の出現とかで自縄自縛になって苦しんでるようにしか見えない。
(とある有名人の性犯罪疑惑について「もちろん彼が無実の可能性もあるので,現段階では軽々しいことは言えないが」というエクスキューズをつけただけでセカンドレイプだというご指摘をいただいたこともあるぞ。ちょっとでも冤罪について考えたことがあればこんなアホな発言はできんだろ。どうも女性論客は弁護士とかを除くと冤罪への危機感が薄い傾向にあるように思う。大崎事件とか東住吉事件とか湖東病院事件とか徳島ラジオ商殺し事件とか,女性が人殺しの濡れ衣を着せられた事件だっていくつもあるんだが……)
とにかく,「女性の感情」を判断基準や行動基準にするのをやめろ。公平性とかそういうのをもっと大事にしろ。女だろうが男だろうが当てはまる原理原則を設定しろ。簡単なことなんだから。
これはマジ。「twitterはインテリのパチンコ」って10年以上前から言われてるから。
SNSで身を持ち崩すアカデミシャンはマジでパチンカスと何も変わらん。SNSとの適度な距離は才能が要るやつなので,才能がないやつはSNSやめたほうがいい(SNSの才能がないことは何も悪いことじゃないから恥じなくていい。むしろパチ中になって評判落としたり論文落としたりすることを恐れるべき)。
YouTubeで外人が無断転載したワンピースのアニメ見たけど酷いな。
顔のアップ、瞳孔のアップ、カメラがズームするたびにグニャグニャする、キルラキルみたいな謎のキラキラなどなど、作画が気持ち悪過ぎる。
俯瞰のシーンは1秒くらいで切り替わって、ほとんど顔のアップばかりで何やってんのかわからん。内容を伝えようとする意思を全く感じない。
とにかく顔アップを多用して迫真のシーンに見せるのと無駄なエフェクトでゴチャゴチャさせて神作画と言われたがってるように感じる。
原作は逆に俯瞰でゴチャゴチャしすぎて訳分からんし、アニメは顔のアップばかりで訳分からん。
いやぁ、無断転載で見て良かった。こんなもんを何かしら金払って見てたら後悔してたわ
作品の性質上具体的にタイトルは上げないが、このミステリーが凄い的な賞を取ったミステリー小説を読んだ。
途中まで、ただひたすらに陳腐で時代遅れな漫画的ヒロインが、陳腐で時代遅れな描写の超能力を使って事件を解決していく話で、なんでこんな下らないものを読んでるんだろうと挫折しそうになりながら読んだ。
すると、最後に「あんな陳腐な能力があるわけないじゃないですか。全部お芝居ですようふふ」とか言い出した。そのお芝居が本当の能力なんだと。
なんだそりゃ。
こっちは、矛盾だらけでくだらないと思いながら、まあそういう稚拙な作者なんだろうという見切りで読み進めただけだ。
アンパンマンを見ながら、「こんなに吹っ飛ぶほど殴ったら死ぬだろ」と突っ込まないのと同じ心理で、こんな展開不自然だろをただ面倒だから読み飛ばして来たに過ぎない。それを、「だまされちゃったね」みたいに言われても。
これを「うまくだました」って自己認識できる精神って、バイトテロのような誰から見てもキチガイな行動を取りながら、「自分はうまいこと『ネタ』で興味を惹き付けてる」と思い込んでいるアホと何が違うのか。
と思っていたら、どうやらああいうのを本気で「騙された。うまい」とか言う奴もいるらしい。
あの夢オチみたいな、ただ最後に「嘘でした」って言うだけの雑なひっかけが、昨今のミステリー賞的な評価では「どんでん返しが凄い」というんだそうだ。
いやちょっと待てと。
あんな、ただ最後にひっくり返せば良いだけのものを評価するなら、筆力なんか要らないじゃないか。
途中までベタにベタを煮染めたような、スーパーマンみたいなファンタジーを書いて、最後に全部機械仕掛けのトリックでしたと言えば済むだけのもの、何がありがたいんだ?
