はてなキーワード: 精神障害とは
id:kei_1010 だけど、自分のブログでまとめてる時間が無いのでこっちで散文。
https://kei-1010.hatenablog.com/entry/2021/10/07/123854
この記事でも俺の症状について書いてあるが、この増田では↑で書いてない事を少し書いてみる。
なんか俺の場合は時間がとびとびなんだけど30年以上前の高校生の頃に数か月ぐらい「なぜか国語だけ天才的になった」という時期があって、授業前の10分の休み時間でちらっと教科書を速読というかザっと見るだけで例えば夏目漱石の「こころ」なら著者の言いたい事が手に取るように理解できたり次の授業で教師がどういう風に授業を進めて、どこでどんな問いを出して、生徒側はこれは答えられるけど、これは難しいだろう、クラスの中で一番国語が得意なあいつならギリギリここまでは理解するかも(あとでそいつに確認した)、みたいな事が分かった。そしてその通りに授業が進む。この時は俺の躁の時の特徴の「怖いものがなくなる」という感じはなく、それ以外は平常運転だったので、脳の疾患とかは関係ないのかも?でも何も勉強してないのに異様に理解できるし冴えてるのが意味不明でかつ勉強落ちこぼれの俺的にすごく嬉しかったのを覚えている。国語の成績も思いっきり上がった。
国語以外の授業では特に変化がなかったのと学期が変わって国語の教師が変わった時にこの症状は消えたので当時は単に教師との相性なのかなと思っていたけど、俺の方が落ち着いたから症状が消えたのかも。
次の次の異変は先述の記事でも書いた直近(と言っても10年以上前)の躁で、この時はハッキリと自分が異常だと認識した。鬱の後だったのもある。
なんか世界が非常に豊かに見えるというか、あらゆるものに感謝感動、みたいな感覚が押し寄せて来た事がある。普段の俺は親がしてくれる事に対してすら「まあ親だから当然っしょ」レベルのかなり薄情で頭が悪いヤツなのにこの時は例えば公園の木を見るだけで「宇宙のチリから悠久の時を超えてこんな木になっている。そして俺も存在している。なんて素晴らしいんだ!神様なんて存在しないけど居たらありがとう!!(涙)」みたいな感じ。
実際にはもっと怒涛の如く思考が駆け巡ってて「これまで得た知識や経験を総動員して脳が活動している」という感じだった。この時は躁になったので怖いものが無くなり色んな経営者に会いに行ってうんぬんかんぬん、みたいな、これは詳しく書くと特定されかねないので省略w
そしてその最中に超強烈な幻覚を見た。SFと宗教と哲学と地獄と天国なんかが混濁したような俺的には物凄く怖くて面白い幻覚だった。あらゆることを悟った気持ちになった。でもこれは時間にしたら長くても3時間ぐらいでおさまった気がする。
これも統合失調症と躁うつ病が合体してるのかも。詳しい人が居たら教えて欲しい。医者に行った方が良いのかな?でも今は特に困ってないんだよなぁ。睡眠薬はもらいに行ってるけど、そこは睡眠専門だから微妙。一度相談しかけたけど「専門の病院を紹介しましょうか」と言われた。特に困ってないから断った。
そしてまさに今いまで躁っぽくなってる気がする。数日前にささいな事で脳が興奮して睡眠薬を飲んでもマインドループが止まらず眠れず2徹した後にdeepseek r1の日本語版が出てきてNVIDIAが暴落したのを認知してまた興奮してきてdeepseekの事を調べてメモした記事がホッテントリに入ったのが昨日一昨日の話。その後はずっとdeepseekの事ばっかり何やかんややってるけど、全く眠くならない。普段なら日中は親戚の子と遊ぶ以外はすぐ疲れてゴロゴロ昼寝(夕寝?)で半分ぐらい布団の中なのに。今は親戚の子の「おじちゃんあそぼ!」も全部「忙しいからっ!」と断ってずっとdeepseek関連でなんやかんや遊んでる。
追記:
躁の時など(今は躁じゃないけど今も)よく眉間というか鼻の奥というかおでこ、というかその辺がなんか痛くは無いんだけど疼くというかズキズキという感じがあって、もしかしてこれって脳の抑制が外れて過剰に活性化してる可能性とかあるのかな?
