仙台の至宝、中村マサトシがついに全国の舞台に復帰──ソロとして初のアルバム『Naturally』をリリース
THE YOUTHとしてメジャー・デビューし、仙台に拠点に活動し続けてきた中村マサトシが、ソロ活動開始8年にして初のアルバム『Naturally』を〈Nomadic Records〉より全国リリース。10代からお互いを知る盟友、huenicaプロデュースのもと、やさしさと温かみを感じるバンドサウンドに中村の前向きなヴォーカルが映える珠玉の8曲を収録。宮城県加美町の町長と意気投合し加美町観光大使に就任したことで生まれた楽曲など、地元に根ざして活動してきたからこそ誕生した本作について、宮城県名取市在住の中村に行ったSkypeインタヴューを掲載する。
INTERVIEW : 中村マサトシ
THE YOUTHのヴォーカルとしてバンド・シーンを主戦場としてきた彼が、シンガー・ソングライターとしてゼロから作り上げたソロ作品『Naturally』。榎本聖貴(ex. LOST IN TIME)と伊藤サチコによるユニット、huenicaがプロデュースを務めた今作は、音の温かみ、声の柔らかさ、さらに熱さも含まれた、心にすっと染み込んでくる優しさが詰まった作品になった。ソロとして活動をはじめて8年。初の全国リリースとなる今作が完成するまでにどのようなストーリーがあったのか、インタヴューで語ってもらった。
インタヴュー : 西澤裕郎
文・構成 : 岡本貴之
huenicaの2人が思っている中村マサトシ像を表現してほしい
──アルバムを聴かせていただいて、素晴らしい作品だなと思いました。バンド時の中村さんの印象とは違って、非常にアナログ感、音の温かみ、声の柔らかさ、それに熱さもあって、とても染みわたるアルバムだなって。
中村マサトシ(以下、中村) : ああ、ありがとうございます。
──今作『Naturally』は、いつぐらいから手を付けていったんでしょうか。
中村 : もともとは、アルバムを作るはずじゃなかったんです。huenicaの2人に子どもができて、出産してからの1年間はレコーディングとかで生計を立てていくという話を個人的に聞いていたんです。それで、何か力になれればなという気持ちもあって。もう、サチコ(伊藤サチコ)とは付き合いがあって、20歳ぐらいには榎本(聖貴)君とも付き合いがあったんですよ。そういう長い付き合いの人たちに、中村マサトシという人間がどう映っているのかはすごく気になっていて、なんなら僕が作った曲を好きなように料理してくれないかというか。huenicaの2人が思っている中村マサトシ像を、この曲で表現してほしいというお願いで、もともと7曲目の「月」を、シングル用にアレンジをお願いしたんです。そのうちに、「他にも曲あるの?」ということになって、その場で何曲か弾き語りで聴かせて、せっかくだからアルバムを作ろうということになったんです。でも、2011年からソロで自主制作でやってきて、レーベルもなかったですし、資金繰りが厳しいという話をしたら、huenicaが所属している〈Nomadic Records〉の平山(勉)さんを紹介してくれて。それで僕が直接お願いしたら、即答でOKが出て。そこから進んで行ったんですけど、じつはそれが1年ぐらい前なんです。
──レコーディング後のミックスなどに時間がかかったということなんですか?
