はてなキーワード: どんととは
3 年ほど前にこんな増田 (https://anond.hatelabo.jp/20220202083907) を書いた。趣旨としては、年収が 2,000 万円辺りを超えると金銭感覚に変化があり、普段の暮らしでお金を気にすることはなくなり、「庶民感覚での」裕福な暮らしをするようになった、というようなものだ。この時点では、元々の暮らしの延長線にある贅沢といった感じだったし「これ以上の贅沢はもはや思いつかない、というかこれより上は値段相応の価値を感じない。」とも書いた。
…が、である。その後 3 年経ち、年収もさらに増えたところ、もう一段階の金銭感覚の変化があった。ただそれは年収によるものでは無かった。むしろ投資に振り向けている資産の額で金銭感覚が変化していた。月の手取りが 100 万円、をベースに考えると「一万円以下は誤差という感覚」と書いていたのも分かってもらえると思うのだが、投資金額が増えるにつれ「資産の変動が一日 100 万円」という世界に入ってきた。すると「十万円以下は誤差という感覚」が生まれてくるではないか。一昨日 50 万減ったと思ってたら、昨日はさらに 100 万円減った。でも、今日は 80 万円戻したぞ。みたいな。10 万円なんて毎日コロコロ変わる単位なので気に留めなくなってくるのだ。
この領域になると、従来そこにその金額をかけるなんて想像もしなかった、あとちょっと良くするのにどんと金額が増えるとか、QOL 向上のためだけにとか、そういう所にもお金をすんなり出せるようになる。ぶっちゃけ今も、1 万円の焼肉と 3 万円の焼肉に 3 倍ほどの味の差は無いと思っているが、ホスピタリティに 2 万円払えるようになった。筋トレはパーソナルトレーナーをつけて月に 5 万円弱。もうひげ剃り面倒だなーと思ったらヒゲ脱毛 40 万を払う。
仮に年収が 5,000 万円にまでなったらレクサスに乗り換えるだろうか?そんな気はしないんだけど、10 年前は今ほど金銭感覚が変わるとも思っていなかったから、分からんね。もしもそうなる事があったらまたレポートしよう。
そう、結局の所、年収が 5,000 万円になることはなくても、レクサスは普通に選択肢に入ってきた。それは年収によるものでは無く資産の額によるものだったのだ。
タイトルの通り、親族が恐らく詐欺(と思われる)に遭いかけたのでざっくりとまとめる。
結論としては「資産を持った老親族への連絡を欠かすな」である。
認知も入りかけていて老人ホームに入りたいという話は聞いていたのだが、数週間前に会ったときは何も決まってなかった。
それどころか世話をしていた親族B氏が少し前に急死して頓挫していた。
それなのに、いきなり1か月後に家を売ると言われるのは流石に寝耳に水。
慌てて詳細を聞いたら、知らない保険屋(以降C氏)が上がりこんで家を売る話になり、高級老人ホームに入ることになっていた。
自分はB氏の次に残っている血縁者で、ちょこちょこ連絡取ったり、顔を見に行ったりしているくらいの関係値。
数週間前には何もなかったのに、突然相談も無しに家を売る話が降って湧いてくるか?と大混乱した。
既にこの時点で面倒な気配を察知。
C氏について聞いたら、どこからともなくやってきてA氏の亡くなった旦那に仕事で世話になったからA氏を助けたいと言っているらしい。
それで家の売却をする不動産屋を紹介され、老人ホームも後押ししてくれて、全て決まった。
B氏の死後、色々な手続きとかをしたり、相談に乗ったり、保証人になっていたりするはずなのだが、電話の一つもなかった。
そもそもC氏なんて人物、今まで一度も聞いたこともなければ、会ったこともない。
亡くなった旦那に世話になったというが、旦那の葬儀に来ていた記憶はない。
保険屋なのに世話になった契約者が死んだことを今まで知らないってどういうことだ?
あと1年したら不動産売買の年齢制限に引っ掛かるとか、私のツテで自宅を数千万で買いますとか、自分の知り合いが家具の片付けとか全部任せられるとか。
そのほか、A氏が持っている他の資産もこのタイミングで売ろうとか言いだしてたらしく、叩けば叩くほど、調べれば調べるほど、埃と言うより泥に近いものがどんどんと溢れてくる。
高級老人ホームも入居だけで数千万。月額はサラリーマンである自分の給料を大幅に超えていた。
たしかに綺麗なところだった。駅近で、個室も綺麗で、庭には花が咲き乱れ、マダムが優雅にアフタヌーンティーしていても似合う様な。
家を売ったら、それを元手にギリギリ足りる。数年は住めるだろう。
でも、ギリギリ入居できるだけ。老人ホームにもよるが、食事にも種類があって特別食というのは都度課金制、生活用品はともかくそれ以外の趣味のものは当然自腹、そして病院に行くことがあれば費用は別にかかる。
結局、入居できたところでそれ以外の費用も嵩むため、入居費+月額+αが必要になってくる。明らかに足りない。
そんなところを、本当に親切心だけで手伝っていたのだとしても、安易にすすめていいはずがない。
勿論、C氏が保証人になって、その赤字部分を出してくれると言うなら、話は別だが。
詐欺ではなくとも、仕事は任せられる人間ではないことは確実だった。
ちなみに老人ホームへの入居には保証人が必要なはずなのだが、唯一保証人になれるであろう自分のところには前述の通り一切の連絡が来ていない。
A氏の親族は、年老いた兄弟だけなので保証人になれないらしいが、果たして誰がなる予定だったのだろうか。
老人ホームは仮契約段階で、契約金に数十万払ったり、保証制度も使わずに保証人無しのままで契約することは有りなのだろうか。
(この老人ホームに対してもかなり不信感が拭えずにいる。)
ちなみに自分へ最初の連絡がきたのは、報告ついでに入居後でいいから保証人になってほしいという依頼のため。
一連の流れに立ち会っていたご近所さんが不審に思ったようで、保証人をお願いすることを理由に掛けるように言ってくれたようだ。
結局、この急な売却と高級老人ホームへの入居はご近所さんと自分の説得によって、やっと白紙に戻った。
老人ホームに払った契約金は戻らなかったが、相場かもわからない金額で訳の分からない人間に家が売られることは避けられたのだった。