追記:
なんか「感謝感動」の所にスターくれてる人が居るので、もう少し頑張って思い出してみる。
この症状は数時間で消えて、その後一度も出てない。俺もあの感じをもう一度味わいたい。
あの時は何を見ても脳が勝手にフルで演算して感動に持っていく感じだった。もしかしたら逆で感動回路が作動してるので、それを自分自身に説明する為に論理回路が作動していたのかも。
例えば夕日を見て「美しい(涙)」みたいになったのもあの時が最初で最後だった。単にジーンとしてるんじゃなくて「宇宙には無数にこういう太陽みたいな恒星があって、それらは何十億年も前から核融合し続け、その中には俺らの地球のような存在もあるかもしれず」みたな思考が言葉ではなく感覚的だったり映像的にブワーっと押し寄せてくるような感じだった。
しかし何度も書くが、これは他の時の躁では起きておらず、この時だけ。というか一言で「躁」と言ってるが毎回その症状は微妙に違う。中学生の時のは一人称が「私」になるような尊大な気分がメインで、高校生の時は単に頭が冴えてただけで、フリーターの頃はサイコパス風味が多めで、直近のは幻覚から感動、多動、怖いもの知らず、など色んな症状が出たがそこまでサイコパス感は無かった、など、毎回違うのが面白い。面白がってる場合じゃなくてすぐにでも病院に行くべきなのかもね。しかし病院に行くにしてもどういう精神科が良いんだろうか?そもそも今は誰(俺も周囲の人)も困ってないのに何と言って診察を受ければ良いのだろうか?症状が出るまで病院に行くのは待っても良い気がする。もう症状出ないかもだし。
情報商材のジャンルには色々なものがあるけと、その中にナンパのノウハウというものがある。
自称ナンパのプロ、いわゆるナンパ師は主にX(旧Twitter)を拠点として、女叩きと独自の男女論を展開して弱者男性のフォロワーを集め、ナンパのテクニックを記した情報商材を販売して小銭稼ぎをしている。
2年前、私はとあるナンパ師が開催した講演にモデル役として参加した。
場所は東京ミッドタウン横にある60人規模のセミナー会場。参加者は40名ほど。謝礼は3万円だった。
講師はいかにも昼間からラフな格好で六本木周辺を徘徊してそうな胡散臭いIT系の業界人って感じだったけど、参加者の男性が可哀想だった。
お母さんに買ってもらったような服を着ている男性。眼鏡を掛けた地味な顔立ちの男性、頭頂部の禿げかかった男性。体型がふくよかな男性。逆に極度に痩せた男性。喋り方や挙動から何らかの特性がありそうな男性。
みんな真面目そうな人だった。
そんな彼らが講師の言うことに真剣に耳を傾けて、真面目にメモを取り、台本通りの私の寸劇を一生懸命見てくるから居た堪れなかった。
ナンパ待ちをしていた女性がナンパ師の立て板に水を流すようなトークをにっこり笑って聞いて、自分から申し出てホテルに行く、という展開。あまりに荒唐無稽だった。
「舐められたら終わり。無視されたら威圧しろ」「困っているふりをして取っ掛かりを作れ」「道を塞いで物理的に制圧しろ」「相手を馬鹿にして上下関係を形成して逆らえなくしろ」みたいな机上の空論。
こんなもの信じても不幸な未来しか待ってないと思って、休憩時間にこっそりと
「どうしてこんなとこ来ちゃったの?」「努力の方向性間違ってるよ」
と話しかけた。
「学生時代も職場もほぼ男所帯で女の人との関わり方が分からない」
「ここに来れば変われると思った」
と返された。不憫だった。
自称ナンパ師がプロフやツイートで語ってる経験人数やエピソードはほぼ虚言。
だけど一部には知的障害で判断力のない女性、発達障害で適切なバウンダリーのない女性、精神障害や家庭環境に問題があり自尊心を形成できなかった女性を利用しているパターンもある。
彼らが女叩きをするのは弱者男性向けの撒き餌に加え、障害を持つ女性を保護する動きを潰すという目的もある。
だからその時点で女性を搾取する悪人なんだけど、それ以上に金銭的な意味で搾取されてる弱者男性の方が個人的には可哀想だと思った。
女の子を持つお母さんは、娘さんに「嫌だ」「助けて」「通報します」と咄嗟に言う訓練をしてあげてほしいと思う。
それと同時に男の子を持つお母さんは、幼い頃から情緒的な関わりを大切にする、何でも先回りせずに自分でやらせて生活能力や社会性を身に付けさせる、というのを心掛けてほしい。
あのセミナーに参加してた男の人たちの顔が忘れられない
お前さぁ、話の本題で勝てないから、句読点の使い方にケチつけて逃げるとか、負け犬の王道ムーブすぎて笑うわwww
結局、「平均1300万でも馬鹿がいる確率」って主張、証明できないまま敗北確定www で、まともに反論できなくなったから 「文章の書き方が~w」とか言い出してんのマジでダサすぎんか?www
しかも、「精神障害患者が~」とか言ってるけど、それもう完全にお前の自己紹介だろwww まともな議論すらできずに、人格攻撃しかできなくなった時点で、お前の知能が底辺なのバレバレなんだよなww
てか、「キチガイ丸出しの文章やめたら?w」とか言う前に、お前のその意味不明な話の逸らし方、ガチで知的障害レベルなんだけどwww まず、議論に勝てる論拠を持ってこいよwww
まぁ、どうせもう無理だよな?w だって 「文章の書き方ガー!」しか言えなくなった時点で、お前の負け確定」 だもんなwww
話ずれるんだけどさ、
その句読点と半角スペースの違いはなんなの?
