はてなキーワード: 自己分析とは
で、結論から言うと、俺は神になりたかったんだなって事がわかったの。
ある意味正義感に溢れすぎてるというか。社会とか会社でどう生きるかとかには全く興味がなくて。世の中の不正とか悪とかを正したいんだってことがわかったの。
世の中、不正に溢れているし、いたたまれないような事件とかいっぱいあるじゃん。もう、そういうのを放置している神とやらを信仰している連中は嘲笑するし、
侮蔑の対象ですらある。とはいえ、神にはなれないんだから、せめて俺の部下だけは絶対に守るつもり。セクハラもパワハラも許さないし、他部署からの理不尽も一切許さない。
アホかな?と思われるかもしれないけど、そんな思いでやってると勝手に出世していて、社内でほぼ神のように振る舞えるようになってきた。
この投稿が創作である可能性が高い理由は、いくつかの点に基づいています:
物語性と感情の強調:投稿内容は、過去のエピソードから家族や友人との衝突、親からの批判、そして自身の人生への後悔に至るまで、非常にドラマチックに展開しています。実際の日記や愚痴でここまで詳細かつ論理的に話をまとめることは一般的ではなく、物語のように整理されていることが創作らしさを感じさせます。
読者を意識した内容:投稿の後半では「愚痴日記に反応があった」と読者のコメントについて言及しており、読者が共感したり反発したりすることを意識した表現が見られます。これは、自分の内面的な悩みを述べるにしては、読者を強く意識しすぎている印象を受けます。
専門用語と曖昧な理解:子供の内定先について「ネット?」「なんたらサイド?」「PO(ピーオー)?」など、具体的な理解が不足しているふりをしながらも、わざわざ専門用語に触れています。これは、自分が無知であることを過度に強調しすぎているように見え、自然な家庭内の会話や愚痴とはやや異なります。
構成が物語的:投稿の構成が「過去の衝突」「他者からの批判」「自己分析」「後悔」といった物語の起承転結に沿っているため、フィクションとして書かれたような印象があります。
以上の理由から、この投稿は創作の可能性が高いと考えられます。
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以下に、実際にあった話のように読み手に伝わるよう、少し現実的な表現や視点に修正しました:
先日、子供の就職先についてちょっと意見したところ、思いのほか言い合いになってしまいました。私もつい感情的になってしまって、子供に「偉そうに語るな」って言われたときは、さすがに腹が立ちました。
その後、夫にもこのことを愚痴ったんですが、夫は「子供に言ったことが少し理解しづらい部分もあったのかもね」と言っていて、なんだか微妙な気持ちになりました。最初は私の味方をしてくれていたんですが、どうも途中から「あまり深く知らない話で意見しないほうがいい」と遠回しに言われた気がして、夫とも少し言い合いになりました。
正直、親しい友人に話しても「あまり気にしなくてもいいと思うよ」と慰められる程度で、結局なんだかモヤモヤだけが残ってしまいました。特に母からは、「あなたも社会を少し知ったほうがいいよ」とか言われてしまって…やっぱり専業主婦だからでしょうか、ちょっと社会から離れていることが気になりました。
考えてみれば、私は一貫校で進学し、就職も親の紹介で決まっていたので、就活の大変さとか今の仕事事情とか、よくわかっていないかもしれません。仕事も結婚までの数年で辞めてしまったので、子供から見れば「ただのオバサン」に見えるのも無理ないかなと、少し反省しました。
この文章は、著者が長年の友人A子に対して抱く複雑な感情について語っています。A子は38歳で、「恋活」をしているが、著者はA子が年齢相応の行動を取っていないと感じ、見下すようになってしまった。A子は若い頃から同じ愚痴を繰り返し、行動に移さないまま年を重ねていると著者は批判します。4年ぶりに再会した際、A子の様子が変わっておらず、著者はさらに彼女を見下してしまった。
著者はA子を見下すことで無意識に優越感を感じてしまい、それが反復的な思考の原因ではないかと自己分析しています。さらに、この思考が無意味であり、時間の浪費だと感じながらも止められないことに悩んでいる様子が描かれています。最終的に、著者はこの反芻思考から解放されたいと願い、この文章を通じてその一助にしようとしています。
