はてなキーワード: 虐待とは
その一方でいじめられているかわいそうな男子児童が何を言わなくても助けるべきなのに、何もしないブラック労働の教員や女にはキレるような男がネットではマジョリティだから
慈善ボランティアとかではなくインフラ企業の社員という地位や肩書や待遇で特権を享受しいい思いをし続けた身分なのに、客を助けないし簡単に見捨てるのが男だが、女や福祉系の弱小団体には無償の滅私奉公を求める
女や弱者を救おうとする意識がないのに、女や平民には自分が困窮してたら何も言わなくても助けてくれるパシリの役割を求めている
戦争だってお国や女子供の為に命を賭けたなんてのはほぼいないわけで
お国を笠に来て平民に威張り散らして強権的に振る舞ったり、ワンチャン手柄をお上に認められて地位や利権にありつきたい、慰安婦など自国や他国の女をあてがってもらえる、侵略先や敗戦国の女を好き放題レイプ殺戮できるという人参がたくさんぶら下がってたから、権力側に逆らえないからという理由に過ぎない
実際、戦中は町内の腰の低いおっちゃんが自警団に選ばれたら居丈高になり威張り出した、日本軍がガソリンを漁師から奪って瀬戸内海に爆弾を落として食べきれないほどの鯛を乱獲して一番いいものはお偉いさんに上納したという話は腐るほどあるからね
女衒とホストクラブが手を組んで明らかに売春でしか金を工面出来ない発達障害などの女を狙って前払いさせる商売を「文句を言う女が悪い」
自分達から地位や金や女目当てでホモ性加害暴露本や週刊誌記事が出回るような事務所な履歴書を送りしゃぶられたジャニーズの件では「未成年に大人が手を出す時点で悪い」と事務所お取り潰しで巨額の賠償請求も当然だと主張するが、虐待やネグレクト家庭や発達障害の未成年女子を金や甘言で釣って手を出すおっさんが問題視されると「女の自己選択」「まんこ二毛作」と非難する
性被害を訴える女性を見ると「一方の証言だけで鵜呑みにするな、草津冤罪を忘れるな」一点張りだが
いじめやパワハラや金や貴重品を貸して返してもらえないといった男でも被害者になりうる事件や男の性被害なら、一方の主張だけを鵜呑みにして証拠がなかったり被害者が司法や警察に訴えていなくても社会的制裁に追い込む
コーネリアス小山田が数年間仕事を干されたのもそれだが、小山田の発言からは傍観者であり実行犯は別にいたことしか読み取れない
いじめ実行側は学校を卒業した瞬間にいじめたことすら忘却してるので小山田のような舌禍は発生せず、横で見てただけの者が「昔こんなイジメがあってさあ」とイキってしまい制裁を受ける
冠を持つ神の手、サニャの村を焼くプレイしようと思ったがちょっとやり方忘れててサニャに冤罪かけて処刑するエンドになってしまった
サニャは後ろ盾も戦闘力もないか弱い子だから蹂躙するような展開が多くていいよね
今回のプレイのコンセプトは「最初は親しみを感じ愛していたが、俺には帰る場所がないのにサニャにはあるんだと実感し一転して憎悪へ」
りん‐り【倫理】
1 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「倫理にもとる行為」「倫理観」「政治倫理」
2 「倫理学」の略。
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」(以下 ゲ謎)の感想を検索すると「倫理観」という言葉が度々出てくる。この言葉を多用するのは主に腐女子。要するにBLを好む女性達である。特に水木(主人公)と沙代(ヒロイン)の関係を語る時にこの言葉が良く使われる。
ざっくり説明すると、水木はイケメン成人男性で腐女子に大人気。沙代は可愛い十代女性で腐女子に嫌われている。
ざっくりしすぎたのでもう少し詳しく説明すると、物語は昭和30年代。水木は出世を狙っているサラリーマン。沙代は取引先の社長の娘。水木は沙代の気を引き、彼女の恋心を利用して出世しようとする。実は彼女は家庭内で性的虐待に遭っており、水木に「東京へ連れ出して欲しい」と頼む。水木はこの時点で性的虐待の件を知らず、連れ出すという約束をする(が、約束を守る気は無い)。水木は性的虐待の件を知り、彼女を利用した事を後悔するが、時既に遅し。利用されていたと知って絶望した彼女に首を絞められる(が、彼女が他のキャラに殺された事によって首絞めは中断され、水木の命は助かる)。
だいぶ端折ったが、二人の関係を極力シンプルに説明するとこの通りである。更に詳しく知りたい人はAmazonプライムビデオで映画を観ると良いだろう。
見ての通り水木が沙代にした事はけっこう酷いのだが、この水木が腐女子に「倫理観がある」と絶賛されているのである。
なんで?目先の出世欲で女の子を利用した男だよ?不細工なオッサンなら確実に叩かれてるよね?イケメンなら許される?いくらなんでも甘すぎない?
