はてなキーワード: 五社とは
不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記でキャプテン君が住友商事の内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。
・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会の部活に挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。
・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事が第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。
・三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。
この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって、人間関係の構築だって頑張れる人だった。
いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。
もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいからコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。
今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能性だってある。毎年、戦々恐々だ。
今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。
キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。
第一志望の企業を不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。
春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。
俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシートも筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。
志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。
相手の面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっと、ゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生のアドバイスまでしてくれた。
後日、大学のパソコンにログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。
結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所に引っ越している。
この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活期間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。
千亜子は、その年の初めから一気呵成に就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子がスチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。
この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動でサッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後の単位を取り終えるあたりで躓いていた。
フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。
秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。
もうすぐ最後のインカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子とキャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。
店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。
ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。
「そういえばキャプテンさん、最近千亜子さんにアタックしてる」
「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」
こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。
惨めな気分だった。俺が千亜子と釣り合ってないのは確かだ。内定した会社のランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。
人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。
千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学のカフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。
今日、そんな予感はしていた。サッカーの試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずにダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。
当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これからの人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。
当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶や言葉をごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。
これで結びになる。
就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代の社員もいた。
確かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。
そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会で通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。
キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixiの日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。
俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。
不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学二回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記のベースになってる。
俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。
・就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。
・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間の価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルだから、就活もサッカーも恋愛もうまくいかなかった。
・サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会で必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。
・もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。
いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。
あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分を否定したことになる。過去の自分を裏切ってる。だからダメだ。
今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。
気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。
どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。
ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田やブックマーカーのみんなも幸せにな。
https://anond.hatelabo.jp/20220825233050
40代半ば。いわゆる個別株中心のアセットで、金融資産は間も無く一億円(ただしものすごく乱高下する)
なので、いわゆるPre-IPOの会社を渡り歩いてる。今のところ5戦2勝。
二社目…デカいことばかりいってる代表に惹かれた。だんだん小さくなってゆき、上場の話をしなくなったので転職した
三社目…一社目で懲りたので堅実そうなサービスのベンチャーに。だがこの会社も派手な話と裏腹に利益構造が怪しいことがわかったのは入社後だった。上場までめちゃくちゃ遠そうだったので転職。去年念願の上場をしたらしい。
四社目…この辺から入社時ストックオプションを交渉するようにした。結果としてとてもよかった。上場に向けての自分のモチベーションにもなった。マザーズ上場。その後転職
五社目…技術的なトレンドに(当時は)乗ってて盛り上がりがすごかったので入社。とにかく風変わりな人が多くて面白かったが、トレンドは過ぎ去る。転職。
六社目…現職なので多くは語れないが、少し前にマザーズに上場した。
良い点
・元手が少なくとも、持株会やストックオプションなどがとんでもない金額に化けるチャンスがある
・自分の頑張り次第で会社の価値が変動し、そのまま資産の増減に直結する感覚は面白い
悪い点
・成長途中の組織は漏れなく体制が整ってない。信じられないようなトラブルが起こる
【追記 7月23日 18:10頃】あまりの衝撃に封印していた言葉を解禁してしまったのですが(anond:20210722183137、anond:20210722183851)
『クズ』も伝えたいニュアンスは含むので『クズ』に変更しました
ただそれだけなんだが?
2021年においても上級ソシオパスと逆張りクズが幅を利かせてるジャップランドなので
小さな劇場ならジャップは中世の民(価値観)だからでまだわかる
でもTVでこのネタやってるって終わってんじゃん、マルコポーロ事件は1995年だよ?
ラーメンズって小卒だった?高等教育受けてなかった?上級国民の代名詞、美大へ行ってなかった?