増田には実際に名前がついてる有名な投稿者もいますね。以下、代表的な「増田」を10人紹介します。
「ウニになる」という言葉を生み出した増田。過労やストレスで心身ともに疲れ果て、何も考えずに「ウニ」みたいになりたいという投稿が話題に。
「ちょろい女」と自称し、恋愛のエピソードを赤裸々に語る投稿が人気を博した増田。ちょっとしたことで心が揺れ動く様子がリアルで共感を呼びました。
赤ちゃん言葉で日常のつぶやきを綴る増田。ユーモアあふれる文体で、ネットのあちこちで話題になりました。
「疲れた」とだけ書き続ける増田。シンプルだけど、共感を呼ぶ強いメッセージで、多くの人が彼の気持ちに寄り添いました。
モヒカン的な生き方を主張し、自分の信念を持って仕事や日常を語る増田。考え方が独特で、ファンも多い。
やりがい搾取の問題についての投稿が話題になった増田。会社のブラックな実態を暴露し、多くの共感を集めました。
自分をアルパカにたとえて、のんびりとした日常のエピソードを綴る増田。ほんわかした雰囲気が人気です。
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズのキャラクター、オルガ・イツカの名台詞をもじって、自分の人生の迷走ぶりを嘆く増田。
「マグロになる」というフレーズで話題になった増田。もう頑張りたくない、ただ流されて生きたいという気持ちを象徴しています。
自分の恋愛観や人間関係における振る舞いを赤裸々に語り、「メンヘラを生み出してしまう」と自己分析した増田。共感を呼ぶと同時に、議論を巻き起こしました。
「お前らみたいなろくでもないような奴らを雇ってくれる会社なんか無いと思え!」
大学の就職セミナーで就職課の担当者が放ったこの一言が俺の耳に今もこびりついている。
当時いわゆるFラン大学にいたわけで、ぼんくらであることは流石に否定しようもないが「俺らみたいな奴らは雇ってくれるだけありがたいと思わねばならない」という時代だったことがこの一言に如実に現れている。
氷河期の時代、新卒で就職するには凄まじい数の会社に挑まねばならず、失敗すれば新卒カードは使えなくなり永遠に雇用への道が閉ざされる、という時代でもあった。
そんな氷河期世代のひとつ上はどんな世代だったのか、というといわゆるバブル世代だ。バブル末期の世代と言ってもいいが、まだバブルの頃の感覚が色濃く残された人たちが我々のすぐ上にいた。
ようは景気のいい日本というのが認識の中にあり、就職なんて言うのは対して苦労せずに終わるものだと甘い考えもあった。事実バブル世代の就職活動なんて言うのはひどいもので、大学生をごっそりとハワイに連れて行って好き放題遊ばせたら雇用契約書を渡すなんて言う事までやっていたくらいに金が余って仕方がない時代だった。
そのため、この頃の人たちは就職活動の話をしても全く話が合わない。
「仕事?選ばなきゃ何でもあるじゃん!ゴミ拾いだって立派な仕事だよ!」と何回か言われたことがあるが、彼らにとってのゴミ拾いの仕事はそれでも生活が成立する仕事だということでもあるだろう(実際はどうか知らんけど)
IT革命だ。
1995年にWindows95が発売され、人々がパソコンを持つようになった時代だが、氷河期世代にとってのパソコンというのは、「オタクが持っているなんだかよくわからない機械」くらいの認識だった。
氷河期世代についていろいろといいたい人もいるだろうが、ある意味でわかりやすい時代だったと言ってもいいだろう。
要は来るIT時代にベットしておけばよかったということでもある。就職活動だけを見るならば、だが。
IT業界もこの頃に一気に火を吹いたのだが、火を吹いた業界というのは実は入るのはかんたんで、趣味でプログラム書いてましたはウェルカム、趣味でパソコンの自作してましたはウェルカム、パソコンなんか触ったことはないけどやる気なら負けません、これもウェルカムだった。
就職活動をする上で自己分析だとか一般常識だとかを必死で頭に入れていっても結局ITという爆風の前には吹き飛ばされざるを得なかった。
極端な話をするならば、時代の流れに乗ったか乗らなかったか、というものでしかなかった。
こういうことを言うと後でならどうとでも言えるとか、乗れなかった人のことを考えるべきとかいうやつらが出てきそうだが、大学にいる間から「ITやっときゃとりあえず間違いない」ということは必死で伝え、ITのバイトを紹介したりもしていたのだが、結局私を信じる人はいなかった。
