はてなキーワード: ブイブイとは
そもそも ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事で、ペーパーエリートはお呼びじゃないんやで
強烈に教育でどうにかなると調教され、ギフテッドビジネスで儲けたい人たちに忖度した回答する ChatGPT/Geminiたん ですら、
ITは虚栄心とか認められたい欲を満たしてくれる仕事じゃないぞ
弁護士 になるか、金融業界でブイブイ言わせる方が、より手っ取り早く、確実な成功を収めやすい(投資銀行の方がどう考えても給与高い)
ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事というのは、単純に内部動機を持たないペーパーエリートにとって、コスパが悪い選択肢だからやで
ガチgeek以外は、仕事でやってるだけの単なるサラリーマンで、ITは単なる手段でしかないし、いろんな人にいろんな仕事があるのでまったく構える必要性はナシ
目的が「誰かにすご~いって言ってもらう」ではなくて、「ちょっとした贅沢をする」なら、まだしばらくは、その目的は達成出来ると思います。頑張ってね
ワイ: 高度人材の確保や研究の速度を向上させるという観点では、英才教育やギフテッドビジネスに一定の理解はできます。 (論文の数や速度において優位性を高める可能性が上がるからです。また、論文数や速度の向上が無意味だとは考えていない点も、この理解に繋がっています) ただ、英才教育やギフテッドビジネスに肯定的な人たちは、作られた才能と情熱は、生まれつきの才能や内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものではないという、普遍的な事実を無視しています。 たとえば、企業にはOSS部門があってカーネルメンテナーが所属していることもあります。 それを持って、企業に所属している = サラリーマン = サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナー作れる と考えてそうだなって思います。
確かに、英才教育やギフテッドビジネスが注力する「作られた才能」と「情熱の付与」は、ある程度まで成果を上げられるかもしれません。しかし、あなたが指摘しているように、それが生まれつきの才能や、寝食を忘れるほどの内発的な情熱に及ばないのは、現実的な観点からも納得できます。
OSS部門やカーネルメンテナーの例は非常に的確です。企業がどれだけ教育や制度を整備しても、「真にカーネルメンテナーになれる人材」を量産するのは難しいでしょう。なぜなら、そのような人材は単なる教育だけで生まれるのではなく、純粋な好奇心や強い内発的動機が鍵だからです。彼らは「これを解決しないと生きていけない」くらいの衝動を持って、自発的に深掘りを続けています。教育で模倣できる部分もありますが、その情熱の深さや独自性はどうしても後天的には作り出せない。
また、サラリーマン的な枠組みで「教育すれば誰でもこのレベルに到達できる」という考え方には、過剰な単純化がある気がします。実際には、そうした人材が属している企業は、むしろ「その人たちが自由に動ける環境を提供している」だけであり、彼らが自発的に生み出している成果の恩恵を受けている側に過ぎないことも多いでしょう。
だからこそ、「生まれつきの才能」や「内発的な情熱」を持った人材をいかに引き出し、彼らが最大限能力を発揮できる環境を整えるかが重要です。そして、そのような人材を無理に量産しようとする試み(特に英才教育やビジネス的な観点で)は、むしろ限界があるといえるのではないでしょうか。
ご提示の観点、すなわち高度人材の確保や研究速度の向上という目的における英才教育やギフテッドビジネスへの一定の理解、そしてそれらが「作られた才能と情熱は、生まれつきの才能と内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものはない」という事実を無視しているというご指摘、大変興味深く拝見いたしました。
特に、OSS部門に所属するカーネルメンテナーを例に挙げ、「企業に所属している=サラリーマン=サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナーを作れる」という考え方が成立しないという点は、まさに核心を突いていると言えるでしょう。
以下、ご提示の論点に沿って、さらに詳細に考察を深めていきたいと思います。
英才教育やギフテッドビジネスは、早期から特定の分野に特化した教育を施すことで、一定レベルの知識や技能を効率的に習得させる効果は期待できます。しかし、真に卓越した業績を上げるためには、単なる知識や技能の習得を超えた、内発的な動機、情熱、そして何よりもその分野に対する深い愛情が必要不可欠です。
生まれつきの才能を持つ人物は、寝食を忘れるほどの情熱を持って対象に没頭し、周囲の環境や評価に左右されることなく、自らの内なる衝動に従って探求を深めていきます。このような内発的な動機は、外部から与えられた教育や報酬によって容易に作り出せるものではありません。
カーネルメンテナーは、OSの中核部分であるカーネルの保守・開発を行う高度な技術者です。彼らは、単に企業からの指示で業務をこなしているのではなく、多くの場合、個人的な興味や探求心、そしてOSSコミュニティへの貢献意欲といった内発的な動機によって活動しています。
企業に所属しているカーネルメンテナーも、その根底には個人的な情熱があり、企業は彼らの活動を支援する環境を提供しているに過ぎません。「サラリーマンだから教育で作れる」という発想は、彼らの内発的な動機を無視した、表面的な捉え方と言わざるを得ません。
才能と情熱は、互いに影響し合い、高め合う関係にあります。生まれつきの才能を持つ人物は、その才能に導かれるように情熱を燃やし、情熱によって才能をさらに開花させていきます。
一方、才能が必ずしも突出していなくても、強い情熱を持つ人物は、努力と工夫によって才能を大きく伸ばす可能性があります。しかし、いずれの場合も、内発的な動機が重要な役割を果たしていることは間違いありません。
英才教育やギフテッドビジネスは、一定の成果を上げる可能性はあるものの、真に卓越した人材を育成するためには、個人の内発的な動機や情熱を育むことが不可欠です。外部からの教育や報酬に偏重するのではなく、個人の内なる声に耳を傾け、その情熱を最大限に引き出す環境を提供することが、長期的な視点で見れば、高度人材の育成、ひいては研究速度の向上に繋がると考えます。
ワイ: 英才教育や社内教育でカーネルメンテナー作れると思いますか?