文藝春秋による謝罪と『マルコポーロ』廃刊
発売から13日ほどが経った1月30日、文藝春秋は、編集権は執筆者ではなく編集部であり発行責任は出版社自身にあるとして、西岡には相談せず、出版社として「記事は誤り」と発表し公的な謝罪をすると共に、『マルコポーロ』の廃刊と花田紀凱編集長の解任、記事に関係する幹部構成員の更迭を行った。田中健五社長は廃刊を発表した1995年2月2日のホテル・ニューオータニでの記者会見で社長の職に留まると述べたが、後に社内外から批判を浴び、結局、2月中旬に田中は代表職を辞任した。廃刊により文藝春秋の社員有志がSWCでのセミナーやアウシュヴィッツ見学に参加した。『マルコポーロ』1995年2月号の回収は、実際には行われていない。
廃刊が発表された1月30日、外務省の斎藤事務次官は記者会見を開き、外務省の見解として「廃刊措置は適切だった」と述べている。
小卒じゃないなら、平和の祭典で日本人収容施設・沖縄集団自決・東京大空襲・原爆を弄ったヤツがわざわざ表に出てきても、
『俺は気にしないし(笑)』or『日本政府は強く抗議しないし、気にする方がおかしい』か?
マジでどうすんの?
anond:20210722140554 anond:20210722152037 anond:20210722151446 anond:20210722155559 anond:20210722163703 anond:20210723003923
自分の一社目がまさにそんな会社だったのでガチのアドバイスを。
もう 20 年以上前になるが本当に状況が似ていて、メーカー系のグループ会社、2000 人規模の SIer、親会社の仕事ばかり、新卒は 100 人超、コーディングはしない、ビジネスマナーから始まる超絶ホワイトな研修が半年、などなど。
ちなみに言い当てると、月収が 22 万程度で、6月には寸志が 10 万ほど出る。年功序列で毎年少しずつ給与が上がるが、40 歳で課長、50 歳で部長になっても夢のある金額にはならない。そもそも上には謎の名ばかり役職がもりもりあって、部下無し管理職すらいる、そんな感じじゃない?
自分の場合その会社に就職したのは安定感を求めて、ではなく「この業界にいてどこの仕事が一番自分に合っているかを俯瞰して見たいから」だった。ネットで調べたりまあ卒業生に話を聞いたりとかしたところで、学生身分では絶対に見えない部分があるという確信があったので、一社目は言わば仮面浪人気分で、二社目で本気の就職をするつもりでそもそも入った。それを目的とすると、大手 (あるいは中堅) SIer というのはとても良い立場で、うっかり壮絶ブラックな職場を引く事も無く、ちっちゃなベンチャーで井の中の蛙になる事も無く、業界全体を俯瞰し、どこにどんな仕事があるか、何を避けるべきか、その中で自分がやりたい事は何か、自分がやりたい仕事はどこにあるか、などを見ることが出来る。
結局二年半ほどその会社には勤めて、大手の何が駄目か、何が良いかを学び、駄目なところを一応変えようとしてみたりもして (*)、その後、Web 系の自社サービスをやっている小さなベンチャー企業にプログラマとして転職をした。この初めての転職の時点では「何を避けるべきか」「何を優先すべきか」などが二年半の経験で明確になっていたので、面接時にそれらをちゃんと質問する事が出来た。また「面接官のずるいムーブ」も的確に見抜いて、会社から選ばれると同時に会社を選ぶ立場で面接に臨みとても良い会社を引くことが出来た。
本気の就職をした二社目では、今も交流が続き師と仰ぐ素晴らしい上司に恵まれて、システム開発をイロハから学ぶことが出来たし、五社目になった今でも時に一社目の経験が ── 避けるべき事例としてではあるものの ── 役に立っているので、遠回りでは無くあれは必要な二年半だったと自信を持って言える。
ただ技術的な知識を学び力を付けるという意味においては、一社目は全く役に立たなかったと言って良い。その点については自分自身で担保する必要があるけれど「安定感は会社に与えられるものではないです。自身の技術力が担保するものです。」と言い切る増田にあれこれ言うのは野暮だろう。