中村 : いや、レコーディングに時間がかかったんです。その話が決まってから、huenicaも他のアーティストのプロデュースの仕事が舞い込んできちゃって。僕はいつリリースするか決まっていなかったので、なかなか進まなくて。平山さんとの話も、春ぐらいに出そうか、みたいなアバウトなニュアンスでやっていたので。でもそのおかげで、1曲1曲を見つめ直しながら、何回もリテイクしたので、結果的には急いで作らなくて良かったなと思っています。
──レコーディングやリテイクには時間をかけているけど、曲作りは瞬発力で作った感じなんですか。
中村 : 曲は、もともと僕が持っていた曲から選んだので。その8曲のアレンジを全部huenicaに任せたので、僕はとりあえず待機みたいな感じで(笑)。アレンジが出来上がるのを待って、そこからああしよう、こうしよう、ということを繰り返した感じです。
──huenicaの2人は、本当に職人肌というかこだわっている人たちですよね。お2人とは、もともとどんなお付き合いをしていたんですか。
中村 : 僕のTHE YOUTHというバンドの、ギターの三井律郎がもともと秋田で組んでいたユニットのヴォーカルが伊藤サチコだったんです。それで〈TEENS' MUSIC FESTIVAL〉に出たときに出会ったんですけど、サチコたちのユニットはデビューが決まっていた。その段階でうちらのバンドが三井を引き抜いちゃったんですよ(笑)。サチコはソロ・デビューしたんですけど。そういう流れからずっとお互いの音楽を聴いてきていて。それから、三井がLOST IN TIMEのサポートに入ったんですけど、元のギターが榎本君だったんです。
──なるほど、絶妙に繋がっていたんですね。
中村 : そうなんですよ。なので、どちらかというと、2人とも僕のバンド時代の曲を聴いていて。僕が2011年以降ソロ活動を始めたときも、huenicaにツアーで各地に連れてってもらって、ソロの音楽も聴いてもらっていたので、すごく信頼できるというか。
どんどん日々が世の中と密接になってくる
──聴いている側からすると、THE YOUTHのときの音楽性からすると、中村さんのソロって大きく転換したように感じるんですけど、中村さんご自身はどう思っていますか。
中村 : THE YOUTHの楽曲というのは、僕の高校時代から20代前半の曲なんです。自分中では全然変わっているつもりはないんですけど、どうしてもあの当時の若い衝動が中心となっているバンドサウンドというのがある。THE YOUTHの中でも、すでに今のような楽曲の変動がある中で、メンバーがそれを選んでこなかったというのあります(笑)。
──なるほど。
中村 : あとは、子どもの存在がすごく大きいですね。THE YOUTHがデビューしたときに、僕はすでに子どもが2人いたんですよ。今は5人いて、4、5人目は娘なんですけど、娘が生まれたのが、THE YOUTHがインディーズで最後にアルバムを出すぐらいのときだった。だから、その頃には自分が作る楽曲はガラッと今の楽曲に近いものに変わっているんですけど、バンドでストックとして色々な曲を提示すると、どうしても今までのTHE YOUTH寄りの楽曲がメンバーに選ばれるので、選ばれなかった曲たちをソロでやり始めた感じですね。
──もともと変化はしていたけど、なかなか表に出るものがなかったという。
中村 : そうですね。どうしても、同世代の人たちよりは、少し柔らかく、落ち着いてしまうというか。でもしょうがないんですよね、父親なので(笑)。極端な話、「この世の中なんかクソッタレだ」「大人なんか大嫌いだ」みたいなことをやってきたんですけど、自分が父親になって、ちゃんと生活しなきゃと思うと、「世の中捨てたもんじゃないな」とか、いいところもあるなとか、大人になることがすべて悪いことじゃないなとか、今までの衝動でやっていたものの良かった部分、悪かった部分が見えてきたんですよね。ただただ、それに正直に向き合って詞を書いてきたという感じかもしれないです。
──お子さんが生まれてどう変わったんですか?