今回の失態は、数週間といえど連絡を欠かしていたことが原因だったと思っている。
こんな大きなことを流石に連絡もなしで進めることはないだろうと思っていたこともあるが。
もう少し連絡が取れていれば、C氏などという胡散臭い人物が入り込む余地を与えずに済んだだろうか。
とりあえず、最悪の状況になる前に止めることができてよかった。少なくとも亡くなった旦那、もとい自分の祖父へ顔向けはできるだろう。
C氏には後日、詳細を聞くために連絡を取ったところ中々きつめの罵倒をいただいた。
どうやらA氏に対しては穏やかないい顔をしたようだが、近くにいたご近所さんがこの罵倒を聞いていてあまりの剣幕だったと心配の連絡をくれるレベルだったようだ。
祖父が鬱陶しいくらい可愛がって、どこに行っても誰に会っても名前を出して話していた孫のことを知らず、さらには傍から見ても心配されるような罵倒をするのが祖父に世話になったという人間のやることだろうか。リサーチ不足も甚だしい。
余談だが、後日連絡した際にA氏はこの件について説得されたことを忘れて自身が不審に思って断ったと自慢気に話していた。認知症とはあまりにも恐ろしい。
親が英語教育だと言って幼稚園の頃から英会話教室にぶち込まれた。
当時の自分は嫌というよりも、英語という言語が謎で何に使われていて何のためにやっているのかわからなかった。
日本語と文法が違うのが理解できず、主語?述語?なに?とずっとなってた。
親は家庭内で英語を急に出してくるし何回一日で「?」ってならなきゃいけないんだろうと思っていた。「習ったじゃない」と言われても何の話なのかわからなかった。四六時中考えることばっかりでいつもイライラしていた覚えがある。
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しかし小さい頃は中国語なんて話せないし、方言やら早口やらでみんなが何言っているのか謎だった。漢字も簡体字だし、わからない。
母は覚えさせたいのか中国語で話しかけることもある。わからなさ過ぎて「?」ってなっているとため息をつかれて「これもわからないか…」と勝手に失望している。
強制的中国語シャワーで兄弟らと一緒に謎の地で謎の孤立と謎のいら立ちを覚える帰省だった。親戚と対話はできず、母がいない状態になったら本当に死を感じるほどだった。
小さい頃は母に失望されるのが嫌で聞き取ろうとしても「私」が「我」ということだけで精いっぱいだった。
小学校の漢字や九九を覚えられずに居残りで覚えている状態の人間に、どんどんと新しい外国の文法と単語を教えてくる。覚えられないよと思っていたが嫌がると「せっかく教えているのに。もったいない」と言うので覚えるフリだけした。父も「もったいない。覚えれば得なのに」と逃げ道はなかった。
そして中学受験で国語の文法が最悪だったのを覚えている。敬語とかも。
『お家で会話する?』って先生に言われたことがあった。当時は食事中もいつも賑やかに話しているからそうだと頷いたが、きっとあれは『日本語がおかしいから、会話をしていないのではないか』と思われたんだと思う。
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まぁそんな感じで育ったのだが、中学の時点で英語はゴミな成績、中国語も你好と謝謝くらいしか知らん。
必死に英語を勉強してもそもそも日本語訳の文法でバツをくらう。選択肢も間違え、解説を読んでも日本語がそもそも理解できなかった。読めないのではなく、接続詞等で混乱していた。
脳内で変換バグが起きているのか、選択肢AとBはどちらとも長文からしてあり得るじゃん!と思って解説を読んでもAとB一緒じゃん!となって堂々巡りばかり。
高校の時小説を書くことがあったのだが、それをネットにあげた時についたコメントがある。
ショックだった。しかもエゴサしたら最悪な文章として『おそらく中国人が書いた』と掲示板に晒されていた。
『作者さんはもう少し文章を綺麗にできたらいいですね。変な脱字や文法が気になります』という真面目な批評の方が辛かった。
でもネットのコメントなんてそんなもんだと思って無視していた。
が、授業でレポートの添削を返された時に『句読点と「がをはに」がおかしいです。読み直しましたか?』とコメントされた。
ショックすぎて一人で泣いてしまった。これが一度や二度じゃない。
先生に指摘される。しかも高校になって。小学生ならもう少しダメージは少なかったと思う
自分でちゃんと、何度も読み返しても、読み直しても、何も違和感を覚えなかった。何が違うのかわからず、先生に聞いても『ここ違うけど(なんでわからないの?)』とリアクションされ、いかに自分がやばい状況かを感じてまた泣いた。
『前から気になっていたけど話し方(文法)がちょっと変じゃない?』
日本で産まれて日本で育ったのに、日本語がこんなに壊滅なんて。
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そして「あ~あ、せっかく母さんは英語も中国語も話せるのにお前らは覚えなかったなwwもったいな~ww」と父が事あるごとに言う。兄弟全員に向かって言う。受験中も、一緒に食事をした帰りにも、外国で活躍する人がニュースになったときも、思い出したかのように急に言う。母も同意して「そうよね~」「どうしてかしらね~」とぼやく。
でも父さんは話せていないと反論すれば「俺はこどものころからじゃないし」と言い訳する。母は「語学楽しいのに。私なんか身近に話せる人がいなかったけど、こんなに話せるようになったのに」と言う。
いつも「そんなの人による」と、不快だからやめてほしいと言っても止めない。「覚えれば得だったのに」「頭の良くない家系ってわかったよ」「英語できなかったのは事実じゃないか」と子を遠回しに馬鹿にして、自分のことを棚に上げる。
「そんなことより日本語を教えてほしかった。いろんな人からお前の日本語がおかしいと言われ続けた。バイリンガルだろうがトリリンガルだろうが、母国語がまともじゃないが一番嫌だ。一番傷つくんだ!小さいころから英語教育やら外国語の教育なんてただ混乱して終わっただけだった。母国語すら知らないのに外国語がわかるか!
