はてなキーワード: 小橋とは
性行為中に考えることについて、自分だけなのか? と感じる習慣を文字にしました。
セックスをしている最中、相手が違う人間であると考えながらするのは、果たして一般的なのかということです。
悪い言い方をすると、相手の身体で自慰行為をするということです。
私の場合は、数回に一度やってる程度です。キスとかの目を閉じている場面、相手の背中が見えている体位の時、そういうことを考えたりします。
誰を想像しているかは恥ずかしくて言えないのですが、私にはそういう習慣があります。
皆さまはいかがでしょうか? 悲しいことは言わないでください。
大学生だった当時、京都市内の木屋町という歓楽街のクラブで、黒服(ボーイ)のアルバイトを約四年間してました。ほかにも付近の居酒屋などでアルバイトをいくつか。
今は跡形もありませんが、その名も『CLUB ZOO』という老舗でした。大手芸能事務所が経営母体のクラブです。繰り返しますが、今では跡形もありません。
当時の求人情報誌には「当店が木屋町で№1です!」と書いてありました。まさか本当だとは思わずに面接を受けに行きました。
あの頃は、まだ19才でした。世の中がなんでも楽しくて、初めて見るものがたくさんありました。夜のお店のお仕事だってそうです。刺激的でした。
日記については、「あの時は確か……?」と必死で記憶を思い出したり、当時のリアル日記を読み返したりして、まとめました。
若手社会人の頃、会社帰りにアパート近くにあるスーパーを利用してました。
都市部で働いていたのですが、ほかのお店に寄ることはなく、いつも其処でした。
いろんなお客さんがいました。平日夜の同じような時間帯に来店する関係で、"いつものメンツ"みたいになることが頻繁でした。肉弾戦闘で半額惣菜を奪い合っていました。
そのうち1人のお客さんが、日記に出てくる男性です(※彼は肉弾戦闘には参加してません)。
この頃はセルフレジはありません。お会計をする間、その男性は女性店員さんと話をしていました。
別に、店員さんとお話するのはいいと思います。ただ彼のよくなかったところは、違う店員さんともお話をするところでした。
「おい、あんた……そんな節操のないことをしてはダメなのでは??」と、若かりし日の私ですら感じました。
結局、彼がどうなったのかわかりません。ある日、スーパーの正社員と思しき人と夜の店内でバトルになっているのを見ました(※肉弾戦闘ではありません)。
それ以降に見ることはなくなりました。出入り禁止になったのかもしれません。
自宅を掃除していると、本棚に旧約・新約聖書があるのを見つけました。とんでもない分厚さでした。二千ページ以上はあります。
でもこれを、大学1回生だった頃の私は、半年以上かけて読み切ったのです。
聖書の中には、特に旧約の中には、素人ながらに「それは……ひょっとしてギャグで言ってるのか!?」と思わざるを得ない描写が多々ありました。放蕩息子など。後は、槍のひと突きで800人を刺し殺す凄腕の兵士がいて、今だったらFGOに参戦してもよいのでは!? というレベルです。
しかし、それを上回るほどの感動があったのも事実です。あれは壮大な文学書 兼 自己啓発本 兼 歴史記録なのだと思います。
聖書全体ですが、日本語が極限まで洗練されている中で、神秘的なエピソードや、示唆に富むエピソード――ひとつの例として、士師記の中でサムソンが活躍するあたりは、現代のエンタメに通じるコメディ要素を感じ取りました。
懐かしいという感慨とともに、19才当時の考えを日記にまとめました。
わけあって日付の間隔が空いています。
こちらの日記も、上にあるスーパーと同じ店でのことです。新卒で入ったリクルートで働いていた頃の思い出です。
会社帰りにあのスーパーに通っていると、見た目が瀟洒なサラリーマンの人が、大学生くらいの女子店員に話をしていました。お会計の時に。
上の人とは違って、この人はいつも同じ人のレジへ行き、話をしていました。
女子店員の方も、まんざらではなさそうでした。お菓子売り場に私がいて、まっすぐの位置にあるレジへ向かおうとすると、その子がレジの後ろからスッと、身体を覗かせてこちらを見るのです。
私の真後ろには、その男性がいました。「なるほど、そういうことか……」と気を利かせた24才当時の私は、空気を読んで違うレジに入りました。
それから悲しい出来事がありました。その男性がある日、違う店員のいるレジに入ったのです。あの子がいたのに!!