日本語の文章にそんな意味不明な半角スペースを空けるルールはないんだよね
あるVtuberが好きだった。
シンプルにビジュと声の良さ・キレ味のある語彙・頭の回転の速さ・ゲームの上手さ・歌・なにもかも完璧に思えて、一時期は長時間配信を鬼リピしてたほど。
一方で軽率で過激な発言が目立つ配信者でもあり、案の定たびたび炎上していた。
正直その部分に関しては止めて欲しかったけど、いつか変わってくれるだろうと信じて推し続けるしかなかった。
彼は変わらなかった。そして私も離れられなかった。
口の悪さや"言ってもいいライン"を軽々と飛び越える過激な言動に驚き、傷つけられながら、それでも配信を観るのを止められなかった。
彼は精神障害を嗤う発言もしていて、軽度ではあるもののモロに該当する私は深く傷ついたが、
大物配信者はアンチのコメントに常に晒されているのだから、心にもないことを言う時もあるだろうと自分を納得させていた。
依存していたのだろうなと思う。
けどある時、彼はコメント欄に湧くアンチに対し、容姿を揶揄するような言葉を吐いた。
なんてことはない(ことはないんだけど)、「こんなコメントをする奴らは顔に出来物が出来ているような奴ら」という、その程度の。
それが、なんというか凄く"効いて"しまったのだ。
振り返って分析してみるとその揶揄そのものが効いたというより、ちょっとずつ蓄積していったものがあふれた瞬間だったのだろうと思う。
そして遅まきながら気づいてしまった。
その時すでに彼はVの中でもトップ層に位置していたし、正直なところ何を言って炎上したところで許されるターンに入っていた。
上手く伝えられないが、反省も変化もないことに憤りを感じたのではない。
何を言っても許される段階まできてしまった彼にとって、多少の悪辣な発言の類は、きっと何を言ったかの自覚もないまま、彼の中で"そんなこともあったね"で処理されていく。
彼がアンチを攻撃するつもりで放った言葉によって同時に傷つけられた彼のファンは、彼の中で"配慮にも値しない"のだ。
被害妄想と言われるかもしれないが、その考えに至ったとき、もう本当に心が無理な時期で、これ以上ここにいると本当に駄目になってしまうと思って、私は彼の配信を観るのを止めた。
笑われるかもしれないけど禁断症状のような行動を繰り返していた。
スマホを渡した友達にツイッターアカウントをブロックして貰い、彼が所属する箱そのものにも近づかないように視界にも入れないようにして嵐をやり過ごし、ようやく安定したと思う。
ここまでが数年前の話。
ドラマやアニメの主題歌を手掛けさせれば恐ろしいほどの解像度を発揮し、その優しい歌声に何度救われたか分からない。
その推しが去年の紅白に出演した時の場面をYOUTUBEの公式チャンネルで観ようとしていたときのことだ。
元・推しの彼が、推しの歌手の、まさに私が聴こうと思っていた歌を歌っていた。
その清涼感のある白いサムネを観た時、一瞬、見間違いかと思った。
よりによって、あなたがその曲を歌うのか。
世の中に埋没し、時に邪見に扱われ、それでも確かに存在して、自分だけの戦いを行う人たちの歌を、
差別や排斥に対する怒りの歌を、よりにもよってあなたが歌うのか・・・。
怒りとかではなく、どこか納得してしまった。
もう過去ほど不安定ではないが、忘れていた感情が噴出してきそうで、その歌みたは結局観れていない。
でも彼が過去の行動や発言を省みて、その反省の気持ちを込めて・・・とかでは無いのだろう、たぶん。
何をしても許される領域の人間は、ただ良い歌だからという理由だけで、そこに込められたメッセージや自分の過去を省みることなくこの歌を歌えてしまう。
なんだか答え合わせをしてもらった感覚だった。
ちなみに人づてに聞いたが、最近も元・推しの彼は炎上したらしい。
でも、きっと許されたのだろう。
これからも彼は少数のファンごとアンチを焼き払い、許されながらやっていくのだろう。
