はてなキーワード: リバイバルとは
∩_∩ 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
/ \ /\ < すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。 >
| (゚)=(゚) | < 風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。. >
| ●_● | < 中途半端はやめよう、とにかく最後までやってやろうじゃん。 >
/ ヽ < ネットの画面の向こうには沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。 >
| 〃 ------ ヾ | < 信じよう。そしてともに戦おう。 >
\__二__ノ < 工作員や邪魔は入るだろうけど、絶対に流されるなよ。 >
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
まあ私にはやることがあって分かっているの!
迫りくる確定申告のことは分かってるの。
私はお粥が作りたいの!
なんか暇な時にはやることがなーいって言っといて、
忙しくなりそうなときに限って、
あれやりたい!これやりたい!ってことを発見して見つけてやりたい時間がない!って言いがちじゃない?
まさにそれだわ。
うーん、
とりあえず確定申告のことの前の準備はしておかないとなぁと、
帳簿の未整理の部分や未仕分けの部分があるので、
あーそれとね。
クレジットカードでデータをインポーツして管理できるのはいいんだけど、
もう一枚の方がそれができなくてー、
しかもなんかティーから始まる事業者番号をそのカードで仕分けするに入れなくちゃいけなくて、
レシートにはそれ書いてないところがあるのよね。
面倒なのでそのインポーツできないそのカードはもう解約しようかなぁって。
そもそもはガソリン用でって思って多少ポイントが余計についてお得かなポンタ!って思って作ったんだけどなぁ。
期待に反するそのカードの働きのデータのインポートできなささに
仕分けの面倒くささも相まって、
もうさ、
月に1回給油するかしないかってところいいところの回数なのよ。
すっかり遠出もしなくなっちゃった感じでコロナ禍よろしくすっかり遠出する習慣シャチを見に行きたいなぁって千葉に思いを馳せるけれど、
他にもいるんだっけ?
大きなシャチ見に行きたいなぁ。
NIKKEは相変わらず今いるチャプターのボス巨鯨に勝てずに、
つーかこれどうやって戦っていいのか分かんないのよ正直。
もう思考の中をつらつらと書き出している思いついたままのこのスタイル。
あー面倒くさいなぁってバレンタインデーも控えてるし。
自分は自分のための自分チョコはあの高カカオ72パーセントのでいいわ!
これこんなに高かったっけ?って
前は今の値段の半分だったような気がするのよ。
こんなに急激に高くなったの?
これさすがに高い値段なので貴重な一欠片のチョコレートはそんなぞんざいに扱えず。
まあ気が向いたときにそのチョコ齧ったら良いわ!ちょこっとね!
なんつってそう思いながら、
このチョコレートの値段の上がりっぷりは、
高っ!って。
私の職場というか自分一人でいるからそんなに季節イベント国生さゆりかパフュームよろしく
ラジオでこの時期にかかりまくるチョコレートの曲が流れまくりまくりすてぃーだけど、
もうさ、
年の暮れの年末でものすごくラジオから流れてくる曲でおなじみの「ファイナルカウントダウン」!
あれ年末を歌った曲じゃないんだからね!って総ツッコミを喰らいそうなぐらい、
もうバレンタインデーのチョコレートの曲がラジオから流れてくるのよね。
まあ男性社員はいるけど面倒なので何事もなかったかのようにしれっとしているわ私。
それならバレンタインデーとホワイトデーとでの軍資金を集めてみんなで飲みに行ったほうがーとも思うし、
まあそんなことも面倒だ!っていう人もいるだろうから、
こういう行事ってみんなしぶしぶやってるのかも知れないわね。
ぜんぜん楽しくないんだもん。
自分でションテンあげて買って食べるチョコぐらいなものじゃない?
そんで昨年チョコどうしてたっけーってバレンタインデー頃の記憶を手帳を読み返してみたら、
昨年の今頃、
ゼルダの伝説のブレスオブザワイルドに感化されてまだその頃はブレスオブザワイルドはクリアしてなかったと思うんだけど、
よし!『ゼルダ無双厄災の黙示録』やるんだ!って意気揚々でセール中終わるまでに購入してね!ってメモが合って購入私ゲームソフトしてたんだ!ってその手帳を見て読み返してみて涙そうそう!いやまだ泣くには早いのよ!そんな夏川りみさんを彷彿とさせる記憶を蘇ったところ。
え?
もうさゼルダ無双買ってたのすっかり忘れちゃってたわ。
そうよ!
スプラトゥーン3のリバイバルチョコフェスもぜんぜん戦わなかったしバトルほとんとせずの称号も「えいえん」まで余裕で到達しなかったわ!
そのぐらいスプラトゥーン熱も落ち着いたところでNIKKEにリソース全振りなのよ!
しかし!
