活動休止中のVIBRASTONE(ビブラストーン)のMC・ヴォーカリストとしても知られるDr.Tommyが、伝説のブルース・ギタリストとして名を馳せる高谷秀司と、1998年に立ち上げたレコード・レーベル、GOLDEN GUTSY RECORDS。テクノ、ヒップホップ、ニューエイジ・ミュージックなどからハウス・ミュージックまで、ジャンル関係なしに新しい音楽をリリースし続け、今年で15周年を迎えた。Dr.Tommyが自らの手で音楽制作から流通、梱包まで行うなど、一からのスタートで時代の変わり目を駆け抜けてきた同レーベルをこのたび大特集。Dr.Tommyへのインタビューはもちろん、配信可能な音源を一斉配信スタート。データがあるものは、HQDの高音質でお届けする。さらに、GOLDEN GUTSY RECORDSからリリースされた最新作、シンガー・ソングライターきいちろ♪の『空高く天高く 〜一歩ずつ一歩ずつ〜』から1曲「ウルトラ・レディ」をフリー・ダウンロード。インタビュー、そして時代の先をいく楽曲とともに、このレーベルのガッツを感じてほしい。
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GOLDEN GUTSY RECORDSからリリースされた最新作
きいちろ / 空高く天高く 〜一歩ずつ一歩ずつ〜
【販売形式】 wav / mp3
【販売価格】 単曲 200円 / まとめ購入 2,000円
【収録曲】
1. 城下にて / 2. 放課後のグランド / 3. ちっぽけな花 / 4. 灼熱アタック! / 5. ウルトラ・レディ / 6. SMILE MAGIC / 7. 今は海辺で / 8. 儚く溺れて / 9. 魔性 / 10. 裏路地の灯火 / 11. 夢の輪郭を / 12. 空高く天高く
Lenoの新曲を高音質で先行配信
Leno / Fake Fur
【販売形式】 HQD(24bit/48kHzのwav) / mp3
【販売価格】 HQD 250円 / mp3 150円
大政和寛と飯田智生からなる2人組バンド、Lenoの新曲を、OTOTOY独占で配信開始。サポートDrumに奥久保香菜を迎え、都内のライヴハウスを中心に活動中のLenoのいまが刻まれた作品となっています。みずみずしいギター、エモーショナルなベース、艶っぽいヴォーカルのサウンドの波が聴き手に迫ってくるような壮大な楽曲です。HQD(24bit/48kHzのwav)でお楽しみいただきたい名曲!!
Golden Gutsy Records 代表 Dr.Tommy インタビュー
兵庫県姫路市出身のミュージシャン、Dr.Tommyの半生を掘っていこうと思ったら、時間がいくらあっても足りない。家庭教師に教えてもらったことがきっかけで始めたギター、ポップスやロックンロールとソウル・ミュージックに熱を注いだ少年期、ファンクに傾倒しディスコ・ダンス教室の講師をしていた神戸時代、振り付け師などの仕事もしながら、ニューウェイブ・ファンク・バンド「AFRIKA」に加入してヴォーカルを務めていた東京期、そしてビブラストーンのMC・ヴォーカリストとして活躍する80年代後半から90年代と、常に変化のなかで生きてきた。
そんなDr.Tommyが、自身の活動歴のなかでレコード・レーベルを始めたということは、なんらおかしなことではない。想いを実践する行動力と、新しいものを追い求める好奇心。そして経営者としての視点もしっかり持ち合わせている。それだけに、音楽だけでは大きな儲けを期待できないことも早々にわかっていたという。それでも15年という月日をかけて、いまなおレーベルを続けているのは、音楽に助けられてきたという少年のような想いだ。このたびリリースされたシンガーソングライターきいちろ♪の作品もまったく同じ気持ちから生まれた作品である。Dr Tommyがなぜいま、きいちろ♪のアルバムをリリースしたのか、そしてレーベルの信念まで、幅広く話を伺った。
インタビュー&文 : 西澤裕郎
いろんな制約が取り払われていくっていう部分も大きかった
ーーTommyさんは、どういうきっかけでGolden Gutsy Recordsをはじめられたんでしょう?