それを子のせいだけにするような発言は二度とするな!なんで母さんや父さんは自分のことを棚に上げているんだ!」
親は黙った。明らかに目を反らして別の話題を始めやがった。一言「ごめんね」って建前でも欲しかったのに、結局そんなのは自分勝手だったんだなって思った。親のせいにしているだけなんだって。
でも兄弟だけは「そう思ってた」「あの発言いつもムカつくよな~」「他人事すぎるよな」とあとで教えてくれて、それだけが救いだった。
改めて日本語を勉強し直している。そんなこと知らなかったということばかりだった。接続詞って難しいね。「がをはに」って難しいね。カタカナって難しいね。
最近、ようやく会社で「増田さん、文章書くのが上手いね」と言われた。ようやく。ようやくだった。ようやく終わったんだなと思った。
今書いているこの文章も変なんだろうか。自分じゃわからない。また「へたくそ」って言われるかもしれないけど、吐きたかった。終わらせてくれ。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/002615620030226004.htm
次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
かくして、主要な企業の本社は東京に移らざるを得ない。団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。これでどんどんと移転した。これが第一であります。
二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
さらに、文化創造活動も東京に集中いたしました。だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
https://www5.cao.go.jp/99/e/kgiji/19990531chiiki.html
ここにも記述してありますが、日本の地域政策は、昭和初め、昭和16年ごろの決定がございまして、日本全体を有機型地域構造にするというような決定がございました。有機型というのは、人間の体のようにするということです。人間の体であれば頭は1つだということで、全国の頭脳機能を1つに集める。それは首都東京でなければいけない。
頭脳機能というのは、産業・経済の中枢管理機能と、情報発信機能と、文化創造活動である、こう定めました。そして、各地に地方中核都市をつくりまして、北海道なら札幌、東北6県なら仙台、中国なら広島とする。ここは地方限りの頭脳機能をもつ。各県限りのものは、県庁所在地に置くという、段階的なヒエラルキーをつくりました。
そして、すべての文化創造活動、情報発信機能、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めることにする。その手法として様々なことがとられました。例えば、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めるためには、各産業別、職業別に全国団体を作り、この全国団体の本部事務局は東京都に置かせるという政策をとりました。
私が通産省に入りました1960年代は、まさにこの政策を継続し、強化する真っ最中でございました。この方針に反して地方に、東京以外に、全国団体の本部があると、一日も早く東京へ来なければいけない。その対象になりましたのが、大阪にありました繊維業界、名古屋にありました陶磁器業界の2つでございまして、繊維業界については再三圧力をかけておりましたけれども、なかなか成功しませんでした。ところが、うまい具合に68年に、あの日米繊維交渉、これを折衝するにあたって、まずアメリカと折衝する前の条件は、紡績協会が、各種団体が東京に本部を移すことだ、こういう話をいたしました。
当時の局長室に、「敵は米国にあらず、大阪なり」という有名な看板を掲げられて、新聞にも出たことがあります。
いろいろ折衝したのですが、なかなか職員も大勢おられてそう簡単にいきませんで、日本繊維工業連合会という屋上屋の団体をつくりました。
銀行協会などもずっと東京にあったのですが、銀行協会長は東京にある銀行からしか出さないということがずっと続いて、三和と住友はダメということになっておりました。それが、70何年でしたか、本社機能を東京に移すことを条件に、まず住友銀行、次いで三和銀行が会長銀行になりました。それぞれ、会長銀行になると勲一等がもらえる、こういう仕掛けになっております。
それから、名古屋の陶磁器工業会も70何年に移転しまして、今は、陶磁器輸出組合だけが名古屋に残っております。
同様に、情報発信機能につきましても、非常に厳格に東京集中を行いました。吉本さんも東京へ進出しておられるようでございますけれども。そのもとになっているのは、NHKにつきましては全国放送は東京中央放送局から行う、民放につきましてはキー局は東京都にしか置いてはいけない。準キー局というのが大阪や、名古屋や、福岡や、札幌にあります。キー局でなければ全国番組編成権がないのです。準キー局は、キー局から番組と時間を割り当てられて放送するという仕掛けになっていまして、近畿地方だけとか、中国地方だけというのならいいのですが、それ以外はダメ。だから、例えば、広島カープという球団が広島球場で試合をやっているときでも、これを全国放送するときには東京のキー局でなければ放送できないというので、東京のテレビ局から全員が行っているというような仕掛けになっているわけです。