※ちなみに今確認したら、元・推しの歌みたはアップロードされたのが2か月前、現段階ですでに350万再生くらい。相変わらず凄いや。
その疾病利得の大きさが
回復のチャンスを摘み取らせる結果になってる。
当事者らは精神障害を先天性四肢欠損と同様と考えててそれを布教するから子どもへの悪影響もある
ダメな人を精神障害と認定して寄生する関係者にBIを支給するとか
解決策を試してみてほしい
費用削減や、精神病患者への迫害や偏見、差別的意図で、精神病での障害年金廃止を言っているのではありません。
精神病を障害として認めると、かなりの患者が意識的/無意識的に「精神障害者」に留まることにメリットを見出し、結果、患者が精神病でずっと長く苦しみ、精神病から回復できないため精神病患者のために障害年金廃止が必要です。
精神病、特に、鬱病患者に多いのが、「お金が山ほどあれば鬱病から立ち直れると思う」と鬱病患者自身が言うことです。
これはある意味事実で、古いデータですが、年収8万ドル以上は鬱になりにくい調査結果や、15年前には7.5万ドルまでは収入と幸福感が比例すること、いや20万ドルを越えても年収と幸福感が共に上昇していく調査結果が示されています。
しかし現実には病気で思うように働けなくなり収入が低く留まることが多いです。
思うように働けないままの状態が長く続くと、精神障害者となって、障害者年金を受け取るという選択に進みます。
ここが問題です。
精神障害での障害者年金を獲得するために、患者は、自然と、自分を精神病に追い込んでしまうのです。
結果、患者は精神病で長々と苦しみ社会復帰できないまま、患者は精神病で苦しみ続けてしまうのです。
もうこれを終わりにしましょう。
私は保険医療従事者ですから、そういった患者で生計を成り立たせている面もあります。
しかし、このまま患者を精神病に留めて、患者を精神病で苦しませる時間を何十年も続けることには、もう明確に反対します。
精神障害者の障害年金を廃止しても、回復せず、困窮してしまう患者/元患者の方もある程度はおられると思います。
国民皆に平等に与えられている制度、生活保護を積極的に活用しましょう。
障害者加算は無しです。
それでも回復しない人は、国民皆に平等に与えられている制度を使って、精神病を引きずっていても得することはないことを自然と自覚し、回復と自立の道をその方のペースにあわせて歩んでいくべきです。
そういう子供みたいないじめをうけてたのかな?って思うじゃん?
日本もよく言われてる。
たとえば「親日派の尹が大統領だから日本が遠慮なく我々を無視をするね」みたいに言う。
というか融和的な尹大統領と岸田の時代はかなりが関係よかったしね。
みたいな言い種。
・現実が期待通りでないと感じる
→「無視された!」
嫌韓デマだと思うなら知り合いの気のおけない韓国人に聞いてみていいよ。
たぶん日本も入ってた。
でもこれを韓国人は
ア、くだらないこと言ってるんだな、
それで外れたことないよ。
本当に嫌いな語彙です。
韓国人のために韓国人によって使用を制限されるべき語彙だと思う。
これ韓国に慣れてない人は驚くだろうし
一度知り合いの韓国人に聞いてみてから結論だしてほしいけどね。
一対一で聞くと結構理性的に自国文化批判できる人たちだよ韓国人は。
日本にも悪いところが色々あると認めてから聞くとフツーに自国の悪いところたくさん語ってくれる。
日本のオールド反日サヨクなんかよりよっぽど頭よくてフェアな人たちだよ。
ハンマーで殴られた被害者をいじめ犯人と決めつけてニタニタしてるCさんとかさ。
自分が本当におぞましく人格も知能も終わってるレイシストなのを自覚してほしい。
ハンマー女の動機は捜査が進まないと断定できないし続報の報道もされないかもしれないけど
動機について別の嫌なこと思い付いちゃった。
2年生で22歳ってことは
浪人とかしてた人ぽいじゃん?