腐女子曰く「水木は沙代に恋愛感情を抱かなかったから倫理観がある」そうだ。
なんじゃそりゃ?恋愛感情さえ無ければ利用しても良い?やっぱり甘すぎない?
冒頭で述べた通り、倫理とは「善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの」である。「人の真剣な気持ちを弄ぶな」というのもその一つである。これはゲ謎の中でも重要なセリフなのだが……
「人を利用してはいけない」という倫理観は彼女達には無いのだろうか。
そんな水木に甘~い腐女子が、なぜか恋愛の話題になると滅法厳しい。「水木が沙代に恋愛感情を抱いたら、彼女に手を出した虐待者と同じになる!」とまで言う。倫理の温度差が激しい。
待て待て。なんでいきなり「恋愛感情を抱く=手を出す」って前提なんだ。極端すぎる。「恋愛感情を抱く」と「手を出す」は全然違う。
もし、水木が沙代に対して多少ときめく描写があった程度で「こいつは虐待者と同じだ!」と連想してしまう人が居たとしたら、カウンセリングに行った方が良い。「おまねこ」というキャラクター名から女性器を連想した某議員のような精神状態である。
尤も、何を以てして「倫理」とするかは個人差がある。もしかしたら、腐女子は人を利用する事に関しては甘いが、恋愛や性に関しては非常に厳しい、独自の倫理観をお持ちなのかもしれない……
……と思ったが、それもどうやら違うようである。
おわかりいただけただろうか。
ネタバレだが、水木とくんずほぐれつしている白髪の男は鬼太郎の父である。父なのだから、当然母が居る。既婚者である。
独身の女の子に恋愛感情を抱くのがNGで既婚者とアナルセックスするのがOKってどんな倫理観ですか?
ご存知の通り、鬼太郎の父と言えば二頭身の「目玉おやじ」の姿である。ゲ謎は鬼太郎の父が人型から「目玉おやじ」の姿になるまでの物語である。「目玉おやじ」の姿になるのとほぼ同時に、彼の妻は死ぬ(水木しげる原作「墓場鬼太郎」と同じ)。要するに、妻が死んだ後は「目玉おやじ」の姿になっていなければ辻褄が合わない。しかし、腐女子の世界では妻だけ死んで父は人型のままである。時空が歪んでいる。
更に興味がある人は「ゲタ水」で検索してみよう。ただし自己責任で。
この「ゲタ」というのは水木しげる原作「ゲゲゲの鬼太郎 青春時代」に登場するゲタ吉の事で、鬼太郎が成長した姿である。思春期を迎えた年頃と思われる(※ゲ謎には登場しない)。
十代後半の女の子に恋愛感情を抱くのがNGで思春期の男の子とアナルセックスするのがOKってどんな倫理観ですか?
ちなみに、ゲタ水は父水よりハードなプレイをする傾向がある。らしい。理由は知らん。っていうかゲタ吉の面影が無い。原作のゲタ吉はもっと愛嬌のあるキャラクターで、こんな歌舞伎町のホストみたいなヒョロガリメンヘラではない。もはやオリキャラである。
もしかして、相手が男なら何をしても良いと思っているのだろうか?それって性差別じゃないの?せめてゲタ吉の名を借りるならヒョロガリメンヘラはやめないか。誰だそれ。
……腐女子の「倫理観」が分からない。分かる人が居るなら教えて欲しい。
「BLに倫理観を求めるな!」とお怒りかもしれないが、先に「倫理観」という言葉を出したのは腐女子なので、文句があるなら腐女子に言って頂きたい。
母親による虐待や子殺しになると必ずと言っていいほどこの手の「男女逆だったら」が沸くが、実際にはそんな事はない。
高齢精子で子供を産ませて案の定発達に問題のある娘が産まれたら安易に殺して自殺した無責任な父親に対しても、同情する声が殆どだったからな。
世論は性別は関係なく「親」に甘く、「子供」特に「障害児」に厳しいんだよ。
zenkamono 父親が娘に対して言ってたら、ここみたく「父親失格とかよく気軽に言えたもんだ」「女性は誰しもバケモノの素質があり発達障害で表に出やすくなる」なんて同情ブコメはつかず、父親を叩くブコメ一色だったろうな…
https://b.hatena.ne.jp/entry/4763799883959960992/comment/zenkamono
ただはてな民が好きそうなワードをちりばめたから、多くの人に読んで貰えるかもくらいは思ってた。