中村 : 子どもがいなかった頃は、自分本位というか。自分さえよければいいみたいな感覚が強かったんですけど、親目線になってから、「あ、自分の親もこういう風に感じていたんだろうな」って思うようになったんです。あとは子どもたちにどういう風に育ってもらいたいと考えるようになると、どんどん日々が世の中と密接になってくるというか。そうなると、人付き合いにしても何にしても、捨てたものじゃないなと思うし、優しくならなきゃなって。見本になるというか、恥じないように頑張らなきゃという気持ちにはなりますよね。
自分のためだけに曲を書こうと思って書くようになった
──プロフィールを拝見すると、THE YOUTHでデビューするときも、地元から離れなかったんですよね。僕は長野出身で、一刻も早く地元を離れたかったんですけど、中村さんが地元に残った理由って何なのかなって。その答えが“地元愛”みたいなものだとしたら、中村さんはもともと怒りよりも愛が大きい人なのかなと思うんですよ。
中村 : むずかしい質問ですね(笑)。じつは僕も10代の頃に出たかったんです。地元に残った大きい理由としては、子どもができたことですね。都会では育てたくなかったので。海とか山とかがある環境の中で暮らしたかったのも大きかったですし、当時は「東京クソくらえ」みたいな気持ちもあったので。これも都会に対しての理由なき怒りというか(笑)。「そこが中心と思うなよ」っていう変な反抗心みたいなもので、「いや、地元でできるっしょ」みたいな感じでしたね。当時ガガガSPが大阪で、スーパーカーが青森でやっていたりとかしていたので、俺らもやれるでしょっていう気持ちが強かったかもしれないです。だから、地元愛というよりは、10代の反抗心みたいなもので地元をずっと選んできて、そのうち子どもが増えて行く中でごはんを食べさせなきゃいけない、生活していかなきゃいけないということになって、ようやく地元に対する気持ちが芽生えたのは、やっぱり震災以降からなんですよ。震災をきっかけにソロを始めたので。音楽の在り方みたいなものを見つめ直させてもらったのも、震災でした。そこからですかね、地元にどうやったら貢献できるのかって考えるようになったのは。それまでは、バンド以外でステージに立たなかったので。それはすごくデカいかもしれないですね。
──初めてステージに立つときは、バンドのときと違う気持ちや緊張感があったんですか。
中村 : すごくありました。バンド・シーンで、バンドマンたちと戦ってきたし、1人でやる心細さと怖さも味わいましたし、シンガー・ソングライターの人たちとライヴをやらせてもらうことで、まったく別の環境、別ジャンルだなっていうことでコテンパンに打ちのめされたこともありますし。
──「コテンパンに打ちのめされた」というのは、どういうところで食らっちゃったんですか?
中村 : まず、客層が違うんですよ。それに、1ステージの持って行き方をみんな1人で完結できるように考えていて。そこにはMCとかも全部入っていて、トータルのライヴができている。それを楽しみに来ているシンガー・ソングライター好きのお客さんっていう、完全アウェイの中で、バンドの延長でギター1本で歌っていくという。ただただ、「ああ~」っていう温かい目で見られて終わるっていうむごさみたいなものを、四谷天窓に呼んでもらったときにものすごく感じて。音楽をやってきて初めてというぐらいに、悔しくて泣きました。でもそれがあって、ソロでできるだけお客さんに近いところで音楽を届けて行きたいと思ったからには、自分の中でゼロから作っていくしかないんだっていう気持ちにさせてもらえたというか。
──自分の名前を冠すると、バンドと違って自分のパーソナルな部分が剥き出しになっちゃうわけじゃないですか。そういう意味で言うと、中村さんは2011年の震災を機に、バンドという盾もなくご自分で表に立って剥き出しにしてやってるわけですけど、その中で得られたものとか、ご自分が作る音楽に変化はありましたか?
中村 : まさに、ソロとバンドの曲の印象が違うというところの理由にはなっていると思います。特に、歌詞や曲の作り方というのは、ソロになってからの方は、誰かのために書いているんじゃなくて、自分のために書くようになったというか。THE YOUTHのときは、自分のことよりも、自分が納得いかない周りのこととか、自分の気持ちを発散するために書いていたんです。今の方が、より自分に向けて書いているというんですかね。30歳手前ぐらいのときに、「自分のためじゃなくて人のために何かをしよう」と思った時期もあって。でもそれって、偽善じゃないですけど、自分のためなんですよね。じゃあもう、自分のためだけに曲を書こうと思って書くようになったら、意外と人に届くんですよね。「これは私のことを言ってくれてるんだ」って、人が勝手に思ってくれるようになるのが、一番ベストなのかもしれないなって。