「なん……だと……」
と、BLEACHキャラ並みの衝撃を受けた私があの女子店員を見ると、残念そうに俯いていました。
嫌な思い出になりましたが、何らかの学びを得たのは間違いありません。
そのお店ですが、今ではウイルス除けの透明壁が付いて、店員さんと話をしにくい構造になっています☺
上記日記の冒頭にツイートが引用してあります。これが執筆の動機になりました。
先のマッチングアプリの記事紹介の際、異業種交流会の話をしました。商売が目的ではない緩めのイベントです。
この時、民間企業の人だけでなく、大学職員といった準公務員や、純粋な公務員の人も参加していました。
メルカリの中の人と楽しく話をしている最中、慶応義塾大学の事務職員が会話に入ってきました。
商売の繋がりが目的でない異業種交流会なので、できるだけ離れた業界の人との話が楽しみでした。
ところで、その彼が語ったのは……よく言えば赤裸々、悪く言えば守秘義務違反に等しいレベルの生々しいお話でした。それがずっと続いて、当時の私は辟易しました。
いや、悪い思い出だったとは言いません。実際、刺激的なお話でした。ただ彼にとって想定外だったのは、私がそれを日記としてまとめたことです。
前回株式投資のことを書いたため、今度は仮想通貨投資について書いてみようと思い立ちました。
これからビットコインなど仮想通貨を始めようという方は、しばらく待った方がいいかもしれません。この執筆時点と比べると、世界的に仮想通貨が受け入れられています。
日本でも、将来は税率が一律20%になったり、アメリカのように仮想通貨ETFが出てくる可能性もあります。それ以外にも金融商品がいくつも登場することでしょう。
今から買われる方は、積み立てタイプで毎月一定額を投資するスタイルがいいと思います。間違ってもレバレッジ取引には手を出さないように。あれはFXと同じく、投機であって投資では決してありません。
いつかやろうと思っていたとか、そういうのではありません。ある日、急にあのおじさんの思い出が蘇ってきたので、執筆に挑戦しようと思い立ちました。
こちらの日記に出てくる土木会社のおじさんですが、私が歓楽街でアルバイトをしていた居酒屋(木屋町にあったどんがまと言います。今はもうありません)で、よくしていただいたおじさんです。
気のいいおじさんで、会話が盛り上がると、お店のシフトが終わった後でお酒や食事をおごってくれるのです。私がお金を出したことは一度もありません。
ただ、こちらのおじさんですが、たまに反社会的なアレなんじゃないか……と感じる場面がありました。詳細は日記内にあります。
当時(約二十年前)の木屋町は、暴力団員や半グレが普通に闊歩しており、警察官と鉢合わせても動じることはありませんでした。深夜になると、酔客が高瀬川沿いの往来で取っ組み合いのケンカをするのが風物詩でした。大晦日になると、お酒に酔った若人が、友達を……小橋の上から高瀬川に突き落とすのです😭
悲しいことに、天下の往来での殺人事件も起きています。今でも犯人は捕まっていません。
現在の木屋町は、平和です。お巡りさんの待機人数が昔に比べると明らかに増えており、高瀬川沿いの街道をガラの悪い連中が闊歩することも(ほぼ)ないです。
今の会社で新人の頃、お世話になった先輩の思い出を綴りました。№4の先輩とは別人です。
今の仕事の詳細は言えませんが、現場が多い不動産の仕事です。最初の配属先は、不動産関係の商業登記を取り扱う部署でした。
同じ職場に、ある先輩がいました。その先輩は、私が中堅どころになる頃に退職したのですが、記憶が残っている時間もそう多くはないと思い、まとめてみようと考えました。
一言でいうと、モテる先輩でした。イケメンというよりは、気遣いができる人でした。
他人にマウントを取ったりしませんし、愚痴や泣き言も言いませんし、相手の話をずっと聞いてくれる人でした。
そこまでお喋りをする方ではありません。本当の優しさをもった先輩でした。今でも尊敬しています。
その頃の思い出を、ひとつずつ思い出しながら日記を書きました。
先輩視点の第一人称は、物語として大変難しかった記憶があります。
大学四回生の時のことです。不定期活動のイベントサークルに在籍していたのですが、そのメンバーの1人に、悪い噂が立ちました。
噂の証人が言うには、その悪いメンバーというのが、サークル活動の中では地味な役割だったにもかかわらず、とある企業面接の場で「リーダーをしていました!」と真っ赤な嘘をついていた、というものです。
これ自体、特に思うところはありません。就職活動の面接でどのように振る舞うかは、完全に自己責任です。
本人がやっていないことを「やっていました」と発言しても、入社後にどうにかできるのであれば、本人の責任で行えばいいと思います。
しかし……「真っ赤な嘘をついてまで入りたい企業があるのか?」が当時の私には疑問でした。今もそうです。
そんな疑問への答えに近づくために、サークルの噂の証人だった女性の視点に立って日記を書きました。
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【閑話③】よくブクマしてくれる方 ※順不同
以下の表中のコメント回数(期間:2019.12~2023.3)ですが、概算になります。
データは整理していますが、専門的なスクレイピング・データ加工はしていません。ご理解ください。
コメント回数は、すべて「少なくとも」です。確実にこれだけの回数があります。
ブクマカ名 | 私個人の感想など | コメント回数 |
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おたまじゃくしの人 | いつも登録ありがとうございます☺ | 7 |
林檎の人 | 小説系によくブクマをされてますね | 0 |
青い目の女性 | 私の作風を完全に見抜いておられます笑 | 5 |
宮内女氏 | 恋愛ネタや、バイオレンス日記によくコメントされます。いつも感謝です笑 | 8 |
ピンク背景の女性 | 経済社会を取り扱った作品によくコメントされます(^^) | 2 |
メガネの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 1 |
エイリアンの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 2 |