それから、全国的な文化創造活動を東京に集めるという仕掛けはどうしたかといいますと、特定の目的をもった文化施設は東京以外につくらせない。これは補助金交付規則で決めた。他のところでは、汎用性のある、劇場でいいますと多目的ホール、体育館でいいますと一般体育館(これはバレーボール、バスケットボールが2面取れる平場があるということが条件であります)、展示場でいいますと一般団体用展示場・美術館でなければいけない。格闘技専門の体育館とか、歌舞伎専門の劇場とかいうのは、東京以外につくってはならないということにしたのです。これも厳格に守られていまして、今でも、格闘技専門の体育館というのは、東京には、国技館、武道館等4つほどありますが、東京都以外ではまだないです。それから、歌舞伎座も、最近は南座が改装して、松竹座も民間ではやっていますけれども、国立劇場は両方とも東京へつくったというような形で、かなり厳格に守られております。
そうしますと、劇団や楽団をやる人のうち、素人は多目的ホールでも、歌舞伎は歌舞伎らしきものができますが、劇団や楽団を本格的にやる人は本物のところでないとできませんから、結局、東京でないと劇団はやれないということで、関西歌舞伎はなくなりました。シンフォニーも13か14が東京にある。25のうち6割以上が東京にある。ニューヨークでも5つぐらいなのに、東京だけ13も14もあるような格好になっている、というような仕掛けを作りました。
ワイ底辺SES民なんやけど、偽装請負の香りがしたりしなかったりする
ただこれを労基に言ったところで何か慰謝料とか貰えるんか?メリットが無かったら労基に相談するのも面倒なんや
ググっても「会社に罰金が〜」ばっかりで、それはワイとは関係ないんだよなと思ってしまう
ただググリの中でいいなと思った例は「契約解除・クビになった際に偽装請負で裁判起こして金を貰う」だった。多分趣旨は「実態からしてガチガチの契約なのにそんなポンポンクビはあかんから雇え」だったかな?知らんけど
まあこの例ぐらいかな。ワイはまだクビの気配ないし、転職もまだ先でいいし(案件がまだ途中だから)、明日も元気に偽装請負!どんとこい違法労働!
同じか近い境遇のSES民のみんな、辛い時もあるけど一緒にがんばろうな。下には下がおる、それが底辺たるワイや。明日ガチれば週末やし2月は祝日も多いし、休みが取れると嬉しいよな
なおワイは有給を気軽に取れん模様
プログラミングパラダイムは原理的にどうだろうと人間の認知能力にマッチしないとまともに読めない。
人間の認知能力に沿って人間の感覚で読みやすいプログラミングパラダイムを構築したほうが良いのか、人間の能力はどうせあてにならんから機械が間違いを検出しやすい (人間にとっての読みやすさはある程度は諦める) という方向にするのかでプログラミング言語設計業界はずっと揺れてる。
まあ読み書きしやすさは慣れの要素も大きいけど。
一般論として規模が小さい間は前者がバグが少なく、大きくなると後者のほうがバグは減る。
プログラムの平均的な規模はどんとん大きくなっていくから型でかっちりするほうが優勢になりつつある。
Ruby のように主導者が型アノテーションを強固に否定し続けている言語でも型アノテーションを入れよう派閥はそれなりに力を持ってるくらいにはやっぱり型指定は欲しい。
甘いものは好きだ。
最近はちょっと高いくない?と思うことも多くなったコンビニスイーツもある。
だが、それでも買って食べる。
コーヒーに関しては年々こだわりがなくなっている。
とかやっていた。
けどそれがどんどん簡略化されていって、
製品がとても良くなったし、
そんな中、ひとつのことに気づいた。
自分は甘い食べ物は好きだが、甘い「飲み物」は苦手になっている、と。
先日、いつものスティックインスタントコーヒーを切らしてしまった。
日々、平穏の中に生きている人生でコーヒーが切れるのは割と一大事だ。
絶対に買っておかないと。
……のだが、見事に忘れてしまっていた。
明日の朝に食べる甘い菓子パンは駅のコンビニで買って帰ったというのに。
日々のルーティンから少し外れると、どんどんとエラーが増えていく。
深夜、そんなことを思いながらお風呂にも入らず化粧も取らずに眠りについた。
朝、目覚めると昨夜のだらしない自分に反省をしつつお湯を沸かしコーヒーを入れようとした。
ない。
ああ、そうか。
買いに行くの面倒い。
あまり乗らなかった車は去年、息子が独り立ちするときにあげてしまった。
自転車でも買わないと不便だな、と思いながら何ヶ月も過ぎてていた。
Uber Eatsはこんなところまでコーヒーを届けてくれるのだろうか?
一度も使ったことがないサービスのことなんてもちろんわからない。
など、など、など、色々考えているうちにふと気づいた。
あれがどっかにあるはず!
あのもらったやつ!
だから以前、誰かにもらった小綺麗な包装の中に入ったまま棚の奥の、、、
それを、、、
見つけた!!
お湯も沸いた!!
こうやって人生はうまく切り抜けられるのだ。
自分はそういうふうに出来ている。
いつだってそうだった。
離婚したときだって、息子と二人どうやって生きていくか頭を抱えていたときだって、なんとかなった。
そんな小さな勝利感に浸りながら朝のカフェインをキャラメルマキアートを飲む。
こ、これは?
甘い。
うん、美味しくない。
ああ、口の中が「イーッ」となる感覚。
舌が拒否してる。
へー、そうなんだ。
そうそう、そう言えば息子がココアを飲んでいるときに一口だけ頂戴ってもらったときもそんな感じだった。
ああ、随分と昔のことで忘れていた。
ジュースとかもそうだ。
一口飲めば、それで満足する。
二口目はいらない。
一人になってからは一口を貰うことも稀になってしまったから忘れていた。
なるほど、自分は甘いものは食べれるけど甘い「飲み物」は苦手になっているんだ。
それが甘さ控えめって星印がついてても駄目なんだ。
ん?
そういえばパンをパクパク食べる偉人の話を誰かしていたのをふと思い出しだ。
あれはなんのテレビを見てたんだっけ?