それはむしろ溶け込めるようにと思っての配慮であり優しさだよね。
自分が大学一年のときもそういう同級生に最初悩みながら敬語使ったら「やめてよお」って言われてそのあとはもう同い年の感覚の友達になった。
けどそういうの、
それでも年齢基準で目上として扱ってほしいということなら先輩扱いぐらい日本人は出来るよね。
言えない不満や疑念が自分の中だけでどんどんたまっていって2年目くらいでドッカーンてなるかも。
知り合いの韓国人はみんな社交的だからそれはおもいつかなかったけど
ただの社交的でない子が心機一転日本にきて文化や慣行のの差で思い詰めてこうなったとかなら
めちゃくちゃ嫌な話だなあ……。
発達障害を自認しながら身近な発達障害者をSNSで晒してウケ狙ってる人いるじゃん
Xにもはてブにも、他のSNSにもいる、単発の投稿じゃなくて持ちネタになっちゃってる人
過去の検索すると発達障害の兄が~姉が~って数えきれないくらいヒットする人
あれ本人は同じ発達障害だからセーフって思ってるかもしれないけど、単なる差別なんだよね
上肢と下肢でも違うし視覚や聴覚などそれぞれの苦悩があることが当たり前と考えてるから、同じ身体障害者としての発言は相当慎重に行われている
精神障害者ですら精神障害一般については配慮した物言いが当たり前になってる
なのに発達障害についてはそういう発言を頻繁にする人が目立つのは何故なのか
発達障害の詳しい診断が下っていてDSM-5についても知識がありながら差別発言を繰り返しているのは何故なのか
病状や深刻さが近しいならかろうじて自虐として成り立つ余地もあるかもしれない
おっしゃる通りICFそのものを読んだことはなく、解説のみを読んで把握しているだけなので間違いがあるだろうとも思う。そう言うこであれば、具体的にどう間違いがあるのかを指摘してほしい。
また、第三者から精神障害であるとされる不安は特に抱いているわけではない。確かに側から見て明らかにASDの特性があるとしても、本人に生活機能の障害の自覚がなく、顕著に生活に支障が出ているとは言えないケースに、本人をASDと診断するのは妥当なのか?という話をしている。
私の考えや疑念に対して、どう間違っているとあなたは考えているかということを私は知りたい。増田における煽りの文化は無くなってほしいと思うので、あなたがいくら私を煽ったとしても、あなたが返信を続ける限りにおいて人として会話を続けたい。もう話を続けるつもりがないのであれば、誠実に、煽りなく、人間同士が対面で話すのと同じように、話すつもりはないと伝えてほしい。
かなり失礼なことを言う人にマジレスするのも何だが、俺はとくに精神障害その他の病気を患っているわけではない。
なぜこのような高い熱量をもって書いているのかというと、最近の秀逸な基本プレイ無料ゲーを「ゲームとして楽しもう」とする人が取るべきプレイ戦略が、今までのソシャゲの常識(=人権キャラor推しまで溜め込んで全ツッパ、他は当然スルー)と全く異なるからだ。
そしてその違いを十分認識できないまま、キャラ確保をおろそかにして、「刺さるキャラ」の実装まで何ヶ月もガチャ禁をつづけ、自らつまらなくなる遊び方を選択した上で、フェードアウトしていく人を多く見てきたからだ。
これらゲームはガチャの特殊な排出仕様からしても明らかに、できるだけ多くのキャラを確保して楽しんでくださいね、という設計になっている。
ガチャゲーとしてはこの上なく渋い確率設定になっている分、コンスタントに回してさえいれば確実にキャラと遊びの幅が増えていく仕様、かつ確保までのハードルは低めにしてバランスを取っているのだ。
もちろん楽しみ方は人それぞれで、癖に刺さるキャラを凸によりとことんまで強くすることが一番のモチベだという人がいることは理解している。
だが課金額に制約のある人にとって、その方針はガチャシステムや戦闘設計と極めて相性が悪く、プレイ歴のわりに未所持キャラが多すぎることでゲーム体験を損ねるデメリットが従来のソシャゲより強く出ると知ってほしい。
むろん、戦闘面がヌルいゲームだから確保主義だろうと一点豪華主義だろうとどっちでも好きにすりゃいいじゃんという言い分は成り立つが、ログインしなくなる人は大抵がキャラ所持数が少ない割に高凸キャラを持っている一点豪華主義、いやソシャゲ的プレイスタイルの人であることはフレンドリストなどから分かっている。
そうなると、大抵の人にとってゲームの楽しみの過半を占めているはずの、大規模かつハイペースなメインコンテンツの追加という従来のソシャゲになかった旨味のほとんどを取りこぼして、ただただ渋いだけのガチャゲーという印象を残して離脱することになる。
あまりにも勿体ないと思うので、そういう人が発生しないよう熱量が高まってしまうという流れだ。
verごとにこの旨味の部分はせいぜい10時間ほどで味わいつくせてしまうので、残りの6週間のモチベーション管理こそがゲームを楽しむ肝なのかもしれない。
旧来のソシャゲではこの部分を、ギルドバトルだマラソンイベだと頻繁にログインを促して虚無な作業に追われる状態にさせることでDAUを維持してきたが、今のゲームはそういう小賢しいことをしない。