レヴェルがあがらんのやー。
急に関西弁?ってなりそうだけど
1週間に1つ上げられればいい感じ。
そんやレヴェル1上げたとて「巨鯨」には到底太刀打ちできないのよね。
これ本当に勝てるの?って。
泣くー。
NIKKEにリソース全振りといえどもやることがなさすぎて、
もう量産型を成長させて遊ぶ、
そんでね、
射撃場で私の今の最強メンバーのニケと量産型メンバーの部隊とでどういう風に違うんだろう?って試し撃ちいろいろやってんだけど、
もうちょっと劇的に量産型のパワー火力アップ図れないものかしらね?
そう思うのよ。
ここまで力の差があるのねって。
やることがなさすぎて。
先に進めなさすぎて。
高級部隊募集チケットは『ステラーブレイド』コラボ企画のために今から貯め込んでいるところよ!
いま17枚っ!こつこつためて
イヴコラボ企画きたら世界最速で早朝5時に一気に獲得するのよ!
だから今ガチャ部隊募集できるのが一般募集チケットとソーシャルポイントでの部隊募集で、
なかなかSSRみが薄いけれど、
1日1回150ジュエルでできるガチャでSSR当たると今日は運勢いいかも!って今日の運勢をみるNIKKE占いするぐらい。
その1回でSSR当てたらさすがにおお!ってなるわよね。
そんでさ、
ふと思ったんだけど一般募集チケットやソーシャルポイントでの部隊募集は振るわないので
これって「ハイクオリティモールド」や「ミドルクオリティモールド」を頑張って500ぐらい貯めて貯めて貯めて
連ガチャするほうがSSR率61パーセント!ってデカくね?って
61パーセントよ!
思わずこっち集めの方に精が出るのよね!
試しに「ハイクオリティモールド」頑張って100貯めて2連ガチャやったらSSRのニケ2機引き当てたのでこれはションテンあがるわ!って。
しかしこれモールド集めるの多分500って1ヶ月ぐらいかかんじゃないの?って途方もない時間がかかるわ。
無課金の辛みだわ。
来週からでしょ?
確定申告始まるの。
2月ってさ短いのになんかせせこましくイベントや申告ごとが多くって
逆に忙しくない?
あー、
後回しにしがちな2月のイベント重い腰上げてやんないとなぁーって。
幸いにも旧正月なのよね、
うふふ。
がちがちの熱湯よろしく100℃近い温度で一気に抽出した方がいいので、
ホッツルイボスティーはちんちんに電気ポットのお湯を沸かすのよ。
高火力!3リッター!いいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
プリキュアを降りた。
より正確に言えば、プリキュアのオタクとしてインターネットで考察するのをやめた。プリキュアのオタクとしてショーやライブなどの現場に通うのをやめた。プリキュアのオタクとしてグッズを買い集めるのをやめた。
特に理由はない。プリキュアに飽きたわけじゃないし、アニメは今後も視聴し続ける。
何かきっかけがあったわけでもない。20周年はキツかったけど、それもかなり前の話だ。
ただ、昔ほどワクワクしなくなった。それは確か。
わんぷりは評価も高いし俺も楽しく見てたけど、自分でも驚くくらい最後まで熱意が持てなかった。
あんな楽しみにしてたまほプリ2も、ぶっちゃけ面白いとは思えない。まほプリは大好きだしキャラが活躍するのは素直に嬉しいけど、作品全体としての完成度には疑問符がつく。
プリキュアが変わったのか、俺が変わったのか、あるいは両方なのか、そらすらもよくわからない。
ほとんどプリキュアの話しかしていなかったけど、SNSでのフォロワーはそこそこ多い数を獲得してた。有名人とはいかないまでも、プリキュアにまつわる発言が拡散される機会は多かったので目にしたことのある人は結構いると思う。
それもやめた。
プリキュアの公式イベントは完成披露上映も舞台挨拶もライブも感謝祭も毎回必ず現地参戦で全通してしたし、最速上映や応援上映、リバイバル上映も開催されれば必ず足を運んだ。
それもやめた。
プリキュア プリティストアには東京駅での開店初日からずっと通っていたし、グッズが出るたびに早朝から並んだり入店チケットをゲットしたりという戦いの中で生きてきた。
それもやめた。