まあいいや。
コーヒーを買って来よう。
野党から選択的夫婦別姓の法案を出てきそうな雰囲気ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今だと衆院で通ったとしても参院で否決されるので、参院選の結果を見ての対応が濃厚です。
んで、表題の通りなんですが、選択的夫婦別姓は政治を理解する良い題材なんですよ。
賛成派が多い(※)けれど、現状の制度は夫婦同姓=反対派という捻じれが発生しているので、互いに一理ある議論ですからね。
※選択的夫婦別姓に賛成が62%、反対が27%とNHKの調査で報じられている
そして、結婚という多くの人に関わりがあるイベントがトリガーとなる制度でもあります。
賛成派の賛成理由は下記のとおりです。
「名字が変わると、仕事や生活で支障がある人もいると思うから」18%
別姓にしたい人がいるなら、そうしたら?ということでしょう。
他人の意見を尊重する点や他人の困りごとを解決しようとする点は素晴らしいですが、深く考えていない無責任な意見にも感じられます。
「名字が変わると、仕事や生活で支障がある人もいると思うから」
姓が変わると別人として扱われ、不利益や支障が発生する場合の話ですね。
選択的夫婦別姓になっても、大抵の人は慣習で男性側に合わせると予測されます(他の国の傾向からの予測)
家父長制の影響から脱しようということでしょうが、迂遠過ぎでしょう。
別姓制度が開始すると子供の姓をどちらかに選択しますが、それが男性側の姓ばかりになった場合に、同じ議論を繰り返すのでしょうか。
アイデンティティを守りたいということですね。
とても大事なことです。
賛成派は不便の解消やアイデンティティを守ることが目的と言えます。
反対派の理由です。
「別の名字にすると、子どもに好ましくない影響を与えるから」26%
他人の家の一体感やお子さんがどうなろうとどうでもいい気もしないでもありません。
これらの理由はお気持ちであり、アイデンティティの現れと言えるでしょう。
夫婦が同じ姓であることを前提にしたオペレーションやシステムが多くの企業や役所に存在しており、別姓による混乱はY2K問題を想像させます。
実質、別姓でいられるということですね。
しかしながら、個人情報の扱いがどんどんと厳しくなっている時代に、旧姓が使える範囲を広げていくことは難しそうです。
反対の理由はアイデンティティを守ること、制度変更による混乱への懸念です。
ここまでが選択的夫婦別姓について賛成/反対の理由を紹介して来ましたが、いかがでしょう。
私は賛成派の最大の理由「選択肢が多いほうがいいから」が、無責任に思えてなりません。
国会で「選択肢が多いほうがいいから選択的夫婦別姓を実現しよう」と言う政治家を支持できますか?
私にはできません。
NHKの調査の賛成62%という数字を元に「選択的夫婦別姓の賛成派が多い」と判断することは早計でしょう。
賛成派は強く実現を望む人と消極的な多くの人で構成されているのです。
賛成62%のうち56%は「選択肢が多いほうがいいから」=全体の35%が消極的賛成派です。
積極的な賛成派は、62%ー35%=27%です。
制度変更のコストが日本の行政と企業全体でどの程度になるかわかりませんが、消極的賛成派のどの程度がコストに見合うと考えてくれるでしょうか。
反対派は夫婦同姓を日本の制度として残すことをアイデンティティの一部として感じています。
お気持ちです。
彼らは全体の27%です。
奇しくも積極的な賛成派と同じ数です。
制度を変更しようとする側は、現制度を変更するための道理とメリットを提示して、反対派を説き伏せなければいけません。
民主主義と多数決を混同しているバカ以外は、議論を重ねて反対派の取り崩しを行うことが必要であるとを理解しているでしょう。
物事を変えるというのは大変なのです。
例えば、自由民主党は憲法改正を目的として自由党と民主党が合併したにも関わらず、未だ実現できていません。ゴミカス政党です。
どうすれば、反対派を取り崩せるでしょうか。
まずはお気持ちに寄り添うことです。
「他人のことに口を出すな」「反対する理由が理解できない」「家族の絆が弱くなるわけない」「反対するやつは老害」。
例えば、このような意見を反対派を読んで「その通りや、反対派はクズや!」などと感じるでしょうか。
そんなわけがありませんよね。
お気持ちに触れず、彼らを説得するための材料を用意しなければなりません。
夫婦同姓のデメリットであるキャリアへの影響や名義変更手続きのコストなどは問題にならなくなる可能性が高いです。
よく例に出される「論文の著者名が変わってしまう」などはAIのサポートにより消え去るでしょう。
名義変更手続きはマイナンバーカードの活用で減っていくでしょう。
不便が減っても、積極的な賛成派が減らずに済むでしょうか。
※反対派は70代以上に多いので彼らが亡くなったら反対派がいなくなると考えている人もいるでしょうが、人は年齢を重ねると保守的になるので、あまり期待しないほうがよいです
選択的夫婦別姓は戸籍にも手をいれる必要があり、一筋縄でいかない問題を多数孕んでいる可能性もあります。
実現を本気で望むなら、各論でしか議論していない現状から脱して、洗い出した問題点とその解決方法を提示するべきでしょう。
私の目には、選択的夫婦別姓は議論の入口にすらたどり着いていないように見えます。
国民の多数が賛成にも関わらず手がつけられていない課題は希少です。
官僚の力を借りずにこのような大きな制度変更を設計してみせれば、有権者がその力量を高く評価することは間違いありません。
現実的な叩き台が出て来た時が、選択的夫婦別姓実現の始まりです。
ただのアピールではなく、本気で選択的夫婦別姓の実現に取り組むことを野党各党に望みます。
「選択的夫婦別姓」賛成が62% 反対は27%に NHK世論調査
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240501/k10014437371000.html
過去の私の書いた増田を振り返って保存してデータをこしらえている最中あともう少しで全部到達できそうな勢いの最中にジューシーなみずみずしい餡子の詰まった最中を食べつつ私は一服するの。
さすがに、
内容を全く覚えていない忘れちゃってるものもあるのね。
あれ?私この時書いた増田カレーぶっかけられてるけどそんなことあったっけ?って
読み進めていったら見た夢のことで、
なんだ夢かーい!って
夢グループも安いと言わざるを得ない感じで安請け合いで読み進めていった自分の増田にすら騙されてしまうと言う事態。
なんか
ある程度のことを覚えている境目っていうのがどうやらあるみたいで、
それ以前の増田と言えば
全く覚えてない忘れているのよ。
だから、
うっかりお部屋の掃除を開始し始めて
なんか積んであった新聞や本をめくって読み込んじゃうみたいな感じで、
これなんかいちいち全部目を通して読んでいたらスピードが出ないし
ここはどんどんとんとんと進めていきたいところ!