以上を踏まえて、合計 5 社、足かけ 21 年 IT 業界で働き続け、転職・スキルアップを契機にやれる事や給与を増やし、今なお現役のプログラマとして外資系 IT 企業で日々コードを書いている自分としては、1 ヶ月で判断して転職してしまうのは勿体ないよ、と言うアドバイスを送りたい。今の立場を最大限に生かして業界の知識を蓄え数年後の転職につなげるのは、増田の人生にとって大きなプラスになりうるはずだ。
(*) 日替わりで誰かしゃべる部全体向けの朝礼で、根回しなどもちろん無く、今の会社の仕組みの何が駄目か、どうしたら良くなるかを提案したところ、後で直属の課長から呼び出され「お前、部長から呼び出されるところだったぞ。おれが代わりに謝っておいたやったからな。」などと謎の恩を売られ色々と察した思い出。
最初の数日を除いて、きちんと個室に出来ていたチャーター便組は全員検査(しかも複数回)して、感染シャットアウト。一方、全く隔離できていないクルーズ船組はチョロチョロしか検査せず、船内パンデミックに。
報道によると民間検査会社使えば一日十万人単位の検査ができるらしいのに、厚労省は国立感染症研究所と地方衛生研究所での検査に固執して 結果的にクルーズ船での感染拡大を防げなかった。何故 全員検査しないのか、ずっと不思議に思っていた。
でも厚労省はクルーズ船での感染拡大は2月5日で終わっていたという非現実的なことを言い出して、その論拠として発症者が減ってきているというデータをあげてきた。このデータは全数ではなく、部分的。憶測だが、恣意的に前半部分のデータだけを使って、「発症者が減ってきている」ように見えるグラフを作ったのだろう。
民間検査会社を使うと、こういう恣意的なデータ作りや隠蔽をした時に マスコミにリークされることが怖いから及び腰だったのだと、ようやく厚労省の意図が分かった。渋々契約した民間の五社というのも、機密保持契約かなんかを結んでいて、箝口令がしけるようになっているんだろう。
若手(7年目)だが、この会社をやめたい。
実際そうだと思う。
年休はほぼ100%取得必須(部下が年休未消化だと組合から管理者が説教食らう)
会社のシステム的にもサービス残業は不可(パソコンが起動しているかどうかが監視されており、オンライン上に投入する勤怠管理表に登録してある時間以外にパソコンを起動させると管理者に通知がいく)
だがやめたい。
3年前から本社勤務となった。本社の人間は仕事はできる。だが人の気持ちを考えられないサイコパスが多い。分からないことを質問してもイライラしながら回答される。業務の引き継ぎもろくにされない。仕事の進め方も分からない中で暗中模索して進めたら、最後の最後でダメ出しをされる。先輩の仕様ミスを押し付けられ、地雷処理をさせられる。みんなの前でミスだミスだと攻められる。
さらには業務上、十年に一度の節目のイベントの年であり、業務が逼迫してる。自分の担当だけサービス残業が平気で行われている。上記でパソコンの起動が監視されていると書いたが、ゴニョゴニョすると監視をはずせるため、いくらでも残業できる。時には土日も仕事してた。
管理者はこのような状況を知ってて、何もマネジメントしない。その上休日の会社のイベントを休もうとすると、若手なんだから参加しなきゃダメだと言われる。
世間のブラック企業からしたらかわいいのかもしれない。ただ休日にやりたいことができない。オリパラにむけて語学学習もしたい。競技プログラミングも勉強したい。機械学習もしたい。ただ休みの日も業務を持ち帰っているのでできない。
業務量が多過ぎてやらなければいけない仕事ができていない。当然他の担当と絡む案件もあるが、何もできてないのでいつも打ち合わせで冷ややかな視線をあびせられる。多分こいつは無能だと思われてるんだろうな。
辛い
よかろう、本コメント補足委員長に立候補いたすwww 無事当選、九頭龍閃wwww コポォwwwwwwwww
まず、増田氏は「ロマンポルノ」という単語を使っておるが、それだと「日活ロマンポルノ」だけを指してしまう気がすなるwww
この定義なら、大手以外の映画製作会社によって作られたポルノ映画全体のことを言えるのでまほろ駅前多田便利軒www
はい、ここで増田のシナプスに注目ゥwww 彼のシナプスは「大手映画」という単語をキャッチしたことにより分子レベルで疑問が浮かんだでござるな?www な?www なあなあ?wwwwwww
