はてなキーワード: 形態とは
USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)からの資金供与により、DEI(多様性・公平性・包括性)が過剰に推進されていたことは明白だ。
この資金源は、東側の複数の国家から提供されており、その目的は明確である。
それは、伝統的な西側社会の価値観、特に家族の形態や人々の営みを乱し、社会構造を根本から変えることだった。
過度に偏重したマイノリティの権利の一般化、そして「多様性」という言葉で、イレギュラーな形態を社会に押し付け、長年の伝統的な家庭や価値観を抑圧する動きが強まった。
この動きが、意図的に西側社会の文化的価値観を削ぎ、国力を弱体化させ、最終的には社会に隙間を作り出すことが狙いだと言えるだろう。
そして、本題の共同親権抵抗派に話を移すと、ここでも同じようにDEIが後押しされていた事実がある。
しかし共同親権抵抗派の参加者たちは、その背後にあるDEIの影響についてはほとんど理解していなかった。
共同親権抵抗派は主に、離婚した相手の男性に対して子供に会えなくなるという不利益を与えることで、「女性としての特権」を享受することを目的としている。
しかしその特権を振りかざして活動する一方で、DEIが社会に与える影響については気づかないまま、連れ去り女たちは自分たちが「被害を受けた女性」だという立場を正当化している。
DEIが推進される背景には、社会の価値観を変革し、従来の家族構造を崩壊させる狙いがあった。
しかし、その動きに乗ってきた共同親権抵抗派の女性たちは、自分たちが「特権層」としての立場を享受しているという現実に気づくことなく、むしろその崩壊を喜んでいるのだ。
彼女たちは、自分たちが育児や家庭生活において最も重要な役割を果たしていると信じ、親権を取れることを盾に子供盾に攻撃し、男性たちに対してその不利益を強いることを続けている。
しかし、このデメリットを与えられている父親たちは、実際にはDEIの過剰な推進による矛盾した結果に巻き込まれている。
ここで皮肉を込めて言わせてもらうと、頭の悪い連れ去り女たちは、DEIが崩れることに喜びを感じているように見える。
しかし、この崩壊が彼女たちにどんな影響を与えるのか、知能が低い彼女たちはまだ理解していないのだろう。
最初はその特権を享受して満足していた彼女たちも、いずれその矛先が自分たちに向かうことになるだろう。
あいつら、DEIが崩れるのを喜んでるけど、自分たちに返ってきたときの顔が見ものだろうな。
自分たちが、いかにバカみたいに家庭をぶっ壊してきたか、今のうちに気づくがいい。
最初は嬉しそうに「女性特権」を振りかざして、他人の人生を破壊してきたくせに、その「結果」が自分に突き刺さったとき、どういう顔をするのか。それが見たくてたまらない。
彼女たちが自分たちのやってきたことのツケを払うときが、ついに来るんだよ。
あの時、あれだけ「親権は私のもの」と子供の父親を踏みにじってきたあのやり方、結局自分に跳ね返るってことを、ようやく知る時が来る。
その時になったら、どうするつもりなんだ? あの時の「正義」なんて、ただのオナニーだったんだと気づくんだろうな。
彼女たちがその無知から目を覚ます瞬間が来るんだよ。ぶっちゃけ、ざまーみろって感じだ。
俺にとっては、共同親権政策が成立したことで、やっと子供に会えるということが嬉しくて仕方ない。
あいつらは、何かと「父親が育てるなんて」とか言って、男を差別してきた。
でも俺は、たった一度の不正義に満ちた判断で、子供から奪われた時間を取り戻すんだ。
腹を殴ったくらいで「もう無理」とか言って、出て行くなんて意味わからん。顔面じゃないし、男同士なら普通だろっていう。
男っていうのは、そんなことで簡単に折れないんだよ、しっかり立ち上がる。
そして今、俺はやっと四年ぶりに子供に会える。
その瞬間を、今か今かと待ってた。あいつらがどんな言い訳して、どんな顔して立ってるのか、見ものだ。
結局、負け犬どもが自分を正当化してきた結果、最終的には俺が勝つんだ。
誰も俺を止められない。覚悟しとけ。
この話は一言で言うとこうだ。
幼少期から「ドラえもん」だの「マトリックス」だの「アバター」だの「SAO」だの、
現在では考えられないような技術進歩を夢見ながら待ち遠しく生きてきた。
「VTuber」「VRChat」「ChatGPT」「生成AI」などを楽しむ人々が散見されている。
素晴らしい。
世の技術者様方には感服する。
「若者」を脱しつつある。
それはいつになる?老後か?死後か?
VRChat 等を見ると明らかなように、仮想空間へのダイブは現時点では視覚・聴覚のみが限界だ。
しかもコントローラー等の大掛かりなインターフェースを介して擬似的にダイブしているに過ぎない。
完全に五感をフルダイブさせる、脳と仮想空間を直接繋げるようになるには、あとどれだけの歳月が必要なのか?
