2011年3月11日の東日本大震災から4ヶ月。復興に向けて動き出した日本には、大きな問題が残ってしまった。原子力発電所。高円寺や渋谷等では大規模な反原発デモが行われ、ライヴ・ハウスでも、原発反対の言葉が多く聞かれる。人々が原発について考えるようになったのは素晴らしいこと。けれど「原発反対! 」の言葉を発するだけでは、何も変わらない。「絶対安全」だったはずの原発で、メルト・ダウンは実際に起こった。放射能に汚染された大地をどうすればいいのか、手探りの努力が続く。原発問題も、復興も今からなのに、既に時間が経つにつれて、行動を続けるものと、止めてしまうものに別れてしまったようにも感じる。我々は新しい未来を作らなければいけない。
このコーナーでは、『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかを、インタビューで紹介する。ここに出てくる人たちは、行動を続けることを選んだもの達だ。「原発反対! 」の言葉を発した後、どのような行動を行うか、一人一人の胸に迫っていくだろう。
(インタビュー : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) 文 : 水嶋美和)
『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』第一回 : 大友良英
――『SWITCH』の「世界を変えた3日間、それぞれの記録 2011.3.11-13」に掲載されていた大友さんの記事、読みました。
最初はみんな慌ててるだけだもんね。オレもそうでした。
――あそこから福島の原発事故に対してリアリティを感じ始めたのはいつ頃ですか?
感じたのは初日だよ。福島出身だから当然あそこに原発があるのは知っていたし、どう考えたってやばいはずなのに報道は何も言わないし、もしかして大丈夫なのかなとも思った。でもいくらなんでもここまで酷いとは思わなかったね。海外のメディアが大げさに騒いでて、日本はどうせその逆だからその間をとればいいくらいに思っていたけど、そんな話じゃなかった。海外の報道の方が正しかったわけで、僕らはやはり麻痺してたんだね。
――大友さんのご実家は福島のどちらですか?
福島市。
――そこは避難指示区域内ですか?
全然違いますよ。福島市や郡山市、二本松市あたりの中通りと言われてる地域の多くの場所で、チェルノブイリで言えば避難勧告でてもおかしくない線量を示しているのに、行政からは完全に放置されている地域です。本当はすぐに対策を練るべきです。今僕の実家があるあたりは放射能値は福島市内にしてはそれほど高くない。とはいえ高いですよ。でも、同じ市内でも僕が育った渡利の方はちょっとびっくりするくらい高い。避難指示だしたほうがいい地区、福島市にもあると思うんですけどね。でも国も行政もまったく動いてくれない。
――大友さんは実際に行かれたんですよね。福島市の街の現状はどんな感じですか?
最初に行ったのは震災の一カ月後です。それ以前はガソリンもないし食料も少なかったんでオレが行っても足手まといになるだけだと思って行かなかった。当時は壊れた部分はもうだいぶ直っていて、見た目には気持ち悪いぐらいにいつもと変わらない。山も川も空も自然は素敵なままで、線量計持ってないと何の問題があるのかまったくわからない。だから厄介なんですよ。目に見えないし何も感じないから。でも実際に福島で今起こってるのは、本当に痛ましいくらいの出来事で、家族は離散し、そこに残った人達も不安と絶望に苛まれ、もしかしたらこのままでは健康被害も出かねない。なのに行政による対策がほとんどなされてない。ほとんど放置と言っていい状態です。これって本当に非人道的な事態だとわたしははっきり言いたい。
――最近、僕もイベント(津田大介主宰のセブンイレブンいわき豊間店で行われた『SHARE FUKUSHIMA』)でいわき市まで行って、そこで現地の人から聞いた話なんですけど、あっちの方は避難区域から避難した人で人口が増えて、夜の街は割と元気になってきているそうですね。
素朴な気持ちとしては元気って聞くだけで良かったと思うんだけど、根本的な問題が解決していないからね。大変なのはこれから。
――根本的な問題とは、具体的には何ですか?