ゆゆゆのキャラの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 3 |
ピンク髪の女性の人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 4 |
メガネおじさん社長 | 評論系をよくブクマされます。小説も。楽しんでいただけたなら幸いです | 1 |
スター数1位の人 | 実はほとんどブクマをいただいてませんが、ひとつトップブコメがあります | 4 |
たんじろうの人 | 昔から多くのジャンルにコメントをいただき、ありがとうございます😭 | 2 |
口紅の女性 | 感動系の日記や小説において、キリッと雰囲気を締めるコメントをされます | 3 |
マフラーの女性 | いつも含蓄のあるコメントをいただいております | 2 |
紫の女性 | いつも鋭いご意見をありがとうございます。釣りを見抜く天才です笑 | 3 |
ヘルシェイク | 最近はブクマをいただきません。熱量のあるコメント感謝です | 2 |
関内関外日記の人 | ほどよい絶望感のあるコメントをいただくことがあります😰 | 3 |
ハックルベリーの女性 | 感情がそのまま出ていて、よきブクマコメントです('ω') | 5 |
本に栞を挟む女性 | 社会問題を扱った作品にコメントされます。はてブ最高知性です | 2 |
すみっコぐらし | 私の作品が読めるのははてなだけです笑 | 1 |
あごひげ眼鏡のおじさん | 成熟した大人のご意見です。小説風の増田にコメントを書かれます | 2 |
ゆとりずむの人 | たまにコメントされます。スマートなご意見です。私と同じ年齢……? | 2 |
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試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
■
■ https://anond.hatelabo.jp/20220902143836
シンドロームを発表して全盛期の頃の鬼塚ちひろの顔がMONO君で ドツボだったので、 GLAYとどっちか好きかというと甲乙つけがたい
色々好きな曲はあるが、次の通り
第三位 infection 鬼塚ちひろ 平成中期の行政法の終焉を歌った画期的な歌
第四位 しるし ミスチル 「左脳に書いた手紙 ぐちゃぐちゃにして捨てる」
第六位 ハローアゲイン(昔からある場所) マイリトルラバー 平成初期という悲惨な時期を歌ったものとして近年再検討されつつある
■
さいたまでも独り 高裁でも独り みじめではかなくてまるでワニ
ちぎれた刑法はゴミとなれ飛んで行け 世間の考えからどんどん離れて行け
どうせ保存年限で破棄されるゴミとなれ 忘れてしまえる傷口となれ
息を殺してそれでもつまづく かたむいていた愛を許したの
奇妙な旅路を振り切ってゆく いつでも取り調べて終わっていった
はがれた 刑訴法はクズとなれさびてゆけ 世間の考えからどんどん薄れて行け
(原曲:弦葬曲)
■
ちぎれたタテマエは離れて飛んで行け あなたの下からどんどん離れて行け
はがれたタテマエはクズとなれ錆びて行け 私の下からどんどん薄れて行け
壊れてしまえる二人となれ
(原曲:弦葬曲)
■ https://anond.hatelabo.jp/20220919035215
解らない言葉は全部調べ出せた だけど官僚のための辞書でだったから
平面図形さえたよりにした きっと昭和58年に文科省が削除した科目だったから
定理を探し出せなかったあの問題へ 定理を見つけられなかったあの問題へ
全部忘れられないと届いた返事
■
神 小橋照彦 奇跡の果て 平成8年時点でのタテマエに希望がなかったことにつき正直に歌った
オワコン Happiness 二度と女性を傷つけたくない ウソ乙 クズ野郎が
〇 鬼塚ちひろ 月光 この腐敗した世界に落とされた 平成の社会を腐った社会と批判した点や良い
〇 Infection 爆破して飛び散った心の破片が 法や知能指数を捨てたことを歌った点やよし
あらゆる小さな熱におびえ始めている
私に勝ち目なんてないのに
〇 私とワルツを
〇
〇 ミスチル しるし 色んな角度から君を見てきた 聞いていて心地よい
その全てが素晴らしくて
◎ 家入レオ Bless you 愛なんていつも残酷で祈る価値ないよ 言うまでもなし
× よびのり フェルマー最終定理解説 無限降下法の説明 カス 教える気なし
モジャモジャの髪、目力、彫りの深さ、すべてが超スペインっぽくて最高
そして何より声がいいですよ
sの音が消えがちな、アンダルシアあたりの訛り?(訛り事情全然わからん)もカッコいい
そんでよお、曲調がいい
https://m.youtube.com/watch?v=0o8SdwaGx2s
俺は自分が何をもってラテン感を判断してんのかわかんないんだけど、ギタリカデラフエンテさんの曲はとにかく大体ラテンっぽい(フラメンコっぽい?)
「若いカッコいいにいちゃんがハスキーな声でラテンっぽい音楽やってる」って事実が良すぎる
そんでさあ、さっきの、Quien encendió la luzっすよ
これ良すぎる
サビで執拗に繰り返される
'Tú la dejaste encendida, ahora sueño con que ya vuelvas tú "
これがカッコいい
こういうチャカチャカした音すげえ好きだよ
チョーカッコいい
「きみは火をつけたままにしたね、いま僕は君が戻ってくる夢を見てるんだぜ」アッこれ俺の力だと訳せないな 現在形って難しい
でもこのahoraはぜってえ当てつけのニュアンスがあると思う
僕は純粋な青年だったのに、君のせいでもう滅茶苦茶ですよ、火をつけてくれましたねえ!っていうニュアンスの歌だよな多分
それで「いま僕は君が(もう)戻ってくる夢を見る」っつうんだから、それはもう恨み節じゃん
ああ〜いい いいよお
個人的にハズせないのが、いちばん最初サビに入る前のところで"ahora sueño con que vuelvas tú" つって、yaのないバージョンをお出ししてきてるところ
繰り返されるフレーズの、ビミョーに違うバリエーションっていうのがすげえ好きなんだよなあ!