イベントも所要時間は少ない上に毎回違うゲームを出してくるし、スタミナも24時間放置できて消化も数分だし、動画コンテンツを作ってワクワクさせてくるしで、過剰なほどのおもてなしは感じる。
そうやって健全化した一方で、旧来スタイルの束縛力と比べると、持続性の面でユーザー側でも自発的に楽しみを見いだす創意工夫にゆだねている部分が大きい。
まあ後発ユーザーであれば普通に消化しきれていないシナリオや育成タスクがあるとはいえ、この機会に、IQ下げて苦行に耐えてガチャ回してウェーイするだけだったソシャゲ脳からの脱却を提起したいわけだ。
もしこれが買い切りの戦略SLGであれば、いきなり次世代戦闘機だけに開発リソースを注入して他の開発は一切しないなんていうトンチキなプレイをする人は少ないはずだが。
昔のソシャゲを作っていた人たちはゲーマーではなくビジネスマンだった。だから戦闘機だけ作りまくっても金払ってくれるなら気持ちよく勝てるようにソシャゲを作っていた。
今の売れてるモバイルゲームはゲーマー理解のある人間が作っていて、あらゆるユニットを駆使することで有利になるようなバランス調整を当たり前にしている。一方でソシャゲ的な向き合い方をする余地も残している。
残しているとはいえ、ソシャゲではなくゲームとして向き合ってくれる人を失望させない配慮も見て取れる。そこの部分の采配を信じてあげてほしいということだ。
日本人と違い、欧米のゲーマーは経済力にかかわらずあまりガチャを課金してまで回そうとしない。金の力で強くなるのはゲーマーとして甘えだからだ。
F2PのゲームならばF2P buildでのゲーム体験が評価の基準になると思っている節もある。
そうした地域でも一定の評価を得ている基本無料ゲームならば、素直にまずは無課金ないし月額パス程度の微課金でしばらく付き合う人が増えてほしい。
ガチャゲーやキャラゲーとしてではなく純粋にゲームとして向き合ってみることで得られる気づきがあるはずだ。
ゲーム側も、特定キャラだけへの執着を減らせるように、どのキャラも好きになってもらえるよう、つまり全ユニットを活用する戦略SLGのように、オタクに博愛の心が芽生えることを期待してゲームコンテンツや映像を作っている。
もちろん推しのような贔屓キャラを作ることを妨げるものではないが、ゲームとしていろんなキャラ、いろんな要素に関心をもって考えることが、豊かなゲームライフの下地になると俺は思う。
要約: 自分を否定する努力より、自分の肯定につながる努力をしよう
https://anond.hatelabo.jp/20241221204350 を読んで https://anond.hatelabo.jp/20241222173557 を書いたら、当事者より「努力するなは死刑宣告のように聞こえる」「何をするかを書いた方が良い」とお叱りを受けたので、再考して書いてみる。
はじめから言っておくと、俺は当事者ではないし、タイトルの答えは知らない。ただ、いろいろASDのことを学んだり、仕事で接するなどしてこうしたら良いらしいと理解したことを書く。
当事者の方が俺に文句を言いたいのであれば、これを叩き台にしてぜひより良い策を書いてほしい。
まず成人のASD当事者が定型発達の社会に沿って生きようと努力すること自体は尊重されるべきだし、それを無碍に否定することは当事者にとって絶望感を与えてしまうかもしれない。
ただ、支援者としては努力を続けて行くことで二次障害を起こしてしまうことを恐れている。ASD当事者の中には常に頑張りすぎて自分が高いストレス状態にあることに気づいていないこともあると思う。
努めて人とコミュニケーションをとろうとするのはいいが、やはり自分自身の心身の健康を最優先してほしい。努力した分と同じくらい、自分がリラックスできる環境や時間の確保をしてほしい。
ASDは感覚の過敏や偏りがあることがあり、例えば聴覚による情報処理が苦手な場合がある。人の空気が読めないといっている人が、実は音声の会話が苦手なことが主要因で、テキストチャットだとうまくコミュニケーションがとれるケースもある。
コミュニケーションの取り方は色々あるので、自分の気持ちを伝えるためにどんなツールや媒体を使うと一番スムーズなのかを考えて、大事な話は極力そうしたツールを使うようにしよう。
ここまではASDと診断されなくてもできることだが、やはりコミュニケーションの困り事がある人は専門の病院にかかって診断をもらった方が良い。その理由はいくつかある。
一つは、自分が遭遇している障害の全体像をきちんと把握するために必要な情報が得られるから。当事者自身はコミュニケーションで悩んでいても、実はそれが聴覚などの感覚の問題が起因だったりすることもあり、当事者が気づかない問題が起こっていることもある。客観的な医学知識に照らしてみることで問題の解決につながることもある。
もう一つは、合理的配慮などの各種取り組みは診断があることが前提になっていることもあり、とれる選択肢が増えるから。以前も書いたけどASDは本人のコミュニケーションスタイルや感覚がマイノリティであることで、周囲の人や環境とミスマッチを起こしていることが障害の原因である。なので、本来は当事者の特性に合わせて生きやすい環境や人との関わり方を調整して行くことが望ましい対処法になる。