──よくわかります。アイドル・グループの取材をすると感じるんですけど、普通の女の子たちがオーディションに受かってアイドルになって、3か月後ぐらいにステージ上から「私たちがみんなのことを救います!」みたいに言われても、なかなか刺さらないというか。
中村 : ははははは。そうですよね(笑)。
──それよりも、ひたむきにやっている姿を見る方が、伝わると思うんですよね。
中村 : まさに、そういうことです。シンガー・ソングライターの人とやって行く中で、一番得たものというと、そういうところです。本当に、歌の書き方が変わりましたね。
自分の中でキラーワードだったらいい
──曲はどうやって生まれるんですか。
中村 : 僕は詞先なので、詞は本当に日常生活をしていく中で、パッと思いついたものをメモってる感じです。どちらかというと、キラーワード・タイプで、コピーライターみたいな感覚で、キラーワードとなる一文ができれば曲ができたようなもん、という人間なので、その一文が降りてくるのを待つんです。
──ということは、8曲それぞれに核となるフレーズがあるわけですね。
中村 : あります、あります。僕のルールとしては、それが自分の中でキラーワードだったらいいというのがあって。変な話、それが「愛してる」でもいいんですよ。その時期にその一文が、僕にキラーワードとして刺さったら、それだけで曲がそこから膨らむんです。
──例えば「月」は、どういう言葉がキラーワードになっているんですか。
中村 : 月という言葉は歌詞には出さないというのが、1つのテーマだったんです。〈無理な願いは言わないさ あんたはただそこにいてくれりゃいい 少しくらい欠けたところがあっても別に構わないから〉っていう歌詞が最初に思い浮かんで、たぶんそこがキラーワードです。ちょうど、あんまり上手く行ってなかった時期で、〈少しくらい欠けたところがあっても別に構わないから〉というのは、自分のことなんですよね。
──それこそ、さっきおっしゃってたように、自分のために書いたというか。
中村 : そうですね。それが結果的に、欠けてることが自分にあっても構わないよなって、月にスポットが当てられたというか。それでこれは月の歌にしようと思ったんです。
──「幸せの風」の作詞は共作になってますね。
中村 : これは、宮城県加美町というところがあるんですけど、そこの猪股町長さんがこの詞を書いてくれたんです。猪股町長は、加美町にあるバッハホールという施設を軸に加美町を音楽の街にすべく、管弦楽団を作ったりとか色々な取り組みをしていて。町長が自ら東京の国立音楽院の宮城キャンパスを作りたいって直談判に行って、宮城キャンパスができることになったんですよ。僕はその話を聴いて、何か音楽でお役に立てないかっていう話から、加美町の観光大使になったんです。そのお礼じゃないですけど、加美町が音楽の街だということをアピールしたくて、全国リリースするにあたってhuenicaにわがままを言って、この曲をアレンジをしてもらったんです。だから、僕にとっての最高の恩返し、街への貢献ができたかなって。そういう意味では、宮城にどうやって貢献して行こうかという答えがちゃんと音楽で返せたかなと思います。
今思っているのは、「ゆっくりやろう」ということ
──huenicaのTwitterとかを見ていると、ミックスにもすごく時間をかけたみたいですね。中村さんから、これだけはこういう風にしてほしい、みたいなリクエストはしたんですか。
中村 : 一番は、とにかく柔らかくて優しい感じ、バンドバンドしていない方向で作ろうねというのはずっと言っていて。1曲目の「陽の当たる場所」なんかは、ニール・ヤングの『ハーヴェスト』を意識したり、アコースティックのオールドライクなサウンドなんだけど、ちゃんと今のニーズに当てはまるようなアレンジにはしたいというのは、ずっと3人で話してましたね。
──前半は、今おっしゃったニール・ヤングみたいに1960、1970年代のアナログっぽい音がしつつ、後半になるとちょっと激情的な感じもあったり、聴いていて音の質感が曲ごとに違うのが面白かったです。
中村 : そこはさすが榎本君という感じで。全体を同じキャラクターにするんじゃなくて、ちゃんとストーリー性を持って曲ごとにキャラクターを作っていくというところに力を入れてくれて。マスタリングもすごく時間をかけてやらせてもらったので、現代の音楽のように、レベルを突っ込んで迫力はあるんだけど平面な音楽というよりは、ヴォリュームを上げたときにより立体感のあるサウンドに仕上げようと。みんなで話し合いました。
──中村さんは、今後どういう活動をしていきたいと考えてますか?