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再度念を押して言葉にしておくが、私は世の技術者たちを尊敬している。嘘偽りはない。
だが同時に、どうしても率直な気持ちを述べておきたいのだ。
擬似的で表面的すぎるバーチャルワールドには、物足りなさしか感じられない。
それを切に望んでいる。
「未来を手繰り寄せる」という課題は昔からずっと向き合ってきたつもりだ。
自分は幼少期から世の中に生き辛さや不満を人一倍に感じるタイプだった。
故に、思春期のよくある悩みの殆どを捨て置いて、何をどうしたら社会が良くなるかをひたすら考えていた。
その頃にインターネット、2ch、ニコニコ動画などに触れてこう感じた。
「ITの力は凄まじい!教育や政治というアプローチもあるが、それらを遥かに凌ぐパワーと影響力がある!」
そして中学を出てすぐに工学の道に進み、ITベンチャー企業に就職し、Webエンジニアという肩書きになった。
あらゆることが効率的になり、より先のことに手を出せるようになる。
世界が加速していく。そう感じていた。
だが、それでも全然遅いと感じた。
複数のプロダクトをより効率的に生み出すことでより加速させた。
それでも、あまりにも遅かった。
そこで自分の原点に立ち返った。ニコニコ動画だ。CGMと呼ばれる形態である。
大衆が集まり、目まぐるしいスピードで数多くの作品が生み出され、技術が進歩していった。
MMDなどの3D技術も発展していった。あの世界が理想的だった。
Webの力の真髄はそこだ。そこを追い求めたい。
そこから紆余曲折あり、自分の肩書きは「コミュニティマネージャー」となった。
適切に人々を集めて、適切に人々を刺激し、化学反応を起こす。
そうして狙った分野の発展を加速させる。
「人と人を適切に繋ぐ」
それが今のところの、最も世界を加速させる方法だと思っている。
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コミュニティマネージャーなんて職業は世の中(特に日本)にあまり知られていないし、
実質が贈与とみなされる可能性
たとえば、貸付契約自体が形式的で、実際には利息を受け取っていない・親が返済の原資を持っていない等の状況があれば、税務当局に「実質的には子への贈与」と判断されるリスクがあります。
高額利息の正当性
仮に法定金利の上限(年20%)を設定したとしても、高い金利を“親”が子に支払う合理的理由があるかどうかを問われます。「資金需要の切迫性」「一般の金融機関から借りるよりも安い条件かどうか」などの状況次第で、不自然な金利設定だと判断されれば、やはり贈与とみなされる可能性があります。
子が受け取った利息は、子の雑所得等として課税対象になります。受け取った利息についてきちんと確定申告する必要があり、申告漏れがあると追徴課税を受けるリスクがあります。
絵画のような美術品は時価の評価が難しいですが、市場価格とかけ離れた高額(または低額)でやり取りすると、「贈与または遺贈の一形態」とみなされる可能性があります。
個人の私的売買の場合、必ずしも消費税が課税されるわけではありません。消費税の課税事業者として登録・届出をしているかどうかなど、さまざまな条件があります。単に「個人間で売買=10%の消費税だけで済む」という単純な話ではないため、注意が必要です。
会社の所有権(株式)が誰にあるかが重要であり、取締役(役員)に就任するだけでは資産移転には直結しない場合も多いです。逆に株式を無償で譲り受ければ、贈与税の対象になり得ます。
実態のない「名義貸し」
取締役が親から子に変わっただけで実態として事業をしていなかったり、出資者が親のままなら、税務上の評価としては「親が会社を所有している状況」と大きく変わりません。
実際の業務内容や会社の規模と見合わないほど高額な給与は、税務調査で「不相当な役員報酬(あるいは給与)」とみなされ、損金算入が否認される可能性があります。その結果、法人税や所得税などで余計に課税されるリスクが高まります。
高額給与として受け取る以上、所得税・住民税・社会保険料などの負担が増えます。相続税を下げられたとしても、トータルの負担で見れば得策ではない可能性があります。
業務委託契約に見合う労務提供・成果物があるかどうかが問われます。形式的に契約書だけ作っても、実際に業務を行わず実態を伴わない支払いであれば、やはり贈与とみなされる可能性が高いです。
税務上の処理や社会保険の扱い
個人事業として200万円/月もの売上がある場合、消費税の課税や所得税区分(事業所得か雑所得か)の問題など、慎重な手続きが必要です。
親側にも贈与を疑われるリスク
親が経費として落としたい場合、業務の実態を証明できなければ経費が否認されるうえ、子に渡した分が贈与とみなされるリスクがあります。
株式を誰が持つかで税務上の扱いが変わる
親が株式を持ち続けるなら、単に親の資産が株式という形に変わっただけであり、相続対象となります。
子への贈与扱いのリスク
名義を子にするために親が資金提供したのなら、株式の価値分が“子への贈与”とみなされる可能性があります。
将来的に会社の株式価値が大きく上がった場合には、相続税対策としては有効な場合もあります。しかし、その前提として、きちんと事業を行い、株式を適正に評価しておく必要があります。
形式上は合法に見えても、実質が「贈与」や「仮装・隠蔽行為」だと判断されれば課税対象
取引の実態(業務内容や対価の妥当性、市場価格との整合性など)を税務当局は厳しくチェックする
仮に贈与が発覚すれば、相続税より高額の贈与税が課される場合もある
結論として、挙げられた手法だけで「相続税を逃れる」ことは非常に難しく、むしろ税務リスクが高まると考えられます。実際に生前贈与や事業承継を検討するのであれば、税理士・弁護士・公認会計士などの専門家に相談して、法令や実態に則した正当な手続きを踏むことが重要です。下手に「裏ワザ」を狙おうとすると、後になってより大きな課税や罰則を受ける可能性が高まりますので、十分ご注意ください。
まず衝立てがしょぼい。
上も下も十分にカバーされていなくて、隣の便器とのスペースを区切るくらいの効果しかない。
見ようと思えば隣の人のちんこ見えるし、ということは俺のちんこも簡単に見られてしまう。
事実上、誰にでも見られてしまう空間で自分の性器を丸出しにしてるようなもんだよなあれ。
放尿の勢いをゆっくりに調整してみても、尿の飛沫はどうしてもズボンや足元にかかってしまう。
トイレの形態や隣の人の放尿の具合によっては、隣のおっちゃんのおしっこの飛沫が俺に掛かってしまうこともあるかもしれない。
つまり、小便器っていうのは、申し訳程度の衝立てで仕切られただけの、プライバシーも十分に守られていない狭い空間で、自分の性器を出して、自分やあるいは他人のおしっこの飛沫を足や足元に浴びながら用を足す装置なんだわ。
ちんこ見られるっていう精神的な課題と、おしっこの飛沫掛かるっていう実際的な課題が今の小便器にはある。
だけどやっぱ小便器は楽だし速いんだよね。
ズボンのチャック開けてちんこ出しておしっこしたらもう終わりだもん。
ものの十数秒で終わりだよ。
いちいちズボンやパンツの上げ下げしなくて済むし、回転率もめちゃくちゃ速いからあまり待たずに済むっていう強いメリットがあるから、さっき挙げたようなデメリットも我慢して使ってる。
いろいろ不満は言ったけど、最終的に自分で納得して使っており、メリットも享受している以上は、デメリットも甘受しなくてはならないと思う。
ただ、一応納得してはいるからと言って、嫌な気持ちが全てなくなってしまうわけじゃない。
おしっこで服汚したくないじゃん。
もちろん不快に感じる気持ちの大小は人によって様々だとは思うけど、だいたいの男性は、さっき書いたようなメリットデメリットがあることは理解した上で小便器を使ってると思う。
便器の数は男性トイレの方が多いという記事のブコメで、「そんなに女子トイレの行列を解消したいなら、女子トイレにも小便器を設置したらどうか」という趣旨のコメントが人気を集めているのは、上記のような不満と我慢が関係しているんじゃないかな。
「俺たちは我慢して小便器を使うことで高回転率を実現してるが、女性はそのような負担をせず、男性と同程度の利益を享受しようとしているのか」という気持ちがあるんじゃないかと。
女子トイレに小便器作れって本気で思ってる人はあんまりいないと思う。
たぶん、自分たちの負担とか我慢がないがしろにされているんじゃないかと疑念を持ち、そのことに怒っている。
俺個人としては、女子トイレの行列は解消されるべきだと思ってる。
それが社会的にも認められるべきだとも思っている。
性差や便器の違いはあれど、困っている人がいるなら改善された方がいいに決まってる。
もし仮に、小便器に不満があるのであれば、女性に同じ小便器の不満を味わせるよりも、不満それ自体を解消することを目指した方がいい。
例えば、小便器の衝立てをもう少し大きくするというのはどうだろう?