プの話をしなくなってから、プの現場に顔を出さなくなってから、仕事や買い物以外で他人と関わることも減った。プで繋がったフォロワーも、プの話をしなくなると少しずつ距離ができた。
俺は自分の人生における貴重な20代から40代という時間を、ほとんどプリキュアに注ぎ込んでしまったんだ。
とはいえ、プリキュアに捧げた時間とお金に後悔はない。夢中になるに値するコンテンツだし、大きなお友達なりに実りある豊かな時を過ごさせてもらった。
でもね、それだけなんだ。
後に残ったのはたくさんの素敵な思い出と、貴重ではあるのに売っても二束三文にしかならない円盤やグッズ、そして覇気の無いくたびれたオッサンだけだ。
俺はもう50歳目前で、妻も子供もいない。仕事でもそれほど活躍してるとは言い難い。
今もし2004年に戻れたとしても、多分また同じ未来に向かって走ってくるんだと思う。そういう意味では後悔はしてないというより、限りなく諦めに近い心境だ。
若い人達にアドバイスがあるわけでもない。世代が違えば価値観も環境も違うし、俺が何か言って資するとも思えない。なる人は、どうせこうなるんだよ。
どうして今こんな話をしたかというと。
この週末、わんぷり感謝祭が開催されたらしい。シリーズにとっては卒業式のようなセレモニーのイベントだけど、トラブル?があって禍根を残した様子。どうやらレギュレーションが曖昧なまま開催されて、わんぱくなファン達とうるさいファン達とが骨肉の争いを繰り広げることになってしまったらしい。イベントが終わっても、両者はまだインターネットでそれぞれがそれぞれを正当化して憎しみあっている。
喧嘩しないでほしいなと思う反面、「プリキュア好きに悪い奴はいない、腹を割って話せば仲良くなれるさ」を実践していた時代は完全に過去へと過ぎ去っていったのだと知った。
シンエヴァ
シンゴジ
MI:2
多くて4回くらいだしいわゆる娯楽大作ばかりだけど、高校生の頃から何度も見る癖はあった
繰り返し見てしまう映画って、好きな映画とはまた違う傾向ある気がするね
4DXとか爆音上映とか形式いろいろ気になるとか、そういうのもある
趣旨変わるけど、デジタルリマスター版やリバイバルでスクリーンで再見して、昔わかんなかったことが分かると、それなりに長く生きてきてよかったなーと思う
たぶん、映画館でその映画を見るという体験が基本的に上映中にしか出来ないことだからだろな。
リバイバル上映とかもなくはないけど、まあないだろ?
そうなると「いま行く」しかないんだろうな。
動画もゲームもちゃんと探せば時間のほうが全然足りない状態だったと思う。
漫画に関しはもはやヤケクソかってぐらいの量だった。
そもそも普段の土日でも全然読み切れない量が投下されているわけであり今が過渡期なのか単なるピーク期なのか、もはや漫画は基本無料娯楽の一種にさえなりつつあるだろう。
一ヶ月無料娯楽生活を続けてきたことで大まかな型が出来てきた。
漫画 → キャンペーンで一気読みしつつ気になる作品はチケット読みを続ける形。
ゲーム → 貰ったゲームを溜め込んでおきつつも普段はソシャゲを無課金(スタレ・ゼンゼロをメインでやりつつ、気が向いたときに学マスか新作に手を出していく感じ)。
音楽 → Spotifyで完結している。公式のMVとかも見に行きたいんだけどちょっと時間が足りない。
アニメ・ドラマ → Tverやニコニコで追いかける。名作のリバイバルは追う余裕がない。
映画 → Abema。毎週無料の玉石混交が凄いが「べいびーわるきゅーれ」や「きっとうまくいく」なんかが見れることがある。
キャンペーン+普段からの無料を組み合わせていけば、いくらでもタダで遊べてしまえているように感じる。
フルタイムで働いてるサラリーマンとしては、無料で貰える娯楽の中から特に味わいたいものを選んでいっても全然時間が足りないように感じてしまう。
この気持ちが12月まで続くのか、「選択肢が狭すぎる……」と嘆き出すのか、それを確かめるのがこの『無料で味わえる娯楽だけで1年過ごしてみよう』ってチャレンジなわけだな。
ラーメン発見伝シリーズの無料とかあったけど手を出す時間がない。
ひとまず楽しめる範囲で楽しんで手に入らなかったものは忘れることにする。どうせ無料だから何も損してないんだ!