環境は不変なもの、正しいものではなく、変えられるものしていけるように、使える選択肢は増やした方がいい。
当事者研究というのは、障害当事者など何らかの困り事のある人が、自分自身の困り事を探求し、自分独自の「病名」をつけてその対処法を研究すること。基本的には当事者のコミュニティの中で「研究会」として開催し、当事者同士が話し合いながら行うスタイルが多い。
当事者研究はもともと精神障害当事者が共同で暮らす「べてるの家」で始まった試みであり、障害者自立活動とアルコール依存症の自助グループ活動の2大潮流が合流して生み出された(綾屋紗月 2023)。精神医学の言葉や概念ではなく、自分自身で生み出した言葉で苦しみを仲間と共有することで、当事者が実践できる生活の方法を考えられるとして2010年代あたりから全国的に認知されるようになった。
こう説明されると、結局当事者が努力してるじゃないかというツッコミを受けるかもしれない。だが当事者研究が普通に頑張るのとは異なる利点がある。
一つは、障害と自己を切り離して考えられること。自身の障害について考えたり「克服」しようと思うと、どうしても自分の人格を否定してしまうことにつながりがちだ。そうなると、努力する分だけ自己肯定感が低くなっていき、過大なストレスを抱えてしまう。当事者研究は自分が抱える障害や症状「研究対象」として名前をつける(例:爆発さん、幻聴さん、おこるちゃん)。そうすることで、障害を自分の一部ではなく、自分のそばで起こっていることとして冷静に考えることができる。
二つ目は、自分だけでなく他の当事者への貢献になるように自分の問題を考えること。当事者研究は「研究」なので、同じような状況に陥る人の役に立つようなソリューションとして言語化することが求められる。そうすると、これまで自分のためにやっていたことが、他人のためになる活動に変換され、自己肯定感を高めることができる。その人はその障害の苦しみを理解できる「専門家」となることで、障害経験をポジティブに捉えることができる。
このように自己の人格を否定することなく、距離をとって自分が遭っている障害を仲間と一緒に見つめることで、建設的に今後のことを考えることができる。
ここまで長々と書いてきたが一言で言えば上の言葉に尽きる。自己を肯定できないソリューションは続かない。どんな方法であれ、ありのままの自分を肯定できることにつながらなければ、本当には当事者を救う術にはならないのではないだろうか。
フェミニストとして存在感あるメイン層がどんどんやばくなってる
10年前頃にはちょっと見た目や学歴が良くて起業ごっこしてるタイプの思慮の浅い若い女になり
5年前はソープ嬢キャバ嬢家庭板系専業主婦といった発達障害層になり
近年はもっと本格的な知的障害とか重度精神障害層がプレゼンス出してて
これ悪口とかじゃなくてほんまよ
近年は本当に限りなく子供の嘘みたいな話(毎回エビデンスなし)で女同士で万バズしまくりで
何が酷いって旧来勢力のリベ系フェミ系のアルファアカウントや左派の多い弁護士層とかですら
ちょっとついていけなくなってて勢いで押されたり引いたりしてるんだよね
今回の裁判長弾劾の動きも左派系の弁護士でも「さすがに……?」てなってるけど女集団に罵倒されまくりで逃走
悪口抜きで軽くない知的障害とか精神障害の女性がフェミニストの中心になってるよ
タイムラインずらっと眺めると独特の口調で妄想としか思えない話をずーっと書いてるとかそんなんばっかで
数年前のフェミニストは風俗店で働いてる感じはうかがえたけど今のフェミニストは仕事の話が愚痴すらゼロで多分働いてない
プロフィール見てもみんな障害のことを自分で書いてるの、あんま軽くないやつ
プロフィールでいろんな病気の数値と共に多重人格者自称してて各人格の設定が書いてあったり(冗談とかじゃなく)とか
そういうアカウントが荒唐無稽なエピソードを披露して(自分の性被害の聴取で担当刑事がビンビンに勃起してたとか)万バズとって
そんな話ばっかりハウリングしまくってて日本のフェミニズムシーンマジ熱い
追記: 要約
追記2: じゃあどうすればよいのか?という方向で再考してみた。
https://anond.hatelabo.jp/20241223082309
===
https://anond.hatelabo.jp/20241221204350
上の増田を読んでめちゃくちゃモヤモヤしてしまった。俺は色々あってASDの子を育てたり職場でASD/ADHDの若者の相手したりメンタルを病んだ家族をケアしたりしているのだが、増田は色々誤認したり、あまりよくない方向性に向かおうとしたりしているように感じる。以下、俺がモヤモヤしていること3選を書く。
この増田の友達もそうだが、困り事が明らかにASD(自閉スペクトラム症)だったり他の障害の特性なのに雑にADHDに括ろうとする人が最近多い。「ADHD」という名前だけ知っていて、その内容を知らずにいるのは単なるレッテル貼りにしかならないので非常にもやる。
以下の解説記事にもあるように、本来ASDとADHDは異なる特性や障害パターンを持っている。増田のような「空気が読めない」「相手がどう考えているかが分からない」という主張はどちらかといえばASDにあてはまる。