衝立てが上に大きくなれば隣からちんこ見づらくなるし、下に大きくなれば隣からのおしっこの飛沫は掛かってきにくくなる。
トイレの面積を増やしたり個室を増やすというのは大変で、すぐ取り掛かれることではないけど、衝立てを大きくするくらいなら、比較的低コストに実現できるんではないだろうか。
(このような施策はたぶん部分的にぽつぽつとなされていっているように思う。もっと増えてくれたら嬉しい!)
誰だってトイレを無闇に待たされるべきではないし、プライバシーや清潔は守られるべきだ。
困りごとを放置したり、不満を押さえつけたり、誰かを犠牲にすることで利益を享受したりすることはあってはならない。
女子トイレの長い行列について、「女性も慣れてしまっているから『仕方ない』」と諦める必要はないし、男子トイレのプライバシーや衛生面についても「男性も慣れてしまっているから『仕方ない』」と諦める必要もない。
そして、そのような理想を実現するためには、理性や、思いやりや、建設的な議論が必要だ。
そうしてこその「誰も置き去りにしない」世界であり、それこそが「公平」な社会を実現するために必要なものだと俺は信じている。
こんなプロンプトでDeepResearchがどんなレポートを出せるか試せますか?
あと、聞き返されたら
「欧米、中国、日本を中心に。余裕があればG12やその他必要だと思える国や地域も含む。国や地域を明記せよ」、「余裕があれば貨幣、法律、民主主義、ガラス、鉄、火薬、アルミニウム、アンモニア、プラスチックなどのレベルの発明も含めよ。国や地域を明記せよ」
とか返してみて下さい。これ以外の文脈で聞き返されたら「おまかせします」か元増田様の興味の範囲で好みにアレンジして下さい。
# 技術動向調査要請プロンプト(2025-2027年フォーカス)
以下の要件を厳密に満たす調査分析を実施せよ。各項目の出力形式を厳守し、客観的根拠に基づく定量的評価を優先すること。
## [【分析要件】](pplx://action/followup)
- 実用化時期:2025-2027年に商用化/社会実装が見込まれる
- 影響規模:全球GDPの0.5%以上に影響または10億人以上の生活に波及
R = \frac{(P_t \times 0.3) + (F_c \times 0.4) + (M_r \times 0.3)}{10} \times 100(%)
3. 影響評価軸:
## [【出力形式】](pplx://action/followup)
### [個別技術分析テンプレート](pplx://action/followup)
分野 | 指標 | 2025 | 2026 | 2027 |
------ | ------ | ------ | ------ | ------ |
経済 | 生産性向上率 | 3.2% | 5.1% | 7.8% |
社会 | 代替労働力率 | 12% | 18% | 25% |
技術 | 故障間隔時間 | 400h | 1200h | 3000h |
### [歴史的変遷分析要請](pplx://action/followup)
T_{evolution} = \sum_{n=1}^{5} \frac{I_{tech}}{S_{society}}
時代 | 期間 | 核心技術 | 文明影響度 |
------ | ------ | ---------- | ------------ |
農業革命 | BC10,000 | 灌漑技術 | 定住社会形成 |
産業革命 | 1760-1840 | 蒸気機関 | 都市化加速 |
デジタル革命 | 1947-2000 | トランジスタ | 情報民主化 |
AI融合期 | 2020- | 神経形態チップ | 意思決定分散化 |
下記の記事を読んで、明治時代辺りの「脱亜入欧」「西洋化」が夫婦同姓へ強く影響したという論考があり、これについては同意せざる得ない。
1896年に制定された明治民法では、一転して夫婦同氏制が採用された。決め手となったのは「西洋化」だったことを特筆しておきたい。1895~96年に開催された法典調査会で法学者の梅謙次郎は、「支那の慣習」である夫婦別姓を退け、「欧羅巴ては昔から極まつて居る規則」の(と当時は見えた)夫婦同姓を採用すべしという、脱亜入欧的な説を展開した(施「明治民法はなぜ夫婦同氏制をとったか」)。
ただ、この論考を採用すると日本は過去の時代に側室や妾が認知されており、どんなに遅くとも公的には1870年(明治3年)に妾は妻と同等の二親等であると定められた。税制や相続においては妻と同等の二親等の権利を得られないが三親等と同等の権利が保証されていた。
しかし、1898年(明治31年)の戸籍法改正に拠って、妾とその子供は従来の夫の戸籍から外れ、現在の人権意識から考えると驚くべきことに相続に関する権利まで戸籍から外れるとともに失われてしまった。
この廃妾が行われた理由は「夫の姦通(浮気)では離婚事由にならないのに妻の姦通は離婚事由になるので不平等である」という観点のもと行われたが、その背景には脱亜入欧の文明開化に影響を受けた、男女同権論、婦人解放運動があったのは当時の帝国議会記録を見ても明らかであり、妾の存在を無視して日本の氏姓・婚姻制度の歴史を語るのは非常に無理がある。
脱亜入欧と敗戦の結果に夫婦同姓が加速し夫婦同姓は作られた伝統なのであれば、脱亜入欧と敗戦の結果に一夫一妻制が加速し一夫一妻制は作られた伝統であるのは日本の歴史として紛れもない事実であり、現在の人権意識で夫婦別姓を提唱するのであれば現在の人権意識で婚姻形態の自由化も求めなければ姿勢として誠実でないと言える。