放射能の中で、自分たちにも他人にも健康被害を出さないようどう生きてくかをちゃんと考えて、放射能をこれ以上拡散させずに除去していくことと、こんな事故を二度と起こさない世の中をつくること。大き過ぎる課題だけど、その二つだと思うな。それが「反原発」という言葉に集約されてしまっていいのかどうか、オレはわからない。その言葉を掲げ出すと思考が止まっちゃう気がするんだけどね。「脱原発」も「原発推進」も、どれも非常にシンプルな言葉で分かりやすくて元気がいいじゃない。まあ、それでも被災してない地域はそれでいいけど、現実に放射線の被害に直面している人達にとっては、実際に目の前で戦争が起こってるのと同じわけですから、まずはそこで生命を大切にしつつどう生きて行くかというのが問題なんです。それに根本的には原発だけの問題じゃない。既に世界中に原発がたくさんあって、解決するなら、そういうものに依存してきた世の中のシステム自体を変えていかなきゃいけない。それは何世代にもわたってみんなで考えていかなきゃいけない問題で、だからもちろん最初は威勢のいい掛け声は必要だけど、それ以上に具体的に変えて行くための継続する体力と地道な思考が必要なんだと思う。福島はまだそんな段階じゃなくて、とにかく人々は傷ついている状態だから、その怪我をどうするか早急に考えて、まずは生きて行くためのスタート地点に立たなくてはいけない。これがさせてもらえてないんですよ。すぐに動かなくては内部被曝という形で被害が拡大しかねないのに、とりわけそれは子供達に大きな被害を出しかねないことなのに、国や行政がそのことに全然危機感もってないようにしか見えない。個人で動くには限界がある大きな問題を前に挫けそうになりますよ。そんな中でやってくためにも、僕らは栄養のある物を食べて素敵な音楽を聴いて身も心も体力をつけないと。瞬発力だけではやれないことがあって、僕らははそれをやろうとしている訳だから。早急にやるべきことと同時に、長期戦に向けて動き始めてなくては。でもまずは何より国や行政が本当に危機感を持って動いてくれないと本当に解決しないし、被害が福島以外にも広がっちゃいますよ、このままだと。
――Sense of Wonderでお会いした時も言ってましたよね。一生捧げるって。
捧げるって言い方したかな。それはちょっと大げさだけど、残りの人生はこれに多くを費やすことになると思う。一生かかる問題だと思うし、オレの代だけじゃ済まない問題ですよ。正直上の世代にオレ文句言ってやりたいですよ。とりわけ団塊の世代より上の人達には大きな責任あると思います。僕らはバブルの後処理をさせられた世代で、また尻拭いかよって思うけど、自分も含めてある年齢以上の人間がつくって来た世の中がしでかしたことですから。若い世代にしてみれば自分たちに全く責任の無い問題を今後処理していかなくちゃいけないわけで、それを考えると、せめて今生きてる僕らがなんとかしてかなくちゃって切実に思う。ただね、責任者を吊るしあげたいんじゃない。それは他の誰かがやってくれればいい。文句も実際にはたまにしか言いません。そんな時間があったら実際に福島で生活している人達と何が出来るかを優先して考えたい。早急にはそこなんだから。
――原発反対の声を上げる人も居れば、推進派の人も居るし、黙ってしまう人も居る。色んな立場の人が居る中で、大友さんが選んだのは福島で行動を起こすことなんですね。
いや、福島だけじゃないですよ。福島だけの問題じゃないし。東京でも関西でも、海外でも動きます。でも私がやるのは「反」とか「推進」といった主張をすることじゃない。福島を行き来する中で思ったのは、今自分が早急にやるべきは、放射能の被害をこれ以上広げないことと、そのためにも福島の人達とこの過酷な現実をどう正面から受けて動くかを一緒に考えること、そして福島でなにが起こってるかを伝える回路をつくることだと思ったんです。主義の問題ではなく、現実を把握し伝えることと、対策を練りそれを伝え実行していくこと。これをやるだけでいっぱいいっぱいです。もちろんデモでも反対運動でも東京とか関西の人はどんどんやればいい。でもオレは福島出身で否応なく直接的にこの問題に関わってしまっているから、とにかく被害をこれ以上出さないために動くしかない。今なら被害を最小限に食い止められる可能性あるわけですから。具体的な知識や対策は勉強しながらですが、文化を作っている人間として発言し行動して行く責任を感じてるんです。
――大友さんは8月15日の「FUKUSHIMA!」をやって、その先に見ているものは福島の人たちの笑顔?