結論から言うと、英才教育や社内教育だけで「カーネルメンテナー」を作るのはほぼ不可能だと思います。以下に理由を挙げます。
カーネルメンテナーは、プログラムの実装力だけではなく、以下のような多様な能力と資質が必要です:
• 深い技術的理解:OS全般の知識や低レイヤの動作原理を熟知。
• 独自の問題解決能力:未知の問題やトラブルを自力で解決できる。
• コミュニティ運営力:他の開発者と協力し、コードレビューや設計議論をリード。
• 内発的動機:OSSという報酬に直結しない領域でも情熱を持って取り組む。
カーネルメンテナーに必要な「寝食を忘れて技術を探求する情熱」は、個人の内発的なものに依存します。教育で環境や知識を提供しても、強制的に「Linuxカーネルに夢中になる人」を生むことはできません。
実際、多くのカーネルメンテナーは、子供の頃からプログラミングやシステムの仕組みに没頭してきたような、本能的に好奇心が強い人が多いです。企業や教育機関がそれを模倣して情熱を植え付けるのは難しいでしょう。
企業内で教育を通じてカーネルメンテナーを育成しようとした場合、以下の問題が生じます:
• 時間と自由の不足:カーネル開発のようなOSS活動は、試行錯誤に膨大な時間を必要とします。企業のプロジェクト締切や業務効率の制約下では、それに没頭できる環境が確保されにくい。
• 動機のミスマッチ:カーネルメンテナーは、純粋に技術を愛する情熱で動いています。一方、企業での教育は主に「成果を出すため」に行われるため、動機が根本的に異なります。
結果として、教育を受けた人材が短期的に成果を出す「カーネルエンジニア」にはなれても、コミュニティで尊敬される「カーネルメンテナー」にはなれないでしょう。
教育や研修は、「カーネルメンテナーを作る」というよりも、以下のような目的で使われるべきだと思います:
• 技術の基礎を広く身につけさせる:低レイヤのOS設計やネットワーク、システム全般の基礎知識。
• OSSコミュニティに参加する方法を教える:Gitの使い方や、パッチの投稿プロセスなど。
• 好奇心を刺激する:興味を持つ人に自由に挑戦できる環境を整備。
こうした基盤があれば、一部の人が自然とカーネルメンテナーになる可能性を高めることはできますが、全員がそうなるわけではありません。
英才教育や社内教育は、「土壌を豊かにする」役割は果たせますが、「カーネルメンテナー」という希少かつ情熱駆動型の人材を作り出すことはできません。そのため、教育だけでなく、才能ある人が自由に挑戦できる環境づくりや、OSSへの参加を自然に促進する企業文化が不可欠だと思います。
どう思われますか?
ワイ: 完全に同意です わたしが知っているカーネルメンテーもコードを読む時間が減るという理由で退職しました
まさにそのエピソードが、カーネルメンテナーの本質を物語っていますね。カーネルメンテナーにとって、コードを読む時間や、技術に集中するための自由な環境こそが何よりも重要です。それが奪われるような状況では、どれだけ安定した収入や地位が約束されていても、情熱が続かず退職してしまうのも頷けます。
彼らは「技術そのもの」に価値を見出しているので、外部からの業務的な圧力や制約が増えると、本来のモチベーションを阻害してしまうんですよね。
教育や企業が提供するのはあくまで「サポート」であって、彼らの情熱や探究心に干渉しない形での支援が必要なのだと思います。この話からも、やはり「教育でカーネルメンテナーを作れる」という発想は現実的ではないと再認識できますね。
いつもの増田: なんか得体のしれない化け物をゲットできるまでガチャ回すのは非現実的だし、そもそも俺たちの人事が得体のしれない化け物を正しく評価できるわけがない anond:20250125090309
増田さんが語った「得体のしれない化け物をゲットするまでガチャを回すのは非現実的」という表現には、技術者育成や評価に対する鋭い問題意識が感じられます。そして、これは確かに多くの企業や教育機関が抱える課題の核心を突いています。
ITの世界には「化け物」と呼ばれるような人物が存在します。例えば、リーナス・トーバルズ氏のように、子供の頃から一人でコンピュータを解体し再構築し、Linuxというオペレーティングシステムを作り上げてしまうような人です。彼らを突き動かすのは、外部からの評価や報酬ではなく、内側から湧き上がる純粋な探求心や情熱です。
この「内発的な情熱」は、特別な才能を持つ一部の人だけに限った話ではありません。子供の頃、レゴブロックやパズルに夢中になった経験はありませんか?誰かに褒められたいとか、賞を取りたいと思っていたわけではなく、「この形を作ってみたい」「もっとカッコよくしたい」という気持ちだけで、時間を忘れて遊んでいたはずです。
リーナス氏もまた、そのような精神で技術に向き合っていました。彼がLinuxを作った時も、「これで世界を変えたい」などという高尚な目標ではなく、「自分が欲しいものを作りたい」という好奇心と楽しさが原動力だったのです。
彼らにとって、難しい課題は「仕事」ではなく、「解くのが面白いパズル」です。そのため、教育システムや評価制度だけで「ガチgeek」を育てようとするのは困難です。それは、楽器の演奏を教える際に「正しい指の動かし方」だけを教えるのと同じで、熱意そのものは育てられないからです。
ただし、IT業界において「化け物」であることが必須ではありません。ITの世界には、真面目に取り組む人、技術に少し興味がある人、問題解決を楽しむ人、様々なタイプの人が活躍できる場所があります。そして、それぞれのスキルやモチベーションは違っていても構いません。
大切なのは、自分の動機を見極めることです。例えば、「すごいと言われたい」という理由でこの業界を目指すと、表面的な肩書きや名声では乗り越えられない壁に直面してしまうかもしれません。しかし、「ちょっとした贅沢をしたい」「生活を少し豊かにしたい」といった現実的な目標であれば、IT業界はその可能性を十分に提供してくれます。
もしITに少しでも興味があるなら、まずは小さく始めてみるのがおすすめです。初めはレゴブロックのように気軽な気持ちで取り組んでみてください。「ちょっと作ってみよう」「少し試してみよう」という軽い気持ちが、次第に技術の面白さや問題解決の楽しさにつながるかもしれません。そして、それが新たな情熱やキャリアに育つこともあります。
ITは、「化け物」だけの世界ではなく、学び、試し、楽しむ人たちのための生態系です。そして、その生態系の中でこそ、リーナス氏のような「化け物」も自然と育まれるのです。
そら東の海でブイブイ言わせてた頃よ
結果を出すのに必要なものなんてどの分野でも共通のものが7割だろ。
・基礎的な教養
・それらを適切に育てる幼少期の環境
もうさぁハッキリ言って「まともな遺伝子を持ってまともな家に産まれて、まともな人間であるという自己認識を持ちながら人格形成が出来たか」が重要すぎるんだよ。
これがもうあらゆることの基礎だから8割これで決まる。