中村 : メジャーでバンド活動をしていた頃は、音源を作って出来上がったらプロモーションして、リリース・ツアーを回って、CDはどれだけ売れましたか、次はどうしますかっていう、音楽シーンの常識みたいものがあるじゃないですか? でも、そんなことすらもう当たり前じゃなくて、別にリリースした後にプロモーションをしてもいいし、ライヴしようかなって思えばツアーをすればいいしっていうのは最近すごく思っていて。リリースした近辺じゃなきゃそのCDを宣伝したりすることはダメなのか、という気がしているので、いま思っているのは、「ゆっくりやろう」ということです(笑)。ゆっくり、自分のできる範囲内で。だから、『Naturally』も、次のひらめきが出るまで新譜としてずっと宣伝していきますし、それを掲げて地方のライヴもツアーとして回って行くと思うので。このアルバムが多くの人の手に届いて、色んな人がこのアルバムについて語ってくれたらいいなって思っています。そういう活動を続けていきたいなって。
──Twitterを拝見すると、居酒屋でのライヴとか、どういう環境でやってるのかなって(笑)。
中村 : まあ、すごい環境ですよ(笑)。でも、そういうことをすごくしたくて。ライヴハウスに閉じこもっていたら、そこに来る人たちにしか音楽を届けられないなって震災のときに思ったのが、最初のきっかけなので。震災に遭って、でも音楽を聴きたい人はライヴハウスにこれないし、その人のところにいかないと音楽を聴けないわけだから、だったら自分が行けばいいじゃんって、そこから僕のソロ活動が始まっているので。だから、居酒屋とか「どこでもいいですよ」っていう感じでやらせてもらっています。
LIVE INFORMATION
ソラカラ8
2019年4月20日(土)@札幌musica hall cafe
時間 : 開場 12:00 / 開演 12:30(※昼公演となります)
料金 : 3,000円(1D別)
出演:高橋レオ / 岡野宏典 / 中村マサトシ
「Naturally」レコ発『ふらっとリアコへ。vol.34』
2019年5月11日(土)@福島Re-Acoustic
時間 : 開場 18:30 / 開演 19:00
料金 : 3,000円(1D付き)
出演:中村マサトシ/やってもーたろっ!/anna/テリヤキチキン
Monthly Live #37
2019年5月12日(日)@名取 EACH TIME
時間 : 開場 17:00 / 開演 17:30
料金 : 3,000円(1D別)
高校生ticket半額
出演:中村マサトシ / 小田和奏
予約・問い合わせ : eachtime-2014@lake.ocn.ne.jp
PROFILE
中村マサトシ
1981年11月12日生まれ、
宮城県名取市閖上出身・名取市在住、
5児の父親でもある。
好きな食べ物はサラミ(特にミラノサラミ、伊藤ハムのパブスティック辛口)。
ラーメンやパスタなどの麺物。カレー。
ラーメンのオススメは仙台市連坊にある「かんじ」加美町の「やっこ食堂」。
パスタは目黒にある喫茶店「バチェラー(bachelor)」のミートソース。
カレーは新大久保の小さなカレー家「牛すじカレー」。
リスペクトするミュージシャンは、SION・山口洋・小谷美紗子・タテタカコ。
2002年、THE YOUTHのボーカルとしてメジャーデビュー。
これまでライヴ音源含むアルバム4枚、ライヴ会場限定含むシングル7枚リリース。
2004年には 長渕剛トリビュートアルバムに参加。
シングル『しあわせになろうよ04』にも参加し、桜島オールナイトライヴにて共演を果たす。
2011年、東日本大震災で被災するも、同じく被災したファンの元へ歌を届け、
各被災地を回ったことを機にソロ活動を本格的に開始。
これまで自主制作でのアルバムを5枚リリース。
2014年、Date fm 生ワイド番組「FLICK MOTION」のパーソナリティとして抜擢され
以後、県内のコミュニティーFMでも番組を持つ。
その他、復興支援プロジェクトなど地元に根付いた活動を幅広く展開。
2016年 加美町の観光大使に就任。
Date fm 毎週火曜17時55分からの番組「音楽のまち 加美町」など
ラジオやイベントを通して加美町の魅力を発信。
2018年 再びDate fm 毎週月曜20時から生放送番組「とび出せ 中村くん!!」がスタート。
2019年 サウンドロゴを担当した「うまい鮨勘」のラジオCMが仙台広告賞 大賞を受賞。
また、4月より Date fm 毎週月曜〜木曜13時半からの新番組「RAD~Radio All Day~」のMCを担当。
音楽活動と並行して、パーソナリティ・ナレーターとしても活躍している。
2019年 初の全国リリースとなるニューアルバム『Naturally』を2019年4月17日にリリース。
中村マサトシ公式サイト