百歩譲って、「最後に全部嘘だったとわかって驚く」展開として評価させたいなら、途中までは迫真の、その道としてちゃんと評価されるような内容じゃなきゃやる価値もないだろ?
どうみてもやっつけの、穴だらけの、「それっぽいことを並べただけ」の、ファンタジーとしては二流以下みたいなものを並べて、読者が「ファンタジーとしてはまったく出来が悪いが目をつぶって読もう」と考えて読み進めるようなものじゃ、普通にだめだろ???
何度もいうが、それって「騙してる」んじゃなくて、「騙されてもらってる」んだよ。
アンパンマンの世界観に文句を言わずに見るのと一緒の目線で見てもらってるだけ。
実はこういう感想は、別の、今度は海外のミステリー映画でも同じように思わされたことがある。
最初からどう見ても怪しさ満点のヒロインを、主人公だけがピュアに信じていて、そこに批判的な目が当てられないまま、主人公のピュアな視点だけでロマンスみたいに話を盛り上げた結果、やっぱりロマンス詐欺でしたというだけの話。
これもやっぱり、「どんでん返しが凄い」みたいな評価を目にする。
一体世の中はどうなってしまったんだろう。
どんでん返しという言葉は、ただ最後にひっくり返せば良いだけのものじゃない。
そこまでの流れを説得力を持って盛り上げるから、ひっくり返す展開に驚きと同時に「納得」が生まれるんだ。
あまりにも一方的な、ちょっとでも知性のある読者なら「客観性がないなあ」と難色を示すような描写で表現できるのは、主人公の客観性のなさじゃない。作者の客観性のなさだ。それに目をつぶって読み進めた読者に「やっぱり嘘でした。騙されたでしょ」というのは、「わたしを馬鹿だと思った? 馬鹿じゃないよ」と言い出す馬鹿でしかない。
「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」という言葉がある。
稚拙な作家のふりをしたつもりで話の半分以上を稚拙な内容で埋められるのも実際に稚拙と言うしかない。
こういう手を変えた夢オチみたいなものが「どんでん返し」として評価されるようなミステリーの世界って、どれだけ書き手も読み手も劣化してしまったのかと驚いた。
15分拡大で放送された最終話・第48回「神の君へ」では、家康にとって最後の戦いとなった「大坂の陣」の顛末、そしてついに乱世に終止符を打った家康の哀しくも美しい最期が描かれた。茶々(北川景子)や息子・秀頼(HiHi Jets・作間龍斗)らが炎上する大坂城で迎えた壮絶な死にざま、北川と作間の迫真の演技が注目を浴びた前半から一転、後半では家康が死に向かう中で最も幸福だったであろう日の思い出が描かれた。
後半のエピソードは、これまで随所に伏線が張られてきた家康の息子・信康と信長の娘・五徳の祝言の日に起きた鯉を巡るハプニング。酒井忠次(大森南朋)、石川数正(松重豊)、本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)、鳥居忠吉(イッセー尾形)、夏目広次(甲本雅裕)、本多忠真(波岡一喜)ら初期のメンバーも含む家臣団をはじめ、妻・瀬名(有村架純)、母・於大の方(松嶋菜々子)ら家康が愛した人たちが集結する大団円にSNSでは大盛り上がり。「みんないる~(涙)」「初期メン勢ぞろい」「総出演ありがたい!」「まさかのオールスター」など沸いたが、さらに視聴者を驚かせたのがラストシーンだった。
幼い信康と五徳の祝言をえびすくいで盛り上げる家臣たちを見ながら幸せそうな家康と瀬名。「なんと良き光景でしょう……。こんな良き日は二度ありましょうや」と目を細める瀬名に、家康が「わしがなしたいのは今日この日のような世かもしれんな」と未来に思いを馳せる。二人から遠ざかったカメラがとらえたのは高層ビルやタワーが立ち並ぶ光景。初めは「見間違いかと思った」という声も多くみられたが、戦国時代と未来、現代をつなぐ平和への祈りを表すかのような演出にSNSでは「凄い」「技あり」「粋な演出」「印象的なラストカット」「面白い」「殿が平和な世を作ってくれたからこそ今がある」など、驚きやさまざまな解釈で盛り上がっている。