その昔に僕の作品がレコ倫(レコード制作基準倫理委員会)にひっかかったということがあって。その楽曲が収録されたソロ・アルバムの発売は約3年延期になって、結局16小節にピー音を8カ所も入れた形での発売にはなりましたが、発売未定の期間は表現として言いたいことを言わせてもらえないというストレスもあって。そのときは精神障害のようになってしまったりもしてね。あとは、自分で原盤を持ってやれば、いろんな制約が取り払われていくっていう部分も大きかったですね。
ーーレーベルを立ち上げるにあたって、最初に理念やコンセプトを定めたんでしょうか。
1998年の6月にこのレーベルを立ち上げたんですが、ただ、これまでになかった形の新しい音楽作品、「21世紀タイプのオルタナティブミュージック」っていうキャッチコピーで最初のコンピレーションを作ったんですよ。まだデジタル音楽配信とかもはじまってなかった時代だったんですけど、自社のサイトを立ち上げてWAVで配信もしていました。ただ、当時は配信ではたいして売れなかったですね。やってることが新しくておもしろいとは思ってもらえたようで、かなりの再生回数はあったんですけどね。
ーーGolden Gutsy Recordsを立ち上げるまで、Tommyさんはメジャー・レーベルに所属していたわけじゃないですか。発注とか宣伝とか細かいことは会社の人がやってくれていたわけで。それを自分でやることに抵抗感はなかったんですか?
しんどかったですよ。発注のFAXの売り文句からレイアウトまで自分でやって、CDやレコードの梱包もして、ディストリビューターやユーザーに送ったりもしています。その分、1枚を注文してくれるユーザーのありがたみを噛み締めながらやっていました。あと、メジャー・カンパニーの人たちや、その下請けをしている人たちの苦労というか、いろんなものを感じました。いろんな人たちが、僕が作ってきた作品をユーザーに届けてくれていたんだなって。
ーーそういうところは実際に経験してみないとわからない部分ですよね? かなりD.I.Y.な形で進めていったんですね。
自分でやれるところは自分でやる。決算にしても税務署に行って教えてもらったし、バランスシートや売掛金のこと、会社とは? っていうところから勉強しました。
ーーそこまでの事業となると、ご自身の音楽活動の時間がなくなってしまうんじゃないですか?
そうなんですよ。会社の運営にエネルギーを吸い取られてしまって疲弊して、自分の時間が作れなくなって、ちょっとノイローゼ気味になってしまったんです。僕自身の音楽活動というか制作もできなくなってしまっていました。
ーー自由のために立ち上げたレーベルなのに、逆に自由がなくなってしまったと。
それと同時に段々とレコード・ショップやCDショップも減ってきて、CDも売れなくなってきたわけですよ。苦労してレーベルを立ち上げて、CDが5,000枚くらい売れていたのに、500枚とかになっちゃって。そうなると、やるだけ赤字になるっていうのが見えてきたわけですよ。そこで、どういうふうにやっていったらいいんだろうってことを真剣に悩みました。本当に、時代の変わり目を自分の肌で感じられたというか。
ーー時代の変わり目のなかで、運営の仕方も変えていったんでしょうか。
レーベル自体で制作もやっているんですけど、盤にするにもお金がかかるし、売るときにお店にコーナーを作ってもらってポップやら作るのにも販売促進費や営業費や宣伝費がかかるわけでしょ? それも、なかなか出せないじゃないですか。ディストリビューターを介さず直で販売したとしても、こっちは儲けなしなくらいですからね。
音楽に助けられてきた
ーー決して楽観的ではない状況のなかで、どういった音源をリリースしていったのでしょう。
テクノ、ヒップホップ、ニュー・エイジ・ミュージックなど幅広く、要するにノンジャンルですよね。自分がバンドで演っていたビブラストーンはジャパニーズ・ヒップホップだったので、そういった作品もリリースしています。ディストリビューターさんがやっているレーベルだと、小売店の数百店舗とかと契約していたりして、その店舗分買い取ってくれるシステムができていたりするので、原盤はこっちで、CDのプレスやらなんやらをある程度は任せるってやりかたもしていました。
ーー一般的に98年にCDの売り上げがピークで、それ以降売り上げが下がっていったということをいわれますが、21世紀に入ってからののリリースに手応えはありましたか。
枚数は500~2,000枚くらいですよ。だから、少量を売り切って、廃盤にするっていうことをやっていました。
ーー枚数は多くなくてもファンはついてきていたってことですよね。
数は少ないですよ。実際に全部売り切れになったのは、原盤はこちらがもっていて、ディストリビューターさんの方でうちのレーベル名でCDプレスなどやってもらったもので、うちからCDやアナログのプレスまでやって出した作品はまだ少しだけ在庫が残ってるものもあります。アナログ盤にしても1,000枚プレスしても500枚売れたらたいしたもので、実際1,000枚なんてなかなか売れないですよね。500枚つくっても300枚出たらって感じでしたし、ビジネスとしては成立しないものですよ。
ーービジネスとして成立しないことを理解していながらも、いまもレーベルを続けているわけじゃないですか。やめずに続けてこれたのはなぜなんでしょう。