質問の意味がよくわからないけど、単に福島の人だけに向けている訳じゃないですよ。東京にも放射能は量は少ないけど降っているし、関東の農家の人達も自分の作物から放射能が出ないか内心びくびくしてると思うんだよね。ただ今は福島が突出して酷い状況になっているから、まずは福島で起こってることに僕らはどう立ち向かっていくのか。実際に3月15日に福島にいた人達は内部被曝をある程度してる可能性高いでしょ。だとすると子供たちの被害を特に考えなくてはならない。将来癌や身体に何か症状が出てからでは遅いですから。それに、被曝だけでなく、こんな恐怖を味わい続けてるだけでも十分被害は受けているわけで、だからこれ以上被害を広めないためにも、僕らはこの問題を考え続けないといけないんです。「FUKUSHIMA!」でやりたいのはこの問題意識を皆で共有して、みなで考えて行こうという提案だと思ってください。もちろん音楽イベントですから笑顔が生まれるのは嬉しい。笑いたいですよ、皆で。でも僕らは戦時下にいるんです。決して平和な日常の中にいるわけじゃない。そんな中のフェスなんです。
――今、大友さんに光は見えていますか?
最初の方は本当に何も見えなくて真っ暗でした。本当に落ち込んだ。でも、今はちょっと光が見えて来た感じがしてます。そのきっかけは、NHKで「ネットワークでつくる放射能汚染地図」という番組を作った放射線衛生学の科学者、木村真三先生に会ったことです。彼は隠蔽しようとする厚生労働省に辞表を突きつけて、事故後直ちに現地に入って実態調査をはじめたんです。そんな人がいるという事実がまずは希望でした。彼らのチームが調査をしNHKで事実を公表してくれたおかげで、僕らははじめてスタート地点にたてたんです。たしかにその事実は福島の人間には厳しい内容でした。でも安全だと言われ続けるよりも、ただ無闇に危険だとネットやテレビの安全な場所から言われるよりも、実際に命がけで現地に入り実態調査をもとに被害を出さないための対策を住民の身になって考えてくれる科学者が一人でも二人でもいてくれたことが大きな希望でした。その上僕らのプロジェクトにも賛同してくれてフェス会場の線量検査から様々な勉強会まで引き受けてくれたんですから、本当に嬉しかったし、これで具体的動けるって思いました。なにより心強く思ったのは彼がチェルノブイリの被害を食い止める研究を専門にしていたってことです。福島の20年後30年後はチェルノブイリの今なわけですから、そのことを一番知ってる人とともに対策を練れるというのは本当に暗闇に照らす光なんです。
――「FUKUSHIMA!」をやる上で、気付いたことやわかったことはありますか?
あるある。いっぱいありすぎて言い切れないですよ。そもそも最初やるって決めた時に放射能のことをここまでやっかいだとは思わなかったし、原発ってのがどんなものなのかもちゃんとは知らなかった。そんな程度の知識でした。はじめる中で賛否の声が出て来て、実際に勉強して行く中で知ったことだらけなんです。賛同には、放射能の問題にふれずに「福島が元気になっているのを見てほしい」「風評被害をこれで飛ばしたい」みたいなものもあったけど、そういうのは全く賛同できないし、そもそも福島元気じゃないし、被害は風評だけじゃないですから、そういう手の行政がやりがちな隠蔽が一番よくないなって思います。この種の隠蔽が風評被害を生む訳ですから。本当に風評被害を防ぎたいなら、正確な情報を出し、正確な知識を与えることしかないとオレは思ってます。そうやって本当の被害を最小限に止めることが本当の意味での不評被害対策だと思うんです。逆に「福島に人を呼ぶべきじゃないない」って言う人の意見も沢山ありました。最初はそっちのほうが正しいのではとも思いましたよ。それどころか「福島からすぐ逃げるべきだ」って意見の人ももちろんいて、実際にある地域はそのとおりだと思うんです。でも全域が住めないほど汚染されてるわけではない。福島という行政区分だけでなにかをするにはこの被害は無理があるんです。実際放射能はまだら状に広がってますから。だからあらたな汚染地図をつくることが必要なんです。これなしにただ逃げろとか安全だとか言ってもはじまらない。それだけじゃなく、社会的な困難もあります。簡単には地域から出ることできないんですよ。