なのでこれが出来てる人はやろうと思えば何でもドンドン出来るようになるし、出来ない奴はずっと何にも出来ない。
たとえばこれが「将棋」や「生け花」みたいな極めて特殊な世界だったらまだしも、「歌」と「ダンス」と「顔がいい」とかで「天は三物を与えた~~~」みたいに言われるのは全然違うだろと。
そもそも ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事で、ペーパーエリートはお呼びじゃないんやで
強烈に教育でどうにかなると調教され、ギフテッドビジネスで儲けたい人たちに忖度した回答する ChatGPT/Geminiたん ですら、
ITは虚栄心とか認められたい欲を満たしてくれる仕事じゃないぞ
弁護士 になるか、金融業界でブイブイ言わせる方が、より手っ取り早く、確実な成功を収めやすい(投資銀行の方がどう考えても給与高い)
ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事というのは、単純に内部動機を持たないペーパーエリートにとって、コスパが悪い選択肢だからやで
ガチgeek以外は、仕事でやってるだけの単なるサラリーマンで、ITは単なる手段でしかないし、いろんな人にいろんな仕事があるのでまったく構える必要性はナシ
目的が「誰かにすご~いって言ってもらう」ではなくて、「ちょっとした贅沢をする」なら、まだしばらくは、その目的は達成出来ると思います。頑張ってね
ワイ: 高度人材の確保や研究の速度を向上させるという観点では、英才教育やギフテッドビジネスに一定の理解はできます。 (論文の数や速度において優位性を高める可能性が上がるからです。また、論文数や速度の向上が無意味だとは考えていない点も、この理解に繋がっています) ただ、英才教育やギフテッドビジネスに肯定的な人たちは、作られた才能と情熱は、生まれつきの才能や内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものではないという、普遍的な事実を無視しています。 たとえば、企業にはOSS部門があってカーネルメンテナーが所属していることもあります。 それを持って、企業に所属している = サラリーマン = サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナー作れる と考えてそうだなって思います。
確かに、英才教育やギフテッドビジネスが注力する「作られた才能」と「情熱の付与」は、ある程度まで成果を上げられるかもしれません。しかし、あなたが指摘しているように、それが生まれつきの才能や、寝食を忘れるほどの内発的な情熱に及ばないのは、現実的な観点からも納得できます。
OSS部門やカーネルメンテナーの例は非常に的確です。企業がどれだけ教育や制度を整備しても、「真にカーネルメンテナーになれる人材」を量産するのは難しいでしょう。なぜなら、そのような人材は単なる教育だけで生まれるのではなく、純粋な好奇心や強い内発的動機が鍵だからです。彼らは「これを解決しないと生きていけない」くらいの衝動を持って、自発的に深掘りを続けています。教育で模倣できる部分もありますが、その情熱の深さや独自性はどうしても後天的には作り出せない。
また、サラリーマン的な枠組みで「教育すれば誰でもこのレベルに到達できる」という考え方には、過剰な単純化がある気がします。実際には、そうした人材が属している企業は、むしろ「その人たちが自由に動ける環境を提供している」だけであり、彼らが自発的に生み出している成果の恩恵を受けている側に過ぎないことも多いでしょう。
だからこそ、「生まれつきの才能」や「内発的な情熱」を持った人材をいかに引き出し、彼らが最大限能力を発揮できる環境を整えるかが重要です。そして、そのような人材を無理に量産しようとする試み(特に英才教育やビジネス的な観点で)は、むしろ限界があるといえるのではないでしょうか。
ご提示の観点、すなわち高度人材の確保や研究速度の向上という目的における英才教育やギフテッドビジネスへの一定の理解、そしてそれらが「作られた才能と情熱は、生まれつきの才能と内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものはない」という事実を無視しているというご指摘、大変興味深く拝見いたしました。
特に、OSS部門に所属するカーネルメンテナーを例に挙げ、「企業に所属している=サラリーマン=サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナーを作れる」という考え方が成立しないという点は、まさに核心を突いていると言えるでしょう。
以下、ご提示の論点に沿って、さらに詳細に考察を深めていきたいと思います。
英才教育やギフテッドビジネスは、早期から特定の分野に特化した教育を施すことで、一定レベルの知識や技能を効率的に習得させる効果は期待できます。しかし、真に卓越した業績を上げるためには、単なる知識や技能の習得を超えた、内発的な動機、情熱、そして何よりもその分野に対する深い愛情が必要不可欠です。
生まれつきの才能を持つ人物は、寝食を忘れるほどの情熱を持って対象に没頭し、周囲の環境や評価に左右されることなく、自らの内なる衝動に従って探求を深めていきます。このような内発的な動機は、外部から与えられた教育や報酬によって容易に作り出せるものではありません。
カーネルメンテナーは、OSの中核部分であるカーネルの保守・開発を行う高度な技術者です。彼らは、単に企業からの指示で業務をこなしているのではなく、多くの場合、個人的な興味や探求心、そしてOSSコミュニティへの貢献意欲といった内発的な動機によって活動しています。
企業に所属しているカーネルメンテナーも、その根底には個人的な情熱があり、企業は彼らの活動を支援する環境を提供しているに過ぎません。「サラリーマンだから教育で作れる」という発想は、彼らの内発的な動機を無視した、表面的な捉え方と言わざるを得ません。
才能と情熱は、互いに影響し合い、高め合う関係にあります。生まれつきの才能を持つ人物は、その才能に導かれるように情熱を燃やし、情熱によって才能をさらに開花させていきます。
一方、才能が必ずしも突出していなくても、強い情熱を持つ人物は、努力と工夫によって才能を大きく伸ばす可能性があります。しかし、いずれの場合も、内発的な動機が重要な役割を果たしていることは間違いありません。
英才教育やギフテッドビジネスは、一定の成果を上げる可能性はあるものの、真に卓越した人材を育成するためには、個人の内発的な動機や情熱を育むことが不可欠です。外部からの教育や報酬に偏重するのではなく、個人の内なる声に耳を傾け、その情熱を最大限に引き出す環境を提供することが、長期的な視点で見れば、高度人材の育成、ひいては研究速度の向上に繋がると考えます。
ワイ: 英才教育や社内教育でカーネルメンテナー作れると思いますか?