以下、気になった反応へのリプ
・早く別れた方がいい
→私もそう思います。ただ楽しいときは本当に楽しいし、相手の尊敬できる部分もあるから一概にメンヘラではないかなとも思ってる。
→まあそうですね。ただ彼女から聞く限りだと、都会の人はナンパされてワンナイトとかよくあるみたいですね。彼女の周囲もそうみたいで、私と同レベルでは?と思ってます。 あと女性からしたら性風俗ってキャバクラとか水商売の延長じゃないのですね。そこは完全に認識が違いました。
→飲んでなかったら絶対言わない内容なのでこれは全面的に私が悪い。
・ホラーじゃん
→どこらへんですか?気になるから教えて欲しい
(追記終わり)
過去に性風俗を利用した経験があることを彼女に強く拒絶されてしまい、別れるかどうか悩んでいる。
プロフィールは以下こんな感じ
私(27)
彼女(25)
付き合い初めて2年ほどになる。
先日、彼女とお酒を飲んでいるとき、彼女の友人が女性用風俗に通っているという話になった。そんな友人を彼女は肯定的に見ているようだった。
話の流れから私の性風俗経験の話になった。モテない学生だったこともあり、彼女と出会う前に一度だけ利用したことがあることを素直に話した。
彼女はスナックで勤務経験もあるらしいので、交際中じゃなければ利用したことがあっても問題ないと考えていた。彼女もそのときまでは普段と変わらない様子だった。
その次の日から彼女の態度がよそよそよしくなり、会話が激減した。理由を聞くと、「性風俗を利用したことある人は心の底から軽蔑している。あなたがそんな人だとは思わなかった。」とだけ伝えられた。
価値観は多様だし、受け入れられないならしょうがない。しかしこの半年間、働きながら彼女のケアをしてきたのに、過去の経験一つで拒絶されるなんて馬鹿みたいじゃないか。
倒れた彼女を迎えに行くため仕事を抜けることもあったし、不眠症の彼女に付き合ってこの半年はほとんど熟睡できていない。
文章で書けば、頭を整理できるかと思ったが難しいようだ。彼女に愛想を尽かしている自分と、離れたくない自分がいる。しばらくはまだ理解ある彼氏としてすり減っていくのかもしれない。
彼女の希望でペアリングを作ったばかりなのに最悪のクリスマスたなってしまった。
あのとき何で嘘をつけなかったんだろうな
欠落しているどころか完全に誤っています。
これくらいレベルが低い。公私混同を平気でやり、情に流される。
バカでしょ。
女性は劣っている。差別されて当然で、差別解消と言いながら差別を肯定しているのですから、本当にバカなんですよ。
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)
@terrakei07
2時間
「自分の身に置き換えない」のが知性であり理性なんですよね。
とみた杏理
@tomita_anri_428
自分の母親がこんな目に遭っても「同意があった」なんて思うのか?
自分の身に置き換えないでも分かるのが知性だと思ってたけど、そうじゃないんだな
自分の娘がこんな目にあっても同じこと言えんのか?
88.3万 件の表示
https://x.com/tomita_anri_428/status/1870124086191632674
とみた杏理
@tomita_anri_428
沖縄に住む人間として沖縄のことや女性の権利などを発信。沖縄生まれ沖縄育ち。大学進学から関東に10数年住んで2010年にUターン。 SFC04卒。ADHD当事者。やらない善よりやる偽善。虐待のない社会を作る。Be the change you want to see in the world.
わい医
@honmono_femi
8時間
すごいなぁ
一瞬の瞬間で勃起してるかどうか分かるらしいし、複数人で確認したらしい
しかもこれを信じてるのが2万人いるの草
真野あやみ
@runawayfromoya
滋賀医大の裁判官、AV脳だと思っているけど、事情聴取の際に女性をあらかじめお願いしていたが男性の刑事だった。
前にも書いたけど、話し終えて席を立った後、男性刑事の股間が膨れており、明らかに勃起していた。
人の性被害をなんだと思って聴いているのか?裁判官も警察もどれだけ毒されてるの?