様々な事情で避難出来ずにそこで住んでいる人のことを考えると、そうした一見科学的に見える正論だけで問題は解決しないなって思ったんです。重要なのは正確な情報をまずは得た上で、どう対策していくかです。ネットで調べた知識で、遠くから逃げろっていわれてもそれがいくら正論だとしても人は動かないですよ。でも、そうしたいろんな意見を頭から否定するんじゃなくて、一個一個丁寧に考えていくのが大切だなと思いました。事実、少なくとも福島市のフェス会場周辺の西側は、気をつければ生きて行けるレベルだと僕らは判断したんです。でも「FUKUSHIMA!」をやるにあたって、万が一この先今以上に危険な人が住めないような放射線量が出てしまったら、迷わずにきっぱりと中止するつもりです。そういう勇気をもちたいですし、もし線量が多少あがったとしても対策を練ればいけるならその方法を最後まで考える。今福島で生きるってのはそういうことだと思うんです。とにかく隠蔽したり安全だってごまかさずに、僕らが国に対して不審に思ったことと同じことを繰り返さないようにフェス開催のプロセスをみせつつやっていくことが大切だなって思ったんです。
――放射線に対する対策っていうのは?
芝生を刈ったりビニール・シートを敷けば放射線量は結構落ちるんです。実際に会場の芝生は定期的に刈ってますし、舗装部分に流れ出た土は掃除除染する予定です。ただビニール・シートは夏の暑い中芝生を腐らせてしまうし、気温も上げて現実的ではないので、風呂敷をみなで敷く大風呂敷プロジェクトをフェスのオープン前にやろうと思ってます。風呂敷でも充分に対策になるそうです。念のため言っておきたいのは、あくまでも念をいれたいということで、風呂敷を敷かなければフェスは出来ないというほどの線量ではないとわたしは考えてますよ。
――舞ってるんじゃなくて、積もってるってことですか?
そう。雨に当たるとまずいとかみんなすごく誤解してるけど、4月以降の雨にはヨウ素やセシウムはほとんど入ってない。この間会場に行って放射線を調べたんだけど、あるのは原発からやってきたセシウムと元々自然の中にあるカリウム。それもほとんどは地面にあるものです。ヨウ素がないってことは現時点では降り続けていないという事なんです。福島市内も微量ではあるけど線量は下がってきているし、空気中にセシウムが舞ってるわけじゃないから風の強い日以外はマスクは必要ないと思ってる。気をつけなきゃいけないのは、今後食品や飲料という形で体にはいってしまう内部被曝のほうです。こちらのほうが恐ろしいし、これは福島だけの問題じゃなく、本当に今真剣に対策を練らないと全国に放射線を拡散することになります。
――「FUKUSHIMA!」と現地の人との距離感はどんな感じですか?
正直現時点では全然わかりません。ただメンバーの半分は地元の人なんです。一番やっちゃいけないのは、地元を置いていって東京から元気な人が来て正論をぶちまけていくみたいなことにしてはいけないなってことです。この過酷な現実の中でどう生きて行くべきかを正面から考える… というのがプロジェクトの趣旨ですから。 実際福島に行き出した最初のうちは外の人が来るだけで嬉しいって言ってくれてて、福島の人達は自分たちが切り捨てられちゃうんじゃないかって思ってたんだと思う。オレも一番最初に心配していたのはそこで、とにかく福島を孤立させちゃいけないなと。だから、外の人に向けては、まずは福島の現状を見てほしんです。こんな放射線量が高い所に人が住んでいるということを、実際に見て、福島の人達と知り合って考えて欲しい。福島の人に対しては、外の人達と交わる機会を作りたいなって。放射線被害の土地って情報だけで福島を知るよりは、友人のだれそれが住んでる福島… ってなったほうがリアリティがまったく違うと思うんです。福島の人にしてみれば、外に友人がいれば、そこの街に遊びにいったり疎開もしやすくなるかもしれない。今回は互いに顔が見えるようにしたいというのがすごく大きいですね。フェスはそのための打ち上げ花火みたいな大きなお祭りなんです。ただこれは短期で終わるもんじゃない。長いプロジェクトとしては「スクールFUKUSHIMA!」というのを考えていて、こちらはもっと地道なものをやってく予定です。
――それは具体的にはどういう内容なんですか?