サビフレーズ'でちょっとフェイントを入れてからサビフレーズの繰り返しに入るのが渋い
あと、1番終わって、なんつうかいかにもブリッジ?って感じの、ちょっとゆったりした感じになる部分
ここもこう、わざとらしいくらいのギターのトレモロが非常にあざとくていいんですけど、何よりいいのが、サビへの繋げ方!
"… punta de la nariz” のあとに入る「ウエ〜」みたいなのがマジで良すぎる
耽美系(?)のブリッジからラテン系のサビにシームレスに移行するのにベストすぎるウエ〜だ
しかも3番(?)でも出てくる それがいい
あと、ポトシ銀山とか出てくるのもかなりいい
"もし君をポトシの金で飾れるのなら、サンティアゴからマドリードまで橋をかけるよ"
地名3つ出てきてて、演歌みたいになってもいいはずなのに、ただカッコよさだけがあってズルい
南米からマドリードまでの橋っつうんだから、完全に不可能なレベルの巨大橋なのに、"puentecito”なんて言っちゃうのが憎い
小さな橋、というか、かわいい橋というか、どういう気持ちの縮小辞なんだコレ
橋ちゃん?小橋?"橋なんか"?橋なんかかけちゃうよ!的な?違うよなあ
しかもcito系の縮小辞だもんな itoよりcitoのほうが好きだから、自動的にポイントも加算や
ああーカッコいい
このMadridのあとに例のウエ〜が入るんだからもう最強だ
マジで何なんだこの曲
これ13万再生に収まる器じゃないと思うのですが……
なんならもう、普通にその辺のスーパーでかかるようになってもおかしくないって
https://m.youtube.com/watch?v=ONdDn05lq-s
まだ5日しかたってないとはいえ、これが1.5万回再生とかなのも納得いかねー
ヘンな服着てんのになんかカッコいいしさあ
覚えておけよな
最後に。
今回これを書こうと思ったのは、冒頭の話が関係している。
昨年末に約十年ぶりに京都に行ったのだが、知っている店はほとんど潰れていた。バーも、キャバクラも、スナックも、マクドナルド河原町三条店も、もちろん――S店も跡形もなくなっていた。
年末にしては暖かい夜だった。寂しい気分で歓楽街をうろついていると、学生時代によく行っていた老舗のバーを発見した。店員もお客さんもコロナ禍の中でしんみりとした雰囲気かと思いきや、意外と賑やかだった。
「ソーシャルディスタンスなんて関係ないぜ!」みたいな連中がわいわいと騒いでいる中、私は2つほどバーをハシゴした。その後、さめざめとした心持ちで先斗町の狭い街並みをうろつき始める。
すると、心の内にあることが想起された……そうだ、私は一度、S店で接客を受けてみたかったのだ。それを夢見ていた。だから京都に来たのだ!
私の中では、京都旅行の動機の端っこにあった感情だったけど、大きい部分を占めていたことに気が付いた。
通りを一本挟んだ木屋町に戻った私は、S店がなくなったのであれば、別のキャバクラに行ってみようと思った。深夜2時になっていた。
※ここまで読んでいる諸兄はおわかりだろうが、法律上は深夜1時までの営業になっていても、実際には朝5時まで営業できる。警察があえて取り締まっていないのだ。たまに見せしめで捕まる店がある。
そのRというお店は、私が大学生をしていた頃は新進気鋭のルーキー的な立ち位置だった。今では木屋町で一番の老舗になっている(堅気の店だとは思うが、そうじゃなかったらまずいので名前は伏せさせてもらう)。
最初に19才の可愛い子が隣についた。その、あまりの顔つきの美しさ、手足の細さにびっくりした。まるでアイドルみたいだった。※私はアイドルを見たことはない。
ちょっと後になって、チーママが真正面の席についた。30代後半くらいで、落ち着いた雰囲気があって、笑顔が素敵な人だった。談笑は続いて、残り時間があと40分ほどというところで、R店のメニュー表を持ってきてもらった。人生で一度、キャバクラでシャンパンを飲んでみたかったのだ。
せっかくの機会なので、5万円のやつにしようと思って――考え直した。ここはあえて、1万円のものを頼むのが正義であると気が付いた。そうだ、これは最初の体験なのだ。5万円のやつを堪能してしまったら、1万円では楽しめなくなる。
こうして1万円の一番安いシャンパンを注文し、私の席に嬢があと2人増え、付け回しをしている人が私の席に挨拶に来た。やがて細長いグラスとクラッシュアイス入りのアイスペールがやってきて、カフェドシャンドンみたいな名前のシャンパンが細長いグラスに注がれた。
午前3時半に店を出た。
楽しい夜だった。でも、満足はできなかった。あの日々、私が青春を過ごしたS店はもうないのだ。もう二度と行くことはできない。
お酒を飲んだのに――辛い気分だった。寂しい気分だった。やるせなかった。
そういうわけで、この私こそが世界に産み落とされた最初の人間なんだと自分に言い聞かせ、木屋町を流れる高瀬川沿いの歩道をほっついて回り、いまだに夜の店を求める者たちがはかなげな声で囀りまわる四条大橋の袂へとぴょんと躍り出るやいなや、私は考え始める。
これからどうしよう、まだ眠気はないのだ! どこに行こう……そうだ、まだ祇園では飲んだことがない。でも、木屋町にもまだ懐かしい店があるかもしれないなぁ。