275.6万 件の表示
真野あやみ
@runawayfromoya
DID 解離性同一性障害/ 中の人はかわります / 手帳2級 / 生活保護なのに困窮者 / 最近は棘があります / ほとんど主人格は出てこない / 性暴力を許さない撲殺したい / ネガツイあります🙇♀️性虐、性暴力、虐待の話しが多いです。
母親はデリカシー無いのと電磁波を抑えるシールを購入して家中の家電に貼っている
でも虐待は無いし学校も行かせてくれたしクリスマスや誕生日にはプレゼントくれたし、両親なりに大切にはしてくれたかなーという印象
あと、署名運動自体を刑事で取り締まったほうがいい。差別や犯罪を扇動している。
@koui_mukati
6時間
大変お見苦しい投稿の連投をお見せし大変申し訳ございませんでした。
それでもなお、司法判断に対する批判として結論の妥当性をどちらに求めるにせよ、その結論を根拠づける過程において、話題となっている署名運動は憲法・刑事法的理念に照らし警戒せざるを得ないものと考えます。
@merumeru99
9時間
滋賀医科大学で男子学生2人が性的暴行の罪に問われた事件、逆転無罪を言い渡した飯島健太郎裁判長の顔写真が全力で拡散されており、脅迫を促すポストも散見される。《推定無罪の原則に忠実な判決を下した男性裁判官》と《相手の口を塞いで黙らせようと私刑やネットリンチに走る女性》の対比がヤバい。
なる
@nalltama
4時間
そのうち裁判官の家族を拉致監禁し平和的交渉をすれば有利な判決を取れるとか言い出しそうな界隈
カワホリ
@honeyasumetai
大阪高裁の飯島健太郎裁判長への苦情は、総務省行政センターでいいのかしら?もっと有効な方法があれば有識者の方たちよろしくお願いします。 x.com/somewhere_med/…
自分の娘が嘘をついて冤罪に落とし込んでもいいというのでしょうねこの人。
女性はバカなので意見を聞くわけないじゃんか。あと裁判官が女性と言うだけで冤罪を認めろとか言っているので、マジで狂ってますね。
Ogura.H
@dli_coipchirt
15時間
証拠に基づかず、感情論で有罪判決を下す裁判官を望んでいるのですね。
とみた杏理
@tomita_anri_428
自分の母親がこんな目に遭っても「同意があった」なんて思うのか?
自分の身に置き換えないでも分かるのが知性だと思ってたけど、そうじゃないんだな
自分の娘がこんな目にあっても同じこと言えんのか?
47.7万 件の表示
とみた杏理
@tomita_anri_428
沖縄に住む人間として沖縄のことや女性の権利などを発信。沖縄生まれ沖縄育ち。大学進学から関東に10数年住んで2010年にUターン。 SFC04卒。ADHD当事者。やらない善よりやる偽善。虐待のない社会を作る。Be the change you want to see in the world.
もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。
この家に育って何が起きたか。
それは認めるし、親としては感謝している。
だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。
少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。
また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。
自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。
私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。
大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。
私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。
食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。
母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。
別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。
こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。
極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。
ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。
私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。
それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。
しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。
母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。
私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。
なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。
そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。
両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。
両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。
だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。
「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。
だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。
そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。
私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。
場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。
SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。
人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
こんにちは。私自身過去に虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています。不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタにしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますとハッピーです。自分の経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。
受けたものとしては経済的虐待(ネグレクト)、教育・文化的虐待、精神・肉体的虐待、性的虐待などが挙げられます。
順番に思い出しながら書いていきます。
基本的なスペックとしては母は軽度のASDと知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気とフルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。
ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~
父は気付けばいなくなっていました。
食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック派(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。
食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日から「ゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん
教育・文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)
精神的虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚が形成されたのはこれがデカいのかな?と思います。自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。
また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。
これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家にいたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています。
あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニスのテニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器や凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。
兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父が必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。
母もただ大人しいかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害やASDの兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所と相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業の事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業で全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族が引っ越してあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家は祖父母の家であり、そんな権限は家庭内地位が最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。
母の言い出すことはいつだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。
そして我が家は貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車はブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒しヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。
未だに自転車のブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。
ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね。
メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)
いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心ついたころ(4歳とかぐらい?)から、父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キスを強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体は自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。
肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます。
決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。
ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。
キッショ。
小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。
そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからないから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHOの臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめから私のものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神が身体から乖離しているような。
ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境でレイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。
非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。
あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶だけがはっきり残っています。
あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。
お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります。
母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。
酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います。
首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。
或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつで必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。
首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います。
正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきます。ピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます。
首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。
首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。
ネックレスも物によっては無理なレベル。チョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。
性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的なものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。
下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分の身体の異端さを感じる時があります。ガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。
反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれた記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下もあんまり得意じゃないかも!こわい!
これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識で性的な行為に依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分を大事にできない。自分を守れない。
長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。
一回目のは本当に運と間が悪かったと思う。敢えて言えば不景気も悪かった。
事務職で就職したベンチャー企業が今で言う反社のフロント企業ってヤツ。
内心後ろ暗い商売してるな…って思いつつ、不景気だったし、すぐに退職も出来ず
上司らの言われるがままズルズル仕事していたら、ある日会社に捜査が入って逮捕された。
そこでも取り調べした人に「正直に白状したら執行猶予になるよ」騙されて
言われるがままに全部喋ったら、会社がやってた詐欺紛いの商売や資金ロンダリングの共犯って事にされて、執行猶予無しの実刑。
二回目は、刑務所の中で知り合った人と一緒に出所後に仕事を始めたんだけど、それが今で言うマルチ商法でデート商法的な商売。
内心ちょっと合法では無いかも…?と思ってたけど、知人の絶対合法!という言葉と、まだ若かった(20代)だったのもあってやってしまった。
しばらく荒稼ぎしてウハウハだったんだけど、これも詐欺で訴えられて、前科の事も影響したのかまた実刑を食らった。
さすがに懲りたので、再度の出所後は普通に働いて暮らし、そこで出会った旦那と結婚し、今では普通に主婦をしている。
旦那には前科の事も全部正直に話して、それでも受け入れて貰えている。
時は経ち子どもも生まれ、大きくなり、進路を考える時期になったのだけれども、進路の一つに公務員があり
その中には警察官も含まれていて…内心「無理だろうなぁ」と思ってしまった。
警察に限らず、公務員の様なちゃんとした所なら親の経歴だって調べるだろうし、そうなると確実に私の前科は出てくると思う。
私自身はオープンにはしていないものの特にひた隠しにする訳でも無いというスタンスで
マエを知ってる友人・知人達の間ではゼンカモンならぬゼンカママwって感じでネタにしてるぐらいだけど
いざ自分の子どもの進路に影響する可能性が高いとなると、本当に申し訳ないしけれど謝罪した所でどうにもなる訳でも無いのが辛い。
Youtubeなんかで毒親関連のエピソードなんか聞くと、寧ろ進路問題に関しては、自分自身が完全に毒親になってしまっている。
子どもに申し訳なくて仕方が無い。これで自分も毒親育ちだった…とか言ったら、まだ同情されるかも知れないけど
両親は残念ながら普通の良い人達で、さすがに逮捕されて実刑食らった時は説教されたけど、弁護士の手配から差し入れも定期的にしててくれたし
二回目の実刑の時も殴られたけど、一応許してくれて、二回目の出所後から結婚するまでは実家に置いてくれていた。
他の兄弟(兄・弟)も、ちゃんとした仕事してて普通に生きていて、弟は私の逮捕が影響したらしく仕事も変わっているけど
疎遠にはなっているももの直接文句を言われた事は無い。両親も、兄からも、逮捕された事自体は凄く怒られたけど、即絶縁とか、虐待されたとかも無い。
我ながら情けない親、いや人間で、悲しい…
自分の人生を認めてほしいのはわかるけどいくらうまく伝えたところで「お前が毒親かどうかジャッジしてやろうと思ったけどまあ多少いい時もあるわな」という内容なわけだろう。そりゃ母親としては嫌だしキレるだろ。増田と違って悩んでるわけでもカウンセリングにもかかってないのに認めるわけない。
母親が増田に精神的虐待をしていたのはもちろん悪いことだけど、だからといってわざわざ相手の気持ちを無視して批判しにいって傷つけて怒らせてまた傷つけられました〜とやるのは相手を刺しにいったそのナイフで自分の手も切れて血まみれ、みたいな感じに見える。他害を伴う自傷行為というか。
増田がするべきなのは夫とか会社の人とか自分のことを認めてくれている人やカウンセラーと関わり続けて自分の心を、小さな頃から耐え続けてきた自分のことを自分自身でちょっとずつ認めてやることであって、絶対認めてくれない母親に芽生えかけた自尊心をまたぽっきり折られることではないはず。
ゴールは明確なんだよ。そんな母親もう縁切ろうと思えるか、距離は置くけど1年に1回くらいは家に帰って自分の話はせずに母親の話を適当に聞き流してやるかと思えるか、とにかくそんな心のゆとりを持った状態だと思う。今みたいに自分のことを話したくなるうちはできれば会わないほうがいいんじゃないか。
今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。
こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。
不快な思いをしながら、適当な言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。
その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。
ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。
私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般のラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるもののハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしなバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。
私は地方の田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。
きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶はほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。
その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧な記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観の人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。
母親は専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型を強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまったことがあるが、あなたのパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。
そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日が不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。
そんな親の元過ごした小学生や中学生の時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親のイライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。
一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだからと我慢させられた経験は山ほどある。
中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代。いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間で思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身の性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。
以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。
高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。
こんな得体のしれない高卒の人間を総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇で仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。
このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からのメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装・髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省を自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったことから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位で時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。
このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調な株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。
こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分が過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティは迫害の対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係が希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能な日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式をポジティブに主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。
ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分からず対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育で犯罪に走ってしまう子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省もキャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代は覚悟さえできればスマホでポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタルは悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿げたことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論。未来の自分や他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧な関係を終わらせようと思う。
10年前、友達と親の愚痴の話になったとき、あんたのお母さんは毒親だよね、と言われた。
家に帰ってから、毒親をネットで調べた。確かに、うちの親はこんな感じ、と思った。
けれど、すぐに「そうだ」とは思えなかった。そのときはまだ、親に感謝していたし、親のことを好きだった。
確かに暴言を言われたり、理不尽な扱いを受けたこともある。でも、愛情は感じていた。
うちは愛があるから、違うもんね!