和合亮一さんが詩の学校をやったり、オレはまずは福島でやるフェスに出る為のオーケストラのワーク・ショップをします。秋からは長いスパンで市民音楽家養成講座みたいなものをやれればって思ってます。あとはさきほど名前の出て来た放射線の専門家の木村先生に「子供のための放射線教室」とか、大人のための勉強会をやってもらう予定です。最初に県の指名で福島に来た長崎大学の山下教授っていう放射線の専門家が「大丈夫、安全だ」って言ってしまったが為に、逃げ遅れた人っていっぱい居ると思うんだけど、そういう住民の被害のことをちゃんと考えてない人の意見ではなく、被害を出さないために住民の身になって考えてくれる人と勉強会を開ければって思ってます。だから本当に信用できる人の話を聞ける勉強会を開く。
――そういう人達はまだ福島には来ていない?
今までは現状を調べるので精いっぱいだったと思うけど、もう来てますよ。何人も。そろそろ彼らの話を聞く機会が出て来てると思う。もちろん、東京でもやるべきだよね。特に内部被曝しないために今後食べ物をどうするか、実際にどの程度の放射能が体にどういう影響を与えるのかを考えつつ、より具体的に生活に即した形で勉強会を開かなきゃいけない。
――大友さんにとって、なってほしい未来像とはどういうものですか?
これまでの世の中ってのは、皆が同じような生活を享受するために、とにかくなんでも巨大にしてくって方向だったと思うんです。日本中で同じテレビ番組を見る。日本中で同じような100Vの電力を使う。みなが車に乗り、みなが同じような携帯を持ち、みなが同じようなコンピニやスーパーで買い物をし、全国おなじチェーン店のレストランで同じようなものを食べる。そういうのって、戦後、貧しかった日本が豊かになるために必要だったんだと思います。でも、もうその目標は十分達成したわけだし、むしろそうすることの弊害が見え出したわけだから、違う生き方をしてってもいいんじゃないかな。例えば音楽の世界で言えばメジャーの音楽に対してそうではない動き、インディーズ的な音楽のありかたというものがあるじゃない。メジャーのやり方に縛られずに居心地の良い音楽を作る為に自分たちで産地直送の音楽をつくるような方法。今は日本中皆で歌える歌は無くなったけど、でもそれぞれの生活や趣味に応じた素敵な音楽はかってより沢山ある。これってこの先のヒントになると思うんだけどなあ。発電だって小さいインディーズ発電みたいなのいっぱいあって、例えばあそこは240vでいい音になる電力販売してるから、僕らはそこ使おうか… みたいな選択肢のある電力供給があってもいいと思うんだけど。送電線だけ国が管理して、もっと色んな発電方法が増えればいいんだと思う。音楽に話を戻せば、スポンサーに頼って音楽を作ってきて、そのために原発にノーと言えないミュージシャンがたくさん居るなんておかしいでしょ。テレビでも何でもそうなんだけど、大企業のスポンサーで成り立つ文化が主流をしめるってあり方はそろそろ終わりにしたほうがいいと思うな。全部なくせとは言わないけど、そうじゃない仕組みをどんどん作っていかないと。そもそもミュージシャンって言いたいこと言うのがミュージシャンなんじゃないの? メジャーと契約してるから言えないって根本的におかしいじゃん。かつてタイマーズが東芝EMIにリリースを拒まれた事件を、二十数年間先送りにして解決できなかったツケだと思う。ミュージシャンが自由な発言が出来ないって、もうそれだけで根本的におかしな世の中ですよ。そういう意味ではそんな世の中を放置した責任、僕らにもあるってことです。