私はまた考え始める。そしてそれが楽しいのだ。私は夢見心地で祇園の四条通りの石畳を踏みつけて、曲がっていることもわからないまま小道や細道の角を折れ曲がり、川があることもしらずに祇園の中を通る小橋を走って飛び越え、姿形も見えない、これから行くであろう店でどんな話をしようか思案をはじめる。
……でも、今の私はこの街で一人だった。もう仲間はいない。知り合いもいない。一緒にお酒を楽しめる人はいない。今更気が付いたのだ。
こうして、一人ぼっちになった私は、「お酒も十分に飲んだし、暗い気分を晴らしにデリヘルでも呼ぼうか」と考えた。おっとり刀でホテルに帰り、スマホの遅い読込速度にイライラしながらも、どうにかデリヘルを呼ぼうとする。
私はあるお店の、いろんな女の子が並んだパネルを見ていた。風俗店では、口よりも目を隠している子を指名するのが基本だ。そちらの方が統計的にアタリ率が高い。
ある女の子を見つけた。右手で目元を覆っている。慎ましい乳房だ。身長は低い――これは加点要素だ。でも、よく見ると髪型で顔の長さをごまかしている。肩幅を見るに、ガタイの大きさをフォトショで修正している感がある。これは勝てん要素だ。場合によってはチェンジ宣言もやむを得まい。鱗滝さんに「判断が早い!」と怒られる可能性がある。
彼女を指名した。待つこと約30分、真っ白のマスクを着けた女の子がやってきた。予想通り、背が小さくてかわいい。マスク美人かなと思ったが、はずしてもかわいい。
「コロナで大変じゃない?」と聞くと、「お客さんは減ってる。でもお兄さんみたいな人が指名してくれるから嬉しい」とのこと。
早速シャワーを浴びて、時間はあまりなかったけど、ベッドで少しばかりの睦言を楽しんで、それからプレイが始まった。肌が触れ合う感じがいい。吸い付くようだった。有意義なプレイだった。
最後に、お互いの相性がよかったからか、それとも彼女の温情によるものか、サービスにはないが、『合体』をしてもいいという。コンドームも用意してあるらしい。お金のことを聞いたが、お兄さんの気持ちでいいとのこと。ふと、さっきのシャンパンが頭をよぎる。
だが、挿入の前に問題が起きた。私のやつに適合するサイズのコンドームがなかったのだ……私は、彼女が持っていた何種類もの中から、一番マシな物を選ぶ必要があった。サイズが小さすぎると途中で抜けてしまう。彼女の中で抜けるわけにはいかない。
残り時間が限られる中、高速でコンドームを試着し続ける私に、彼女は不安そうに言う。
「そんなに急いで大丈夫?」
私は笑いながら答えた。
「付け回しは得意だからね」
私はその子を知った。
しっとりとした肌の感触だった。心地よかった。心までひとつになったみたいだった。私はいま一人ではない。
特別サービスで、5分だけ無料で延長してくれるという。お言葉に甘えることにする。
行為が終わった後、その頬にそっとくちづけをした。
「気持ちよかった。でも、お金は具体的な額を求めないとだめだよ。仕事なんだから」
「これはお店のメニューじゃないからいいの。お客さんに気持ちよくなってほしくて」
彼女は笑いながら答える。つぶらな瞳で私を見上げてくる。が、視線を逸らすことはなかった――鋭い、理性的な、豹のような瞳をぶつけてくる。
私の心は最初から決まっていた。さっき節約したばかりの4万円を財布から取り出して、「ありがとう」とその柔らかい手のひらに渡した。猫が喉を鳴らすようにして彼女は、嬉しそうに受け取るのだった。仕事ができる子だった。
私が大学を卒業した年にTちゃんからもらったメールによると、イケメン先輩は100万円を払い終えたらしい。
その後は、M主任の後釜に収まった。イケメン先輩のS店への貢献という「状況」が、1年以上も前に下された免職処分を打ち消したのだ。
「一番最初に殺されたのは、郵便局の局員で電信の保守の仕事をしていた安里正次郎という沖縄本島出身者です。朝方道を歩いている時にアメリカの兵隊に捕まり、『鹿山隊長に降伏勧告状を届けろ』と依頼されたわけです。持っていかなければ殺される。もちろん日本軍も怖いんだけど、あれは友軍だから殺すまではしないだろうと考えたんでしょう。ところが安里さんは、敵の手先になったとして、鹿山隊長に殺害されたのです。銃殺でした」
鹿山隊が住民の虐殺に至る経緯として、次のような背景がある。1945年6月13日、米軍の偵察大隊が久米島に上陸した。そして現在の空港の近くの北原地区に住む比嘉亀さん宅に侵入し、亀さんと宮城栄明さんの家族を拉致する事件が起きた。しばらく経った6月29日、鹿山隊は米軍に拉致された人々をスパイとみなし、(米軍から)戻されたことを軍に知らせなかったとして、比嘉さんと宮城さんとその家族、さらには北原区長だった小橋川共晃さん、警防分団長ら9人を銃剣で突き殺し、さらにガソリンをまいて家ごと焼き払った。これはこの事件で気が動転した兵士が逃げ出し、村人に証言している。
「一番最初に殺されたのは、郵便局の局員で電信の保守の仕事をしていた安里正次郎という沖縄本島出身者です。朝方道を歩いている時にアメリカの兵隊に捕まり、『鹿山隊長に降伏勧告状を届けろ』と依頼されたわけです。持っていかなければ殺される。もちろん日本軍も怖いんだけど、あれは友軍だから殺すまではしないだろうと考えたんでしょう。ところが安里さんは、敵の手先になったとして、鹿山隊長に殺害されたのです。銃殺でした」