これなんでどんな心境だったんだろう?って思い起こしても思い出せずに
なんかよくもまあこんなこと書いていたわねって自分でも思っちゃうのよね。
初期の頃はあんまりほとんど全部私書いた内容のこと忘れちゃってるみたい。
なので、
誰かの増田を読んでいるようではて?って謎に思う内容もなきにしもあらず的なこともあるのね。
でも作業は進めていかないといけない佳境にそろそろ入ってきたので、
実質あともうちょっと!ってところよ。
膨大な数にのぼりまくりまくりすてぃーな私の増田は65535ページまで遡ってもまだ先が見れない。
けど
もうちょっとよ。
なんか揃う系のミッションでポッシブル完成させた喜びをきっと味わえるはずよ。
もうさ、
やっぱり全部集めてなんぼよねってそう思いだしたの。
私の書き出しのところを自ら追求して揃えたいところなのよね。
あとはデータが揃えば、
EPUBのソースをAIにこしらえてもらってって流れを浸透させるつもりなので、
とかやってて余所見してたら
つ、ついにNintendo Switch 2発表じゃない!
私もお小遣い貯めておかなくちゃって思ったわ。
多分、
EPUBが先かNintendo Switch 2が先か?
どちらかってかも知れないわ!
いや分からないけれど。
でもまた先にSwitch 2が出ちゃって買えちゃって遊んじゃってってなると
また頓挫しちゃいそうな予感なので、
自らを急かしたいところよ。
うふふ。
うーん
私的にはこれなら単体具材が強力に圧着されているサンドイッチが良いし、
でもこのタマゴハムレタスサンドの良さも見付けてみたいものだわ。
なにか興味を持って見てみるときっと美味しく味わえる秘訣があるかも知れないわ!
ホッツ白湯ウォーラーこの時期起きてから飲むのには欠かせないホッツであると共に
好評で絶好調なタイマー運用で朝に沸いている飲み頃温度の70℃のホッツ白湯は、
朝の温活に捗りまくるし、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
7日間くらい休んで他人との接触を最小限にする生活をしていると
澱みたいなものかな。
日頃、水の中を漂っている心の中の物体が
「わたし」なんだけれど
よそからの刺激にかき乱されずにいると
だいたいは普段水の流れは疾い。
洗濯機の中の水みたいだ。
でもじっと一人でいる時間を長く保てると
その水の流れがひどく穏やかになって
すっと底に溜まっていく。
そうすると普段、水の中の上の方流れに煽られて
どんどんと底に溜まっていって、うるさくなくなって
普段、底の方でじっとしていることが多い
「そこのほうのわたしと」合一する。
強い人というのは、洗濯機のような水の流れが普段の生活の中でもあまり起きないのだと思う。
でもわたしはむり。
次に私が私を取り戻すのは、また随分先のことになるのだと思う。
もちろん全部というわけではないが、恋愛系のすれ違いで喧嘩するような感情描写、オフィスものや社会派系などによくある人が追い詰められる描写、アクション系の人が過度に流血する描写などが心に負うダメージが大きくて敬遠しがちだった。
苦手になった主な原因は、ドラマ「嫌われ松子の一生」だと思う。親が見ているのを一緒に見てしまい、大人の世界怖いな……と怯えていた記憶がある。
ハリーポッターも一作目を観て怯えてしまったのでもともと実写耐性がなかったのはある。
アニメや漫画だと同じような描写でも、次元が違う分緩和されるのかある程度は平気。
唯一好きだったのは探偵ドラマ。あまり感情面で揺さぶってくることがないのであまり心にダメージを負うことがなく好んで見ていた。
そんな折、数年前ニチアサ(戦隊シリーズ)を見始めた。小さい頃は朝が起きれず通っていなかった。
見始めたきっかけはネットで話題になっており、気になったからだ。(わりとニチアサは定期的に話題になっているイメージがあるが)
最初は実写作品か……と身構えていたのだが、話数が進むうちどんどんとのめり込んでいった。
勿論単純に筋が面白かったのもあるが、ニチアサは子供がメインターゲットが故か役者の演技が少しオーバーでマンガっぽい。作風も私が見たものはコメディのような回も多かった。その上時間も30分なので、継続的に見やすかったのだ。
序盤は結成したてでキャラ同士がまだよそよそしかったり衝突したりして、そこは若干心にダメージを負いつつ見ていた。しかし、中盤以降キャラの関係性が固まりお遊び回みたいなのが増えたタイミングで一気に好きになる。
キャラに愛着が出たが故に、終盤のクライマックスによるハードな展開も夢中で見てしまった。
そして全話見終わる頃には「なんか実写平気だな」といつのまにか苦手意識が薄くなっていた。
そのおかげで最近は気軽に実写のドラマや映画を見られるようになった。
2024年は、
ウクライナが負けていく年
トランプでないほうが負けた年
斎藤さんでないほうが負けた年
勝つべきでないほうが勝つ年だった。
なぜこうなってしまうんだ?