・二月の勝者
受験シーズンいよいよ最終決戦というタイミングで全話無料は受験生に読ませる気無さすぎで笑ってしまう。まあこれ読んでる受験生がどれぐらいいるのかって話だが。世の中には頑張って勉強してるような小学生もいるのに、休みの日は家事や雑事を追えたらひたすら漫画読んでゲームやってるだけの人生ってのもなんなんかなって気がする。現実から離れる時間がないとやってられないんだから仕方ないとも思うし、そうやって離れたくて仕方ない現実を抜け出すためにもっと頑張っておくべきだったのかなとも思う。
ガイジンの勘違い日本っぽいアトモスフィアを再現するというカルトなコンセプトだったのに気づいたら設定がそこそこちゃんとしてきている。話が空中分解しない程度に世界観を構築していくうちに単なるおふざけからそれっぽい独自の世界が完成してしまっているようだ。漫画版は女の子がカワイイでヤッターなのが実際いい。
ビッコミ
・二月の勝者(全話無料)
「子ども時代にゲームを買い与えられなくて親を恨んでる」って声、めちゃくちゃ聞くよね。
「ゲーム出来なかったけど仕方ないよね〜むしろ感謝かも?」みたいな声が全然見当たらないので、書こうと思う。
自分が小学生の頃は、ポケモンのアニメが始まったくらいの時期。
友人の家にいけば、当然「64で遊ぼうぜ」ということになる。やるのはポケモンスタジアムのミニゲームやスマブラ。
でも、自分では持っていない。プレイ時間に差がありすぎて、自分はなかなか勝てなくてつまらなくて、周りにもめちゃ気を遣われていた記憶がある。
親の教育方針上、PCのいわゆる教育ゲームはOKとされていたので、小学生の頃から親の目を盗んでPCにのめり込み、いつの間にかネット漬けの毎日だった。
親の車のエンジンが聞こえたら慌てて履歴を削除して、素知らぬふりして「おかえり〜」と言う。
ネカマもしたし、エロもグロも見た。コ○ンやハ○ポタのエロコラとかあったな。あれなんだったんだ。
そしてめちゃくちゃオタクになった。友人同士の交換ノートは「〇〇×▲▲ゥゥゥゥ!!!鼻血ブーwww」とか書いてある(怖すぎる)。BL同人誌を書きまくり、コミケで売り子もした。
めちゃくちゃ楽しかった。
ゲーマーたちが、昔の作品のリバイバルで「懐かしい〜!」と盛り上がってるの、めちゃくちゃ羨ましい。
大学時代には反動か、単位そっちのけでどうぶつの森をやり尽くしていたこともある。
でも、「ゲームをやらなかったことで得られたもの」もたくさんあると思っている。
インターネット老人会知識、BL創作力(一般ウケはしないけど、自分の人生をめちゃくちゃ豊かにしてくれた)。
ネットもゲームもあったら自分は卒業大学に入れなかったかもしれない(学歴だけはまぁまぁ良い)し、そうなると今の就職先に入れていたかも怪しい。今の夫とも出会っていなかったかもしれない。
昔は親のことを恨んだこともあったけど、自分が大人になって、自分のSNSへののめり込みを自覚したり、子育てについて考える側になったりと変化する中で、「まぁそういう判断もありだよな〜」と思うようになった。
親との関係なんて複数の要素で決まっているわけで、「ゲームを禁止された!」というだけで崩壊するものではないんじゃないかな〜と思う。
ベートーベンやモーツァルトの音楽だって今聞いても全然楽しめる。
バック・トゥー・ザ・フューチャーは今でも「とりあえず好きな映画として挙げておくならこれが無難ランキング1位」って感じでしょ?
古典的名作であっても時代を普通に超えてくるものはいくらでもあるでしょ。
アシモフや星新一の短編集だって今読んでも「なるほど、そう来ますか。王道ではありますがよくまとまってますね」と楽しめてしまえる。
「名作であっても時代の変化には耐えられない」みたいなのはね、結局その名作とやらのパワーそのものが低かっただけだと思うんですよ失礼ですが。
作品評価の時代による変化って「100点を1.00点と考え(90点なら0.9点、80点なら0.8点)、経過した時代(コンテンツの新陳代謝速度に合わせる)の乗数とする」みたいな感じなんじゃないかなと。
元が限りなく100点に近ければ時代を超えまくっても評価は揺らぎにくく、元が90点程度だと出た当時は評価されていても時代が流れるにつれガンガン評価が下がっていく感じなんちゃうかなと。
評価ってよりは「楽しめるか」って感じかな。
歴史的価値を加味して考えるときは乗数は1で考慮して「当時はどれぐらいすごかったか」で判定されるから。
まあつまりですよ「確かに当時は名作だったが、時代の変化には勝てないんだよ」って言われてるのってさ、単に「時代が流れることによって本当の点数が明らかになっただけなんじゃね?」と思うわけですよ。
キャラクターモノやシリーズモノだとその時代特有の補正がかかることもあるけど、それがなくなると一気に弱くなったりすることもあるし、逆にリバイバル人気が出てるときなら逆補正がつくこともあるから純粋な価値って分かりにくいんだよね。
・マブ(カップリング)
昔に流行った言葉を令和の現代にリバイバルで流行らせてえ!という強いきもちを感じた
・OPからオサレな街並みと「タイクツな毎日…」ってアンニュイに街を歩くマニュ?ちゃんからのスタートを想像してたので出シャアでビビったしシャアの声帯変わってるし「???」ってなった
・シャアパート、「21世紀の日本を生きるオタクなら履修しとかな損やわ」って思い4,5回履修を試み「やっぱ男の子のロマンは理解らんわ…」って挫折してるけど、おかげで単語の意味の端々は理解できたので履修しといてよかった〜ってなった
・シャアパート、意味解ってないけど音声から画面の端から端まで作った人々のこだわりと今までのガンダムシリーズの積み重ねを感じさせて頂き「ようわからんけど他のジャンルのマニアが楽しそうなのはすごい伝わってきてなんか元気になる」という体験をさせて頂いた 思い出泥棒!