それは、音楽に助けられてきたからですね。先に亡くなってしまった仲間や、仲のよかった友だちのことを考えると、もっと俺はできるんじゃないかとか、やんなきゃいけないって気持ちが沸いてきてね。あと、やっぱりやってて楽しいんだよね。外からのネガティヴなエネルギーってどうしても避けられないんだけど、そういうときに助けてくれるのは音楽で、実際にダイレクトなコミュニケーションで相手に感動を与えられて、自分でも生きている感触を得られる。
ーーなるほど。
レコーディングも日記みたいなもので、証拠も残るし、作るんだったら、いい意味でおもしろいものを残したいんだよね。実際、時間もかかるし、いろんな人の協力を得て作られていくものでもあるし。あと、自分のプロデュース作品は、自分のセンスだったり責任範疇っていうのが活かされる。
ーー変な喩えかもしれないですけど、野球でいうとプレイヤーから監督みたいな立場にシフト・チェンジしていったのかなって。
昔の野村克也さんみたいな感じだよね(笑)? たしかに、プレイング・マネージャーみたいなものではあるよね。バンドにおいてもバンマスとかはそういうものなんですよ。只、それがより厳しい。かなり自分の責任範疇が広がって重くなっていくっていうかね。
ーーそれでも、そこに楽しみや喜びを見いだしているから続けられるわけなんですね。
人って、掘り下げていくのが好きな生き物だと思うんですよ。80年代半ばくらいに、ゲームソフトが5,000円のものが100万部くらい売れる時代が登場して、これじゃあ音楽業界は衰退していくだろうって話は当時からあって、でも僕自体は先々の未来こうなっていくだろうってことは大体想像はついた。けど、音楽はなくならないですよ。
幻の名盤解放同盟みたいな連中が掘り下げて希少性を見いだす作品かも(笑)
ーー衰退っていわれているのは、音楽そのものではなく、音楽産業ですからね。音楽そのものは変わらない。そうして音楽のことを信じ続けているTommyさんが、今回リリースするきいちろ♪さんの『空高く天高く ~一歩ずつ一歩ずつ~』は、レーベルの思いを強く体現しているように感じます。利益はすべて東日本大震災の被災地のために使われるわけですよね。つまり、売れても会社が潤うわけではない。
潤わないですよ、赤しかないんですよこれが(苦笑)。
ーーそこまでして、なぜこの作品をリリースすることにしたんですか。
東日本大震災のあと、僕も含めて、仲間や、ミュージシャンたちや、アーティストたちで、震災で困っている人たちになにが出来るのか模索していた時期もあったんですが、いてもたってもいられなくてね。車に物資を積んでいくっていうのを仲間と繰り返してやっていくなかで、Smile For Japanというミュージシャンの集まりにも参加して被災地に音楽を届けようとしたんです。CDと再生装置、ラジカセ、あと被災地で車が必要だという友人の"被災地に復興1号を走らせよう"という思いにも共感して、Smile for Japanの人たちにも協力してもらって、チャリティ・イベントを開いて、集まったお金で車を買って届けてきました。いま復興三号まで続いているんですけど、それでも大変なわけですよ。まだまだ遠い。もう2年以上経っているわけですよ。世間はどこ吹く風でしょ。
ーー記憶が薄くなってしまってきている部分は否めませんよね。
いま、試されてますよね、人として。同じ日本人として。そういうところを繋げていって、形になっている状況のなかで、きいちろはそこに共感してくれたわけですよ。
ーーそもそもTommyさんときいちろさんはどういう関係だったんですか。
きいちろは、高校時代の友人なんですよ。30年くらい会っていなかったんですけど、ある再会をきっかけに、話が進んだっていうか。でも、はっきりいって、無茶振りですよ(苦笑)。きいちろの気持ちは嬉しいけども、結局自分の歌と曲をたくさんの人に聴いてもらいたいっていうエゴも入っているわけですよ。だったらそれを商品としていい形にしていかないといけない。そのプロデュースを僕に振られたわけですよ。しかも12曲ですよ。
ーーその時点で楽曲はそろっていたんですか。
100曲以上ある彼のオリジナル曲のなかから彼が選んで、その曲を聞かせてもらって、楽曲のアレンジやミュージシャンの手配からなにからなにまでやりました。それで儲けようって気持ちはなくて、同じ兵庫県の姫路市で生まれ育った友人でもあるし、ぞれぞれ一端の大人になって、これからもお互いに頑張っていこうってストーリーも込めたアルバムにしたかったんです。
ーービジネスを越えて、人間として試されているものへの答えが本作だったわけですね。
一期一会みたいなものと、直感ですよね。あと、乗りかかった船みたいなところはありましたね。僕自身も時間はとられてしまうし、他のことは出来なくなっていく。制作においても、サポートしてくれるミュージシャンは僕自身がお願いするわけだから、いろんな意味での負担は僕にもきますよね。さっき言ったように、僕自身が試されていると思ったし、僕自身の責任としてちゃんと作り上げようと思ってね。このアルバムは、そこに共感して参加してくれた人がほとんどなんです。
ーーTommyさん自身、旧友のアーティストをプロデュースしてリリースすることってはじめてだと思うんですよ。それでもリリースするっていうのは、そこに希望を持っているからなんでしょうか?