鹿山隊が住民の虐殺に至る経緯として、次のような背景がある。1945年6月13日、米軍の偵察大隊が久米島に上陸した。そして現在の空港の近くの北原地区に住む比嘉亀さん宅に侵入し、亀さんと宮城栄明さんの家族を拉致する事件が起きた。しばらく経った6月29日、鹿山隊は米軍に拉致された人々をスパイとみなし、(米軍から)戻されたことを軍に知らせなかったとして、比嘉さんと宮城さんとその家族、さらには北原区長だった小橋川共晃さん、警防分団長ら9人を銃剣で突き殺し、さらにガソリンをまいて家ごと焼き払った。これはこの事件で気が動転した兵士が逃げ出し、村人に証言している。
このダイアリーはPart1が存在します。 特定の事象について細かく書きますので、前回のダイアリーを読まれていない方は、是非とも一度お目通し下さい。
Part3を書きました→https://anond.hatelabo.jp/20170901171449
大変沢山の方にダイアリーをお読み頂いたらしく、Twitterでサーチをかけると大きな事業者に従事されている方の目にまで通っている事が伺えます。
それだけ皆様が関心有る分野なのかと思いますし、何よりこのLPWA事業についても始まったばかりで法の穴にハマるのも無理はありません。
前回は、電波法と電気通信事業法から見たLPWA事業についての概要を説明しました。今回は、法改正によるアップデートも含め、続きのお話をしようと思います。
LPWAで利用される920MHz帯の無線局として、以前は自営のみの利用に限定されていた簡易無線局が電気通信事業用途として利用できるようになりました。
(参考:http://www.soumu.go.jp/main_content/000496551.pdf)
(1)920MHz 帯小電力無線システムの無線局の技術基準等の見直し
① IoT 向けの電気通信サービス等の新たな利用目的ニーズの拡大に対応するため、無線局の局種を簡易無線局から陸上移動局へ
② 狭帯域の周波数利用における周波数利用効率の向上を図るため、指定周波数帯による規定を追加する。
③ その他機器の小型化における利便性を確保するため、空中線電力及び空中線利得の技術基準の緩和等、所要の規定の整備を
行う。
①がその変更点です。少し誤解を招く日本語ですので、噛み砕いてご説明します。
この法改正において、陸上移動局へ局種変更となるのは、簡易無線局と定められた無線局のみです。特定小電力無線局は、これまで通り利用できます。
簡易無線局は250mW出力が許可され、基地局として最も適した無線局とされていましたので、堂々と電気通信事業用途として利用できるようになりました。
京セラコミュニケーションシステム(KCCS)が昨年の暮に総務省へ懇願していましたが、どうやら認められたようですね。素晴らしい法改正です。
(参考:http://www.soumu.go.jp/main_content/000450876.pdf)
高出力無線局が電気通信事業用途として利用できるようになった反面、新たな縛りが加わりました。種別が陸上移動局になった事により、読んで字のごとく陸上でしか無線局を利用できません。上では "基地局に適した" と書きましたが、当然クライアントとしても利用できます。高出力ですので、その分遠距離通信が可能です。
携帯電話も陸上移動局ですが、これによりドローン等に付けて空を飛ばせなくなりましたし、海上でも利用できない縛りを受けてしまいました。
その点、特定小電力無線局は陸・空・海で免許されていますので、好きなように使うことができます。
個人的な感想では、改正による利点のほうが大きいですから、用途により無線局を使い分けることで妥協できる範囲内かと思います。
出力:20mW以下
出力:250mW以下
移動範囲:陸上は間違いないのですが、その他は明確に定められた文書が見当たらず、不明です。ご存知の方がいらっしゃればコメントでご教示下さい。
出力:250mW以下
と、なります。
LPWAの基地局をサービスとして提供するなら登録電気通信事業者(以下、登録)にならないといけない旨を書きました。
これについて、LoRaWANの共有モデルサービスを展開されているソラコムの玉川さん(社長)より直々にコメントを頂きましたので、今回はこの話題についてもう少し触れてみたいと思います。
玉川さんから頂いた2度目のコメントへ返信したのを最後に、それ以来コメントがありません。(私が任意でご回答下さいと書いたせいかもしれませんが)
特に疑問に思ったコメントは、 "SORACOM Air for LoRaWANの共有モデルに関連して、弊社は登録番号 第373号として登録済みです。" というものです。
前回の追記にもあるように、私から "ではなぜ6月1日時点での登録電気通信事業者のリストに名前が載っていないのか" とお聞きしたものの答えて頂けなかったので、玉川さんには大変失礼ですが、総務本省へ電話で確認を取りました。
私も総務省の人間ではありませんので、もしかしたら "登録済みだけど、リストへの反映が遅れている"という可能性と、私の事業法への理解がそもそも間違っている事を前提とし、問い合わせを行いました。問い合わせた内容と、その返答を簡単にまとめます。
→される。欠番(事業廃止)以外の理由で、リストに掲載されない事はない。
・登録後、どれくらいのタイムラグがあるか?(●月☓日時点 において、それ以前に登録された内容が漏れることはあるのか?)