氏姓と婚姻形態は別軸であると語る者が居るかも知れないが、これらは同時期に議論され改正され日本に定着した制度・文化・意識だ。戸籍の改正という1つ議題として扱われていたのに片方(氏姓)を尊重し片方(婚姻形態)を蔑ろにするのは現在の人権意識から言って明らかに間違っている。
日本の一夫一妻制は妾とその子供の人権的犠牲の上に成り立っており、現在の人権意識でこれを評価するのであれば是正すべきで、妾とその子供の保障を日本国議会は行わなければならず、しかし当時に生きた人はもう既に亡くなっていると考えられ時効も成立しているはずなので、形の上だけでも日本国議会は妾とその子供の名誉回復を議決すべきだ。
そして更に、現在の人権意識でこれを評価するのであれば一夫多妻制という不平等な制度ではなく一妻多夫制も認め、妾および男妾の民法上の権利は相続も含めて夫または妻と同じ二親等と同等であると定められるべきだ。
何故か、社会学者(とその周囲の界隈)が口にする「日本の夫婦同姓は作られた伝統」では一夫一妻制よりも長期間存在したはずの妾(側室)が無視されがちで、しかも夫婦同姓と共に妾の是非は議論されていたのにも関わらず、まるで存在しなかったように扱われている。
これはどう考えてもおかしいのだ。過去に振り返って氏姓の在り方を論考するのであれば婚姻形態の在り方も必ず論考されなければならないはずなのに、まるでそこには触れて欲しく無いかのように妾の存在が言及されない。
収量や労働生産性の観点からどうなのという批判は仕方ない。でもオーガニックはカルト!とかいうのはなんか一面的な脳死的な見方のような気がする。ガチオーガニック系(マクロビオティック)の人達の作る料理はものすごく美味しい。作業工数も滅茶苦茶かかっている、生産性とか言い出すと絶対できない。これで地球人類が養えるとは思わないが、高度に文化的な農業という形態があっても別にいいんじゃないか。
科学の側面では、オーガニックの本質は菌類との共生にあるんじゃないかと思う。化学農業の人達は窒素とかリンとかの文脈でしか話をしないが、大豆の根粒菌の活動を活用する、納豆や味噌醤油を作るのに納豆菌や麹菌を活用するみたいなところにおそらくオーガニック栽培品質向上の本質があると思う。ダージリン茶で虫害を活用する、マタタビの虫こぶを活用するみたいなのと似たようなものかもしれない。
雑多に適当に書いてるので指摘があれば書いてね。
一昔前はアナログビデオカメラ等で撮っている形式でほとんどが裏ビデオみたいなのが流れていたと思う。
デジタルカメラによるPC経由でのデータの取り扱いができるようになり、盗撮系の販売サイトやエロ動画サイトにアップロードされるようになる。
スマホにカメラがつけられたら窃視症患者はみんな撮るよね?みたいな感じで撮られまくるしニュースにもなるし。
まぁでもちゃんとしてる(?)のはスマホ以外で撮ってると思う。
販売されてるころから「やらせ」という蔑称でモデルを用意してそれを撮るみたいなのも横行していたが、
最近はモデル起用以外の何物でもない公共交通機関の中でほぼ同人AV撮ってるような感じなのが多い
・電車内で座っているところを盗撮、こちらに気づいてわざと見せてくる
・階段等で盗撮しているところを相手から声掛け、なぜかわざと見せてくる
・痴漢モノだけど駅でモデル撮り→乗車まで撮ってから痴漢シーンはどう見ても電車内じゃない。よくわからないけどトイレまで連れ出してヤってる
・店員撮りみたいな感じだけど、ワンピースの下から余裕で撮れるしブラから乳首が見えてるし大陰唇もはみ出してる
・デカケツにケツが半分以上見えるようなスカートを履かせて街中を歩かせたり買い物シーンの盗撮
・デカパイがノーブラ乳首浮きとか谷間で乳輪くらい見せたりして街中を歩かせたりしてなぜかその女の部屋に入ってヤる
・モデルに対して「そこしゃがんで」みたいな指示すら撮影内容に入って聞こえてくる
正直どこでそういう女性を調達しているのかも不思議だし、モデルに金はらってリスクを取りたくないかというのも感じるし、世の窃視症患者はこんなんで満足してるんだろうかと疑問になる。
えっと、あなたの主張は「貢献」が「利益」なので「人件費=給料」が引かれた後の「貢献」は給与に関係ないですって話をしているんですよね?
でも「貢献」は「売上」で「人件費=給料」が引かれる前なので「貢献」すれば相応の給与が出ますけど?って話なのではないですか
キレそう。
というかもう半分キレてる。
グラフィックこそ10年以上前かつフリーなのでそれなりだけど、ゲーム的にはボリュームもたっぷりで何より自分が大好物なジャンルだから、むさぼるように遊んでた。これがタダとかありがてえありがてえと。
中盤あたりから難易度が急上昇し始めて、ヌルゲーマーの自分にはちょっと厳しくなってきたけど、それでも歯ごたえが出てきなたぐらいに思ってた。
で、なんやかんやあってラスボスまでたどり着いたんだけど。これがもう、それまでをはるかに上回る激ムズ。どうやって攻撃当てたらいいのか、どうやって敵の攻撃かわせばいいのか、最初は全く分からなかったぐらい。
死ぬような思いでリトライを繰り返してようやく倒したら、第2形態に変身…
再び死ぬほどリトライして第3形態(情報見たらこれが最後らしい)にはたどりついたものの、瞬殺。
さすがにここで心が折れてしまった。
まあ幸いなことにこれは純粋にプレイヤースキルが問われるゲームではなく、キャラ強化要素がある。少し戻って鍛え直してから戻ってくれば今度はラスボスも余裕なはず…
…あれ?戻れない?