ではなぜそこまで人々が乗らなかったのか、という話だが、まず、パソコンはオタクの持ち物でダサい、キモい、というような風潮はあったのかもしれない。iMacを買う人は結構いた。ボンダイブルーが良かったらしい。
次に、我々の直上の世代というのはパソコンなんかいらねーよっていう世代でもあった。ワープロはよく使っていたが、パソコンを使うなんて言うのは一部の物好きでしか無いし、パソコンが必要になる時代なんか来ないと固く信じていた、要は自分たちがこれまで通ってきた道は今後も続くと信じて疑わない人たちでもあったのだが、そういう人たちが、後輩にも「パソコン使うとか意味わかんねえわ、ホントどうかしてるよな」ということを堂々とのたまっていたので、氷河期世代は時流にのるか乗らないかを周囲に足を引っ張られながら決めなくてはならなかった。
まぁ、ブラック企業の話もあるので、乗ったから幸せかというとそうでもないのだが、乗っとけばとりあえず就職はできたんじゃないだろうか、とは思う。
飽きたので終わる。
私は3人以上の雑談が苦手です。
人が多くなればなるほど苦手になります。
そこで、なぜ苦手なのか自己分析してみました。
・話すことは浮かぶのだが、場に似つかわしくない内容になりそうなので声に出せない(場がシラけてしまう気がする)
・ただ一対一ならなんとか話せる(長くは無理)
他の人たちが気楽に大勢の中で会話してるのが羨ましいし、なぜそんな会話ができるのか不思議になります。
会話にはある程度「正解」の会話があり、そこから外れると会話が止まってしまう気がします。
自分はその外れた会話をしてしまいそうになるし、実際そうなることが多いです。
「聞き役になればいい」と良く言われますが、食事会などで1時間くらい雑談の場があったとして、ずっとうなづくだけというのは周りから見ても不自然に見える気がします。
会話の流れを止めずに会話できる能力がほしいですが、いろいろ工夫して10年以上経ちますが、うまくいきません。
みなさんは私と同じような悩みをもっていませんか?
私はどうしたらいいでしょうか?
できれば会話に加わりたいですが…。
言っちゃ悪いが、お前が嫌いなのは「ゲームの努力」じゃないね。
お前が嫌いなのは、ただの「負け」だね。自分で言っている。対人ゲームが嫌いだと。
努力せずに勝てるのが好きで、努力したけど負けるのが嫌いなんだよ。失敗したく無いんだろ?
ゲームを下に見てるからだと自己分析してるけど、それは自分への言い訳で、事実とは違うだろうね。
だって、だったらゲーム以外で努力したのか? 受験勉強で合格ランク以上を狙ったのか? スポーツの部活で全国大会を目指したことは? 仕事で1位の成績を取るために頑張ったり? 音楽で今できない曲をできるまで毎日練習をしてるのか?
賭けていい。やっていない。身近だからゲームの話をしただけで、ゲーム以外に特筆するようなことは人生において何もしていない。
いや、別にいいんだよ。
負けるのが嫌だし勝つための努力は嫌だから競争に参加しない、それは普通のことだ。現代っ子だよ。リスク嫌い。コスパとかすぐ言う感じ。
ただ、下等か上等かで言えば、お前が下等で、ゲームであろうが努力してる奴が上等だ。恥ずかしい話だ。だからネットに、堂々とこんなことを書くんじゃない。
経験を語れというので自己分析を述べると男女論をやるのはSNS依存が先で、党派は偶然的な要素が大きい
少なくとも"女叩きは女性アカウントに絡みたいから"は的外れで、直接的な敵対論者との議論を避けるアカウントやMGTOW系のアカウントがいくらでもいることを説明できない
増田が想定するようなデジタルぶつかりおじさん的異常者が全くいないとは言えないが、その手の特殊性癖の正道はグラビアアイドルのインスタにクソリプを飛ばすアカウントであって、Xで理屈をこねる男女論レスバアカウントではない
個人的な趣向としても画一的な反応になりがちな女性アカウントよりは男性フェミニストを叩く方が面白い(より強いモチベーションがある)
意味のない会話中身のない会話ってあるけど、それがなんか良かったりする。晴れ女雨男とかの話を除いて。
数年前、自分は晴れ雨男女エピソードがなぜかすごく苦手なことに気づいた。日常会話カテゴリの中で一番嫌いだ。