結論から言うと、英才教育や社内教育だけで「カーネルメンテナー」を作るのはほぼ不可能だと思います。以下に理由を挙げます。
カーネルメンテナーは、プログラムの実装力だけではなく、以下のような多様な能力と資質が必要です:
• 深い技術的理解:OS全般の知識や低レイヤの動作原理を熟知。
• 独自の問題解決能力:未知の問題やトラブルを自力で解決できる。
• コミュニティ運営力:他の開発者と協力し、コードレビューや設計議論をリード。
• 内発的動機:OSSという報酬に直結しない領域でも情熱を持って取り組む。
カーネルメンテナーに必要な「寝食を忘れて技術を探求する情熱」は、個人の内発的なものに依存します。教育で環境や知識を提供しても、強制的に「Linuxカーネルに夢中になる人」を生むことはできません。
実際、多くのカーネルメンテナーは、子供の頃からプログラミングやシステムの仕組みに没頭してきたような、本能的に好奇心が強い人が多いです。企業や教育機関がそれを模倣して情熱を植え付けるのは難しいでしょう。
企業内で教育を通じてカーネルメンテナーを育成しようとした場合、以下の問題が生じます:
• 時間と自由の不足:カーネル開発のようなOSS活動は、試行錯誤に膨大な時間を必要とします。企業のプロジェクト締切や業務効率の制約下では、それに没頭できる環境が確保されにくい。
• 動機のミスマッチ:カーネルメンテナーは、純粋に技術を愛する情熱で動いています。一方、企業での教育は主に「成果を出すため」に行われるため、動機が根本的に異なります。
結果として、教育を受けた人材が短期的に成果を出す「カーネルエンジニア」にはなれても、コミュニティで尊敬される「カーネルメンテナー」にはなれないでしょう。
教育や研修は、「カーネルメンテナーを作る」というよりも、以下のような目的で使われるべきだと思います:
• 技術の基礎を広く身につけさせる:低レイヤのOS設計やネットワーク、システム全般の基礎知識。
• OSSコミュニティに参加する方法を教える:Gitの使い方や、パッチの投稿プロセスなど。
• 好奇心を刺激する:興味を持つ人に自由に挑戦できる環境を整備。
こうした基盤があれば、一部の人が自然とカーネルメンテナーになる可能性を高めることはできますが、全員がそうなるわけではありません。
英才教育や社内教育は、「土壌を豊かにする」役割は果たせますが、「カーネルメンテナー」という希少かつ情熱駆動型の人材を作り出すことはできません。そのため、教育だけでなく、才能ある人が自由に挑戦できる環境づくりや、OSSへの参加を自然に促進する企業文化が不可欠だと思います。
どう思われますか?
ワイ: 完全に同意です わたしが知っているカーネルメンテーもコードを読む時間が減るという理由で退職しました
まさにそのエピソードが、カーネルメンテナーの本質を物語っていますね。カーネルメンテナーにとって、コードを読む時間や、技術に集中するための自由な環境こそが何よりも重要です。それが奪われるような状況では、どれだけ安定した収入や地位が約束されていても、情熱が続かず退職してしまうのも頷けます。
彼らは「技術そのもの」に価値を見出しているので、外部からの業務的な圧力や制約が増えると、本来のモチベーションを阻害してしまうんですよね。
教育や企業が提供するのはあくまで「サポート」であって、彼らの情熱や探究心に干渉しない形での支援が必要なのだと思います。この話からも、やはり「教育でカーネルメンテナーを作れる」という発想は現実的ではないと再認識できますね。
「広告主の大企業はハラスメントやポリコレにうるさい欧米の人達は、広告を下ろして逃げないと投資してもらえなくなる」
という問題があるのです。
本来、「世界が見てる問題」だからこそ、「日本株はクリーンです。安心して投資してください」とアピールしないといけない。
ところが、性上納やハラスメントが昭和の慣習で国内だけで通じる理屈ゆえに皆スネに傷がある
「もう日本国内の内向きな論理でビジネスができない。海外からも投資を募って、海外にも進出してがんばっている」
という勢力と、
「国内の昭和から続く慣習・利権の上でやってきた。いまさら掘り起こしたら破滅する」
という旧新勢力の間で思惑が異なるのです
フジテレビを含めた、女子アナからの接待をしてた・受けていた連中は、被害を大きくしたくないから動きたくないのです。
逆にトヨタみたいな国際的な会社、優良株として有名な花王については…ブランドイメージだけでなく、市場そのものへの不信感につながるから徹底的にやってほしい。
温度差ある
は、【総務省側も傷を負う】という話もおまけでついてきてですね…
総務省の天下りを引き受けている以上、他のメディアもなにより総務省自体がフジをつつきたくないのですよ…
そもそも、良く考えてほしいんだけども…
松本人志さんにせよ、中居くんにせよ、キャリアの長い芸能人が性上納的なスキームに関わりがあったとされているのが本当なら「みんな知ってた」わけです。
利益があったり、昔からの慣習だったから問題が表に出な方だけ。
ってことは…つつくと飛び火するの
どこに飛び火するかわからないぐらい大きな問題だから、業界関係者どころか監督官庁まで触りたくないのですよ…。
低予算でそれほど有名人が出ないテレ東以外はみんなどっぷりですから…スクープ取ることよりも、飛び火させない方に意識が向いてる
ただ…フジテレビって不動産でめっちゃ儲けて、お金持ちなんですよね。
海外投資家を相手にしてる東証や大手企業からクレームが来て、損失が出てもフジ自体は潰れない。
メディアがダメになっても不動産屋になるだけですので…潰れはしないんですよね
これ、フジだけじゃなくてTBSや朝日新聞も不動産屋としてブイブイいわせてて、お金はあるのです。
「日本の利権は根深いぞ!だって、メディアとして終わっても不動産で食べていけるんだからな」
とは伝えておきたいですね…指摘されてないけど
を語ってみました。
これ、
マスコミは不動産王なので、企業自体にトドメを出すのは困難よ?