そういう思いをすることがたくさんあった。
この傾向は今年も続いていくのだろう。
温暖化もひどいことになっていくのだろう。
なんとなく人もなんだか荒んでいっているようにも感じる。
ひどく利己的で不機嫌な人ばかりが増えている。
これまでたまに出くわすような人たちが自分のすぐ隣に何人もいるような気がする。
どんどんと悪い方へと進んでいく。
そんな中でも機嫌よく生きていくしかない。
なにかに悲観したり機嫌を悪くしても何も生み出しはしない。
出来ることをただやっていくしかない。
いかつい顔したいかにもツッコミのおっさんと、様子のおかしいロン毛のおっさん、いや、赤ちゃんのコンビ。
前者はヤマゲンというらしい。いい名前だ。後者は舘野というらしい。いい名前だな。品がある。
さまざまなスタイルの漫才やコントを経て、今の赤ちゃんにたどり着いたらしい。いろいろあったんだろうよ本当に。
このまま売れたらどうなるのか。
もうええわで舞台が暗転を始めても舘野はまだ赤ちゃんだ。なぜなら彼はプロだから。
ひな壇で赤ちゃんを振られる舘野。
SNS、駅のホーム、新幹線の中、渋谷センター街、新宿、下北、高円寺、ここは東京。
「赤ちゃんのひとですよね」、「舘野さんですよね」、「握手してください写真撮ってくださいサインください」
マスクを下げる。
ピースを構える。
うるさい夜道
昼みたいな夜
星を見ることはとっくに諦めた
まぶしい
しつこい
空が狭い
愛想のない店員
来る客は全員死ねと思っているんだきっと
安心する舘野
赤ちゃんを降りる
飯を食うのは41歳 芸歴およそ20年
ベジファーストをやってみる
ドレッシングをかけてみる
べたつく容器もへっちゃらだ
セルフサービスの水の近くに座るのがコツ
みそ汁の蓋は早めに開けておかないと熱すぎる
このまま売れるぞ。売れるんだ!
帰ってくるのはいつも深夜
今日は何人笑かした?
当たり前にタクシー移動
グリーン車?ああもちろん!
いつ収録したかなんて覚えちゃいない
拍手笑いの観覧客
CMまたぎにも使われちゃった
みんなはいいよな
みんなのままで
低音のげっぷが静寂を裂く
肌も髪も艶はない
朝から夜まで稼働だぜ
ああ売れるってこういうことなんだろうか。
ちがうちがう
つやもちのほっぺたが赤ちゃんか?
いいや、ちがうな。
な?舘野。
鈍感にならないとやってられない大人たち
舘野を見ろ
赤ちゃんを見ろ
懐かしい表情筋の動き
懐かしい心が燃える感じ
あの頃みたいに笑うんだ
舘野みたいに、大人を降りるんだ!
これまでもこれからも、いろいろあるだろうけどさ、2人ともおじさんからおじいさんになっていくだろうけどさ、どんな形でもいいから笑わせてな。
東京のビルの窓の数じゃなくても、たまたま横の便器に立った誰かひとりでもよくて、それできっと救われるんだよ
2人も笑っていてな!そのままでいいよ!
散々擦られたネタかも知れないけど、まあやっぱり最大の特徴は「自分は騙されないぞ!」って意固地になってるってところだよな。
そんでもって、こういう人が一番に陰謀論に落ちる瞬間って、「うわ!騙されてた!」って感じた瞬間だな、と。
最近、地域の再開発説明会に参加してるんだけどさ、話が長いじいさんがひとりいるのよ。
で、そのじいさんっていうのは、「私だけが気づいている真実がある」って感じでずっと喋り続けるのだけど、周りからすればそんなことはわかった上での今の話し合いって感じで、いつも白い目で見られてるわけ。
普段ならいいんだけど、たまに本当にその人に感化されちゃう権利者さんとかがいて、そうなると周りは否定を始めないといけなくて、それっていわゆる「ないことの証明=悪魔の証明」なので、どうしても説明する側の根拠が弱く見えてしまう。
お察しの通りそうなればそのじいさんはますますエスカレートして、で、結局説明する側は持ち帰るっていう手段しか残らない。
そこまではいつもの風景なんだけど、この間の会合で、「あ、この人今フィルターバブルに落ちた!」って如実に感じる瞬間があった。
それが最初の「うわ!騙されてた!」って実感しちゃった瞬間だったわけ。
いつものようにそのじいさんが主催側に質問を投げかけてたんだけど、じいさんにしてみれば外堀を埋めるような感じで質問を投げてたっぽくて、それでいくつかの条件が揃ってしまったんだと思う。
それに対して主催者側が返答に詰まったと感じた瞬間に、じいさんの語調が明らかに気色ばんだのよ。
「そらみろ!わしはお前らの欺瞞を暴いたぞ!周りもよく聞け!これがこいつらの正体だ!」って、直接口にしたわけじゃないけど心の声が漏れまくってたわけ。
事実は全然違うのよ。理解がある人間は全部わかってるから、面倒くさいだけなので否定もしないだけ。
でもその沈黙さえも彼にとっては自らのたどり着いた真実を後押しする状況証拠としか感じられてない様子で、どんどんと目がキラキラしていく始末。
「相手が権威側である。」「我々の権利を食いつぶそうとしている。」「そのためにいろいろな手段で権利者を騙そうとしてる。」この辺り、陰謀論を疑うための事前条件が揃ってたってのもあると思う。
多分、自分が映画の主人公にでもなったような感じだったんじゃないかな。
抑えきれない高揚感がダダ漏れになってる感じで、ものすごく興味深かった。