――その瞬間はそう思ったけれど、ここから10年をかけて、わたしは「自分の親は、毒親なのか?」という疑問に囚われていくことになる。
美大には自分よりはるかに上手な人たちがたくさんいたが、技術よりもなによりも、マインドの違いに違和感を感じていった。
段々と、あ、自分って『絵を描いて褒められることが好き』なのであって、描きたいものとか、ないんだな。と気づいた。
思えば昔から、人並み外れたおっちょこちょいで(注意欠陥)、ミスを連発。
そのたびにお母さんはヒステリックに叫んだり「この出来損ない!」と怒鳴り散らしたりしていた。ブス、バカ、デブなどの暴言に加え、生まれつきの病気のことまで責められた。
3歳年上の姉は優秀だった。母は明らかに姉の方をかわいがっており、わたしが保育園の頃から「離婚したら、わたしはお姉ちゃんと暮らすからあんたはお父さんについていきなさいね」と言われていた。
なにか描けば褒めてもらえるので、こんなに割の良いことはなく、暇さえあれば絵を描くようになっていった。
保育園の先生や友達、友達のお母さん、学校の先生。まわりはすごく褒めてくれるのに、お母さんはほとんど褒めてくれなかった。
「なんだか大胆さのない小さな絵で、あんたのヒクツな性格が出てる」とか「子供らしくない面白くない絵」などと言われた。
でも、お母さんに褒めてもらいたいという気持ちは常にあった。
ある程度大きくなると、もうこの母は褒めてくれないものなんだと諦めていた。
「小五です!」などとわざわざ書き添えてインターネットに絵を載せて、優しい人たちから「小五の絵には見えません!」とか言われて鼻高々になっていた。
次第に、「より褒められそうな絵」を求めるようになった。パース、明暗、色彩など、もともとの画力より「なんかすごい風」に見える小手先のテクニックを駆使した絵ばかり描くようになった。
賞は、過去の受賞作の傾向を見てそれらしいものを描けばもらえる。簡単だなぁと思った。
そんなことをしていたから、本当の画力(デッサン力)も、絵描きとしてのマインドも、何も育たなかった。
学校に通って絵を描きながら、あーお母さんのせいでわたしって自己肯定感ないのか、やっと気づいたわ、やっぱうちのお母さんて毒親? と考え続けていた。
就活の頃になると、母が「お金がかかったんだから少しでも給料の良い会社に入って学費を返せ」と言うので、全く希望していない業界だったがゲーム会社に入った。
わたしの絵を見て会社の人がスカウトしに来たのだ。初任給は諸手当込みで30万円以上だった。
さすがにこの給与はすごいだろ、お母さんもよくやった!と言うだろう……そう思いながら伝えたら、開口一番ため息をついて、
「お金じゃないでしょう? 仕事は誇れる仕事かどうかで選ばなきゃ。ゲームなんて、くっだらない。そんなことのために美大に行かせたのか」と呆れ声で言われた。
思い悩んだわたしは教授に相談したが、「え? 就活にどうしてお母さんが出てくるの? 君んちは変だよ」とハッキリ言われた。
他の学生は、誰一人として、親の顔色を伺って就活したりしていなかったのだ。
なにせわたしは褒められたくてしかたない人間だから、給料がどうとか考えもせず馬車馬のように働いた。それしか自分には価値がないと思っていたから。
でも、浪費がやめられず、貯金はほぼ0だった。
就活事件から、親にお金を返す気持ちになれず、「東京で暮らすのってお金がかかるの」などと言ってごまかし、全て自分のために使った。
お母さんに学費を返さなきゃ、と思えば思うほどよくわからないことに散財しまくって、お金を消してしまった。
この頃、ADHDのテストを受けた。自分のおっちょこちょいに名前がついたのが嬉しくて、母に誤解がないよう慎重に伝えたが、「あんたはだらしないだけだ」「この障害者!」などと罵倒された。
仕事がうまくいっていても、ずっとなにかが満たされないと思っていた。
そうだ、お母さんに褒められていない。そう気づき、数年ぶりに仕事以外で絵を描いた。
自分の画力の低さに苦しみながらも、最終的にはそこそこモノになったのでコンクールに出した。
その絵を母に見せると、「久しぶりに描いたんだね」などと言われるぐらいで、褒められなかった。やっぱりわたしはダメなんだと、かなり落ち込んだ。
すると母は、周囲の人にわたしの絵を勝手に見せびらかすようになった。
「わたしがあなたの、世界一のファンだからね」などとLINEしてきた。
心底腹がたった。この件から、もう二度と絵なんか描くかと思った。
せっかく入賞したのに、嬉しいという気持ちを持つこともなく展示も終わってしまった。