他にもあるんですけどね(笑)。うちのレーベルは新しいもの、いままでになかったものを追求してきたので、きいちろのアルバムを聴いてもらえれば、これまでにあったようでなかった不思議な作品になっていると思うんですよね。実際に年配の人向けというか、子供が聴いてもわからないような大人の世界や心情も描かれています。あと、企業戦士みたいなところでの想いも歌に込められていると思うんですね、このアルバムは。
ーー正直、最初に聴いたときにかなりビックリしました。ジャケットだけ見ると、シンガー・ソングライターの弾き語り音源かと思うじゃないですか。そしたらレゲエ調だったり、ドラムンベースの要素が入っていたり。
確かに意外がられますね。特にプロデュースが僕だから、異色がられますよね。何年かたったあと、今でいう幻の名盤解放同盟みたいな連中が掘り下げて希少性を見いだす作品かもしれませんね(笑)。
ーーほんとうに新しいものってなかなかないと思うんですよ。実際新しいものを目の当たりにしたときって、どう反応したらいいのかわからないとも思うし。まさにそういう作品だと思いました。
実際に、僕自身も最初は「? 」どころの騒ぎじゃないわけですよ。どう料理しよう、どうやってまとめあげたらいいんだという感じでした。とにかくいろんな人達の協力があって出来ていった作品で、ジャケットや歌詞ブックレットのイラストにしても20年振りに僕の作品に参加してもらった平澤一平くんと、すでに被災地で活躍している復興二号のペイントなどもやってくれたFrankie Cihiという女性アーティストのコラボレート作品になっています。
ーーそれだけTommyさんのやってきたことが信頼されていたり、人望があるから実現したんだと思います。
僕のわがままかもしれないですが、その趣旨だったり、僕への信頼があるからこそ、いろんな人が協力して下さったと思っているので、本当に感謝していますね。出来ればこのアルバムをたくさんの方々に手にとってもらって聴いて頂きたいです。復興1、2、3号の活動だったり、東北の復興支援団体に寄付をするという形でもこのアルバムは制作されているので。
ーー今後もGolden Gutsy Recordsの予想がつかない展開を期待しています。そういうことをやってらっしゃる人がいるというのは僕自身希望だと思っているので。
そうですね。人に夢や希望を与えたいし、人を元気づけたり、慰めもできる。自分で自分を慰めるような形でやるようになっちゃ終わりだと思っていて、これからもたくさんの人たちと出会って、そういう人たちと一緒に良い時間を過ごして、いろんな想いや夢を音楽を通して共有し続けていけたらいいなと思うし、それぞれの作品が、たくさんの人の大事な時間になってくれるといいなと切に願うばかりですね。これからもそういう作品をプロデュースしたり、リリースができればいいなと思っています。
Golden Gutsy Records Catalogue
PROFILE
Dr.Tommy
80年代前半より、日本のクラブ音楽シーン黎明期から現在まで、常にその先端、中心部にいて、シーンを創り上げ支えている一人。DJ、プロデューサー、コンポーザーと様々な顔を持つが、一般には近田春夫らとの「VIBRASTONE(ビブラストーン)」のMC、ヴォーカリストとして知られる。また多くのCM作品の他、小泉今日子、桐島かれん、hide(X-JAPAN)、FLEA、jephte guillaume、映画監督としても知られるMelvin Van Peeblesなど数多くのアーティストとの作品を手がけ、デジタル・グル-ブ歌謡曲、 Jungle Oasis incなどプロデュース作品やRemix作品も多く、Mo'WAXやSTricTLY RHyTHM、ATTICなどの海外のレーベルからも作品をリリースしている。DJとしても国内外問わずSpinして来たClubやPartyは数知れず、2013年に35周年を迎えた老舗クラブ西麻布3-2-8の他、数多くのクラブでレジデントDJを務めて来た。現在は、D.T.ConstructionやEcstasy Boysとしての活動の他、1998年より自らレコード・レーベル、Golden Gutsy Recordsを主宰。また、2010年にSFアニメ映画『REDLINE』のサントラ・リミックスを手掛け、2011年には山本政志監督による映画「スリー☆ポイント」の映画音楽を担当。2011年の夏に発売された久保田麻琴プロデュースによるAWA GROOVES & REMIXES「ぞめき四」にもD.T.Construction名義で参加するなど更に活動の幅を広げている。2012年にはDJとしての活動も30周年を迎え、DJ30周年国内ツアーも慣行。「いのちの祭り」、「高野山1000年祭り」などにも参加。2012年9月に公開された山本政志監督の新作映画「アルクニ物語」の音楽も担当。そして、今秋公開予定の山本政志監督の最新作になる長編映画「水の声を聞く」の映画音楽も担当している。