ピンク映画が流行る前の1960年頃、日本の映画製作は大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が牛耳っており、五社協定というものが結ばれていた。
ドプフォwww つい五社協定なんていうマニアックな単語が出てしまったwww 五社協定というのは、専属監督・俳優らに関する協定のことでござるなwww 他社所属の監督・俳優の引きぬきや貸出は禁止ですというモノwww ま、これぐらいのボキャブラリィ存じ上げておったかwww スマヌスマヌwww
なんでそんな協定ができたかwww 当時は多大な需要を満たすために、スター俳優を中心としたシステムを作り上げて大量の本数を作っていたのじゃwww
そうなると、客を呼べるスターを引き抜いちゃえばいいじゃんと泥沼の戦いになってしまうとwww
ところが、1960年代後半になると、日本における製作本数のうち半分近くがピンク映画になった。(ピンク映画自体の製作本数も桁違いに増えた)
正解はテレビでしたーwwwwwwwwwwww ブフォオッwwwwwwwwww
テレビの浸透によって映画館への客足は鈍り大手五社の製作本数も激減www 五社協定(新東宝が倒産し、日活が加入)は1971年をもって消滅www
つまりですなあwww 映画文化自体は残りつつも、製作は予算の安いピンク映画に流れたというわけでござるwww
だから、増田の言った「昔にはよくある光景」っていうのは正解かもしれないwww
正直、拙者は資料でしかわからないけどwww フォヌカポゥwwwwwwwwwwwwwwww
ちなみに、ピンク映画は「低予算かつ女の裸が映っていれば何でもいい」という思想があるwww そのため、敷居が低いことから作家性が強い作品も多いwww
浜野佐知のように一般映画では稀有だった女性監督ですら存在したwww
最近の若者も知ってそうな人だったら、「愛のむきだし」の園子温や「カツベン」の周防正行などなどwww
そんな感じで由緒あるピンク映画界隈だけれども、最近は廃れつつあるらしい。
ちょっとググってみたのですが、かつて200本以上の製作本数を誇ったピンク映画ですが、2010年には50本近くになってしまったとか。
どことなく漂う昭和の残り香は消えゆく文化の残滓。跡をたどって、DVDなどで新しい世界を覗いてみるのもオツなものかもしれません。(「成人映画館」自体はかなり敷居が高い印象・・・)
取り柄もないし体力はもっとない私はこれからどうしたらいいのか?
今の少量多品種生産の仕事は体力的についていけないし、長時間労働だし、仕事の要領が悪くて皆の足引っ張ってしまい疎まれているしで次があればすぐにでも辞めたい
ただ、
「これ以上短期離職付くのはまずい。職務経歴改竄はもっとまずい。最低1年は耐え、それから就活やるべき」
と
「前に就活していて感じたのは、職歴3か月も1年も面接担当にとっては同じ。最低3年は欲しい。だったら早いほうがいい。短期離職も消せば3年・6年の2社になるし、離職理由も完ぺきに説明できる。」
「んでもってスキルのつくような仕事じゃ無し。よく考えたら30代の社員が見当たらない。つけられるスキルも職業訓練でつけられるものだ。幸い2年は暮らせる貯えあるから辞めて訓練受けて派遣かバイトしながら34歳のうちに全力で就活しよう」
の考えの中で揺れていて仕事に手がつかない
あわよくば手帳を習得して障碍者雇用という手段も考えたのだけれど、診断結果でどう転ぶかわからず、地方都市なのでそもそも募集が無い。よって職業訓練に通うのが一番良いのではないか?と思う次第です。
あせって現職を選ばなければ良かったです。
何が正解だったのかはわからないので、記録として下記する。
車 BMWミニクーパー 2004年式 走行距離 75,000キロ 評定は五点中四点だった。
似たような車の中古市場の実売価格が50万くらいだったので、20万くらいで売れたらいいなーと思ってた。最低でも10万。
カーセンサーにウェブで査定依頼すると電話がバンバンかかってきた。
3社は10年越えてる車に出張はでけへんから車を持ってきたら査定してやると。
最終的には五社が査定にきてくれることになったので一斉に同じ時間で査定してもらうことに。
土曜日の1時から一斉でと言っていたのだが、まずジャックが早めの12時ごろに来た。