――ヨーロッパやアジアって、貧乏でも楽しそうにしてる人がたくさん居ますよね。
そうだよね。何で日本ってこんなに豊かになろうとしてるんだろう。しかも頑張ってる割に全然豊かにならないし、豊かにする部分を間違ってるよね。東京で一人暮らしの部屋に払う家賃があればヨーロッパやベトナムででかい一軒家に住めるよ。確かにヨーロッパやアジアにはお金はなくても豊かな暮らしがたくさんあって、日本は何でああならないんだろう。
――「原発が無くなると豊かな暮らしがなくなるよ」って脅されて、「それでもいいです」って言える勇気がみんなにあると変わるのかなって思う。
どうもそうはならないよね。そんなに今の状態を維持しなきゃいけないほど、今が豊かなのかよって思う。アートには「こういう暮らしがあるよ」という生活への提案力があったはずですよね。かつて、THE BEATLESやTHE ROLLING STONESを初めて見た時に「男の人が髪を伸ばしてもいいんだ」「ネクタイ締めなくていいんだ」って思った人は沢山いたはずで、それはどんな運動よりも世の中を実際に変えたと思うんです。でもその影響をもろに受けたはずのオレより上世代が、若い頃はともかく、実際に世の中にでたら80年代にはバブル経済を作ってみたり、こんな世の中を作っちゃったわけで、今となってはあの革命はなんだったんだろうって失望があるんです。石原慎太郎が都知事選に当選して高円寺のデモがほとんど報道されなかった4月10日、その失望はピークに達したかもしれない。でも冷静に考えると、あれは震災後わずか1ヶ月後の出来事なんですよね。現実には石原慎太郎の票はずいぶん落ちたし、高円寺には一万五千人がツイッターだけで集まったんだよ。それってすごいことだと思うんです。何十年もかけてつくってしまったひどい状況を変えて行くのにそんなに慌てなくていい。事実声を上げる人も増えているし、この取材自体も一年前では考えられなかっただろうしね。
――確かにそうですよね。大友さんが今、急いでとりかからなくてはいけないと思う問題は何ですか?
内部被曝をどれだけ防げるかでしょう。特に子供に対して。今から対策を練って危機感をもってみんなで考えていけば内部被曝は絶対防げるはずです。とは言え僕らだけが言ってもどうにもできないから、国や農水省や自治体に本当にちゃんとしてほしいね。農家の作物から放射能が検出されたらちゃんと国が買い上げて保証する、そういうシステムが無いと農家の人は自分の生活を守る為に嘘をつくかもしれない。そこにこそ税金を使っていいと思う。原発は国策でやってきたことなんだしさ。そういう責任の取り方こそ必要だと思うんです。
――ではそのために大友さんがやることは、声を上げること?
ひとつはそうです。オレ程度の知名度でも多少はメディアにでますから。それだけに間違ったことは言えないなって思ってる。そもそも専門家じゃないんだから、そこは一線を引きます。でもオレだけじゃなくみんなが自分の意見を言ってほしい。アングラな人達だけじゃなくて、普通にテレビに出てる影響力のある人がいっぱい言えばいいと思うんだけどなあ。なんで言えないんだろう。もし言えないんだとしたらそこが根本的に間違っているんだから、そこも変えなきゃいけないと思うよ。意見を言えない世の中自体そもそもおかしいじゃない。そこを変えれば何か変わっていくんじゃないかな。あともう一つは、具体的に出来る範囲で動いて、動かしていくことです。実際福島でそういう活動をはじめてます。
――大友さんは8月15日の「FUKUSHIMA!」以降、どういう風に動こうと考えていますか?