https://h-navi.jp/column/article/167
ADHDは薬の服用によって生活が改善されやすいが、ASDに対しては同様の薬物療法はない。当事者に対する周囲の働きかけ方や配慮も異なってくる。なので、混同するのは危険がある。
実はASDとADHDは併発していることも多いので、ASD当事者がADHDに悩むこともあるし、その逆もある。こうした混同が起こる背景には、かっての精神医療の診断基準ではASDとADHDのどちらかの診断がおりたら片方の診断がつけられなかったこともあるらしい。ただ、必ず併発するわけでもないし、上に書いたように対処法にも違いがあるので混同すべきではない。
俺は大学で働いているので日常的に学生と接している機会が多いのだが、診断をもらって告知してくれている学生の対応は正直あんまり困らない。今は合理的配慮などの兼ね合いもあって障害に対応する支援制度や連携の仕組みがいろいろあるので、障害があることが分かればできることも多い。
困るのは側から見て明らかにASDの特性があるのに気がついていないか、うすうす気づいていても自分の頑張りだけで対処しようとするケース。そうなるとこちらからは障害があると断定できないので、使える対処法が限られてくる。例えばASD当事者の中には音声から得る情報の理解が難しい場合があるので、その際は当事者の配慮願いを通じて教員の話していることをノートテイキングしてくれる支援者を配置することができる。クローズドであると、そういう配慮によって学生の障害を無くしていく手段が取れない。「単に授業を聞いてなくて成績の低い学生」扱いされる。かと言って、「君は障害があるようだから病院行って診断もらってきなさい」と言うのはできない。そうこうして行くうちに学校に行かなくなってドロップアウトしていく。そう言う学生を何人も見てきた。
そう言う実務上のことはさておき。何より、1人で抱え込んで苦しみ続ける当事者を見ているのは、こちらが辛い。みんな深刻な顔をして「すみません……頑張ります……もっと人のことを考えます」と言うのだけど、こっちからしたら「もうこれ以上頑張らなくていいから、専門家と連携して生きやすい環境作ってこ!」と言いたい。
ASDの診断がおりたとして、そのことを受け入れられないこともあるだろうし、診断を受けることに抵抗感があるのは理解できる。それに、増田はもう社会人なのもあり、現在のASD当事者の就労環境の状況を鑑みるとだいぶ支援体制も厳しさも違うと思う。
だけど、少なくとも言えることは、俺がもし増田の同僚や上司だったら、増田の困り事がどう言うもので、何が原因となっていて、どう配慮すれば良いのかを知りたいし、その方が助かる。診断を受けることは決して努力を放棄することではない。自分が何を苦手としていて、どんな助けを必要とするかを周囲に伝えるのも立派な努力だと思う。
この増田は人の気持ちが分からない、空気が読めないことを克服したいと考えている。それが問題だと捉えている。だが、正直俺からしたらもっと深刻な問題は増田がなまじ頑張れてしまっていることだと思う。
普通の人が頑張らなくてもできることを年がら年中頑張ってエミュレートして仕事をするのはとても疲れる。それは一時的に問題を解決しても、到底持続することはできない。
これは子供の発達支援界隈でよく言われているらしいが、ASDの子供が療育を通じて保育園や幼稚園の生活を円滑に送れるようになった時が一番危険だと思われているようだ。というのも、表面的には子供が「普通」になったようにみえ、周囲に馴染めていても、本人の内面は変わっていないので、常に気を張り続けていて普通になろうと頑張ってしまう。すると非常に高いストレスが体を蝕み、ある日登園しようとしても気持ち悪くなっていけなくなってしまうことが起きる。
発達障害の本当の問題は、鬱など他の精神障害を引き起こすリスクが跳ね上がることだ。 「重ね着症候群」と呼ばれることもあるが、一見、本人の頑張りで障害が克服されているように見えても、それはむしろ二次障害のリスクが高まっているという点でより事態が深刻になっているかもしれない。
これを書くと余計長くなるが、ASDのコミュニケーション障害は、ASDの考え方や感じ方がマイノリティな形をしており、周囲の人間とミスマッチを起こしていることが原因である。ミスマッチが原因なのだから、俺にとっては、本来ASDだけが頑張らなきゃいけない謂れはないんじゃないかと思う。
増田の努力は素晴らしいし、尊重されるべきなんだが、鬱で生活がままならなくなるよりかは、開き直って周りに迷惑をかけてしまった方がいいんじゃないかと思ってしまう。そうして、本来コミュニケーションとはままならないもので、それぞれの人の多様な考え方があるんだと言うことを気づかせていったほうが、結果的には社会のためになるんじゃなかろうか。
これは当事者のそばにいるものの傲慢な意見でしかなくて、増田の気持ちに寄り添えていないのかもしれないけど。少なくとも俺は増田がもっとありのままでいられる生き方をしてくれたらと思う。少なくとも増田が恐れているような人間ではない、増田なりに人の気持ちを考えている人だと俺は思うぜ。