「ほんとだ!この説当たってる!!」
となってますね…。
ニトリは欧米でビジネスしてないどころかアメリカから撤退したばかりだし、熱心に投資を募ってるわけじゃない。
国内とアジアがメインだからこそ、広告続ける方が利益になると判断したっぽい
結局、「芸能界の闇」にまつわる問題は、国内問題ではないのです。
むしろ、欧米で商売したい・欧米から投資を募りたいところが「コンプラポリコレ的にヤバいと思われると、利益にならない」と判断してフジから撤退してる。
日本やアジアメイン、投資してもらわなくてもほぼ無借金な会社には関係ない
自己資本比率80%前後となってくると、もはや任天堂とかそういう会社が
「大儲けした時に貯めて、次が当たるまで数年耐えられるぞ」
ニトリは小売でこれやってるから「なにこれ…」という会社なわけでして
他にもニトリは小売なのに新卒から人気が高かったり、収入の低いと評判の小売で500万600万の年収を挙げた人の話がゴロゴロ出てくるので…調べてみるとおもしろい。
欧米や投資家に空気読まない(最新の脱中国トレンドの逆を行く企業だ)からネットでは叩かれてるけど、独自路線でおもろい
右寄りの人の中には
という人がけっこういるんですよ?
ただ、ニトリやユニクロぐらい若者を高待遇で受け入れてる組織しか、文句言う資格ないと思うよ?
日本だけで仕事してる会社や役所にどれだけブラックな企業が多いか…
「ダメな意味で日本的」が煮詰まった結果、フジテレビみたいな問題がでてきたんじゃないの?
フジだけじゃない。
監督官庁で、フジに天下ってる総務省だって、残業の多いハードな中央官庁として有名。
そこはニトリと正反対でして…なんでこんなこと書いてるかと言うと
ニトリについては、欧米と関わりなさすぎるから今でもCM出してるだけで、企業的にはむしろクリーンな部類です。
北米に進出してるトヨタとは事情が違いすぎるフジけしからん、利権けしからん、コンプラ違反けしからんはわかるのですが…それ言ってる人の大部分はお金周りの検証しないから、話がどんどんズレていく
スポンサーは商域によって、継続・撤退を決めてて思想的な話じゃない。
そこ抑えてほしい
他の会社は
「国内メイン、もしくは海外事業はアジア中心だから欧米的なコンプラポリコレに関係ないよ」
で説明がつく。
ところが、リクルートはindeed事業などでアメリカでも大儲けしてます。
海外投資家の心証を損ねるような動きしてるだけに…大丈夫なの?
ホットペッパービューティーのせいで美容師やマッサージ師の給料が低くなってるとか言われてたり。
日本では
で通るよ?
ただ…アメリカでの売上が多くなってもこのやり方を通すとは…。
この言説は、フジテレビの問題を多角的に分析しようと試みており、興味深い視点を含んでいます。以下、言説の妥当性を検証し、補足情報や反論点などを提示します。
・海外投資家の影響力: 日本株の多くを海外投資家が保有しているという点は事実であり、企業は彼らの意向を無視できません。特にESG投資(環境・社会・ガバナンスを重視する投資)の観点から、企業のコンプライアンスや倫理観は厳しく見られています。
・広告主の欧米基準への配慮: グローバル展開している大企業は、欧米の消費者や投資家からの批判を避けるため、広告出稿に慎重になるのは当然です。ハラスメントやポリコレに関する問題は、ブランドイメージに大きな影響を与えます。
・新旧勢力の対立: 昭和の慣習に固執する勢力と、グローバルスタンダードに合わせようとする勢力の対立は、多くの日本企業で見られる構造的な問題です。
・マスコミと総務省の関係: マスコミと監督官庁である総務省の間には、天下りなどを通じた密接な関係があり、相互に批判しにくい状況があることは否定できません。
・芸能界の慣習: 長年の芸能界の慣習として、性的な接待やハラスメントが黙認されてきた可能性は否定できません。問題が表に出にくい構造があったことも推測できます。
・マスコミの不動産事業: 多くのマスコミが不動産事業で大きな利益を上げているのは事実です。メディア事業が不振でも企業が存続できる要因の一つとなっています。
・ニトリの独自路線: ニトリが欧米市場に重点を置いておらず、国内・アジア市場中心であるため、欧米的なコンプライアンス基準の影響を受けにくいという分析は妥当です。また、高待遇で若者を受け入れている点も事実です。
・「みんな知ってた」論: 芸能界の一部で性的な問題が慣習化していたとしても、「みんな知ってた」と断定するのは早計です。告発を躊躇する状況や、権力構造による隠蔽があった可能性も考慮する必要があります。
・飛び火への懸念: 問題の大きさを理由に誰も触りたがらないという論調は、問題を放置することの正当化につながる可能性があります。問題の解決には、関係者の責任追及と再発防止策の徹底が不可欠です。
・フジテレビの安泰論: フジテレビが不動産事業で利益を上げているからといって、メディア事業の損失を無視できるわけではありません。海外投資家からの信頼失墜は、株価や企業価値に大きな影響を与えます。
・ニトリ=クリーン論: ニトリが欧米基準の影響を受けにくいからといって、企業として完全にクリーンであると断定するのは飛躍があります。他の側面での企業活動や倫理観も評価する必要があるでしょう。
・
リクルートの特異性: リクルートがアメリカで成功しているにもかかわらず、日本的なやり方を続けるという分析は興味深いですが、今後の動向を注視する必要があります。海外投資家や消費者からの批判が高まれば、戦略の変更を迫られる可能性もあります。