母とはいろいろあった。全部書いていると、ハリーポッターぐらいの長さになってしまう。
母を殺そうと企てたり、死ね!と思うようなことは全くないが、「この先老いて母が死んだら、自分は悲しめるか」と考えるようになった。今のところ、自信がない。
まあそういう悩みは直面したときに処理すればいいとして、直近で困っていることがあった。
「子どもがほしい」と、全く思えないことだ。
そのことで、カウンセリングに通うようになった。
初回のカウンセリングで、影響としてたぶん親のことがあって〜、うちの親って毒親って言うほどひどくはないんですけど〜、感情のコントロールが出来ない人っていうか〜! などとヘラヘラ笑ってごまかしながら、これまでに親にされて嫌だったこと、言われて傷ついたことなどを話した。
すると、カウンセラーはわたしのヘラヘラ笑いに少しも付き合わず、真顔で「それは精神的虐待と言います」と言った。
子どもをほしくないと思う理由は話せますか? と聞かれたので、
「ちゃんと育てる経済力や精神成熟がないのなら産むなよって思うから」
などと思いつくまま話すと、それはあなたが子供の頃に満たされなかったからですよ。そう思いながら大人になったからです、と。
気がついたら、「わたしは絵の仕事をしているのですが、絵を描くことが好きじゃなくて」と全く関係のないことを話しはじめていた。
「絵を描くことしかできなかったから、仕方なくそういう仕事についた、っていう感覚なんです」と話すと、
「でも、仕方なく描いたからって賞を取ったり、美大に進学したり、大手のゲーム会社に就職、出世したりと、誰にでもできることではありませんよね? すごいことですよ」と言われた。
びっくりした。考えたこともなかった。
家に帰ってすぐ、夫に「わたしってすごいの!?」と話したら、当たり前だろという顔で「そうに決まってるじゃん」と言われた。
そこで、いかに、わたしにとって「お母さんに褒められる」以外のことが無価値であったのか気付かされた。
毒親という言葉を知ってから、母に罵倒されると「この発言……やっぱりうちのお母さんは毒親だ」などと、心のなかでジャッジをするようになった。
自分の中で恨みが強くなり、母のイメージが悪くなっているだけではないか? と思い悩み、わざわざジャッジのために実家に帰ったことすらあった。
そのときは手土産にシャインマスカットを買っていって、「こんな贅沢なもの、食べる気がしない」とニコリともせず突き返されたり、わたしが頼まれたことを忘れると「発・達・障・害だもんね^^」と煽られ、ゴミを置きっぱなしにしているとこれをテメェの会社に郵送してやるからな! と噴火山のように怒鳴り散らしながら会社に送る段ボールにねじ込まれ、なぜこんな人がわたしの親なのだろう? と、泣きながら帰った。
これでさすがに毒親ジャッジが終わったかと思ったが、そのあと姉を通じて謝罪を受けたり、仕送りをもらったりして、またジャッジに自信が持てなくなった。
ますます、四六時中過去のことを反芻しながら「毒親ジャッジ」し続けるようになった。
毒親の体験本なんかを読んでいると、ここまでひどくないんじゃないか? と思ってしまうので、誰か答えをくれ、といつも思っていた。
正直今でも続いていることだが、本当に時間の無駄、人生の無駄である。
会社に入ったとき、社員はどんな死因であっても、死亡した場合1千万円の弔慰金を支給するという説明を受けた。
わたしは自分に1千万円の価値がついたのだと勘違いし、ものすごく嬉しくて母に電話した。
「わたしが死んだら1千万円もらえるんだよ! やったね!」と本気で喜んで伝えたら、「死んだらやだよ。1千万円なんかよりあんたが生きてることのほうが大事だよ」と言われた。
そのとき、母はわたしのことを本当は愛してくれているんだと実感した。
その他にも、整体に通いたいけど1回1万円ぐらいするからなかなかいけないと話すと50万円振り込んでくれたこともあった。
愛されていないのだ、と悲しくなることばかりではない。母の愛を感じることもある。このときの、1千万円なんかより〜という母の言葉を忘れることはないだろう。
この言葉を思い出せる限り、母のことを「毒親」とジャッジすることは難しいのではないかと感じている。
子供の頃、友達の家に無断で遊びに行ったときも「警察に行くところだった」と泣いて抱きしめられたこともある。そんな母を、「毒親だ」と言って縁を切ることは、わたしにはできないかもしれない。
(このようなエピソードは、カウンセラーや友人に『母親として当たり前のことなのだから必要以上に感謝しなくていい』と一蹴されてしまうが)。