20万は無理ですね。10万ってとこですねー。じゃあ他の会社の査定待ちます。今なら12万出せますがどうですか?今だけですよ?いや、いいです。じゃあ帰ります。
といって帰っていった。
その後ガリバーが10分前にやってきた。ジャックが帰っていって12万を提示した旨を伝えたのち、上司に確認するので15万であれば今決めてもらえます?と聞いてきたのでOKとした。すると、ダメでした、うちは10万しか出せないのでもう帰ります、と言ってきた。他の会社の査定を待ってもらえないかというと、いや、12万は出せないんで。12万出すと言ってたジャックはもう帰ったのだが、と伝えると、じゃあ早く電話して引き留めた方がいいですよと言って帰っていった。そのあたりでカーチスがやってきたんだが、何であの人もう帰っていったんですか?どういう状況なんですか、と。
経緯を話すと、あーそれは戦略ですよ。でない価格をふっかけてるだけです。今電話を掛けても、もうその値段は出ないですよ。つまりガリバーの10万ですら出ない価格なんですよ、と言ってくる。
残りの三社が十万出せないからといっても、ここで決めた方がいいですよと。
そのあと、2社がやってきて、ようやく揃う。
後から来た二社には経緯はなにも話さず、とりあえずこの中で決めますと伝える。
そのうちの一社がまぁ、八万くらいですね、と伝える。カーチスも口ぶりから十万はいかなさそう。残る一社に呼び出され、例えば11万くらいやとどうですか?と聞かれたので11万だと決めますと答える。じゃあ確認します、と電話を初め、10万でどうすか?とちょっと下がる。粘って10.5万になったのでもういいかと決める。カーチスの査定額は聞かなかった。
で、決まった後に、ジャックが去り際に12万と言ってたと話すと、それはよくやるパターンなんですよ、今電話しても間違いなく8万くらいですよ。私が10.5出したといったらカーチスも食い下がらずにすぐに納得してたでしょ。と。
どうするのが正解だったのか。
かけひきがわからないので、何かガリバーもそれを見越して早く帰ったようにも思うし。案の定ガリバーから後から電話かかってきたし。彼は他三者が10万以下になると予想したのでは勘ぐってしまう
ワタミなどの名だたるブラック企業に比べればまだまだぬるいが、俺がブラック企業に捕まってたときの話をしたい。
少し長い思い出話になるが、最後にちょっとした復讐の計画を載せてある。
出来れば読んでもらいたい。
俺は、どんなところでも住めば都と思い、特に会社を選ばず就活した。
その結果わずか五社目で内定が出て、あまり苦労しないまま就活は終わった。
会社から呼び出しの手紙が来たので会社へ行くと、社長からじきじきにこんな命を受けた。
内容を要約するとこうだ。
・君は来月から働くことになるが、その前に一つ仕事を頼まれて欲しい。
・その仕事は、ハローワークへ行ってわが社への紹介状を書いてもらうこと。
・君には半年前に内定を出しているが、それを隠してハローワークからの紹介で採用したことにすれば100万の補助金が出る。
今思えばこれは立派な補助金詐欺なのだが、その時の自分は社長を目の前にしていた緊張と、ここで断れば内定を取り消されるかもしれないという恐怖に駆られ、それを承諾し、そして実行してしまった。
それからこの会社はまんまと補助金を手に入れたそうだが、入社前の新人社員にこんな犯罪行為をさせる会社がまともであるはずはなく、月100h超のカツアゲ残業、勤務中の罵詈雑言、土曜出社の日にあえて仕事をさせず対外的には仕事が足りてないことにして補助金を騙しとるなどのブラックな行為が続いた。
最終的に俺は出社前にワンワン泣くようになり、無感動・味覚の欠如の症状を経て心療内科のお世話になり、処方されたジェイゾロフトとデパス合わせて20~30錠を就寝前に一気に服用して自殺を図った。
自殺はお分かりの通り未遂に終わったが、これをきっかけに休職してその後退職した。
その後、精神は徐々に回復し底辺の肉体労働者ながら何とか働けている。
それで、復讐の計画とは何なのかだけれど、最初に挙げたハローワークでの補助金の詐取を公にしようと思ってる。
俺も犯罪の片棒を担いでたわけだから警察に自首すべきか、それともまずはハローワークに告発することからか……
どうしたらいいと思う?