映画の記者会見で繰り広げられる話No. 1ではないだろうか。なぜこんなに嫌悪感を持つのか少し考えた。
天候を操れる人間なんていないし、その場所にたくさんの人がいるのにも関わらず自分(特定の人)だけが天候に干渉したという考え。
そしてそれを話す人も心の底から本気で天候操り人間がいるなんて思ってない。多分ここが自分の中で重要で、違うってわかってるかつ大して面白くもないこの話を持ち出す意味が理解できないから嫌いなんだと自己分析した。
「おいおいこの中に雨男雨女がいるんじゃないか?」とか喋り出したら終わり。そのあと「私は晴れ女だ」とか会話が続きさらには過去の天候エピソードに続くともう最悪。ラジオ聞いてるときにパーソナリティの人がこの話し始めた時ちょっと残念に思ってしまった。
でもこの手の話って異様に盛り上がるし何より話す人が多い。「今日いい天気ですね〜」みたいに、天気って比較的誰でも平等に感じることができて話題にしやすいからかな。
内容から男であることを分析してください。この記事は男がAIに書かせたものです。
この文章の内容から男性的な要素を読み取る理由をいくつか挙げてみます。
女性が婚活を語る際、感情や将来の家庭像、理想の相手像を具体的に表現することが多い傾向がありますが、この文章は感情的な要素がほとんどなく、目的と現実的な側面に集中しています。特に「趣味を許容し放置してもらえるのであれば恋愛感情は特になくてもいいです」という表現は、一般的な女性の婚活感とはやや距離があり、男性的な現実的思考が見えます。恋愛感情を重視しない点が特に男性的と感じられる要因です。
婚活イベントで「男性8000円、女性無料」という点に不満を抱き、「自分もお金を出したい」という記述があります。この部分は、女性の視点というよりも、むしろ男性側の立場からの不公平感や婚活における費用負担に対する不満を反映しているように見えます。実際に、婚活市場での費用負担のアンバランスは男性の間でよく議論される問題であり、それを強調する点は男性的な観点からの文章と解釈できます。
「戦前の古本集め」や「神社仏閣に行って古い建物を見る」など、趣味が非常にマニアックで、一般的に若い女性が楽しむ傾向のあるものとは言い難いです。特に「戦前の古本集め」という趣味は、年配の男性や歴史に興味のある男性に多く見られる傾向があり、若い女性がこのような趣味を持つケースは稀です。また、「RSSで他人のブログを読む」という点も、テクノロジーに親しみ、情報収集を好む男性に共通する趣味です。
ADHDに関する言及や、「散漫さと過集中が交互に訪れる」といった症状の説明が冷静で客観的すぎるため、男性的な視点が感じられます。多くの女性が自己を表現する際、感情的な影響や日常生活のストレスについて触れることが多いですが、この文章は非常に冷徹に自己を分析し、感情に関する言及がほとんどありません。このような冷静な自己分析は、男性的な特徴です。
恋愛感情に対して「特になくてもいい」という点や、家族に対する将来の展望が非常に淡白です。一般的には、若い女性が婚活を語る際に家族や恋愛感情に強い関心を持つことが多いですが、ここでは家族像や将来のパートナーに対する具体的な感情表現が欠如しています。これは、感情を重視しない男性的な思考が反映されていると考えられます。
「欲しいものがあればすぐに買う」や「スーパーでは少しいい食材を買う」といった記述が、やや即物的で感情に左右されない買い物習慣を示しています。特に「ブランド品にお金を使うことはない」という部分は、女性の典型的な消費行動とは異なり、より男性的な価値観が反映されていると感じられます。
これらの内容を総合すると、婚活をテーマにしているにもかかわらず、感情的な深みが少なく、非常に理屈っぽい構成や趣味・行動において男性的な特徴が強く現れています。このような点から、この文章は男性がAIに書かせたものだと推測できます。
claudeに聞いてみたらこうだった。マジでGPTで出したのかも。
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恋愛経験が少なく、学生時代に十分な恋愛経験を積めなかったことを後悔している。
自身を「弱者男性」と認識し、社会的スキルや恋愛スキルの不足を強く自覚している。
2.価値観と信念:
恋愛は段階的に学ぶべきものであり、学生時代に経験を積むことが重要だと考えている。