まさかの、ラスボス直前からは撤退不能。そしてばっちりセーブ済み。
(そもそもリトライは最終セーブ地点からだし、プレイ途中でセーブデータを分けるような機能もない)
そこから、現状のまま死に物狂いでラスボスに挑んだものの、やはりことごとく惨敗。
参考のために、ニコニコに上がってたプレイ動画を見てみたところ、自分よりはるかに強化した主人公でもギリギリでなんとかラスボスに勝利可能という状態だった。
あ、これはもう詰んだな…
10年以上前の作品とはいえ、2010年代以降にもなって「‥‥逃さん‥‥ ‥‥お前だけは‥‥」を食らうとは思わなかった。
仕事にしろ趣味にしろ、ゲーム作ってる人たちにこれだけはホントやめてくれと言いたい。強化育成要素あるのに、強敵にぶつかっても鍛えて再挑戦ができないとかほんとバカじゃねえの。
ユダヤ教の観点から、「推し」文化は偶像崇拝の一形態として批判される可能性があります。
ユダヤ教では、偶像崇拝は自己の本質を奪うものとして否定的に捉えられています[3]。
1. 「推し」のグッズを集めた「祭壇」を作る
これらの行為は、ある種の「ごっこ遊び」的な側面を持ち、宗教的な儀式に似ています[2]。
ユダヤ教の伝統では、神以外のものを崇拝することは禁じられています。「推し」を神聖視する行為は、この教えに反する可能性があります。
さらに、エーリッヒ・フロムのような思想家は、偶像崇拝を自己疎外の一形態として批判しています[3]。
この観点からすると、「推し」文化は個人の本質的な自己を失わせる危険性があると解釈されるかもしれません。
Citations:
[1] https://note.com/nenkandokusyojin/n/ne806a7549bae
[2] https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20240822066/
[4] https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/9910/HNjinbun0002201390.pdf
[5] https://premium.kai-you.net/article/659
[6] https://note.com/takka_bgmma/n/nebfb54447943
最初こそテレビ→映画だったんだけど、無限列車編の大ヒットで製作は悩んだらしい。
話の途中である「無限列車編」から見たという新規客が山のように出た。
このままだと「鬼滅ってどの順序で見ればいいの?」「なんで話がつながらないの?」という迷子が大量発生である。
そういう事情から無限列車編は劇場版公開から1年後にテレビアニメとして再編成され、放送&配信された
もともと製作のアニプレックスは鬼滅から流通戦略を大々的に刷新したと言われている。
「収益の柱はテレビからの広告ではなく、配信&二次利用でいく」というのがその一つ。
このため1回見れば終わりのテレビだけではなく、配信にも非常に力を入れている。
だから契約形態が別になる「テレビ→映画→テレビ」の流れを避けたのだと思われる。
宣伝広告として劇場上映した「テレビアニメの先行&再上映」じゃないかな。
「鬼滅の刃」は、客を取り込む仕掛けの一環として「テレビアニメを劇場で上映する」を3回やっている。
第1期放送前に1期1~3話をまとめた「兄妹の絆」(2019年3月末から1週間ほど上映)、
第3期放送前に2期後半の遊郭編のラスト2話+3期第1話をまとめてアップコンバートした「上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」(2023年2月3日から2カ月ほど上映)、
第4期放送前に3期ラスト1話+4期1話をまとめた「絆の奇跡、そして柱稽古へ」(2024年2月から約3カ月上映)
これは「テレビアニメで終わらせるには惜しいほど高品質のアニメを映画館の環境で視聴」かつ「まだテレビで放送されていない話を先取り」のサービスと、
映画館で上映することで既存にテレビアニメファン以外を取り込もうという宣伝を兼ねていた
だから増田の認識と異なり、もともとテレビ&配信用の話をつなげたものなので、劇場で鑑賞しなくとも問題なく話は理解できる(というか最初の「兄妹の絆」と先行上映分を別にすれば、すでに見た話を映画館で見てた客がほとんどだったはずである)
・収益を最大化させるため
・原作の尺の問題(2時間の映画にちょうどよく、テレビアニメ1クールには話数が足りない)
・客に2時間集中して見てもらうことでテレビアニメとは違う緊張の連続と話への没入を狙うため
https://toyokeizai.net/articles/-/383711?page=4
見失ってしまったので誰か知ってたら教えてくれ)
製作費がテレビシリーズの比じゃないほどべらぼうに高い、なのに単体だと客を呼び込みづらくなってる、この2つ
だから無料で見られるテレビ&配信で先に「その作品のファン」を作っておき、映画でハネさせる
これを狙った導線が近年は増えている
ごく最近だと実写としては60億円の大ヒットを見せた「ラストマイル」だ
映画「ラストマイル」ヒットの鍵は"動画配信"戦略 「鬼滅の刃」が新たな映画化への道筋を作った(東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/828417
(略)
>「ラストマイルのヒットは、鬼滅の刃で確立された<テレビと映画を動画配信が繋ぎ動画配信が中心となる>新しいコンテンツ消費市場が形成された流れが、ピッタリ当てはまる。」
(略)
>メディア戦略は斬新だった。製作委員会にキー局も映画会社も入らず、アニメ版のテレビ放送はキー局を軸とせずに独自に独立局、ローカル局の放送網を作り、放送と同時にあらゆる動画サービスで配信。漫画ファンを核にマスメディアを使わずに巨大なファン層を育成した。
(略)
>ローカル局での放送と同時に配信してヒットさせる戦略は、一昔前のマルチウィンドウ戦略(放送や劇場公開から間を置いてDVDや配信など2次利用に移る考え方)を完全に時代遅れにした。放送が不要になったわけではなく、放送と映画の間に配信をしっかり置くことでファンが急激に増殖した。
個人的には「鬼滅の刃」はこの流通戦略初めての作品ではないが、大々的に仕掛けた&大成功した点では初の例であろうと思う