→基本的には、登録されると遅滞なくリストに反映される。地方の総通局から本省へ書類が回ってくるのが遅れた場合のみ、次月に反映される事もある。
というものでした。前回の記事では、最新版は6/1日時点でソラコムの名前はありませんでした。数日前に7/1日時点のリストへ更新されましたが、これまたソラコムの名前は無く、373号も未採番のままです。玉川さんから頂いた2度目のコメントには "電気通信事業の登録を行った上でサービス提供を開始させていただいております" とありますが、上の話を聞く限りいつ登録したのか、どう好意的な解釈をしても理解できません。
"俺も免許取るつもりだからまだ免許証貰ってないけど車運転していいですか?" みたいな状態です。
もし万が一まだ登録になっていない場合は、すぐに一時的にでもサービスの提供を中止すべきかと思いますし、総務省との間で特段のやりとりがあり、登録ではないけど事業を許可されている又は本当に登録へのリスト掲載が遅れているのであれば、その旨を説明するのが筋でした。どちらにせよ、玉川さんから頂いたコメントはあまり誠実ではありません。
総務省がOKと言えば、それで良いのです。OKと言っている以上、ただの一般人である私が取り上げてどうこう言うのは筋違いです。私の事業法への認識が間違っている事を願うばかりです。
ソラコムを論って叩きたいわけでも、サービスを畳んで欲しいわけでもありません。先方にとっては大変迷惑な話かもしれませんが、ちょうど議論するに最適な事業者がいらっしゃったので取り上げさせて頂きました。
玉川さん自身は、登録になって法令遵守する事は大事だと仰っていますし、私もLPWAには可能性を感じていますので、どんどんサービスは前面に押し出して伸びて欲しいと思っています。
登録していないなら、登録して "シロ" になるまで、不本意ながらもサービスを止めれば良い話です。ただ、通信業界の第一線級の方々が在籍するソラコムにおいて、このように法令遵守が不明瞭なままサービスを行う、そのコンプライアンス意識に疑問を感じています。
罰則規定はあるけど、実際に同法第9条違反で処罰された例を私は見たことがありませんし、"大したダメージは無いから" と甘く見ているのではないかと勘ぐってしまいます。 これがまかり通ると、わざわざ登録になったKCCSの立つ瀬がなくなります。
私自身、電気通信主任技術者(伝送交換・線路)や陸上無線技術士の資格を受け、事業者に従事している側の人間です。電気通信事業法や電波法に関する最低限の常識は持ち合わせており、妄想や寝言でこの記事を書いている訳ではないということを、ご理解下さい。
文頭にも記したとおり、ハマりやすい所です。今までは伝送路というものがある程度分かりやすく、登録になるのは本当にケーブルテレビ局や携帯電話事業者・大手キャリアばかりでした。
まだ黎明期ですが、安定するとLPWAで事業をするところがちらほら出てくるでしょう。後発の事業者が同じ道を歩かないように、この記事が法令遵守に関する意識を持つ良いきっかけになればと思っています。
また何かあれば、その3を書くかもしれません。
コメント:(https://www.facebook.com/KenTamagawa/posts/10159013852120054?comment_id=10159092600690054&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R%22%7D&pnref=story)
1:弊社は、所有モデルにおける限定共有・全共有の各機能の存在及び内容についてもご説明した上で弊社の登録要否の解釈について確認しております。お客様の登録要否についてはゲートウェイ所有のお客様の提供される内容に依るかと存じますが、共有することすなわち登録とならないことについては確認しております。もちろんお客様の提供内容によっては、お客様が電気通信事業の登録を行う必要がある場合はあると存じます。
2:164条の適用除外ではございません。(なお、弊社の進め方については、登録の手続きに関し相談をさせて頂いている中でお伝えしております。)
また、各関連法規・法令を遵守することは大変重要と考えている点についてのスタンスは変わりませんが、一方、すべてを詳細にご説明・解説させて頂くことは営業戦略・競争力に繋がる部分もあるためご容赦頂ければと存じます。
返信:
ご説明ありがとうございます。同法の専門家でない玉川さんへ細かい事を言うのは間違いかもしれませんが、すぐに登録にならないといけない訳ではありません。
まずは電気通信事業を営む事で届け出になる必要があり、提供が広範囲になることで登録+主任技術者の配置へ格上げとなります。今は本題ではありませんので、一旦置いておきましょう。
登録年月日のご教示ありがとうございます。私が記事を執筆したのが7/7ですので、その時点で登録である事は承知しました。従って、7/1のリストに掲載されていない点についても同時に解消しましたので、来月更新予定の8/1時点での登録事業者リスト掲載まで暫く待つ事にします。失礼しました。
さて、繰り返しますが3月のサービス開始から登録される7/5までの期間について何も言及されていないのは何故でしょうか。
前記事へコメント頂いた"共有サービスモデルについては所有モデルでのゲートウェイより遅れて提供を開始するとともに当初は電気通信事業を営む形にならないようご提供しており、電気通信事業の登録を行った上でサービス提供を開始させていただいております。" について、
同法164条の適用除外にならずして登録なしに事業を行える方法は、私が本省へ記事以外に問い合わせた内容と同法を突き合わせましたが、どう考えてもあり得ません。この部分について説明が求められれば、記事に追記します。
御社のプレス内容や、LoRa Spaceの基地局設置情報、更には設置企業が出したブログ等の情報(弊社から約1kmの範囲内であれば基地局が利用できます...)を見る限り、登録した7/5以降に共有サービスを正式に開始されたとは到底思えません。(7/5はDiscovery 2017のイベント日でしたし)
御社の同業他社を引き合いに出させて頂くと、KCCSにおいては大変明瞭でした。