まずはさっき話した「スクールFUKUSHIMA!」。あと、この問題が福島だけの問題じゃないということをみんなに知って欲しい。今年はフレッシュな話題だから色々と注目してもらえるけど、そのうち忘れられていく。だから時々打ち上げ花火を上げて思い出させることも必要。毎年「FUKUSHIMA!」が続くなら、その度に現状を見てもらえるきっかけになるし。あとは本を出したり、地道な運動かな。今はみんな自腹で動いてるけどそんなんじゃ絶対に続かないから、そこを何とかする仕組みも考えていかなきゃいけない。それからチェルノブイリにも行きたいです。福島の未来がそこにあるわけですから、どうすればいいかを知るためにも行きたい。とにかく、みんなどんどん忘れて日常にもどっちゃうから楔をしっかり打ちたいですね。
――そうなんですよね、持続力がもたないんですよ。地震が起こった時はみんな何かやろうという動きがあったんですけど、三カ月経った今、やる人とやらない人との距離がどんどん離れていってる。大友さんのように長く続けていく覚悟を決めている人と、日常に戻って行く人とに分かれていって、続けていく人はどんどん貧乏になっていってるんですよね。
オレだってこのままじゃ本当に破産する。厳しいですよ、こんなことやるの。でも今やらなかったらって思いでやってるんです。そのくらい切実なんです。やる人、やらない人の距離の話だけど、オレだって神戸の震災の時ってここまで切実じゃなかった。友達も居たけどみんな被害はそれほどではなくて、リアリティの無いことにモチベーションを継続しろといっても無理じゃない。たまたまオレは福島出身だったからこうなっているだけで。ただ今回の件は福島だけの問題じゃなくて、東日本、へたしたら西日本も関係してくること出し、大げさでもなんでもなく世界の未来の話だと思ってる。そんなでかい問題を福島だけで背負うのは重すぎますよ。だから、ちょっとおすそわけするからみんなにも考えて欲しいって思ってる。そりゃこんなうざったいことに面と向かっていたらきついし嫌になる。でも安心して寿司や野菜サラダを食える世の中に戻したいじゃない。線量計持たずに暮らせるような未来を作りたいじゃない。直接福島に関係のない人みなにいつも深刻になってほしいとは言わないし、そんなの無理だと思うけど、でもそれぞれの暮らしの中で自分の問題として考えてほしいなって思ってる。関わりに応じて温度差があるのは当然だと思う。その温度差の中で、それぞれの立場で考えてくれればいいんじゃないかな。そのためにも福島で何が起こってるのかをちゃんと伝える必要あると思ってるんです。
(2011年06月17日取材)
8.15 世界同時多発フェスティバル FUKUSHIMA!
福島から、日本各地、世界各地へ呼びかけ、2011年8月15日、世界中で同時多発的に開催されるフェスティバル。大小様々、音楽だけでなく、ダンス、美術、詩、演劇、映画、その他の多様な表現を通じて同時多発的にFUKUSHIMA!を発信していきます。福島では、四季の里がメイン会場となり、日中と夕方以降の2部構成で開催されます。
※放射線の状況、地震や原発の状況、あるいは社会情勢によっては内容の大幅変更、中止もありえます。留意事項をよくお読みください。
2011年8月15日(月)@福島市 四季の里(福島県福島市荒井字上鷺西1-1)
入場料 : 無料
※開催時間調整中
※ほか様々な会場を検討中
世界同時多発イベント・リスト
PROJECT FUKUSHIMA! official website
大友良英 PROFILE
1959年生まれ。ギタリスト/ターン・テーブル奏者/作曲家/プロデューサー。ONJO、INVISIBLE SONGS、幽閉者、FEN等複数のバンドを率い、またFilament、Joy Heights、I.S.O.など数多くのバンドに参加。同時に映画、CF等、映像作品の音楽も手がける。近年は美術家とのコラボレーションも多く、自身でもサウンド・インスタレーションを手がける一方、障害のある子どもたちとの音楽ワーク・ショップにも力をいれている。著書に『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)など。
連続記事「REVIVE JAPAN WITH MUSIC」
- 第二回 : 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)インタビュー
- 第三回 : 山口隆(サンボマスター)インタビュー
- 第四回 : Alec Empire(ATARI TEENAGE RIOT) インタビュー
- 第五回 : 平山“two”勉(Nomadic Records) インタビュー
- 第六回 : 小田島等(デザイナー/イラストレーター) インタビュー
- 第七回 : PIKA☆(TAIYO 33 OSAKA/ムーン♀ママ/ex.あふりらんぽ) インタビュー
- 第八回 : 箭内道彦(クリエイター/猪苗代湖ズ) インタビュー
OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム
『Play for Japan Vol.1-Vol.6』
『Play for Japan Vol.7-Vol.10』
>>>『Play for Japan』参加アーティスト・コメント一覧はこちらから
各アーティストが発表するチャリティ・ソングの最新リリース情報はこちら
映画『ミツバチの羽音と地球の回転』サウンド・トラックについてはこちら
2011.06.11「SHARE FUKUSHIMA@セブンイレブンいわき豊間店」レポートはこちら
2011.04.23「Play for Japan in Sendaiへ 救援物資を届けに石巻へ」レポートはこちら