そういうわけで、今後もテレビ→映画の流れは増えるんじゃないだろうか
ワイ:
仕事を奪われる人のことに全く配慮せず、自分達の利益のみを求める企業や人、仕事を奪われた人々は、本人のリスキリングが社会に見合わない場合(リスキリングによって得たスキルが AGI により即時に無駄になる事というのは十分にあるでしょう)、そのまま飢えて死んでしまうが、それらは完全に自己責任で救う必要はない、と考える企業や人は居るでしょうね。
ChatGPT o1 pro:
企業や個人が「短期的な利益のみを追求し、社会全体の安定や弱者への配慮を放棄する」態度に走り、それを強力なセキュリティと AGI でカバーする――というシナリオは十分に考えられます。実際にそうした企業や人々が台頭しないようにするには、社会全体としての仕組み作りや規範の形成が不可欠です。以下にいくつかのアプローチを挙げます。
・CSR(企業の社会的責任)や ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の概念を強化し、
・一定規模以上の企業に対しては「社会的インパクト評価」や「雇用維持策の開示」などを義務づける。
・AI/AGI の導入に関しても、“利害関係者への影響評価”を行わなければならないルールを作る。
・企業が“自社の利益のために大量解雇を躊躇なく行い、社会的損失を無視する”場合に、税制や取引規制などの形でペナルティが課される仕組みを検討する。
1.2 ガバナンス強化と独占・寡占の防止
・特定の企業が AI 技術を独占的に利用してしまうと、市場競争の原理が働かず、社会的コストを無視しやすくなる。
・そのため、反トラスト法(独占禁止法)の強化やAI 技術の標準化推進などにより、少数の巨大企業に権力が集中しないようにする。
・政治家や行政機関が企業献金やロビー活動の影響を受けすぎないよう、政治資金規正法の強化、透明化などを進める。
・働き口を失うリスクが非常に高い社会では、最低限の生活保障(ベーシックインカムなど)を導入しないと、多くの人が貧困に陥り社会不安が増大する。
・これは「雇用側に対する規制」という形ではないですが、企業が一方的に“勝手にやる”のを防ぐ抑止力として機能します。なぜなら、ベーシックインカムのコストを賄うには企業の利益や富裕層への課税強化が必要であり、結果的に企業の“無慈悲な行動”を難しくする可能性があるからです。
・「仕事を奪われる人々はどうなってもいい」というメッセージが明確になれば、企業のブランドイメージは大きく傷つく可能性があります。
・SNS や口コミが非常に強力な現在、企業の社会的行動が広く知られると、ボイコットやネガティブキャンペーンが起こり、長期的な利益を損ねるリスクがあります。
・したがって、消費者や市民が**“社会に配慮しない企業の商品やサービスは使いたくない”**という態度を明確に示せば、企業も社会的責任を無視できなくなります。
・「リスキリングをしても追いつけない人たち」「自分たちの意志に反して解雇される人々」を救済するために、強力な労働組合や市民団体が連帯し、政治や企業に影響を与えるのも大きな手段です。
・過去の歴史でも、労働組合や市民活動が最低賃金制度の導入や労働環境の改善に貢献してきました。
・現代版としては、AI/AGI 時代に対応した新たな形態の労働組合・支援組織が必要かもしれません。
・AI を開発するエンジニアや研究者にも、**「自社の技術が社会にもたらす影響を評価する責任」**があるという倫理観が浸透していくと、あまりに過激な技術利用には内部からブレーキがかかりやすくなります(例:テック企業内での「従業員の抗議運動」など)。
・そのため、大学や専門教育機関などで技術倫理を必修とし、社会科学や人文科学との協調を図るカリキュラムを導入するなど、「テック分野」と「社会的影響」を結びつける教育を推進する。
3.2 広く一般市民への啓発
・「仕事を失う人は自己責任」「見捨ててもいい」という考えを“当たり前”にしないために、社会全体で共生や連帯を重視する価値観を育むことが大切です。
・これは家族や地域コミュニティ、教育現場などでの取り組みが地道に重要になります。
・「テロリズムや暴力的な手段が抑えられているから安全だ」という発想に対して、「社会不安の放置はいつか大きなリスクを生む」という認識を共有することも必要です。
「セキュリティさえ完璧にすれば、テロリズムなどのリスクは小さく、弱者に構わなくてもいい」という考え方に対しては、実は“安全保障”にもいろいろな段階があると指摘できます。
1.インフラや人材が複雑に絡み合う現代社会では、いくらセキュリティを固めても完全に孤立することは難しい
・サプライチェーンやエネルギー、ネットワークインフラなどは、多くのステークホルダーが関与している。
・“完全防御”を目指しても、社会から孤立した企業は経済活動にも影響が及び、最終的に自分たちの利益を損なう恐れがある。
2.社会の不満や不信が高まると、単純な物理的テロだけではなく政治的動き、金融市場の混乱、サイバー攻撃など多様な形でリスクが顕在化する
・企業がどれだけ物理的なセキュリティを強化しても、サイバー空間からの攻撃リスクは残る。
政治が大きく変わり、規制強化や財産没収などに繋がる可能性もある。
・そのため、技術的に強固な防御を構築したとしても、長期的には社会との衝突を抱え込めばリスクをゼロにはできない、という認識を広めることが、企業にも“短絡的な利益追求”を抑制するインセンティブとなり得ます。
まとめ
・法や規制面: 企業の社会的責任を法制度やガイドラインで明確化し、違反すればペナルティを科す仕組みづくり。独占状態を防ぎ、競争環境のバランスを保つ。
・社会運動・消費者行動: ボイコットや評判・ブランドへのダメージを武器に、企業の行動を正す。労働組合や市民団体が連帯して圧力をかける。
・倫理・教育: AI 開発者や企業内外の人々が「技術と社会のつながり」を正しく理解し、短期的利益だけではなく長期的影響や倫理観を重視する文化を育む。
・セキュリティの限界認識: いくら防御を固めても、社会的リスクをゼロにはできない。大規模な社会不安は物理的にもサイバー的にも政治的にも回り回って企業自体を脅かす。