その中で、「お母さんは、わたしのこと好き?」と娘が問い、母が「お前はどうなんだい。好きなときも、嫌いなときもあるだろう?」と問うくだりがある。
それを読んだとき、わたしは衝撃を受けた。どんな罵倒をされても、お母さんのことは好きでなくちゃいけないんだと思っていたのだ。
最近親のことばかり考えていたらこの本のことを思い出して、購入した。このダイアリーを書き終えたら、20年ぶりに読むつもりだ。
好きなときもあるし、嫌いなときもある。毒親という名がつくかどうかは、もはやどうでもいいことだ。
人間だから、母でも、機嫌のいいときもあれば悪いときもあるだろう。それを『毒親』という言葉で一括りにできたら、楽になれるのかもしれないが、そう簡単にジャッジはできない。
ジャッジしている時間が、無駄すぎる。もう、このダイアリーを機にやめたいのだ。
今度、そんな話を母にしにいこうと思っている。
今更あの人の性格は変わらないし、逆ギレされて怒鳴り散らされて、最悪殴られるかもしれない。
わたしはどうせ恐怖で涙を流すだろうけど、それでも言いたい。
男性向けの性欲を解消させるコンテンツや店はとても多いが、女性向けは男性と比べるとかなり少ない。
だから女性には男性の「性衝動に支配される」感覚はわからない。
逆に男性は女性の「性もそこまで支配されない感覚」もわからない。
これほどまでに男性による痴漢や覗きなどの犯罪があり、不同意で女性を襲う事件があるが、男性は比較的そう言う事件も寛容で、女性は「ありえないちょん切ったほうがいい」となる。
日本に住む女性は常に、痴漢や盗撮、変な人が後をつけてくる…などの犯罪を警戒していること、男性の感覚だとわからないと思う。
でも逆に男性の持つ性欲の感覚も女性はわからないので、なぜ我慢できないかがわからない。
あと、男性は性的なものが「気持ちいい」だけでできてる気がするが、女性は痛いとしんどいとかそう言う気持ちもかなり強い。
AVや風俗で女性が気持ち良さそうな演技をしているから勘違いしやすいが、実際は摩擦とか痛いし、手でいじられても痛いし、そおっしてくれないと痛い。
はっきり言って男性側の気持ち良さと女性側の苦痛は相入れないと思う…(だから男性は不同意で性交してるのに、「相手も気持ちよかったはず」と思い込む傾向にあるのだろう。)
後女性は男性の暴力を怖いと思っているし敵わないと思っているので、怒らせたり、抵抗を強くしたりができないことが多い。それを「抵抗しないから同意」と思う男性とギャップがある。
男性は性交できれば正直誰でも…的な感覚におちいるというが、女性はそれはかなりありえない。女性で誰でも…となる人は、子供の頃から虐待を受けてるとか、愛情不足だったりとかでメンタルが正常じゃない人だけだ。
女性向け漫画で性描写があるものも増えたが、漫画に書かれているほど気持ちいいものではないと実際に体験した女性なら思うだろう。
男性向けの性欲を解消させるコンテンツや店はとても多いが、女性向けは男性と比べるとかなり少ない。
だから女性には男性の「性衝動に支配される」感覚はわからない。
逆に男性は女性の「性もそこまで支配されない感覚」もわからない。
これほどまでに男性による痴漢や覗きなどの犯罪があり、不同意で女性を襲う事件があるが、男性は比較的そう言う事件も関東で、女性は「ありえないちょん切ったほうがいい」となる。
日本に住む女性は常に、痴漢や盗撮、変な人が後をつけてくる…などの犯罪を警戒していること、男性の感覚だとわからないと思う。
でも逆に男性の持つ性欲の感覚も女性はわからないのでなぜ我慢できないかがわからない。
あと、男性は性的なものが気持ちいいだけでできてる気がするが、女性は痛いとしんどいとかそう言う気持ちもある。
AVや風俗で気持ち良さそうな演技をしているから勘違いしやすいが、実際は摩擦とか痛いし、手でいじられても痛いし、そおっしてくれないと痛い。
はっきり言って男性側の気持ち良さと女性側の苦痛は相入れないと思う…(だから男性は不同意で性交してるのに、「相手も気持ちよかったはず」と思い込む傾向にあるのだろう。)
後女性は男性の暴力を怖いと思っているし敵わないと思っているので、怒らせたり、抵抗を強くしたりができないことが多い。それを「抵抗しないから同意」と思う男性とギャップがある。
男性は性交できれば正直誰でも…的な感覚におちいるというが、女性はそれはかなりありえない。女性で誰でも…となるひとは、子供の頃から虐待を受けてるとか、愛情不足だったりとかでメンタルが正常じゃない人だけだ。
女性向け漫画で性描写があるものも増えたが、漫画に書かれているほど気持ちいいものではないと実際に体験した女性なら思うだろう。