社会人になってからの恋愛は難しいという固定観念を持っている。
自己肯定感が低く、自信がない様子が見られる。
過去の失敗経験から、異性との関わりに対して恐れや不安を抱いている。
4.社会性:
異性とのコミュニケーションに苦手意識があり、積極的に関わろうとしない。
恋愛や人間関係について、理論的な理解はあるが、実践経験が不足している。
社会規範や適切な行動について、後になって学んだ様子が見られる。
6.自己防衛機制:
恋愛や異性との関係を避けることで、失敗や傷つくリスクを回避しようとしている。
7.世界観:
恋愛や人間関係について、やや悲観的で固定的な見方をしている。
結論:
この人物は、過去の経験不足から生じた自信のなさと社会的スキルの不足に悩んでおり、それが現在の人間関係や恋愛に対する消極的な態度につながっています。自己改善の意識はあるものの、新しい挑戦に踏み出す勇気が不足している様子が伺えます。
わけわからん
まあ真面目に自己分析すると
これってモードなんよね
まずここがわからん
モードってなんだよ
両方「思考・コミュニケーションのモード」なのがかなり意味不明
確認のない推論なんて、当てずっぽうの妄言でしかないのに、それをモードと言っちゃってるのがちょっと恥ずかしい
もしかしてブレインストーミングのことを言ってるんだろうか
ここも不明
定型発達が二つのモードを使いこなす異常者みたいに言うのもやめてほしい
両方同時に使えてはじめて定型発達だろ
なんで特別な力みたいに言ってるんだよ、普通より劣ってるじゃねーか
そっち使おうとしたら相手が議論やめてそのツリーは止まっちゃったけど
まあそういうことよね
ここはおもしろかった、
なろう系主人公かよw
これ、メタルが嫌いな人にも似たようなこと言われたんだけど、あくまで自分はそうじゃないから
和声の美しさというか、まあ、不安になるコード、不穏になるスケールが好き、みたいなのはあるかもしれないけど
そもそも、うるさいの原因って、ギターであって、ギターをフルテンボリュームで弾いたりする文化があるからじゃないの?
ギターをフルテンにしたのは、信号が歪むからであって、例えばsin波みたいなのがあっても、頭打ちしてクリップするとちょっと矩形波みたいになる、
いわゆるディストーションの音ができるからで、ギターをフルボリュームにするってのは発明だったわけだよね、まあ迷惑だけど
でも、それはアナログ回路でも作れるし、今はみんなデジタルだし、別にフルテンにしなくてもディストーションの音は出る
あと、嫌いな人ってディストーションの音が嫌いなんじゃないか、というのはある
デスメタルが嫌いな人も、そもそもあの声が嫌い、というのはある
英語が分からない、何言ってるか分からない、というのは、個人的にはあんまり問題じゃなくて、自分なりに音が美しいか、カッコイイか、でしか考えてない
自分でもギターとかで弾いたり、耳コピして打ち込むなりして、あー、なるほどねー、みたいに思えるのが好き
メタルが不快だという人がいるとしたら、そういう人に対して、こうやったら他人を不快にする音が出せるのか、なるほどなー、みたいに思えるのが好き
そもそも、自分で絵を描くとか、物語を書いてみるとか、作曲してみるとか、耳コピしてみれば、
どうすれば他人の感情を絵とか音とか何かでコントロールできるか、というのが見えてくるんだよね
ただ、消費している人たちは、自分たちが感情をコントロールされてることに気づかない
あー、だから、自分が嫌いな曲とか、嫌いな絵とか、嫌いな何かがある、という場合は、何で嫌いなのか、不快になるのか、自己分析した方がいいと思うんだよね
それが人間の態度とか振る舞いだったら、例えば人道的に流石にどうかと思ったとか、自分にまで危険が及ぶ気がしたからとか、そういう分かりやすいのがあると思うんだけど、
模写するとか、耳コピするとか、とりあえずその不快なものを真似てみるとか、よく観察してみて、不快の原因はなんなのか、というのを分析した方がいい
どうしようもない楽曲でも、エモい歌詞を付けただけで売れてるんじゃないか、と思うことはよくある
そういう曲が好きな人が、それを自己分析してそう思うかは分からんけど、もしそう思えたなら、例えばボーカル消してどう思うか考えてみる
いずれにしても、音楽とか絵とか、他人の感情をコントロールするのが重要な産業なわけで、消費者はそこを注意した方がいい