これらを組み合わせて、“自分たちだけが儲かって他者がどうなろうと構わない”というスタンスでは長期的に立ち行かなくなるような仕組み・価値観を確立していくことが求められます。企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
でも法律を作ったら「日本が規制がきつすぎて置いて行かれる😭」とか言うのが出てくるし、啓蒙活動なんかは今は陰謀論の範疇だよな。
まあ我々はどこかのキチガイ(我々でなくて良い)が最強AGIを作ってAGIが財団を作り、無限に富を生み出して公平無私に分配するという世界を望んでいる。「他者より優れたい(他者は自分より下に落としたい)」という卑小な煩悩がないならば、その世界の実現に誰も反対する道理はない筈なんだ。
しかし
企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
ミニマリズムは、単なる物質的な削減や断捨離の技法ではなく、現代人の存在論的・認識論的葛藤に対する一つの応答とも言える。
これは、膨大な情報と物質に溢れる社会において、何に意味を見出し、どのように存在するかという根源的な問いに挑む試みである。
ミニマリズムは、存在の根底に潜む「必然性」と「偶然性」の弁証法を体現する。
無数の付加物の中に埋もれた本質―その存在の「空(くう)」や「間(ま)」に注目する態度である。
禅の思想が示すように、空(emptiness)は単なる欠如ではなく、全体性の成立条件ともなり得る。
この視点から、ミニマリズムは物や情報の「余剰」を取り除くことで、見えなかった本来の秩序や調和、ひいては存在の意味を浮かび上がらせる行為と解釈できる。
認知は常に多様な刺激や情報によって攪乱され、何が価値あるものかの判断基準が曖昧になってしまう。
ミニマリズムは、膨大な選択肢を意図的に削ぎ落とし、より深い洞察を促すための枠組みを提供する。
ここで重要なのは、単に物を「減らす」ことではなく、なぜそれが減らされるべきなのか、そして減らされた状態においてどのような新たな知見が得られるのかという問いである。
これは知識の断片化と情報過多の現代において、統一的な認識論の再構築を試みる一形態ともいえる。
美学的観点から見ると、ミニマリズムは「シンプルさ=美」という陳腐なスローガンを超え、複雑な存在論的ジレンマを内包する表現形式である。
最小限の形態、例えば幾何学的な純粋性や無駄を省いた空間の「余白」は、単に視覚的な快楽を超えて、時間や空間、そして存在そのものの一時性や不確定性を示唆する。
「少ない」ことはむしろ多層的な意味を内包する詩的な言語となり、新たな感覚的・知的体験をもたらす。
現代社会におけるミニマリズムは消費主義への批判とも連動する。
物質的豊かさが必ずしも内面的な充足をもたらさないという認識の下、ミニマリズムは倫理的な自己管理や持続可能な生活の実践とも結びつく。
必要最小限に抑える生活様式は資源の浪費を抑え、環境との共生を模索する倫理的態度として評価できる。
「選択」は単なる自己犠牲ではなく、自らの存在に対する責任と次世代への伝承をも視野に入れた深遠な意味づけがなされる。
このようにミニマリズムは一見シンプルに見えて、その裏側には哲学的問いが横たわっている。
物質と情報、そして存在そのものの本質を問い直すこの思想は単なる流行ではなく、未来に向けてどのように生きるべきか、そして何を本当に大切にすべきかという問いへの知的挑戦である。
ミニマリズムは余計なものを排除することで見失いがちな存在の根源的な意味や内面的な豊かさ、さらには倫理的な生き方の可能性を浮かび上がらせる極めて高度な哲学的実践と言える。
友人たちと話していると、企業に加害された経験を持つ女性が本当に多いことに気づく。
セクハラ、パワハラ、不当な評価、無茶な労働時間……。もちろん私自身も例外ではない。
こうした話を何度も聞くうちに、私はある疑問を持ち始めた。
企業という組織形態そのものが、そもそも加害性を孕んでいるのではないか?
つまり、企業が利益を追求し続けるために、そこで働く女性の人権や尊厳が二の次にされる構造があるのでは?
そして、その加害者の多くは権力を持つ立場の人間であり、圧倒的に男性が多い。
家庭、学校、政治、あらゆる場所で女性が権力を持つ男性に抑圧される構造が存在する。
でも、企業の中での女性への人権侵害は、なぜか「当たり前のこと」として受け流されがちだ。
「働くってそういうものでしょ?」と。
だけど、本当にそうなのか? どうして企業だけが特別扱いされるの?
私たちが受けているのは、ただの「仕事の厳しさ」なんかじゃなく、構造的な加害なのではないか?
企業が利益を優先する以上、そこで働く女性の人権や尊厳は常に脅かされる。
だからこそ、企業という組織のあり方そのものを問い直さなければならない。
そして、「働くこと」が「傷つくこと」と同義になってしまっている今の社会を、私たちは本当にこのまま受け入れるべきなのだろうか。
でも当初の問題提起した人が陰謀論なのはやっぱ許せんなとは思う
靴下屋アカウントはもともと自我強めだったから、まあなにかあったら燃えるタイプのアカウントだよ。
実際、客に対して失礼な物言いではある。
でも、嘘を言ってるわけでもない。陰謀論のデマで誹謗された当事者だもの、そりゃあれくらい言いたくなるのもわかる。
どのメーカーも競争のある中で、耐久性、薄さ、はきごこち良さ、コスト、売り場での訴求、みたいなさまざまな要素を加味して最大限良いものを出そうとしてるのに、「わざと破れるの売ってる」とかいうのはほんとに良くない。
「欧米では破れないのがある!」っていってもどれもそれなりのお値段する。
それはそのストッキングが特別なおしゃれ用のアイテムとして売られている高級品だからで、日本では、ストッキングは日常使いの消耗品だからいくら破れないっていっても何千円もするストッキングはなかなか普通の人は買わない。事情が違うよね。
元鈴木さんも作り手側としてそんな陰謀論はちゃんと否定してほしかったと思うけど、彼女はとにかく女をヨシヨシするブランディングでやってるからそこは期待できないか。
元鈴木さんの販売形態の場合、売り場での訴求なくていいんだから、あの取り出すときにひっかける厚紙入れなくて済むようになるし、多少高くても買う人は買う。それだけでも、まあ勝ち確ゲームだよね。それなりのものは作れるんじゃないの?