2016年11月9日のプレスには "「SIGFOX」を日本で展開し、LPWAネットワーク事業へ参入。2017年2月からIoT向け低価格通信サービスを提供開始" とあり、
実際に登録電気通信事業者になったのが、2017年1月19日(第367号)です。 そして、2017年2月27日のプレスにて "「SIGFOX」のサービス提供を開始" としました。
参入プレス:http://www.kccs.co.jp/release/2016/1109/index.html
提供プレス:http://www.kccs.co.jp/release/2017/0227/index.html
これはかなり良い例ですので、御社に全て真似をして欲しいと言うつもりはありませんが、せめて共有モデル提供のプレスリリースを出すのは、きちんと登録日以降になるのが好ましかったと言えます。
知人より情報を頂きました(参考:https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1428328690590961&set=a.385522748204899.94679.100002415326524&type=3&theater)
さくらインターネットの江草さんに取り上げて頂いたようですが、玉川さんの "江草さん、込み入った話になるので直接お話ししましょう。" とは何でしょうか。
なにか当人(同じ事業者間)同士でしか話せない裏の話があるのでしょうか。 私が議論したい点については江草さんがほぼ代弁されています。
7/7の記事を執筆する前から、総務省へありとあらゆる形態で登録にならない範囲のLPWA事業モデルについて相談させて頂きましたが、上の通り登録せずに御社と同じ形態のサービスは提供できないという結論に至っています。行政の中でも総務省はかなりフェアな方でしたが、必ずしも一貫して正しい回答を下すとは思っておりません。
何度も申し上げますが、もし登録になっていなくても総務省から事業を許可された正当な理由があるのでしたら、だからこそ公表するのが筋ではないでしょうか。
"これを公表することで競争力に影響があるため回答できません" は、より不透明性を増します。
これは直接玉川さんのコメントへの返信ではありませんが、Facebookの玉川さんコメントに付したコメントについてです。
小橋さんがこのコメントをご覧になっているかは分かりませんが、書きます。
私の執筆した記事が屁理屈と言うのであれば、なぜソラコムは7/5に登録事業者となったのでしょうか。
"事業をやってる立場では、判断曖昧な行政と宇宙語で応対されても必死に乗り越え様としてる事実など分かりもしない輩に等、絶対に分からない苦労が有ると思います。" とありますが、(ここに限って言えば)登録になった事業者は、皆その行政と宇宙語で話をして、きちんと事業をされているわけです。私もその一人ですから。
別に玉川さんが技術から法的対応まで何もかも全て完璧に対応できる訳無いことくらいは、私にも理解できます。
そのための会社です。何のために法務担当や電気通信事業法に詳しい主任技術者、電波法に詳しい無線従事者が居ると思っているのでしょうか。
22年9月 | 22年12月 | 23年3月 | 23年6月 | 23年9月 | 23年12月 | 24年3月 | 24年6月 | 24年9月 | 24年12月 | 25年3月 | 25年6月 | 25年9月 | 25年12月 | 計 | |
萩野谷 勉 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 6 | ||||||||
大貫 道夫 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
柏 宏明 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
小森 敬太郎 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
吉川 美保 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 10 | ||||
小森 敏雄 | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||||||
田沢 祐男 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
川上 博 | 0 | ||||||||||||||
武石 寿長 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
高村 和郎 | ★ | ★ | 2 | ||||||||||||
内田 勝廣 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||
野上 台一 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
岡崎 榮一 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 | ||||||||
淀川 茂樹 | 0 | ||||||||||||||
掛札 行雄 | ★ | 1 | |||||||||||||
木村 久美子 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 6 | ||||||||
秋山 信夫 | 0 | ||||||||||||||
木村 勝昭 | 0 | ||||||||||||||
小橋 輝夫 | 0 | ||||||||||||||
金子 卓 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||
仲田 好一 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 | ||||||
堀江 鶴治 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 |