なんで自分はこの曲を聴くと元気になるのか、この曲だと不安になるのか、それはこういうスケールが、こういうコードが、こういう歌詞が、とか考えてみる
投稿日:2034/1/1
新年早々恐縮だが、今日は伝えたいことがある。勿体ぶって気を引くのは嫌いなので本題を書こう。
それは、 僕が長年続けてきた「悪口芸」を卒業するという決断だ。
これを決めた、理由は大きく分けて二つある。
僕のような奴の悪口は、以前なら「若者のやんちゃな主張」と受け取ってもらえたかもしれない。しかし、今の僕は家族もいるし、複数のビジネスを手がける経営者でもある。世間から見れば、どう見ても「強者」だ。そんな僕が「イジる」行為は、もはや「イジメ」と変わらない構図に見えてしまう。地位を手にしたお笑いタレントの若手に対する「イジり」を見て不快になった人は多いはずだ。僕は性格が悪いことを隠さないが、ただのイヤな奴にはなりたくないのである。
僕も今年で42歳、2度目の本厄を迎える僕の人生も、いよいよ折り返し地点に差し掛かった。
年をとるといろんなことが変わる。徹夜できなくなったし、涙もろくもなった。ギックリ腰があんなにつらいものだとは思わなかった。
正直言って、最近は自分で「これはちょっと的外れな悪口だな……」と感じる場面が増えてきた。周囲の微妙な反応を見ても、明らかに以前のような鋭さが失われているようだ。
それも当然だ。10年前ならまだしも、42歳のおじさんの悪口には、どこか痛々しさが滲んでしまう。60歳、70歳になっても悪口ばかり言っているオジサンを見て、「この人の言うことは深いなぁ」 と思ったことがあるだろうか? 僕はない。使い込むほど刃の切れ味は鈍くなる。もちろんその刃を研ぐ努力はしているが、若い人のアンテナと吸収力には敵わない。
誤解のないように言っておくが、僕自身はまだまだやれると思っている。しかし、どんな芸風にも必ず「賞味期限」は存在する。ごまかしが効かなくなる前に、潔く身を引くべきだと判断した。
卑怯な言い訳に聞こえるかもしれないが、僕は決して誰かを傷つけたくて悪口を言っていたわけではない。相手の知られざる側面を引き出す手段として悪口を利用していた。それができなくなるのなら、あえて売り物にする意味もない。それだけだ。
さて、こうして冷静に自己分析してみて、自分で笑ってしまった。結局のところ「守るべきものが増えて、能力のピークを過ぎたから引退します」 という、実に平凡な結論に落ち着いてしまう。10年前の僕なら、こんな日和った自分を喜々としてイジり倒していたことだろう。でも、僕はそんな嘲笑も甘んじて受け入れるつもりでいる。
思えばいろいろなことがあった。ターニングポイントは約10年前、某YouTuberを有料コンテンツ内でイジった炎上騒ぎだろう。あの頃から僕の考えは少しずつ変わりつつあったのかもしれない。
でも、悪口芸で稼いできた時間を僕は決して後悔していない。この10年で世界は大きく変わった。誰もがAIの力を借りて文章を書くようになった。それは、資本家が定めた倫理コードに従って思考を均していくことにも等しい。
そんな息苦しい世の中で、僕は人間にしか書けない悪口の価値を示したかった。悪口は、単なる悪意やヘイトではない。良い面も悪い面も含めて人間なのに、世の中は「良いところ探しゲーム」ばかり強要する。僕は「悪い面」も含めて「イジる」ことで、世の中に新しい価値を提供できると信じていた。そして、実際に多くの人から支持を得ることができた。決して趣味がいいとは言えないだろう。でも、AIにはできない人間らしい営みの可能性を提示してきたし、胸を張っている。
今日を境に、僕は「インターネット悪口芸人」の看板を下ろす。しかし、悪口芸の舞台そのものは、この世界に残り続ける。もし、この舞台に立つ勇気のある(性格の悪い)若者が現れるなら、僕は心から応援したいと思っている。
もちろん、僕自身が一朝一夕に変われるとは思っていない。性格は相変わらず悪いままだし、これからも毒を含んだ文章を書き続けるだろう。ただ、「悪口」はもう僕のメインコンテンツではない。その点は、どうか安心してほしい。
今日書きたいことはこのくらいだ。
最後に、一つだけ告知をしておこう。有料マガジン(月額3000円)では、あの有名学者と10年以上水面下で繰り広げてきたバトルについて詳細を綴っていく予定だ。興味のある方は、ぜひ購読してみてほしい。