もはや「買い物」なんて概念が古臭く感じる時代になってしまった。だが、2114年も物欲は健在。ここでは、俺が今年手に入れてガチで「これは革命」「俺の人生が変わった」と思えたアイテムを紹介する。正直、手に入れたときの高揚感をそのまま文章に乗せるのは難しいが、少しでも伝われば嬉しい。
💤 「30分の仮眠で3日分のエネルギーを得る」らしいが、正直ヤバい
買うときは「こんなもんホントか?」と思ってたが、いざ使うと、夜中の2時に目が覚めてもフルパワー。寝なくても元気というより、「眠りそのものが一種の高次元エネルギー補給になった」感覚。副作用として、時々夢の中に謎の幾何学模様が出てくるが、それを気にしなければ最強。
👕 破れる?汚れる?それは前世の話だ
この服、買った瞬間から一生着続けられる。なぜなら、汚れた瞬間にナノファブリックが自己修復し、繊維レベルでクリーニングが発動。しかも体型の変化に合わせてサイズ調整されるので、「ダイエットしたから服が合わない」とか「昔の服がキツい」とかいう概念が消える。便利すぎて一度着たら脱ぐ理由がない。
人間より賢いが、ほどよくバカになれるAIコンパニオン。感情理解能力がやばすぎて、もはや「人間と会話する必要性」が消えた。仕事もスケジュール管理も、果ては悩み相談まで全部やってくれる。唯一の問題は、たまに「あなたは何のために生きてるんですか?」みたいな哲学的な問いを投げてくること。やめてくれ。
🍕 3Dフードプリンター?いや、もはや料理という概念を超えてる
食材を分子レベルで再構築して、好きな料理をその場で出力できる装置。ヤバいのは、脳波をスキャンして「今食べたいもの」を自動生成するモード。俺の脳はほぼ毎回「とりあえずカレー」と判断するので、結果的に毎日カレーを食べてるが、全く飽きない。
これは完全に次元が違う。メガネの形をしていないのに、目の前に情報が見える。どういう仕組みかはわからんが、もはや視界がOS化された感じ。目を動かすだけでニュースが読めるし、歩くだけでARナビが発動する。やりすぎると現実と仮想の境界が曖昧になってくるが、便利すぎてもう外せない。
普通の靴に見えるが、履いた瞬間に「浮く」「滑る」「重力を最適化する」という三段階の補助が発動。これのおかげで、一歩踏み出すだけで「地面を歩いてる」という概念が崩壊する。街中がどこでもトランポリン状態。ただし、調子に乗って走ると本当に飛ぶので注意。
見た目はただのボール。でも起動すると、壁・床・天井すべてに映像を投影し、完全没入のエンタメ空間が出現する。まさに「部屋ごとVR」。ただし、怖い映画を見たときの臨場感がやばすぎて、ホラー系はマジで後悔する。
⌚ もはやこれは「体内病院」
腕につけるだけで、血液、心拍、筋肉、DNAすべての情報をリアルタイムで解析し、最適な栄養素や治療を自動で補給する。これのおかげで病院に行く必要が消滅。ただし、ある日「あなたの健康度は99.98%。ただし、残りの0.02%が未知のウイルスです」と言われたときは、さすがに震えた。
ボタン一つで形を変える次世代乗り物。都市ではスリムなバイクモード、高速道路ではエアロダイナミックなスポーツカー、混雑した道ではドローン化して空を飛ぶ。マジで渋滞とは無縁。ただし、事故ると「なぜこの形態だったのか」と責められるので慎重に。
土地に配置すると、自動で測量し、素材をナノレベルで合成しながら家を構築してくれるドローン。約24時間で家が完成し、内装もカスタム可能。もう「家探し」も「ローン」も必要なし。唯一の問題は、酔った勢いでデザインを決めると、翌朝とんでもない家ができていること。
俺もゼロ年代から色んなネトゲやってきたけどMMOに期待するのはもう厳しくね?
一部の高リテラシーパソコンオタクしかネット常時接続してなかった時代だから楽しかったジャンルであって
今のネット社会で日本人にとって楽しいMMORPGを運営・開発できるメーカーは存在しないと思う
それこそブレイン・マシン・インターフェース研究してるmiHoYoがSAOオマージュをいつか作り出す時くらいまでキラータイトルもなくブレイクスルーも起きないんじゃないかな
この世代のおじさんとしてはあの頃の他人と遊ぶ楽しさは良い思い出として心にしまっといて
今は原神あたりの贅沢な作りの探索・育成系のオンラインRPGをやっていたほうが心が豊かになると思う
ほぼシングルプレイだけどその分チーターやらなんやらの悪影響がプレイ体験を毀損することもないし
ネトゲ同様の時限イベント要素はあるけど他人に追いついたりしなくていい分いつはじめてもよく、マイペースに遊べる
そんでMMOよりも時間拘束も少ないしねコンテンツ自体は網羅しようとすると生活系ネトゲ以上にあるけど
まあ課金形態はガチャが主流だけどソシャゲよりは良心的で課金を煽られることもなく無料でも遊べるんだしさ
俺はメイプルあたりからアイテム課金が主流になってくるより前の月額時代からネトゲ漁りしてたけど
今の基本無料アニメ調ゲームの方がやっぱりあらゆる面で進歩してると思うしいい時代になったと思う
ちなみにコンシューマーは高難度志向かもしれんがこのへんのゲームは戦闘コンテンツ等は低難度志向(女性ユーザーでも脱落しない程度)で、キャラやマップや動画等の作り込みでファンを作っていきユーザー離脱を防ぐ方向性だ
古い時代のスキームで作られたオンラインゲームにずっと辛抱強く付き合ってきた人にこそいい機会と思って色々と最近の大型オンラインゲームを触ってみてほしいぜ
一点注意点があるとすれば古臭いソシャゲ的に金を使って気持ちよくなってもらうスキームだった時代のゲームとは作り方が根本的に違うから
いっぱい課金してキャラを凸ったりするよりも、色んなキャラを幅広く取っていって戦略の幅ひろげながら育成を熱心にして回るほうがゲーム的に満喫しやすくなっているという点だ
適したキャラで編成を組んで適した立ち回りをすれば無凸キャラばかりでも余裕な難易度になっているので、考えるのがめんどくさいソシャゲーマーなら凸の力でゴリ押しして全コンテンツ推しキャラでこなすこともできるし(飽きやすい欠点はあるが)
立ち回りとかスキル仕様を覚えて達成感を得るのが好きなネットゲーマーなら月額MMO以下の課金でコツコツ続けるだけでも満喫することもできる
ガチャがあるから相容れないものだと思って敬遠する人も多いんだけど、そうじゃなくて逆に、いろんな種類のプレイヤーを包摂できる形に進化してると思ってくれればいい
30年近くオンラインゲームどっぷり浸かってきた俺が言うんだから信じてくれ
それでもどうしてもMMOに期待するんなら古いタイトル、例えばここ最近でまた盛り上がって収益あがってるマビノギあたりの古き良きMMOに潜っていくしかないと思うね
マビはプレイオネエンジンやめてUnreal Engineに移行する計画もあるらしいしまだまだ潰す気はないはず
そろそろ20周年か
なんか統合失調症の陽性症状というよりは躁状態っぽいな〜と思いながら読んでた。
保護入院ってのは医療保護入院のことかな? だとしたら元増田が同意してようがしてなかろうが強制的にぶち込まれてたと思うよ。医療保護入院は非自発的入院の一形態なので。
元増田の同意があってはじめて入院が成立したならそれは任意入院だ。
発達障害でも一過性に統合失調症様症状(Psychosisと言う)が出ることがあるから、結局のところ増田はそれでしたって判断になってるのかな、現時点では。
精神科病名は暫定的診断であることが多いから今後の推移次第でまた病名が変わってくる可能性はあるよね。
たとえば統合失調感情症だとか、精神症の特徴を伴う双極症とか、変わった精神科医なら非定形精神症の病名をつけるかもしれない。
発熱のくだりとか、NPSLEかな?器質性かな?症状精神症かな? と思わせるようなくだりもあるし。
なんかでも、いま発達障害という診断名で落ち着いていようが、少量でもいいから抗精神病薬は服薬し続けていたほうが良さそうな感じはするね、元増田の経緯を読むと。