・ニュータイプ合体事故のあの「誰だッ?!」のところは…ララァさんなんだよね…?!ララァさんでありますように…!アムロ声優のやらかしからまだ立ち直ってないから声優変更してようとしてまいとアムロさんが出てきた瞬間から凄まじく「無理」になるぞ…ってヒヤヒヤしてたから結局誰かお顔分からずじまいでよかった
・観に来てたおじさんたちがシャアパートで感極まり、マニュちゃんパートでついていききれず、画面への前のめりさへの高低差は感じなかったと言えば嘘になる というかシャアパートの視聴者の温度がアツすぎた
・「ガンダム、出る!!!」滑車をゴーーッって滑って宇宙(そら)へ出る…はすごい男の子のロマンなんやな…って思った 最初はわからんロマンや…ってなってたけど神作画神音楽で3,4回繰り返されると少し理解ってきた
・匂いクンクンはイケメンでも許されることと許されないことがあるぞ!
「最近のアニメはテンポ早いし、1話は恐らくマニュちゃんがガンダムに乗って初勝利を上げるとこまでいくんやろな」とは誰もが予想していたが
実際自分が限られた時間で不自然さを感じさせずにその流れに持ってくのってかなり大変なのにサラッとやってて敏腕〜(視聴者自分の心の中で心のキャッチャーミットを構えていたのもあるかもしれんが)ってなった
・オタクが歩けば米津に当たるはそれはそうだし米津以上の解釈バトル優勝者はいないのはわかるが当たりすぎて「カッコいいシーンにカッコいい曲がかかってキモティ〜〜」って気持ちより「米津さんチーーッス!」って気持ちのほうが強くて逆に作品没入感からスッと冷めたとこある しかし作り手さんからしたらそりゃ解像度200%曲をお出ししてくる米津さんに曲をお願いしたくなるよな…!でもタイアップ曲の多様性、欲しいな…!ってなった
多分そのうち楽曲提供になる
・公開日初日
一組だけ20代くらい?の男性ペアがいたけど喋り方が女オタクに近くて驚いた(「ありがてぇ〜!」とかそんなTwitter仕草) 若いオタクは性差なくそんな感じの男性喋り方なの?
・ポスターと予告の水色〜灰色の背景ビジュアルの美しさから「背景の美しさで魅せて欲しい〜〜 あと大予算神作画確定大画面でガンガン遠心力というか重さを伴った手足の動き・ぶん回しをするガンダム、絶対見栄えして観てて気持ちい確定」と思いBESTIAでみた
・今までスマホとかテレビの画面でガンダムの宇宙戦をみてもピンと来なかったけど「これが…画面の中の空間把握能力レベル100…!」ってなった
作り手、バケモンすぎ
・エンドクレジット、疎い自分ですら知ってるアニメーターの名前が連ってて「ガンダムレベルのレジェンド作品になると、神クリエイターの方から参加希望で集うんかな…」って妄想してた
・ここんとこロボット・ドリームズで脳を焼かれてたから出シャアで「あ〜〜!日本のロボットアニメはコレコレェ〜ッ!」って滋味を味わった
どっちが優れてるとかでなくアニメ表現の幅広すぎ感でもう胸熱だった
・トリリオンゲーム予告編の主人公2人が並んでお座りして相手に向き合うシーンで稲垣キャラクターあるある感を感じてすごいよかった
片方は不敵な企み笑いを浮かべて片方はビビって冷や汗かいて少し肩を緊張させて上に上げてる感じのやつ
・
・
追加
見ながら「シャアがめちゃくちゃ出てきて活躍してるっぽいからコナンの作者の人
めちゃくちゃ嬉しいやろなぁ」と思ったけど識者の人の話を聞いた後だと
嬉しいどころじゃなかった…ってなった
・
見終わったあと2,3席離れた席に座ってた20代〜30代前半の人が「そこまでしろとは言ってない」(ニチャつきスマイル)って言っててガンダム無知勢だから言っていることの意味をわかっていなかったが「公式歴史改変シャア無双ルート」ときくと「それは…大層なことが起きていたんだな…」ってなった
いつ頃からだろう。ネット上で「野獣先輩」のネタを見かけることがめっきり減った。かつては掲示板やSNS、動画サイトでも無数のMADやコラージュ、替え歌、それから「やりますねぇ」「114514」など、淫夢語録が飛び交い、いたるところで野獣先輩を祭り上げるような風潮があったはずなんだけど、最近はそういうネタを積極的に楽しむ層が目に見えて少なくなってきた気がする。あれだけネット上を席巻した野獣先輩はいったいどこへ行ってしまったのか。もう“ブーム”という意味では完全に過ぎ去ってしまったのかもしれない。