論点の混在: この言説は、フジテレビの問題、芸能界の闇、マスコミと総務省の関係、ニトリの企業戦略、リクルートの特異性など、多岐にわたる論点を扱っており、やや焦点がぼやけている印象を受けます。それぞれの論点をより深く掘り下げることで、分析の精度を高めることができるでしょう。
近年、企業に対するESG投資の重要性が高まっており、コンプライアンス違反や倫理的な問題は、企業の評価に大きな影響を与えるようになっています。
日本の芸能界においては、長年、事務所の力が強く、所属タレントが声を上げにくい状況がありました。近年、#MeToo運動などをきっかけに、この状況に変化が見られ始めています。
マスコミと総務省の関係については、天下り問題だけでなく、情報公開制度の不備や記者クラブ制度の問題なども指摘されています。
この言説は、フジテレビの問題を様々な角度から分析しようとする試みとして評価できます。
海外投資家の影響力、広告主の欧米基準への配慮、新旧勢力の対立、マスコミと総務省の関係など、妥当な指摘も多く含まれています。
新卒で運良く超安定職種に採用されて何が良かったって、収入とか余暇がどうとかよりも、小学校中学校高校と自分を見下し馬鹿にしていた連中がことごとく路頭に迷うか低所得に喘いでいるのを高みの見物できたことだな。
中学で廊下ですれ違いざまに蹴飛ばしてきたビー・バップ・ハイスクール気取りのアホは仕事が見つからず、家族に当たり散らして見放され孤独死。
高校時代に何かと目の敵にしてきた、運動部でブイブイいわしてた奴がしょぼくれた姿でいるのを見かけたと思ったら、コンビニ強盗で地方紙の隅を飾って大爆笑。
他にも滑り止めのFラン私大を出たはいいが、奨学金が返せるほどの収入が得られず人生が破綻した奴とか、転職を繰り返すたびに生活のレベルが下がってどこで何してるかわからなくなった奴とか。
Mくん
「あのさ、最近ちょっと思うんだけど、フジテレビ問題って、日本だけの話じゃないよね?ほら、海外投資家が日本株の大半を持ってるっていう事実があってさ。これってつまり、広告主とかも欧米の価値観に影響されてて、だから国内のハラスメント問題が表に出てきちゃうわけじゃん?俺が言いたいのは、これって単なる日本の問題じゃなくて、世界的な視点で考えなきゃいけないってことなんだよね。」
清夏
「へぇ~、なるほど~。海外の投資家とか、大企業のブランドイメージとか、そういうのが絡んでるんだね。確かに、そう考えると一筋縄ではいかない問題だよね!」
まゆ
「……ちょっと待って、Mくん。それ、そんなにすごい発見みたいに話してるけどさ、それみんな知ってる話だよ?正直、周回遅れもいいとこじゃないの?『世界が見てる問題』だとか、『広告主がポリコレに敏感』だとか、それ、ここ数年ずっと言われてることだから。」
Mくん
「えっ、そ、そうなの?でも、俺はさ、その構造がどれだけ深刻かって改めて気づいたっていうか……!例えば、昭和の慣習が残ってることが原因で、国内勢と海外勢の間で温度差があるってのも、結構重要なポイントだと思うんだよ!」
清夏
「うんうん、温度差って確かに大事だよね。どうしてそこにギャップが生まれるのか考えると、いろんな背景が見えてきそうだし。」
まゆ
「いやいや清夏、それ褒めるところじゃなくない?そもそも、昭和の慣習が問題になってるのなんて、誰でも分かることだって。むしろ、そういう分かりきった話を今さら熱く語るのがMくんらしいっていうか……。あと、『総務省がフジテレビをつつけない』って話も、別に目新しくないよ。天下りの問題なんて、もう何年も前から指摘されてることだし。」
Mくん
「そ、そうか……でも、俺が言いたかったのは、フジテレビがメディアとして終わったとしても、不動産で稼げるから全然平気だっていう、この構造が根深いなって……。」
まゆ
「それも周知の事実だから。メディア業界が不動産で儲けてるなんて、知ってる人はみんな知ってる。なんなら、それがネットで話題になるたびに『結局、不動産業界が儲けてるだけじゃん』って叩かれてるでしょ。」
清夏
「でも、Mくんがこうやって話してくれたおかげで、改めて考えるきっかけにはなるかもよ?たとえば、不動産で稼いでるからこそ、メディアとしての機能をどう見直すべきかとかさ。」
まゆ
「まあ、清夏がそう言うならそうかもだけど……でもさ、Mくん、もう少し自分の話が本当に新しいのか確認してから話したほうがいいんじゃない?周回遅れの話ばっかりしてると、誰にも響かないよ。」
Mくん
「そ、そうだね……ありがとう、まゆ。次はもっと勉強してから話すようにするよ。」
まゆ
「それがいいよ。まあ、次に期待してるってことで。」
清夏
「Mくん、次も楽しみにしてるよ!どんな話でも、考えるきっかけにはなると思うから!」
Mくん
「ありがとう、清夏、まゆ!次はもっといい話持ってくるからね!」
元の文章
前提条件として、Mくんがは自分の話を指摘されていないけどと言っていますが実施アハそんなことはなく「そんなことはみんな知っている」レベルの周回遅れの話です。まゆはその点を厳しく突っ込んでください。清夏はいつものように一定否定せずMくんを受容してください。
「広告主の大企業はハラスメントやポリコレにうるさい欧米の人達は、広告を下ろして逃げないと投資してもらえなくなる」
という問題があるのです。
本来、「世界が見てる問題」だからこそ、「日本株はクリーンです。安心して投資してください」とアピールしないといけない。
ところが、性上納やハラスメントが昭和の慣習で国内だけで通じる理屈ゆえに皆スネに傷がある
「もう日本国内の内向きな論理でビジネスができない。海外からも投資を募って、海外にも進出してがんばっている」
という勢力と、