この人の場合は「ネットで真実」ではなかったんだけど、自らが疑っているものに対して自分だけが真実にたどり着いちゃった系の啓示を受けとっちゃった感がすごいのよ。
これは素直にうわーって思った。
まぁとっくに向こう側に行ってただけなのかもしれないけど、こうやって人は自らが進んで陰謀論に飛び込んでいくんだなって瞬間を見れたのは正直貴重だと思った。
めでたくその人はバケ物化しちゃったわけだけど、これで今後の再開発が大きく足止めされることが決まったような感じなので、これからどうなっていくんだろうねぇ。
身バレしないように詳細は伏せたけどおそらくどこにでもある話なんじゃないかな。
普段から騙されないぞって意固地になっている人が、いざ「やっぱり騙されてた!」って感じてしまったときは、磁石のNをSで押し出すくらいに簡単に陰謀論側にすっ飛ぶんだなって瞬間を見れた貴重な経験でした。
みんなも気をつけてね。
コメディ展開が意外に少なく、シリアス展開も相まって、お子様たちにトラウマ植え付けるレベルだ。
お子様の中では泣き叫んだり恐怖で退出するレベルだそうで、子持ちへの注意喚起が広まっている。
その話に
ただお子様たちが怖がってるのは、おそらくだが血濡れとかではなく「はたらく細胞BLACK」からインスピレーションを受けた部分(これは表題から想像つかない)であり、全体的にトラウマになりそうな話は映画オリジナルの部分である。普通に原作よりもきつい。
CMや注目されてPRにつかっていたのも血小板ちゃんたちで、お子様向けと思われても仕方がない。
大体、人間ってこう、うっかり「この歳に見るもんじゃなかったな」というものを見てしまうときがある。個人的にはタイタニックの濡れ場とかがそうだ。
親だって全部を警戒できるわけではないし、こういう注意が回るのは、子どもに見せたくなかったという感情より「劇場で怖がって泣いてほしくなかった」のだろう。親の苦労も察する。
原作ファンは好きなものを否定されたと思ったら傷つくのも分かるけど、あんまり叩くな。その実写映画は原作じゃないしな…。
さて、12月20日公開の映画というとこういう「ちょっと世間イメージと内容違うな…?」という作品が多いので、先手で注意喚起しておく。
実写ドラマの完成度や改変が話題になっている作品だ。ただ大筋は同じである。作画担当の先生はアニメがブームになったとき「子どもに見せる内容ではない」と注意喚起をしていた。アニメ化された範囲以降の内容はどんどんと、子どもが見るには過激な内容になってくる。中学生以降でも精神的に安定しているレベルからの鑑賞を勧めたい。
そもそもだが、忍たま乱太郎は戦国時代で孤児がいる世界観だ。そこをピックアップしたのが今年の映画版だ。先行上映からも大人向けという声があり、まあ流石に去年の「ゲ謎」ほどでは無いだろうが、忍たまに純粋な気持ちで望んでいるお友達には「怖い」部分も「シリアスでつまんない」部分もあるかもしれない。大きなお友達には待望だろう。
みんなライオンキング2か〜くらいのフワフワで、アニメを見た記憶もフワフワで子供と鑑賞しに行こうとしている気がしてならない。これは前日譚だ。
でもムファサだぞと言いたくなるが、元作品を見ていない、覚えていないことを叩くべきでは無いのだ…。確かにディズニーは子どもと見るには安心な部分があるかもしれない。ただあの頃のディズニーは今とはちょっと違う方向性で攻めていた、ということを知ってほしいし、とりあえず忘れてるなら前作見たほうがいいんじゃないかなとも思います。
予約してても、予約してない誰かが荷物を置いてることで有名な、あれ。
「予約とは……?」
利用するのが嫌になってしまうけど、
色々と事情があって利用しないわけには済まない。
で、毎回思うんだけど、これ昭和時代だったらちゃんと機能してただろうなあ、と。
今と違って「あからさまなルール違反」をすることは出来ないというマナーと言うか恥の概念が残っていたと思う。
それがいつのころからか(というかバブル崩壊以降だろうけど)、
みたいになっていることも多い。
「絶対的に許されざる行為」みたいなものの境界線が消えて無くなってしまった。
なんでもかんでもやったもの勝ち。
それを見た人が
「ああそういうやりかたもあるのか…!」
みたいにその不正を平気で真似する。
ほんと、貧すれば…ってやつで恥ずかしい限り。
自分では見事な返しをやってるつもりなんだけど、何も
「内容」がない。
いや馬鹿という言い方よりも愚か、というほうがいいのかもしれない。
別に頭が良くなくたっていいんだ。
馬鹿でもいいんだ。
ただ考えるということを素直に自分の頭ですることがすごく大事なんだ。
そしてそのための文章を書く。
そういうことがすごく大事なんだ。
短い文章で何かを言ったような気になって内容のないことを書くのではなくて
頭が悪い内容になったとしても気にせずに、
そしてその言葉を積み重ねていく。
昨日は、あんなふうに考えたけれど、まてよあれは間違っていたんじゃないか?
そうか、あれはそうではなくて…
そんな風に自分の頭で考えて考えて考えを深めていく。
そうすることで即席ラーメンみたいにこしらえられた切り抜き動画なんかに負けない心が出来上がるんだ。
でも、みんなそんな簡単なことが出来ない。