もちろん、いまでもYouTubeで「野獣先輩」と検索すれば、昔アップロードされたMAD作品やキワモノじみた動画の数々が出てくる。そしてコメント欄やSNSの一部では、いまだに「ンアッー!」「イキスギィ!」「先輩!?今なにしてるんですか!?」なんて淫夢語録を使っている人がいるのも事実だ。だけど、いわゆる一般的な流行語として、あるいは“ネタ画像の定番”としての盛り上がりは、ここ数年でかなり勢いを失ったように思う。まるでピークを過ぎたお笑い芸人のように、かつてはテレビをつければ見ない日はなかったのに、ある日を境にパタッと姿を見せなくなった――そんな印象すらある。
言うまでもなく、野獣先輩は元々“某ビデオ作品”から生まれた人物(キャラクター?)であって、その正体については未だに不透明な部分が多い。顔や声はあまりに有名になりすぎたが、名前や経歴などの公式情報がほとんどないまま、それどころか実在さえ疑われる都市伝説の領域になりつつある。そこがまたインターネット時代の想像力を刺激したのか、過剰なまでの二次創作が生まれ、動画やイラスト、コラージュ画像やフィギュア(自作)など、多方面で“発展”を続けていたのが、ちょうど2010年代前半から中盤あたりだった気がする。
当時はニコニコ動画をはじめ、コメント文化が根付いた動画プラットフォームとの相性も抜群だった。コメント欄がスクリプトのように淫夢語録で埋め尽くされ、それをさらに面白がってMAD制作者がネタを増殖させる。あるいは一部のニュースサイトやまとめブログですら、面白半分に野獣先輩ネタを取り上げたりして、「知らない奴はネット初心者」なんて言われるほど浸透していた。Twitter上でも「誕生日おめでとう」「これは草」などの汎用スタンプ的に「114514」を使っている人がいて、一種の“邪道な共通言語”のようになっていたのを覚えている。
しかし、その盛り上がりも徐々に変容していった。一つには、ネットコミュニティの分散化が関係しているだろう。SNSが多様化して、趣味やコミュニティごとに細分化され、それまでニコニコ動画や特定の掲示板で集中して消費されていたコンテンツが、それぞれの独立したプラットフォームでまばらに取り扱われるようになった。そこに加えて、“炎上”や“差別”といったセンシティブな話題への社会的な目が厳しくなったという背景もある。そもそも、野獣先輩が初出のビデオはゲイポルノ。今でこそ多少は寛容になった部分もあるかもしれないが、ネットミームとして消費される過程で、ゲイの人々に対する差別や誤解を助長するような表現があったのは事実だ。それを面白がって繰り返していくことに抵抗を感じる人も増えてきたんじゃないかと思う。
ネットミームは流行り廃りが激しい。しばらく異様な勢いで盛り上がったかと思えば、ある瞬間を境にして興味を失われ、どこにも“ネタ”としての居場所がなくなる。しかも野獣先輩ネタは、興味のない人からすると「意味不明」「ただのホモビデオネタでしょ」という評価になりがちだし、社会全体から見ればかなり“マイナー”な部類に入るわけで。そもそも一般ウケするような題材じゃない。それでも大きく盛り上がったのは、当時のネット文化や動画サイトとの相性、そして一部のコアなファンの狂気じみた創作熱が奇跡的に結びついた結果でもあるんだろう。
さらに、野獣先輩にまつわるデマや過剰な“考察”が広まった結果、本人とされる人物がリアルで迷惑を被っているという噂も立った(真偽は不明)。ネットの海では無自覚に二次創作を楽しんでいただけでも、誰かが被害を受けている可能性がある、という認識が広まれば、それだけで一気に“冷める”人もいる。実際に「ストリートビューで野獣先輩を見つけた」とか「就職先が判明」などといったデマが飛び交う中、面白がっているだけでは済まされない雰囲気になったことも、大きな要因の一つかもしれない。
それと同時に、淫夢界隈というか、いわゆるホモビデオネタ全体が少しずつ下火になったという説もある。昔は「なんでも実況J(なんJ)」板などでしばしば盛り上がったりしていたが、ネット文化全体の主流はもっと別の方向にシフトしていった。VTuberやTikTokの短動画文化など、新しい潮流が台頭し、そこに若い世代の目が向いた結果、野獣先輩界隈のような“十年選手”のコンテンツに新規参入する人が減ったのだろう。お決まりの淫夢語録を使って盛り上がるだけのコミュニティは、古参が固定化して停滞していくばかり――そんな現象が見え隠れしている。