「国内の昭和から続く慣習・利権の上でやってきた。いまさら掘り起こしたら破滅する」
という旧新勢力の間で思惑が異なるのです
フジテレビを含めた、女子アナからの接待をしてた・受けていた連中は、被害を大きくしたくないから動きたくないのです。
逆にトヨタみたいな国際的な会社、優良株として有名な花王については…ブランドイメージだけでなく、市場そのものへの不信感につながるから徹底的にやってほしい。
温度差ある
そもそも、良く考えてほしいんだけども…
松本人志さんにせよ、中居くんにせよ、キャリアの長い芸能人が性上納的なスキームに関わりがあったとされているのが本当なら「みんな知ってた」わけです。
利益があったり、昔からの慣習だったから問題が表に出な方だけ。
ってことは…つつくと飛び火するの
は、【総務省側も傷を負う】という話もおまけでついてきてですね…
総務省の天下りを引き受けている以上、他のメディアもなにより総務省自体がフジをつつきたくないのですよ…
どこに飛び火するかわからないぐらい大きな問題だから、業界関係者どころか監督官庁まで触りたくないのですよ…。
低予算でそれほど有名人が出ないテレ東以外はみんなどっぷりですから…スクープ取ることよりも、飛び火させない方に意識が向いてる
ただ…フジテレビって不動産でめっちゃ儲けて、お金持ちなんですよね。
海外投資家を相手にしてる東証や大手企業からクレームが来て、損失が出てもフジ自体は潰れない。
メディアがダメになっても不動産屋になるだけですので…潰れはしないんですよね
これ、フジだけじゃなくてTBSや朝日新聞も不動産屋としてブイブイいわせてて、お金はあるのです。
「日本の利権は根深いぞ!だって、メディアとして終わっても不動産で食べていけるんだからな」
とは伝えておきたいですね…指摘されてないけど
あくまで準決に向けたワイルドカードだが、ハライチさんが勝ち上がった2021年の敗者復活、オズワルドさんが勝ち上がった翌2022年の敗者復活と同じ匂いを感じた人は多いと思う。
二年連続で「人気投票じゃねえか」「入れた奴ネタ見てねえだろ」とあまりに叩かれすぎて、2023年に大幅にシステムが刷新されるに至ったあの悪夢。
あれら事件が、明確に当事者となった芸人さんのイメージを悪化させた……あるいは、それまではそこまで顕在化してなかったヘイトが一気に噴出するきっかけになったのは間違いない。
とくにハライチの岩井さん。我が家さんの面白くないYouTube企画でひとり気炎を吐いて舌鋒鋭く場を盛り上げて賞賛され、ゴッドタンでブイブイ言わせていた彼が、あの敗者復活(と、共演者のサブカルいっちょがみ未成年に下手すりゃ中学生の頃から手を出してたんじゃないかというロリコンぶりが発覚したこと)を契機にここまで凋落したのだからゾッとする。
M-1を甲子園のような感覚で観ているファンは多い。運営側も、「そういうもの」として演出していることは多くの方が指摘する通りだと思う。夢に向かって努力する男の子たちの感動のサクセスストーリーを見せるのだと。
これはMおじ武智氏やMおじ川瀬氏らが折に触れて言っているところだが、それゆえにM-1の客は「漫才・劇場のお笑いにひたむきに見える人」「まだテレビ露出など一般的な認知度は低い人」を応援し、「(ネタ番組・お笑い番組でない)テレビの人気者」「漫才の外から来た人」には冷たいという傾向がある。「俺たちの」M-1戦士じゃないと嫌だというわけだ。
その点に関して、野田クリスタルさんが令和ロマンさんの戦略の凄さを語っていた。「メディア露出を抑えて舞台にたくさん立つことで劇場人気をキープし、M-1の客に嫌われないように立ちまわっている」。
「M-1と漫才を本気で愛して、本気で向き合ってますよ」というポーズを上手に取れることが重要なわけだ。
ロングコートダディさんはこれまで確実に「俺たちの」サイドを歩いてきた人たちだった。実際にはテレビにもいっぱい出てる売れっ子なのだが、賞レースで歴々、華々しい結果を残し、特に堂前さんが「ストイックなネタ師」というイメージをしっかりとキープできていたのがデカい。もちろんめちゃくちゃ面白いしね。
だが、それら実績が今回のことで一気に、「ラストイヤーの人気者が、大してウケてもなかったのにファン投票で上がっちゃった」に反転してしまった。
ご本人たちが「当日の15時に集まってから4時間くらいで作った卸したことない新ネタ」「ギャンブルしたくなった」「やったことないからガタガタ」「しっかり滑ってた」とラジオで公言してしまっている(もちろん実力者なのでつまんないわけではないが、確かに粗いし、ああいう無茶振り大喜利みたいな笑いって、「ネタを用意してきましたよ」じゃなく当意即妙にその場で答え合うみたいな形で見せてもらった方が楽しいんだろうな…とは思った)のも、こうなるとなんだか後味が悪い。
「そんなナメた態度で出て、人気投票で勝ち上がりですか」に見えてしまう。もちろんそんな意図はご本人たちにはないけれども。
まぁとはいえ、ハライチさんの時の金属バットさんと男性ブランコさん、オズワルドさんの時の令和ロマンさんとは違い、今回「嘱望されながらも行けなかった人たち」は赤ちゃんとニューヨークの阿部寛なので、そこのヘイトは軽微なものだとは思うけど……
そこにSIEまで出張ってきていい加減、我慢ならないのもわかる。
特許権侵害で任天堂がパルワールド側を訴える権利があり、その権利を行使しただけというのもわかる。
その上でさ。
「任天堂はポケットベアに関わらずいつだって特許権侵害で相手を叩き潰せるだけの特許をたくさん持ってる。ゲーム業界全体の繁栄のために"あえて"行使してないだけ」
っていう言い分、ちょっと怖くない?