一方で、「ブーム」というほどの熱狂が消え失せたとしても、コアなファン層は一定数残るものだ。何かの拍子に「イキスギィ!」「なにわろてんねん」なんて書き込みを見ると、一部の人々は懐かしさを覚え、それでまた小規模ながら盛り上がりをみせることがある。マイナージャンルの音楽や漫画と同じで、「好きな人だけが好きなタイミングで楽しむ」というスタイルに落ち着いたのかもしれない。かつてのようにニコニコ動画のランキングをジャックするような勢いはもうないけれど、自分たちが愛する淫夢ワールドを守り続けるコアファンがいる限りは、完全な“消滅”とはならないだろう。
ただ、「話題性」という意味でのブームは、もう戻ってこないんじゃないかと思う。ネットミームは消費サイクルがとにかく早いし、過去に何度もリバイバルされた他のネタ(例えばエア本やエガちゃんとか)と比べても、野獣先輩ネタは一度ピークを迎えてから、その余韻を引きずりながらも急激に下火になっていった印象がある。もし今後、野獣先輩を取り上げる大きな出来事――たとえば本人がメディアに登場するとか、公式に何か声明を出すとか――があれば別だけど、その可能性はほとんどないだろうし、あるとしてもまったく予想がつかない。
もう一つ言えるのは、ネット社会自体が“ネタ”に対して敏感になっているということだ。SNSの拡散力やモラルへの意識が高まった結果、差別や迷惑行為に該当するコンテンツは批判されやすい。野獣先輩ネタは本質的に“ホモビデオ出演者をネタ化して面白おかしく広める”という構造があるから、やはり批判されるリスクも高い。インターネットの一部コミュニティだけで楽しむ、いわゆる“内輪ネタ”としてなら成り立つかもしれないが、外部への広がりを目指すとなると、今の風潮ではどうしても厳しいだろう。
となると、自然に考えて、野獣先輩のブームが再燃するシナリオは想像しにくい。むしろ今はもう「懐かしいネタ」や「一部でコソコソ盛り上がるカルト的な存在」として消えていく運命にあるのかもしれない。かつての勢いを知っている人からすると、あの狂乱の時代が嘘のようだと思うかもしれない。ネット上の祭りとは、えてしてそういう儚さを伴うものだ。盛り上がるときは一気に爆発するけれど、それが長く続く保証はどこにもない。むしろ急激に消費されるからこそ、一種の“バカ騒ぎ”として鮮やかに記憶に刻まれるのだろう。
もっとも、完全に誰からも忘れ去られるかと言えば、そうはならないと思う。インターネットの大海原には、かつて作られた無数の動画や画像、スクリプト、テキストが残っている。ふとした拍子に目にした古いMAD動画から、若い世代が「なにこれ…?」と興味を抱くことだってあるかもしれない。まるで化石のように眠っているアーカイブのなかで、野獣先輩という存在はいまだに息づいている。見つけた人が手を加えれば、また新たなネタとして蘇生する可能性だってゼロではない。だが、それはあくまで局所的なものであって、再び大衆を巻き込むようなブームになるとは考えにくい。
思えば、野獣先輩があれほどまでに取り上げられたのは、ネットミームの“暗黒面”を象徴するかのような要素が詰まっていたからでもある。アングラ感、不条理ギャグ、謎の考察文化、コラの素材としての汎用性、そして大衆から見ると“ネタにしづらい”危うさ。それらが絶妙に交じり合い、奇妙な熱狂を生んだ。だが、その熱狂は時代とともに下火になり、今や「ブーム」と呼べるほどの勢いを残してはいない。淫夢語録を使ってキャッキャ盛り上がる文化は、いまや一部の“伝道師”たちのものとなったのだろう。
「もう野獣先輩のブームって消えたよね」と言われれば、正直「うん、消えたと思う」と答えるしかない。もちろん“好きな人は好き”という段階で存続しているのも確かだが、少なくともネット全体を席巻するほどのパワーはもはやない。あの独特のネットスラングや淫夢語録を見かけたとき、「そういえばそんなネタもあったな」と懐かしむ人が増えた時点で、ブームは終焉を迎えたのだ。
ただ、ネット文化において「ブームの終わり」がイコール「完全な死」を意味しないのは、これまでも繰り返し目にしてきた通りだ。野獣先輩ネタも、“隠れ里”のようなコミュニティや、昔を懐かしむ古参ユーザーの間で、細々と脈打ち続けるだろう。いつかまた世代を超えてリメイクされる瞬間が来るかもしれないし、さらにマイナーな世界へ潜っていくかもしれない。結局のところ、“生きている”かどうかよりも、“楽しむ人がいる”かどうかがネットミームにとっては重要なのだ。
では、われわれは今後、野獣先輩のブームをどう捉えればいいのだろうか。答えは、あまり深く考えすぎなくてもいいんじゃないかと思う。所詮、ネットの一大ネタ祭りだったのだから。盛り上がるときはとことん盛り上がり、廃れるときは静かに廃れる。次から次へと新しい話題が生まれ、消えていくのがインターネットの常だ。たまたま“ナゾの多いホモビデオの出演者”というインパクトが重なり合って、一瞬の閃光のように注目を浴びただけのことかもしれない。
それでも、かつてのインターネットの一角を彩った壮大な“お祭り”であることに変わりはない。あの時代をリアルタイムで経験した人は、きっと「やりますねぇ」「ンアッー!」なんて語録を見るたびに、あのカオスな日々を思い出して苦笑するだろう。そんなふうに、野獣先輩のブームは過去のインターネット文化を振り返るうえで、ひとつの象徴として語り継がれる可能性がある。これこそが、ブームが去ってもなお、どこかの片隅で語られ続ける“ネットミーム”の宿命なのかもしれない。
結論としては、もう「野獣先輩」のブームは確かに消えてしまった。かつてのような大規模な盛り上がりを再現することは難しいだろう。しかし、それでも完全に消え去ったわけではなく、いまでもどこかでひっそりと愛好され続けている。「ブームが過ぎ去ったあとにこそ、本当のファンが残る」なんて言い方もあるけれど、まさにそういう状態だと思う。表舞台には出なくなったが、インターネットの奥底ではまだ生きている――それが野獣先輩という“伝説”の現在形なのだ。いずれにせよ、もう一度あの規模の“祭り”が起きることは、たぶんないだろうし、仮に起きたとしても、それはもう“別物”なのかもしれない。人々の記憶の中でしか語り継がれないような、そんな“終わり方”もまた、ネットミームには相応しいのかもしれない。
映画館に行こう!ものすごく集中できるよ!ルパン三世カリオストロの城とかリバイバル上映やってて何十年ぶりかでぶっ通しで見れたけどメチャクチャ面白かったよ!あれ家だと絶対に体験できない!
芸能人への「移籍・独立妨害」「芸名・グループ名の使用制限」は独禁法違反の恐れ…公取委、芸能事務所に近く見解
https://www.yomiuri.co.jp/national/20241226-OYT1T50004/#r2
が話題だけどそれをちゃんと裁判までやったのが「恋はスリル、ショック、サスペンス」で有名な愛内里菜。
愛内里菜と事務所の契約条項に芸名の使用権は事務所に帰属するという内容が含まれていたが
愛内里菜は事務所退所後も愛内里菜を使用し続けており、それに対して事務所側が無断使用であると訴訟を起こした
という裁判。
地裁は
契約終了後も無期限に使用許諾の権限を事務所に認めている部分について
契約書に、芸名の契約終了後の使用に関する条項が明記されているにもかかわらず、
「芸名の顧客吸引力は愛内さんの芸能活動の結果生じたにもかかわらず、契約内容は活動を実質制約し、自由な移籍や独立を萎縮させ、愛内さんが被る不利益は大きい」「投下資本の回収との目的を考慮しても適切な代替措置もなく、合理的範囲を超えて制約するもので、無効」
として、その効力を否定したというのは、かなり珍しく画期的な判決だった。
ただ、これは判決が出る前に「専属契約は終了しており、今後も芸名使っていいよ」って感じで
両者が和解して決着した。
一応地裁の判決として「契約終了後も無期限に芸名の使用権を認めることはない」って判例は残ったけど
当時はもっと上の方で迄争ってきっちり判例として残してほしかったが、
今回こうやって公取が動くという事で、もうちょっとわかりやすい業界になるといいんじゃないかな。
知らんけど。
本筋の指摘には言及せずに自分が漫画アニメ通だと主張したいがためのセンサー鈍い詰り(たぶんアンテナが低いと言いたい?)かぁ…
そんな非生産的なツッコミするより、「リバイバルばかりじゃない、新規IP系の良い漫画アニメもちゃんと出てる!」って思いがあるのなら
別にゲームが盛り上がるだろうという予測をしてるからといって漫画やアニメは衰退してほしいとは思ってないよ
今みたいにリバイバルものばっかりで独自IPが産まれない・跳ねない状況は嫌だけどな
ただどんだけ漫画アニメが盛り上がったとしても、スマホ主体のデジタルネイティブ環境じゃどうしてもゲームの方が時間を奪う力や口コミで巻き込む力は高くなるだろうという話
この力の強いところがお金を稼ぎ、より良いものを作るサイクルに入れる
実際このへんの業界は金回りが厳しいだろう
文化的下地が整ってるから才能ある人がポッと湧いてくることはあっても
そういう人たちを稼がせられるかというとかなり疑問符がつく