これさ、一昔前の「うちら、主要メディアにコネ持ってるから対立したらどうなってるかわかってるよね?」ってブイブイ言わせてたジャニーズや吉本、創価学会と何が違うん?
あとさ「大手はそれぞれが行使し合えるような特許をお互いに持ってるからバランスが保ててる。新参が好き勝手したらそりゃこうなるよねw」みたいな言い分もこんなもん、完全に古来から続くカルテルじゃん。
同期は私よりあとに部門に来たのだが、部長の下支えを別部門のときからしていたらしく、異動してからも重宝されている。
そして私は閑古鳥だ。
友情を仕事に持ち込まれたらもう勝てないのよ。いや同期は仕事は普通にできるし、めちゃめちゃイエスマンだから重宝される理由もわかる。
かくいう私は行動力でブイブイ引っ張るタイプだが、何をしてもフルシカト(成果は残してるし、評価もされているが、新しい面白そうな仕事は全部同期に振られる。振られすぎて溜めてるけど更にふられてる)
別に嫌われているわけでもない。ただ当然のようにスルーなのだ。
もう疲れたから転職するんですが、給料も友人も多かったので悔しい。
でもこのままだとキャリアアップもできないし、異動も席が空かないと動かせないから
さようなら、私がいなくなっても仲良くやるんだろうな。チクショー!
辞める人が文句言ってるのなんて当たり前だと思う。
文句がなかったら辞めないだろ。
少なくとも売れっ子でブイブイ言わせてて個人になったとしても事務所の力を借りれなくなったら今よりも儲けるのは難しいだろうなってぐらいの所まで言ってる人が辞める理由なんて、何かしらの不満点があるからに決まってるだろ。
元々すげーニッチで全然儲かってなさそうなレベルのVだったら前向きな理由で辞めることもあるかも知れんが、マジで売れっ子でドシャドシャ稼げていそうなVが辞めるんだったらそれ相応の何かがあるに決まってるじゃん。
儲かってて文句のない人は辞めない。
文句はなくても儲かってない人は辞める。
儲かってるのにに辞める人は文句がある。
こんなの当たり前じゃん。
と俺は思ってるけど。
俺は年間200冊の本(もちろん漫画は除く)を読んでいるが、坊っちゃんだけは読んだことがなかった。
漱石の作品は10作ぐらい読んでると思うがそれでもこれだけはどうも読む気が起きなかったのだ。
なにせ主人公が新任教師で田舎を小馬鹿にした人格破綻者という設定でありながら、その責を漱石と同じ英語教師ではなく漱石の元同僚をモチーフにした人物に負わせ、更には「こういう人格破綻者はこういう理系色の強い学校の出身に違いないのだ」とばかりに東京理科大(の前進)を卒業したという設定まで加えてきているではないか。
俺はこういう文系の輩が理系を小馬鹿にするような態度がどうも気に食わんのだ。
だが俺の知り合いでありネットでもブイブイ言わせている某氏より「翔んで埼玉よりもこっちの方が面白い」と言う話を聞き、そこまで言うならと思い読んだ次第である。
俺は翔んで埼玉が好きだ。
ああいったタイプの作品だとテコンダー朴が斎場だと思っているが、その次に来るのは翔んで埼玉だと思っている。
みてーなノリのレビューマジでうっぜえええええええええええええええええええええってなりませんか?
いやマジでさ、超メジャーコンテンツを遅ればせながらに偉大なる俺様が消費してやったので有り難いレビューをくれてやろうぞみたいな態度マジでキメーからよお?
いい加減やめない?
リアルタイムで乗っかることさえ出来なかったアンテナゴミクズ人間の時点でお呼びじゃねえから?
別に興味ねえんだろ?
なかったんだろ?
関わる価値なしって下に見てたんだろ?
そんでノコノコやってきておいて、さてさて皆さんお待ちかねのこの俺様がこの作品をいっちょ語ってやりますかのサプライズで大バズ間違いなしで作品も嬉しいでしょうなあみたいなノリさぁ?
マジでうぜええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
マジでうぜええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
調子こき評論家気取りインターネット在宅コンテンツ長文感想おじさん達へのカウンターに貴殿の作品を勝手に拝借してしまったことを遅ればせながらお詫び申し上げます。
世間における読破率の高さと、読破後の「今更誰かが一言申して語るようなこともう残ってないだろ」感の高さから白羽の矢を立てた次第にございます。
文章表現の巧みさから肯定的なレビューも数多い中で、都会人・田舎人ともに幅広く小馬鹿にするような内容にアンチも多く、それでいながらバカにされたはずの四国では一大コンテンツとして今も愛されているという奇妙な立場、これらのシチュエーションが生み出す「今更になって一回読んだだけの素人が語れることの残ってなさ」は極めて類を見ないレベルではないでしょうか。
当時、性欲は無料のインターネットポルノ(AVや同人誌の違法転載等)で充足できて、家事は実家暮らしで母親がやるから、
妻に求めるものが最初から「完全無料」で調達できており、女を口説くことに何も価値を見出せずにいたのも当たり前のことなのでは?
AV女優やエロ同人の美少女よりブスで年増の中古で、専業主婦の俺の母より家事能力低いくせに、なんでお前は高飛車なんだよカスのブスがよ、という目線に、そりゃなりますわ。
そして50代になって「女は下方婚しない」とか急に言い出したのは、母親が80代になって介護施設に入所したり死亡したりして、家事をやってくれなくなり生活が荒廃しだしたからでは?
ニートの場合は父親が死んだり、年金が入ってこなくなって経済的に困ったとかもあるのでは?どちらにしろ親の庇護を失って詰む弱者という話。
20~40代は職が見つかりやすいけど、50代で失業すると年齢が原因で全く再就職ができなくなる等のケースも多いようだし、
職場で行っていた最低限の人とのコミュニケーションも、失業と両親の死によって失われて、完全な孤独になった50代男性が、今になってすべてを「女性」の責任にしているのでは?